第10話 開拓ゲーム

 彼が言ったことに承服する自分もいたが、その時、過去にも感じたことがあるような錯覚があったからだ。人にいわれて思い出したという感覚が一番近いのだろうが、果たしてそれだけなのかどうか、つかさにもよく分からなかった。

「でも、あなたがどうして三すくみの話を書けないのかという理由にはなっていないような気がするんですが」

 とつかさがいうと、

「ドッペルゲンガーというもの自体に、強い拘束性があるんだと思っているんですよ。もちろん迷信の類だと思うんですが、その縛りを一度自分にかけてしまうと、抜けられないと思っているんです。もっとも、それはその人本人の意識の問題なんですが、ドッペルゲンガーを題材にした小説を書いても、そこに束縛を感じなければ、結界が見えていないわけなので、三すくみを書こうとすることくらいはできると思うんです。でも、実際に自分が書きたい内容になっているかどうかというのは疑問な気がします。それができるようであれば、いいのですが、私は変に意識してしまったので、こ令嬢の超常現象に踏み込むことはできないと思っているんですよ。でも、逆に結界が見えたことで、その中でいかに小説を組み立てるかということが分かっているので、却って、発想はいろいろ浮かんできそうな気がします」

 と彼はいった。

 その表情は、思ったよりもアッサリしていて、わだかまりのようなものが解けたという表情だった。

「結界が見えるというのは、悪いことだけではないんですね?」

「そうですね、僕はむしろいいことなんじゃないかとも思うんですよ。結界なんて皆が見れるものではない。限界もよく分からないのに、結界が見えるということはないですからね」

 と苦笑いをした。

 この苦笑いの意味がよく分からなかったが、自分で何か皮肉めいたことでも言っているつもりなのだろう。

 つかさは小説を書けるようになってからというもの、結構アッサリと書き始めた。

「質より量」

 という思いがあるからなのか、そこに勢いが入ってきて、書き始めると止まらないくらいになる時もあった。

 これを閃きというのであれば、光栄だと思っていた。

 小説を書いている時、

「考えるのではなく、感じることが必要なんだ」

 と思うようになっていた。

 考えてしまうと、必ず後ろを振り向いてしまう。普通なら一度立ち止まって後ろを振り返るのが必要なのだろうが。つかさの場合はそうではない。思ったことをどんどん書き連ねることが大切で、一度立ち止まってしまうと我に返って、何を書いていたのかすら忘れてしまうのではないかと思うからだ。

 実際に書いていると、ものすごい集中力であることを感じる。それは、

「自分の世界を創造している」

 ということになるからだ。

 だから、一度立ち止まって我に返ってしまうと、前後が分からなくなる。

「どこを目指していて、どこまで進んできたのか、さらにはどこから来たのか?」

 ということのすべてを認識できなくなってしまうのだ。

 つかさはそんな思いを何度もしてきた。だから、小説を書いている時間は気が散ることは絶対にしたくないのだ。

 近くに人がいて、会話が耳に入ってくるよりも、気に入った音楽、例えばクラシックなどを聞いていると、自分の世界に入りやすい。特にオカルトやSFなどを断罪にしていると、クラシックのメロディは実に合っているといえるだろう。

 気が散らないように集中していると、時間もあっという間である。

 二時間は集中しているのに、気が付けば、二十分しか経っていないなど、今までにざらであった。

「でも、考えると書けないのが自分なのに、三すくみについてはどうしても考えてしまうので、書けるという自信がないかも知れないわ」

 というと、

「そんなことはないさ。君は、小説を書く時、考えていないと言っているけど、それは考えるという意識がないというだけで、無意識に意識は働いているんだよ。いわゆる潜在意識のようなものがね。だから、僕は潜在意識という言葉は、君の中にある、考えながら小説を書けるかどうかという発想なのではないかと思うんだ」

「難しいですね」

「言葉にすると難しいのだけど、君はそのことを理解していると僕には感じる。それは会話をしていれば分かってくることだよ」

 と言ってくれた。

 つかさは、彼にいわれたことを頭に描きながら、三すくみを書いてみようと思うようになっていたが、何をどう書けばいいのか、そのあたりの話になると、彼は言葉をかけてくれなかった。少しだけはかけてくれたが、それはハッキリとした表現ではなく、曖昧な表現だったのだ。

「君なら書けると思うよ」

 と最後に言い残し、インタビューは終わった。

 かなりの時間を要したが、それはインタビューというよりも、ドッペルゲンガーや三すくみなどと言った都市伝説に対してのお互いの考えをぶつけ合ったといってもいいだろう。

 そんな会話の最後を思い出しながら、その時の取材メモを見ると、彼が何を言いたかったのか、ハッキリとはしないが、話をしていた時には自分なりに理解できていたような気がした。

