完璧少女と孤高少女の本当(うら)の顔

中野砥石

第1話

「ねえ、宵歌よいか。昨日のテストどうだった?」

「それ、二年生にっても学年一位だった暁璃あかりが聞くの?」


 視線の下にいる暁璃が話題を振る。

 宵歌の膝に頭を置いて寝転んでいる暁璃がテストの話題を出すと緊張感がない。


「いつも学年一位の暁璃は手ごたえどうだったの?」

「まあ、いつも通りかな」


「さすがの余裕ね。さすがはみんなの日山さん」

「……それ、宵歌の口から聞きたくない」


「悪かったわ。ごめんね」

「宵歌だから許す」


 先ほどまで不満そう暁璃がすぐに寛容な態度に変わる。

 すると彼女は頭上の、宵歌の顔を見た。


「宵歌」

「何、暁璃?」


「ちょっとだけ、眠っていい?」

「いいわよ。私の膝ならいつでも貸してあげるから」

「ありがと」


 そう言って、暁璃はその垂れた大きな瞳を閉じた。

 そして少しすると、膝の上に頭を預ける彼女は小さな寝息を立てる。


「まったく、仕方ない子ね」


 可愛らしい寝息を立てながら、眠りに入った暁璃のサラサラの髪に手を触れた。

 窓から夕日が差し込む宵歌の部屋で、二人はいつも通り、ただ過ぎていく時間を浪費する。



「おはよー。日山さん」

「おっはよー」

「おはよう。白石さん、谷中さん」


 教室の扉の前で、女生徒が教室に入ってきた彼女——日山暁璃に挨拶した。

 声をかけた暁璃に朝の挨拶を返すと、彼女はその足で女生徒たちの方へ近づく。

 いつも通りの彼女たちの会話を、月島宵歌はちらっと見る。


「日山さん。いつ見てもきれいだよね」

「あの長い髪なんてツヤツヤで綺麗よね。手入れ大変そう」

「腕も脚も細いし、どうしたらあんなスタイルになるんだろう。いいなぁ」

「あんなに美人で、勉強もスポーツもできるなんて、すごすぎるよ」


 宵歌のそばで話をしていたクラスメイトの女子は暁璃を見ながら羨望の視線を向けている。


 彼女たちだけではない。


 この場にいる生徒は、教室に入ってきたばかりの暁璃に視線が吸い寄せられる。

 さすがは暁璃。いつもながら、すごい人気だ。


 そんな事を窓際の席で座っている宵歌は思う。

 その後、宵歌は手元のスマホに視線を移した。


 すると、学校全体にチャイムが鳴る。

 チャイムが鳴りだすと、教室に担任の陣内先生が入ってきた。


「ほら、ホームルームを始めるぞー。みんな席に着けー」


 陣内先生の言葉に、生徒たちは「はーい」と返事を返し、各々の席へ着いた。

 そしていつも通りの、退屈な学校の時間が始まる。



「日山さん。やっぱりいいよねぁ」

「いつも優しいし、俺たちにも挨拶してくれるし」

「性格と見た目だけじゃなくて、頭もいいなんて。すごいなぁ」

「さすがは、みんなの日山さん」


 体育の授業をしている宵歌のクラスは初夏の蒸している空気が体育館を占める。そんな中、男子たちの視線が暁璃の方に集まっていた。


 暁璃はまじめに女子たちの輪の中でバスケをしている。

 宵歌が彼女を見た時はゴールへシュートしている姿だった。


綺麗なフォームでシュートをする。そしてボールは放物線を描き、ゴールが決まる。

 点を入れると、暁璃のチームは彼女の方へ集まり、賛辞の言葉をかけた。


 そんな暁璃がシュートを決めた時、この場の男子は彼女に視線が集まる。その視線の集まる先はもれなく彼女の胸元だ。


 これだから男子は。


 そんな彼らを横目で見る宵歌はそんな感想を抱く。

 確かに暁璃のスタイルは女子でも憧れる。お腹や腰、手脚は細いのに、出るところは出ている。

 しかも、あどけなさが残る愛らしい顔立ちは誰もが一度は見惚れてしまう。


 宵歌は男子たちからの向けた視線を暁璃に移した。

 視線の先の暁璃はチームの女子たちと話した後、宵歌の方をちらっと見てきた。

 二人の視線が重なった直後、すぐに暁璃は視線を逸らす。


