第2話『少女の視線』
世界はウイルスに汚染され、人々は生ける屍となってしまった。
荒廃した街で、僕は食料と住処を探して各地、放浪の旅を続けている。荒々しい大地を丁寧なハンドル捌きで進む僕の自動車。
時々、見かける動きの鈍い人間はウイルスの感染者だ。奴らは非感染者を狙う血肉に飢えたケモノ、苦しそうな呻き声をあげながら彷徨っている。
「とにかく食料をみつけないとね」
僕は珍しい抗体持ちの人間だった。空気感染で人々は体に変異を起こす。だけど僕はウイルスに汚染されないで今日までを生き延びている。
窓の外を見遣ると、また感染者がうろうろと行き場なく歩き廻っていた。
生きてる人はいない。
バケモノばっかり。
「ここも生きてる人がいなさそうだ」
僕は残念そうに呟いた。
もう何ヶ月も人と話をしていない。こんな世界だから孤独はとても辛いものだ。誰か生存者はいないものか……。
そんなことを思っていた時だ。
「ん、あれは……」
僕は大きなショッピングストアを見つけた。手頃な場所に自動車を止めた僕は座席から非常用品を詰めたリュックと護身用のバットを手に外に出た。
感染者がどこに潜んでいるかわからない。辺りを警戒しながら僕はストアの入口に向かった。
何か食べ物があればいいんだけどなー。
そんな期待を抱きながら僕はストアの中を物色し始める。
「うわっ、酷い有様だ」
ストアはゴチャゴチャしていた。医療機関から漏れ出たウイルスが完全に広まる以前は多くの人々が暴徒と化してしまった。言わばその名残だ。
国外に急いで逃げる者。自暴自棄になり犯罪に走る者。諦めて国内に留まる者。それぞれの種類の人がいたものだ。
逃亡のチケットが買えず、国外に逃げきれなかった人々は食料を求めて漁って生き延びようとしていた。
その人々の荒れようがストアに見て取れる。
残っていた果物などはすべて腐り、食料はほとんど空だった。どこでも同じようなものだが微かに残っているものはある。
「これなら食べれるかな」
僕は辛うじて残っていた少しの缶詰と開きかけのスナック菓子、ミネラルウォーターをリュックに詰め込んだ。この量なら一週間は保つだろう。この近辺のストアを漁ればもっと手に入る可能性があるから期待しよう。
少しの期待でも持たないと生きてはいけないのだから。
「よし、次は住処だ」
僕はストアを出て自動車へと向かった。
感染者の眼を避けて僕は自動車に駆け乗り、ストアで見つけた地図を見ながら近場のホテルに行くことにする。
辿り着いたホテルは人が過ごすにはうってつけの環境だった。僕はフロントでマスターキーを拝借し、適当な部屋を借りることにした。このホテル、まだウイルスに侵されていなかった非感染者が滞在していた形跡がある。
部屋の荒れ具合、人間の餓死死体が眠る部屋があったり、自殺後の遺体もあった。死体なら見慣れているから平気だ。もちろん同棲もね。僕は色々と見て回り生存者がいるかどうか、探してみたが、やはり無人。
「ここもだめかぁ……」
期待するだけがっかりだ。
それでも住処は得れた。ここは水道やガスは出ないが、ベットが備わっている。それに感染者も入れないように扉が頑丈にできているのでまずは一安心ってところだ。
「しばらくここにいようかな」
僕はリュックを下ろしてベットに座った。ベッドは薄汚いがこの冬の寒さを凌ぐためには我慢しないといけない。こんな状況なのだから流石に文句を言い出したらキリがないよね。
魚のまずい缶詰を食べ、少量の水を口に含ませると、僕は夜がやってくるまでラジオのチャンネルを回し続けた。どこかで救助活動をしている非感染者たちのグループが信号を発信しているかもしれないからだ。
これも微かな期待だよ。
何年間も継続して行っているが未だに電波はキャッチできずにいる。だけど、僕の希望はこれだけだ。いつかは信号を得ることができると信じている。僕のように抗体を持つ人間がいてもおかしくはないのだから。
物悲しいノイズを聴きながら僕はいつしか眠りについた。
――翌朝。
僕は寝心地の悪いボロボロのベットから起き上がる。
今日もまた無意味な一日を送るのだろうか。いいや、そういうわけにはいかない。悲観的になるな。希望を持つんだ。
「頼むぞ」
僕はラジオをつける。電池はいらない。付属のハンドルを回せば電力を供給できる仕組みになっているから。またしてもラジオからひどいノイズ音が響いている。
だけど。
「……あれ?」
ラジオから微かに人の声が聞こえる。
僕はダイヤルを少しずつ調節していった。
『――ザ、ザ……こちら救助隊……――ガガ……信号を――た者は――――通りの……基地まで――』
「……!」
なんということだ!
