第8話 鎌倉探偵

 牛島桜子が殺されてからその翌日。いよいよ桜子のことの捜査を本格的に行おうとしていた矢先、今度は同じマンションで別の殺人が行われていた。殺されたのは、牛島桜子の隣に住んでいる浪人生の本城直樹だった。その事実は、捜査関係者に衝撃を与えた。

「やつがなぜ?」

 と昨日本城に面会し、ハムスターに疑問を持った刑事の綿引は、どうしてもっと昨日事情を聴かなかったのかと後悔した。

 だが、昨日の状況で、あれ以上の話はできなかったわけで、仕方がなかったのだが、昨日の今日というのは、どうにも合点がいかない。

「綿引さん。これは同一犯ですかね?」

 と聞かれて、

「その可能性は高いだろうな。そして動機の可能性として一番大きいものは、彼が何かを見たために殺されたという考えだね。犯人にとって何か致命的なものを見られたのか、それとも、彼が犯人をそのことで脅迫でもしようと思ったのか、ただ、彼のような浪人生に、誰かを脅迫できるような気持ちに余裕があったかということだよね。例えば脅迫してお金を取ったとしても、受験に合格できるわけでもないからね。彼にとって重要なことが本当にお金だったのかということだよね」

 と言われて、部下の刑事は、

「なるほど、そうかも知れませんね。彼にとっての受験は、今は人生のすべてのようなものだろうから、いくら脅迫してお金が入るとしても、それは一時的なものでしかないことを分かりそうなものですからね」

「だけど、思い込みはいけない。受験にストレスがたまりまくっていて、その解消のために眼前にお金がチラついたら、衝動的に飛びつくというのも、人間の心理だからね。ありえないことではないだろう?」

「ええ、その通りです」

「ただ、ここで彼が前日の奥さんの殺害に、何らかのかかわりがあったということは間違いないだろうね」

「そうかも知れませんね」

 翌日までに、浪人生の部屋も十分に捜索された。彼の部屋は浪人生としては結構片付いている方かも知れない。そのおかげで、彼が押し入れに隠していたものを発見できたのだが、それが何を意味していることなのか、難しいものだった。

「これは一体なんだ?」

 と言って、刑事は何かのコードの先に小さな突起がついていて、反対側はプラグのようなものになっているのを発見した。

 それを科学班の人が見て、

「ああ、これは盗撮セットですね。この先に超小型のカメラがくっついています」

 と言って、綿引刑事に見せた。

「これがカメラ?」

「ええ、今はこれくらいのものであれば、通販などでも買えますからね。ただ、闇でしょうけど」

 と言っていた。

「なるほど、そこまでは思いませんでしたね。この浪人生がどうしてこんなものを持っていたのか不思議ですよね。何をしていたんだろう?」

「指紋ですが、あまりにも小さな線だったりカメラなので、採取することはできませんでした」

「分かりました。こちらはこれの出所を探ってみましょう」

 と言って、カメラの出所を探ることにして、その日は署に戻った。

 翌日になってから、鎌倉探偵が警察署を訪れた。

「やあ、鎌倉さん、お久しぶりです」

 鎌倉探偵は、最近よく事件解決のために、警察に協力してくれていたので、綿引刑事とも、昵懇であった。

「こんにちは、綿引さん。ところで綿引さんが、新興住宅のマンションでの主婦殺しと浪人生殺しの捜査をされていると聞いたのでやってきました」

「ほう、それはどういうことでしょう?」

「依頼内容は守秘義務がありますので、詳細までは言えませんが、実は私に依頼してきたというのが、このマンションの管理人なんです」

「管理人というと、確か藤原とかいう管理人ですか? 確か彼は最初の被害者である奥さんの第一発見者だったと思いますが」

「ええ、そうです。管理人から依頼を受けたのが、ちょうど事件が起こったあの日の夕方だったんですが、今日になって連絡をくれることになっていたんですが、連絡がもらえなくて、マンションに行ってみると、管理人室には誰もいないんですよ。何となく気になって、それでちょっと、こちらに寄らせてもらったんですけどね」

「ということは、管理人の藤原氏は行方不明ということでしょうか?」

「そういうことになりますね」

 まだ一日だけなので、行方不明というのは、判断が難しいかも知れないが、少なくとも事件の第一発見者である管理人が行方をくらませたのだとすれば、犯人であるかないかは別にして、大きな役割を果たしていると思ってもいいかも知れない。

 それにしても、管理人は、鎌倉探偵に何を依頼したというのだろう?

