最先端の詐欺

遠藤世作

最先端の詐欺

 トゥルルと、電話のベルが鳴った。壁にかけられた超薄型テレビの前、ソファに寝そべっていた男は不機嫌そうに立ち上がる。誰だ、こんな時に。久しぶりの休日、贅沢に昼寝をしようと思ったのに。


 「はい、どちら様ですか?」


 機嫌の悪さを表すように、低い声のまま受話器を取る。そこからは愛しい妻の声。


 「あなた、私よ。今ちょっと外に出てるんだけど……」


 そういえば、我が妻は買い物に出ているんだった。こんな暑い日に外へ出てご苦労なこと。いや、他人事ではいけなかった。己の晩酌のために、妻にはビールやらつまみやらも頼んでいるのだし、何よりのために、彼女は動いてくれているのだ。

 男はそう思い直し、冷房の効いた部屋で寝ようとしていた自分を恥じた。そして労りの心も込めて、声をなるべく明るいようにする。


 「なんだ君か。今日は外の気温が高くて大変だろう。あまり、無理するなよ。ところで"合言葉"を……」

 「あなた、そんなこと言ってる場合じゃないのよ。大変なの。私、車とぶつかっちゃって。幸い怪我はなかったのだけれど、相手が怪我しちゃってね。さっき弁護士さんから連絡があって、示談金を払わなくちゃ……」

 

 ここまで聞いて、男はまたもや不機嫌になった。いま話している相手の正体が、愛する妻ではないと気づいたからだ。


 「お前、さては詐欺師だな。気を使って損した。お前らにやる金なんか、一銭も持ち合わせてないぞ。別のところに行け、しっしっ」

 

 ごちゃごちゃと言い訳をするのを無視して、電話を切る。まったく、近年は科学技術の発展がめざましいが、同時に詐欺の手口も巧妙になってしまった。昔は知らない電話番号には出ない、もしくはその電話番号を調べるなどで詐欺の抑止ができたのに、今ではネット回線からのハッキングで、電話機自体の表示を偽らせて本物と同じ番号のようにかかってくるし、音声の方も大変高度な変声機が作られたせいで、それがはたして本人の声なのかそれとも別人の声なのか、判断がつけられない。

 電話だけではない。最近では知り合いが家に訪問してきて、家に上げてみれば強盗だった、という事件もあった。最新鋭のフェイスマスクに立体ホログラム映像機能がついていて、その高いクオリティがゆえに、インターフォンのモニター越しでは偽物であるとわからなかったのだそう。もとは映画の撮影用として作られたらしいが、こうして悪用されては、庶民からすればいい迷惑である。

 こういった詐欺対策の一環として、どの家庭でも合言葉が用いられるようになった。一見、デジタル化の勢い甚だしい今の時代にはシンプル過ぎるように思えるが、この対抗策はいまだ進化する各種詐欺へ、抜群な効果をあげた。

 ひとこと、「合言葉は?」と電話相手に聞くだけ。大きなもので言えば会社同士のやり取り用の合言葉、小さなもので言えば家族同士の家庭用の合言葉、さらに範囲を小さくすれば、恋人同士だけの秘密の合言葉……もちろんセキュリティ対策のため、これらのワードは一定周期で変化する。いつの世も、アナログな手段はデジタルの急所を突くのに特化しているようだ。

 

 再びソファに寝っ転がって詐欺について思いを馳せていると、眠気がやってきた。よし、今度こそ寝るぞ、眠るぞ、眠るんだ……。

 しかし男が虚空に描いた願いは、けたたましく鳴らされたベルによって、またも霧散した。今度は電話のベルではない。家のベルだ。

 男は居留守を決め込もうとしたが、辞めた。妻が帰ってきたかもしれないのだ。開けなければ、あとで大目玉を食らう。彼女が鍵を持っていればいいのだが、そうもいかない。今の時代、鍵を外に持ち出すことほど危険極まることはない。電磁スキャン機を持った輩が街にはウヨウヨいて、近くを通れば鍵の型がすぐさま取られ、鍵屋へと売っぱらわれてしまう。ならば指紋や顔認証の扉にすればと思うかもしれないが、そちらはもっと危ない。何せそれらは鍵と違い、家に置いていけないからだ。スキャン機は顔と指紋も取れるのだ。よって、回り回って現在の家屋はどこも、鍵による施錠が主流となっている。

