第13話 礎静町の戦い ②
ーー女将の宿 周辺
「怪我した奴は下がんな!死んだら許さないよ!!」
女将の宿とその周辺の建物全てに医者や怪我人、その他の戦えない者達の多くが行き来し、それぞれの役目を果たそうと奮闘している。
「逃げ遅れた人が居るなら戦わずに連れて帰りな!勝つ為じゃなくて守る為に戦ってんだからね!!」
辺り一体の全員へ向かって、女将は檄と指示を飛ばし続ける。
その間にも続々と怪我人と避難民は増え続けている。
能蜂自体、数人の腕の立つ男達で囲えば一匹程度は倒せるが、問題はその数だった。
蜂子が思うより彼女の生み出している能蜂の数は多く、八百体程にまで膨れ上がっていた。
今は人数差で何とか抑え込めてはいるが、いつ崩れ去ってもおかしくは無い不利な均衡状態が続いている。
今や町の全ての任侠達…否、この町に生きるほぼ全ての住人達が歳典の一声で集まり、戦っている。
つまりこの戦いで負けるのは組や組織の負けではなく、この町の負けであり、この町の死を意味していた。
そんな能蜂の羽音と任侠達の雄叫びが飛び交う礎静町を、遊郭区域の中心に位置する城の窓から眺め、楽しそうに微笑んでいる一つの影。
黒く雅で豪華絢爛な装飾と服に身を包み、黒子のような薄い顔掛けから透ける赤い瞳が混沌とした城下を、まるで喜劇を見るかのように期待しながら見下していた。
女が街を眺める最中、後ろの扉の向こうからからドタドタと騒がしい足音が聞こえ、間もなく襖が勢いよく開き、従者らしき男が汗を流しながら入ってくる。
「…
その言葉を聞いた天姫と呼ばれた女は、少し煩わしそうに振り返り、少し考える様な素振りをしばらくしてから口を開く。
「…紅重……あぁ、彼女がまた暴走していたのですね…」
「…お知り合いなのですか?」
「ん?あぁ、安心して下さい、友人などではありません、個人的に興味無いので」
「…は、はぁ」
「それより、お茶を出してくれませんか?」
「…へ?お茶?いや…危険ですから…そんな暇は…」
「…私の言う事、聞けますよね?」
彼女がそういった瞬間、先程彼女が眺めていた場所の窓が吹き飛び、強風が部屋へと吹き込んでくる。
「……ほら、風も急かしていますので」
妖しくも優しい笑顔で、うっすらと開いた目が男の心をざわつかせる。
しかし男が感じたのは恐怖や威圧感では決して無い、その薄布の先に見えた彼女の美しさと仕草、そして偶然か彼女の力か、月光が彼女の後ろを照らし、彼女が神から祝福され護られている…という形容し難い安堵感と高揚感が男の心を満たしていた。
「…はい、すぐに…お持ち致します…」
僅かに焦点の合ってない目と真っ直ぐだが千鳥足に見える足取りで男はゆっくり部屋を出る。
その様子を心底つまらなそうに見届けた天姫は吹き飛んで風が吹きつける窓から身を乗り出し、窓枠へと腰掛けて、足を外へと投げながら再び城下を眺める。
「……ほんっと俗世って…退屈しないわね」
――金菊邸 客間
既に人は居らず、もぬけの殻と貸した客間で血だらけの辰之助と右腕を失っている蜂太は泥沼に足を突っ込んだ様な戦いを続けていた
東側の部屋の殆どの壁は崩れ一つの細長い広い部屋と化し、吹き飛ばされた障子が破片となり、辺りへと散らばっている。
二人は部屋一つ分を挟んで睨み合い、お互いに息を切らしながら隙をつこうと牽制しあっている。
「くそが…っ……さっさと…死ねよ…!」
(能蜂…姉さんが呼んでたよな!?何で来ねぇんだよ!無能蜂に名前変えちまえ!)