 探偵がいうように守秘義務があるのだから、簡単には話してはくれないだろうが、管理人が事件に関連していることが少なからず証明されれば、おのずと黙っているわけにもいかなくなるだろう、

 最初の被害者の隣の部屋に住む浪人生が殺されたという事件も発生している。それを思うと、二人を殺したのが同一犯人で、管理人が秘密を知っているのだろう。

 さすがに主婦を殺しておいて、事件に関しての何らかの依頼をするというのも考えにくい。

 もし、警察は管理人を重要容疑者としてマークし始め、そのことを管理人が感知したのだとすれば、探偵に自分の容疑を晴らしてほしいという話をしに行っても理屈は分かるのだが、今はまだ警察は初動捜査を始めた時点で、何も分かっていない。管理人は何を恐れているというのか。

 しかも、失踪したのだとすれば、自分から姿を消したのか、誰かに狙われているという予感があったから姿を消したのか。

 自分から姿を消したのだとすれば、何か後ろめたいことを感じたとも言える。しかし、すでに鎌倉探偵に何かを依頼しているのであるから、自分から姿を消すというのは理論的におかしなことだ。それでも姿を消さなければいけないのであれば、一体どういうことなのか、不思議なことだ。

 綿引刑事は、いろいろ頭の中で試案を巡らせていた。だが、結果は見えてこない。見えてこない理由として、一つのことを考えていると、他のことから派生した考えと重なってしまい、別の方向から考えるとさらに裏返ってしまう。堂々巡りを繰り返しているように思うのだった。

 ただ、金倉探偵が何を知っているのか、きっと管理人の何かの秘密を知っているのだろう。そうでなければ、

「守秘義務がある」

 という言葉をいきなり言わないと思った。

 もちろん、探偵における守秘義務が絶対で、警察相手であれば、それが大前提になるので、本当は最初に断るのが当たり前のことなのだろうが、今までの鎌倉探偵からすると、どうも腑に落ちないところがある。

 そういう意味で、彼が知っていることと、綿引刑事が考えていることは、同じ線である気がした。しかし、それが交わることはないのではないかと今感じていたのだ。

 あれから一月が経過したが、捜査の具合も、管理人、藤原氏の捜索も進展はなかった。一つだけ分かったことがあり、例の盗撮セットであるが、あれを浪人生は購入してはいなかったということであった。綿引刑事は大いに落胆したが、鎌倉探偵の方は別に当然という顔をしていた。それを見て綿引刑事は、

――これが鎌倉探偵の頭の中にあったようだということは、この盗撮グッズを購入した人間に心当たりがあるということか?

 と考えてみると、次第に分かっていなかったことが氷解してきたような気がした。

――なるほど、そう考えればある程度説明がつく――

 このことは守秘義務があって自分の口から言えないことであり、

――捜査に協力はできないが、リアクションで、我々に鎌倉探偵が知っていることを伝えようとして、いかにもわざとらしい素振りを見せているのかも知れない――

 と綿引刑事は感じた。

――まず、盗撮グッズを購入したのは、管理人の藤原である。藤原だったら、管理人という立場から部屋に侵入することもできるだろう。また、何かの工事の立ち合いということにすれば、公然と部屋に入ることもできる。不法侵入だが、バレなければいいと思っていたのかも知れない。ただ、それを自分で楽しむだけであればいいのだが、何かの脅迫にでも使っているのだとすれば、問題だ。だが、もしそうであったとすれば、簡単に鎌倉探偵に何かの捜査を依頼するなどということはできないだろう。だが、管理人が盗撮していたのだとすれば、その時に何が起こったのか、彼の部屋の機械を捜索すればいいのだ――

 と、そこまで考えたが、捜索するにも本人はいない。

 さらに、容疑が決まっているわけではないので、捜索令状も取ることは難しいだろう。鎌倉探偵も分かっているから、自分の守秘義務もあり、迂闊なことはできないと思っているに違いない。

 だが、そこまで仮定できたとしても、そこから先が難しくなってくる。

 どうして、盗撮グッズと隣の部屋の浪人生が持っていたのか? どうして、その浪人生が殺されなければならなかったのか? このあたりがどうにも説明がつかない。

 管理人が何かを鎌倉探偵に依頼したとして、警察に内緒にしていたのは、盗撮の問題があったからだろうが、それをどうして浪人生が持っていたのか、浪人生は何かの理由で盗撮を知った。そして管理人を脅迫でもしたとして、そうなると殺したのは管理人。

 だったら、管理人が奥さんも殺したのか? だったら、あんなに簡単に死体が見つかるようなことはしないだろう。

 扉を開けっぱなしていたというのも解せない。すぐに犯行が分かってしまうからだ。もし犯人が衝動的に殺したのだとすれば、そういうことも考えられるが、扉を開けたままというのは、それにしてもおかしい。やはり、早く発見されるように仕向ける必要があったのだろうか?

