第24話
西方より現れた騎士団によって、砦を包囲していた異民族の軍団は瞬く間に壊走した。
遊牧民族らの主戦力は軽装弓騎兵だ。
対し、騎士団は完全武装で魔法による遠距離攻撃も兼ね備えた重装騎兵。
速力の差を加味したとして、逃げながら攻撃を重ねるしかない時点で、砦の包囲は続けられない。また一度押し返された後に瓦礫を積み上げて穴が塞がれてしまったことで、攻城を続けるならば投石器が必要だった。
陣を押し出され、兵器を破壊された時点で、彼らが砦を、ましてや巨壁を攻略する術は無くなったのだ。
更に一部の突出した騎士団が集積されていた兵糧を焼いたことで、戦局は決定づけられた。
軍団は前進を続けつつ略奪を行うことで補給を得る。
しかし、砦を越えた先には村の一つも存在しない。
そこを越えていけるだけの、巨壁を攻略する間も軍団を持たせる為の備蓄食料が失われたのだ。
途中で狩りを行おうにも自然は乏しく、軍団を維持出来るほどの数は得られない。
氏族それぞれが散らばって好きに糧を得ることも出来るだろうが、巨壁の騎士らに存在を知られた以上は各個撃破にしかならないのが実情だった。
グラーグと呼ばれた、転化した蟲の大妖怪による攻撃があったなら、混乱に乗じて壁を越え、城門を開け放つことも出来たかもしれないが、それは侵攻開始直後に始末されていた。
ただ駆け回り、ただ呑み込んでいく遊牧民族らにとって、巨大な城壁で守りを固める西方の攻略は、元より一定の無理を孕んでいたということだ。
投石器の運用など、決して甘く見れるものでは無かったが。
砦はよく守り、よく耐えた。
中でも最も優れたる実績は、異民族による工作を除けば、内部で一切の分裂や反抗が起きなかったことだろう。
過酷な土地で生き、高原からの侵略者に襲われ生きる、外地の民達。
彼らは時に衝突することもあるが、外敵の出現があったらば須らく結束し、力の限り抵抗する。
敗北すれば、全てを奪われると知っているのだから。
勝ち鬨をあげ、逃げる敵への追撃を掛けていく騎士団を見送りながら、砦の人々は勝利を分かち合い、身を寄せ合った。
そんな中、ようやく訪れた安息の上を駆け回り、たった一人の少女を探す一家があった。
母の名をジナ。
兄の名はロイ。
冬の間に親交のあるザンと、内地からの騎士ゼルヴィアらと共に丘の上の小屋で暮らしていた筈の娘がどこにも見当たらないのだ。
事情を知る者達も、内地から派遣されてきた騎士団との絡みで自由な行動が取れず、一家にその行く先を知らせることが出来ないでいた。
「アルー!! アルー!?」
「ウチの娘を見なかったかい!? 車椅子に乗ってるんだ、見ればすぐ分かる筈さ!!」
答えは決まって、そんな子は見ていない、と締め括られる。
※ ※ ※
異民族らの掃討が終わってから丸二日が過ぎた。
砦へ篭っていた村民らも、未だ警戒を残しつつもそれぞれの家へ帰り始めている。
家財は奪われただろうが、貴重なものは全て砦へ持ち込んだ。
城門が突破されたことで一時的に第一の郭が制圧され、そこで生活していた者達は略奪を受けたが、命は確かに残っている。
多くの、取り戻すことの出来ない犠牲はあったが。
ようやく騎士団から解放されたゼルヴィアとザンは、まだ家に戻っていないらしい一家を察して、砦へとやってきていた。
一度戻ったらしい形跡はあったが、各地の被害状況や、追撃によって奪還出来た捕虜などは砦へ集められる為、行方不明者の出た一家は総じて残り、身を寄せ合いながら報告を待つのだ。
しかし戦役が終わって二日も経てば、殆どの前線から報告は届き終わる。
絶望を抱えたまま一人、また一人と立ち上がり、重たい足を引き摺って砦を出ていく様は、勝利の余韻すら褪めさせる。
