無題

 珍しく、きょうは絵筆でなくこちらの筆を執りたくなった。

 これは宛所ない恋文だ。誰かにきょうのよしなしごとを吐いて泣きつくくらいならば、こうしてままならぬ作品として世の片隅に置いておいてやりたい。

 どうかどうか、私の未来に幸多からんことを。

 誰の目にも触れぬこの場所で思いのたけを吐き出そうとも、誰一人とて不快な思いなどするはずがない。——せめて何人かの目に触れれば。願いはしょせん願いである。

 何もかもを真上から見通して、そうしてあざ笑うような視点を。それをひた隠さんとする、何から何まで嘘で固められているであろううわべの笑顔を。ことそれでいてやたらと温度を持った視線を。世間一般の理論では到底暴けぬそのすべてを知りたいと思っていた。

 きっかけなどいたって単純だ。ヒトであるゆえに、単純な始まりだった。しかし私がスタートラインに立った時にはもう遅い、先客が——本来待ちうるべきひとが待ちうるべき場所に——立っていた。終わりだって至極単純だ。何もかも遅かった。それに相手も悪かった。

 相手の欠点を列挙していこう。こうしてやっと、私の心は仮のオアシスに手腕をつける。

 まずひとつ。とにかく思わせぶりであった。これは後になって分かったことだが、まず貴様からは何につけても一切物事・こちらも気持ちを鑑みずに脊髄から言葉がぼろりぼろりと吐き出される。

 そしてふたつ。当然ながら貴様当人がその言動にまったくもって責任を持たない。私が重みのあるものとして抱えていたこれは、貴様からすれば単なる気まぐれに過ぎない何かでしかなかった。私がぶつけた一世一代の質問を笑ってごまかしたその頭をひっつかんで、眼下に横たわる線路に放り込まなかっただけ褒めてほしい。「なかったことにしてほしい」?はたして誰が許し、一連の説明がつかない事象をその一言で片づけるだろうか。少なくとも、向こう半年はなかったことになどしてやるものか。

 ここまで筆を進めて、わずかながら気持ちが昇華されていくのを感じる。そう、今回だって私がほれ込んだ人間は屑そのものであった。それだけだ。そして貴様が放った言葉だ、私に惚れなかった貴様にはまったくもってセンスがない。責任のとれない言葉は迂闊に吐かないことだ。とはいえ視座の高い人間とは厄介で、こういった恨みつらみすらその小回りの利く身の振り方でかわしていくのだろう。どうにも許しがたい。

 さて、宛所ない恋文を重々しく引きずった宛所ない私はどこにゆくのか。答えは決まっている、ただここに立ち尽くしているだけだ。いずれ空くであろうその席に私がふんぞり返ってやろうと私が思い描いている間は、ただここで呆然と立ち尽くしているほかない。とは言ったものの何もしないでいようとは微塵も思わない。が、他人の彼氏を寝取るといった性根の悪い趣味も持っていない。ただ、間もなくして席は空くであろうという確信めいた空想が脳裏にはっきりと浮かぶのだ。

 それにしても本当にセンスがない。いい歳をして公私をわきまえられず、加えて貴様の夜遊び一つ許せぬ女などにうつつを抜かして生活が充実するとは到底思えない。まったくもってナンセンスだ。貴様らの関係に口を出すつもりは毛頭ないが、これはエッセイだ。少しばかり持論を展開しても許されるだろう。

 思いを通わせたとて他人であるのだから、相手の生来持つ人間関係に口を出していいはずがない。ただ悠然とそこにいて、そこにあるだけでは成立しない関係を「恋人同士」と呼ぶのであれば、私には必要ないとすら思う。各々が生きたいように生きて、時折ただ寄り添って雲の流れでも眺めているだけの関係に心地よさを見出していられないものか。かつてとなりにいたひとは、それができたから心地が良かった。私のことを心の内側においてくれなかった点を除いて、あのひとは私にとって最も心地のよい他人であった。

 昇華された気持ちが怒りの結露となって戻ってきた。よくも私のこころを踏み荒らしてくれたものだ。貴様の無責任な言動にこちらがどれだけ期待をしてどれだけの傷をつけられたと思っている。貴様はその落とし前すらつけないまま人好きのする笑みを垂れ流して次のあしたを切り売りしていくのだと思うと、いよいよ結露はしずくとなって私の底に滾々と広がっていく。この怒りはその真性を見抜けなかった己自身にも向いている。その比率は七割というところか。

 馬鹿馬鹿しさが募ってきた。筆の置きどきが近い。


とりあえず今日のために揃えた服・化粧道具・カラーコンタクト・私の浮ついた気持ちなんもかも全部返せ 現金で もうお前の言動がどうしようもないのはよくわかったから金返せ あと次その席私だからな 首洗って待っとけ


 

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無題 かないしの @snkni

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