鴉と懐中時計
黒潮旗魚
鴉と懐中時計
ある町の森の中に、時計屋を営むおじいさんがいた。森の中とは言え、おじいさんの精巧な時計作りの腕と優しい人柄で、多くの人がその店に足を運んだ。作る時計も様々で、壁掛け時計や腕時計、さらに誰にも作れないようなカラクリ時計の製作もしていた。中でもおじいさんは懐中時計を作るのが好きで、時計屋の中にも数多く並べられていた。おじいさんの懐中時計は中のカラクリ以外、いえば蓋や秒針の1本に至るまでおじいさんの手作りだ。そのあまりの美しい造形や秒針の音から、おじいさんの懐中時計を一目見た者は催眠術にかかったかのようにその時計を眺め続けるという。
さて、この森にはカラスが多く住んでおり、毎朝7時頃になると5羽のカラスが時計屋を尋ねて来るのが日課になっていた。この5羽のカラスは時計屋の近くの木で産まれた兄弟だ。ある秋の日に時計屋の前にある柿の木を食べあさっているの所をおじいさんに見られ、優しいおじいさんはその日から毎朝カラス達に食べ物与えるようになった。カラス達も最初こそ警戒してたものの、1週間もする時にはおじいさんによく懐いていた。
この5羽のカラスの中に1羽、とても賢いカラスがいた。そのカラスは5羽の中で一番小さく、臆病なやつでおじいさんはこのカラスをビリーと呼んでいた。普通、カラスは食事が終わるとすぐに飛んでいってしまうが、ビリーだけは違った。ビリーはおじいさんが行う洗濯干しや薪集めを見て覚え、食事の後におじいさんの手伝いをしてくれるのだ。そのためおじいさんもビリーを息子のように可愛がっていた。
ある日、おじいさんが掃除をしていると、棚の奥から自分が小さい頃使っていた懐中時計を見つけた。ホコリを被っていて動きもしない。しかし思い出の品のため捨てるのはもったいなかった。そこでおじいさんは、この懐中時計を修理しビリーにプレゼントすることにした。特に理由などなかったが、あの賢いビリーが時計をどう使うのか少々気になった。時計の修理自体は1時間ほどで終了したが、このまま渡すのも面白くないため懐中時計の裏側にカラスの絵とビリーの文字を削って渡すことにした。
次の日の朝7時15分頃、5羽のカラスが飛んできていつも通りおじいさんから食事を貰いにやってきた。そして10分程で平らげると、4羽のカラスは飛んでいき、ビリーだけがおじいさんを虚ろな目で見つめていた。
「ちょっと待っててくれ。」
おじいさんは机から懐中時計を持ってきて、ビリーの首にかけてあげた。ビリーは首を傾げ懐中時計をコツコツとくちばしでつついていた。おじいさんは懐中時計に手をかけると上のボタンを押して文字盤を見えるようにした。それを見たビリーは、器用に首から懐中時計を外すと同じようにボタンを押して文字盤をじっと見つめた。
「ビリーはやはり賢いな。これは懐中時計と言ってな、人が、時間を知るために使うものだよ。この長い針が1つずつ動くごとに1時間進むんだ。」
おじいさんは時計の簡単な仕組みを説明したあと、飛ぶのに支障が出ないよ首掛けのチェーンを調節してあげた。その後、あまり期待していなかったが、おじいさんは少しビリーを試すためにひとつ実験をすることにした。
「明日の朝、この短い針が6を指す時にここにおいで。そしたら、他の兄弟よりも多いご飯をあげよう。」
おじいさんはゆっくりと丁寧に説明した。文字盤の数字や針の場所を何度も叩いて、カラスのビリーでも分かるように。ビリーも最初こそキョトンとしていたが、説明を聞くうちにくちばしで文字盤の数字を数えるような動きを見せた。これは面白い結果が出そうだ、おじいさんはそんな気がしてならなかった。
