第12話 二日目

 時間にうるさいヴァイツがいるので、九時までは畑での作業ができない。

 いつもなら八時半まで寝て、朝食は昨日の残りがあればそれを食べるか、ない時は主任が出勤して作ってくれるのを待つしかなかった。


 パウルは今日は八時に間が覚めると、いつもとは違ってパンの焼けるいい匂いが漂っていた。

 着替えをして一階に下り、匂いの元である台所へ行くと、リーザがこちらに気づいて振り向いた。


「おはようございます、パウルさん」

 屋敷勤めの癖なのか、そんなことしなくてもいいのにお辞儀をする。

「おはよう、リーザ」

 カシャカシャと爪を床に立てる音がして、トマスが足元に来る。パウルは小さな体を抱き上げた。

「おはよう、トマス」

 ふぁーうと欠伸のような声を漏らす。挨拶してくれたのかな、と思うと嬉しくてにんまりしてしまう。


「朝食の用意をしますね。トマス様をお願いしてもいいですか」

 了承して、トマスを抱えて歯を磨きに行った。

 バターの焦げる匂いが洗面所まで漂う。何だか、いい気分だった。


 部屋に戻ると、すでに朝食がテーブルに並べられていた。

 目玉焼きにベーコン、焼きたてのパンに昨日のスープがある。

 今度はリーザの分もちゃんと用意している。

 席に着くとリーザがトマスを受け取り、隣の席に座らせる。


「じゃ食べようか。いただきます」

「いただきます」

 リーザは自分の皿の目玉焼きを小さく刻んでから、トマスのカトラリーを広げる。

 コップに入っているオレンジ色のどろどろしたジュースをスプーンで掬ってトマスに飲ませてから、フォークに目玉焼きを刺して自分で食べる。

「これからは自分でちゃんと食べるようにしますので」

 ちょっと少し寂しい。だが、一緒に食べてくれるならそれでもいいかと思うようにした。


 パウルもコップの中のオレンジ色のジュースを飲む。

 甘さと青くささがあるが、飲みやすい。

「これ、何が入ってるの」

「リンゴをすり下ろしたものです」

 それからリーザは人差し指を口元に当てた。少しだけ人参が入っています、と小さな声で教えてくれた。

 どうやらトマスには聞かせたくない様子だった。


 トマスは人参が苦手なのだろうか。だが、このジュースを飲んでいる彼に嫌がる素振りはない。

 それどころか全部飲み終えた。

 それを見ているリーザがゆっくり微笑む。


「……いいなあ」

 リーザがそのままの顔でパウルを見る。

「お口に合いましたか? じゃ、また作りますね」

 何か勘違いしている。

 でも、飲みやすくて美味しかったのは確かだし、彼女も嬉しそうなので訂正はしなかった。


 パンはまだ温かい。千切ると、中に何か入っている。

「チーズを入れてみました。もう一つの丸い方は何も入ってないので、お好みでバターをつけてください」

 千切ったパンを食べると、パンの熱でチーズがわずかに溶けている。何もつけなくてもそのままで美味しい。


 何もかもが温かい食事だ。

 誰かと一緒に食べて、話して、笑って。

 体の中、胸の奥から温まる。


 いい。

 朝からしみじみ思うパウルだった。



 八時四十五分。

 出窓を開けると、ヴァイツが入ってくる。

「おはようございます、ヴァイツさん」

 ヴァイツは首を回すと、輪郭が歪んで人型になる。

「おはよう、パウル」

 この時期は日が昇るのも早くなるので、少し眠そうだ。


「何か引継ぎ事項はありますか」

 ヴァイツは首を横に振った。

 何もなくて何よりだ。

「暖かくなったせいか、お腹いっぱいだ」

 食糧庫や畑にに害獣が多くなってくる季節だ。ヴァイツにとっては捕食の機会が増える。


 爪音が聞こえてくる。ヴァイツは足元に来たトマスを抱き上げた。

「おはよう、トマス」

 トマスは欠伸のような鳴き声を出した。


「おはようございます、ヴァイツさん」

「おはよう、リーザ」

 お仕事お疲れ様です、とリーザは付け加えてトマスを受け取る。


 ただの挨拶なのに、朝の光の中で微笑む三人(二人と一匹)に、なぜか胸がちりちりとして、パウルはそんなことを思う自分に落ち着かなくなった。

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