第5話 暗躍
求刑のそのほとんどは死刑であった。検察側はそれだけの事実も証拠も握っていた。裁判は完全に検察側有利に進み、何と言っても国家転覆を狙うテロ組織として、世間は推定死刑だったはずだ。
したがって、裁判で死刑判決に至らなければ、逆に問題になったであろう。
「やつらが何年かして出てくれば、まだ逮捕されずにくすぶっている連中や、ひょっとするとまだ何かを隠していて、釈放されればその時点で彼らが息を吹き返したりすれば、同じことが起こる」
として怖がっていた。
また別の意見として、
「彼らがアッサリ捕まったのは信用できない。まだ何か恐ろしいことを企んでいるのかも知れない。死刑にしなければ、俺たちは安心して枕を高くして寝ることができない」
と言っている者もいた。
まさにその通りであろう。
確かに、天王寺博士の切れ味鋭い推理と、他の地下組織と警察とのローラー作戦で彼らを撃滅はできたが、これが果たして本来の姿だったのかというと、誰もが一抹の不安を持っていた。
あれだけ自信に満ち溢れていて、犯行声明まで出して我々をおちょくっていたのに、こうもあっさりと捕まってしまうと、誰が想像しただろう。
確かに彼らが捕まって、平和になったことは喜ばしいことであるが、完全な安心が得られたという保証はどこにもなかった。
彼らのような魔術師的な連中は尻尾を切ってでも逃げようとするトカゲに似ているのではないだろうか。それを思うと、市民はオチオチしてはいられない。
彼らが分かっている全員が逮捕されたのは、昭和三十五年になっていた。彼らが最盛期だったのは、それから五年以上も前のことで、それから比べれば時代はかなり進んだ。いろいろ便利なものも出てきて、経済復興、さらには自由への風潮、男女同権など、かなり進んだと言ってもいいだろう。
本来であれば、そんなに時間が経っていれば、少々の凶悪事件でも、世間の目は冷めた目になっていても無理もないことであろうに、この事件だけは風化することもなく、いつまでも語り継がれていた。それだけ、一大センセーショナルを世間に振りまいた事件だった。
彼らの犠牲になった人は分かっているだけでもかなりの数だ。さらに誘拐、行方不明を含めるともっとになるはずだ。
無差別殺人、無差別誘拐、そんな犯罪が当たり前の組織だったからだ。
その少し前までは戦争だった。戦争というと、空から雨あられと降ってくる爆弾で、いつ爆死するか分からない状態であった。無差別殺人、しかも一気に大量殺戮である。そんな地獄を味わっているのだから、感覚はマヒしているはずの国民が、なぜここまで怯えたのかというと、
「狙われて殺される」
ということに恐怖を感じたからだ
戦争で死ぬのは、理由も何もなく、巻き込まれるようなものだ。そして普通の殺人事件は、怨恨であったり、金目の物を奪うなど、それなりの理由が存在する。しかし、彼らの無差別殺人には、そんな理由は存在しない。まるで降ったサイコロの目が、自分をさしていたから殺されたとでも言わんばかりのことなのだ。
――それこそ理不尽と言えるのではないか――
そう思うと、自分はそんな死に方だけは嫌だと思うのだ、
戦争中は死ぬことを怖いとも思わなかった人が、そう感じると、初めて死というものを意識したような気がして、ゾッとする。何しろ爆弾が降ってきて、逃げ回っていても意識しなかった死の恐怖である。あの時は、
――どうせ皆死ぬんだ――
という思いがあったから、死ぬことも怖くなかったのかも知れない。
それを、
「死に対して感覚がマヒしていた」
というのかも知れないが、あと二なって感じる別の死の恐怖は、決して死にたいして感覚がマヒすることのないものだった。
そういう意味で、少しでも自分たちに死の恐怖というものの意識を沁みこませた連中を生かしておくというのは、これ以上の不安や恐怖はないということを意味していたのだ。
彼らは長い裁判となったが、ほぼ全員の結審がついた。首領格の五名は死刑。そのほかの幹部は無期懲役。そして、個々の犯罪の実行犯お呼び首謀者たちは、懲役十年から十五年、妥当な裁定だったのではないだろうか。
彼らに対しての判決理由は、
「自分たちの勝手な理想のために、何の関係もない人の命を奪い、社会を恐怖のどん底に落とし込んだ罪は許されることのない大罪である。情状酌量の余地もまったくなく、よって極刑に処するのが妥当だと考える」
というものであり、検察も納得だった。
世間一般的には、
「これでも生ぬるい」
という意見もあったが、民主国家ということもあり、これ以上の判決は無理であろう。
さらに、彼らが起こした隠れ蓑とされる表向きの一般企業はそのまま残されることになった。
