第3話 山登り

 イシュル山はぶどう園もあるので、山道は整備されているから登りやすい。


 十五分もあればぶどう園に、三十分あれば頂上の薬草園に着く、と水を買った麓の食料品店の店員が教えてくれた。


 ぶどう園の従業員が毎日上り下りしているので山道は整備されて随所に石段があり、途中で休憩するためにベンチも設置されていた。


 リーザはベンチがあると必ずそこで休み、ない時には石の上に座って一息ついていた。


 店員は十五分もあればぶどう園に着くと言っていたが、リーザの足では倍の時間がかかった。


 買った水も底をつき、少し分けてもらえたらとぶどう園の門の前に立った時、こちらに気づいたフリーデルが奥から出てきた。


 薬草園に行きたい旨を伝えると、彼も野菜を届けるので一緒に行くと言ってくれたのは本当に助かった。途中で鞄を持ってもらい、段差のある所では手を引いて助けてもらった。


 フリーデルを大いに煩わせながら頂上の薬草園に着いた時には、息を整えるのに肩が上下するくらい疲労していた。


 門はあるが、鍵は掛かっていなかった。フリーデルは勝手に開けて中へ入っていくので、リーザも後に続いた。


 こじんまりとした赤い屋根の建物があり、引き戸の扉は開いていた。不用心だなと思っていると、フリーデルが大きな声で誰かいないか呼びかけた。


 出てきたのは二十代半ばくらいの背の高い男性だった。


 だが、リーザは思わず玄関に入るのを戸惑った。


 ぼさぼさの黒髪で、こちらの様子が見えるのだろうかと思うくらい前髪が顔の半分を覆っており、作業着はボタンが取れている。そして、裸足だった。


「ああ、パウル。相変わらずのようだね」

 普段からこうなんだ。なら仕方ないとリーザは入っていた肩の力を抜いた。


 アルフレート・フォルベークは不在とのことだったが、戻ってくるようなのでここで待たせてもらうことになった。


 リーザはフリーデルにお礼を言って見送った。


「すみません、ここは土足禁止なんで。靴を脱いで足を洗ってください」


 私もなの? と驚いたが、男は少し詫びて洗う所を用意をしてくれようとした。


 自分でやると申し出ようとしたその時、ずっと狭い所にいたので、バスケットの中のトマスが外に出たがってごそごそ動き出した。


 蓋を開けると、ひょこっと顔を出した。

 トマス様と呼び掛けると、バスケットの縁に前足を乗せてこちらを見る。


 男が息を飲むのが聞こえた。

 もしかしたら、犬が苦手なのだろうか。事務所だというここも土禁にしているくらいだから、彼は潔癖症で、獣なんてもっての外なのだろうか。


「可愛い」

「え?」

 ぼそりと言ったので何と言ったのか聞き取れなかった。


 男は拳をそっとトマスの鼻先に近づけた。


 トマスはふんふんと匂いを嗅いだ後、バスケットの中に引っ込んでしまった。


「ああ、嫌われちゃったかな」

 残念そうに呟く。その様子からすると犬が苦手ではないようだ。リーザは少し胸を撫でおろした。


「人慣れしてないんです。すみません」

 そっかと残念そうにしているところをみると、彼は犬好きらしい。


 洗い場の用意を始めて、ごゆっくりと言って男は奥の方へ行ってしまった。


 リーザは靴を脱いでバスケットからトマスを出し、洗い場に入れた。


 ガーターベルトの留め具を外し、慎重にストッキングを脱ぐ。右足の踵は靴擦れ、左足の小指には水脹れができている。


 トマスの足を先に洗ってから、リーザもたらいに足を浸した。


 靴擦れが滲みる。痛みが引くまで指一本動かせなかった。


 慣れてくると、山登りで酷使した足がじわじわと和らいでいく。薬草の香りが鼻をくすぐり、体の強張りと緊張が解れていくようだった。


 全身このお湯に肩まで浸かりたいという思いを押しやり、たらいから足を出した。


 トマスを抱えて洗い場を後にすると、パウルがタオルを持ってきた。

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