私の好きな彼女 後編

 自分の大好きな女の子が元気がないって、すごく辛いことなんだって知った。


 明らかに自分のついた嘘のせいで、菜保子を苦しめている。


 ワタシノセイダ……、ワタシノセイナンダ……。

 頭のなかも、心のなかも、罪悪感が満杯になってぐるぐると回っている。

 全身いっぱいいっぱいに満たしてしまった嘘、菜保子を傷つけた思いは溢れ出していく。


 苦しい。


 菜保子の笑顔がそばで見たいのに、彼女は笑わない。

 苦笑いが増えた。

 私のせい。


 私は本物の笑顔が見たい。

 菜保子の笑顔にきゅんっとする。


 彼女の笑顔が私の心を癒やすんだもの。


 大地くんとの恋を壊した私に、日増しに罪が、重たい大きな石みたいに心に積み上がっていく。


「私のせいで菜保子は笑わなくなったんだ」


 でも、大地くんと付き合わなければ、菜保子の隣りに居続けられるって思うと、さらに心に折り重なっていく黒い感情は私の顔に歪んだほほえみをもたらす。

 後ろめたさを秘めて、悪意と愛情のヴェールが私を包んでいく。

 幾重にも、幾重にも。

 菜保子に触れられる日が振り向いてもらえる日が来るんじゃないかって、ありもしない期待が浮かんでは消えた。 


「奪ったのは私だ」


 菜保子の笑顔も、一途な恋も、両想いな二人の純情な気持ちも。


「本当にこれでいいの?」


 私は自分に問いかけていた。


 気づいてる。

 私の愛情は純粋な透明のなかに墨滴ぼくてきを垂らしたみたいに波紋を作って濁ってしまった。


 私じゃ菜保子を幸せにできない。


 それは女同士だからとかとも違う理由だ。


 だってそうだ。菜保子が恋して焦がれているのは唯一人、大地くんだけだからだ。


 私じゃ、今の菜保子を笑顔に出来ない。

 パアッと花を散らしたように鮮やかで可愛らしい笑顔。


 役不足の私が壊しちゃいけない、菜保子の恋心。

 ……大地くんの気持ちも踏みにじった。



     ☔☔☔



 外は雨が降っている。

 日曜日。

 いつもなら、菜保子と大地くんと遊んだり勉強をしたりする楽しい休日のはずなのに。


「憂鬱……。菜保子が泣いている気がする」


 私は菜保子に借りていた漫画があったのを思い出していた。

 純愛のジレジレなラブストーリーで有名なシリーズものの漫画は10冊も出ていて、菜保子の大好きな本だった。


 私に貸してくれた時、菜保子は漫画の主人公とヒロインが何年もお互いに片思いしているけど、なかなか好きって言い出せないのが、じれったくもキュンキュンと胸を甘くときめかせるんだと言っていた。


 それはまるで、菜保子と大地くんの恋の行く末を読まされているみたいに、状況が似ていた。

 ただ私だけが、……いない物語。

 恋路を邪魔する人物は何人か出てきたけれど、ヒロインを好きな女の子なんて一人も登場なんかしないんだ。


「私っておかしいのかな」


 菜保子を好きな気持ちは、とうに友達の域を超えているのを私は思い知っていた。

 あの髪に、あの手に……、あの唇に触れてみたい。

 どうして、男の子に抱く願望を女の子に抱いてはいけないのだろうか。


 私のこと、……菜保子に大地くんより好きになってもらえる方法なんて思いつかなくって。


 菜保子が私に恋してくれたら、どんなに素敵なことだろう。

 私を求めてくれたら、一生私は菜保子だけを思い続けて、彼女を守っていくのに。


 私は菜保子にだけしか、こんな感情を持たない。

 他の女の子に菜保子の代わりはいない。


「大地くん……」


 あの日、菜保子におんぶしてもらった時、大地くんが私をおんぶしなかったのは、私が拒絶の瞳を浮かべていたからだ。

 彼は優しいから、私を助けてくれようとしていた。

 私は大地くんが「俺がおぶってやろうか……」って言いかけたのを遮らせた。


 だって! だって私は菜保子が良かったんだ。


 少しでも私に触れたら刺さりそうな、そんな瞳だったと大地くんが言った。



    ✧✦✧



 7月になっても梅雨は明けない。


 しばらくは雨模様だって天気予報が言っていた。

 なのに今日は梅雨の中休みなのか朝から快晴で、蝉がいちだんとうるさく鳴いていた。


 校庭に出るとじっとりと汗が吹き出す。

 うちの学校はプールがないから、体育は真夏でも外でバドミントンだったりサッカーだったりをする。

 体育着も下着も汗でびっしょりだ。

 ほんと、何度だって着替えたいぐらい。


 視線の先に、昔っから運動神経が悪くて体育が苦手なくせに健気に頑張る菜保子の姿が見えた。

 なんであんなに頑張っちゃうんだろう。

 部活のバスケだって最初は苦手だったのに、バスケは楽しいからってたくさん練習をして上達していった。

 苦手だからって、菜保子は運動が嫌いなわけじゃないんだって、びっくりした。


 菜保子が一生懸命にバドミントンのラケットを振っている。

 ……私は、見惚れてしまう。

 女子がバドミントンで、男子がサッカーしていて、遠くで大地くんがゴールを決めたのを見てしまい、ちょっと悔しくなる。

 彼の活躍なんてカッコいい姿だなんて、私にはむかむかするだけ。

 菜保子や、ひそかに大地くんを好きな女子にとってはたまらない胸キュンシーンなんだろうけどさ。

 

