エピローグ

葉色真倫の結末

 その日以降、真倫さんと連絡が取れなくなった。メールには返答なし、メッセージは既読にならず、電話も着信拒否。毎日ミス研の部室に行ったが、いる様子はなし。金曜夜の例会にも出席せず。

 知り合いを頼った。クイズ研の工学部建築学科の会員は2回生しかいないので、彼女のことを知らず。文学部のEくんに彼女の連絡先を聞いても、僕と同じ情報しか知らない。哲学科の執務さんも同じ。将棋部の南瀬銀沙さんにも聞いたが「喧嘩でもしたんですか」と言われる始末。彼女なら住所くらい知っているかと思ったのだが……

 とにかく、どうやっても連絡が取れないのだった。

 しかし僕はどうしてそんなことをしているのだろう。どうして彼女のことが気になるのだろう。僕はミス実の活動には、積極的でなかったはず。

 それなのにこの前は、2週間と感じたのだった。いつの間にか、僕の気持ちは変化していたのだ。彼女の推理を聞くと感心するし、僕の雑多な知識を参考にしてくれるし、僕の希望に応えてクーデレなことを言ってくれたりもするし、その他にちょっとしたいいことも……

 ただ僕は彼女の期待に適切に応えていただろうか。つまり〝志尊華斗を演じきっていただろうか〟。それっぽくしていただけではないか。

 そして月に一度くらいはと、勝手に思い込んで……それが不意に失われることになったから、僕は焦っているのだろう。でも、活動をやめるならそれも相談して欲しかったのに……

 気持ちだけが空回りして、のクイズにすら身が入らない。


 10月になり、後期の講義が始まった。朝晩の気温が下がってすっかり秋らしくなり、キャンパスには活気が戻ってきた。しかし僕の心は晴れない。

 それでもたった一つだけ、真倫さんに会える可能性を見出していた。水曜日の昼休み。つまり哲学の講義の後。

 緑川翠さんが講義に出席して、その後、ミス研の部室へ行くのではないか? 真倫さんと一緒に昼食を摂るために。彼女は前期試験の時に、正体を関戸教授にカミングアウトしたはずだけれど、になっていなければ後期もきっと来るだろう。

 部室の前で待っていると、12時07分に翠さんがやって来た。クリーム色の長袖ニットシャツに、ブラウンのチェックのロングスカート。学生にはとても見えないが、有閑マダムの秋らしい清々しい装い。そして僕の顔を見て「あらあら、まあまあ」と微笑む。

「ご無沙汰さんどしたなあ。華斗くんやったかしらん。あの後いっぺんも来てくれんと」

「はあ、すいません。でも真倫さんと二人きりの方が話が弾むのかと。今日は彼女と約束が……」

「あら、もちろんどす。もうちょいしたら着きますと、さっきメールを……」

 言っていると、廊下に足音。そちらを見ると、真倫さんが!

 ラベンダー色のブラウスにダークブルーのカーディガン、ダークグレイのスラックス。クールな表情は確かに〝真倫さん〟のもの。しかし僕には一瞬視線をくれただけで、翠さんに笑顔で「ご無沙汰しています」。

「ほんまになあ、2ヶ月ぶりやから真倫ちゃんも前より別嬪にならはって」

 京都の人がこういうことを言うのは普通なら嫌味なのだが、今は本当に褒めているのだろうと思う。その後も翠さんは「就職はどないしはるの?」とか「大学院に? 賢い女の子は違わはりますなあ」などといろいろ話しかけてから「ほな、中でお昼いただきましょ」と僕まで誘う。

「久しぶりやさかい張り切ってようけ作って来たんよ。華斗くんは男の子やから足らんかもしらへんけど」

 今はこの強引さが助かる。僕だけ「また後で」となると、真倫さんに逃げられるかもしれないので。真倫さんも、嫌がっている様子はないが……

 入ってテーブルを囲み、真倫さんの隣に当然のように席を占める。そして翠さんが作ってきた弁当をいただく。

 ただ食欲はあまりないし、真倫さんのことが気になるので、機械的に箸を口に運ぶだけになった。どんなおかずがあるかも見えていない。

 しかし翠さんは機嫌よく真倫さんに話しかけ、真倫さんは前と同じ冷静な表情で返事をし、僕は翠さんに話しかけられた時だけぼそっと答える。

 翠さんは楽しそうにおしゃべりしながらも、僕と真倫さんの間の微妙な距離感を感じ取ったのか、12時45分頃に「ほな今日はこれでごめんやす」と言って帰った。僕と真倫さんは戸口まで見送ったが、また部屋の中に戻る。しかし真倫さんの表情は冷たくなった。クールではなく、コールド。さっきと同じ、隣り合わせに座るが、僕と目を合わせずに「ごめんなさい」と呟く。