疲労と一向に現れない援軍への怒りが込められた荒い呼吸にイラついた口調を乗せながら、蜂太は無くなった右腕を抑えている。
「そんな簡単に人が死ぬなら、俺はこんな所までこれちゃいない…」
対して辰之助は全身に数十本の細い毒針を受け、体力は限界を迎えようとしているが、未だに体の隅々まで気力を巡らせ、殆ど意地で毅然と立ち尽くして刀を蜂太へと向け続けている。
「……ちっ…」
「それに、お前も動きが鈍くなってるぞ…もう体力切れか?」
「毒で死にかけの癖に…ほざくな…!」
「……悪いが、まだ奥の手があるんだ」
「…はぁ?」
少し嘲笑うように驚く蜂太も意に介さず、辰之助は大きく息を吸い、目を瞑る。
「じゃあ、早く…やってみろよ!!」
飛ぶように辰之助の元へと駆け出し、蜂太は残った左腕を乱暴に振り回す。
「くっ…!」
毒で足が麻痺した辰之助はその場から殆ど動けない状態で、蜂太の攻撃をギリギリで全て捌き、絶妙に受け流していく。
(くそ!くそぉ!何でこいつまだ動けるんだ!?毒が効いて無いはず無いだろ!!)
辰之助が攻撃を受け切る度に蜂太の中に苛立ちと鬱憤が溜まって行く。
(俺は姉さんに選ばれた特別な存在!!
蜂子に選ばれたという他の能蜂と一線を画しているという優越感、積み重ねた今までの実績と実力、それら全てと加虐嗜好を満たせない苛立ちが更に蜂太の動きを荒く、早く、雑にしていく。
その動きの大雑把さを辰之助は狙っていた。
幾ら人間より身体能力に優れた妖魔であろうと隻腕で心を乱されて決着を焦れば、必ず隙ができる。
こいつは自身の強さにかまけ、戦いへの経験が浅い。
ただ敵が長く生き残るだけでも自尊心が傷つく程に幼稚な性根だと、辰之助は気づいていた。
更に攻撃は激しさを増すが、辰之助は先程よりも余裕をもって攻撃を避けられるようになっていき、表情にもそれが出て嘲笑うかの様に口角を上げている。
「…!この…!」
その姿を見た蜂太の怒りが遂に頂点へと達し、一際大きく振りかぶった隙だらけな攻撃を晒した。
「雑魚がぁぁあああ!!」ブォン!!
「…それだよ…!」ヒュン…
辰之助がその攻撃を見逃す筈がなく
スパァン!
振りかぶった腕を下ろすと同時に切り落とす。
「があっ!…っ!!」
振った腕のまま振り抜いたせいで二の腕から先が無い腕が辰之助の眼前を通り過ぎ、落とされた腕は勢いよく飛んでいき、そのまま灰となって消えていった。
「…まだ…!!」ガパァ…!
蜂太はその事を理解した瞬間、最後の足掻きに頭を噛みちぎろうと人と蜂の混ざったような気色の悪い口を大きく開き、首を突っ込ませる。
「終わってねぇぞぉぉぉ!!」
だがそこに辰之助の姿は無く、蜂太の思考が一瞬だけ停止する。
「……ぁ?」
辰之助は身を大きく屈め、蜂太の懐へと潜り込んでいた。
目を瞑り、意識を集中させ、深く呼吸をする。
「すぅぅぅ…」
その瞬間、蜂太の脳裏に龍が顕れ…
「!!」
敵を喰らわんと、蜂太の何倍ものある巨大で鋭い口を開き、今にも飲み込みそう程に迫る感覚が襲った。
「…ひっ!!」
蜂太が回避しようと僅かに身を引いた瞬間。
「……”
刀を持つ右腕に尾が右頬に龍の輪郭のみを型どった刺青の様な痣が辰之助の体に現れ
「…”
ヒュォォ…!
龍が走り去った後に遺す一陣の風のような、素早く、そして儚さと力強さを感じさせる一太刀が蜂太の腹を通った。
ズルゥ…
「……」
ドチャ…
「……………は?」
蜂太の視界が地面へと近づき、そのまま倒れ伏す。
「……うそ…だ…」
(人間に…斬られた…)
理解はしたが、思考が理解を拒んでいる。
感じた恐怖を処理する暇もなく、己の体が地面に伏している事への怒りが滲み出る。
(この俺が…この俺が人間に…!?ありえない…ふざけるな…何かの間違いだ…!)
