過去 十二 手紙
しばしの間、下男を呆然と見送ってから部屋のドアを慌てて閉る。
突然の事に、何が何だか分からない
「先生……。大丈夫ですか。」
「はい……。紅は部屋に居て下さい。」
ドアの隙間を開けて
しかし、明るくすると、隣の建物から動きが丸解りだ。
「
明継が
「ええ。有りました。先生、ランプ付けてくれますか。」
紅も感覚が掴めないのか、扉に何かをぶつけた音がする。
かくしから、
紅の側に行くと、床に散らばった
「大丈夫かい。」
明継が
ランプと蝋燭の火で、部屋が明るくなる。
「書斎で食べましょう。」
紅は、冷えた飯を盆に乗せて運ぶ。
文の内容は以下の通りである。
二枚目は
本日、正式に通達があり、
日時は二週間後。
正式に儀式が終り次第、礼を申し上げたいと
追伸として、前の件は、惜しく思っているとだけ書かれてあった。
遠回しな言い方に
「すまないが……。どう思う。」
王室の事は正確には知らない明継は、紅に答えを求めると、彼は云い辛そうに話し始めた。
「十五歳になると大人の仲間として、儀式を行なうのです。行事の内容は、王族の一部しか知りませんから、私も分からないですが、
「要するに、王位継承の内定を受ける様な物か……。あれ。十五歳って、云ったよね……。確か、佐波様は紅と同じ十四歳だったよね。」
「はい。同い年です。確かに可笑しいですね。十五歳が成人の儀です。」
此の時代の日本人には誕生日の概念がなく、元旦を迎えた時に、一斉に歳を取ると云う物だった。
「其れに、十五歳になるまでは、
古くから伝わる行事を、壊してまでも佐波を十四で
日本の国民性から
「
「いいえ。其れは考えられないです……。例え、計画しても実行は、
佐波の文を、もう一度目を通す。
「でも、此れで佐波様と会えなくなりましたね。」
事実上、佐波様付き英国人教師に引継ぎが終ったら、明継の立場はどうなるのだろう。
内向きの仕事をやっておいて正解だったと思った。もう、明継と紅の事実を知る者はいない。
「えぇ……。佐波様と完全に切り離されました。
完全に、佐波様との繋がりが絶たれた。佐波様が、唯一の理解者であったのに、明継は此れで全てが白紙に戻った気になる。
「
紅が、明継の目を、真っ直ぐ見て云う。
茶色の瞳が、炎に映し出されて
「そんな……。佐波様が
「佐波様が皇になるには、
「では、平穏に、紅が宮廷に戻る事は出来ないのかい。」
「多分……。元から無理だったのです。
「完全に紅が王宮に戻る手立ては、絶たれたと云いたいの。」
「其うです。」
紅は微笑む。もしかしたら、
薄暗い所為か、余計、不気味に思えた明継。
紅の感情に、驚きを隠せなかった。
「紅……、冷静だな……。」
「えぇ……。」
紅は、表情も作らず、書斎から出て、佐波の文を破り捨て、
煌煌と製鉄の炎の様な
薄暗い紅の肌は、近づけば近づくほど
紅の様子が可笑しいと、始めて感じとった。
冷め切って、味気ない飯後、明継が台所に行って、食器を片付けて、戻ってきた。
紅は、顔の血の気を取り戻した。
他部屋は、
不便ではあったが、洋灯を付ける理由にはなかった。
沈黙は次第に明継の心を、
第一に問題は、
第二に、佐波の成人の儀が早まったのは何故か。
第三に、光の正体と人影が、誰かである。
明継は核心していた。全ては、一本の糸で繋がっていると……。
しかし、明継が其れを探す手立てはなく。
「先生……。」
紅の声であった。
「あぁ。どうした。」
明継の書斎は仕事に使う為、雨戸があり、扉を閉めれば密室になる。光は漏れる事はない。
明るく、安心して仕事が出来る環境であった。
「先生は、何をお考えですか。」
身を
仕事をする為だけの部屋は、色彩のない、とても味気ない空間だった。
今は、心を
自分の置かれている立場も気になる明継。
だが、紅を宮廷に帰す望みも絶たれた今、相談する相手もいず、一人で頭を抱えていた。
「身分が変わってしまっては、佐波ように、合いに行けなくなる……。」
悩み続けていると、
「色々とね……。三年間もあったのに、何もしていないと思って……。」
「私には、楽しい思い出だけです。先生が食べる食事を作って、帰りを待ってる。花が好きだと云えば、何の花かも解らない花を買ってきたり……。」
紅は
「今なら解りますよ。一番好きなのは木蓮の花です。」
「正解です。私の夢の象徴の花です。」
「紅の夢。」
紅は微笑んだ。
「はい。私にも夢があるんです。先生と居て、
「聞かせてくれるかい。」
紅は、真剣な面持ちで、考え込んでいる。寒いのか肌を
明継は、
「毛布に、くるまりなさい。」
紅の肩に防寒用の毛布を掛けた。
明継が、長椅子に再度、腰掛けると、紅が
「先生も寒いでしょう。」
明継は、紅の腰を抱き締めるように、引き寄せた。毛布の端を背に羽織り、紅にぴたりと寄り
「夢とは。」
「先生と一緒に倫敦に行きたいです。」
腕を紅の肩に回し、髪の毛を
「二人で倫敦ですか。」
「行きたいです。
夜は深まる。
明継と紅は自室に帰らなかった。
二人で話題を決めず、思い立った事を、
石炭が会話の途中で、炎にはぜる音と一緒に寄り添っていた。
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