第8話 夜間従業員
事務所の建物内を一通り案内されてから、リーザは鞄からエプロンを出した。
まずは掃除だ。
一階の応接の部屋は綺麗だったが、その他はいつ掃除をしたのか考えるのが怖いくらいの酷い様だった。
一番にしなくてはと思ったのが台所。
ここからあんなに美味しいお茶が出てきたのが不思議なくらいの惨状で、夕食作りの前に何としても片付けしなければならない。
腕まくりをして、リーザは気合をいれた。
集中していると時間というものはあっという間に過ぎていく。
リーザが気がついた時には太陽が傾いて黄味を帯びていた。
掃除の傍ら、鍋で作っていたクールブイヨンがいい色になっている。
何とか台所は目処がついたので、夕食作りに取り掛かることにした。
玄関から物音がして、畑仕事を終えたパウルが足を洗って入ってきた。
「うわあ、すごい」
台所が綺麗になっている、とパウルは感激の声を上げた。
彼の小脇にトマスが抱えられている。
「すみません。トマス様、外に出ていましたか?」
ぐっすり寝ていたので、バスケットに入れたままにしておいたのだが、起きて出歩いていたらしい。掃除に夢中になっていて気づかなかった。
「ああ、温室に入ってきた。興味があるみたいだったから色々説明したけど、言葉はわかるのかなあ」
パウルはトマスの顎の下を撫でると、気持ちいいのかトマスは目を閉じた。
少し、仲良くなれたようだ。
「多分、こちらの言うことはわかっていると思います。呼べば来てくださるし、私の言うこときちんと聞いてくださいますので」
トマスは自分が子犬になってしまったことをどこまで理解しているのか。
こちらの言うことはわかっても、言葉を発することができないので尋ねても無駄なのはわかっている。
不自由を感じているのだろうとは思う。それを言うこともできないのだから不憫で仕方ない。
「ありがとうございました。後はこちらで……」
「まだ事務仕事が残ってるから、こっちで見てるよ。料理中でしょ」
そう言ってトマスを抱えたまま台所を後にした。懐かれたのが余程嬉しいのだと思われる。
食糧庫は台所の横にあり、食材は豊富だった。中は暗いが、よく見ると反対側にドアがあり、庭に繋がっている。そこから農家が生産余剰になった物などを、勝手に置いていくらしい。
国王家だけではなく、この領地民にも民間療法でここの薬草を使っているとパウルは教えてくれた。
よく効くと評判はいいらしく、領民は感謝の気持ちを込めて置いていく。
リーザはトマトと小麦粉を手に取って、隅にある小さな氷冷庫から下処理済みの魚を出した。
掃除をしていたから時間がないので、クールブイヨンを使った簡単な煮込みを作ることにした。
台所に戻ると、パウルの声がした。挨拶をしているので、夜間勤務のヴァイツが出勤したのだろうか。
応接の部屋を覗いてみると、そこにはパウルの他に人はいなかった。
テーブルに帳面を広げたパウルがペンを持つ手を止めて、開け放たれた出窓の縁にいるミミズクに話しかけている。
ミミズクは首を回して、リーザを見た。その視線を追ってパウルもリーザが入ってきたことに気づいた。
「リーザ、紹介するよ。こちらは夜勤のヴァイツさんです」
紹介されたのは小麦色の毛に黒と白の毛がまだらにある、どう見てもミミズクだった。まん丸の黒目がちの瞳が愛らしい。
夜間にはうってつけだが、本当にミミズクが従業員なのだろうか。
「は、はじめまして。リーザ・ブラントナーと申します」
紹介されたので取り敢えずお辞儀をすると、ミミズクもこくんと頭を下げた。
言葉は通じているらしい。
毎日引継ぎをするから、そうでなくては困るだろう。いや、でも……とリーザが軽く困惑していると、パウルは苦笑いした。
「ヴァイツさん、そのままだと色々面倒臭いです」
ヴァイツは首をくるくると回し、輪郭がふにゃりと歪む。だが、次の瞬間には、出窓に腰を掛けた男性がいた。
年齢不詳だが、小麦色の髪に黒と白の毛が混じり、愛らしい黒目がちの瞳が印象的な青年だ。
「はじめまして、リーザ。夜勤のヴァイツです」
ヴァイツはミミズクの獣人だった。
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