 犯行時間が確定される犯人にとってぼメリットは、

「その時間に自分のアリバイが動かすことのできないほど確定している」

 ということだ。

 もし、犯人がそう思っていたとすれば、一番考えられるのはご主人だが、会社にいたという証言があるので、距離的に絶対犯行は無理である。

 浪人生も違う場所にいて、犯行時間と思われる時は、アリバイが成立する。

 もしこの二人のどちらかが犯人だとするならば、死亡推定時刻に誤りがあることになるだろう。

 考えることもいくつもあるが、まずは一つ一つの確証を得るためには、実際に歩いてみたり、現場を何度も確認する必要がある。

「現場百回」

 とよくテレビドラマなどでも言われているが、まさに現場で見つかる証拠がどんなにややこしい事件であっても、最終的な決め手になることがあるのだということは周知のとおりである。

 それと同時に、殺害された奥さんと、浪人生の最近の行動なども探られた。

 その中で分かったこととしては、桜子がキャバクラで少しの間、アルバイトをしていたということであった。

 店のママさんにも、同僚のキャストにも、もちろん紹介した女性にもすべて事情聴取されたが、誰も彼女のことを悪くいう人はいなかった。

「彼女は真面目で、明るくてお店の客様にも人気があったのよ」

 ということで、

「店の客と揉めたりとははしたことないのかな?」

 と聞くと、ここを紹介した女性が、

「それはないと思うわ。彼女私が紹介したこともあって、何かあったら、いつも私に相談してくれていたのよ。そんな話はなかったわ」

「相談というと、他に何か?」

 と刑事が聞くと、

「そうねえ、何だか、ご主人が気付いているかも知れないって言っていたわ。もし、そうなら私にも責任があるから、ちょっと心配だったんだけど、その時一度話していただけだったので、きっと彼女の勘違いだったのかも知れないって思ったわ」

「そうですか、ご主人が気付いていると、やはり気まずいんですかね?」

 と、当たり前のことを聞いて、相手にカマを掛けてみた。

「それはそうでしょう。特に旦那さんというのが結構生真面目な人らしいので、結婚前の知り合う前だったらいざ知らず、知り合ってから、しかも結婚からのことなんですから、バレたらただでは済まないと思うのも当然なんじゃないかしら?」

 という。

 綿引刑事も旦那が生真面目というよりも、気難しそうな相手であるということは分かっていた。それだけに、見つかると離婚問題に発展しないとも限らない。やはり彼女はこのことが旦那にバレて、旦那といざこざがあって、その末に殺されたのだろうか?

 ただ、彼は生真面目な気難しさがあるように見えたが、非常な人間には見えなかった。頭を殴っておきながら、首まで絞めるようなことを果たしてするだろうか?

 確かに、念には念を入れてということも考えられるが、それならなぜ扉を開けっぱなしになどするのだ。犯行時間が特定されなくても、パチンコ屋という目立つ場所にいるのだから、早く発見されてアリバイを確定させる必要などない。

 それを思うと少し不思議なことがあった。最初に旦那と綿引刑事が話をした時、犯行について説明したのだが、

「頭を殴られて、さらに首を絞めたという念には念を入れた執拗な殺し方です」

 というと、その時旦那は、表現が難しいような何とも不可思議な表情をした。まるで、

「ありえない」

 とでも言いたげな表情だった。

 それが、

――旦那は何か知っているかも知れない――

 と感じた一つの理由でもあったが。それ以上のアクションがなかったのは、おかしいなりに何かを納得したからではないかと思えたから、さらに不思議だった。

 とにかく、

――あの旦那も何かを知っている――

 と感じた。

 となると、綿引刑事の考えとしては、今の時点で言えることは、

――皆少しずつだが何かを知っているんだ。そして知っていて何も言わない。それがつなぎ合わせれば、真実が見えてくるのではないだろうか――

 と感じた。

 そこで気になったのが、

「鎌倉探偵の登場」

 だった。

 この事件に少なからずの役割を果たしている管理人、彼から何かの依頼を受けた鎌倉探偵、それが、主婦が死んだ翌日だという。ということは、人を殺しておいて、まさか探偵に何かを依頼するというのも、どれほど図太い神経なのかと思うが、管理人にそこまでの度胸は感じられない。

 そんな男が失踪するというのもおかしな話で、そうなると、

――管理人も殺されている可能性もあるのかな?