 だから、家に誰かが一人でもいる時は、鍵は金庫の中へ厳重に保管しておくのがよくて、帰ってくれば、中にいる人物がドアを開けるのが一番よいのである。

 男はまずインターフォンを確認する。そこには、妻がビニール袋を携えて立っている姿が映し出されている。しかしここで安心してはいけない。続いてドアの前へ行き、のぞき窓から二度目の確認。よし、ホログラムでは無さそうだ。そうして最後に、外へと呼びかける。


 「おかえり。合言葉は?」

 「ただいま。今日の合言葉は何だったかしらね。あ、そうそう思い出した、"コタツ"だわ。もう、やんなっちゃうわ、こんな暑い日にコタツなんて言わなきゃいけないなんて」

 

 ようやく、男は笑顔で扉を開ける。ここまでしなければ、詐欺から身を守ることはできないのだから、しょうがない。しょうがないとはわかっているが、やはり暑い屋外で待たされるのは苛立ちが募る。

 妻は額に滲んだ汗とそんなイライラを、手の甲で拭い去って、エアコンの効いた部屋へいそいそと入った。ひんやりとした風が、蒸れた身体を一気に冷やしてくれる。


 「はー、疲れたわ。思ったより買うものが多くなっちゃって」

 「苦労をかけたね。僕も行けばよかったか」

 「いいのよ、あなた。せっかくのお休みなんだからゆっくりしてくださいな。それに明日もあるんだし……」

 「ああ、そうだな……」


 そういって男はカレンダーを見つめる。明日は結婚記念日。妻が買い物を張り切っていたのも、この準備のためというのが大きかった。

 

 「明日は、腕によりをかけてご飯を作っちゃうから期待しててね」

 「君の手料理ならなんでも嬉しいさ。楽しみにしてるよ」

 

 うっとりとした目付きで、二人はそんな言葉を交わした。何回目であろうとも新婚当初を思い出させてくれるこの日は、彼らを浮かれさせ、熱っぽくさせる。

 その浮つきのまま、妻がこんなことを聞いた。


 「ねえ、あなた」

 「何だい?」

 「あなたがプロポーズした時の言葉、覚えてる?」

 「ああ、勿論さ……」


 男はそう答えて──言葉を詰まらせた。どうも、その時の言葉が思い出せない。近頃は覚えなければならない合言葉が多すぎて、大昔にしたプロポーズのことなど、どこかに飛んでいってしまった。


 「あらっあなたもしかして、覚えてないの?」

 「うっ……」


 男が言葉に窮するのを見て、妻は溜め息をついた。先ほどまで漂っていたムードはどこへやら、妻は寂しげな顔をして、男の背中に冷たい汗がつたう。


 「す、すまない、最近仕事で合言葉が頻繁に変わったり、セキュリティに気を使わなければならないことが多くて」


 しどろもどろの言い訳に、妻はこう答える。


 「いいのよ、所詮私は合言葉以下の女……」

 「拗ねないでくれ、愛しい我が妻よ。そうだ、せめてもの償いに何か欲しいものはあるかい。何でもいいさ、買ってあげよう。いや、それだけで君の心の悲しみが癒えるとは思っちゃいないが、それでも誠意としてプレゼントをさせてくれ」

 「……なら、ブランド物のバッグとサイフ、それから流行のお洋服に、お化粧品を何点か……」


 値は張るが仕方がない、これも自分がプロポーズを思い出せなかったせいだと、男は承諾する。それを聞き喜ぶ妻。ならば買うのは早い方がいいと、二人は街へと消える……。

 

 だがそもそもこの夫婦、プロポーズは妻の方からしたのだから、男がどんなに思い出そうとしてもその言葉を出せるはずもない。

 相手の記憶容量の限界を突いた巧妙な手口。これぞ世の奥様方で流行っている、合言葉社会に生まれた最先端の結婚詐欺というやつなのである。

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