第2話 薬草園

 ヨハネス教会の正午の鐘が聞こえてきた。


 もう昼か、とパウルは掘り起こした土を台車に入れる手を止めて、首から下げている布切れで滴る汗を拭った。


 今日は主任がリシューの卸業者の所に行っているので昼食は一人だ。


 手を洗ってから事務所に戻る。


 引き戸を開けてまずは上り框に座り靴を脱ぐ。広めの玄関には左側にもう一つ扉があり、開けると石でできた足洗い場がある。

 

 パウルが両腕を伸ばすと肘が曲がってしまうほと狭い空間だ。


 壁にある栓を捻ると、隣の山にあるバート・カーラーから引いてある温泉のお湯が蛇口から出る。床にある腰湯にも使えそうなタライに貯めて、洗い場の隅に置いてある小さな洗面器にある液体をコップ一杯分くらい垂らした。


 麻袋に入れた薬草の抽出液で、殺菌と消臭効果がある。

 お湯に入れると、独特の青くささが鼻をつくが、パウルはもうすっかり馴染んでしまった。


 栓を閉めて靴下を脱ぎ、まずは顔にばしゃばしゃとかけて洗ってから、栓と向かい側にある腰掛け用の出っ張りに座り、タライを足で引き寄せから浸す。


 壁にこつんと頭をつけて息を吐くと、腹が鳴った。


 まだ温かいお湯から足を出し、排水口に流してタライを壁に立て掛ける。


 足を拭いて洗い場を出て、簀子の上を歩いて上り框を上り、事務所に入っていった。


 事務所と言っても、応接の部屋にはテーブルと椅子があるだけ。


 人が来た時に応対する場所でもあり、事務作業をする時や、奥に台所があるので、食事場所としても使っている。


 昼食は主任が朝に作り置きしてくれたスープを温め直し、パンと一緒に食べた。午後の作業工程を頭の中で巡らせて、コーヒーを飲んでいるとあっという間に昼休みが過ぎていく。


 食器を洗って手を拭いていると、玄関で呼ぶ声があった。

 今日はいい天気だったから引き戸は開け放っていたので、聞き慣れた声がよく響いた。


「いらっしゃい、フリーデルさん」


 玄関に出ると、下のぶどう園の従業員が来ていた。

 茶色の髪と目の中年の男性は、たまにぶどう園に併設されている農園の野菜や出荷する前のワインを分けてくれたりする。


 今日は籠を背負って、手には鞄を持っている。


「ああ、パウル。相変わらずのようだね」

 上がり框に座って背負っている籠を下ろす。中には人参とマッシュルーム、そして養鶏場から分けてもらったという卵も入っている。


 今朝採ったばかりのものだから、と言って籠から出して渡した。


「いつもありがとうございます」

 主任が帰ってきたら喜びそうだ。パウルは料理はほとんどできず、料理は主任に任せている。


「それと、お客さん連れてきたよ」

 フリーデルは玄関先に声を掛けた。


 現れたのは、十代後半か二十代前半の若い娘だった。小さな鞄を斜め掛けにして、手には大きなバスケットを持っている。

 娘は頭を下げた。


「アルフレートさんは?」

「主任は納品に行ってます」

「そうか。すれ違いだな。彼女、アルフレートさんに会いに来たみたいなんだ」


 でも戻ってくるから、ここで待たせてもらいな、と言ってフリーデルは娘の背中を押して前へ促した。


 フリーデルは山の途中で道を尋ねてきた娘に案内をするついでに、野菜も届けてくれたらしい。用事が済むと、片手を上げて玄関を辞した。


 女性をこのまま立たせておくわけにもいかないので、パウルは脇の洗い場のドアを開けてたらいの用意をした。


「すみません、ここは土足禁止なんで。靴を脱いで足を洗ってください」


 娘は目を剥いている。


 特に女性は足首より上を見られるのは非常識な振る舞いになるので、余程のことがない限り人前で靴を脱ぐことはない。


「あ、用意が終わったら僕は奥に行きますので」


 夜勤の従業員も含めて男所帯だったので、女性の接し方についてほぼ忘れていた。


 娘が何か言いかけたが、その時、バスケットががさごそと音を立てた。


 バスケットを上がり框に置き、蓋を開ける。


「トマス様」

 縁に前足をかけて顔を覗かせたのは、砂色の毛と榛色の瞳の子犬だった。

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