離れていく人の列にジナ達が居ない事を確認しながら、二人の視線は遠く西へと向けられていた。
出来るだけのことをして送り出した。
無茶をするなと言い含めはしたが、最初から無茶ばかりして生きてきた子だ。
ザンの脳裏には彼女の父親であり、自身にとっても掛け替えのない友人の結末が浮かんでいる。
道中打ち捨てられた投石器の残骸や、骸がある。
身内を探した結果だろう、骸は道端に
敵まで一緒に燃やすのは、どうあっても混ざってしまうから、適当に解釈が加えられているのだろう。
なまじ酷いのは、生き残って降伏した異民族だ。彼らは残らず凄惨な姿を晒しているが、死体漁りなどの戦場にありがちな風景は見て取れない。
財産というものにここまで興味の薄い土地というのは珍しかった。
全ては、積み上げても奪われ続ける現状があるからか。
それでも勝ち取った平穏を、絶望から始まる明日を、また一歩を踏み出して、ゆっくりと歩んでいく。
最後の一団を見送って、自分達も砦へと入ろうとしていたザンとゼルヴィアだが、ふと西から差す光に影を見た。
それは独自の戦いをしてきたのだろう少年らのモノで、先頭には赤い髪の少女の姿があった。
死者を悼んでか、疲れ果てた結果は分からないが、ある種の静謐さを漂わせていた砦の周辺が俄かに騒がしくなる。
「だっからぁ!! 本当に壁の中で歓迎されたんだもん!」
「嘘だあ! あいつら俺達が見に行った時も返事すらしなったんだぜ! そりゃあ報告受ければ中には入れるだろうけどよ、そんな食い物見た事ないぜ!」
「壁の中は豊かなんだよ! 絶対あるもん透明でぷるんぷるんの食べ物!」
「氷くらいなら冬に見るけどさーっ、お前の言う奴変なのばっかじゃん! 腹下した奴の糞が翌日にはそんな感じになってるから、お前どうせ糞とか食わされたんじゃね?」
「だっから美味しかったって言ってるじゃん! そんな汚いの私食べないし!!」
本当に。
どうして、と。
気付けば自身も疲れていたのだとゼルヴィアは思った。
仰げば、次代を担う少年少女らがやってくる。
先頭の少女は、巨壁で譲り受けたのか、貸し出されたのか、普段使っていたものよりもずっと簡素な車椅子に乗せられている。
安堵すると同時に、技術者としての思考も回り始めた。
彼女の肉体に転化した様子はない。
義足が動かなくなっているようで、もしかすると制御機構が働く前に別の部分が壊れてしまったのか。試作品の初期不良などは起こるべくして起こるものだが、確かな自信があっただけに吐息も出る。
抜けた後に残っていたのは、純粋な少女への心配で。
「おかえり、アル」
「あっ!! 爺ちゃん!! ゼルヴィア様っ!!」
車椅子の少女がここまでそれを押してきてくれたのだろうラウロを置き去りに滑り降りてくる。
なだらかな坂道だが、最初の勢いが良過ぎて速度が出た。
あれでは止まるのが大変だろう。
思って、老人であるザンにさせる訳にはと前に出たゼルヴィアだったが、少し手前でアルは車椅子から飛び降りて、勢いの付いたソレを片手で掴む。
「っとと」
やや姿勢を崩しながら、しっかり地面を踏みしめて。
「やりましたよっ!! ちゃあんと壁まで辿り着いて、援軍を呼んできました!!」
褒めて褒めてと全身で訴えかける少女につい笑みがこぼれる。
何か言おうかと思うが、少しだけ傍らの恩師を待った。
悔恨を抱えて生きてきたのだろう老爺は、少しぎこちなく歩を進めて、真っ直ぐに立つ少女の頭に手をやった。
「あぁ、よく……よく戻ってきてくれた」
抱き締めて、涙を流す。
「すまなかったな、アル。お前に多くのものを背負わせた。大事なものを失わせた。大変だったろう。だが、無事に戻ってきてくれて本当に良かった」
ザンの腕に包まれながら最初はちょっとだけ不満そうな顔を見せたアルだったが、すぐに笑ってみせると彼の胸に顔を埋めて胸一杯に息を吸い込んだ。