 とも思ったが、これが一連の犯罪であれば、少し違う気がする。

 同じ犯人ならば犯行パターンを変えたりはしないだろう。

 他の二人は、これでもかというほど、大衆に見せつけるほどの露出で殺されている。しかし、管理人は失踪したと誰も疑わないほどに静かにいなくなった。殺されていると考えるのは無理があるのではないかと思えた。

 管理人が鎌倉探偵に依頼したのが何なのか、そしてなぜ失踪しなければいけないのか。何と言っても探偵に依頼を頼んでいるのにである。

 やはり彼が犯人で、もう逃げられないと考え姿をくらましたか。そうなると自殺するのではないかという思いも頭をよぎる。

 とにかく管理人の捜索が今は最優先に思われた。彼を見つけて何をどう知っているのか、そして、なぜ鎌倉探偵に捜査を依頼したのか。そして、なぜ失踪などしなければいけないのか。

 不思議なことはたくさん出てくるのだった。

 捜査の重点を管理人捜索に置いて、とりあえず全国に指名手配を掛けた。容疑は殺人である。目撃証言を待つしかなかった。

 綿引刑事が店を出る時、桜子を誘ったという女の子が後ろから追いかけてきた。

「刑事さん」

 呼び止められてビックリして振り向いたが、どうやら何か思い出したのかも知れない。

「さっきお話には出なかったんですが、あれから二人ほど男性が尋ねてきたんです」

 という。

「それは誰なんですか?」

「最初に来たのは、桜子さんの旦那さんでした。奥さんが来ていたことを最初はご存じだったのかと思ったんですが、どうやら誰かに聞いたということだったんです」

「それはいつのことでした?」

「あれは、桜子さんが殺される少し前でした。二、三日前だったですかね」

「なるほど、じゃあ、旦那さんは元々奥さんが働いているのを知っていて黙っていたわけではなく、最近誰かに聞いて、知ったというわけですね」

「ええ、そういうことです」

 ということになると、旦那が何らかの理由で殺害に絡んでいることも視野に入れなければいけなくなった。

 元々、一番疑わしいのは旦那だというところへ持ってきて、隣の浪人生が盗撮グッズを所持していたということでややこしくなった。しかもそれを最初に持っていたのは、浪人生ではなく、他の誰かだということだった。その可能性として一番高いのが管理人で、しかもその管理人が行方不明ということは、不思議と辻褄が合っているように思えた。

「ところで、もう一人というのは?」

「えっとですね。確か鎌倉さんという探偵さんです」

「鎌倉さんが来られたんですか?」

「ええ」

 鎌倉探偵は、この店の情報はまだ取得していないと思っていたが、どこで仕入れた情報だったのだろう?

 ひょっとすると、旦那を何らかの方法で問い詰め、そしてここを割り出したのだろうか?

「鎌倉さんが来られたのはいつだったの?」

「あれは、ごく最近でした。二日くらい前ですかね」

 二日前というと、確か浪人生が殺されてから二日が経っていた。

「鎌倉さんは何を調べに来たんですか? 旦那さんのことでしょうか?」

 と綿引刑事が聞くと、

「いいえ、お客さんの中に藤原さんという方がいないかって聞いてこられたんです。藤原さんと言ってもよくある名前だけど、中年で少し太った感じのおかっぱの人と言われれば、私もピンときました。だって、うちの管理人さんはないですか。どうして管理人さんのことを聞くのかと思えば、前にこの店に来たことはあるかと聞くんですよ。私は何度か見たことがあったので、ありますよと答えました」

「そんなにちょくちょく来るんですか?」

「頻繁ではないですね。本当に一か月に二、三度というところでしょうか?」

「どんなお客さんだったんですか?」

 と聞くと、彼女は少し顔をしかめて、

「お世辞にもいい客とは言えませんでしたね。お金払いは悪くないんですが、あの視線がなんとも厭らしいというか、気持ち悪いというか、爬虫類のような執念深さを感じるんです。そんな管理人を見ていると、いつも誰かを見つめているんです。その目がまた気持ち悪くて、思い出しただけでもゾッとします」

 本当に嘔吐を催してくるような素振りだった。

「鎌倉さんは何を訊ねたの?」

「一番聞きたかったのは。桜子さんがこの店に来ている時に、管理人は来ていたのかということが聞きたかったみたい」

「それでどうだったんだい?」

「ええ、私は一度だけだけど、桜子さんが接客している日に、管理人がいたのをハッキリと覚えているわ」

「どうしてそんなにハッキリと言い切れるんだい?」

「だって、あの人桜子さんの方ばかり見ていたんですもん。もちろん私を指名なんかしないし、私は金髪のウイッグをつけて、すぐには分からないようにしているから。指名されて正面から見でもしない限り、私だって分からないわ。毎日会っているなら分かるけど、たまに通路で会うくらいですからね。でも、桜子さんはほとんど化粧もしないし、普段と変わらないでしょう? だからきっと管理人はあれが桜子さんだって分かったと思うの。ずっと舐めるように見ていたのを覚えているもの」