次の日の朝、5:30に目覚ましが鳴り、おじいさんは大きな欠伸をして起き上がった。コーヒーを入れ優雅な朝を楽しんでいると、いつの間にか時計の針は55分を指していた。
「そろそろか。ビリーは来てくれるかな。」
おじいさんは片手にリンゴを持ってドアを開けた。外にあるベンチに腰をかけ、まだ青に染まりきっていない薄暗い空を見上げる。おじいさんがぼーっとしている間も腕に付けた時計はカチカチと秒針を進めた。
そしてちょうど6時になった時だった。どこからか甲高いカラスの声が聞こえてきた。カラスが動き出すには少し早いため、その声は森中に響き渡った。おじいさんはハッとして当たりを見渡すと、目の前の木の上にビリーの姿を見つけた。首元にはあの懐中時計が下がっており、その蓋は空いている。おじいさんと目が会った瞬間にビリーは大きく羽を広げおじいさんの目の前に舞い降りた。
「おぉ、ビリー!お前は本当に賢いな!」
おじいさんは感心し、ビリーにリンゴを渡した。ビリーは自慢げにおじいさんの顔を見つめ、美味しそうに真っ赤なリンゴをつついた。
その後、7:20頃に他の兄弟達も時計屋にやってきて、おじいさんから食べ物をもらった。
ビリーはリンゴを食べたせいか、この時はあまりに食べられなかった。
それからも、兄弟のうちビリーだけは6時きっかりにやってくるようになった。来る度に懐中時計の蓋は空いていて、文字盤の6の数字の上だけ、何度もくちばしで突っつかれたようなあとがついている。そこでおじいさんは、もう一度ビリーを試すことにした。
「ビリー、お前は本当に賢いカラスだ。だけどその知恵を独り占めしてしまうと、いつかバチが当たる。そこで、お前の兄弟たちに時計の見方を教えてあげたらどうだい?そうすれば楽しい食事の時間が長引くんじゃないかな?」
おじいさんは文字盤と兄弟たちを交互に何度も指を指して、自分の意思をビリーに伝えた。ビリーもそれを読み取ってか、何度も頷くような素振りを見せた。
次の日、おじいさんはいつも通りベンチに座ってビリーが来るのを待った。あと1分で6時になる。秒針の音がやたら遅く聞こえた。そして12の数字と長針が重なったときだ。時計屋の近くから2羽のカラスの声が聞こえた。鳴き声でわかる、1羽はビリーの声、もう1羽は兄弟の声だった。ビリーと兄弟が目の前に来た時、おじいさんは頭を抱えた。
「ビリー、お前はなんて賢いカラスなんだ!私はお前を誇りに思うよ。」
おじいさんはいつも通りビリーと兄弟にそれぞれりんごをあげた。
しかしさらに驚いたのは次の日からだった。なんと次の日の朝には3羽のカラス、さらに次の日には4羽、最終的には兄弟全員がきっかり6時に顔を見せるようになったのだ。これにはおじいさんも声が出なかった。
このことをきっかけにおじいさんはさらに詳しい時計の見方を教えることにした。1時間は60分、1分は60秒、一日の長さを教えるために一日中ビリーを肩に乗せて生活をしたこともあった。おじいさんから教わるごとにビリーはどこか楽しそうに話を聞いていた。普通のカラスならこんなことはしない、いや、できないと言った方が正しいだろう。しかしビリーは懐中時計をもらって半年経つ頃には時計の使い方を理解しているようだった。それを証拠に、おじいさんが料理をしていて時間を測る時、あらかじめその時間をビリーに伝えるとその時間ピッタリに甲高い声をあげてくれるのだ。あまりにもカラスとは思えない行動だったが、おじいさんはそれが面白くてお客さんが来る度にビリーの話を自慢げに話した。しかしどのお客さんもそんなことを信じるはずもなく、作り話だと思い聞き流していた。それはおじいさんの友達のお医者さんも同じだった。
