第4話

 千里さんと一緒に暮らし始めてから二日が経った。


 彼女に買って貰った服を着て台所に立ち、夕飯の準備を進める。


 あまりしゃきしゃきとした食感の野菜が好きじゃないという彼女の事は気にせず、スーパーで安売りしていたもやしと豚肉を使って野菜炒めを作り、メインには焼き魚、後は適当に合いそうな味噌汁などを作ってテーブルに運ぶ。


 炊飯器から音楽が流れ、ご飯を茶碗に盛っていると、彼女がやってきたので、茶碗をテーブルに運んで貰う。


「これで全部?」

「うん。あっ、醤油か何かいる?」

「魚これ何か掛かってんの?」

「一応塩掛かってはいるけど……。まぁ置いとくし、要るなら使って」

「はぁい、どうも」


 テーブルに全て置かれているのを確認し、彼女の向かいの椅子に座る。


「じゃあ、いただきます」

「いただきます」


 彼女に倣って挨拶を済ませる。ただの習慣なのか何なのか分からないが、彼女は食事の前には必ず「いただきます」と言うし、食べ終わると「ごちそうさま」と、挨拶を欠かさない。それ以外にもこの二日間彼女の普段の様子を見ていて気付いたのは、お酒を手放さない事以外はとても真面目な人だという事だ。真面目な人程苦労すると聞くが、お酒を飲んでいるのもその所為なのかもしれない。


「ご馳走様でした」


 仕事が忙しいらしい彼女は十分程で食べ終わると、食器を台所に持っていき、パソコンの前に戻る。


 彼女はフリーのイラストレーターとして働いているらしく、私の分の服を買ったり二人分の食事を不便無く用意できるくらいには稼いでいるようだ。稼いでいる分暇な時間はあまり無いようで、一日の大半は今のようにパソコンに向かっている。


 その間、私は買い物に行ったり洗濯をしたり、先程のように料理をしたりと、家事を任されている。やっている事は専業主婦のような事だが、家でも家事は手伝い程度だったため、手際が悪く、彼女は大丈夫だと笑ってくれているが、自分が信用できず戦々恐々としている。


 食器を洗い、事前に決めていた通り先にお風呂を済ませて戻ってくると、彼女は仕事が一段落したらしく、お酒を飲んで寛いでいた。


「千里さん、お疲れ様」

「おぉ、ありがとう。やっぱ一仕事終えた後のお酒は最高やわぁ」

「ずっと飲んでるやん」

「いや、飲んでるけど、仕事中はさすがに酔えへんからなぁ」

「というか昨日も思ったけど、これからお風呂の前にあんまり飲まん方がええんちゃうの?」


 台所に行き、コップに水を注ぎながら訊ねる。その間に彼女はお酒を飲み干したらしく、テーブルに置かれた缶が軽い音を立てた。


「まだそんなに飲んでへんし、シャワーで済ませるから大丈夫やって」


 既に一本を空にしてへらへらと笑いながら言われても説得力が無い。


「そういうもんなん?」

「心配なんやったら一緒に入る?」

「それはええわ」

「えぇー。恥ずかしがっちゃって」

「はい。水入れてきたし、落ち着いたらお風呂どうぞ」

「はぁい、ありがとう。そのうち一緒に入ろな」


 そう言うと、彼女はコップ一杯の水を二回に分けて飲み干した。


「そのうちね」

「よっしゃ。じゃあお風呂入ってこようかな」

「はぁい、行ってらっしゃい」

「ほんまに入らん?」

「入らん」

「けち」


 どうして一緒に入りたがるのかは分からないが、彼女のあの馴れ馴れしさに助けられている節はある。彼女の場合は馴れ馴れしいだけではなく、ちょっとした仲間意識が感じられるからだろうか。私はきっと彼女じゃなければ今のように家事をする事も、普通に話す事すらもできていなかっただろう。