 普段は質素な服を着ていても、店にくれば、ドレスを着ているのだから、当然綺麗にも見えるだろう。しかも、少しうす暗い店内で、薄い化粧というと、普段から気になっている人であれば、妄想が膨らんで、じっと見ていることもあるに違いない。

「それを鎌倉さんに話したんだね?」

「ええ、話したわ。そうすると、あの人とたんに嬉しそうにしちゃって。まるで子供みたいだったわ。ああいうタイプ私好きなのよ。どこか気難しそうなところがあるんだけど、何かを発見すると、まるで子供のように喜ぶ人ってね」

 そう言って、彼女も思い出し笑いをしているようだった。

「いや、どうもありがとう。いろいろと参考にあったよ」

 と言って、彼女を見送って、少し考えてみた。

 まず気になったのは、なぜ鎌倉探偵がこの店を知っていて。管理人が来たかどうか聞いたのかである、もし鎌倉氏が知っていて、その情報源があるとすれば、それは管理人からであろう。

 だが、鎌倉探偵は、最近来たのかという話ではなく、今までに来たのかを聞きにきたのだ。そうでもなければ、

「お客さんの中に藤原さんという方がいないか」

 などと聞いてきたりはしないだろう。

 綿引刑事は、鎌倉探偵がどこまで掴んでいて、何を確かめたいと思っているのか知りたかった。

 ひょっとして、すでにほとんどのことが分かっていて、あとは証拠固めをしているところだなどということであれば、警察の面子は丸つぶれのような気がしてきた。

 とにかく、鎌倉探偵の依頼人は管理人である。その管理人がいなくなってしまったということで、彼への守秘義務は絶対的なものとなった。もし本人がいるのであれば、警察が尋問して、その内容を聞き出すこともできるのだろうが、何しろ煙のごとく消えてしまったのであるから、どうしようもない。

 まず、鎌倉探偵に遭わなければいけない。会って話をしてくれるかどうか分からないが、どこまで聞けるかは交渉次第であろう。

 綿引刑事は、鎌倉探偵の事務所に電話した。

「鎌倉さんはおいでですか?」

 出たのは、事務員の女性だった。

「先生はもうすぐお帰りになられますよ。帰ってこられたら、綿引さんにお電話差し上げるようにしましょうか?」

 と丁寧に言われたので、

「ありがとうございます。そうしていただければありがたいです。先生はどちらへお出かけなんでしょう?」

「捜査のことですから、私どもはうかつには言えませんが、近くだということは分かっていて、帰所予定としては、後三十分くらいになっていますね」

 ということだった。

「ありがとうございます。待ってますとお伝えください」

「かしこまりました。失礼します」

 ということで電話が終わった。

 果たしてそれから本当に三十分とちょっとで、鎌倉探偵から電話がかかってきた。

「やあ、綿引さん。私のところに連絡をくださったんですね」

 といつものお馴染みさんの挨拶だった。

「ええ、そうなんですよ。用件はお分かりかと思いますが」

 というと、

「ええ、分かっていますよ。ただ、この間もお話した通り、守秘義務に絡むところはお話できませんが」

 といきなりの前置きだった。

 それから、場所を鎌倉探偵の事務所に移して、じっくりと話をしようということになり、綿引刑事が、鎌倉探偵の事務所に赴いた。

「ええ、分かっていますよ。でも、こちらの殺人事件にあなたの依頼人が絡んでいること、そして、管理人自身が失踪してしまったことは、警察としても捜査しないわけにはいきませんからね。そのあたりはご容赦を願えばと思います」

「もちろん分かっています。私も警察には全面的に協力するつもりでいます。ただ、分からないことが結構あるので、一つ一つ潰しているところです」

「ところで、管理人に頼まれたという事案に関しては解決しましたか?」

「ええ、そちらはある程度解決しました。ただ、本人がいないので、何とも言えませんが、一つ話をしておけば、この依頼を受けた時、私はこの事件とはまったく関係のないことだと最初は思っていましたが、いろいろ調べていると、どこかで繋がっているような気がしています。だから警察には一刻も早く、彼を見つけ出してもらって、私もまず彼の依頼を成し遂げた後、この事件に参画しようと思っています」

「それはありがたい。ぜひ、そうしてください」

「私はある程度、事件の骨格が言えてはいます。事件としてはそんなに難しいものではないと思っていますが、どうもこの管理人の動きが少し微妙な気がして、それが気になっているんです」