電波をキャッチしたぞ!
これは素晴らしいぞ!
確かな肉声だ。僕の他にも生存者がいて、それに救助隊が活動している。しかし肝心な場所の知らせがノイズ音で遮られて聴こえないではないか。なに通りのどこ基地だ?
「そうか。電波が悪いんだ」
そう思った僕はベランダに出た。外なら電波を受信しやすいはずだ。
ラジオの音声は鮮明になっていく。しっかりと聞き取りやすいほどに。僕はすぐに基地の場所を紙にしっかりと書き留めて胸のポケットに仕舞った。
「やった! やったぞ! これなら助かる! 僕の他の人たちにも会えるんだ!」
僕は小躍りせんばかりに喜んだ。
さっそく準備をしなければならない。充分な食料を確保して、地図でルートを確認する必要がある。
「……ん?」
僕が部屋に戻ろうとした時、不思議な感覚を覚えた。
――視線、視線を感じる……。
僕は振り返り、景色を眺めた。地上は感染者たちが彷徨うだけ。奴らの視線ではない。もっと別の、本物の……。
「あ……」
僕は気付いた。
向こう側のオフィスの窓に少女がいる。
「女の子だ……」
その子は僕の方をじっと見つめて離さない。痩せていて顔も青褪めている。たぶん充分に食べれていないのだろう。だけど感染者とは違う生気が見て取れる。少し微笑んでいるようにも見えるし。あの子は間違いなく非感染者の人間だ。
「僕を見てるのかな?」
もしかしたら僕に助けを求めているのかもしれない。ここに来たのは偶然だ。そしてこの出会いも偶然ではあるものの、幸運である。先程のラジオで僕は基地の場所を聴いた。
ならば僕はあの子も連れてそこに向かうべきだ。
ひとりでも生きている者がいるならば救うべきなのだから。
「よし、なら善は急げだ」
僕は人恋しくてたまらなかった。いますぐ彼女に会いたい。会ってたくさんの話がしたい。
僕はリュックを背負い、バットを手にすると早速向かいのオフィスへと向かうことにした。
やはりホテルの出口にて感染者が待ち受けていたが僕はバットで殴り飛ばして進んだ。感染者を倒すのは日常茶飯事。僕はもう何も感じなくなっている。
感染者は動きがトロいから簡単には捕まらない。狭い場所で大勢に詰め寄られたら逃げれないかもしれないけどね。
「ここのオフィス、感染者はいないかな」
オフィスに到達。僕は懐中電灯を灯して階段をゆっくり音を立てないように登っていく。
地上からみて五階くらいの部屋に彼女はいる。僕は五階に辿り着くと、部屋の場所を思い出しながら探索して回った。
「薄暗くて気味が笑い……あの子、こんな場所で過ごしていたのか」
僕はやがて彼女がいた部屋の前に立つ。
期待を胸に僕はワクワクしていた。
「ようやくだ。ようやく人に会えるぞ」
久し振りに人と会える、そう思うだけで高鳴る胸。今日の日まで生きてこれたことに感謝だ。
僕は部屋を開けた。
そして絶望した。
天井から吊り下げられたロープに女の子の首が回されている。
「あ、ああ……!」
顔が青褪める。
これは、首吊り死体だ。
「うそ、嘘だ……そんなぁ……」
思えば、僕がいたホテルにも首吊り死体はあった。この世界に絶望し自ら命を絶った非感染者。
孤独と恐怖に錯乱したものの一人が彼女だ。
彼女は笑顔だった。
この世界にサヨナラできるから。