ただし、会社名の変更と、トップの総入れ替えはしょうがないとして、それでも潰されることなく、この世に残ったのである。
中には学術研究所のようなものもあり、それらは国立の研究所の付属として存続するものや、民間の製薬会社となったものもあった。
中にはよく分からない企業もあったが、そんな企業は類似企業に吸収される形で潰れはしないが、名目上はこの世から姿を消すことになった。
研究所などは、解放されて初めて分かったことだが、最先端の科学技術の粋が築かれていて、そこに残っている研究ノートからは、恐るべき内容が数々発見された。
だが、これは氷山の一角で、本当に研究していた内容は、すでに焼却されていて、そのほとんどが残っていない。それをほとんどの人たちは知らなかった。
だが、一部は天王寺博士のところに所蔵されることになったのを知っている人は、それこそ誰もいないだろう。
研究所が解放された時、解放した警察関係者や国家から派遣された学者はそれを見ると愕然となった。人体実験などに事情的に行われていて、集団殺戮もあったようだ。
「まるで、アウシュビッツのようだ」
と言った人がいたようだが、それよりもひどいかも知れない。
「七三一を想像した人が多いだろうが、実際には証拠としてはまったく残っていない。完全に破壊されたからだ。
ウワサでは、アメリカとの取引に使われたとも言われるが、あくまでもウワサでしかない。それを思うと、あの戦争は一体何だったのかと言いたくなる気持ちも分からなくもないだろう。
民間に払い下げられた研究所は、そこで製薬会社となったわけだが、そのバックで暗躍している姿があったことを誰も知らない。
製薬会社だけではなく、他にも民間に払い下げられた会社のいくつかに触手を伸ばしていた人もいたのだ。
そんな状態を知ってか知らずか、時代は進んでいく。次第にこのような国家転覆計画があったということもウワサとして残っているだけで、風化してしまうのではないかという懸念もあった。
犯罪人の結審がついてから約十年後、死刑囚たちは徐々に処刑されていった。死刑が確定して十年での処刑というのが早いのか遅いのか分からないが、死刑が確定してから、いや、求刑されてからずっと死刑囚たち誰からも、異議申し立てをする人はいなかった。
彼らはそれだけ潔かった。
やったことは社会を恐怖のどん底に叩き起こすような事件であったが、最後の潔さだけが彼らにとっても救いではなかっただろうか。
それはまるで、大日本帝国時代の軍人が、処刑されたり、玉砕などをする際に、
「天皇陛下万歳」
と言って、死んでいったのと酷似しているではないか。
彼らには、そういう軍人魂というか、大日本帝国魂のようなものが備わっていたということであろう。
再軍備も視野に入れての彼らの活動、しかし考えてみれば、最後の最後まで彼らの本当の目的はハッキリとしなかった。警察の取り調べで一人の刑事がやたらと彼らの真の目的について追及していたのが印象的だったが、一人だけで叫んでいてもどうなるものでもない。
彼の話として、
「彼らの本当の目的を知らなければ、もしまた同じような団体が出てきた時、今度こそ国家がなくなるかも知れない危機に陥る。その時のために今、この犯罪における本当の目的を知っておく必要があるのだ」
ということだった。
しかし、赤魔術十字軍という軍団は完全に崩壊したと言ってもいいだろう、幹部は処刑されるか、投獄されている。ただこれはあまり知られてはいないことだが、赤魔術十字軍の首領が誰だったのかということだ。幹部は逮捕され尋問を受けた時、そのことをしつこく聞かれたが、誰一人としてその名前を明かしていない。
ただ一人、気になることを言っている幹部がいたのも事実で、
「首領の名前を私がここで明かすことは控えさせていただきますが、首領はもうこの世の人ではありません」
と言い出した。
「それはどういうことだ?」
「首領は、ある男に暗殺されたのです、毒殺でした。我々は軍団統制のため、そのことをひた隠しに隠匿しました。絶対に最上級の幹部以外は知らないようにしなければいけない。だから、数名しか暗殺されたことを知りません、逆にいうと、首領の正体を知っているのも、自分たちだけなのです。これを明かしてしまうことはできません。ただ、この世にいないことだけを私は伝えたかった」
「よく分からないな」
「首領の名前が明かされるということは、せっかく民間人は我々の組織が壊滅したということで喜んでいるのでしょうが、首領が分かってしまうと、また混乱が起きてしまうということです。我々はすでに終わってしまった軍団が世間を騒がすことを望みません。絶対に嫌なのです。だから、他の幹部の誰も首領の名前を明かすことはないでしょうね」
ということだった。
