探偵小説の再読は何故退屈なのか?

森下 巻々

『行動の機構』(岩波文庫)を読んで

ドナルド・オルディング・ヘッブの『行動の機構』を岩波文庫で読みました。興味深かった仮定である、或る探偵小説を初めて読む場合とその後時間を置かずに読み直した場合の感じ方の違いのメカニズムについての仮定を、メモしてみようと思います。


しかし、このメモを読んでみようという方々に、前もって知って置いていただきたいことがあります。

まず、僕は学者・研究者でも何者でもありません。実験もしたことがありません。このメモは、飽くまでこの本を読んで感じたこととなります。

また、ドナルド・オルディング・ヘッブのこの原著が最初に刊行されたのは、1949年とのことです。当然ながら現在は、心理学も当時より発展していると考えられます。本に書かれていることは、現在では支持されていないことが多いのかも知れません。僕は、最新の研究と突き合わせることができませんので、その辺りを明白にできません。残念ですが……。


この岩波文庫の表紙カバーのキャプションには、

<こころの働きには脳神経シナプスのダイナミックな結合や切断が重要な役割をなす。それをはじめて体系的に論じたヘッブの記念碑的な著作。(以下略)>

とあります。


<神経生理学的仮定>という節(上168頁)には、

<すなわち、細胞Aの軸索が細胞Bの興奮を引き起こすのに十分なほど近接して存在し、その発火活動に、反復してまたは持続して関与する場合には、一方の、あるいは双方の細胞になんらかの成長過程や代謝的な変化が生じ、細胞Bを発火させる細胞群のひとつとして、細胞Aの効率が増大する。>

と記され、続けて、

<ひとつの細胞が、別の細胞の発火活動の可能性をいっそう増大させる仕方に関して、もっとも有望に思えるのは、シナプス小頭部synaptic knobが成長して、上行性の軸索と下行性の細胞体somaとの間の接触領域を広げる、といった考えである。(“細胞体”とは樹状突起と細胞本体、あるいは軸索を除く細胞全体を指す。)>

としています。


僕は、細胞というと中心に核のある多角形のものが敷き詰まっているのをイメージしてしまうのですが、それだけだと、この文は解釈できません。僕がイメージするような細胞はヒトの肌(皮)の表面に見られるもの等に過ぎないようなのです。細胞には種類があって、それぞれ構造が異なるようです。細胞と細胞の間の隙間が大きいものもあるようです。そういう場合「隙間は、周囲はどうなってるの?」と思ってしまいますが、そういう領域に存在している物質もきちんとあるみたいですね。これらは、Web上で色々検索して見て回った結果得たイメージです。どうしても、この本だけでは、細胞のイメージがつかなくて検索しました。細胞というとタイル状になっているのをどうしてもイメージしてしまっていけません。


この僕のメモは、「探偵小説の再読は何故退屈なのか?」をドナルド・オルディング・ヘッブの仮定に従って記述しようと試みていますが、彼がこの本で、そういう(ヒトに探偵小説を読ませたりするような)実験をしたり、そういうそのものズバリの実験を引用している訳ではありません。そうなるのも、たぶんこういうことだよね、と推測で書いてくれていると思います。ということで、前提となる仮定を見ていきます。


この本では、<位相連鎖>という言葉が重要なものとして登場しますが、三角形を見た時の運動、つまり<知覚>についての解説が詳しいです。上206頁にある図11に、

<三角形ABCを、点Aを注視している状態で見ているものとする。黄斑部は斜線を付けた円で表されている。点BとCとは、周辺視の領域にある。矢印は、BおよびCからの刺激作用によって触発されると思われる眼球運動の方向と強度とを示している。>

を設定しています。点Aは左下でBは右下、Cは中央上という三角形です。AからCに向かって矢印になっており、AからBに向かっても矢印になっています。

<Aを注視することによって喚起される18野とそれより上位の領野の細胞群を文字aで表わす(以下略)上208頁>なので、同じように細胞群bとcも設定されます。これは脳の話題ですね。<17野>が<視覚皮質>ですので、それに隣接する<18野>に<シナプス伝導>するという仮定での問題設定です。細胞aではなく、<細胞群a>であることにも注意しておきたいと思います。次の209頁にある文も<細胞群>であるから<統合>ということになるのだと思います。

