第15話 姉
「ん〜、ぺろり、と」
足に掴んでいた肉片を離し、足に付いた血をひと舐めする。
「うぇー、まっず、ちゃんといい物食べてる?」
そして不快そうに唾を吐き捨てて舌を出した。
「……」
蜂子は答えない、もう答えられる様な状態では無い。
ただ静かに、揺れるように震え、虚ろな目で死が迫るのをまじまじと実感していた。
(……お腹…減った……ずっと…前から…)
『…やっぱり、二人だと美味しく感じるね』
(…っ…!)
薄れゆく意識の中、蜂子の中に誰かの声が走馬灯となって情景と共に滲み出てくる。
――数十年前 森の中
私は、妖魔として生まれた。
突然森の中で目覚め、何も言わずとも本能の赴くままに近くにある村へと向かった。
着いた村にどこか懐かしさを感じつつも、村へと足を踏み入れると皆が私を見るなり悲鳴をあげ、逃げていった。
最初は訳が分からなかった、危うく殺されそうになり、全力で逃げた。
逃げた先の池で見た私の姿は、蜂の様な異形な生物でしか無かった。
その事実を受け入れられなかった、生まれた自分の姿が醜い事にどうしてか腹が立った、それが本来の姿ではないようにさえ感じた。
時間も忘れて、私は泣き続けた、何の事かも分からないままただひたすらに、六角形の集合体に見える目から涙を流して。
夜まで泣いた私の隣には、いつしか一人の女性が来ていた。
途中から「よく分からないけど泣かないで」と言ってくれて、意味が分からないけどその人のおかげでいつしか涙は止まっていた。
優しそうな銀色の髪の生えた綺麗な女性。
「お腹空いたでしょ?はい、これあげるよ」
そう言って彼女は掌程度の大きさの紫色のよく分からない果実を渡してくれた。
「妖魔はそんなに食べなくても平気だけど、食べないと心が死ぬのは同じだから…あーん…」
そう言って彼女は果実を齧り、酸っぱそうな表情を浮かべる。
「…しゅっっっ…!!ばぁ…!」
その姿に不安を覚えながらも、一口齧る。
死ぬほど酸っぱい、舌が痛い。
「あっはは…これは外れだね…」
少し申し訳無さそうな顔で、彼女は笑った。
「…貴方、もしかして一人?」
無理矢理果実を飲み込んでいる私に彼女は優しく話しかけてくる。
私はよく分からないまま軽く頷いた。
「じゃあさ!」
すると彼女の口が嬉しそうに開く。
「…私と家族にならない?」
その一言に、私は耳を疑った。
こんな化け物に話しかけている事すら異常なのに、家族になって欲しいなんていよいよ狂っているとしか思えない。
慰めてくれた人とは言え、私はそう感じずには居られなかった。
「駄目?」
…駄目、というか無理だ。
そもそも私には家族が………家族…が…
あれ?家族…居た?どこに?どんな?
いや…でも…あれ?
