第10話 金菊邸の戦い ②
ーーー少し前、金菊邸 裏客間前倉庫
一足先に侵入した千彩、特別な客しか入れない区画への唯一の入口、そこから少し中に入り、物置の奥に身を潜めて辰之助を待っている。
待機してそれなりの時間が経つが、辰之助が現れる気配が一向にない。
しかも刀を辰之助に預けているせいで、合流するまで迂闊に動けない状態が続いていた。
刻一刻を争うこの状況、女将がいつ部屋に居ない自分達に気づくか分からない、もしそうなればここに居る事も気付かれるだろう。
そうなって、見捨てられるならまだしも、戦える者を僅かに連れて攻め入る、なんて事が起きれば勝つ事は出来ても多くの人が殺される。
(…それだけは…何としても避けないと…)
すると、二階の反対側から何かが吹き飛んだような音がうっすらと聞こえ、その数秒後に崩れる様な大きな音が鳴り響き、間もなく人々の悲鳴と避難を呼びかける声があがる。
千彩がこっそりと物置から顔だけをのぞかせ、廊下を見ると
「きゃあぁぁぁ!!」
「こっちです! 早く!」
「ば、化け物が出たぞぉぉ!!」
「だ、誰かぁ!助けてくれぇぇ!!」
「焦らないで! あの人が止めてくれています!!」
扉の先では人がごった返し、我先に逃げようとする人だかりが波の様に動いている。
(…あの人…一体何が…まさか辰之助さん…?)
ついさっき、"紅重"と呼ばれていた男が客間に向かっていたのを千彩は見ていた。
(紅重組の長は"蜂子"という女性…ならばあの人は、血縁関係か…養子なのかもしれませんね…それに彼から妖魔の気配を感じた事は間違いない、つまり今、客間の何処かで辰之助さんはそいつと戦っている可能性が高い…合流は望めないという事…)
「…ふぅ…」
千彩が少し溜息を付くと、軽く物置を見回す。
(何か武器を…)
すると乱雑に何本か差し込まれた無駄に派手な装飾を施してある薙刀を見つけ、一本だけ掴んだ。
刃は勿論、柄の部分も鉄で覆われており、非常に重い、どう考えても戦闘用を想定されていない薙刀だったが…
(…だけど、切れない訳では無い…少々動きづらいですが…こちらを使わせて貰いましょう…それに客間がこの騒ぎでも出てこないという事は、本人が動く気は無い…全てさっきの男に任せているという事…そうなればわざわざ前に出ては来ない、居るとしたら一番奥の…二階にいる筈…)
裏遊廊の中は複雑に入り組み、部屋数の半分にも満たない客の数。
そして聞こえる音が女と男の交わり、いびき、数人の騒ぎ声のみであり、走り抜けるせいでそれすら一瞬で耳から消えていく。
表で起こっている騒ぎもまるで聞こえてないかの様な静けさと、その異常な光景、そして感じる妖魔の気配に、千彩は警戒しつつも素早く静かに奥へと移動していく。
人はあまり多いとは言えない筈なのに、表よりも甘ったるく濃密な酒の匂いが鼻を刺激し、呼吸するだけで酔う様な気分になってくる。
その異様な匂いの中を走り続けた千彩だったが、突如立ち止まって後ろを振り向き、辺りを見渡し始めた、
(ここに入ってから…妖魔の気配はしている…だけど……見張りが…居ない…)
少ない、どころか全く居ない。
廊下に立つ人も、すれ違う人すら居ない。
もしや、客に集中して楽しんでもらう為の措置だろうかとも考えたが、それならここに入ってからずっと妖魔の気配がするのはおかしい、客の中に混じっているとしか思えない。
(…分からないものは仕方がない…!)
