第9話 金菊邸の戦い ①
ーー金菊邸 正門前
昼と変わらぬ明るさの遊郭区域の一角、城の天守閣の上半分を切り取ったかの如き大きな屋形が鎮座し、正門から多くの人が出入りしている。
その様子を少し遠くから二人は眺め、思案している。
「昔は高級旅館だったらしいんですが、今はこの建物自体が遊屋として経営している様です、この辺りも遊郭では無かったとの事です…」
「一通り見て回ったが、裏口も…塀と垣のせいで入れそうになかった…何か城みたいだな」
「…ともかく、残るは正面からの潜入ですね、辰之助さんは客として入れるはずです、お金は渡しておきます」
と中に数枚の小判が入った袋を渡される。
「…お前、金あったのかよ…!」
驚く辰之助が千彩の方を見ると、辰之助の右の足元に黒猫が座って毛繕いをしている。
「その方に持ってきて貰ったんです、ありがとうございます、
と、千彩が言うとしてニャン、と一鳴きして何処かへと走り去って行った。
「私も少し着替えてきます」
そう言って千彩も何処かへ行ってしまう、数分後、千彩は昨日女将が言っていたであろう、ボロボロの服を着ていた。
「…この街の方々の優しさに賭けて、雑用なら雇ってくれると信じます、成功した場合の為に、辰之助さんには私の刀を預けておきます、後で合流して渡して下さい」
そう言ってその服のまま駆け出し、店の前に向かう。
(大丈夫か?)
店の前で懇願する様な動きの後、呆れた顔の店主が店の奥へと引っ張って行った。
(…成功するのか!? いや美人だからかもしれないが…!)
無論、辰之助はこういう店には縁がない、復讐の旅を続けている日々に、遊ぶ余裕など心にもお金にも無い。
故に、ただひたすら緊張していた。
しばらくして
(……やるしかねぇか…!)
一人決意を固め、遊屋の前に歩く。
店へと歩みを進め、いよいよ中へと入る。
外で選んでから、というのは何処かで聞いていたから先に適当に選んでおいた、どうせ遊ぶ気は無いし、金を渡せば何とかなるだろう。
…使い切った時は千彩に謝るしかない。
そう意志を固め、押し込まれる様に中に入る。
外から見た感じよりも広く感じる中を歩く、途中、先に入って行った千彩の姿を探すが、結局は見つからないまま、部屋へと着いた。
辺りには騒ぎ声と甘ったるい酒の匂い、女の喘ぐような声が辺りに響く、本当に千彩は無事だろうか、と内心不安に駆られる。
そして二階、一番東側への部屋へと案内され、しばらく待つようにと襖を閉ざす。
(千彩との集合場所は…西側の一階だよな…一番遠い所になっちまった…)
本当は今すぐ動くべきなんだろうが、すぐに居なくなっては怪しまれるかもしれない。
適当に話をして「厠に行く」とでも言えばいくらでも誤魔化せるだろう。
数分後、ガラリと襖が開かれ、料理と共に遊女が部屋へと入ってくる。
まだ若く、歳は同い年程度…いや少し上だろうか…
まだ二十を超えていないであろうその遊女は辰之助を見るなり、少し嬉しそうに笑う。
「…あら、お若い方…それに中々男前…」
と色香と気品を感じさせる笑みを浮かべ、慣れた足取りで隣へと座る。
「私も…張り切ってお酌させて貰います」
と、辰之助の持つ猪口に酒を入れる。
その酒をぐいっと一気飲みし、その姿に遊女は拍手を送る。
「まぁ、いい飲みっぷり…!そこまで勢いがあるなら…私も注ぎ甲斐があるというものです」
そして二杯目を入れながら、辰之助へと質問する。
「お客さん、この町にはどんな用事で?」
「…ちょっと…野暮用だ…」
辰之助は二杯目も一気に飲み、遊女はすかさず三杯目を入れる。
「…そう…それは残念…」
「?」
酒を飲む手を止め、辰之助は遊女の寂しげな顔を見る。
「…いえ、こちらの話ですよ、昔の街の方が私は好きだってだけです」
「…そうか」
「………えぇ…」
改めて辰之助は三杯目を飲みきった。
「あはは、ごめんなさいね…折角楽しみに来てくれたのに…少し暗くなってしまって、ささ…次を…」
少し申し訳なさそうに遊女は笑い、再び酒を注ごうとした瞬間…
カン!!