「ただいま」
「あぁ、おかえり」
ひとしきり再会を喜び合った二人はそっと身を離す。
今度こそとアルの視線が向いて、けれど彷徨った。
自分がたっぷり称賛してみせようと言葉を用意していたゼルヴィアはつい首を傾げてしまう。そして、気付いた。
「ジーンなら無事だよ。ただ、かなり無茶もしたからね、先生の小屋で眠ってる」
「そっか……」
浮かぶ表情にまた首を傾げそうになったが、騎士は改めて身を正し、けれどまた言葉を贈り損ねた。
「アル…………」
砦の門を潜って、ジナと、彼女を支えるロイがやってきたのだ。
何故か、赤ん坊を抱えたままのレイナまで居る。
「ぁ……」
そして歩み寄ってきた家族と友人に、彼女はいつもの調子で笑ってみせるのだと思っていた。
装具について知っているジナやロイも、古龍の心臓を用いた義足までは話せていない。レイナは目が見えない筈だが、何か別のものでも感じているのか怪訝そうにしている。
きっと、誰よりも報告したかっただろう三人を前に、アルは悪戯のバレた幼子のように慌てた。
視線を彷徨わせ、つい、脇に置いていた車椅子の後ろへ回り、脚を隠す。
「アル」
母の声に少女は笑う。
何か、苦いものを含ませて。
視線が確かに脚部へ向けられたと察すると、縮こまらんばかりに委縮した。
「た、ただいま……」
説明すべき立場にあるゼルヴィアだが、秘匿すべき内容もあり、つい周囲の確認に気が向いていた。
そんな中、やはり無理があったのか、脚が突然機能停止してアルはひっくり返った。
「わあ!?」
真っ先に駆け寄ったのは他の誰でもなく、ジナだ。
最早逃げ場もなく母に両脚を晒し、何かを言おうとしては口を噤む。
あれほど自慢げだった様子が見る影も無かった。
そんな彼女を知ってか知らずか、ジナは吐息を落として膝を付く。
「ほら、背負ってあげる。一緒に家まで帰るよ」
立ち上がっていたことにも、明らかに装具ではない義足にも、彼女は何も言わなかった。
母に習ってか兄のロイも質問を封じたまま背を支える。
いつになく小さくなったアルを背に負って、ジナは周囲へ声を掛けた。
「すみませんが、とりあえず家に戻って一休みしてきます。ウチの子が色々と心配掛けたかと思いますが、その辺りも含めてどうか後日にお願いするよ。レイナさん、落ち着いたら必ずこの子を連れてくるから、待ってておくれ」
そうして一家は、ようやくの家路についたのだった。
※ ※ ※
アルは背負われ、兄は車椅子を押して、背負う母は口元に笑みを浮かべながら歩いて行く。
石くれの多い、歪んだ道だ。
遠回りすれば緩やかな起伏になるが、真っ直ぐ行く方がずっと近い。
見慣れた筈の景色は変り果て、道はおろか周囲の畑や原野すら荒れ果てている。
大事に切って残していた木々は異民族が暖を取るのに使ったのだろう、片っ端から切り倒されていた。
無くなった分だけで、五年くらいは賄えそうな量だった。
盗られるものなど無いと思っていたのに、遠くに見える家々では、既に日常を始めている者達が困り果てた様子で家探しをしていた。
「…………っ、ずず」
ラウロ達は砦への報告へ、ザンやゼルヴィアも同行は遠慮し、歩いているのは三人だけ。
本当はあと二人居る筈だった。
父と、姉が。
七年前に奪われてしまった大切な人達。
取り返しにいくことも出来ず、同じ場所で生きて、暮らし、受け継いでいくだけ。
明日はどうなるだろう。
また異民族はやってくる。
奪われ、逃げて、追い返し、その繰り返し。
けれど洪水や地震に見舞われた人々は同じ場所にまた家を建てるように、三人もまた我が家を目指し、そこから始める。
「うああ」
「もう、どうしたんだいこの子は。しょうがないねえ」