両頬を二度軽く叩いて警戒を更に強め、素早く千彩は走り出す。
変わらず感じ続ける妖魔の気配を煩わしく感じながらも進み続け、何の問題も無く、あっさりと最奥にある大きな階段を見つける。
(結局、何の障害も無かったのが違和感だけど…ここまでもう来たら…奴を倒す…)
階段を駆け上がる様に登り、大きく真っ直ぐな廊下とその最奥に見える大広間への扉へと向かう。
中の音を聞こうと、聞き耳を立てる。
何も聞こえないが、確かに気配は感じる、店や下にいた時に感じた尖兵のものでは無い、もっと鋭く濃密で、強力な妖魔の気配。
(…この先に、紅重 蜂子……能蜂を生み出し、この街を支配した妖魔が、間違いなく居る…)
激しく揺れ動く心臓の音が全身へと響き渡り、扉へ伸ばす手を鈍らせる。
それをかき消す為に目を瞑って大きく深呼吸をし、覚悟を決め目と扉を開いた。
中に広がる静かな室内から流れる冷たい隙間風、部屋の奥に鎮座する者の性質をそのまま感じさせるような鋭く、血腥い、舐め回す様な威圧感が全身を襲う。
「……あら…どうしたの…迷ったのかしら…?」
全て気づいている筈なのに、優しくとぼけた口調で立ち上がり、扇情的な美しい足取りで一歩一歩千彩の方へと歩みを進める。
「…薙刀なんて物騒な物持って…しかもこれ、私の収集してた物じゃない…もしかして…泥棒さん?」
一言喋る度に、甘ったるい蜜のような香りが口から漂い、その都度千彩の戦意を鈍らせる。
「怖いわぁ、とぉっても…ね…? うふふ」
見下し煽る様に口に手を当て、わざとらしく笑っている。
千彩は薙刀を正面に構え、刃を、蜂子に向け続ける。
(どんな速さで来ても…正面からなら斬り返せる筈…)
「あーぁ、誰か…」
(いや、斬り返す…!)
「…助けてくれないかしらー…?」
ブブブブ…!
「!?」
蜂子の声に呼応する様に、千彩の背後から不快な羽音を鳴らし、何かが飛んでくる
(…後ろ…!?)
人体に蜂が持つ凶器を植え付けた様な異形の怪物、能蜂が千彩の脳天目掛け、その腕を振り下ろす。
すぐさま振り返った千彩はそのままの流れで迫る腕を落とし、返す刃で切り上げ、能蜂の体を袈裟に分断する。
「…ふふ、じゃーね…泥棒さん…」
「!!」
能蜂を切り伏せた瞬間、蜂子の声が真後ろまで迫っている事に気づく。
能蜂と同じ様な羽根を生やし、それ以上速く、音も聞こえぬ間に距離を詰められていた。
更に右掌から鋭く太い毒針を生やし、千彩の後頭部目掛けて掌底の様な形で突き出す。
「…っ…」
千彩は振り上げた勢いを殺さないまま、上げた薙刀を下ろしつつ振り返り、針の生えていない部分の掌に柄を当て、ギリギリのところで掌底を防ぐ。
鉄と鉄がぶつかる様な鈍い音、蜂子は、他のもの達と違い、人の形を保ったまま鋼鉄に近い硬さの外殻を手に纏っている。
「…あら、ちょっとはやるわね」
受け流そうと体の重心をずらすが、紅重は瞬間的に針を引っ込め、千彩を逃がさないように触れていた柄を固く握る。
「…くっ…!」
千彩は両手が塞がり、蜂子は左腕が空いている状況。
勝負あったと言わんばかりの不気味な笑みを浮かべ、左にも同じ様な棘を生やすと、千彩の顔目掛けて掌底を放つ。
辛うじて躱すが毒針が顔を掠め、生暖かい鮮血が頬から滴る。
蜂子は残念そうな顔をして、もう一度放つ為に腕を引き始める。
(躱せはしたけど…何も状況が変わってない…!)
焦る千彩の耳に再び、あの不快な羽音が聞こえる。
しかも今度は一つでは無く
(…一…三……六……七体…何処にそんな数…!)
廊下の方からこちらに飛んでくる姿がしっかりと千彩の目に入った。
(…まずい…一体一体は驚異では無いとはいえ…このまま武器を封じられていては…勝てない…! 紅重もまた攻撃してくる…!)
「…さ、終わ…」
さっきよりも邪悪な笑みで、静かに勝利宣言をしようとした蜂子の言葉を遮るように千彩が口を開く。
「……この…!」
上を向く勢いで思い切り頭を引き、歯を食いしばって目の前の敵を睨む。
その姿に、蜂子は一瞬だけ戸惑い、攻撃の意思が頭から抜け落ちる。
「いい加減に…!」
蜂子と共に薙刀を引っ張り、それと同時に回転させるように横に倒し、蜂子と自身の間の障害物を無くし…
そして
「離しなさい!!」
ゴチィン!!
