第5話『アンドロイド計画』
『国民ノ理想社会、幸福な世界ヲ実現するアンドロイド計画ニ心ヨリの感謝ヲ。アンドロイド計画ハ崇高な社会改革デす。我々ノ生活ニ豊かナ幸福ヲ与えル、完璧デ永遠ナル……』
何処からかスピーカーの音声が聴こえていた。アンドロイド計画の素晴らしさを布教する洗脳めいた電子音声が何度も繰り返されている。
人は進みゆく少子高齢化社会に対応するため、政府が発令したアンドロイド計画に参加を余儀なくされた。
アンドロイド計画とは人間の肉体をすべて機械に取り替え、脳が保有する記憶さえもデータ化させ、バックアップ機能を搭載したマイクロチップを頭に埋め込むことだ。
これにより不死の体と永遠の若さ、そして色褪せることのない記憶を手にした人類は自ら子孫を残す必要がなくなった。何百年も自分だけの世代を続けることができる。時代の変革も娯楽の進化も、永遠に楽しむことが可能となった。まさに夢のような政策だ。
「よお、また同じものか?」
ある日のこと、食堂で配給食を食べていたシリウスの真向かいに同僚のトニーが座った。保安局に勤めているシリウスと同じ課に属しているライバルであり相棒の男だ。彼もアルミトレーに似たような配給食を乗せていた。
「ああ、なんていうのかな。何百年も生きると食事も飽きてくるんだ。どれだけ美味しい料理もさ、感動が薄れていくっていうのかな。味気なく感じるんだよ」
シリウスは憂鬱そうに言った。
「なるほど、だから健康に配慮したレーションや不味いオートミールばかりなのか」
「お前だってそうじゃないか」
「いちばん安いからな。念願のマイホームを買ったばかりだ。家のローンのことも考えておかないといけねぇんだ」
そういえばトニーは最近、家を買ったことを自慢していた。
「なぁ、ところでよ。例の宗教団体のこと知っているか?」
「宗教団体デストルドー。生きるのに疲れた奴らを集めて集団自殺させるっていうトチ狂った組織のことだろ」
「詳しいな。調べたのか?」
「バカ言え、俺たちの次の仕事だろ。その宗教団体の幹部と創始者を捕まえろって上からのお達しだ」
「なんだよ、そんなこと聞いてねぇぞ」
シリウスはトニーの手前に資料の束を投げ出した。そこには宗教団体デストルドーに関する内容が事細かに記されていた。幹部と創始者のモンタージュとプロフィールも揃っている。
「さっき正式に決まったことだ。お前にも知らせておけとな。俺達はこの団体の調査を開始する。メシ食い終わったら早速いくぞ」
トニーはやれやれといった風に片眉を上げた。
昼の休憩を終えたシリウスとトニーは調査を開始し繁華街に来ていた。デストルドーの幹部の目撃情報を掴んだからだ。宗教勧誘を行っていたところを取り押さえ、局まで連行した二人は取調室にてデストルドーについて尋問を行った。
「デストルドーとはいったい何だ? なぜ集団自殺を信徒らにさせる?」
「我々は長く生き過ぎた。ただ、それだけだ」
暗い取調室には拘束されたデストルドー幹部が椅子に座らされていて、それを取り囲むようにシリウスとトニーが立っている。
「答えになっていない。もっと詳しく話せ」
「いまの社会は『死ぬ権利』を人から奪った。無理やり長く生きさせて死なせようとしない。デストルドーとは名の通り死への憧れを意味する。我々は生きるのに疲れた人々を苦しみから救ってやっているのだ」
「死が救いだと!? ふざけるのも大概にしろ! いまの社会に何の不満がある!?」
シリウスは激昂した。この男の言い分に納得できなかったからだ。
「あるさ、少なくとも我々には。何百年、何千年も無理やり生かされ続ける。どれだけ素晴らしいものも陳腐に感じ、楽しかった出来事も退屈になる。いくら娯楽が発展したとしても今の社会は人の心を救うことができない。ただ同じことを繰り返す日々に、いつしか心は疲れて腐っていくだけだ」
シリウスはふと食堂での出来事を思い返す。彼は食事に喜びを感じなくなり、日々の出来事に対して退屈していた。
「いいや、そんなことはない! 愛する家族や友人と共に同じ時間を永遠に過ごせることは幸福なことだ!」
「違うね。当たり前だと感じるからこそ有難味がないんだ。永遠というものはあってはならない。人には死がある。だからこそ人を大事に想い、共にいる時間を大切にする。かけがえないものとしてな。いつか失うとわかっているからこそ、だ」
シリウスが苦し紛れに反論しても幹部の男は冷静にそれを否定し、彼を諭すように自身の価値観について語った。シリウスは自然と手が伸び、幹部の男の襟首を掴んでいた。だが言葉が出てこない。男はシリウスの横暴に対して驚くこともなく、ただ静かに彼の眼を見つめていた。
「おい、シリウスやめろ。そんなに迫っても仕方がないだろ」