 そしてそのまま、ゲームの続きをする。

 そんな中、宵歌は事の外で、ただ体育の時間が過ぎるのを待った。



「はぁ、今日も疲れたー」

「それはお疲れ様」


 宵歌がカーペットの上で座る中、彼女の膝に頭を置いて寝ころんでいる暁璃はだらしない声を漏らす。


「ていうか、なんで宵歌はそんなに疲れないの?」

「暁璃みたいに私だけの前だけ力を抜かないわけじゃないの。いつも体力を温存して過ごしてるのよ」


 宵歌は自身の膝の上に頭をのせる暁璃を見下ろす。そんな目下の彼女は少し頬を膨らましていた。


「だって、頑張れば宵歌が甘えさせてくれるから」

「そう。けど、もう少し私の前でもしっかりしてくれると、私も楽ができるんだけどな」


「はい、ダウト」

「何が?」


 宵歌の発言に間髪入れず、暁璃は言葉を挟んだ。


「わたしが甘えるの、嬉しいくせに~」

「すぐに暁璃の頭を床に落としていいのよ」


「それは堪忍して~」

「だったら、そんな身にならない冗談は控えなさい」


 宵歌の指摘に、「う~」と小さなうなり声をあげる。そんな暁璃は自身のお腹の上にスマホを移動させた。そして画面を指でスライドさせたりタップしたりする。


「何か面白いマンガでも見つけた?」

「よくわかったね」


 暁璃が返答すると、彼女は宵歌の方に自身のスマホの画面を向ける。

 見せてきた画面には二人の少女が描かれた絵が映っていた。


「この黒髪の女の子、なんか宵歌に似てるでしょ」

「まあ、髪の長さは同じだけど」


 暁璃が指で差した絵の少女は確かに宵歌と同じで肩辺りまで黒髪を伸ばしていた。


「しかも、この女の子、作中で女子にとても人気なんだよ」

「そうなの」


「これも宵歌と同じだよね」

「どこが?」


 宵歌が疑問を浮かべると、暁璃は突然ため息を吐く。


「自覚ないって本当に怖いわ」

「だから何がよ?」


「宵歌、自分が学校の女子に憧れられる存在なの知らないの?」

「それは初耳ね」


 宵歌の返事に暁璃はさらに大きなため息を吐く。

 暁璃と違って目は吊り目で、顔立ちも大人びている。


 正直、初対面の人には好印象を抱かれないと宵歌は自身で思っていた。

 実際、学校ではいつも一人で過ごしている。

 そんな状況で人に好かれていると言われても実感がわかない。


「それを言うなら、暁璃は学校の生徒全員に好かれてるじゃない。そっちの方がすごいと思うけど」

「あれは表向きのわたし。裏のわたしは宵歌だけにしか見せないよ」


 そんな言葉を返す暁璃は笑みを浮かべて宵歌を見上げる。

 その時の笑顔は、学校で見せる綺麗で余所行きな笑みとは違う。無邪気な子供のような笑顔だった。そんな暁璃の顔に宵歌は手を触れる。


「そう」

「宵歌だって、こんなにわたしを甘やかしてくれるところ、誰にも見せないでしょ?」


「当たり前でしょ。キャラじゃないわ」

「ふふっ」


 宵歌が口にした感想に、暁璃は笑い声をこぼす。そんな彼女の頬を触れている指でつまんだ。


「笑うの禁止」

「ほ、ほへんほへん」


 頬を引っ張られ、まともに発音できていない。おそらく「ごめんごめん」と言っているのだろう。

 すると宵歌はつまんだ彼女の頬を放す。


 その後、暁璃はスマホでマンガを黙々と読み進める。

 そしてしばらくの間、二人は何も話す事なく、時間が過ぎた。



「ふう」


 お腹の上にあるスマホのスライドする指が止まる。

 暁璃はアプリのマンガを読み終えた。そして一息つく。視線をお腹の上のスマホから頭上に向ける。


 視線を変えた先には宵歌の顔が見える。

 宵歌は目を閉じて、小さな寝息を立てていた。


「まったく、わたしに疲れてないって言ったくせに」


 宵歌は意外と強がりだ。


 暁璃の前でも自分の弱いところを見せようとしない。けど長い付き合いの暁璃にはそんな隠し事はすぐに見透かせる。

 弱いところを人に見せようとしない宵歌の事を知っているのは自分だけだ。


