第7話 野望

 赤魔術十字軍の首領と、宗教団体の教祖であった降天女帝とは、同じ日に処刑された。首謀者のほとんどは同じ日に、同じ処刑場で処刑されたのだが、特にこの二人は時間的にもあまり変わらなかった。

 実は二人が逮捕されて分かったことだったのだが、この二人は夫婦だった。実際に子供もいて、当時十歳くらいだっただろうか。今ではもう成人していて、立派な社会人として働いているのだろうが、そのことはほとんど誰にも知られていない。

 二人が世間を騒がせた首領ではあったが、二人の正体、つまり、普段の名前は生い立ち、さらに家族構成などはまったく公表されていない。いくら稀代の悪党だとしても、その家族のプライバシーは守られるべきだという考えであるが、さすがに彼らが処刑されるまでは、その家族は公安の監視下にあった。

 公安は、秘密結社の再結成を極端に恐れた。なぜなら、組織の幹部を逮捕し、拘束できたのはよかったが、彼らの本当の目的や、それに対しての準備が、どこを探しても見つからなかったからだ。これほどの大罪を犯しておきながら、その目的は曖昧だというのは考えられない。幹部や首謀者の逮捕というのは、仮の出来事であり、本当はその裏で大きな陰謀が暗躍しているのではないかと思ったのだ。

「おい、お前たちの本当の目的は何なんだ?」

 といくら問い詰めても口を割らない。

 少々の幹部程度では、その目的を本当に知らないようだった。

――ひょっとして、逮捕されたこの幹部連中。本当は替え玉なんじゃないか?

 とさえ考えた捜査員もいたくらいに、彼らは捕まってからが神妙だった。

 今の世の中は、戦後の混乱とはだいぶ変わってきた。(ここでいう今というのは、戦後二十年くらいの、いわゆる高度成長時代の入り口くらいの時である)

 そんな時代に入ってくると犯罪も、それほど凶悪の度合いはなくなってきたが、ちょくちょく毎日のように小さな犯罪は起こっている。

「それだけ時代の流れが早いということか」

 と思っている人も多かったことだろう。

 戦後の混乱期は、有無も言わせずの混乱期で、犯罪発生も仕方のないものに思えたが、当時の高度成長時代も確かに仕方ないと言える事件も多かったが、作為的なものが多いのも事実だった。

 それだけに、犯罪の規模も小さくなり、陳腐なものも結構あった。記事にするのも恥ずかしいくらいの記事もあり、例えば食い逃げなどの事件であっても、戦後であれば、食料が致命的になかったのだから仕方のないことだが、高度成長期には、しようと思えば何とでもできたはずだ。逆に戦後であれば、捕まらなかったような小さな犯罪スタ謙虚される。警察という組織もノルマがあるということか。

 そんな時代に二十歳そこそこで彷徨っている一人の男がいた。これが、赤魔術十字軍の首領と、教祖の間の子供であった。

 彼は、最初こそずっと一人だったが、途中で一人の老人と出会い、一緒に暮らすようになった。彼がいうには。

「俺はお前さんの父親を知っているものだ。悪いようにはしないから、一緒に住まわせてはくれまいか」

 と言ってきたのだ。

 もう少し余裕があれば、一人でもよかったのだろうが、背に腹は代えられない。この老人と一緒に暮らすようになった。

 この老人は、身体が思うように動かないようで、まるでせむしのように腰を曲げていて、見るからに三頭身の珍竹林なのだが、頭は冴えているようだ。それも悪知恵に関してはかなりのものがあるようで、特に身体が不自由な中で一人で暮らしてこれるのだから、それなりに知恵を持っていなければ今頃はのたれ死んでいたかも知れない。

 それを思うと、この老人が無性に勇ましく見えた。やはりここまで落ちぶれてしまうと一人よりも二人の方がいいのかも知れない。

 二人は六畳一間の部屋を借りて、二人で住むことにした。この青年がその前にどこにいたのか、そして老人がどこから来たのかはこの物語には直接関係ないので、割愛することにしよう。

 老人は、この青年がかつて世間を騒がせた大悪党である巨大組織の首領と教祖の息子だということを知っていた。知っていて、この青年には内緒にしておいたのだ。なぜなら、老人にはこの青年が、自分の父親と母親のことを知っているのかを、ハッキリと知らなかったからだ。もし知っていて、この青年が家族のことを知らなければ、彼の前に現れることはなかったかも知れない。