――やっぱり、三すくみについて書いてみよう――

 そう思ったことに間違いはなかったのだ……。

 三すくみについて、ネットで調べてみたり、人の話を聞いてみたりしたが、概ね話は皆同じようなものだった。科学的な話が出ているわけではなく、あくまでも都市伝説のレベルであり、それが少しずつ違う形で、全世界に似たようなものが伝承されてきたというものであった。

 確かにじゃんけんであったり、ヘビ、カエル、ナメクジの関係であったりは、よく言われていることであるが。つかさが感じているという、

「誰にでもすぐそばに、見えない三すくみが存在している」

 という発想はなかった。

 いつも何かを考えているつかさなので、気が付けば、三すくみの発想を頭に抱いているということであった。だから余計な発想を抱くというよりも、素直に浮かんできた発想が三すくみだとすれば、それは、

「路傍の石」

 に似たものと言えるのではないだろうか。

 目の前にあり、それがあまりにも当たり前のことであることから、目の前にあっても、その存在を意識しないというもので、逆に石のほうの立場からすれば、気にされたくないと思っているのに、相手は凝視してくるのを、怖い思いで身構えているとしても、実際には相手が気にもしていないということに気付かないため、この二つの関係は、身動きのできるものではない。まるで、

「二つで三つ必要な三すくみを描いているようだ」

 と言えるかも知れない。

 ここまで相手との緊張感が均衡しているという関係は、他にあるはずはないとつかさは感じていた。

 つかさは、三すくみを考えた時、何かの違和感があった。

「世の中、そんなに三つのものが巴状態になるようにうまく行くとは限らないんじゃないだろうか?」

 ということであった。

 何かに引っかかっているのだが、それが何なのか、ハッキリと思い出せない。だた、それを思い出したからといって、その懸念が解決されるわけでもなく、ひょっとすると、さらに疑問が膨らむかも知れない。

「うまくゴールできないのではないか?」

 と感じた時、ふと思い出したのが、小学生の頃に三すくみを感じた初めての相手だった。

 よくじゃんけんもしていたが、それ以外にもゲームをよくして遊んだような気がしていた。

 その中に気になったゲームがあったのだが、それが、

「開拓ゲーム」

 だったのだ。

 開拓ゲームというと、かなり昔からあった、いわゆる、

「双六ゲーム」

 である。

 ダイスの代わりにルーレットを回すのだが、その目が出た数だけ進むのだが、開拓ゲームという名前の通り、開拓者が自分の人生を自分で切り開くという、本当の自分の人生を占っているかのようなゲームだった。

 そこで感じた違和感というのが何であったのか、ハッキリとしない。ただ、よく一緒に遊んでいた友達が、三すくみを感じた相手だったということが一番の引っかかりだったということは意識できるのだが、何に引っかかったのかという事実については分からなかった。

――ひょっとすると、三すくみとは関係のないことかも知れない――

 と思った。

 三すくみには関係ないのかも知れないが、三すくみを考える上での何かに関係しているのかも知れない。

 三すくみというのが、束縛する者であって、結界を感じるものであるということを感じると、思い浮かぶ発想は、

「抜けることができずに、堂々巡りを繰り返してしまうことだ」

 という思いが頭を巡った。

――そうか、そうだったんだ――

 つかさはそこでピンとくるものがあった。

「開拓ゲームというのは、最後にゴールまでの数がピッタリと出てこないと、余った数の分だけ戻ることになり、なかなかゴールができない仕掛け」

 になっていた。

 つまり、いくら独走していても、最後にキッチリとゴールできなければ、しょうがないというゲームでもある。

 そこに堂々巡りがあるかのように考えられ、

「抜けることのできないループに入り込む」

 と考えてしまうのだ。

 そのことをつかさは思い出していた。

 この開拓ゲームの発想は、ひょっとすると三すくみという発想を逆にただっとゲームなのかも知れないと思った時、抜けられないことと、開拓という言葉の矛盾に違和感を感じたのだ。

 それが三すくみとドッペルゲンガーとの関係であったり、抜けられそうで抜けられない発想の行先であったりするのだろう。

「私は今、開拓ゲームの一体、どのあたりにいるのだろうか?」

 そう思うと、三すくみの中で分かっていないのは。自分だけのように思えてきた。

 三すくみというものを、小説に書くということの難しさよりも、三すくみをいかに継続して感じることができるかということの難しさの方が身に染みて感じていた。

 つかさとインタビューをした彼との間の話は、大きく発展していたが、最後のゴールができていない。

「落としどころがどこなのか?」

 永遠の堂々巡りを繰り返さないようにするには、そこを見定めるしかないような気がしていた……。


                  〈  完  〉

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三すくみによる結界 森本 晃次 @kakku

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