第8話 プチ探偵

「それにですね。河村氏は安藤綾音さんと仲がよくて、彼女の犬を引き取ったばかりか、精神内科にも一緒に通っていたわけでしょう? しかもその精神内科に通うだけの理由を作った男も殺されている。河村氏も怪しいんじゃないでしょうかね」

 前の日に鎌倉探偵と話をした時に出てきたことでもあるが、複雑に見える事件であっても、一つの糸がほぐれれば、意外と単純な事件だったりする。その話を門倉刑事は思い出していた。

「僕はこうも考えているんですが、まずモルヒネを河村さんが接種していたと言ったでしょう? これはやはり、死への恐怖と首を切ることへの恐ろしさを少しでも軽減させようという考えですね。もちろん、そのモルヒネを提供したのは、あの医者ではないでしょうか? 医者がどの場面からこの事件に関与してきたのかまでは分かりませんが、ひょっとすると綾音さんに同情したか、好きになってしまったのかも知れません。本当は自分が敵を討ちたいと思っていたのだけれど、ちょうど彼女を好きになった男がいる。彼をたきつけることを思いついたのかも知れませんね。それがどこでどうなったのか、彼女が最後の一線を越えていたという彼女に聞かれてはいけない話が彼女の耳に入ってしまった。ひょっとすると、医者と河村氏の会話を偶然聞いたのかも知れない。そのことを河村氏が知っていたかどうかなんですが、少なくとも医者は分かっていたんじゃないかと思いますよ。分かっていたからこそ、彼女は自殺したんだと思ったんじゃないでしょうか?」

「うんうん、なかなか鋭いところを突くじゃないか。俺もその通りなんじゃないかって思うよ」

 尊敬する門倉刑事に褒められて、後輩刑事は有頂天になっていた。

 すでに頭の中である程度の推理はできあがっているようで、門倉刑事は聞いてみることにした。

――もし時間さえあれば、俺にも分かりそうに思うが、ここは後輩に花を持たせるのもいいかな――

 と思ったのだ。

「やはり、安藤綾音さんは自殺だったんですよ。自分が自殺をしたということになると、彼が後追い自殺をしてくるか、用品店の男を殺しに行くかだろうと思ったので、自殺と思わせないように、わざと睡眠薬の瓶を使って、分量を間違えたかのように見せた。だけど、事情をすでに知ってしまった河村氏は、綾音さんの死は自殺以外の何者でもないと思い、用品店の男を殺して、自分も自殺するという筋書きを描いた。最悪の筋書きですよね。でも、自殺ということにしてしまうと、綾音さんがせっかくどちらか分からない死に方をしてくれたことに逆らう気がする。それに彼女の名誉を守りたいという思いもあって、あんなことを考えた。復讐すると言えば、医者も全面的に協力すると思ったんでしょうね。医者には自分の計画に入ってきてほしくないという思いがあった」

「どうしてだい?」

「だって、彼は綾音さんを自分だけのものだと思っていたし、最後までそうしておきかたかった。そんな時に医者に入ってこられても嫌ですからね。医者を利用するだけ利用するという気持ちになっていて、逆に医者の方としては、自分が復讐するまでの気持ちは持てない。つまり、彼を復讐の道具に使うことで、自分のこの気持ちを晴らそうという、お互いに偶然ながらに、お互いの思いを遂げることになってしまった軽かぬなんじゃないかって覆うんです」

「なるほど、君の話には説得力があるね」

「それで実際に彼は相手の男を殺した。ここは管轄が違うので、ハッキリとした捜査はできませんので、相手の所轄に任せるとして、たぶん、間違いないと思います」

「君はこれを向こうの警察に教えてあげるつもりかね?」

 というと、軽く首を振って

「嫌ですよ。せっかくの僕の初めての推理を簡単に渡すようなことはしません。これは門倉刑事だから僕お意見を言っているだけですよ。そもそも他の先輩なんかに今のような話をすれば、後輩のくせに生意気だと言われるのがオチですからね」

 と言って苦笑した。

 門倉も思わず苦笑し、

「その通りだ」

 と一言言うにとどめておいた。

 後輩は続けた。

「その腐ったような男を殺してしまうと、今度は自分のことですよね。自分の犯行計画は医者が知っている。もし医者に喋られると、自分が殺したことが露呈して、下手をするとせっかく彼女の名誉を守ろうとした自分の計画が水の泡になる。このまま生きていても彼女はもうこの世にいないと思ったんじゃないですかね。そこで彼は自分が命を断つことで本懐を遂げようとする。その思いとさらに医者の思惑が重なった。モルヒネはその時にもらったのかも知れないですね」

「俺は今の話を聞いて、一つ恐ろしい発想が阿多あをよぎったんだけどな」

 と化d蔵刑事は言った。

「どういうことですか?」

「もし、河村君が自殺をしなければ、医者はどうするつもりだったんだろうな。モルヒネを渡してしまっているし、彼は用品店の男を殺してしまっているんだから、一歩間違えれば、その男を殺した犯人の一人にされかねないと思ったかも知れないだろう?」

「そうですね。それは医者に聞かないと分かりませんが、その時点ではお互いに自分たちの利害は恐ろしいほどに一致していたんですよ。そこまで頭は回らなあったのではないかと思います」