 老人は、少年の育ての親でもあったが、実際には少年がお金を稼いできていたので、実際には育ての親と言えるかどうかは分からなかったが、少年としては感謝はしていたようだ。

「お前は、何になりたいんだ?」

 と老人が聴くと、

「偉くなりたいんだけどね、なかなかそうもいかないよ」

 と言って笑っていたが、そんな時、老人が少年にマインドコントロールの極意を教えた。

 それは、

「誰にでも当て嵌まることを言って、あたかもその人だけに言われているような話すをすること」

 というバーナム効果に少し毛の生えたようなものだったが、この話を聞いてすぐに少年は理解できたのか、それから少しして、占い師として商売を始められるくらいにまでなっていた。

「占いなんて、本当は胡散臭いことしたくないんだけど、これも将来のための資金稼ぎだと思うと、しょうがないと思っているよ」

 と、占いをすることに不満を感じているという愚痴をこぼしていた。

 それを聞くと老人は、

「うんうん」

 と言って、涙を流し同情していたが、そのうちに、

「いい話があるんだけどな」

 と言って、彼に耳うちした。

「お前は、天王寺博士という人物を知っておるか?」

 と聞かれて、

「聞いたことはあるけど、何でも偉い先生なんだってね」

 という、その程度の知識しかなかった。

 博士と言っても何の博士なのか知る由もなく、興味もなかったのだ。

 すると、老人が言った。

「その博士が、マインドコントロールには男性よりも女性の方がはるかに潜在能力があるということを発見し、そのための女性ホルモンを開発したのじゃ、女性ホルモンと言っても、マインドコントロールに特化したホルモンなので、別にそれを摂取したからと言って、女性になってしまうということではない。それを手に入れてマインドコントロールを自在に操れれば、今の占いなどではなく、もっと大きなことができるようになるとは思わんか?」

 と言われ、最初の頃は、

「そりゃあ、そうだろうけど、俺にはそんな大それたことはできないよ。要するに泥棒してこいっていいんでしょう?」

 彼は貧乏であったが、盗みをするようなことはなかった。

 もっとも、ギリギリまで我慢していると、まわりの人が見かねて、必ず何かを恵んでくれていた。それは彼の役得のようなもので、きっとずぶ濡れの犬を思わせるような目に、まわりの人はコロッと情にほだされる気持ちになるのだろう。

 そういう意味で、いつもギリギリのところで犯罪をせずに済んでいた。それだけに犯罪に対しての彼の憤りはハンパでもなかったのだ。

 彼の決意が固いことを感じた老人は、何とか彼にその女性ホルモンを与えてやりたいと思った。実際にそれは、老人の善意からではない。彼にも思惑があり、一種の復讐のようなものだった。

 老人は今ではみすぼらしくしているが、実際には数人の子分を従えていた。今ではお金もなくなってしまい、子分を養うこともできず、皆彼から去ったが、そんな連中を探し当て、

「いい話があるんだがよ」

 と言って、仲間に引き入れた。

 それは、女性ホルモンを盗み出すという計画で、ただし、博士も必死に隠しているだけになかなか盗み出すことは難しいだろうと分かっていたが、それでも何とかするのがこの老人だった。

 身体も思うように動かず、せむしのような体格をしているが、頭はまだまだ若い頃と変わらず素晴らしいものがあった。

 彼の昔の仲間だった学者の一人に、弱みを握っているやつがいて、彼が今博士と身近な位置にいることを突き止めると、彼に協力を仰いだ。

「成功しますかね?」

 という半信半疑の研究者に作戦を伝授すると、彼は非常に作戦のすばらしさに驚き、ささっそく実行に移された。少しだけ中身を頂き、ホルモンが液体だということで、少しだけ頂き、残った瓶に同じような液体を入れ、ごまかそうとした。一応は作戦は成功したのだが、残った分が変色し、異物混入がバレてしまい、秘密裏というのは失敗だった。

 それでもこちらとしても、バレた時のことは最初から考えていたので、へまをすることはなかった。もし誰かが秘密を盗んだとしても、そこから足がつくようなことはしなかった。

