山の上の薬草園

大甘桂箜

第一章 山の上の薬草園

第1話 リーザ

 元々多くはない荷物を鞄に詰め終えるのに時間はそれ程かからなかった。


 同室で同じ皿洗いのハンナとは、部屋を出る前に一度抱き合って別れを惜しんだ。


「元気でね、リーザ」

「ありがとう。あなたもね、ハンナ」


 特別仲が良かったということでもないが、同じ仕事をしていた仲間としてお互いにいい距離をとって付き合っていた。

 それでもこれが最後となると寂しさが募る。


 裏口に出ると、家令とメイド長がいた。

「お疲れ様でした、リーザ・ブラントナー。これは今日までの給金と、わずかですが退職慰労金です」

 家令が懐から大して厚みのない紙袋を出して渡した。


 受け取ったリーザは斜め掛けにしているバッグに紙袋を入れて、留金をしっかりとめる。


「これはお餞別です」

 メイド長が大きめの蓋付きバスケットを寄越してきた。


 受け取ると片手で持てなくはないが、ずっしりと腕に重みが加わる。リーザは左手に持っていた鞄を背嚢のように背負い直し、バスケットを肘に掛けた。


「では、気をつけて」

「今までご苦労様でした、リーザ・ブラントナー」

 家令は大義的に、メイド長は早く出て行くようにと追い立てる。


「色々お世話になりました」

 リーザはぺこりと少し長めに頭を下げて、今まで働かせてもらったお礼を込めた。


 頭を上げると、階上の小さな窓からこちらの様子を伺うエミリアが見えた。


 エルディンク伯爵の愛人で、この度この方の勘気を蒙ってリーザは屋敷を追われることになったのだ。


 彼女がいるのは恐らく、一階から二階に行く階段の踊り場にある窓だ。


 リーザはもう一度頭を下げてから踵を返し、屋敷を後にした。



 それから二日後、リーザは隣の王家直轄地のブラウエンハイムに着いた。


 大陸を横切る山脈の麓のこの領地は、湖とワインの産地として有名だ。

 湖の畔に中心部であるリシューという町がある。石造りの建物と石畳の町で、大きな街道の宿場町でもあり、宿泊所や飲食店なども多い。


 町の中心に小さな教会と噴水がある。リーザは噴水の縁に腰を下ろして、先程買ったサンドイッチを鞄から出した。


「トマス様」

 呼び掛けると、噴水前に集まっていた鳩を追い回すのをやめてこちらに駆け寄ってくる。


 ナプキンの上で、ナイフで小分けにしたサンドイッチを噴水の縁に置いた。

 トマスは嬉しそうに齧り付く。

 それを見てリーザも頬が緩む。


「あ、わんちゃんだ」

 母親に手を引かれた少女が指を指す。


 トマスは食べるのをやめて、リーザの膝の

上に乗る。小さな体をぷるぷる震わせてリーザの手に寄せてくる。


「あら、珍しい毛色ねえ。なんという犬種?」

 砂色と腹から下は白毛の毛並みに榛色の瞳をしている子犬を母親も娘と一緒になって覗き込む。


「よくわからないんです。多分雑種だと思います」

 犬で言ったら血統書つきになるだろうトマスに対して、雑種呼ばわりしてしまった。だが、本当のことは言えないので、リーザは心の中で何度もトマスに詫びを入れ嘘をつくしかなかった。


 娘が体を撫でようと手を伸ばすと、トマスは更に怯えてリーザの腕に擦り寄ってくる。

「ごめんね、ちょっと人見知りなの」

 急に触っちゃだめよ、と母親にも嗜められて娘は眉を下げた。リーザはもう一度ごめんねと謝ると、こちらこそと母親は頭を下げた後、時間がないからと言って娘の手を引いて広場を横切って行った。


 怯えるトマスの体を撫で、少し落ち着いたら食べかけのサンドイッチも一緒にバスケットに移す。


 教会の鐘が正午を告げた。

 町の先に小高い山があり、斜面ではワイン用の葡萄が栽培されている。それよりも上、山の頂上近くにわずかに赤い屋根が見える。


 リーザはバスケットを持ち、立ち上がった。ふらりと体が揺れたが、あと少しだからと気合を入れて広場を後にした。

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