傍らで見守っていたトニーが仲裁に入る。掴んでいた手を離させ、幹部の男から距離を取らせた。
「聞くところによるとシリウス、君は家族と離れひとりで生活してるようだな。それはなぜだ?」
不意に男が訊いた。なぜかシリウスの身の上のことを知っている風である。
「それは……」
「大切に思わなくなったからだろう? 時間は永遠にあるからいつでもやり直せる。そう思い込んでいるから仲を改善しようとしない。そうして気持ちが心から離れて行って、いつしか何も求めようとしなくなったんだ。君は仕事が最大の生きがいだと誤魔化して生きている」
「なんだと……」
「デストルドーを解体させたところで意味はないさ。いつしか我々と同じ思想を持つ者が現れ、人々に死を提供するだろう。デストルドーは永遠にあり続ける」
幹部の男は口許に僅かな微笑を浮かべた。シリウスに同情を寄せているかのように。
取り調べを終えた二人は今回の事件にあたって開設した対策室に戻り、資料の整理と報告書の作成に勤しんでいた。トニーは報告書を、シリウスはデストルドーが起こした過去の事件についての資料を纏めていた。
「なあ、シリウス……俺、あの男が言っていたことが気になって仕方ないんだ」
PCを叩く手を止めトニーが不意に呟いた。
「まさか奴の思想に感化されたなんて言うんじゃないだろうな?」
「感化なんて、まさか……考えてみれば俺らはいつまで生き続けなくちゃいけないんだろうな、って思っただけだよ」
「…………それで?」
「たまに思うんだ、休みたいって。体は疲れ知らずだが、心は何か埃みたいのがたまっていくばかりでさ、積もりつもった塊に胸が圧迫されるような感覚があるんだ」
「……トニー、お前には家族がいるだろう。俺のように仲違いして離婚した奴とは違う。充分な幸せがあるじゃないか」
シリウスはそう励ました。相棒の世迷言には参ったものだ。
それから翌日――、保安局に出勤したシリウスは相棒のトニーが失踪したことを知ることになった。勤務開始時間を過ぎてもトニーは姿を見せない。アンドロイドの体は決まったルーチンを行えるよう体内時計が組み込まれている。遅刻など有り得ないはずだ。
「トニーがいなくなった?」
「ああ、昨晩からな。」
他部署の人間に問い合わせたところ、トニーは昨晩のうちに行方不明となっていたようだった。聞くところによると仕事が終わった後、シリウスと別れた彼は秘密裏にデストルドー幹部と面会し、話をしていたらしい。
「どういうことだ。あいつ、まさか………」
有力な手掛かりを掴んで捜査に奔走したとは考えられない。トニーはデストルドーの仲間に拉致された恐れがある。あの幹部の男が何かしらの方法で仲間に連絡し、トニーを襲ったのかもしれない。
「相棒がいなくなった。貴様、何か吹き込んだじゃないだろうな!」
面会室に幹部の男を呼び出したシリウスが早々に訊いた。
「彼は団体に行ったよ。直々に場所を聞きに来たから教えただけさ。我々は求めるものは拒まず、だ」
「どういう意味だ……」
シリウスが訊くと幹部の男は傍にいる監視員に紙とボールペンを要求し、何か地図のような絵を描くとシリウスに渡すようアクリル板の隙間から紙を滑らせた。
「知りたければ君も行けばいい。場所を記載した」
幹部の男が柔和な笑みを浮かべた。それから彼は監視員に連れ去られ、面会室を出て行った。シリウスも面会室を出ると幹部の男から貰った地図を頼りに車を走らせ、目的の場所まで向かった。
宗教団体の秘密の集会所へと着いたシリウスはアンドロイドに効果があるテーザー銃を携帯し中へと入った。広い集会所では一人の初老男性が信徒席に座っていた。こいつは資料にもあった創始者の男に違いなかった。
「………君がシリウスだね。会いたかったよ。昨晩、君の相棒もここに来たよ」
シリウスが来たのを気配で察したのか唐突に声を出した。
「トニーを何処にやった!? 貴様ら、さては俺達がこの団体の調査をしたのを知って消しにかかったのか!? 答えろ! 返答次第ではタダじゃ済まさんぞ!」
シリウスはテーザー銃を構えた。
「誤解しないでいただきたい。私達は何もしていないさ。彼は自ら望んで此処に来たんだ」
「なんだと……?」
「彼はこの社会に生きづらさを感じていた。だから導いた。それだけだ」
創始者の男が語るに、トニーは以前から死に対する憧れを抱いていたらしい。デストルドーのことも前から知っていたらしく興味を持っていた。トニーはもう何百年も生きて疲れたらしい。
「この団体は苦痛なく人を死なせ、マイクロチップも無事に破棄させることを信徒らに約束させている。完全なる死を提供するためにね。君の相棒はもうこの世にはいないよ」
創始者の男は穏やかな口調でそう言った。あの幹部の男といい、この団体はなぜ仏のような顔をしている? まるで天国に導く使いにでもなったつもりか?
