第5話

 月曜日、こうせいが蜂に刺されて、顔がありえないほど腫れていた。

 またもや弟と森で遊んだとき、刺されたらしい。

「昨日の夜はこんなんじゃなかったし、朝からだんだん腫れてきた」

 教室に入るなり雄たけびをあげてこうせいに突っかかってきた男子たちに、こうせいはそう説明した。

 私はこうせいの顔を見るなり、

「え、キモ。」

と思った。

 そして、そう思った自分にかなりのショックを受けた。私は見た目による偏見がないと思っていたからだ。

 私の両親はもちろん、祖父母もかなりルッキズムに囚われている。

 中学校の入学式の写真を見ると、

「しおんちゃんが一番かわいいねぇ」

合唱コンクールを見に来ると、

「詩宛がいっちばん美人ね」

と必ずや私が一番かわいいということを呟く。

 私はいわゆる世間がかわいいとする顔に完全にあてはまるわけではないが、肌の調子がよかったり、顔の形が卵型だったり、鼻が小さかったりというまあ、どちらかというと「美人」といわれる方々に偏った顔のつくりをしている。辛辣な祖父から言わせれば、

「詩宛はモデルや女優さんになれるほど美人じゃないけど、こんな田舎にいる中では随分と美人さん」

らしい。わざわざそんなことを言うくらいだから、いかに顔について口うるさいかがよく分かる。

 とにかく、ルッキズムな家計で育った私は、いつの頃からか、顔に対してネチネチという家族の〈顔批評〉がどうにも嫌になった。だんだん気が付いたのではなく、たぶん、はっきりと嫌だと感じたのは9歳の時の写真撮影だろう。

 デパートに母と出かけたとき、幼児向けにドレスを着て、写真撮影を行い、その写真を現像してあげるという、謎のイベントが行われていた。真っ白いドレスは何層ものシフォンでできていて、大小さまざまな夢見色のリボンがいくつもいくつも縫い付けられ、極め付きには、小粒の真珠が全体にちりばめられていた。母が好んでいたブランドのドレスだけあって、広告などで見かける、サテンでテカテカのいやらしいそれとは明らかに違っていた。いつものようにそこのブランドの服を買おうと通りかかったところに、デパートの一角でパシャパシャと撮影が行われているのを見て、母はどうしても私にドレスを着せたくなったらしい。

「着てみなさい。しおんが着たら絶対かわいいから。」

 私はどうしてもいやだと言い張り、でもやり込められて不機嫌に化粧台に座りこんだ。スタッフの人が髪をコテで巻いたり、薄くお化粧をしたりするなか、母は私をなだめることに徹していた。

「詩宛、ちゃんとニコニコしてね。」

「え、うん…」

「詩宛、うさぎキッチンのパフェ後で食べよっか!」

「ほんとに!?やったー!」

「詩宛が、今も、撮影中もニコニコして楽しくしてくれたら、連れて行ってあげるよ」

「え、それならいらない」

 とまあ、今ではたかが撮影くらい空気を読んで適当に楽しむふりをしておけばよかったと思うが、当時はひねくれていてそんな顔をする気はさらさらなかった。わざわざ飾り立ててよくわからない格好をし、カメラマンにいいね、いいね、かわいいねー、と言われることは全く楽しくなかった。好きでもない格好をして、世間がかわいいと思うように振る舞うことがものすごく気持ち悪かった。私は知らない人、例えば信号を待っているとき横にたまたま立ったおじいちゃん、おばあちゃんからもかわいいと言われることがよくあった。多分それが嫌だったから、撮影することになって爆発したのだと思う。小さい頃は本当に、飾り立てることが嫌いだった。お洋服屋さんに行くことがなによりの苦行だった。なぜだろう。なぜあんなに嫌だったんだろう。だって、今では服を選ぶことは好きだ。

 理由のひとつはやはり、母だろう。母が選んだ服、母に認められる服しか買わせてもらえなかった。母からすれば、自分の子供がダサい恰好をすることはありえない。だから、幼少期からセンスのある、自分の見立てた服を着させ、そのセンスを身に着けてもらいたかったのだろう。そして、今思えば、もし母がこれだけ徹底して私の服に関して口を出していなかったら、私が今選ぶ服に自信を持てなかったかもしれない、と思う。

 とはいえ、当時はそんなことが分かるほど大人ではなかった。お洋服屋さんに行くときに口を出すのは仕方がないにしろ、写真撮影などしてもしなくてもなんら影響はない。

 嫌々撮った写真は、母の思い描くようなおとぎの国の少女とはかけ離れ、ぶすくれて不機嫌なドレスを着た少女ができあがった。撮影後、現像した写真はしばらく家に飾ってあったが、いつかの大掃除でもう飾るべきでないと判断したのか、いつのまにか消えていた。

 私のルッキズムの歴史はそこから始まった。私の成長と共に、世の中も移り変わり、太っていたり、奇抜な恰好をしたりしてもそれは「個性」で、むしろ個性がある方が美しいという風潮となった。私はそういう映画や本を好んで見ていたし、関心も高く、よく評論文や記事を読んでいた。だから、こんな顔のことをゴチャゴチャ言う家に育ったにも関わらず、見た目で人を判断するようなことは私に限ってしないはずだという自信を持っていた。

 こうせいの顔を見た30秒後、私はその自信が爪の中に入り込んだ土のように、ちっぽけで、簡単に吹き飛ぶものだと分かってしまった。

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薬指にローズマリー @ReRinne

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