 相手は、それなりに用心していたことだろう。しかし、老人の頭脳は相手の要人を超越していた。ちゃっかりと盗み出すことができて、ほくそ笑んでいた。

「さて、これからこれを分析せねばな」

 と言って、老人は翌日訪ねてきたスーツ姿の紳士に、その液体を渡した。

「うまくやってくれよな」

 というと、相手はニンマリと微笑んで出ていった。

 いや、ニンマリと微笑んだというのは、ハッキリ見たわけではないが、老人の表情から察してそう思っただけだった。何しろその男は目深にスフと某を被り、サングラスを掛けていたからだ。まるでテレビドラマに出てくるギャングのようではないか。黒ずくめに赤いネクタイ。不謹慎だが、思わず吹き出してしまいそうないで立ちだった。

 男はタクシーを拾って、帰っていったが、

「誰かにつけられないようにしないといけないからな。タクシーなら途中で降りて、ビルの谷間を駆け抜けて、反対側の道路からまた乗れるだろう? 相手は車で追跡しているだろうから、簡単にまけるのさ」

 と老人は言った。

――おの老人は一体何者なのだ?

 と、青年は末恐ろしさを感じた。

 そしてハッキリと言えることは、

――この人は味方にすれば頼もしいが、敵に回すと、とんでもないことになる――

 ということであった、

 味方でいてくれてホッとしていたが、これだけ用心深く世の中を渡ってきたということは、かなり危ない橋を何度も渡ってきているということでもある。そうなると、どれだけ敵がいるのか、それを思うと恐ろしくて仕方がない。

「あの女性ホルモンの薬は、わしが信頼している研究所へ持っていって、調べてもらっている。それが間違いなければ、あのクスリとわしとの因縁も晴らせるかも知れないのじゃ」

 と、意味深な発言をした。

 その内容を聞いてみたい気がしたが、この老人は確証が掴めていないことは何を聞いても話そうとしない、ただの爺さんだと思っていたが、心の奥には芯の強さが見て取れる。それが信頼感となっているのだから、その絆は厚いものだと信じていた。

 それからしばらくしてから、例のギャング風の男が尋ねてきた。薬を持って行ってから、ちょうど一週間くらいが経ったころだろうか。老人も待ちかねたように、その男を部屋に招き入れた。

 居間に座布団を敷いて三人で三角形を作って座ったが、部屋の中ということもあり、例のギャングスタイルから、少しラフになっていった。サングラスを外し、上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。

 その目は二重瞼で、サングラスでは分からなかったが、想像以上に優しそうな顔をしていた。

 三人は胡坐をかいて、楽な姿勢を取っていた。

「どうじゃった? ちょうど一週間、わしの思った通りの期間だということは、間違いないと思っていいんじゃろうか?」

 と老人が男にいうと、

「ええ、間違いありません。例のクスリでした。あれでしから、こちらにも設計図がありますので、作ることはできます」

「なるほど、やつらが作っているのは、わしが見ると、結構面倒なことをしているようだが、どうじゃな?」

「ええ、その通りです。こちらの設計図の方が簡単に抽出できます。やはり同じものを作ってはいるんですが、あっちのはまがい物だと言ってもいいんじゃないでしょうか?」

「よし、分かった。じゃあ、これの大量生産は任せよう。それほど費用もかかるまい」

「ええ、ご老体の手を煩わせることなく、我々でもできます。こんなに分かりやすい設計図を作ってくれたんですからね」

 と男は言った。

 青年は少々浮かぬ顔で男の顔を見ていたが、それを察した老人が、

「どうしたんだ?」

 と聞いたので、正直に聞いてみた。

「今の会話を聞いていると、何だか、お爺さんはあのクスリについてよく知っているように思えましたはどうなんでしょう? わざわざ盗み出したのは、その秘密をこちらも知ることで同じものを作ろうとして、この方に相談しているのかと思いましたが、どうも違うようだ。こっちも設計書があって、こっちの方が安価でできるなど、まるで同じものを同時に作っているかのように聞こえますが」

 と聞くと、老人はニコニコ笑って、

「そうだよ。同じものをこれからこっちでも作ろうというのは間違ってはいない。だけどね、最初にあのクスリを開発したのはわしらの方なんじゃ、やつらはわしらからあの技法を盗んで、勝手に悪用しているんだ」