「人殺しが……貴様らのやっていることは悪だ。人を死なせて神にでもなったつもりか?」
「私は人の望みを叶えただけだ」
「ふざけるな!」
シリウスはテーザー銃を撃った。創始者の男は糸が切れたように床に倒れ意識を失う。
「俺は、そんなもの認めない……」
シリウスはひとり呟いた。
それから保安局は宗教団体デストルドーの幹部全員と創始者を逮捕した。デストルドーが死なせた人々の数はおよそ数百名にのぼる。あの団体はアンドロイド計画に、つまり政府に楯突く反逆組織として重い罪を課されることとなった。そしてシリウスは今回の件で保安局に多大な貢献を捧げたことにより表彰され、暫くの間、局内で人気者となった。
「…………」
ある日、シリウスは局の食堂でいつも通りの安くて味気ない配給食を食べていた。共に食べる相手がいなくなって少し寂しく思う。そう言えば、上の通達があったのを思い出す。シリウスに新しく仕事を共にする相棒を用意するとのことだ。
「よお、また同じものか?」
シリウスが座るテーブルにトニーがやってきた。シリウスが食べているものと同じ配給食がアルミトレーに乗せられている。シリウスはスプーンを取り落とした。
「え……なぜ、お前がここに……」
「おい、どうしたんだよそんな顔してよ」
「どうしてだ……」
「何だよ。幽霊でもみたようなリアクションだな」
トニーが陽気に笑う。シリウスは呆然とした表情を浮かべていた。そのまま彼は席を立つと、トニーを置き去りにしてフラフラと外に出た。
「どういうことだ……トニーはマイクロチップも破棄されたはずだ。完全に死んだはず……それに記憶も」
呟きながらシリウスが歩いていると誰かと肩がぶつかってしまった。
「おっと、すまない。大丈夫かね?」
白髭を蓄えた老人が倒れたシリウスに手を差し伸べる。シリウスはその手を掴んで立ち上がった。
「どうやら気が動転してるようだね。何かあったのかな?」
シリウスは名も知らぬ老人にすべてを話した。宗教団体の捜査のことと相棒トニーのことを。トニーは死んだはずなのに何もなかったかのように自分の前に現れたと。
すべてを聞き終えた老人は白髭を撫で摩りながら喉を唸らせた。
「君の相棒が復活したのは当然さ。政府はアンドロイド個人すべての記憶を管理して保有しているんだ。もちろん、機械の体のバックアップもね。おそろく君の相棒は捜査を始める前までの記憶しか持っていないんだろう。デストルドーに関する都合の悪い記憶を処分したんだろうね」
「そんな……それではトニーは」
「死ねなかったというわけだよ」
淡々と老人が語る。
「私はアンドロイドの開発に関わる仕事をしていたからよくわかる。政府は定期的に記憶のリセットを行いたいんだ。そうした『死にたがり』が生まれるたび、
シリウスは驚愕する。デストルドーも政府が意図して創立させたというのか……。
「君もたぶん、何百年何千年どころかもっと長い時間を生きてるはずだよ。記憶もリセットしたこともあるだろう。そのたびに家族の組み合わせも変えて新しい人生を再スタートさせている。そうしてこの社会は継続させてきた」
それでは我々はただ生かされているだけではないか。記憶が一定周期でリセットされているなど……悪夢のような話ではないか。だったら俺は本当は何処で生まれて、誰と最初に結婚したのだ?
この記憶の持ち主は俺のものなのか? シリウスという名前は俺のもので合っているのか?
「そんな……バカな話があっていいはずが、ない」
シリウスは呟いて、次第に意識が途切れてしまった。
シリウスの背後に黒服の男が立っていてテーザー銃を撃ち込んでいたのだ。
「博士、この者も……」
黒服の男は白髭の老人を博士と呼んだ。
「ああ、そうじゃな……この男もそろそろリセットが必要になる。結婚した相手側も時期が近いことじゃし、ちょうど良い機会じゃろ」
博士と呼ばれた老人は黒服の男を見上げた。そのものは保安局で拘束されているはずのデストルドー幹部の男だった。
『国民ノ理想社会、幸福な世界ヲ実現するアンドロイド計画ニ心ヨリの感謝ヲ。アンドロイド計画ハ崇高な社会改革デす。我々ノ生活ニ豊かナ幸福ヲ与えル、完璧デ永遠ナル……』
何処か遠くからスピーカーの音が聴こえていた。まるで洗脳めいた電子音声がいつまでも鳴り響いている……。
【アンドロイド計画・完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます