地下牢について

鍵崎佐吉

真実

 なぜ我々はここにいるのか。そんなことを考えても仕方がない。それはここに限らずあらゆる場所において同じであると言える。我々はこの場所でどうすべきなのか、それこそが唯一にして至上の命題だ。理由によってではなく行動によってこそ道は示されるべきである。そしてそのためにはこの場所について知る必要がある。知識という財産は他者と共有しても減ることはない。私は喜んでこれを分け与えよう。


 まずは前提としてこの場所の構造について。


 簡単に言えば巻貝を逆さにしたような形をしている。厳密に言えばそうではないのだが、視覚的な比喩を用いるのならこれ以上のものを思いつくのはちょっと難しい。緩い螺旋を描きながら少しずつ地面を抉るように下へと潜っていく。そしてその外壁と内壁にそれぞれ牢が掘られている。数は全部で365。そのうち囚人がいるのは212。ただこの数はあくまで暫定的なものに過ぎない。指折り数えて最下層まで行ったところで決して正確な数はわからないだろう。

 今、最下層という表現を使ったがこれもあくまで便宜的なものだ。下に行くにつれて螺旋は縮まり空間は圧縮され階層の概念は曖昧になる。主観的な見方をすればそもそもここはただの下り坂の通路であり、感覚的な人間であればさっき通った場所が今は自分の頭上にあるなどという論理的帰結を否定したがることだろう。ただし前述したとおり厳密に言えばそういった見解も間違いというわけではない。完全な真実を知ることができる者はこの場所の全貌を地中から見ることができる者だけであり、残念ながらそういった存在に私は未だ遭遇したことはない。

 ではこの場所の一番下には何があるのかといえば、そこにはただ暗闇が広がっているだけだ。道幅が狭すぎるためそこから先は踏み入ることができず最奥に何があるのか、もしくは何もないのか、その答えもまた常人は知り得ない。ただ音の反響などから意外にかなりの広さの空間が存在していることがうかがえる。そのため現在はゴミ捨て場として利用されている。


 では次にここにいる囚人について。


 212の囚人の内、現時点で生存が確認されているのは63名。ここにいる以上は囚人であることには違いないが、だからと言って必ずしもその全てが罪人というわけではない。むしろ地下牢というのは本質的には罪なき者を捕らえておくための場所である。囚人にはそれぞれ自分の牢に対応した番号が与えられている。彼らがそれを自分の存在を指し示すものだと信じている限り彼らはまだ生き延びることができるだろう。逆に言えば死にたくなった時は自分の本来の名を叫べばいいのである。その瞬間に彼らは囚人である権利を失い暗闇の中に放り出される。そして迫りくる恐怖と本能的欲求に耐えかねてついには自分の番号を叫ぶ。そして彼らは再び囚人となり、牢の中へと戻っていく。こういった仕組みのせいで囚人の数は常に変動し続けている。

 これは一見すると一つの円環、つまり無限ループのように思えるが実際は違う。前提を思い出してほしい。この場所は輪になっているのではなく螺旋を描いているのである。同じ軌跡を描きながらも彼らは下へ下へと誘われ続けている。そして主観的な立場からすれば彼らは道に沿って進んでいるだけであり、自分が同じことを繰り返しているなどというのは到底信じ難いことなのである。ただ強靭な理性と論理的思考力を持つ限られた幾人かの囚人だけがこの客観的事実に気づき、自らの在り様を見つめ直して暗闇の中でアイデンティティを追い求めている。そういった者たちをここでは狂人と呼んでいる。


 そしてその狂人たちについて。


 彼らは実に個性豊かで想像力に満ち溢れている。中には囚人という枠を脱することに成功した者さえいる。しかしそれは解放を意味するわけではない。ただ別のレールに乗り換えただけであり、この場所に隷属する立場であることは変わらない。それでも彼らは自らの選択が最善であると信じているし、そうであるがゆえに自らが異端であることを誇りに思っている。


 おそらく最初に出会うことになるのは「掃除婦」だろう。


 黒髪の若い女性で、もしかしたら君は彼女に好感を抱くかもしれない。しかし彼女の関心は床や壁の隙間に詰まったしつこい汚れに独占されているので、君の想いが届くことはない。

 彼女は裕福な生まれでずっと清潔な環境で育ってきたので、暗闇の中に確かに存在する無数の汚れに耐えられなかった。多くの囚人は自分の存在意義だとかこの場所の正当性だとか愚にもつかないことばかり考えて時間を浪費しているが、彼女にはそんな余裕はなかった。とにかく自分に纏わりつく不快さをどうにかしたい、そのことばかり考えてやがて汚れを憎悪するようになった。彼女は自分の牢を徹底的に磨き上げ、牢の外に広がるまだ見ぬ汚れさえも根絶するために自分の名を叫んだ。彼女はこの場所の在り様を看破したのではなく、初めからそんなものには興味がなかったのである。

 やがて強すぎる汚れへの憎しみはこの場所への愛着へと変わっていった。それはむしろ憐みに近い感情だったかもしれない。それ以来彼女は牢の外を自由に歩き回り手当たり次第に掃除をしている。特に危険な存在ではないが、もし君が意図的に床や壁を汚しているのを彼女に見られたのなら命の保証はできない。どういう理屈かはわからないが、彼女にとって血の汚れはそこまで忌避すべきものではないようなので。


 次に遭遇する可能性が高いのは「毒見人」だ。


 奇妙な話に思えるかもしれないが、彼はここでは一番必要とされている人間だ。残念ながら彼は小太りの中年男でしかないが、この際彼の容姿は関係ない。一部の囚人たちにとっては彼の仕事はほとんど欠かせないものになっているからだ。

 囚人として牢の中にいる限り何もしなくても飢えるようなことはない。日に三度、実に質素ではあるが安全で健康的な食事が提供される。しかしそれもまたあくまで暫定的な見解に過ぎない。それが安全かどうかは口にしてみるまで誰にもわからないのだ。一万回試して大丈夫だったからといって一万一回目が大丈夫であることの証明にはならない。囚人の中でも特に罪の意識の強い者は、獄中での毒殺というありふれた陰謀の影に常に怯えながら冷えたスープをすすっている。

 そこで毒見人の出番というわけだ。彼自身はそんな陰鬱な被害妄想にさして興味があるわけではない。彼はこの虚無に落ちていくような絶望の螺旋から抜け出すためにただ欲望の力に頼ることにしたのだ。そしてほとんど唯一の選択として食欲に頼らざるを得なかった。性欲は消え去ってしまったわけではないが、下手にあたりを汚すと掃除婦に殺されかねないという事情がある。


 君の言いたいことはわかる。掃除婦は十分危険ではないか、前言を撤回しろ、と言いたいのだろう。繰り返しになるが彼女は特に危険な存在ではない。あくまで比較の問題ではあるが。


 話を戻そう。毒見人は何も特殊な技能を持っていない。ただ人の牢を覗いて、その食事を一口いただいて、しばらくすると去っていく。それだけの存在だ。しかし彼が立ち去っていった後、囚人たちは初めて一万一回目のイレギュラーという悪夢から解放される。彼らは疑り深い狐から堕落した豚になり一心不乱に餌を貪って安心して眠りにつく。

 ただ毒見人は時折、口元まで運んだスプーンをそっと戻して無言のまま立ち去ってしまうことがある。ほとんどの囚人はそれがただの勿体ぶった演出だと勘づいてはいるが、だからといってその食事に口をつけようとはしないし、掃除婦のせいで床にぶちまけるわけにもいかない。牢の奥から何やら腐臭のようなものが漂ってくることがあるが、大抵の場合は毒見人が食べなかった食事が部屋の隅でカビを育んでいるだけのことだ。


 そうだな。では今度は最も遭遇する確率が低いであろう狂人について。彼は「彫刻家」を自称している。


 彫刻家は先述した二人と違って牢の中にずっと引きこもっている。彼は牢の外の暗闇に耐えられるほどの勇気、もしくは鈍感さを持ち合わせていなかったのだ。それでも彼は自由に憧れ、そして瞑想の末に自由とは空間の拡大であるという結論に至った。そして彼は自分の世界を拡大するために食器を使って牢の壁を削り始めた。

 幸いにもこのあたりの地質的に牢の壁はそこまで頑強なものではない。彼は一心不乱に壁を掘り続け、やがて数メートルほどの細い通路を穿つことに成功した。しかしそこが限界だった。そこから先にはどうやっても光が届かず先の見えない暗闇が広がっていたからだ。彼は繊細な男で、やはり暗闇には耐えられなかった。

 しかし彫刻家は諦めなかった。彼は再び瞑想し、やがて空間とは物理的な広がりではないという悟りを開いた。彼は同じような通路を新たに二つ掘り、その壁に自らの内に広がる宇宙を刻み始めた。そうすることでこの空間が三次元的な広がりを超越して無限に拡大するのだと彼は信じたのだ。そして牢の壁という壁が埋め尽くされると、今度は床に深い穴を掘りそこからさらに通路を掘ってその壁に自らの理想とする世界を刻み続けた。

 一見すると彼の牢には誰もいないようにしか思えず大半の者は素通りしてしまうだろう。しかし立ち止まって耳を澄ましてみると、何か硬い物がぶつかり合うような音が聞こえてくるはずだ。とはいえ牢の外からでは彼の施した彫刻を目視することはできないし、彼に呼びかけたところで答えてはくれないだろう。ただ掃除婦だけが時折彼の牢を訪れ、忌々しそうに床に散らばった砂や石を片付けている。