頭の中が混乱する、何も分からない、家族のことも自分の事すらも。
分からない、怖い、何も見たくない、今の姿なんて…今? 私は生まれた時から…いつ生まれた…さっき? じゃあ今の姿って…どういう…
「…大丈夫、怖くないよ」
暖かい感覚が体と心を包む。
何も分からず混乱する私を彼女は、何も聞かずに優しく抱きしめてくれた。
その瞬間、私はありもしない過去を彼女…お姉ちゃんの為に捨てる事を決めた。
それ以降は毎日が楽しかった。
意外とお茶目で冗談や遊びを考えるのが得意で、思ったよりも夢見がちだったりした。
食べれそうな物、ダメそうな物を探して、毒だったら負けの遊びをしたり、人里へ降りる度に運命のお殿様に会いたい!と言ったり。
私も人里へ降りたいと頼んだら、妖魔が人の見た目に限りなく近づく為の技“
教え方はまぁ…
『こう、何かなりたい人を想像して体をメキメキーしてボガーン!ぼしゅーん! はい完成! みたいなかんじで!』
上手くはなかったけど、すぐに要領は掴んで出来るようになるまで時間はかからなかった。
そのお陰で私は自分の醜い姿を見なくていいようになり、心の底から喜んだ。
少し悪どい見た目だけど綺麗な顔や髪の毛になれたし、お姉ちゃんも私の姿を「綺麗」って褒めてくれた。
最初は長くは続けられなくて人里に降りる事は出来なかったが、それでも嬉しかった。
「蜂子」という名前も貰った、お姉ちゃん曰く「初めて会った時大きな蜂と思った」かららしい、正直嫌だがお姉ちゃんが付けてくれたから嬉しくてそう名乗るようになった。
そしてお姉ちゃんは私とご飯を食べる時にいつも
「二人で食べると美味しいね」
と言ってくれた、私もその言葉に大いに賛成していた。
どんなに豪華でも一人で食べたら楽しくないせいで不味く感じる、どんなに不味くても二人で食べたら楽しくてちょっぴり美味しく思える。
だとしても流石に腐った魚の骨は二人とも食べられなかったが、やっぱりそれでも楽しかった。
あの町に行くまでは…
ある日を境に、一人で出かけたお姉ちゃんが何日も帰ってこない日が何度か続いた。
心配になって聞いても「大丈夫、一人で平気」としか答えてくれない。
そろそろ他の土地に移動しようと言っても、もう少しだけ、と言って頑なにこの地を離れようとはしなかったし、何故か厚着をするようになっていった。
一年近く経って、我慢の限界になった私はこっそりとお姉ちゃんの後をつけた。
お姉ちゃんの向かった先は礎静町、任侠とかいう怖い奴らの沢山いる町。
その中にお姉ちゃんは嬉々として溶け込み、見た事の無い表情で楽しそうに喋り、その隣には見知らぬ男と見知らぬ若い女がお姉ちゃんと仲良く話し、その男の背中に小さな赤ん坊が背負われている。
私は胸の奥が掻き抉れる様な感覚を覚えた。
今まで二人で生きてきたのに、突然降って湧いた知らない男、自分の中でも信じられない程怒りが湧き上がる。
殺してやる
男への凄まじい殺意と怒りが湧き上がろうとしている中、おもむろに寄った甘味処、そしてそこで発せられたお姉ちゃんの言葉に
「…やっぱり、二人だと美味しく感じるね」
私の心は、あっけなく粉々に打ち砕かれた。
遠目からでも分かるほど幸せそうに笑うお姉ちゃんを見て、私は悟る。
……そうか…捨てられたんだ…私…
楽しかったの…私だけなんだ…
お姉ちゃんは…私と居るのに飽きたんだ…
酷いよ、私を裏切って…知らない人と…
崩れゆく自分の中の幸せな世界。
そして奥底に芽生えたのは
許さない
あれほど愛した姉への、この上ない殺意だった。
「お姉ちゃん」
男が誰かに呼ばれ、どこかへ行ったのを見計らって赤ん坊をあやす姉の前へと現れる。
「…蜂子?どうしたの?」
一瞬驚いた顔になるが、すぐにまた優しい顔つきに戻り何事も無いかのように私へと語りかける。
「さっきの男、誰?」
心のどこかで、私は願っていた。
男とは仲がいいだけで、その赤ん坊は誰かから頼まれたから面倒を見ている。
そう答えて欲しかった。
そんな事はありえないと気づきながらも、願うしか無かった。
「…私の夫だけど…」
あぁ、やっぱりか
私はもう、家族じゃ無いんだ。
私の視界が急激に色褪せていく。
気が付くと私は姉の首を殺す気で締めていた。
ギリギリギリ…!
「ぁが…よぅ…こ…なん…で…ぇぁ…!」
「……」
やめろ、名前で呼ぶな、家族でもない癖に。
「きゃぁああ!!誰かぁ!!嶋田さんの奥さんが!!」
辺りが騒がしくなっている気がするが、そんな事はどうでもいい。
殺す、裏切り者のこいつを。
「やめろおぉぉぉお!!」
何者かが殴りかかってきた。
ボゴ!