この話を、告白者と同じ階級の幹部に話すと、首領が暗殺されたことはアッサリと認めた。
「ええ、毒殺だったんですよ。誰がやったかも分かっていますが、それこそ絶対に言えません。首領の名前よりもむしろこっちの名前の方がインパクトはあるでしょう。ひょっとすると天地がひっくり返るかも知れない。それよりも、国民皆が疑心暗鬼に陥って、誰も信用できなくなったらどうします? それくらいの問題なんですよ」
彼らがひた隠しに隠していることを何とか聞き出そうとしてみたが、口を割るやつはいなかった。戦時中の特高警察のような拷問ができるわけでもないので、取り調べにも限界がある。それを思えば、仕方のないことだった。
この時の尋問を受けた連中は、無期懲役という判決を受けた連中で、死刑になった最上級の幹部ではなかった。それでも首領の名前を知っていて、なおもそれを隠し続けるというのは、どんな意味があるというのか、それが誰にとって有利になることで誰に不利に働くことなのか想像もつかない。余計な詮索はこれ以上しない方がいいのかも知れない。
彼ら無期懲役になっていた人たちも、そのうちに特赦になり、シャバび出られた人もいた。彼らの中には、元々赤魔術十字軍の開発部署であり、今は民間の会社となっているところの相談役や非常勤取締役などの役職についた者もいたが、結局どこにも行けず、地味な仕事をすることで世間に溶け込んでいる人もいた。
さすがに、プライバシーの問題もあって、彼らがかつての赤魔術十字軍の幹部だったということに気付く人はいなかった。まるでルンペンのようなそのいで立ちから、幹部を誰が想像できよう。
取り締まり宅に就任した人の多くは、刑務所での中のことは記憶の奥に封印し、まるで幹部だったことが昨日のことだったかのように感じることのできる能力を保持していた。これくらいの能力がなければ、赤魔術十字軍で幹部はできなかっただろう。今は完全に崩壊してしまった軍団であったが、所属していたメンバーの質は実に高いもので、本当にうまくいけば、国家転覆も夢ではなかったのではないかと思われるほどである。
彼らは、最初こそ非常勤であったり、相談役などの、
「お飾り的役職」
であったが、そのうちに次第に企業の中枢に参画するようになっていった。
相談役や非常勤取締役というのは、身を隠す仮の姿。最初から、計画は決まっていたのだ。
彼らが会社での立場を確固たるものにしてくると、それまで地味に活動してきた研究所や会社が、俄然活気に満ちてきた。
それまで何も開発していなかったと思っていたところに、次々と新製品や、新薬を発表する。
「これはすごい、実に画期的な発明だ」
と、専門家や大学教授に言わしめたほどの研究結果で、彼らは即座に特許申請を行い、独占で販売に乗り出した。
そうなってくれば、会社の業績はうなぎ上り、誰が何と言おうとも、大企業に仲間入りするのだった。
そんな会社がまさか、昔は、国家転覆を狙っていた組織の生き残りだという意識はなかった。それほどマスコミも発達した時代ではないし、それ以上に時代が新しいものを求めている。つまりは、古い時代のものは、置いて行かれるということになるのだ。
そんな時代が幸いしたのか、彼らの過去を知る者は一部しかおらず、会社は順調に成長していく。一部上場もすれば全国に支店を広げ、その土地の地場企業を買収し、さらに巨大になっていく。まるで戦前の財閥のようではないか。
まさに財閥だと思わせるのが、まず彼らが目につけたのは金融関係であった。銀行などを味方につけて、いろいろ融資をしてもらう。それを銀行がフィードバックしてもらい、銀行も儲かるという仕組みだ。
中には、銀行の傘下に入ったところもあった。傘下といっても、下になるわけではない。グループ会社の前面に銀行を出すことで、まわりを安心させるのだ。そして、彼らの傘下に入りたいという会社を募り、合法的に吸収合併する。そうして次第に会社を大きくしていき、一大コンツェルンを築くというわけだ、
資金についても銀行が前面に出ているので、いくらでも何とかなる。仕事の受注も民間からは当然のことながら、公共事業を請け負うこともどんどん増えてくる。公共事業に手を出すと、利益を生み出すことなど自在だと思っている幹部もいるくらいで、政界、財界にパイプを持つのは、元軍団の幹部たちであった。
政界、財界というのも海千山千の連中ばかりで、利益最優先で露骨に話ができる。口では濁しながら、これほど話しやすい相手はいないとばかりに、話が出来上がる。
「俺たちが歴史を作るんだ」
とばかりに、話をしているが、そんなことを考えているわけではなく、まずはお金が目当てだった。それだけに、話は早く、談合もさほど難しくはなかった。