この森の近くにある街で医者をやっている男は、おじいさんの時計をかなり気に入っていた。この病院はお世辞にも大きいとはいえなかったが腕は本物で、風邪やかすり傷はもちろん、また整体にも知識があり、その病院を多くの人が愛用していた。しかし、多くの人が来るぶん待合室もとても混み合い、暇になった子供たちが怒り出すことがしばしばあった。男はどうしたものかと考えた結果、待合室にからくり時計を置くことにした。そこで時計制作を頼んだのがおじいさんの時計屋だった。男の頼みをおじいさんは快く受け入れ、早速、制作を始めた。子供が楽しめて、暇を感じさせない時計を目指しおじいさんは試行錯誤を重ねた。依頼から2ヶ月、出来上がった時計を見て男は目を丸くして驚いた。時計は鳥の巣箱をイメージしており、時間ごとに違う鳥たちがそれぞれの綺麗な声で童謡を歌ってくれるというものだった。例えば昼の12時にはインコがお弁当箱の歌を、3時にはスズメがお菓子の歌を歌ってくれるというなんとも面白いものだった。
「すごい!あなたの腕は本物ですね!」
「いやいや、子供たちの為だ。いくらだってやってやるさ。あと、これも何かの縁だ。私も年寄りなもので、体のあちこちにガタが来ている。少し見て貰えないかね?」
男は二つ返事で了承し、軽いマッサージと疲れを取る方法を教えてあげた。その日からおじいさんは度々病院を訪れるようになった。それも決まって夕方6時のカラスが夕焼け小焼けを歌う時間に。男はなぜこの時間に来るのかとおじいさんに聞くと、おじいさんは笑って答えた。
「この時間に曲を奏でるあのカラスの歌が好きでね、この時間に行こうと思うんだ。ちなみにあのカラスは前に話したビリーがモデルだよ。その証拠に、ほら、喉元を見てみ。」
男が木で作られたカラスを見ると、喉のところに小さな懐中時計を下げていることがわかった。
「カラスが懐中時計を下げていますね。」
「あぁ、あいつはいつも私の時計を下げてくれているんだ。あいつに会えるのはだいたい午前中だけだから、ここに来ると夕方にもビリーにあえて嬉しいよ。」
そう言っておじいさんはニコニコしながら言った。あまりに楽しそう話すので、男も1度そのビリーに会いたいと思った。しかしそんなことも次の日には忘れており、頭の中でさっき聞いたニワトリの声が響き渡っていた。
それから月日は流れ、ある冬の日のことだった。お客さんも少なくなる夕方頃、男はいつものようにおじいさんが来るのを待っていた。しかしカラスの歌が聞こえてもおじいさんは病院に姿を見せない。今日は来るのをやめたのかと思い、店じまいの準備を始めた。すると、木の扉をコツコツと叩く音が聞こえた。男が扉を開けると、首に懐中時計を下げた1羽のカラスと目が合った。男はハッとした。
「もしかして、君がおじいさんの言っていたビリーかい?」
男が問いかけるとカラスは勢いよく声を上げ始めた。カァーカァーと、その慌てようは、まるで何かを知らせるかのように思えた。
「まさかおじいさんに何かあったのかい。」
そう聞くと、カラスはより大きく声を上げた。男は急いで準備をし時計屋まで走った。
そして、勢いよく扉を開ける。そこには真っ青な顔をして倒れているおじいさんを見つけた。男はすぐに救命処置を始め、電話を手に取り救急車を呼んだ。大きな病院に運ばれ、何とか一命を取りとめたが、医者から長くないと告げられてしまった。入院するかと聞かれたが、おじいさんは先が短いなら病院にいても仕方ないと思い、1日1回病院に来ることを条件に家に帰してもらうことにした。
家に帰るとベンチの上でビリーが待っていた。おじいさんはビリーの横に座ると大きくため息をついた。
「ビリー…、待っていてくれたのか。ありがとうな。お前のおかげで死なずに済んだよ。だけどな、私も先が短いらしい。この時計屋も店じまいの時が来たようだ。」
