第10話 安心
三ヶ月後、初雪が降ったその次の日にアレクシアに上質な紙の一通の手紙が届いた。
隣国の侯爵に無事嫁いだという、親友からの手紙だった。
暖かくなったら、観光がてらぜひ遊びに来てほしいと書かれている。
「いいなあ。行ってみたいけど……」
「よろしいのではありませんか」
「わあっ」
肩越しに声がして、震えるくらい驚いた。
明かりを求めて窓際で手紙を読んでいるアレクシアの背中から、肩に顎がつきそうなくらい接近して手紙を覗き込んでいる。
叔父が来た日以来、不適切な接触が日に日に増している今日この頃で、少しは慣れてきたと思ったのだが、突然だとやはり驚くしどきどきする。
「でも、隣国まで行くのに、いくらかかるのかわからないし……」
「ご安心を。後で見積もりを出します」
本来の仕事からは逸脱しているが、彼にはこの屋敷の財務関係もお願いしている。
どうやりくりしているのかは不明だが、この間も、古いピアノの調律をしたいので、預金をおろそうかと相談したら、次の週には調律師が来て直してくれた。
しかも、代金も支払い済みだという。
クラウスに聞いたら、叔父からの仕送りをちょっとだけ運用したそうなのだが、具体的には話してくれなかった。
だから、今回もきっと費用を捻出してくれるだろうことはわかる。
冷えてきたので、とブランケットを肩から掛けてくれた。
その時に、肩に手を置いてそっと肘まで撫でる。
最近は少し慣れたとはいえ、触れられるとどきどきはするのだが、妙に安心することもある。
彼に触れられて、心地よいのだ。
慣れというのは怖いものだなと思うが、拒絶する理由もないのでまあいいかということにしている。
☆
元宰相の娘の公爵令嬢が隣国の貴族と成婚した。
その情報はマクシミリアン王太子の使者より入手済みだった。
外交で手腕を発揮する隣国の有力貴族との婚姻で、辺境伯となって一時は削がれた公爵家の勢いもこれで少しは盛り返すだろう。
侯爵夫人となったアマーリエからの招待は、公爵家の動静や隣国の内情を探るにはいい口実になる。
マクシミリアン王太子にそれを申し出れば予算は融通してくれるだろう。
国内外の情勢を把握するために、国王家の手先として様々な情報を収集する機関がある。
内乱の激しかった数百年前から存在する王族が頂点の秘密機関で、今は王太子のマクシミリアンが担っているために「M」と呼ばれている。
この機関の構成員は、国内の貴族の屋敷に潜入して情報を掴む「猫」、外国の情勢を調査報告する「犬」、犬猫の得た情報を適宜報告する「燕」がいる。
クラウスは、国のどこの部門にも属さない独立したこの機関の幹部候補であり、この屋敷で「猫」として公爵令嬢とアレクシアの接触状況を記録報告しながら、この北西部で「燕」の情報預かりや危険が及んだ時の避難所にもなり、構成員の資金援助をする「宿木」もしている。
有用性はすでに証明しているので、ピアノの調律代を経費として処理してもらうことも難しいことではなかった。
クラウスは自室に戻り、早速稟議書の作成を始めた。
☆
翌年、六月。
新緑の葉が風に揺れる中、隣国へ向けて馬車は屋敷を後にした。
「あなたまで一緒でなくても、私一人で行けるのに」
「アレクシア様お一人で行かせる訳にはいきません。道中で何があっても対処できるというなら別ですが」
向かいに座る男は眼鏡越しに片眉を上げ、アレクシアに問いかける。
できようはずもないのがわかっていての問いかけだ。
言い返せなくて少し拗ねるアレクシアに、クラウスは腕を伸ばして顎に指を掛ける。
怪我をした所は薄らと糸のような痕が残ったが、化粧で隠せばまったくわからない。
「道中、貴女をお守りします」
昼も夜も。
がたんと馬車が揺れたので、お守りしますの後が聞き取れなかった。
だが何となく、この旅で色んなことが変わってしまうのではないかという予感が、アレクシアの内側から熱を持って湧き出した。
その日の夜に早速変わってしまうことは、現段階では知る由もなかったが。
END.
モブ令嬢、放逐一年後 大甘桂箜 @moccakrapfen
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