 と言った。

 青年は、老人に恩があるので少し困惑していた。聞いているだけでは、お互いに盗みあっているだけで、どっちもどっちに聞こえたからだ。

 すると男はその気配を感じたのか、

「まあ、お坊ちゃんが怪訝なお顔をされるのも分かる気はしますが、どうです、ここはせっかくなので、我々を信じてみては」

 と、仰々しい恰好をしているわりに、案外と楽天的のことをいう。

 サングラスも外して足も崩したのだから、緊張感は完全に解けていた。

 それにしても気になったのは、どうしてこの男がこの青年のことを、

「お坊ちゃん」

 と呼んだのかということだ。

 この青年は、自分がよく分からなくなった。

――そういえば、ずっと気にはなっていたが、聞いたことはなかったな――

 ということがあった。

 それはこの老人が最初に自分の前に現れた時、

「お前のお父さんを知っている者だ」

 と言ったことだ。

 老人が懸念していたように。彼は自分の親が悪の秘密結社の首領だったということを知らない。彼らは自分の子供に危害が加わらないように、密かに他の人に預けていたのだ。それが預けられた人たちが首領の息子だということを知って、冷たくなり、少年が自分から出ていくように仕向けたのだ。

 こちらから意地悪して追い出すのは忍びない。何とか少年が自分から出ていくようにすれば、自分たちに罪悪感はなくなるだろうという考えだった。

 だから親のことは一切話さず、子供の意志で出ていくように仕向けたことで、息子はどうして出ていかなければいけないのかということを悩みながらも、運命だと受け止めて出ていった。

「捨てる神あれば拾う神あり」

 拾ってくれたのが、この老人で、老人は実際に優しいのか、それとも厳しいのか分からなかった。

 それでも少年が二十歳近くなってくれば、

「爺さんが言っていることや、自分にしてくれることがすべてこの自分のためだ」

 と思うようになると、もう両親のことはどうでもよくなってきた。

 自分が働いて二人で食っていけばいいと思っていて、そのほとんどはその日暮らしだった。

 しかし、老人はその日暮らしの中に、何かを企んでいるのは分かった気がした。このままその日暮らしで終わる気がないということは分かった気がしたが、具体的にはどういうことなのか、よく分からなかった。

 だが、最近になってこの爺さんは、自分の想像を絶するような行動をすることがしばしばあった。

 今回のことでもそうだが、それ以前にも何度かあったが、それは単独で終わっていたので、それが継続性のあるものであれば、何か気にしたのだろうが、それも後から分かったこととして、それらの単独のことも、今回おことの前哨戦であったのだ。

「わしには、実は野望というものがある。こんな年寄りが何をいうかと思っているのだろうが、わしだって若い頃には大いなる夢を持っていた。実際に夢を叶えられるところまで行っていたと思っている。叶えたと思った瞬間に、指の間からすり抜けて行ったという感じであろうか。お前にはまだ分からないだろうが、大きな目標を持って、それに向かっていくのは、本当に素晴らしいことだ。毎日がまるでバラ色に輝いているような気がするんだ。いずれお前にもその気持ちを味わってもらうことになるので、楽しみに待っているといい」

 と言って老人は応えた。

 少年はどう答えていいか分からずキョトンとしていたが、それがおかしかったのか、ギャングの男はニコニコしている。

 少年は今までに夢というのを持ったことがなかった。親とはほとんど一緒におらずどこの誰なのか分からないが、育ててくれた祖母祖父に対して、定期的にお金を送ってくれているくらいだった。

 それも、困るようなことのない額で、金銭的に少年が困ったということはない。しかし、その祖父が死に、祖母が亡くなると、天涯孤独になった。死んだ祖父の蓄えがあったのと、少年自身の不屈の精神のようなものがあったことで、老人と出会うまでは何とか生き延びてきた。

 この不屈の精神というのは、ある意味できっと両親の遺伝なのかも知れない。少年は本当の両親を知らなかったが、自分が考えているよりも、よほど偉い人ではないかと思っていたが、その思いにそれほど大きな違いがあったわけではなかったのは、彼の勘がいいところがあったからかも知れない。

 少年はある程度両親からの遺伝を受け継いでいるのではないかと老人は思っている。

「わしは、お前の親の知り合いだ」

 と最初に言っていたが、それは間違いではない。

 かなり親密な関係であったが、この老人が組織の中でどれほどの役目を持っていたのかということは、明らかになってはいなかった。嫌疑も掛けられず、投獄も処罰もなかったのだから、中枢にいたわけではない。ひょっとすると、両親がこの少年のために遣わしたお目付け役のようなものだったのかも知れない。

 首領が死んだということ、いわゆる処刑されたということは、人づてに聞かされた。新聞には小さく掲載されていたが、詳しくは分からない。ショックではあったが、実際の自分の役目がここからだと感じた老人は、首領の死を糧に、少年を立派なオトコにしようと考えた。

 ただ、それがどのような「立派さ」なのかは、老人の気持ちにしかない。一般社会に貢献するという意味での立派なという意識なのか、それとも両親の意志を継ぐという意味での立派なことなのか、老人はどう考えているのだろう?