猪口が勢いよく机に叩きつけられる。
「お前、名前は…?」
辰之助は下を向き、顔が見えない状態で、怒気に満ちた声色で遊女へと問いかける。
「…え…牡丹…」
「違う…本当の名前だ」
遊女の源氏名を遮り、辰之助は更に圧を感じる声で問い質す。
「……もう、お客さんたら…かなり酔ってますね? まぁ流石に…そんな速さで飲んだら…」
辰之助の圧から逃げるように、遊女は明るく振舞って場を茶化そうとする。
しかし、その努力も少し酔いの回った辰之助を止めるには至らなかった。
「…当ててやろうか?」
「え? いや、そのお店的に…」
(…ありゃりゃ…お酒回ったらちょっと痛くなる人だー、というか…なんで急に…)
内心で引いている遊女だったが、辰之助が次に発した言葉に
「……
思考が止まった。
「!!」
「……………
「…………何で」
遊女は騒がしかった筈の周りの音が、一瞬無音になった感覚に襲われる。
「…お父ちゃんの…名前…」
「……ゲフ…ついさっき知り合ったんだ…生きていたんだな…まさかとは思ったが…」
その言葉を聞いた遊女の目から一筋の涙が伝うと、堰を切ったように大粒の涙を零し続けて床を濡らす。
「………昔…紅重組に捕まって…お母ちゃんが殺されてから…生き残ろうと頑張って…遊女になって…それで…生かして貰って…」
自身の生い立ちを話す遊女は、最後に辰之助に向けて激しく懇願する。
「…教えて、お父ちゃんはどこ!?何処にいるの!?」
「明日の朝、"削"っていう処刑をされる…」
「!!」
心臓を一突きされたかのような顔で、遊女は更に涙を流しながら辰之助を見て、彼の腕に縋り付いた。
「う、嘘!なんで…!?」
「この街の為に命を捨てようとしている、俺はそれを止めて街を助ける為に来た」
辰之助は遊女の方を向き、肩を掴んで強い眼差しで説得する。
「だから教えてくれ…
少し頬を赤らめて酔っ払ってはいるが、それ以上に真剣なその眼差しに押され、遊女は少し躊躇いながらも、ゆっくりと重い口を開き始める。
「…紅重は…姉と弟の姉弟…姉は組長の
震えながらも、遊女は言葉を止めない。
もしこの事がバレたら、自身は消されると確信している。
だが、辰之助の意思の籠った目を彼女は信じた、彼ならやってくれるとそう信じ、自身と父親の命を彼に託した。
「あいつらは…普段は裏の二階…その一番奥の大広間に居る…多分今も…だから向かうなら…そこに」
「そう、"普段は"…ね?」
その声と共に襖越しに、不穏な羽音が鳴り響く。
「っ!下がれ!!」
辰之助はふらつく手ですぐさま刀を掴み、立ち上がって鞘から抜こうと手をかける。
しかし相手の方が数瞬早く、障子を破り鋭い爪を辰之助の顔面目掛けて放つ。
「っ!!」
頬を切り裂かれつつも紙一重でそれを躱し、突き出した腕に向かって切り上げ
ズシャ!
と砂利を切った様な音と共に蜂の腕が落ちた
ベチャリ
落ちた腕は虫が潰れる様な嫌な音を鳴らし、しかれた布団へと紫色の血が染み込んでいく。
「きゃああああ!!」
遊女は叫び、逃げようとしているが腰が抜けて動けていない。
「…あー、めんどくさ…今ので死んどけよ、雑魚が」
腕を突き出してきた犯人は、襖の前から動くこと無く、右腕のみを突き出している。
「ようやく顔見れたな…紅重 蜂太」
右腕のみ、昨日の能蜂の様になっており、残りの部分は人間の形を保っていた。
白い髪に赤紫の瞳、そして女性を魅了するためだけに生まれたかのような端正で、何処か色気を感じさせる顔。
だが、その顔には邪悪な笑み、怠惰な怒り顔、姉への狂信的な不気味な笑いしか写すことは無いだろう。
そう感じさせる腐りきった性根を彼の僅かな佇まいと言動から、辰之助は感じ取っていた。
「顔見れたから、なんだよ」
蜂太は鬱陶しそうに辰之助を睨み、切られた腕をじゅくじゅくと音を立てながら生やしている。
「…今の内に、その綺麗な顔を見ておこうと思ってな」
「…気色悪ぃ、男に褒められても何も嬉しくねぇ…酔ってんのか?」
「酔ってるし、褒めてねぇよ……今その顔見ようと思ったのは…」チャキ…
辰之助が構え
「すぐ気持ち悪くしてやるからだ…!!」
辰之助が蜂太の首元目掛けて斬りかかる。
「はっ!そりゃあ…!」
同時に再生した右腕を再び変化させ
「お前の方だろうがよォ!!」
辰之助の振るう刀へとぶつけた。
ガキィン!!
金属がぶつかりあうような鈍く鋭い凶音が辺りに響く。
そして次の瞬間
バゴォン!!