背に負う娘がぐずっているから、母は身を揺らしてあやしてやる。
身体が大きくなって、すっかりやることは無くなったが、まだまだ身は軽く、背負ってやることは出来るらしい。
隣で車椅子を押していたロイが母の背に居るアルを見上げて、少年らしい細腕を伸ばして頭を撫ででやる。
砦を出てから終始この調子だ。
見付けた時には周囲の面々へいつもの大言壮語を吐いていたように見えたが、今ではすっかり泣き虫な末っ子が誕生している。
「だってぇ……」
洟を啜りながら、震える喉でアルが言う。
「なんだい?」
「ひっ、っ……めん、なさい」
「はーい」
「ごめんなさい……っ、っ!!」
わあ――――と少女は泣いた。
兄の手は背中へ回り、落ち着かず震え続ける妹をあやし続けた。
「そうだねえ。すっごく心配したよ。無茶やって連れ去られたのかって、兄さんとずっと探し回ってたんだからさ」
「じゃなくてっ」
声を出そうとして、失敗して、顔をぐちゃぐちゃにしながら母の背にしがみ付く。
立ち上がれる両脚を手に入れた筈の少女は、まともに喋ることも出来ずにいる。けれど大きく息を吸って、無理矢理、絞り出す。
その声が、産声にも似ていて。
「いらないって、言っちゃった!! こんなものって!! 私っ、違うもん!! 母さんから貰った、父さんから貰った、兄さんと一緒の、大事な脚だもん!! 違うのに!! いらなくなんてないのにっ、ずっと悔しくてっ、うまく出来なくてっ、だから、無くしちゃってっ、っ、ごめんなさい……っ」
聞いていたロイが撫でるのを止めて自分の顔を拭った。
それから、見上げた先の母から目を背けて、少しだけ歩く速度を落とす。
「……動くようになったんだろ。良かったじゃないか。まだ、上手く出来てないみたいだけどさ」
「だからぁっ」
「分かってるよ、ばか」
震えた声で分かってしまうけれど、強がる母に寄り添って、ロイもまた裾を掴んだ。
「おやおや、お兄ちゃんも今日はお休みかい。はは、しょうがない子達だねえ」
背負い続けてきたのだから、流れる涙を拭う暇すら無かった。
必死だった。
愛した夫を亡くし、長女を失い、それでも残された子が居たから。
この、何一つ積み上げていく事の出来ない土地で、けれど確かに何かを受け継いで、空っぽからの一歩を踏んでいく。
散々泣いて、ようやく我が家が見えてきたという所で、落ち着いたらしいアルが恥ずかしそうに言った。
「母さん」
「なんだい」
また謝られるのかと思ったジナだったが、背中から大きな音がしたのを聞いて目を丸くした。
「おなかすいた」
「っ、ははははは!! あんたっ、この流れでそういうこと言うかい!? ははは!!」
「ほんとっ、アルはアルだよねえ。ははははっ」
母と兄から大笑いされて、流石に場違いだと分かっていたらしいアルが顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
「だってえ!! おなかすいたんだもん!! いいじゃん別に!!」
「はいはい。作ったげるよ。一度戻った時に、アンタが一人で帰ってきても大丈夫なよう、すぐ食べられるものとか、材料も詰め込んどいたからねえ。今日は腹一杯食べさせてやるよ」
「森へ行って何か採ってこようか?」
「そうだねえ。生の食材はないし、殆ど冬越しの保存食だからどうしようか」
「そんな待てないっ、すぐ食べたいのっ」
はいはい、と恥ずかしさを誤魔化したいのだろう末っ子の我儘を流しつつ、ジナは家の戸口を潜る。ロイが入ってくるのを待ってから、ボロボロの我が家を見回して、まずは。
『ただいま』
揃って口にして、日常へと戻っていったのだった。
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