頭で幾ら自身へと言い聞かせようと、両腕を失い地面へと倒れ伏している自身の現実は変わらず、更に蜂太を混乱と怒り、そして恐怖の螺旋へと落としこんで行く。
ズザ…ズザ…
その螺旋を断ち切る足音、それが止まると目の前が影に覆われ、僅かに暗くなり、首を動かし、その姿を睨む。
その影の正体は他でもない、自身をこんな惨めな格好へと変貌させた憎き相手。
「はぁ……どうだ…」
「……てめぇ…!」
「…ぐ…これが…っ……奥の手…だ…」
辰之助は少し誇らしげに笑うと同時に、蜂太に切っ先を向ける。
「!!」
蜂太が目を見開く。
だが彼の目に映るのは辰之助でも、刀でもない。
遥か空を悠々と泳ぎ、こちらへは見向きもしない荘厳であり、雄大な龍の姿であった。
その龍を、蜂太は睨む。
姉さん以外が俺の上に立つな、俺を見下すな。
だが幾ら叫ぼうともその龍はこちらを見てすらいない。
彼の魂が怒りに満ちる。
必ず、絶対、何があろう、何がなんでも、お前だけは、この手で…!
「ぶっ殺してや」
グサッ!!
その思いを断ち、刃が首へと突き刺さる。
最後の最後に意志を口にする暇も無く、彼はその命を終わらせた。
サラサラ…
絶命した蜂太の体が灰になり、消滅するのを見届けた辰之助はその場に膝を付く。
「…やっぱこの技は…しんどいな…うぐ…!」
辰之助の頬へ浮かんでいた龍は消え、辰之助は糸が切れたようにその場に仰向けで倒れ、毒と疲労により一歩たりとも動く事が出来なくなっていた。
(…やばい…眠い…千彩は無事か…東も…っ……くそ…動けない…!)
じわじわと瞼が落ち始め、意識が遠のいていく。
(…情け…ない…な…)
タタタタタタ…
入口の方から軽快な足音が聞こえ、それが止まった瞬間に大声が響き渡る。
「うっわ!何これ!?ボロボロになってるじゃん!」
明るいどこかで聞いた少女の声に、辰之助の意識が引き戻され、同時に安堵感を覚え、僅かな苦笑いを浮かべる。
「辰之助!千彩さん!居る!?」
「ここだー」
弱々しい声で腕だけを持ち上げて声の主を呼ぶ。
「ん?…あ!居た!大丈夫!?」
心配と嬉しさが入り交じった声色が近づき、その姿が辰之助の視界に映る。
「…よく来れたな、麗」
「にっひひ!虚さんと晃次郎さん、町の皆が助けてくれたからね!」
(…虚…は千彩の猫か…晃次郎って誰だよ…)
何一つ状況が分からないが、どうやら悪い状況では無いらしい。
それが分かった辰之助は二階、最初に案内された部屋を指差す。
「あそこに、千彩の刀がある…持って行ってやってくれ…」
「……分かった!」
二階へと辰之助達が開けた風穴から軽く跳んで行く麗、一回ほど損傷は激しくないが戦いの余波で所々穴が空いている、特に刀が見つかった部屋の、外側の壁が半分くらい吹き飛んでおり、その戦いの激しさを麗は感じ取っていた。
「…これ?」
刀を抱えながら降りてきた麗が辰之助へと尋ねる。
「それだ、あぁ…あとお前には俺の刀を…」
と、僅かに体を起こし、自身の刀を渡そうとするが
「要らない!晃次郎さんに貰った!!」
少し誇らしげに断られてしまった。
(いや…だから誰だよ)
相変わらず誰かは分からないが、辰之助は何となく悪い奴ではない事を察した。
「…気を付けろよ」
「うん!」
千彩の刀を携えた麗が駆け出す、その後ろ姿を辰之助は嬉しそうに見つめた後、後の事を託し、入口から誰かが来たのを感じつつ、眠る様に意識を手放した。
金菊邸 一階 客間 東廊下の戦い
勝者
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます