第8話 大団円
みきとの逢瀬は、本当ならその日で終わりだったはずだ。先輩もそのつもりだったし、当のみきもそのはずだったのだが、なぜか、みきには克彦に惹かれるものがあったのだ。
「昔、男ばかりの村があったらしいんだが、俺はどうもそこで生まれたらしいんだ」
という言葉を、童貞卒業後のまったりとした時間、みきは、克彦の胸の中で聞いた。
お互いに絶頂を迎えた後、本来なら、卒業させてあげたことで、主導権はみきにあるはずなのに、なぜか、みきの身体は、克彦に委ねられることになった。
「こんなの初めて。本当にこの人、童貞なのかしら?」
と感じるほどに、脱力感がハンパでなかったみきは、まるで、自分が、探し求めていた相手に出会ったかのように思えたのだ。
確かに、みきは、自分を支配してくれるような相手を探していた。本来であれば、童貞キラーなどという言葉に似つかわないほどのM性を持った女性であり、たまにS性を出すことがあるのだが、その時は、そのカギを開けてくれる男性の存在が必要になる。
それが、今は先輩であり、いつもいつも同じ人だとは限らないところが、みきの天真爛漫なところであった。
「自分が浮遊しているような気がする」
と、まるでクラゲにでもなったかのように自分でも感じていたことで、今自分が、
「男にしてあげたはずの男性に、感情を奪われることになろうとは、想像もしていなかった」
と、みきは感じていたが、そこにクラゲというものを感じていると、そのあたりで感じてくるのだった。
しかし、そのクラゲが、一体みき自身のことなのか、それとも目の前にいる、この男から感じることなのか分からなかった。
二人とも同類として感じるのであれば、それはそれでいいのだが、だが、何かしっくりこないのだ。
「自分の目線から本当に、見ているのだろうか?」
という思いがあり、その思いが、自分の考えを不確かなものにしているようだった。
このようなクラゲを発想するのが、今ここでまったりして、どこともいえぬあらぬ方向を見ているこの男性から、漂う雰囲気であるということを分からなかったのは、ゼラチン質の身体で、透明で透けて見えるからなのかも知れない。
みきは、以前にも、似たような話を聞いたことがあったのを、この克彦と出会ったことで思い出したのだ。
「私ね。女ばかりの村で育ったのよ」
と言っていた人がいた。
「今、そんなところがあるはずないでしょう?」
と聞くと、
「ええ、そうなのよ。確かにあるはずないんだけど、急に何かが私の中に降りてきて、その人の記憶が私の気を苦を凌駕しているようなの」
と、とても信じられないようなことを言われたのだった。
その話を思い出すと、この克彦という人も同じように、何かが降りてきて、言わせているところがあるのではないかと感じた。だが、彼の中で父親の反発があるということは、分からなかった。
みきも、実は自分も母親に対して確執を持っていた。だから余計に、克彦の父親に対しての確執が分からなかったのかも知れない。
それは、二人の中で、
「交わることのない平行線」
を描いているのではないかと思うのだった。
みきが、言っている、
「女ばかりの村にいた女」
というのは、ちひろのことであり、
「二人とも、昔の封建的な世界から抜け出せないくらいの時代に束縛されているのかも知れない」
と感じるようになった。
実際には話に聞いただけで、ちひろも、そんな村の存在を、詳しく知っているわけもない。
だが、まるで見てきたことのように話をするので、目を瞑って聞いていると、自分もまるで見てきたことであるかのように見えるのだった。
その時に一緒に感じるのが、海の底であり、その海を漂っているクラゲに、自分がなっているような気がしてくるのだった。
クラゲは、自由に浮遊しているものなのだが、みきの中では、三すくみの関係が目の前に見えているような気がしてきた。
その三すくみの関係にある、正三角形の頂点にいるのは、自分であるみきと、ちひろ、そして目の前にいる克彦であった。
この三すくみはどこからくるのか分からないが、以前、みきも克彦同様に、三すくみを破る方法を思いついていたのだが、その方法を思いついていたから、三すくみが誰なのかということが分かったような気がした。
そして、みきには分からない、女性ばかりの村で生まれた女性と、男性ばかりの村で生まれだ男性の二人を知っているということは、
「自分の知らないところで、克彦と、ちひろに接点があるのではないか?」
と思うのだった。
それに、今ここで感じているこのことは、克彦もちひろも、どちらも考えていることだと思えてならなかった。
自覚はないかも知れないが、みきの知らないところで、ちひろと克彦が結びついているとすれば、もう一人、どこかにそれを結び付ける人がいるのではないかと思うのだ。
それを、みきは、先輩ではないかと思うのだ。
みきには、先輩と、克彦が見方によっては、同一人物に見えるという思いがある。それを思うと、克彦の方でも、みきとちひろが同一人物に見えてくるのではないかと思うと、それはクラゲの特性である。
「向こう側が透けて見える」
といy特徴からきているように思えてならないのだ。
クラゲというのは、自分で遊泳することができないので、
「プランクトンのように浮遊して生きる」
ということになるのだが、それが見方によっては、
「天真爛漫に思うがままに生きている」
というように見えるかも知れない。
だが、自分で遊泳をすることができないので、波や他の海の動物に寄進する形を取らないと、いずれは、海の底で死に至るということになってしまうのだ。
ちひろの育った村と、克彦の育った村の昔というのは、本当に存在したのだろか¥うか?
確かに存在はしていたのだろうが、その村が、それぞれ同じ時代に存在していたということは証明されていないし、どちらも伝説として残っている言い伝えを、ただ。信じて口伝しているだけなのかも知れない。
しかし、これが、重要なことであるとするならば、二人が生きている意味はそこにあるといえるのではないだろうか。
そして、みきが今感じている克彦のことであるが、
克彦は、童貞を卒業すると、みきに対して、卒業までの彼とはまったく違う様相を呈していた。
克彦はみきに対して、
「完全なるM性」
を持ちあわせているのだ。
だが、他の人に対してはまったく普通である。だが、そんなみきは、ちひろにだけは、自分の存在を押し付けることのできる関係性を築いていた。
「ということは、克彦が誰かに対してMになる時があれば、それは完全に、
「三すくみの関係」
と言えるのではないだろうか。
いや、実際にはいた。
二人は、いつどこで知り合ったのか分からないが、克彦がMになるのは、ちひろの前でだけであった。
ちひろも、まさかみきが克彦と知り合った経緯を知るわけもなく、知り合いであることを知る由もない。
三人は、それぞれ、
「交わることのない平行線」
であり、そのせいで、同じ次元では、決して会うことのできない相手ではないだろうか?
その平行線は、それぞれが、海面を浮いたり沈んだりと、波目カーブと呼ばれるものを描いていて、三人のうち、
「誰かが、見えている時は、他の誰かが見えるということはありえない」
という水平線が風によって吹きあがった自然の波こそが、
「捻じれている、交わることのない平行線だ」
と言えるのではないだろうか。
克彦は、天邪鬼なところがあることで、父親が亭主関白だったことで優しさを追求してしまい、まわりの人には低姿勢になってしまった。
しかし、心根の中では、Sなところがあるのだ。やはり、男ばかりの村で育つという遺伝子を持っていることで、基本的にはSの性格なのだろう。
そもそも、先祖もそうではなかったか、たまたま父親が関白な代であり、その前は、克彦と同じような性格だったのかも知れない。
まるでDNAの組織のように、朝顔のツタが絡まるかのように、捻じれるようにして重なっていくのだ。まるで双子星の衛星が、公転する惑星のまわりを、回っているようではないか。
Sな性格になった時の克彦は、それまでの克彦を知っている人からは想像もできないだろう。
それまで、
「自分がドMだ」
ということに気づかなかったみきでさえ、初めて会ったばかりの、しかも、童貞卒業をさせてあげたということで、女王様として従わせてもいいと思うほどの相手に対して、まさか、この自分が、
「奴隷になってもいい」
というくらいいまで思わせるのだから、それほど、克彦のSが本物だということなのか、二人の関係性が、最初から行き届いていたということなのか、偶然ではないだろう。
そこに現れたのが、ちひろだった。ちひろは、みきに誘われて、克彦に遭っただけだった。
SM関係において、奴隷として尽くすことはできても、彼氏としては望め愛と思ったみきは、ちょうどいい相手として、ちひろを克彦に巡り合わせた。
確かに克彦は、みき以外の男性には、腰が低い。そうしているうちに、三人は三すくみの関係になっていったのだ。
千尋は、閉所と暗所がダメだった。
自分が普段から目立たない存在だと思っていたが、まわりからは、天真爛漫な性格だと思われていたようだ。
ちひろという女は、実に頭のいい女で、どう自分がまわりと接すれば一番いいのかということを分かっているのだった。
ただ、ちひろの場合は、暗所、閉所が苦手だと思っているのは、普段から、
「いかに自分がうまく立ち回れるか?」
ということを考えているからであった。
三大恐怖症というものの、どれか一つは自分の中にあると思っていた。その中で、
「本当に一番いやなものは何か?」
と考えた時、
「高いところは、一歩間違えると、死んでしまう可能性が一番高い」
ということと、
「他二つは、それほど、リアリティがない」
ということも考えて、自分の中で、消去法で見つけた答えだった。
「高所恐怖症一択であっても、他の恐怖症もくっついてくるのであれば、最初から消去法で考えることで、恐怖症を絞り切ることができる。つまり、高所恐怖症一つと、閉所。暗所恐怖症の二つを組み合わせて考えると、後者の方がまだそれほど怖くないといえるだろう」
という、理論的な考え方から生まれたものだった。
さらに、ちひろは、最近自分のことを、
「まるで猫のようだ」
と考えるようになった。
猫というのは、頭がよく、悪賢いところがある。しかも、犬ほど従順でもなく、自分の都合を先に考えるのが、猫という動物なのだ。
そして、猫の性格として、
「好きなものは、暗くて狭いところだというのが猫という動物だ」
ということであった。
猫の目は、人間などよりも暗闇でもハッキリと見える。同じ立場が悪いとこでであっても。相手よりも数倍も有利であれば、猫でなくとも、有利な方につくというのは当たり前のことだ。
だから、ちひろが、閉所と暗所を嫌うのは、猫の性格という意味からも理解できることであった。
ちひろには、クラゲという発想は少し思い浮かばない。くらげは、克彦とちひろの関係なのだろう。
ちひろも、克彦も、今はそれぞれの存在を知らない。
その存在を知っているのは、それぞれの側から見たみきだけだった。
みきは、克彦を彼氏にしようという気はない。しかし、自分の、
「ご主人様」
だと思っている。
そんな中で、自分が、二人を合わせるのはいかがなものか? 二人を会わせることでF足りが付き合うことにでもなってくれた方が気が楽だった。
「ちひろは、私が、彼の奴隷であっても、きっと何も言わない」
と思ったのだが、それは、今お互いを知らないということで見ているから、そう感じるだけなのかも知れない。
ただ、二人を会わせないという選択肢は、みきにはなかった。
それは、それぞれ二人に、自分を通す形で関係を持ったからである。
まるで何か、不倫でもしているかのような感じだった。
こんな時、頭い浮かんできたのは、
「クラゲ」
だったのだ。
「クラゲって、骨がないおよ」
という話をしていた人がいた。
「クラゲは珍しいことや、あり得ない物事のたとえとして使われることがあるんだ」
という話を聞いた。
「人の身には、命ほどの宝はなし。命あればクラゲの骨にも申すたとえの候なり(命があれば、クラゲの骨にも会うだろう)」
と言ったという場面が、「承久記」というものに書かれているというのだ。
このような、普段は遭うことのないであろう二人を会わせることは、あり得ないという物事のたとえとして考えるならば、そこでクラゲという動物をたとえに出すのは、反則ではないだろうか。
それを思うと、三すくみのような三人の関係。そして、男だけの中で育った村の出身者と、女だけの中で育った村の出身者が出会うという、
「あり得ない場面を演出した私は、本当のクラゲだということになるのではないだろうか?」
とみきは、考えていたのだった……。
( 完 )
クラゲの骨 森本 晃次 @kakku
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