「失踪したことからしても、おかしいですからね」

「そうなんです。僕に捜査を依頼しておきながら、どこかにいなくなってしまった。それが少し気に入らないところなんですよ」

 と鎌倉探偵も少し頭を抱えていた。

「鎌倉さんは、どこまで分かっているんですか?」

「そうですね。まず、浪人生は殺されたというのが一番疑われていますが、ひょっとすると事故だったのかとも思うんです。後頭部を打って死んでいますが、そこには争った跡がある。それでこけた弾みで頭を打ったとも考えられますよね。ある意味、正当防衛のようなですね。でも、正当防衛でもその場からいなくなっているのだから、本人に殺害意志があったのだとすると、正当防衛も認められない。そう思って逃げ出したのかも知れない。僕はその相手は管理人ではないかと思うのです。そう思うと、彼が失踪した理由も分かる気がするんです。そして、もう一つは、死んでいた浪人生の部屋にあったハムスターの餌になるひまわりの種。それがあったのに、ハムスターがいなかった。つまり、誰か動物アレルギーの人がいて、その人が訪れる時は家から別の場所に移していたんですね」

「それは私も気づいていました。誰が動物アレルギーなのかってね。でも、まだそこまで確定した話を私は掴んでいないんです」

「そうですか。私の方では分かりましたよ。最初からこの人だという目星をつけて、そのつもりで、その人の過去迄遡っていけば、意外とすぐに分かりました。警察の場合は全体を見ての捜査になり、捜査方針には逆らえないという実情があるので、難しいと思いますが、一人の人を絞れば簡単でしたよ」

「それは誰なんです?」

「殺された奥さんです。彼女は子供の頃喘息気味で、それが動物アレルギーと結びついていたようです。もっともあの人の場合は、他のアレルギーもあるようで、食物アレルギーなどもあったようです」

 このことも事件に結構関係の深いことでもあった。

「浪人生が殺されたというのは、実はすごく興味深いことで、これが連日で起こったものだから、警察でも、連続殺人を視野に入れて捜査するようになった」

 と鎌倉探偵は言った。

「違うんですか?」

「私は違うと思っています。奥さんの死に対して浪人生が関わっているのは確かです。彼が動物を飼っていたということも大いに関係がありますが、ここで旦那の幸助氏の問題もあります」

「旦那が関わっている?」

「ええ、そして僕がもう一つ考えているのが、最終的な犯行現場は別ではなかったかと思っています。ただ、これも本当に殺意があったかどうかも疑問ですけどね」

「というと?」

「奥さんの死ですが、あれは、二段階あったと思うんですよ。最初誰かに殴られた、そして、曽於後で首を絞められたんですね。首を絞めたのが致命傷にはなっていますが、もう頭を殴られた時点で意識は朦朧としていて、かなりのラリった状態だったかも知れません。それを思うと、犯人が最初から殺意があったとは思えない。殺すつもりはなく、奥さんの豹変ぶりにビックリして、その恐怖が首を絞めた時の力になったのかも知れません」

「じゃあ、鎌倉さんは、この二つの死は、本当の殺人事件ではないとおっしゃるんですか?」

「その可能性は強いと思っています。実際にこの事件に登場してくる人のほとんどが、小心者だという気がしませんか?」

「確かにそうですね」

「そしてハッキリと言えるのは、管理人が例の盗撮セットの持ち主であるのは間違いないと思うんです。だから、僕はあの男がこの部屋を盗撮しようと思い立った原因を考えました。何か弱みを握っているか、あるいは、奥さんの普段知られていない秘密を見つけて、それで家庭を覗いてみたいという衝動に駆られたのか、どちらにしても、管理人の興味や変質者としての欲望を満たす何かを奥さんが示したことは間違いないでしょうね」

「それで鎌倉さんは、彼女の勤めていたキャバクラに行ってみたんですね?」

「ええ、奥さんが一時期とはいえ、キャバクラにいたというのは、興味深いことでした。普段からあまり化粧をせず、目立たないタイプだったからですね。でも、それが客にウケたようで、人気も上々だったようです。それはさておき、管理人は彼女の店に行った。そしてそこで彼女が接客しているのを見た。総統興奮したのかも知れませんね。彼女は管理人がまさか店に来ているなんて知らなかった。そして、管理人も知られていないことを分かってた。だから盗撮をしようなんて大胆なことを思いついたんですよ。管理人であれば、当然合鍵を持っています。犯罪であることは分かっているが、こういう犯罪というのは、なかなか自制の利くものではないですよね。果たして盗撮は開始され、管理人の興奮は頂点に達していたでしょうね。その時、ひょっとすると、奥さんの欲求不満に気付いたのかも知れない。でも、自分から奥さんを誘惑したり、ましてや襲ったりなどできるはずもない。それは、そこまでの犯罪はできないという気持ちよりも、そこまでしてしまうと却って冷めてしまうという思いが強い二ではないでしょうか? 盗撮に嵌る人は、見ているだけで満足なんです。よくあるでしょう、目標を達成してしまうと、急に気が抜けて腑抜けのようになってしまうということが、管理人にはそれがよく分かっているので、盗撮に没頭していたんです」