「ミス実を解散して、あなたとはもう会わない方がいいと思ったの」

〝君〟だったのが〝あなた〟になった。他人行儀。真倫さんではなく麻生雅子さんなのか。

「どうしてそうなるんですか」

「だってあなたを危険な目に遭わせてしまったから……私の存在のせいで」

「危険って……でも、一色監督は慣れてたみたいですし」

「それでも危険なことに変わりないわ。それにこの先、もっと危険な目に遭うかもしれない」

「真倫さんが探偵をするのに付き合っていると?」

 それはもしかして、後期クイーン的問題とかいうやつですか。探偵の存在そのものによって事件が引き起こされるっていう。

「そうよ。だから……だから私は、もうこれからは葉色真倫を演じてはいけないの!」

 泣きたいのを堪えているような表情。探偵でもなく、推理もしない? 本当にそうだろうか。別の名前で、別の探偵になるだけではないのか。そして僕なしで事件を解決しようと……いや、そんなことより。

「でも……さっきは真倫さんでしたよ。翠さんがいる時は」

「だって、あれは……前期の終わりに、約束したから」

「僕との約束は守ってくれないんですか」

「何のこと?」

「僕は他のワトスンと、どう違うんです? 図書館からの帰りに、いずれ話すって言ってくれましたよ。まだ聞いてません」

「それは……演劇部の、合宿の時に……」

「刑事Aですか。でもあれは単独の喩えですよね。他との違いです。真倫さんには以前別のパートナーがいたと想像してるんですけど、その人との違いは何ですか? 教えてください」

 いたことはEくんから聞いたが、それは噂でしかない。本人の口から詳細を聞きたい。

「彼は……名前は伏せるけれど、私と同じ年に入学して、同じ頃にミス研に入った人。私の〝問題作成〟をとても高く評価してくれたわ。そしてアイデアを拾うために学内のいろんな事件を見つけてくるの。もちろん些細な事件。〝日常の謎〟。でも情報を集めるだけ集めて、解決は私に丸投げするし、関係者への配慮が足りなくて、クレームが多かったの。それを指摘すると彼は、探偵は問題を解く〝機械〟だから、気にしなくていいと……」

 小説と現実の区別が付かないタイプだったか。最近のミステリー小説では〝探偵のあり方〟で悩む探偵が登場するのが多いらしいけど、そういうのには興味なかったのかな。

「そのうちに、彼自身も事件に巻き込まれたの。もちろん私に解決を依頼してきたわ。詳しいことは言えないけれど、かなり深刻な事件で、私は解決できなくて、その結果彼は大怪我をして……私のパートナーをやめたの」

 そしてミス研も去った、ということなのだろう。怪我をするほどの深刻な事件というと、ストーカー絡みとかだろうか。あるいは真倫さんも関係しているのか。きっとそうだ。しかしそれを話してもらうのは、彼女につらいことを思い出させることになるので、やめた方がいい。

「じゃあ僕を新しいパートナーにしたのは、その人と同じようにはならないと思ったからですか」

「ええ、それに全く違うタイプで……この前とは、もう少し違う言い方をするわ。ナビゲーターとしてのワトスン。豊富な知識で探偵の推理を補佐し、時には軌道修正をすることもある。クイズの知識って、雑多な事柄を手当たり次第に憶えるだけと思っていたけれど、あなたと話していてそうじゃない気がしてきたから、試してみようと……」

「それでどうして僕が危険な目に遭ったら、探偵でいられなくなるんですか」

「それは……当然でしょう。私の興味のために、他人に迷惑をかけるわけには……」

「すいません、あの時は僕が油断してました。志尊華斗を真面目に演じてなかったんです」

「えっ?」

「知識で補佐するだけじゃなくて、何かあったら真倫さんを守らないといけないし、僕自身の身を守るという認識が足りなかったんです。ホームズシリーズでも、ワトスンがホームズを危険から救った話がありましたよね。あれと同じように」

 そのエピソードでは、ホームズが危険な実験にワトスンを付き合わせてしまい、ワトスンが自分の身も顧みずホームズを救った。ホームズは感謝と謝罪を述べたが、ワトスンは「君を助けることが僕の最大の喜びであり特権だ」と言ったのだった。だから〝志尊華斗〟もそうあるべき。

「……あの時は、私も予感が……」

 しばらくしてから真倫さんは消え入りそうな声で言った。

「予感って、事件の? 演劇部が、何か仕掛けてくると……」

「ええ、だから……あなたと一緒に行って、夜も……いるつもりで……」

「え、じゃあ、同じ部屋っていいって言ってたのは、そのため……?」

「!」

 真倫さんは両手で顔を覆い隠してしまった。めっちゃ恥ずかしがってる! そりゃ(恋人でもない)異性と同じ部屋で構わないなんて、よほどの覚悟でないと言えない。

 しかし彼女は、〝パートナー〟である〝志尊華斗〟は探偵に手を出さないと信じていたのではないか。草食系と侮っていたのではないだろうけど、とにかくそれほどの気持ちでいたというのに、僕は……