 それはそれとして、服を買って貰った際に、下着も一緒に買って貰ったのだが、その時に彼女に裸の写真を撮られ、身体を触られ、と散々な目に遭ったので、それ以降彼女の前で裸になるのは極力避けている。そうでなくても昔から誰かと一緒にお風呂に入るのが苦手で修学旅行なんかは最悪だった。もし一緒に入る事があるならそれはきっと私が何処かおかしくなった時だろう。


 テーブルに置き去りにされた缶を片付け、寝室で時間を潰す。少しして、洗面所の方からドライヤーの大きな音が聞こえてくる。上がる前に風呂場の片付けはやってくれているようだが、さすがシャワー派というだけあって上がるのが早い。


 彼女がお茶を持って寝室にやってきて、入れ替わりで私は洗面所に行く。洗濯機に湯船の残り湯を入れ、洗濯機のタイマーを設定しておけば朝起きる時間に合わせて洗濯を済ませておいてくれる優れ物だ。お蔭で夜も朝もあまり慌ただしく動き回らなくて済んでいる。


 最後に戸締まりができているかを確認して寝室に戻ると、彼女はベッドに足を伸ばして座り、ノートパソコンを膝に置いて何か作業をしていた。


「何してんの?」

「次の仕事の資料集め」

「そう」


 邪魔をしないようにそれだけ言って、ベッドに腰掛けてお茶を飲む。携帯も本も全て失った私はこういう時間にやる事が無い。かといってすぐに寝られる訳でもないので、ただぼーっと何も無い白い壁を眺めて過ごす。しばらくの間そうしていると、肩を引かれて抵抗する間もなく後ろに倒される。


「何ぼーっとしてんの?」

「いや、やる事ないし」


 言いながら頭を枕に乗せ、足もベッドに乗せて寝転がる。


「仁美、今日もありがとうな」

「別に。住まわせて貰ってるから、これくらいは全然」

「それはそうやけどね。仁美さ、自分にはできる事が無いって言ってたやん」

「うん。千里さんみたいに絵も描けへんし、音楽のセンスも無いし、アルバイトすら真面にできひんかったし……」

「でも、何となく分かったんちゃう?」

「何が?」

「仁美が得意というか、できる事」

「何? 料理とか?」

「いや、料理もやけど、家事。めっちゃできてるやん」

「いや、それは別に誰でもやろうと思えばできるやん」

「無理な人ここに居るで?」

「あんたは時間が無いだけやろ?」

「いやいや、時間あっても料理とか仁美ほど上手くできる気せぇへんし、掃除も絶対やらんもん。初めてリビング入った時びっくりしたやろ?」


 確かに、彼女と出会った日に案内されたのはこの寝室の向かい側にある客間で、片付いているように見えたが、それはただ物を置いていなかっただけで、リビングはゴミ屋敷とまではいかないものの、なかなか大変な事になっていた。


「まぁ、要するに、仁美の天職は専業主婦って事やな」

「なんか子どもの夢みたい」

「ええやん。夢の職業」

「ある意味な」

「私ががんばってお金稼ぐからさ、これからも一緒に居て?」


 千里さんが私の左腕にある白い傷跡に触れる。


「私と一緒に居てくれたら、もう死にたいとか思わせへんから」

「なんかプロポーズされてるみたい」


 嬉しさからか、恥ずかしさからか、笑いが込み上げてきて頬が上がる。それに釣られるようにして千里も笑った。


 死にたいと毎日のように思っていたのが嘘だったかのようで、こんな幸せな気分になっても良いのかと、そこはかとない不安が湧き出してくる。けれど、それも千里と居ればまたすぐに消えてくれる。千里ならきっと私の不安を消してくれる。そんな気がした。


「私も、千里さんに寂しい思いなんて絶対させへんから」

「へぇ。言うたな?その誓い、破ったら許さんからな」


 この幸せがずっとずっと、続いてくれたら良いのに。心からそう願った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死にたがりと寂しがり 深月みずき @mary_key

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