「なるほど」

「奥さんは、そんな状態でいることをまったく知らなかった。自分の欲求不満をどうしようかと思っているところ、浪人生を気にするようになったんです。それは、管理人も一緒でした。今のような平凡な家庭生活にも飽きてきたし、彼女自身が悶々としている。何か刺激をと思っているところに、隣に浪人生がいることを知って、彼を見ていたんでしょうね。浪人生もきっと奥さんの視線に気づいたんでしょう。奥さんを気にするようになった。そこに管理人が何か声を掛けたか、奥さんとの接触できるような何かをしたのかも知れない。だから、浪人生と奥さんが不倫関係になっていたと仮定したら、そこに管理人が大きく影響している可能性はあるんじゃないかって思うんですよ」

「そうなると、管理人がこの事件で一番大きなかかわりを持っていることになりますね。管理人が行方不明というのは、浪人生に何かしたんでしょうか?」

「その可能性は大いにあると思います。盗撮グッズを被害者が持っていたということは、きっと彼は少なくとも一度は、しかも、彼女が殺されたからになるんでしょうが、あの部屋に入ったということになる」

「じゃあ、殺されたあの時ですか?」

「僕はそう思っているんだ。そして、もう一つ気になるのが、死体を発見した時の管理人の様子だよね。まわりから見ていた人の話では、その様子はあまりにも変わっていた。オタオタしていたというが、その様子が滑稽にも見えたという。何か作為でもあるのかと思ったけど、それは、自分が第一発見者だということを強調したい思いと、その時に盗撮グッズを一緒に摂り外すための時間稼ぎもあったのではないだろうか。彼は奥さんが死んでいるのかどうなのか分からなかったので、とにかく行ってみた。そして、急いで盗撮セットを取り外したのではないかな? それをしておかないと、自分が犯人にされてしまう。扉を開けていたというのもそのためで、十分も開けていたというのは、その間に盗撮セットを取り外す時間としてのタイムラグと、早く発見させるためという意識との両方があったんだろう。ある意味彼は慌ててはいたが、かなり冷静でもあったんだろうね」

「さっき、二回襲われたようなことを言っていましたが?」

「うん、最初はきっと自分の部屋で殴られたか何かだったんだろうね。夫婦喧嘩が原因ではないかな?」

「じゃあ、旦那との言い争い?」

「そうだね、それはキャバクラとは別のことだと思う。ひょっとすると隣の浪人生のことに気付いたのかも知れない。ひょっとすると、彼がハムスターを奥さんが来るからと言って、ハムスターをどこかに預けに行くのを見て、何か不審に感じたか何かがあったのかも知れない」

「なるほど、そこで奥さんは意識が朦朧として、ラリったような状態になった。それを管理人は見ていたことになりますね」

「そうなんだ、見ていたんだろうね。そこで奥さんが部屋から出ていくのを見た。きっと行ったのは、隣じゃないかな?」

「その時、旦那は?」

「殺してしまったとでも思ったかも知れないな。そのあとパチンコに行っていたという神経はよく分からないが、パチンコ依存症の人は、それくらいのこともあるかも知れない」

 盗撮マニアだったり、パチンコ依存症だったりと、どうもこの犯罪には変質者が多いようだ。

「この事件の特徴は、出てきた事実から判断すると、簡単に組み立てられることなんだけど、そこに異常性癖の人間が数人介在していることで、話がややこしくなっている。しかし逆に、裏に返したものを、さらに裏返して表にしてしまうというのもあるんだ。だからややこしいし、確実なことが言えなかったりするんだ」

「よく分かりました。じゃあ、奥さんは瀕死の状態で浪人生のところに行った。浪人生は見たこともないような恐怖の、いや断末魔に近い顔で自分を見ている奥さんを見て、怖くなった。そこで、衝動的に奥さんの首を絞めたというところですか?」