ほんの少しだけ、痛みが走る。
殴りかかって来たのは先程の男、姉を誑かした大罪人。
男に意識が流れると、自然と辺りが見えてくる。
人だかりが出来て、こちらに武器と敵意を向け、今にも襲いかかろうとしていた。
私は姉から手を離した瞬間、逃げられない様にその足を切り落とす。
妖魔は欠損しても時間が経てば生えてくる、姉に教えて貰った事だ。
「てめぇえええ!!」
再び怒って殴りかかって来た男の足を踏み潰して動きを止める。
少しでも長い時間苦しんでもらう為には仕方がない。
辺りから男達の雄叫びが聞こえる。
どうやらこちらに向かっている様だ。
邪魔するなら、そっちから殺す。
そこからはあまり覚えていないが、人を殺していく内に楽しくて気持ちよくなって来て、自分でも止められなくなったのは覚えている。
気が付くと雨が降り初めて、辺りには死体の海が出来上がっていた。
だが姉と男の死体が無い、逃げられた様だ。
ふと死体の内の何体かがピクピクと蠢いている事に気づく。
まだ生きていたのかと面倒になったが、そうでは無かった。
私の手から出てきた毒針を撃ち込んだ人間達が続々と起き上がり、こちらを見つめている。
命令を待っている、と本能で理解した。
「…姉を見つけて、姉と…ついでに赤ん坊を連れて来なさい」
そう言うと一斉に背中から羽を生やし、心地よい羽音ともに街を飛び回っていった。
この間にも誰かが来たら厄介だから大きな宿のような建物へと入り、誰も来ないであろう最奥で二人の到着を待った。
結局二人が連れてこられるまで時間はかからず、すぐさま私の前に運ばれてきた。
赤ん坊を守る様に抱く姉の姿が、心底気持ち悪い。
「…蜂子…なんでこんな事を…!」
「…こんな事?先に裏切ったのはお姉ちゃんでしょ?」
「裏切る…?私が貴方を…!?そんな訳ないでしょ!?」
ふざけた事をぬかす姉を押し倒し、再び首を絞める。
「がっ……ぁ…!」
その間も姉は赤ん坊を離さない、離さない様により強く抱きしめる。
「じゃあなんで!あんな男と楽しそうにしてた!?」
「…あの人…は……私の事…ぉ…ぁぃじで…くれて…!」
「私も愛してるよ!!お姉ちゃんの事を…誰よりも!!」
「……わ…だ………じ……も…」
「だったら何で!!」
「………っ…」
思わず力を込めた瞬間に首から音が鳴って、姉はピクリとも動かなくなり、息絶えていた。
その胸元で泣きわめく赤ん坊が心底煩わしい。
泣くだけで誰かが救ってくれると思っているんだろうか。
「……」
姉を殺した後、赤ん坊を適当な所に捨ててきた、殺す気も起きない、でもせいぜい泣きわめいてゆっくり死ねばいいと思う。
「……ふ、ふふ…!」
姉を殺した時に、自分の過去を思い出した。
私には本当の家族が居た、どうやら何かがきっかけで私は人間から妖魔へと転じたらしい。
ハッキリ言ってそんな事はどうでもいい、だが良い事もあった。
自分の苗字だけを思い出した、「紅重」という名前の一家にいたらしい。
折角だから使わせて貰おう、紅重 蜂子…私を捨てた二人の家族が付けた忌まわしい名前を名乗る事にした。
しばらくして姉を取り返しに来た男共も、もれなく全員返り討ちにした。
ついさっき姉を殺したというのに楽しくて堪らない、また誰かを殺したいと思ってしまう。
この街を支配すれば、どんなに人を殺しても許されるのかな?