落ち込むおじいさんを見てビリーは懐中時計の蓋を開け首を傾げた。
「そうだな。なんのことか分からないよな。ん〜、こう言えばわかるかな。お前たちは飛ぶことができるだろう。普通、人は空を飛べない。だけどね、人も人生に一度だけ空を飛ぶことができるんだ。それもお前たちが飛べることの出来る空よりもっと高いところにね。しかし1度飛ぶとそこから帰れなくなってしまう。つまりお別れだ。」
ビリーは話を理解したのか、静かに懐中時計の蓋を閉めた。そして、暗闇の中に飛び立った。
その後、何日かビリー達兄弟はおじいさんの前に姿を出さなくなった。意味を理解し辛くなったのかと考え、寂しかったがおじいさんもこれでよかったと考えることにした。しかし、やはりどこか寂しく、最後にお別れを言いたいと思っていた。
倒れてから1週間が過ぎた頃、いよいよ死が近いことを悟りおじいさんは病院に入ることになった。とはいえすることはなく、お見舞いに来てくれる人たちと話したり、外を眺めているだけだった。
そんな日が続いたある朝だった。朝の6時頃、時計屋の頃の癖で目が覚めてしまい、目の前にある天井を見つめていた。するとコツコツと窓を小さく叩く音が聞こえてきた。なんだろうと思い見てみると、そこにはビリー達兄弟が並んでいた。おじいさんは窓を開け涙を流した。
「どうしたお前たち…。あまりにも姿を見せないから、寂しかったよ…。」
おじいさんが小さな涙を拭うと、ビリーは濃いオレンジ色に染まった柿の実をおじいさんの横に置いた。続けて兄弟達もリンゴやオレンジなど、色々な果物をおじいさんに手渡した。
「もしかして…、これを集めるために私のところに来なかったのかい?」
おじいさんが聞くとビリーは小さく頷いた。おじいさんは溢れる涙を拭うと笑顔でビリーに触れた。
「ありがとうな。最後にお前たちの姿が見れて、本当に良かった。私に残された時間は少ない。これが最後になるだろう。お前たちは特別なカラスだ。なんたって時間を知っている。そして時間に限りがあることも知っているはずだ。私が言えるのはあと一つだけ。お前たちがこれからこの限られた時間をどう使うか、それをこれからしっかりと考えなさい。どこかで恋人を作るもよし、美味しそうな食べ物を探すもよし、そうすれば私が居なくても楽しく生きられるはずだ。頑張って生きるんだよ。」
そういうと兄弟達は小さく頷いた。そしておじいさんはビリーに手を伸ばした。
「ビリー、お前には心の底から感謝している。お前が時間を知らなかったら、このプレゼントも出来なかっただろう。お前は私の自慢だよ。私が居なくなっても、兄弟達と仲良くするんだよ。」
おじいさんが言うとビリーの目から小さな雫が流れ、悲しげな声が静かな病室に響いた。そして5羽のカラスは朝日に向かって飛び立った。その後ろ姿をおじいさんはいつまでも静かに眺めていた。
その日の午後6時、おじいさんはベットの上で静かに眠りについた。あの男の病院では何かを知らせるように、カラスが歌い始めた。
その後、おじいさんのお墓は時計屋の前に立つ柿の木の下に立てられた。街の人はおじいさんのことを思い、時計屋を壊さずに残しておくことにした。ある日、街の人が時計屋を掃除しにやってきた。しかし不思議なことに、中にはホコリひとつ無く、お墓も綺麗に掃除され、前には小枝1本落ちていなかったという。その代わりに、赤く染った柿の実と黒いカラスの羽がひとつ置いてあった。
鴉と懐中時計 黒潮旗魚 @kurosiokajiki
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