ただ、秘密を守るためにはかなり神経を遣っていた。バレてしまえば元も子もない。
「自分たちは決して手を汚してはいけない」
という名目もあることから、影武者は常に用意している。
つまり何かあった時に自首をする鉄砲玉のような連中だ。
彼らにとっては、駒でしかない彼らだったが、何もない時は、彼らを存分に優遇する。優遇されれば意気に感じ、
「何かあれば、親分のために」
とでも思うのだろう。
そんなすぐに調子に乗りやすく、実は口が堅い連中を集めてくるのはうまいものだった。
実際にそういう課もあった。もちろん、表立っての課ではないが、社長直属の部署がいくつかあり、彼らは一般的な部課とは違っていた。一般的な部課というのは、総務部であったり、営業部であったり、経理部であるところの、どこの会社にもある表向きの組織である。
しかし、裏の組織もちゃんと存在した。彼らは社長付けという身分になっていて、社長秘書同等の権利が与えられ、会社の経費を総務を通さずに、社長決裁で賄えたりするものだった。
さすがに総務部員は、そんな社長付の社員を胡散臭いと思っていたようだが、下手なことを言ったり、下手に探ろうとすると、社長の権力によって左遷させられるのである。下手をすれば、解雇されることもあった。この解雇にしても、正当な理由をつけての解雇なので、どこにも訴え出ることはできず、泣き寝入りするしかない。そこまでして会社の実情を探ろうとする社員など存在するはずもなかった。
今でいう「ブラック企業」というよりも、「グレー企業」であろうか。明らかにヤバい雰囲気は醸し出しているのだが、そこは厚いベールに包まれていて、決して覗くことはできない。完全な結界と言ってもいいだろう。
ただ、表向きには完全な優良企業、社員もすべてしっかりしているように見せている。届け出に一切の不備はないのだ。
表は分からないが、裏の組織は完全に頭脳集団だった。影になり決して表に出ることはないのだが、暗躍しているというイメージで、彼らはそれを楽しんでいた。そんな連中が裏にいるのだから、表に何か不備があっても、いつの間にか解決されているというおかしな現象も起こっていた。
特にどこかからクレームなどの苦情が上がった時、普通なら、総務や影響が菓子箱を持って平謝りして何とかするのだが、それでも収まらない時、どうすればいいかと言って、会議をするのだが、そんな時に限って、クレーマーから和解についての話が出てくる。
どこでどうなったのか分からない。まるでキツネにつままれたような話に、キョトンとしるしかない表の社員たちだが、それでもそれ以上は詮索しない。要するに彼らも自分に降りかかる火の粉がなくなればそれでいいのだ。
そんな会社だから、大きくなるのも当然であったが、ある程度まで大きくなると、今度はそれ以上大きくならないように、どこかからブレーキがかかるのだ。もちろんそれは裏の仕事からなのだが、下手に大きくなりすぎると今度は目立ってしまって、暗躍が難しくなるという腹積もりであった。
彼らが一体何の暗躍をしているというのか。会社を大きくするという目的があるとするならば、なぜその道半ばで抑えようとするのだろう。
「ひょっとすると、この暗躍こそが目的なのではないだろうか」
とも思えてくる。
暗躍というのは、
「人に知られないようひそかに策動し活躍すること」
を言うらしい、
つまり、裏で行うことが彼らの活躍であり、それが目的だとすれば、彼らの行動の後に何か大きなさらなる目的があるということになる。
彼らはあくまでも目的達成のための橋渡しであって、暗躍によって何をするのか、それが表にどのように出てくるのかが興味のあるところだった。
だが、今まで暗躍していた連中が、ある時期から表に出てくるようになった。
――ということは、暗躍が終わったのか、それとも、他の暗躍者にバトンタッチしたのかのどちらかではないか?
と思えたが、実際には、もう裏で暗躍することはないようだった。
――一体彼らの目的は何だったのだろう?
もっとも、それが分かるくらいの暗躍であれば、暗躍とは言えないだろう。
ただ、時間が経てばその成果は確実に表に現れてくる。後になって、
「ああ、これがあの時の暗躍の成果だったんだ」
と思うことだろう。
その答えが分かるのはそれからそれほど時間が経っていなかった。これは事実として世間をあっと言わせるものであったが、それが暗躍によって実を結んだものであり、しかも、その暗躍のさらに上前を撥ねる大きな思惑が潜んでいようとは、その時誰も考えていなかっただろう。たった一人、主人公を除けばである……。
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