木を叩き割った音と共に辰之助は部屋の壁を破り、店の外へ吹き飛ばされた。
月明かりが差し込む部屋の中で、蜂太は割れた腕を見る。
「…ふん、勢いだけの雑魚が」
そして吐き捨てる様に腕を再生させ、次は腰が抜けて動けない遊女へと視線を移した。
「…は、は…お、お許…おゆ…!」
恐怖と絶望で言葉はおろか呼吸すらもままならない。
目の前に迫る死に少し前の己を呪う。
その許しとも言えそうにないほどにくぐもった声を聞いた蜂太は
「…んー、無理」
考えるふりをして、すぐさま邪悪な笑みと答えを突きつけた。
「可愛いけど、裏切ったしなぁ…」
「…は、…助け…お父ちゃ…!」
「あはは、無理無理、君のお父さんってば明日死ぬしね……あ、そういえば姉さんが、受刑者多めに欲しがってたし、親子共々、同じ殺し方にしようか!」
「…っ…!」
もう遊女からは言葉すら出ない、自身の破滅を悟ってしまっていた。
「さ、一緒に…」
と遊女へ手を伸ばす。
捕まれば終わる、逃げれば殺される、どっちにしろ明日死ぬ。
逃れられぬ死の闇、もはや父親と死ねる、それが最後の拠り所言わんばかりに彼女はその手を…
パシン!
跳ね除けた。
「は?」
蜂太が驚きの余り、間抜けな声と反応を示す。
「…と、父ちゃんはきっと…!」
震える声と叫ぶ心臓を押さえつけ、蜂太へと啖呵を切って、言葉を叩きつける。
「…きっと戦ってる!! 私…うぅん!皆の為に! 」
「…ちっ」
「だから私も戦う! あんたなんて怖くな…!」
ガシ!
「!!」
遊女の頬を掴みその体ごと持ち上げる。
「黙れ、女の大声ってのはキンキン響いて鬱陶しいんだよ」
「ふぅー! ふぅー!」
遊女は恐怖で再び涙を流すが、変わらず蜂太を睨み続けている。
「はっ、生意気な目だな、親父そっくりだ、せいぜい地獄で仲良くしろよ」
頬を握る手が変化していき、やがて完全に変わる。
そして、その手から針が生え、少しずつ遊女の顔へと迫っていく。
「それじゃあね、馬鹿親子」
止めを刺そうと蜂太が甘く残酷に笑った瞬間
ズァァ!!
美しい月光に照らされた部屋へ
「!!」
巨大な影が顕れた。
蜂太が顔を向け、その姿を見る。
その正体は先程吹き飛ばした人間。
だがその威圧感と存在感は全くの別物。
そう、まるで
「"
"龍"の如き気配だった。
「"
ズガァン!!
蜂太の手が遊女から離れ、何かを押し砕く様な音と共にその姿を消す
「…っはぁっ!! はぁ…! はぁ…!」
解放された遊女がその場に床に手を付き、震える呼吸で己の無事を確認する。
そして部屋と廊下を分けるように空いた床の風穴の方へと目をやると、一階の廊下へと落ちて倒れている二人が見えた。
「あー、酔いが覚めた…やっぱ酒ってのは飲むもんじゃねぇな…おい!」
「ひゃい!?」
首をポキポキと鳴らしながら辰之助は立ち上がり、血まみれの体で遊女の方を見上げ
「…いい酌だった、また頼む」
その勇気を称える。
「!!」
その言葉を聞いた遊女は涙を目に貯めながら力強く頷き、部屋を出て他の者達へ呼びかけ始めた。
「ここは危険です! 西側の廊下から早く逃げて!!」
先程の音と今の呼び掛けにただ事ではないと察した全員が我先にと西側へ走っていく。
「お願いします! お客さん!!」
タッタッタッ…!
そう言って彼女も、人並みに混じり逃げていった。
「……ふぅ…」
辰之助が刀を構えて前を向き直し、目の前で立とうとしている蜂太を睨みつける。
「…がは!痛ぇじゃねぇか!くそが!!」
蜂太は紫色の血を口から吐き出しながら、何処か楽しげに再び邪悪な笑みを浮かべる。
「あー、こんなにキレたのは久しぶりだぁ!殺しちまうぜぇ!本気の本気でぇ!見ててくれよォ!!姉さぁぁあぁん!!だっははははははははは!!」
そう嗤った蜂太の体が内側からボコボコと蠢き、人と蜂が融合しているような、おぞましい姿へと変わって行く。
指はまとまって大きな二本の爪になり、端正な顔つきも歪に変形、蜂の顎に、人の歯を無数に生え散らした様な口へと変わり、目も蜂の巣のような無数の六角形が細かく並ぶ昆虫の目へと変わる。
不快な羽音を鳴り散らし、辺りにいるものへ、凄まじい嫌悪感と恐怖を与え続けていた。
恐らくここが戦場の渦中であろうと、その羽音は一際異彩を放ち、嫌でも耳へと突き刺さり続けるだろう。
「…ほらな、気持ち悪くなった」
「来やがれ!」
「はぁぁ!!」
「雑魚がぁ!!」
ガァン!!
狭い廊下の中で辰之助は最小限の動きで刀を振るい、蜂太もそれを受け止め、再び金属がぶつかった音が響き渡る。
その音こそがこの戦いの始まりを告げる鐘であり、礎静町の行く末を決める最初の一太刀となった。
金菊邸 一階 客間 東廊下の戦い
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