「さらに、あの奥さんにはM性があるようなんだ。ひょっとすると、首を絞められている時、エクスタシーに達し、もっと絞めてと言ったかも知れない。そんな奥さんが彼はさらに恐ろしくなった。そして彼は自分でも気づかなかっただろうが、今まで眠っていたSの性格が現れた。そうなると結末は見えているよね。彼は、自分がしてしまったことが怖くなった。いくら本気ではないと言っても、この状態であれば、必ず犯罪は露呈するとね。そこで彼女の遺体を彼女の家に持って行った。幸い扉が開いていたので、急いで運び込んだんだ。そして、ちょうどその時、管理人が盗撮グッズを片づけているところと落ち合ったかも知れない。これは私の想像なんだが、そこでmその場は二人で協力して、この部屋で殺されたことにしようと思った。何しろ一度は旦那に殴られて脳しんとうを起こしているんだからね。その時旦那にすべての罪を擦り付けることはできないと思ったんだろう。だから、扉を開けて早く見つけてもらい、とりあえず自分たちのアリバイを何とかする。第一発見者ではあるけど、旦那が殴ったという事実がある以上、旦那がまず第一容疑者だからね。だが、それも管理人が真面目な旦那に、キャバクラのことを教えたからなのかも知れない。そして、念のために、外部から侵入して殺されたかのようにも偽装した。変質者の犯行にしようとでも思ったのか、これは管理人の発想だろうね。彼自身が変質者だったんだから。ただ、もう一つ考えられることとして、彼女の死は一種の中毒のようなものもあったのではないかと思うんだ。彼女は動物アレルギーだった。いくら偶然ハムスターはいなかったとはいえ、いきなり来られたので、掃除はしていなかったはずだ。毛やアレルギーを発送させるものが落ちていたかも知れないね。一種のアナフィラキシーショックというやつだね。・。だからと言って、浪人生に責任はないとは言えない。不幸な事故ではあったかも知れないが、証拠の隠滅を図ったり、管理人にそそのかされたとはいえ、偽装工作をしたんだからね」

 鎌倉探偵の話は的を捉えていた。

 綿引刑事も、鎌倉氏の意見に概ね賛成であった。

「じゃあ、浪人生が殺されたというのは、浪人生が管理人を脅した?」

「そうだね、管理人は浪人生が殺人を犯したという後ろめたさがあるから、まさか自分を脅すなどと思ってもいなかっただろう。浪人生は浅はかにも自分のやったことを、管理人に押し付けようと思ったのかも知れない。そんなことを考えなければ死なずに済んだかも知れないのに」

 と鎌倉探偵は絶え息をついた。

 捜査はその後、ある程度進み、鎌倉探偵の意見を裏付けるものばかりが出てきた。そしてちょうどその頃、管理人の死亡も確認された。場所は樹海に近いところの登山口で、車も人も入らない場所に車を止めてから、睡眠薬を大量に呑んで緒覚悟の自殺だったようだ。

 遺書には、大変なことをしてしまったので、自分を清算すると書いてあった。死亡したのは、かなり前で、どうやら失踪してから二、三日あとくらいになるようだ。

 鎌倉探偵は、依頼人が死亡していたことで、依頼の内容のことを話してくれた。それはこの事件とはまったく関係のない事件で、綿引刑事は少し意表を突かれたが、だが、あの時の鎌倉探偵の言葉を思い出した。

「この依頼は最初、事件とは何の関係もないと思っていたけど、実はそうでもなかったんじゃないか」

 と言っていたあの言葉である。

「あれは、どういうことだったんですか?」

「彼の依頼というのは、ある会社が今も存続しているかということであり、その会社の責任者がどうなったかということでした。その会社は存続はしているが、経営陣はまったく変わっていた。会社名も変わっていて。まったく違う会社の様相を呈していたんだ。彼は実は七年前にその会社のお金を使いこんでしまい、それがバレる前に会社を辞めたんだけど、会社の方では、それが誰の仕業なのか、突き止めることができなかった。刑事訴訟は業務上横領の場合は七年なんだけど、民事の場合はもっと長い。それが彼には怖かったんじゃないかな? その確認を私に依頼したんだよ」

「じゃあ、鎌倉さんに依頼した内容を確認する前にこんな事件が起こったので、横領の問題もあって、怖くなって姿を消して、死を選んだということでしょうか?」

「そうだね。だから僕はこの事件には小心者が多いと言ったんだ。小心者や異常性癖が多いので、簡単な事件がややこしく見えていたんだろうね。ただ、幸か不幸か、その中に真面目な旦那のような人も混じっていたというのは、実に皮肉なことではないだろうか」」

 そう言って、鎌倉探偵はまた溜息をついた。

 この溜息は、小心者や異常性癖のために死んでいった死者に対してのレクイエムだったのかも知れない・


                  (  完  )

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猟奇単純犯罪 森本 晃次 @kakku

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