 暁璃はそんな自負がある。


 いつも学校で一人の宵歌はひそかに女子から人気な女生徒だ。

 きれいな顔立ちとその落ち着いていてクールな出で立ちは、孤高の存在として知られている。


 そんな彼女の裏の顔、世話焼きで人を甘やかしたいという欲求を持つ事を暁璃だけが知っている。

 その対象が今のところ暁璃だけに向いている事に優越感を抱いている。


 宵歌が甘えさせてくれるから、暁璃は思う存分甘えられる。

 こんな他愛ない日常がいつまでも続けばいいのに。


 暁璃はそう思う。

 そんな事を思いつつ、目の前の宵歌の方へ手を伸ばす。そして人差し指を宵歌の唇に触れた。


 彼女の唇は綺麗に艶めいた桜色で、わずかに体温と柔らかい感触が指へ伝わる。すると、暁璃はそっと伸ばした指を自分の顔へ近づける。

 そして宵歌の唇に触れた指を、自分の唇に触れた。


 間接キス。


 普通の女子同士なら気にするほどでもない事に、暁璃はなぜか心臓がわずかに早鐘を打つ。


 いつもそばにいてくれる。

 二人だけの時に甘やかしてくれる。

 本当は完璧でない自分を受け入れてくれる。


 いつからだろう。そんな宵歌を意識するようになったのは。

 この気持ちを伝えても、宵歌は一緒にいてくれるだろうか。


 もしかしたら幻滅するだろうか。

 それはいやだ。


 距離を置かれるくらいなら、このままの関係で充分だ。

 今はこの時間を二人だけで過ごしたい。

 そんな事を暁璃は心の奥で呟いた。



「……んん」

「おはよー。宵歌」


「おはよう、って。私寝てた?」

「うん。三十分くらいかな」


 宵歌が瞼を開くと、視界に映ったのはこちらを見る暁璃の顔だった。

 寝ていた時間を暁璃から教えられた痕、部屋の時計を見る。


 時間は午後六時過ぎ。

 窓の外から見える空はいつの間にか茜色から夜の色に変わり始めていた。


「それじゃあ、わたしは家に帰るよ」

「そう」


 そう言うと、暁璃は宵歌の頭を放して、上半身を起こす。

 そのまま立ち上がると、暁璃は自分のカバンを持ち、宵歌の部屋の扉を開ける。

 宵歌も自室から出て、暁璃と一緒に玄関の方へ向かう。


「それじゃあ、また明日」

「また明日ね」


 自分のローファーを履き玄関の扉を開けた暁璃は宵歌と挨拶を交わした後、家から出ていく。

 そして彼女が家から出ると、宵歌の家は静寂に包まれる。


「……本当に、何してくれのるよ」


 宵歌は玄関の扉に背を預け、呟く。

 先ほど、膝を貸したまま眠っていた時、薄れていく意識の中、唇に何か触れた感触を覚えた。


 そしてわずかに見えた暁璃は宵歌の唇に触れた指を自分の指に重ねた。

 そこまでの事は覚えている。


 俗に言う間接キス。


 同性同士なら意識する事でもない事に、今の宵歌は胸の鼓動が高まる。

 指を唇に重ねた暁璃の頬が紅潮した顔はまだ覚えている。

 こんな些細な事に心が揺れ動くのが悔しいと思う反面、心地よくも感じる。


 いつも一緒にいてくれる。

 二人だけの時に甘やかしてあげられる。

 本当は世話を焼きたいと思いながら一人の自分を受け入れてくれる。


 いつからだろう。そんな暁璃を意識するようになったのは。

 こんな気持ちを口にしても、暁璃は一緒にいてくれるだろうか。


 もしかしたら幻滅するだろうか。

 それはいやだ。


 距離を置かれるくらいなら、このままの関係で充分だ。

 今はこの時間を二人だけで過ごしたい。

 そんな事を宵歌は心の奥で呟いた。



「ようやく期末考査が終わったね」

「そうね。どうせ、暁璃はいつも通りって感じでしょ?」


「よくわかったね」

「何年の付き合いだと思ってるのよ?」


「そういう宵歌は期末考査どうだったの?」

「私もいつも通り。平均点くらいよ」


 七月中旬。

 学校の期末考査は今日で終わり、赤点がなければ夏休み中に補習はない。