ならしよう、そうしよう、この街を私のものにして誰も口答えの出来ない町を作ろう。
それがきっと、私の”幸せ”。
普通の幸せじゃ、もう満足出来る気がしない。
「私は紅重蜂子!この街は私のもの!!」
声高らかに町へ向かって宣言し、大きな宿…金菊邸へと帰ってくる。
皆が私を恐れていた、逆らう者は誰も居ない。
自分の上に人が居ないのは心地がいい、何で今まで知らなかったんだろう。
人を殺すのも気持ちいい、さっきの鏖殺の後の死体の泣き顔には絶頂しそうになった。
これからの未来に期待が高まる中、私は姉の亡骸を見る。
そこには姉の体はなく、寸前まで来ていた服しか残っていなかった。
残された服も邪魔でしかない、捨てよう。
そう考えて服を掴んで持ち上げると、中から何かがハラりと落ちる。
「?」
どうやら手紙の様だ。
姉はあまり字も書けないし読みもしない、その姉に手紙を書かせるまでに至ったあの男は心底不快と感じる。
中身を見る、やはり慣れていないのかぐちゃぐちゃな字で書かれていて、こんなの読める奴はきっと私くらいだろう。
「…『幸せな家族計画』…」
あまりにも頭がお花畑過ぎるその題名に、苛立ちと謎の悪寒を覚える。
丁寧に折られた紙を開くと、箇条書きの文章と数字を割り振られた将来の夢が書かれていた。
それを読み終わった私は
「……は?」
ただただ絶句した。
『一、家族が美味しいものを沢山食べられる様になる、皆で食べたら美味しいから!』
『二、綺麗な家に住む、野宿は危険だって歳典と女将さんに教えられた、今の所は「金菊邸」の一部改築を予定中、色々と頑張ろう!』
『三、驚かせたいから蜂子には秘密、喜んでくれるといいなぁ』
『四、もし気づかれたら謝って伝える』
『五、自分達が妖魔である事を皆に伝えて、妖魔は怖い人ばかりでは無い事を分かってもらう、蜂子みたいな良い子もいるって、皆に知って欲しい』
心底下らない、計画とも言えないただの妄想願望が前よりも綺麗になった相変わらずの汚い字で綴られていた。
あぁ下らない、本当に下らない…
「…こんな…もの…で…」
下らなすぎて、涙も出ない
こんなもののせいで、私は姉を殺した。
ただの早とちり、何も知らない奴のせいで姉の幸せな未来が壊れた。
家族だった妹に壊された、壊してしまった。
馬鹿だ、どいつもこいつも皆馬鹿だ。
壊した奴も壊された奴も全員が死ぬほど馬鹿だ、だから死んだ、だから殺した。
「…ぁあああ…!」
どんなに後悔しても戻れない、いやもう戻りたくなかったのかも知れない。
……分からない、あの日と同じく何も分からない。
今もずっと、分からない
ご飯も美味しくない
あの日食べた酸っぱい果実の方がずっと美味しい。
お腹減った、でももう食べたくない
足りない、満たされない
不味い、食べられない、美味しくないから気持ち悪い。
なんで美味しく無いの?分からない?
分からない…?
嘘だ。
分かってるくせに、分からないふりしてた。
大好きだったお姉ちゃんがいないから、何も美味しくない。
当たり前だ。
私が殺したから、何も美味しくない。
でも食べないと、食べれないけど食べないと
楽しくないけど、美味しくないけど食べないと
幸せに、なれない。
当たり前だ。
私なんかが、幸せになるな
―――現在 金菊邸 裏・大広間
「……ぁ…」
ピクリと蜂子の口が動く。
誰もそれに気づかない。
静かな空間に流れるほんの僅かなすきま風の音にしか、誰も感じなかった。
「……
涙が顔を伝い、震える口で何かを喋る。
誰にも届かないその言葉は、何と言ったか誰一人として分からない。
その直後に蜂子は灰となり風に消えた。
残された服の中には、破れてくしゃくしゃになった血まみれの紙が、一枚だけ残っていた。
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