<a、b、cの統合が進行するにつれて、三角形の3つの角が繰り返し注視され、それにともなって3つの拡散性の不規則な細胞集成体(4章)が徐々に形成されていく。そしてそれぞれの集成体は、一時的にひとつの閉鎖系として活動することが可能になる。>

この本には、<細胞群a>、<細胞集成体a>、<構造a>という言葉が出てきますが、これらは、複数の細胞そのものである<細胞群a>、それらによって形成される<細胞集成体a>(つまり、ただの細胞の集まりとしてではなくシステムとして見ている)、システム<細胞集成体a>の構造である<構造a>ということでしょう。細胞集成体は成長するのですが、その意味は細胞群の変化です(上192頁)。

また、「細胞集成体が機構化されていく」という場合、或る細胞群の統合が進行するにつれて形成された細胞集成体が成長していくことを意味していると思われます。この話題においては、細胞群の最後の段階は、統合された状態なのではないでしょうか。

さて、<位相連鎖>という言葉についてです。上230頁には、

<運動要素をともなったこの“観念的ideational”系列を、“位相連鎖phase sequence”と呼ぶことにしよう>

とあります。また、「6章 学習能力の発達」(上244頁)の話題では、

<(略)位相連鎖――集成体活動の連続的生起――によって引き起こされる。刺激は、集成体aを活動させ、集成体aはさらに集成体cを活動させる。このcでは運動の閾値が低いため、cの活動が目に見えるかたちで眼球運動を生じさせる。>

とあります。<集成体活動の連続的生起>という言葉で、うまく要約されていると思います。


細胞集成体aと細胞集成体bと細胞集成体cが相互に影響しあっていることが説明されている意味で、<位相連鎖>という仮定は重要なのだと思うのですが、更に重要なのは、a、b、cの活動が何度も同時に起こっている内に、この3つシステムが統合するのではと考えられていることです。ひとつの個別の全体として三角形を知覚する<細胞集成体t>という<上位のシステム>が形成されるというのです。ドナルド・オルディング・ヘッブの考えは、次のように上232頁の文章中に詳しいです。

<(略)知覚発達の初期の段階では、a、b、cの活動が繰り返し生じたあとではじめて、tの興奮が引き起こされるのかもしれない。しかしその後(システム内のシナプス小頭部が広範囲に発達し、その結果促進の強度が増大すると)、aだけの感覚性の活動に続いてtの興奮が引き起こされるようになるだろう。そのため、Aをひと目見て三角形を認知できるようになるのだと思われる(図11)。(以下略)>


さあ、こうやって読んできた内容が、この文書のタイトル「探偵小説の再読は何故退屈なのか?」をどう説明することになるのか?


ずばり、下105頁に次のようにあります。

<たとえばいま、先週読んだ本をたまたま手にとったとしよう。題名と最初の数節がその話の筋を思い起こさせる。位相連鎖が、短絡回路化して急速に進行するので、多くの集成体群は、残りの印刷部分によって喚起されるまでは、短時間不能状態のままになる。したがって、感覚と中枢性の促通との協働はまったく生じない。つまり、中枢性の促通があまりにも速く先へ進みすぎるのである。(以下略)>

<感覚と中枢性の促通との協働>とありますが、<感覚>というのは「いま印刷を見た」ということ、或いは見たことによる興奮だと思います。<中枢性の促通>というのは、或る集成体が次の集成体の活動を引き起こすことのようです(上61頁)。上210頁には、中枢性の促通は感覚性の促通よりも確実に先行しているという記述もあります。だから、言い直すと、小説の題名や最初の方を読むことで、その物語の先の方に注意が向く(中枢性の促通)のですが、物語の先の方を見た時そのもの(感覚性の促通)の興奮が全然無いということだと思います。<中枢性の促通>という働きだけになってしまうということを言っているのではないでしょうか。


ドナルド・オルディング・ヘッブは、

<(略)位相連鎖は、動機づけが維持されるならば、たえず発達し続けるに違いない。ここでいう“発達”とは、集成体が新しい組み合わせへと成長するということを意味しており、このことはさらに、新しい知覚、新しい洞察、新しい考えが生じることを意味している。知っての通り、そうした事象は、まさに刺激的であり、興奮を引き起こす。(以下略)(下101頁)>

とも書いているのですが、位相連鎖が短絡回路化すると、この<発達>ができないと言っていると思います。


いかがだったでしょうか? 『行動の機構』は、刺激的な本と思います。

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