僕が感じていたのは首吊り死体の視線。僕が見ていたのは死体の女の子。
オフィスの開け放たれた窓から覗くものはただの屍だったのだ。
「う、うわぁあ、ああーー……」
声にならない掠れた悲鳴を洩らしながら僕は後ずさる。
こつん、と何かに足が当たる。
「ひ……っ」
それは死体だ。非感染者の死体。食い散らかされた死体がそこにある。
僕は逃げ出したくても恐怖のあまり動けなかった。それに期待してものが裏切られ絶望もしている。
その時、部屋から「グルル……」と唸る声が聞こえた。
「へ……?」
僕は恐るおそる顔を上げて部屋一帯を見回した。
ボロ切れのような服を纏い亡者の如く歩き回る者たち。飢えた獣の眼光。そう、そこには何体ものの感染者がいた。
そして、そいつらは僕を見ていた。
「ひっ、く、来るな! 来るなぁー!」
無茶苦茶にバットを振り回す。ガツンと音がして倒れる感染者。でも不死身の肉体を持つ彼らはすぐに起き上がり僕を襲う。
扉も閉められている。
大勢の感染者に囲まれた今、僕は逃げ切るのが不可能だと悟る。
そんな中、少しだけ思考がクリアになり、あることを思う。
なぜ、首吊り死体が新しいのか。あの死体が何を意味するのか。もしかすると感染者にはまだ……人間としてのちの、うが……。
そこで僕の意識は途切れる。
そして二度と目覚めることはなかった。
——数日後。
私はこの街を訪れた。
私は珍しい抗体持ちの女で非感染者の仲間を求めて旅を続けている。
旅に疲れた私は手頃なホテルに泊まり、過ごすことにした。ベッドは最悪だけど我慢ガマンだね。こんな御時世だから。
「ん、なにこれラジオかしら」
私は部屋に置かれたラジオを見つけた。古いものだけどハンドル式で充電できるヤツね。便利だわ。ちょっと付けてみよ。
『――ザ、ザ……こちら救助隊……――ガガ……信号を――た者は――――通りの……基地まで――』
私はラジオを消した。
そして壁に向けて放り投げる。
「なによ、このラジオ放送は。どうせ録音なんでしょうね。だって、あそこには何にもないもの」
この前も同じ放送を聞いて行ってみたのけど誰もいないし、ダメだったもん。こんな放送垂れ流すなんて電気のムダよ。
「それにしてもこの部屋、前まで誰かいたのかしら?」
空っぽの缶詰がある。これは魚の缶詰めね。とってもマズイやつだわ。
私も他にも非感染者は間違いなくいるわ。でも、ぜんせん会えなくてツライ。たまには人と話がしたいのにできないし、寂しさ紛らわすための独り言も増えたと自分でも思う。
無理に明るく振舞ってね。
そうじゃないとやっていけないもの。
「もう陰気くさいなぁ」
部屋がムッとする。私は部屋を換気するためにベランダの窓を開けた。
「って、あれ……?」
向かいのオフィス。その五階ほどの場所にある部屋に人がいた。若い男の子。少し顔が青ざめてるけど何も食べれてないのかも。でも非感染者に違いはなさそう。
「男の子かしら。とにかくやったわ!」
私は確信すると小躍りさんばかりに喜んだ。
久々に人と話ができるかも。
こうしちゃいられない。
さっそく準備しなきゃね。
【少女の視線・完】
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