第25話
襲撃してきた異民族らが撤退して、アルが我が家へ戻ってきてから三日が経過した。
二日前には死者の火葬が行われ、再び砦へ集まった者達とで悲しみを分かち合った。
改めてレイナとも話す機会を得られたアルだが、終始抱えている赤ん坊の世話に話題を持っていかれて、詳しいことは話せていない。ただ、同じ不具を抱える者として、ある種戦友のように感じていたレイナに先んじた罪悪感のようなものは、今の溌剌とした彼女を見る内にすっかり薄れてしまった。
乳母を雇うなり、誰かに任せようと砦主でありレイナの祖父であるガーラルドは説得しようとしていたが、まるで聞き入れる気の無さそうな様子に頭を抱えていた。
元より異民族の襲撃で親を失い、生きる術を失った子どもらを積極的に保護してきたとしても、だ。
父が死に、新たな子が望めない今、レイナは婿を迎えなければならない。
ただでさえ婚約者を見付けるのが難しい身で、赤ん坊の噂までくっ付けば更に話が遠のいてしまう。
とはいえ家の問題にまで首を突っ込むつもりはない為、アルは本当に楽しそうなレイナに協力する方針だ。
そして、壁への道中でアルを援護してくれたライナだが、なんとあの後で敵将の一人を討ち取っていた。
負傷中な所へ奇襲を重ねた上での成功で、その功績もあってまた鼻っ面が伸び始めている。
なにより、敵が所持していた精霊を奪い取ったというのが大きかった。
身に宿すでもなく持ち歩いていた理由については不明なものの、これは正統な権利としてラウロのものとなり、近く更なる傲慢さを手に入れることだろう。
また彼の兄も、混乱の最中で拙いながらも砦での指揮を執っていたこと、なにより従士長や主だった者達が戦死していたことで、仮という形だが次期従士長としての教育が始まった。
多くの喪失を得た異民族襲撃も、腕っぷしで名を上げるべく戦う者達にとっては好機とも言えるらしい。
何やら問題を起こさないよう契約で距離を取っていた騎士らが、共に戦った砦の兵士らとの交流を始め、また一悶着がありつつも上手く回りつつあるらしい。
そして、あの一件で動く両脚を手に入れたアルだったのだが。
「………………納得いかないんですけどぉ」
修理された車椅子の上で座り込んでいた。
場所は修復されたザンの小屋前、集まっているのは旅支度を終えたゼルヴィアにジーン、そして持ち主であるザンだ。
「こればかりは納得してほしい。先の一件は緊急時故の措置で、今の君の肉体で過負荷を掛け続けると別種の不具を抱えることにもなりかねないんだ。古龍についての情報を封鎖する意図もある」
「折角歩けるようになったのにい……!!」
わああああ、と騒いで両足を叩くアルだが、こればかりはゼルヴィアも譲らない。
「アル。僕は出発前に、制御機構の二つ目が壊れたら、つまり意識を失うことがあれば、何があろうと中止して諦める様言い含めたよね。だけど君は強硬して援軍を呼びに行った」
「それはその……壁に着いた時に二つ目が壊れただけで」
「故障部分を精査すればどういう使い方をしたのかは分かるよ。とはいえ、これは君が無茶をするということを甘く見ていた僕と先生の落ち度だ。だから、出力を大幅に絞るよう作り変えた」
結果としてアルは長時間立っていることも、まして歩いたり走ったりすることも出来なくなり、以前の通りに車椅子へ縛り付けられることとなったのだ。
「身体が出来ていない状態でこの前のような過負荷を掛ければ、君の身体はジーン以上にぼろぼろとなってしまう。使った部位が微妙に違うからか、君にはジーンのような強力な再生能力が付かなかったしね」
「その辺りも含めて、入念に研究を重ねて理解する必要がある。分かってくれ、アル」
諭そうとするゼルヴィアに言葉を重ねたのは、同じく旅装に身を包んだザンだ。
詳しい経緯や事情などは聞き及んでいないものの、彼はアルの両脚を完全で、安全なものにするべく一度背を向けた場所へ戻ろうと決意したのだった。
そして今日が出発の日だ。
性急なのは、異民族襲撃に絡んで彼の居場所が別派閥の騎士らにも知れてしまったという理由もある。
「お前の成長に合わせて、そいつも徐々に能力を開放し、また義足自体が成長して身体に合わせてくれる。そこの調整だけは上手くいっている筈だ。無茶さえしなければだがな」
「……爺ちゃんが見てくれてれば平気じゃん」