 一か月以上の長期休暇が始まる直前。

 いつも通り宵歌の部屋で、いつも通り、宵歌の膝の上に頭をのせる暁璃と会話をしている。

 そんな時、暁璃は新たな話題を出す。


「ねえ、今度の日曜日、花火大会あるよね」

「そういえば、あるわね」


 夏休みが始まる最初の日曜日。

 毎年恒例の花火大会が開催される。


 高校に入ってからは、花火大会に行った事がなかった。

 そんな話題を暁璃の方から持ち出してきた。


「もし暇だったら一緒に見に行かない?」


 暁璃は宵歌を誘う。

 いつもなら、よほどの事がない限り外に出ようとしない暁璃が誘ってきた。


「何か悪いものでも食べた?」

「なんでそう思うのよ」


「いつも面倒臭がりの暁璃がアウトドアな事言うからよ」

「それこそ失礼よ。わたしだってアウトドアな時はあるよ」


 宵歌の発言に暁璃は苦言を呈する。

 こちらを見上げる彼女の頬は少しだけ膨れている。よほどお気に召さなかったようだ。


「それで、宵歌は花火大会行くの? 行かないの?」

「その日は何の予定もないし、暁璃がいいなら一緒に行くわ」

「それじゃあ、決まりね」


 こうして、二人の夏休み最初の予定が決まる。



 家の近くの公園。

 時計のオブジェがある子の傍で宵歌は予定の時間にあるのを待つ。

 そして待ち合わせである午後五時半になると、待ち人が現れた。


「おーい。宵歌」


 公園の近くから声が聞こえる。

 宵歌は声のする方へ視線を向けた。

 視界に映る人物——暁璃は手を振ってこちらへ近づいてくる。


「浴衣着てきたのね」

「そういう宵歌も。その浴衣似合ってるよ」


 この場の宵歌と暁璃は浴衣を着ていた。


 宵歌はアジサイの柄が印象的な青を基調とした浴衣。

 暁璃はひまわりが描かれた黄色とオレンジを基調とした浴衣だった。


 二人とも、髪をまとめてアップにしている。


「ありがとー。そういう宵歌もその浴衣似合ってるよ」


 互いに浴衣の感想を口にすると、二人ともわずかに頬が緩む。

 この日のために用意した甲斐があったと内心思う。


「集まった事だし、目的地へ行こー」

「そうね。混み合う前にいい所を確保しないと」


 そんな彼女たちは集合時間に集まると、目的の花火大会の開催場所へ向かう。

 そして目的地へ向かう時、暁璃は先を進む宵歌の浴衣の袖をつまむ。それに気づいた宵歌は袖をつまむ後ろの彼女をみる。


「離れ離れになったら面倒だから。掴んでていい?」

「いいわよ」


 そしてこのまま目的地へ向かう。

 公園から目的地は歩いて十分もしない。向かうさ最中、すでに人が多く集まっていた。


「早めに見る場所確保するわよ」

「うん」


 宵歌の指示に暁璃は返事を返す。そして埋まりつつある、座って見られる場所を探す。

 すると、少しして空いている場所を見つける。


「ここにしましょう」

「はーい」


 場世を確保すると、宵歌は手元の手提げカバンからレジャーシートを取り出した。そして地面に敷いて座る場所お準備をした。

 そして二人はレジャーシートの上に座り、花火大会が始まるまで時間をつぶす。


「今日はありがとう」

「どうしたの、宵歌?」


 突然、宵歌は横目で暁璃を見ながら言葉を発する。

 すると、暁璃も横目で宵歌を見ながら返事を返した。


「私を花火に誘ってくれた事、とても嬉しかった。暁璃ならほかの人にも誘われたはずなのに、私と行こうって誘ってくれた。感謝してるわ」


 宵歌は優しい表情を浮かべ、感謝を伝える。すると暁璃も頬が緩む。


「わたしも、誘ってもわたしがほかの人と一緒に行く事に気を使って断られると思ってたから。了承してくれて嬉しかったよ」


 暁璃も感謝を口にする。そして少しの間が空く。その時、光の尾が夜空を上りだす。その後、空高くまで上がり、大輪の光の花が咲く。夜空に開花した後に、体の芯に響く花火の音が鼓膜を震わす。