 ただ、老人には何か野望があるという、どうやらギャング風の男性はそれを知っているようなのだが、そのいで立ちだけを見ると、いかにも怪しく思えるのだが、一緒にいると、どうも悪い人には思えてこない。老人に対して従順であるし、少年に対しても敬意を表しているのは、見ていてよく分かった。

 少年は、自分の中に何か力が備わっていることを、老人と一緒に暮らすようになってから感じるようになった。その力が何なのか、そしてどのような時に発揮されるのか、いや、いつ発揮しなければいけない力なのか、そこまでは分かっていなかった。

 しかし、今回の老人は明らかに何かをしようとしている。目の前にいるギャング風の男を使って何を企んでいるというのだろう。しかもそれは自分に大いに関係のあることのようだ。キーワードとして、

「マインドコントロール」

 というものがあり、目的を達成させるために、世界的にもどえらい権威を持った天王寺博士のところから、

「女性ホルモン」

 なるものを盗み出している。

 そもそもこの天王寺博士というのがどういう人物なのか、少年は自分なりに探ってみた。いろいろな学問で権威を発揮していて、政治にまで参画しているというではないか。そんな人のところから秘密とされている薬を盗み出すなど、狂気の沙汰に思えるほどだ。

 それを平気でやって、しかも成功している。相手が盗まれたことを知っているなら、何かしてきそうだが、それもない。

――きっとこの二人は天王寺博士のことを知り尽くしているんだ――

 と思えた。

 天王寺博士が、赤魔術十字軍という悪の組織を滅ぶすために尽力したことまでは知っていたが、どのようにしたのかなどは、表に出ていない。当時のことを知っているかなり組織に近い人間に聞くしかないのだが、そんな人が残っているわけもなく、残っていたとしても、見つけ出すのは困難を極めるだろう。

 天王寺博士は今政治の世界が忙しいようだ。研究論文も久しく出していないし、研究をする暇がないくらいに、政治に入り込んでいるという。老人が盗み出すタイミングを見計らっていたとすれば、今の機会を最初から待っていたのかも知れない。

「ところで例の女性ホルモンだが、お前はあれを研究所に持って行ったんだよな? わしの話を工藤教授に伝えたか?」

 と老人はギャングに言った。

「ええ、おっしゃる通りに伝えました。工藤教授は最初ピンとこないようでしたが、一緒に預かった封筒を見せて、教授がそれを一読すると分かったみたいです。読んでいる最中から顔色が変わってくるのが分かりましたからね。四阿署は驚き、そして興奮、最後は笑いまで出ているくらいでした。あの教授があんなに表情を変えるのは初めて見ました。しかも瞬時に変わるんです。一体どんな魔法だったんですか?」

 と、ギャングは聞いた。

「魔法? 魔法なんて使ってはおらんよ。もし可笑しかったのだとすれば、それは工藤教授の考えていることと、わしが考えていることがピッタリあったということだろうな。わしが工藤教授の立場だったら、同じように笑い出したと思うんだ」

 内容を知っているのは、書いた本人である老人と、それを読んだ工藤教授しかいない。

 それを思うと、知りたいという気持ちとは別に、

「自分みたいな者が知るべき代物ではない」

 という思いもあり、複雑な気持ちになった。

 魔法使いというのは、えてして、こんなところにいたのかも知れない。いずれこの連中が何を考えていたのか明らかになるのだろうが、今がその中のどの段階なのか分からないのは少し気を揉むところだった。しかし、いよいよ老人のいう野望というのが佳境に入ってきて、自分が参画するようになったということは自覚しなければいけないだろう。

――果たして僕は、どんな役割を持っているというのだろう?

 そう思うと、震えが止まらなくなるのだった……。

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