 と後輩は言った。

「要するにこの事件で医者が勤めた役割は決して小さなものではなかったということなんだろうな」

「それは間違いのないことだと思います」

「医者がこの事件で勤めた部分は何となく分かったけど、あの医者は何か曰くがあるような気がして仕方がないんだ。これは考えすぎかも知れないが、綾音さんが死を選んだのも、医者の男の意思が入っていたような気がして仕方がないんだ:

「じゃあ、門倉さんは、綾音さんの自殺は医者にそそのかされたと?」

「だって、いくら医者だとはいえ、本当に好きな相手だったら、彼女がショックを受けるような話をする場合、躊躇すると思うんだ、正直に、悪い男に最後までされたとは言わない気がするんだよ。そんなことを言えば、彼女のことだから、ショックを受ければ、死を選ぶことを普通は考えるはずだよね。特に自分が主治医なんだから」

「そう思うと、許せないですよね」

「うん、そうなんだ。そんなやつだからこそ、河村君の純情を利用するくらいはいくらでもするような気がするんだ。それにこの事件では、用品店の男が事件の発端を築いたとはいえ、実際に表に出てきている中で、それほど悪いやつはいないじゃないか。そんな状態で、こんなに連続で人が死んだり、首を切るなんて、残虐なことはないような気がするんだ。それを思うと、一人は誰か悪いやつは潜んでいるように考えると、医者しかいないような気がするんだよ」

「そうかも知れませんね。確かに僕にはよく分からなかったんだけど、この事件で悪い人や企むような人がいないとは思っていました。でも、医者を考えると確かにあいつなら、何かを企んでいる感覚はありましたね。しかも、神経内科という商売上、マインドコントロールなどができるのかも知れないですね」

「でも、君はなかなか鋭い感覚を持っていると思うよ。本当に鎌倉さんに逢わせてみたい気がするよ」

「ただですね。僕が聞いた話だったんですが、河村君という人は探偵小説とかが好きだったようですよ。そういう意味で、イヌを使って自分を自殺ではないように見せかけようという発想はなかった気がしますね。イヌが後ろを振り向かなかったのも、凶器を咥えているのがバレると、せっかくの苦労が水の泡ですからね」

「この事件お特徴は、最初に自殺か事故か分からなかったことが実は自殺で、他殺だと思われたのが実は自殺だった。しかも、本当に殺そうと思って殺害意図があったのは、表には出てこないかも知れなかった用品店の男だったというところかも知れないな」

「それにこの事件は、分からない部分が主要部分にあったことかも知れないですね」

 と後輩が言ったが、自分の発想をさらに思い出させた、

「そうだね、この事件は側面からの事情が分かっているのに、肝心の部分がハッキリしない。つまり繋がらないところに何か意味があるような気がしていたんだ。僕はそれを勝手にだけど、『ドーナツ犯罪』と呼んだんだけど、人口問題の『ドーナツ化現象』に似ていないか?」

「なるほど、『ドーナツ犯罪』というのはいい表現だと思います。僕もその発想には大賛成ですね」

 事件はほぼ、後輩の言った通りだった。

 犯罪にかかわる人間で残っているのは、正直医者くらいしかなかったが、医者が白状緒してしまうと、事件は急転直下、そのベールがどんどん明らかになる。

 医者としても、ここまでうまく行くと思っていなかったらしく、最後は情けなさそうにしていたという。

 しかし、今回の事件に関して医者が行った違法性といえあ、モルヒネを河村に接種したという程度のもので、マインドコントロールも、自殺をさせる証言をさせたというのも、すべてが想像でしかない。やつとしてみれば、

――皆死んでしまったのだから、もう俺が罪に問われることもない――

 とタカをくくっていたのだろう。

 しかし実際に犯行が明らかになって、刑事たちからいろいろな事実を聞かされるうちに彼も憔悴してしまい、しばらく医者としては立ち直れなくなったということだ。

「あの医者、他の神経内科医の世話になっているということですよ」

「因果応報というか、本末転倒と言ってもいいかも知れないな」

 と言っていた。

「とにかく密室が何か大きな謎のように思っていましたが、分かってしまうと、機械トリックよりも、言い方は悪いですが、ちゃちい気がして、もちろん、予行演習というのがあったからこそ分かったようなものだけどね」

「それともう一つ。プチというイヌが本当に飼い主だったり、河村君の気持ちが分かったからできた犯罪なんだろうね。医者が人間をマインドコントロールするのと比較して考えると、本当にプチの行動は健気で涙が出てくるくらいだよ。よくいうじゃないか、『人間は裏切るけど、イヌは裏切らない』ってね。僕はその通りだと思うんだ」

 僕は、プチが可愛くて仕方がなくなりました。

「じゃあ。お前が飼ってやればいい」

 と門倉刑事は言った。

「ええ? いいんですか?」

「ああ、お前が飼ってくれるというのが、この流れでは一番なのかも知れないと思うんだ」

「じゃあ、お言葉に甘えてですね」

 彼はその後、県警本部長賞を獲得し、刑事課でも次第に頭角を現していく。

 今では彼のことを皆は敬意をこめて、

「プチ探偵」

 と呼ぶようになったということである……。


                  (  完  )

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ドーナツ化犯罪 森本 晃次 @kakku

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