 続けて花火が空に上がる。そしていくつもの色の花が夜空を照らし、彩っていく。

 そんな光景を見ている二人の手は互いに指が触れていた。その感触は互いに伝わる。空に咲く花よりも、手元の感覚に意識が持っていかれる。


 その時、自分たちの心音が花火の音でわからない。

 この後、二人は一時間以上もの間、夜空に咲く短い寿命の大輪の花々を見上げた。



「やっぱり近くで見る花火は迫力あるね」

「そうね。暁璃と一緒に見れてよかったわ」

「そう言ってもらえるなら誘った甲斐があるよ」


 花火大会の帰り道。


 二人は集合場所だった公園にあるブランコに座っていた。

 前後に揺れる暁璃は嬉しそうな笑みを浮かべている。一方の宵歌もいつもより表情が柔らかい。

 すると暁璃は先ほどまで瀬後に漕いでいたブランコを止めた。


「ねえ。宵歌」

「どうしたの?」


 先ほどまでとは違う。どこか複雑そうな声音の暁璃は隣の宵歌の方を向いた。


「あの、さ。さっきの花火大会で。私の手、触ってたよね?」

「え? えぇ、多分触れてたかも、ね?」


 唐突に尋ねてきた暁璃の疑問に、宵歌はすぐに平静を装う。


「わたし、一緒に花火を見てた時、ずっとわたしの手に触れてた宵歌の手に意識が向いてた」


暁璃はどこか恥ずかしそうな静かな声で言葉を発していた。

その言葉を聞いた宵歌は心臓が高鳴るのを感じる。


「そう、なんだ」


 あまりに唐突な告白に宵歌はこんな言葉しか出てこなかった。すると宵歌はブランコのチェーンを掴む暁璃の手に触れる。

 ゆっくりとチェーンを掴む暁璃の手をほどき、自身の手を絡ませた。


 彼女の手に指を絡ませ、恋人がするような繋ぎ方になる。


「本当はこんな風に手を繋いでみたかった。けど、さすがに花火を見ながらじゃうまくできなかったわ」

「それって——」


 暁璃が宵歌を見ようと振り向く。その直後、宵歌の顔がすぐ目の前にあった。


 近すぎて、宵歌の顔が見えない。見えるのは彼女のきれいで長いまつ毛だけだった。そして唇には温かくわずかに湿った感覚を覚える。

 そしてすぐに宵歌の顔が見えるようになった。


「……え?」


 宵歌の顔が見えると、暁璃の口から呆けた声が漏れる。


 すぐ近くで見える宵歌の顔は頬がわずかに紅潮していた。

 そして今になって、宵歌のした事を理解する。


「えっ、えー!」


 あまりの出来事に、暁璃は大声が出る。


「暁璃が悪いのよ。この前、私に間接キスしたから。そのお返しよ」

「この前って、……もしかして、あの時、起きてたの⁉」

「……寝そうになる前だったけど」


 恥ずかしそうに答える宵歌に、暁璃は自分でも体温が上がり、顔が赤くなる感覚を覚える。


「……いや、だった?」

「そ、そうじゃなくて。……驚いたというか、……むしろ嬉しかったと、いうか」


 これ以上言葉にすると、墓穴を掘りそうだ。

 暁璃はこれ以上言葉に出さないようにする。すると、宵歌は手を繋いだまま、ブランコから離れ、暁璃の前に移動する。


「だったら、もう一度だけ」


 そう言うと、宵歌はまた暁璃の顔に近づく。

 また唇に柔らかい熱が伝わる。その直後、暁璃は目を閉じた。


 温かい。

 心の中が温かい何かに満たされる。


 そんな感覚に溺れそうだ。

 けどそんな感覚も心地よく思えた。


 そして宵歌の顔が離れる。


「ねえ、もう一回」


 すると、今度は暁璃の方から顔を放した宵歌へ顔を近づける。

 唇に伝わる幸せの熱が頭の中を満たし、焦がしていく。


 これが暁璃と宵歌の、初めての二人だけの夏の思い出だった。

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