渾身の頭突きを蜂子の顔面に炸裂させる。
「はが…!?」
あまりにも突然の攻撃、鼻腔を中心に突き抜けた激痛に思わず薙刀を離し、鼻血を出しながら吹き飛ぶように倒れる。
「…あぅ……がぁ…!」
(っ…こいつ…)
千彩は頭突きの瞬間、蜂子の体から妙な違和感を感じとっていた。
ブブブブゥ…ン…!!
しかし直後に廊下の向こうから能蜂の最初の一体が千彩に噛み付こうと、顎を開いて飛んでくるのを見て、迎え撃つ為に構える。
構えた瞬間、千彩が持つ薙刀の刃に火が付き、横一線に薙がれた能蜂の断面を焦がしながら綺麗な二枚下ろしにする。
そのすぐ後ろを飛んでいた二体目は鉤爪と化した腕を振り上げた瞬間に千彩が首に向かって斬り上げ、一体目と同じく断面を焦がして頭だけになりながら、飛んできた勢いで地面を転がり灰になって消えていく。
尚も向かってこようとする能蜂を迎え撃つ為に千彩が再び構えた瞬間。
「…止まりなさい!」
蜂子の怒声で全員の動きが止まる。
能蜂と蜂子が千彩を挟むような位置、千彩はどちらも警戒し、いつでも迎え撃つ準備をする。
「…ぶ…ふふふ…中々…いい頭突きね…効いたわ…」
鼻血を拭きながら、フラフラと、自嘲気味に笑いながら蜂子が立ち上がる。
その姿を見た千彩が、口を開く
「…貴方…見た目以上に軽いですね…」
頭突きをした瞬間、手応えはあったがそれが異常に軽かった。
白蟻に中を食われた木のように柔く、脆いものを殴った様な感覚。
攻撃は確実に効いている、いや…
(今程度の攻撃でも効く程に脆い…という事…)
「…えぇ、そうよ…昔から少食で、どんどん痩せて来てるの……昔より食べられるものがあっても、元々の胃が小さいせいで入らないし…」
再び自嘲気味に、不敵に笑いながら蜂子は赤い目を少し濁らせる。
「もう慣れたけどね、ご心配どうも…ふふふ…案外、優しいのかしら?」
「……いえ…」
「優しくしてくれたついでに、教えてあげる
…今この場所にいる能蜂達は、ここの五人だけになった…部屋に潜めて、後ろから刺して、あわよくば虐めて殺そうかと思ってたけど…貴方ってば思ってたより強かったから…」
「…それが、最後の策だと?」
「まぁ、そうね、何かを考えるのは苦手、お腹減るし…それに…」
蜂子が指で潰すように喉を抑え、上を向いて口を開ける。
「…もう作戦なんて、必要ないから」
そういうと、叫びとも声とも取れない不快極まりない"音"が町中に響き渡る。
「ぁ…うぐ…!」
千彩もその音を聞き、頭が割れるような激痛に襲われ、思わず耳を塞ぐ。
八秒程度、その音を鳴らし続けて少し疲れた様に蜂子が口を開く。
「…聞こえてるかしら?ま、聞こえてなくても言うけど」
「…?」
まだ少し残響が鳴っている遠い耳で、千彩は蜂子の話そうとしている言葉を辛うじて聞き取る。
「この街にいる、"全ての能蜂"をここへ呼んだ…大体…五百匹くらいかしら…? と言っても、この街の人間達の方が流石に多い数だけど…それでどうする?」
「…っ…どうする、とは?」
「謝る…いえ、裸になって土下座でもすれば、ちょっと使って楽に殺してあげるわ」
「…成程、つまり許す気は無いと」
「そうよ、よく分かってるじゃない」
再び構えて蜂子を睨みつける。
「私は所詮、"彼らの中でも最弱"です、他の方と違って強くないから…戦うのは…怖い」
少し悔しげに、しかし真っ直ぐ変わらずに蜂子に啖呵を切り続ける。
「だから、話し合いで解決出来るならそうしよう…と考えていました」
「…話し…合い…?」
驚きと困惑が混じる蜂子の復唱、しかし少し口角が上がると同時に、我慢できずに嘲笑うように吹き出す。
「……ぶっは!あははははは!冗談でしょ!?殺されかけた相手説得して!?改心させようと!?甘過ぎでしょ!私よりも馬鹿なんじゃないの!?あっはははは!!」
腹を抱えて咳き込みながら大爆笑する蜂子を、千彩は変わらない真っ直ぐな視線で貫き続ける。
「…あー!ほんとに馬鹿!平和ボケの頭お花畑…!そんなの無理に決まってるじゃない…!」
「…はい、貴方に"人の心"が残っている事を期待した私が馬鹿でした」
その言葉を聞いた蜂子から途端に笑顔が消え、心底不愉快そうな表情で千彩を睨む。
「…妖魔に、そんなのある訳無いでしょ?」
「…そう思い込みたいだけでは?」
蜂子は更に不機嫌に口を歪ませ、舌打ちをしながら、苛立ち気味に右腕で頭をガシガシと掻き毟る。
「…何か腹立つわね、あんた」
「お互い様です、私も貴方を許しません」
「毒も効かないし、能蜂も来ないし」
「…援軍なら、もう来ないと思いますよ?」
「…………は?」
ドタドタドタドタ!!
