砂漠に消えたガラス玉

sousou

第1話

 アルフアナの憂うつを晴らすことができた者には、褒美として彼女との結婚を認めよう。砂漠の人びとの間では、彼女の父がそのように宣言したと、噂されていた。


 アルフアナはオアシス群の一帯のなかでも、いちばん広いオアシスに暮らす族長の娘で、荒涼とした砂地に咲く、一輪の花だった。その輝かしい瞳は星をいっぱい集めた夜空のようで、小麦色の肌に白い歯を見せて笑う様子は太陽のようで、黄色の花をさした豊かな髪の広がりは雲のようだった。アルフアナはよく、白の亜麻衣を膝までたくしあげ、泉に入って遊んでいた。友達である鮮やかな色をした極楽鳥と、水をかけあい、声を立てて笑っているのだった。


 そんな元気いっぱいだったアルフアナが、ここ数カ月間、人びとの前に姿を見せないで、館に籠りきりになっていた。原因は、いつも彼女が首から下げていた、大きな一粒のガラス玉をなくしてしまったことにあった。そのガラス玉は、彼女の肌色によく映える、金と白が入り混じった模様をしていた。


「ただのガラス玉だったらこんなに悲しまないわ」


 とアルフアナは父に言った。


「あれは亡くなったお母さんが身につけていた、大切なガラス玉だもの」 


 父は、ぽろぽろと涙をこぼす娘をかわいそうに思った。そこで、砂漠を行きかう商人たちに、それらしきガラス玉が落ちているのを見つけたら、自分の元へ届けてくれるように頼みこんだ。とくに、大都市バビロンへ向かう商人たちには欠かさず毎回、頼むようにした。というのも、アルフアナがそのガラス玉をなくしたのは、一年に一回、親子で出かける、バビロンへの旅路の帰り道だったからだ。


 ところが、広大な砂漠でたった一粒のガラス玉を見つけることは、砂漠で井戸を見つけることよりも難しかった。ガラス玉が見つからないまま、一カ月が過ぎ、二カ月が過ぎた。アルフアナの心は沈んだままで、彼女は一日じゅう窓辺に腰かけ、外を見ることもなく見ながら、ぼうっとしていた。友達の極楽鳥が遊ぼうよ、とつついても、おかまいなしだった。そこで父は、娘を心配するあまり、アルフアナの憂うつを晴らすことができた者には、褒美として彼女との結婚を認めよう、と人びとに宣言したのだった。


 以前から、アルフアナを妻に迎えたいと思っている男は多かった。彼女の美しさは、オアシス群を越えてバビロンにまで伝わっていた。そのため、アルフアナの父の宣言を耳にしたバビロンの富豪たちは、こぞって彼女に贈り物をした。ある者は、碧い宝玉がはめ込まれた金の腕輪を贈った。ある者は、金糸の刺繍がほどこされた、絹の日除けのストールを贈った。ある者は、孔雀の羽根でできた扇子を贈った。ある者は、獅子の彫刻が施された弦楽器を贈った。しかしアルフアナは、館に届く数々の贈り物には目もくれず、鬱々として窓辺に腰かけたままだった。


 やがて、バビロンの富豪たちも、どんなに豪華な贈り物に対しても、アルフアナが関心を示さないことを理解した。そこで彼らは、召使たちに命じて、バビロンからアルフアナのオアシスまでの道すがら、彼女が求めるガラス玉が落ちていないか、隈なく探すように命じた。そのようなわけで、来る日も来る日も、砂漠は砂を掘り返す人びとで溢れかえり、事情を知らない、通りすがりの隊商たちを驚かせた。


 さて、アルフアナに想いを寄せる人のなかに、ニムロという名の、商人の下働きをしている少年がいた。アルフアナと歳が近いニムロは、昔から彼女のよき遊び相手で、友達だった。アルフアナは、ニムロが仕えている隊商がオアシスに立ち寄ると、必ず彼を出迎えた。二人はいつも、葉でつくった船を泉に浮かべたり、色とりどりのサボテンの実を拾い集めたり、砂の城をつくったり、樹にのぼったりして遊んでいた。


 アルフアナが大切なガラス玉をなくしたことを、ニムロは噂ではなく、彼女の口から直接聞いて知っていた。悲しみに暮れる彼女の様子を見て、彼はなんとしてでも、ガラス玉を見つけだしてあげよう、と思った。さいわい、ニムロはアルフアナと遊ぶたびに、彼女の首元で輝くガラス玉を目にしていた。だから、もしそれらしきものを見つけたら、一目でそれと分かるはずだった。