 夏を感じれるから蝉時雨も悪くないよって、菜保子が言ったのを思い出す。

 大地くんは蝉の鳴き声が聴こえてくるとわくわくするんだってさ。

 中学生になったけど虫採りがしたくなるし、なにより夏休みが近くなる合図だからって。


 ……感性が似てる二人。もぉ、二人して憎らしいぐらい前向きなんだから。私は菜保子と大地くんの思考回路が憎ったらしい。


 夏なんて……キライ。

 私は空を振り仰いだ。

 だけど好き。

 矛盾してんなあ、私って。

 ひねくれてんの。自覚してる、分かってる。


 だって夏って暑苦しい。

 でも、いつまでも明るい時間が長く続くのも、夏休みも好き。

 大好きな菜保子と学校帰りに食べるアイスが、ひときわ美味しく感じられる。

 だから、夏の暑さが嬉しい。

 夏が嫌いで、夏が好き。

 矛盾だらけな私。

 私ってさ、ひねくれ者なの。


 夏は、海が空が雲が綺麗だ。

 陽射しがうざったいほど強烈なのに、焦がすほどのエネルギーに憧れる。




 夕方の学校、窓の外には白くてもこもこに急成長した入道雲がと黒い雷雲が迫ってきていた。

 いつ、土砂降りの雨が降り出してもおかしくない。

 それでも衰えないお日様の陽光が、雲の間から差し込んで入る。

 まるで天空から伸びるいくつもの行き先がある階段みたいな。

 天使の梯子だっけ?

 この言葉は、ロマンチックな菜保子の受け売りだ。

 ふふっ、私はね、菜保子の影響ばっかり受けているんだね。





 菜保子が委員会で帰りが遅くなるから、私は……私は彼女を待っていた。

 教室に、ライバルと二人きり。


「お前が菜保子に触れたいって思ってるって気づいた」

「友達ってすごくズルい立場でしょう? 菜保子と私とは自他ともに認める親友だもの。でも、すごく厄介なんだ」

「……お前さ、どうしたいんだ? 菜保子にその気持ちをずっと告げずにいるのか?」

「大地くんを好きな菜保子にどうして告白出来るのよ」


 気まずい時間になるはずだったのに思いのほか、私は胸のなかの気持ちを吐き出せて、すっきりとしている。


 恋のライバルの大地くんに話を聞いてもらって、心が軽くなるだなんて、ずいぶん屈辱的なはずなんだけど。


「……お前には悪いけど、転校する前に俺はもう一度、菜保子に告白する。菜保子に自分の気持ちをしっかり伝える。……後悔したくないから。離れる前に菜保子には俺が生半可な気持ちで言ってるんじゃないって知ってもらいたいから」

「な、なによそれ。プロボーズでもするつもり? 子供のくせに」

「まあ、プロポーズかもな。……ははっ、そっか。ああ、プロポーズかぁ……。俺、菜保子以外は考えらんねえから。そばに居たいのも居てほしいのも菜保子一人だけだ。子供だからって気持ちが嘘でも軽くもないのは、お前も一緒じゃねえの?」


 大地くんの瞳は真っ直ぐすぎて、矢や刃物の先端のように鋭くって怖いほどだとすら思ってしまう。


「私は菜保子が好き」

「ああ、知ってけど?」

「……同時に大地くん、あんたの気持ちが好ましくもある」

「は? なに言ってんの」

「一緒だってこと! 私の菜保子を欲する強い気持ちと大地くんの菜保子への気持ちは似てんのよ。だからムカつく」

「なんだよ。……ああ、お互いに真剣なのは一緒なのは理解できている」

「共感できるでしょ? 私、自分の気持ちを代弁してもらってるって思うことにする」

「えっ? そんなん俺は嫌だ。俺の気持ちは俺のもので、お前が菜保子を好きなのはお前だけの感情だ。共感しても同じじゃない」


 どこまでも潔癖なやつだなーって呆れた。


 私が諦めようとじわじわ自分の気持ちを凍結させて、出てこないように蓋をしようとしているのに。


「無理やりやめようとしたって止められないぐらい好きだから、苦しんでんじゃないのか? 伝えろよ。フェアになれよ、最後ぐらい」

「最後?」

「俺がここからいなくなるの分かってんだろ? お前、どうせ俺が居なくなったところでどうもしないんだ。変わらず、友達思いの親友であり続けるつもりなんだろ?」

「……そうよ。怖いんだもの、菜保子の近くに居られなくなることがどれだけ苦痛だと思う!?」

「それ、もうすぐ引っ越して転校する俺に言うセリフか?」

「――あっ! ……それもそうだね。大地くんは菜保子のそばにいつでもいられなくなるんだ」

「俺は菜保子が好きだってあいつにもう一度告白するって決めた。お前に言ったのは同じ真剣さなライバルだと思ったからだ」

「私だって菜保子が好きだよっ! あんたなんかにこの気持ちは負けない! 私は同性としての好きじゃなくって、菜保子と恋人同士になりたい好きなんだからあっ!」

「……っ!」


 大地くんが立ち上がってハッとした表情で教室のドアの方を見た。


(……あっ、やばい)

 私はとっさにそう思った。


 私達の会話、誰かに聞かれたんだと思った。

 背中に気配がした。

 終わった。私の秘密が知られた。


「……千歌ちゃん、大地」


「な、菜保子……」

「ああっ、えっ。……菜保子」


 私が振り返ると、……泣いている菜保子がいた。




     おわり




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【私の好きなお人好しな彼女】儚い気持ちを隠す嘘で拗れた三角関係 天雪桃那花(あまゆきもなか) @MOMOMOCHIHARE

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