四章 「届けたい」
八月二十六日。
朝、家を出る時、「毎朝、おしゃれしてたもんね」とお母さんが話しかけてきた。
誰が見てもわかるぐらい、今日の私は上機嫌のようだ。
だって、今日はやっと匠に会える日だから。そして、私が告白すると決めた日だから。
「匠に、少しでもかわいく思われたかったんだもん」
私は今までの気持ちを隠すことなく、はっきりとそう言った。
無意識に、匠にかわいく思われるために毎日おしゃれをしていたのだろう。
私は、匠のことが好きで好きでたまらないようだ。
学校に着くと、先生たちが慌しく動き回っていた。
これも、いつものことだと私は思った。
夏休みが終わってすぐだから、先生たちは忙しいのだ。
ホームルームの時間に、担任の先生が「この後すぐに学年集会があります」と言ってきたのには少し驚いたけど、私はそのまま体育館に向かった。
「今日は、皆さんに悲しいお知らせがあります」
校長先生は、静かにそう話し始めた。
私はいつもと違う何かを、やっとここで感じることができた。
「昨日、三年二組の清水 匠君が、亡くなりました」
私は、一瞬で頭が真っ白になって、何も考えれなくなった。
ぐらっと体が揺れた。
ただ立っていることさえできなくなっていた。
匠が、死んだ?
そのあとも、校長先生は匠のことについて何か話していたけど、私の頭にはどの言葉も全く入ってこなかった。
どうにか家にたどり着くと、お母さんが何も言わず私を抱きしめてきた。
どうしてそんなことをしてきたかわからなかったし、そんなこと今はどうでもよかった。
ただ、匠に会いたかった。
「花凛、匠君の告別式に行こうか。花凛は今辛いと思うけど、匠君は、花凛が来てくれると喜ぶと思うよ。匠君はキリスト教だから、チャペルでやると連絡が来てた。準備はすべてお母さんがするから」
お母さんの言葉も、今の私には全然響いてこなかった。
お母さんは、私の手をしっかりと握り部屋まで連れて行ってくれた。
告別式までまだ時間があるのだろうか。
そんなことすらわからなかった。
そもそもお別れなんてしたくない。
匠がそばにいることが、私にとって当たり前だった。いなくなるなんて考えたこともなかった。
匠がいる毎日が日常で、きっとそれが私の『青春』だった。
どうして私はいつも、気づくのが遅いだろう。
今更気づいても、もう匠はいないのに。
私は、あふれてくる涙を拭くことすらできなかった。
顔を上げると、置き時計の針がぼんやりと見えた。
それは、十七時を示していた。
私は立ち上がり、部屋を出た。
お母さんが「どうしたの?」と声をかけてきたけど、私はそれに返事もせずに勢いよく走って外に出て行った。
「八月二十六日の十七時に、学校の校門前で待っててくれない??」と夏休み前に匠が言っていた。
ただそれだけで、私が今校門前に行くのには十分な理由だった。
匠との約束をたとえ一人になっても、守りたいという気持ちもあったのかもしれない。
校門前に着いても、匠はもちろんどこにもいない。
息を切らしながらも、私は少しだけ心を落ち着かせようとしてみた。
私は自分の本当の気持ちに気づけた。でも、それをもう匠に伝えることはできない。そもそもなんで私は本当の気持ちに気づけたのだろう?それはきっと、匠と宿題の速さを競う勝負がきっかけだったと思う。この気持ちに気づけたのも、匠のお陰だった。その勝負に私が負けて、お願いを聞くこととなった。
そこで、ふと気づいた。
匠が今日、私に十七時に校門前で待っていてほしいと言ったのは、なぜだろう。
匠は、もしかして私に何か言いたいことがあったのではないだろうか。
匠のことだから、何かすごいことでもない限りわざわざ「後で言う」と選択をとらない。
匠のことはこんなに知っているのに、匠本人はここにはいないのがもどかしくて苦しい。
『教えてよ、匠!!』
私はいつの間にか、声を出していた。
静かな学校に、私の声だけが響き渡る。
空はこんな時でさえ、きれいだ。
匠が言おうと思っていた言葉を、知りたい。
私の気持ちを、届けたい。
匠の気持ちも、聞きたい。
いや、そんな高望みはしないから、目の前に現れてるくれるだけでいいから。
少しでもいいから、また私の前にもう一度姿を見せてよ。
その時に、『告別式』という言葉が、再び頭に浮かんできた。
告別式で、私の気持ちを匠に届けられる気がした。
私は、また家へと走って戻っていった。
告別式が行われるチャペルに着いた。
告別式は、穏やかに進んでいた。
献花をする時になり、黒の服にベールを被った私は、最後尾に並んだ。
まだ匠の死を全然受け入れてられてないし、笑顔で声をかけることはとてもできないと思う。
それでも、私の思いだけは匠に届けたかった。いや、まだ届くと信じたかった。
他の参列者はもう帰っていて、親族を除いては私だけとなっていた。
まるで、私と匠二人だけの世界のような気がした。
私はゆっくりと匠に近づいて行く。
そして、「匠、愛しているよ」と伝えたのだった。
恋のベクトルとあなた 桃口 優/ハッピーエンドを超える作家 @momoguti
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