落穂拾い・後編

 十二月も初旬。空気はなにやら薄白い雰囲気で、あとは落ちるだけの真上にいる太陽も、やさしい色合いで、その畑に光をもたらしている。畑には、白菜、大根、ブロッコリーが列になって植わっている。歩道にほど近い所で、白い手ぬぐいを肩にかけたお爺さんは小さい椅子に座っている。しわになった手ではちみつレモンを飲みながら、このような場所に珍しい、スーツを着た少し背の高い学生を見かけた。「彼」である。


 彼は先制攻撃を仕掛け、とりあえず社交的な印象を与えようとした。

「こんにちは、畑仕事ですか?」

 近年このように積極的に声をかける学生は中々いないものだ。お爺さんはニコニコ笑っている。彼もニコニコ笑うのだけど、ニコニコというよりニヤニヤの方が近い気がした。


「おー、そうそう。あんたは学生さんかい?」

「ええ、学生です。C大学」

 近辺で最も頭の良い大学がC大なので、そこで印象を良くしようという知恵を使っている。学歴の自慢も幾分いくぶんかは含まれてはいるが

「ほぉ、C大。勉強できるんだねえ」

 お爺さんは感心そうにウンウン頷いてニコニコしている。彼はC大学に入るまでに塾にいやというほど通っていた。さらに地獄のような受験勉強をした。詳しい内容は知らない。愚作者ぐさくしゃは受験勉強(あるいは勉強といってもよい)とは無縁の生活ゆえ、地獄のような受験と形容しても、なにがなにやら全くわからない。ともかく、C大学は努力に値する、満足いく大学であることは確かだ。

「ぜんぜんダメですよ。まだまだ勉強しなきゃいけないことばかりです」

 と彼は頭を掻いて妙な謙遜けんそんをした。実際彼は勉強が足りないとは思っている。今起こそうとしている新しいSNSのプロジェクトに向けて、人心掌握術じんしんしょうあくじゅつ、カネ集め術、プレゼン術、云々うんぬん。様々必要だと実感しているのだ。しかしまあ紋切型もんきりがたの、起業を目指す学生。勉強だなんだ、読書だなんだといっても、程度は知れる。読書を趣味と公言しているが、ビジネス書と自己啓発本ばかりである。「超一流」「学べ」「成功」「技術」「頭がいい」「天才」の文字が本棚にはびっしり並んでいて、なにやら奇形じみている。

「やあ、最近の若い子は謙虚だねえ! 俺らの頃ならC大なんていゃあ、俺は天才だと六法全書ろっぽうぜんしょ持って威張って回ってたもんだけんども」

 彼はお爺さんの語る誇張こちょうじみた昔話にアハハと笑いながら、しめしめとニヤけていた。喋るタイプの老人だ。こりゃあ野菜を貰えるだろうな。こういう老人は、人と話すのに飢えている。喋ってくれた「」として野菜を渡すだろう。


 しかし、回りくどいような気さえする。なにが「報酬」だろうか。こういう気の優しいお爺さんは、大抵

「金がないんです! 野菜を分けてください」

とこちらが正直に言えば笑って、一つ二つの「自己啓発本よりよっぽど価値のある金言きんげん」を授けながら野菜をくれるもんである。彼は取引のつもりであろうけども、こちらが野菜を分けてもらおうってだけなら、このやり取りは最近流行りの「タイパ」からして非常に悪い。無駄な作業、無駄話をやっているといっても過言ではない。

 そんなことに彼は一切気づかずに、「老人相手に会話のサービスを提供」してやっているつもりで喋っている。そう、彼は取引をしているつもりでいるのだ。乞食をしているのではない。


「この野菜はなんですかあ」

「作るの大変そうですねえ」

 お爺さんはそんなサービスを受けている気は毛頭もうとうない。ただ会話をしているだけで、なにかを得ようという気も、なにかを得たという気もない。

 会話のラリーが続いて彼が思ったのは

「やはり老人にも承認欲求しょうにんよっきゅうがあるのだなあ」

 ということだった。こんな若者に無駄な話を喋り散らかして、この老人は寂しいのだな。と思ったのだ。


 とんだ名探偵が誕生したようだ。このお爺さんについての説明が、筆者から必要だろうか? 少なくとも、名探偵よりよっぽど寂しくない生活をしているのは確かだ。この時代に珍しい三世代住宅で、家族仲も良く、お婆さんも健在で二人仲良く趣味のゲートボールだってやる。孫は十歳になってつい最近お爺さんに似顔絵をプレゼントした。食卓ではテレビを見ながら皆で笑うし、趣味でやり始めた畑も、面白いもので気に入っている。今年は天気のバランスもよく豊作だったという。


 お爺さんはこの若者との会話の中で、少しの違和感に気が付いた。なにやらよくわからないが、彼はなにかを求めていることに気が付いたのだ。クレ、クレと聞こえるわけではない、しかし、会話の空気に無為むいがない。孫が図工で金賞を取った話をし終えた頃に、ふとそんなことを思った。ただお爺さんは、それ以上深くは考えなかった。


 小間切れになった雲はズルズルと流れて、びゅうと風が吹く。その風にさとされてもうそろそろ帰ろうかと彼が思ったころ、老人は立ち上がって、近くにある野菜の入った黄色い篭に向かって歩いて行った。

「ちょっとまってな」

 の一言の後、もにょもにょ言いながら、老人は篭の中の野菜を漁る。

「大きいのは、どれだぁ……」

 そうして白菜を二つと大根一つ、ブロッコリーをいくつか、近くのスーパーの大きいサイズのビニール袋の中に入れて、彼に渡してきた。

「もってけ、多いかもしんねえが、切って冷凍すりゃあ結構持つでぇ」

 さあついに来た。報酬の時間だ。彼はすっとぼけながら

「え! いいんですか! ありがとうございます!」

 ペコペコしながら顔はニヤけている。取引終了。仕事をこなしたという気持ちでいる。彼の脳内はその爽快感が煙草をすったときのニコチンのように急速に回っていた。


「すみませんこんなにもらっちゃって、大事に食べますね!」

「うまいかどうかはあんま自信ねえんだけど、ともかく食ってくれや」

 去りゆく鼠色のシャツを着た彼にお爺さんは手を振って言う。そうしてさあ俺も帰るかと、空になったペットボトルと籠を抱えて、彼とは反対の、あと二時間もしたら孫が帰って来るであろう、自分の家の方向へと歩いて行った。


 野菜の入ったビニール袋を持った彼は、様々考えごとをしていた。

 これは時給がいくらだろうか? いい商売じゃないか。ああいう喋り相手のいない老人ってのは、こっちがちょっと物を訊ねるとべちゃくちゃ喋るもんだから、楽でいいな。人間誰しも承認欲求からは逃れられないみたいだ。あんなに野菜を渡すってことは、俺のサービスが良かったということだな。それとも、こういうお喋りに思っている以上に需要があるのかも。これは面白そうなブルーオーシャンじゃないか?


――

 とにかく、この数年後「彼」はあるベンチャー事業で成功しています。今でもイケイケドンドンらしいです。名前は出しませんけども。とっても羨ましいものですね。

ビジネス書風に、この話を「経済」や「イマ」に繋げるなら――

 なあんて、これは小説ですので、そんなことはしません。僕はただ、彼の昔話をしたにすぎませんよ、ハハハ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

落穂拾い 笠井 野里 @good-kura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