 ちなみに我々はここを地下牢だと思っているが実を言えばその根拠はそこまで確固たるものではない。この場所の構造からして地下へ掘り進めていくというのが一番合理的な建造の仕方であるから、そうである以上ここは地下牢に違いないという半ば信仰にも近い感覚に支配されているだけのことである。巨大な塔をくりぬくように、あるいはピラミッドを逆さに積み上げるようにしてこの場所を作り出すことも不可能ではない。

 かつてここには「占い師」と「建築家」がいてこの場所に対する見解をめぐって激しく対立していたのだが、ある時口論の末に逆上した建築家が占い師に殴りかかり、それも顎でも殴りつければいいものを勢い余って鳩尾みぞおちにも一発くれてやったため、占い師はたまらず吐瀉物を床にぶちまけてしまった。当然掃除婦は怒り狂いその二人を始末してしまったため、それ以来この場所が地下牢であるか否か論ずることは囚人たちの間ではタブーになっている。


 さて、次は誰の話をしようか。

 なに?

 ああ、君も物好きだな。まあいいだろう。では、ここで最も危険な存在について。それは囚人ではなく「看守」と呼ばれている。


 囚人が看守を恐れるのは道理だ。しかしそれが本当に看守なのかどうかはわからない。これもまた暫定的なものの見方であるが、牢獄にいるのは囚人と看守だけなので囚人ではない彼らは消去法的に看守にしかなり得ないのだ。彼らは常に暗闇の中にいて、確かに我々の言葉を理解しているが決して言葉を話すことはない。彼らにはいくつかの厳格な習性があり、囚人として賢く安全に生きたいのならそれを熟知しておく必要がある。ここまで話を聞いてくれた礼として特別に教えてあげよう。

 まず、彼らは牢の外にいる時はその姿を見ることができない。囚人だけがその存在を認知することができるのだ。そして自分の名を叫んだ囚人を彼らは牢の外に引きずり出す。また自分の番号を叫んだ臆病者を牢に放り込む。これが彼らの主たる仕事だ。

 そして時折彼らは囚人のいる牢の前に居座って何日か囚人を監視することがある。看守の前では絶対に眠ってはいけない。悪いが理由は言わないよ。知らない方がいいし、知ったところで対処は不可能だ。とにかく、眠ってはいけない。いいね?

 とはいえ彼らがいつ立ち去ってくれるかはわからない。もし君が睡魔に耐えられず限界を迎えたのなら自分の名を叫ぶことだ。そうすることで君は一時的に囚人でなくなりひとまず通路の床の上で眠ることができる。その場合はまた別の脅威があるのだが、まあそれはひとまず置いておこう。ああ、当然だが涎なんかを床に垂らさないように。汚れに厳しい彼女が飛んできてしまうから。

 もう一つの方法としては、看守に囚人の歯を差し出すこと。そうすれば看守は受け取った歯をポケットに突っ込んでどこかへ行ってくれるだろう。それは自分のものでもいいし何らかの手段で他人から手に入れたものでもいい。欠けていない白い歯、そして奥の方の歯になるほど価値が高くなる。囚人たちの間ではこれを通貨のように使うこともできる。もし君が誰かの死体を見つけたのならそれは儲けものだ。まあ大抵の場合は既に歯を抜かれてしまっているがね。

 ただし看守が複数人で群れているときは気を付けた方がいい。彼らは彼らにしかわからない方法でお互いにコミュニケーションを取り、そしてそういう時の彼らは酷く横暴で残虐だ。囚人たちは部屋の隅で震えながらただ彼らが通り過ぎてくれるのを待つことしかできない。もし目を付けられてしまったらお終いだ。看守避けのまじないなどと称して怪しげながらくたを売りつけてくる輩もいるが、そんなものと貴重な歯を交換してはいけない。脅威から逃れたいのなら暗闇に適応し君も狂人となって牢を捨てることだ。それ以外に方法はない。


 ん、なにかね。ああ、やはり掃除婦が気になるか。確かに彼女は幾人も囚人を殺めているが、それは彼ら自身の怠慢によって命を落としたのだ。それに実際に会ってみれば君もわかるはずだ。俗な言い方で少し気が引けるが、彼女は我々にとっては唯一の癒しなのだ。いずれそのくらいのことは許せるようになる。


 言いたいことはだいたいこんなところだ。全てを伝えられたわけではないが、まあ差し当たっては特に不都合はないだろう。牢の外にいるのならあまり同じ場所には留まらない方がいい。なに、理由はいずれわかるさ。それでは私もそろそろ行くとしよう。


 おや、まだなにかあるのか。

 ああ、私としたことが。こいつは失敬。


 私は「案内人」だ。「道化師」と呼ぶ者もいるがね。

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