 アルフアナがガラス玉をなくしてから、半年が経った。ニムロはこの半年、隊商が休憩するたびに、ガラス玉が落ちていないか、近くの砂地を見てまわるのが習慣になっていた。その様子を眺めていた仲間が、ある日、気まずそうに近づいてきた。


「ニムロ。これはバビロンで小耳にはさんだ話なんだが」


「うん」


「バビロンの王さまが、アルフアナのガラス玉を見つけたらしい」


 ニムロは目を丸くした。バビロンの富豪たちがアルフアナとの婚姻目当てに、ガラス玉を探していることは知っていた。しかし、王さまが探していることは初耳だった。しかも、王さまはすでに結婚していて、王妃さまがいた。


「それって……」


「しーっ!」


 仲間の青年が、声を落とすように合図した。それから、こっそり付け加えた。


「王さまは、アルフアナの噂を聞いて、彼女を妾か何かにしたかったんだよ。でも、その考えが王妃さまにバレたらしい。それで、怒った王妃さまが、王さまが見つけた――厳密には召使が見つけたんだが――ガラス玉を粉々に割ってしまったそうなんだ」


「そんな……」


 様々な想いが交錯し、ニムロは言葉を失った。まず、王さまがガラス玉をアルフアナに贈り、求婚するような事態にならなくてよかった、と思った。一方で、アルフアナの唯一無二のガラス玉が、彼らの勝手な都合により、永遠に失われてしまったことに憤りを覚えた。そして最後に思ったのは、アルフアナを再び元気づけるにはどうしたらよいだろう、ということだった。仲間の青年は、ニムロの想いを察したように、肩に手を乗せ、ゆるゆると首を横に振るのみだった。


 それからひと月が経ち、ニムロの隊商がアルフアナのオアシスに立ち寄る日がやってきた。そのころにはもはや、ガラス玉を探すために、砂を掘り返す人は、砂漠に一人もいなくなっていた。人びとはみな、王さまがガラス玉を見つけ、王妃さまがそれを壊したという噂を知っていたからだ。バビロンの富豪たちは、ガラス玉がないことには、アルフアナに求婚するのは不可能だと思い、彼女に関心を示さなくなった。彼女に対して、そんなに悲しみに暮れていたいのなら、勝手に暮れていればいいのだ、と思うようになっていた。


 ニムロがアルフアナの館に行ってみると、以前会ったときと同じように、元気なく窓辺に腰かける彼女がいた。それでも、ニムロの姿を認めると、彼女は立ちあがり、努力して微笑んでみせた。ニムロは彼女に駆け寄った。


「アルフアナ。ぼく、きみのガラス玉を見つけたんだ」


「え? でも、この前うちに寄った商人の話だと……」


「本当に見つけたんだ。今夜、ぼくが合図したら外に出てきてくれる? ガラス玉をきっと見せるから」


 アルフアナは頷いた。


 ニムロがその夜、彼女を連れ出したのは、オアシスの外に広がる砂漠だった。彼は脇に、隊商の人たちが洗面器として使っている、大きな水盤を抱えていた。開けた場所に出ると、その水盤を、地面と平行になるように、砂を掘りながら固定して置いた。それから、革袋に溜めた水を、水盤にたっぷり注ぎこんだ。アルフアナはその様子を、期待半分、不安半分の面持ちで眺めていた。


 ニムロが水盤に張られた水を凝視しながら、アルフアナを手招きをした。


「この角度から水盤をのぞいてみて」


 アルフアナはそっとニムロの隣に移動した。腰を落として、彼の視線に合わせた。次の瞬間、アルフアナは歓喜して、ニムロに飛びついた。水面に映っていたのは、巨大な、黄金の、まんまるの、満月だった! それは彼女がなくしたガラス玉にそっくりだった!


 ひとしきり笑ったあとに、アルフアナは言った。


「ニムロ。わたし、間違っていた。ガラス玉がなくなっても、お母さんとの思い出はなくならない。お母さんとの思い出はいつでも胸に閉まってあって、好きなときに取り出せるの」


 アルフアナの顔には、もはや憂いはなく、ニムロが昔から知っている、底抜けに明るい笑みが浮かんでいた。


 それから二年後、オアシス群の一帯のなかの、いちばん広いオアシスで、族長の娘アルフアナと、隊商の青年ニムロの結婚式が執り行われた。アルフアナの憂うつを晴らすことができたニムロなら、きっとこれからも、彼女が困ったときに支えになってくれることだろう。

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