行って欲しくないばかりの我儘だが、居場所が知れた以上、留まれば村を政治に巻き込んでしまう危険があるのも確かだった。
襲撃を受けたばかりで疲弊した砦は、内地からの支援物資によって成り立っている所が大きい為、復興そのものにも影響が出かねない。
「すまんな。だが、お前も大きくなれば訪ねて来い。騎士を目指すのなら、王都には沢山の手段がある」
それは魅力的であるのだが、ミミズ糸の装具まで取り上げられてしまい、本当に立つことも出来なくなったおかげですっかりアルは拗ねていた。
大きくなれば、何年かすれば、などというのは子どもにとって永遠よりも遠い場所にある。
「時折手紙は出すよ。字の読み書きは出来るだろう?」
「……はい」
「君の存在も、まだ秘匿しておかなければいけない。その場所を整える為にも、成人する十五までは大人しくしておいて欲しいんだよ」
「五年も!?」
永遠の更なる果て、この世の終わりまで待てと言われたような顔でアルが叫ぶ。
詳細は教えてくれないが、強力な精霊を手に入れたらしいラウロは得意満面で自慢してくる。自分ももう走れるようになったのだからと祝福してあげていたというのに、これではあの鼻っ面をへし折る作戦を練らなければいけない。
「……だから、本当に頼むから、大人しくしていてくれよ?」
「はーい」
まるで納得していないアルの返事に二人は揃ってため息をついた。
この手の事で彼女に言うことを聞かせるのは、太陽に出る場所を変えろと言うようなものなのかもしれない。
「やはり、先生には残って頂いて……」
「ここの者達を巻き込みたくはない。それに、儂がすんなり戻るからこそ素材の行方についても所在を誤魔化せる」
困り果てる技術者二人を置いて、黒馬を引いたジーンが歩を進めた。
向き合うと周囲が暗くなったようにも感じられる男は、いつもと変わらない調子で車椅子へ座るアルを見下ろしてくる。
「約定は守って見せろ。騎士になるんだろう?」
おそらく最も効果的だろう言葉を叩きつけて、あっさり丘を降りていく。
仮にも護衛でありながらゼルヴィアを置き去りに、呆気無さ過ぎる別れにアルもまた不満を爆発させた。
「守るもん!! ばーか!! 分かってるし!!」
顔を真っ赤にして怒るアルを見つつ、ザンが小さく唸る。
その表情は魔導技師ザン=デュック=スミスのものではなく、ザン爺ちゃんとしての顔だったが。
そしてゼルヴィアは息を落として、栗毛の馬を引いて、アルの側へ座らせた。
「アル。約束の証として、この子を君に預けようと思う」
あまりの話にザンまでもが目を丸くした。
騎馬は、騎士にとって掛け替えのない戦友だ。
人馬一体という言葉が語られるように、特異な魔法体形を持つこの国の騎士は、愛馬と共にあってこそ真価を発揮する。
状況に応じて下馬することはあっても、手放して遠ざけることは決してしない筈だった。
「実はね、先の戦いでの負傷が治り切っていないんだ。強い呪いを帯びた矢を受けたらしくて、何年かは様子を見つつ治療してやらないといけない。僕が面倒を見るべきでもあるんだけど、この子は君にとても懐いていたし、何よりここに残す君を完全な無防備にする訳にもいかない」
栗毛の軍馬は小さく嘶いて、アルの脚元へ首を伸ばしてきた。
身を曲げて頭を撫でてやると自ら頭を上げて擦り付けてくる。
「ジーンと共に、僕が最も信頼する友だ。いざとなれば僕の居る場所まで一目散に君を乗せて走ってきてくれるだろう。勿論、怪我のこともあるから無理をさせてはいけない。君のその、脚と同じ様にね」
「……この子と一緒に、ちゃんと動けるようになるまで我慢しなきゃ駄目ってことですか?」
「君が十五になる頃、こちらから紹介状を贈る。どこまでやれるか分からないけど、当初の約束通りに君が騎士を目指せるよう、手を尽くすつもりだ。納得は出来ないかもしれないが、受け入れて欲しい」
約束を守る。
そう言われてしまってはアルも突っぱねることは出来ない。
ましてや、戦友である愛馬を預けるとまで言われてしまっては。
「まあ義足自体の調整や確認もあるから、年に一度くらいは僕か先生が顔を出すよ。ただ、ジーンからも聞いたと思うけど、君のその義足に使われている素材はとても希少で価値がある。身内同士で凄惨な争いまで始めてしまうほどのね」
「……わかりました。秘密もしっかり守ります」
「それもある。ただ、壊してしまうともう予備が無いということは、しっかり覚えて置いてくれ。時間を掛けて調整すればずっと君を支えてくれるだろう両脚も、無茶をすれば駄目になってしまう。分かるね」
「はい。無理はしません……」
「あぁ。ありがとう」
言って微笑むと、彼は荷物を背負った。
ゼルヴィア自身の荷物は別の従者に運ばせている為、ザンの荷物になる。
憧れの騎士様が、ザン爺ちゃんの荷物を背負っている。今まで十分に二人の関係を見てきたアルだが、不思議と初めて納得出来た気がした。
馬が無い為、この先は徒歩だ。
先ほどの会話が理解出来ているのか、栗毛はゼルヴィアへ付いて行こうとせずアルの傍らに座り込んでいた。
「じゃあな、アル」
「爺ちゃんも、元気でね。絶対会いに行くから」
「あぁ。待っておるよ」
二つの背中が離れていく。
大きなものをくれた人達だ。
だからアルはなんとか立ち上がろうとし、けれど叶わず座り込む。それを、栗毛の軍馬が手綱を垂らして傍らに立った。
掴めば、出力を絞られた両脚でもどうにか立てる程度に身を引き上げてくれる。
戦場を駆け回っていた時と比べればあまりにも遅々たる動き。
けれど苛立たず、根気よく続け、支えられて、立ち上がった。
それすら出来ずに居た女の子は、自分に両脚をくれた二人と、遠く先行くもう一人の背中を見詰め、
「ありがとうございます!!」
大声で礼を言い、そうして、別れた。
※ ※ ※
五年後。
春草の香り漂う草原を栗毛の馬が駆けていく。
背に負っているのは赤髪の少女。
否、負っているのではなく、それはまさしく騎乗だった。
足並みを揃え、馬への負担を減らすのみならず、駆けるその背を文字通り押してみせる。
優れた騎手は騎馬の速度を押し上げる。
心地の良い疾走に機嫌を良くした軍馬が地面を割らんばかりに脚を踏み鳴らし、坂道を一息で駆け上がっていった。
「よーっし!! 見えたぁ!!」
歓声と嘶きが混じり合い、南からの温かい風へ溶けていく。
二つ丘を傍らに立ち、一人と一馬が見詰めるのは、いつか見た巨壁だ。
あの時少女はここで力尽き、ここより先へは進めなかった。
必死に這いずって、意識も朦朧としてきた所に壁からやってきた巡視隊が助けてくれたのだ。
結果として壁へ辿り着きはしたし、回復してから別口で保護されたラウロ達と共に砦へ戻りはしたが、意識にはここまでだったと強く残ることになった。
「おーい! 先行き過ぎるなってぇ!!」
坂の下から車椅子を担いだラウロが、その後ろからは複数名の十五前後の少年らが追ってくる。
「ごめん!!」
叫び返すと、この五年ですっかり大きくなったラウロが珍しく戸惑った。
「お、おう……まあな、俺なら別についていけなくも無いし。けど他の連中はよ、雑魚精霊しか無いから面倒見てやらねえとさ」
「ちょっと先行く!! ファリアノスがもっと走りたいってさ!!」
「あっ、おい!?」
登った後は降りだ。
次なる丘の向こうに、僅か見えた巨壁が覆い隠されていくのを見詰めながら、十五になった少女アルが愛馬ファリアノスを走らせる。
借り物だが、すっかり意気投合した様はまさしくそう呼ぶに相応しい。
「あっ、右の岩場段差があるから気を――――いっけぇぇぇえええ!!」
注意の半ばで馬の方から誘ってきたので、アルも即座に乗った。
剥き出しの、坂道の半ばで突き出すようになっている岩場を蹴り、力一杯跳び上がる。
まさしく飛翔とも呼べるような豪快な跳躍に、少女の歓声が弾けた。
「ひゃあああああああああ!! ッふー!! はははははははは!!」
駆けて、跳んで、大笑い。
五年を掛けてゆっくりとゆっくりと治してきた脚は、しっかりと地面を踏みしめて更なる加速を始める。
置き去りにした少年らのことなどこの一騎はすっかり頭にない。
どこまでも先へ、力の限り駆けてみたい。
五年と、十年と。
耐え忍んで来た時間だけ、想いは高く登っていく。
「さあっ、行くぞお!!」
未だ車椅子は彼女の傍らにあった。
けれど今、アルの両脚はしっかりと鐙を踏んで、愛馬と共に大地を踏みしめている。
「もっとっ、もっと先へ!! 私は絶対、騎士になる……!!」
真っ赤な髪を靡かせて、火の玉の如く。
心は高く、遠くへと。
駆け抜けていった。
剣の轍 ー車椅子少女アルの騎士物語ー あわき尊継 @awaki0802
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