「千〜〜彩〜〜さ〜〜ん〜〜!!」
言葉の意味が何も理解出来ない蜂子の思考を塗りつぶす様な大声と足音が扉の向こう、能蜂の後ろ側から轟く。
「助けに来たよぉぉぉ!!」
麗が全速力で部屋へと駆け込んでくる。
部屋に入った瞬間、能蜂が一斉に麗へと攻撃するが、軽く全て躱し切り、千彩の元へ辿り着いた。
「お待たせ!」ズザザァ!!
千彩の前へ滑り込み、刀を渡す。
「これ、辰之助が渡してくれって!」
千彩は投げる様に持っていた薙刀を捨て、麗から刀を受け取った。
「……ありがとうございます…あー、重かった…」
「…顔色悪いけど…大丈夫?」
暗闇で分かりにくいが、千彩の顔が少し青ざめている。
「…問題ありません、薙刀が重くて肩が凝っただけです」
「それ絶対嘘だよね!?多分毒かなんか食らったよね!?」
「…それより、寿さんは…」
「麗で良いよ、呼びにくいし、私達は仲間なんだから」
「…麗さんは、戦えるのですか?」
「よくわかんないけど、刀持ったらなんか戦えた、だから大丈夫!何でなのかな?」
「……後で説明します…今はとにかく勝ちましょう」
そう言いながら千彩が刀を鞘から抜くと、先程の薙刀と同じく、刃が発火し炎を纏う。
「私は残りの能蜂を、貴方は紅重 蜂子を、こちらを片付け次第、そちらに加勢します」
「…分かった!」
二人が背中を預け合った事も意に介さず、麗が現れてから蜂子はずっと拳を握り、俯いて静かに震えていた。
「…何で、あんたが…来てんの……能蜂は…何処に…!」
赤黒く濁った目が麗を睨み付け、先程と同じ様に自身の首を指で潰すように握る。
だが今度は発するのは、音では無い。
「…そいつらを」
はっきりと聞き取れる、穢れきった欲望の果てに生まれた
「殺せ」
純粋な殺意の言葉。
発した瞬間、赤黒い波動のような物が部屋中に波打ち、それに当てられた能蜂達が一斉に悶え始める。
グチャ…パキ…
何かが潰れ、生えてくるような音が何度も繰り返され、その度に能蜂が変わる。
羽根が更に生え、顎はより頑強に歯は鋭く、鉤爪はより抉るように曲がり1度掴まれればその部分を引きちぎるまで離れない程の形状となる。
変化が終わった怪物たちの見た目は、もはや蜂とも人とも言えない存在と化し、蜂子の命令を聞き、必要以上に人を殺して恐怖を生み出すだけの殺戮兵器へと変貌していた。
異常な変貌の前に麗は焦りを見せる。
「な、なんか凄い強そうになったけど…本当に大丈夫…?」
だが千彩は何も変わらず、眼前の敵に燃える刃を向けている。
「…この程度なら大丈夫、私を信じて」
振り返らず、その背中で千彩は答える。
麗はその背中を見つめ、再び蜂子の方を向く。
「うん!」
仲間が信じろと言ったなら、それを信じる。
単純であり、最も重要で難しい感覚を二人は背中合わせで託し合う。
それを挟む様に、女王気取りの妖魔とその配下は相も変わらず不快になる音を鳴らしている。
「殺りなさい、一切の容赦なく…!」
赤黒く濁った瞳が、光り輝く。
激化する戦いの中心、悪しき女王への反逆を選んだたった一人の盗人の刃が、その首元へと届こうとしていた。
金菊邸 裏・大広間の戦い
対
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