「とにかく、すいませんでした! これからは改めますから、もう一度、葉色真倫になってくれませんか? お願いします!」

 僕は立ち上がって、頭を下げた。腰を直角に曲げて。これでも足りないなら土下座するつもりだった。そうまでしてどうして〝葉色真倫〟を求めたのか、僕自身にもはっきりとはわからない。けれどせっかくうまく行きかけていた〝パートナー〟の関係がなくなるのが、我慢できなかったのだ。

「頭を、上げて……そんなこと、しなくていいわ」

 真倫さんの言葉に顔を上げる。彼女はもう顔を隠していなかった。ただ泣きそうになっていたというのだけはわかる。目尻に小さな光の粒が……

「座って、私の話を聞いて。私も、葉色真倫というキャラクターは、とても気に入っているの。あなたから〝クーデレ〟という性格付けを聞いて、最初はどうすればいいかわからなかったけれど、試行錯誤しているうちに、とても〝演じやすい〟のがわかってきたわ。私は元々、自分の感情を表現するのがとても苦手で、だからいろんなキャラクターを演じてみたんだけれど、どれもしっくりこないと思っていて……」

 やっぱり〝奥手な麻生雅子さん〟が地だったのか。そしてボクっ、ハードボイルド、お嬢様、女王様などを試していたと。

「でもクーデレは、感情を表さずにいられるところがいいの。そしてパートナーだけに感謝の気持ちを表す。周りの人も、不思議なほど自然に受け止めてくれたから、とても快適で……」

 真倫さんは傍らに置いていたバッグからハンカチを出して、目尻を拭った。本当なら僕がハンカチを貸してあげるべきだったのではないか。これからは高級な物を用意しておこう。

 それから彼女は居住まいを正して僕の方に向き直った。もちろん僕も椅子の上で背筋を伸ばす。正面から見る彼女の表情が、さっきまでよりも格段にクールに……

「あなたも本当に、もう一度〝志尊華斗〟を演じてくれるの? 〝葉色真倫〟のために……」

「はい、もちろん……」

「今は?」

「志尊華斗です」

「じゃあ……『本当は私も君に会いたかった』と言ったら……」

 ぐさっ!

「う、嬉しいです」

 それ、実は志尊華斗だけじゃなく、本体にもめっちゃ刺さります。

「……『私がこんな気持ちになるのも君のせい』とか……」

 ぐさっ! ぐさっ!

「めっちゃ嬉しいです」

「……『今日は君に会えるかもしれないと思って来たの』とか……」

 ぐさっ! ぐさっ! ぐさっ!

「嬉しいです。めっちゃ刺さります。もっと真倫さんの言葉が聞きたいです。それが僕の特権で……」

 それに、尊い二の腕をもっと見せて欲しいんです!

 しかしそれはあまりにも贅沢な願望だろう。あれは真倫さんが〝ちょっとした感謝の気持ち〟として見せてくれるからいいのだ。レアなご褒美でなければならない。

「でも……依頼がないと、葉色真倫になれないわ」

 またそんなポーズを。でもそれも〝葉色真倫〟のキャラの一端か。だとしたら喜ばしい兆候。

「なら、僕が見つけてくればいいですか?」

「それはダメよ。さっき言ったでしょう、失敗例として。だから依頼は自然に入ってくるものに限定すると決めて……」

 と、ここでドアにノック。誰? ミス研の活動は金曜の夜で、水曜の昼に来るはずがない。ということは?

 真倫さんと顔を見合わせ、素早く察して、僕がドアを開けに行く。

「はい?」

 目の前には女子二人。服装から見て1回生ではないな。2回生以上だろう。

「あの、ここミステリ研ですよね?」と一人の女子。

「そうですよ。入会希望ですか?」と型どおり確認。

「いえ、そうじゃなくて……私たち、美術部なんです。ボックスの別の建物に部室があって」

 それから二人でもじもじ。どっちが言い出すか困ってる? 決めてから来いよ。

「あの、事件を解決するって、下の掲示板にあったんですけど」と結局さっきの女子。

「ああ、はい。そうですよ」

「あなたが探偵?」

「いえ、あちらに」

 一歩引いて、二人に中を見せる。何を驚いてんの? 僕も振り返る。真倫さんは背筋をピンと伸ばして立っていて、手をお腹の前で組み、泣き顔なんてどこへやら、クールな表情で……

「ようこそミス研実践部へ。私が探偵の葉色真倫です。どんな問題でお悩みしょうか?」

 めっちゃかっこいい。女子二人は驚いてたんじゃなくて見とれてたのか。僕だってあの立ち姿は自慢したくなるほどだ。

 ともあれ、〝葉色真倫〟めでたくここに復活! これからもクーデレよろしくお願いします!

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僕らのキャンパスにミステリーを! 葛西京介 @kasa-kyo

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