第62話

 伯父様から話を聞いて、ひとつ確信したことがある…。


 伯父様と私のお母さんの間には何も起きなかった、と言うのは本当だと思う。

 でも…私にはわかる。

 お母さんは、きっと伯父様のことが好きだったに違いない…。




 二十一年前・・・・


 自動車事故を装った反国王派の一味による陰謀によって、私の祖母りんさんは亡くなった。その時、一緒にいた伯父様の奥様は私の母、弥生をかばって大怪我を負い、そのあげく寝たきり状態になってしまわれた…。


「妻は…自分がもう回復しないとわかった時…弥生に言ったらしいんだよ。これからは、自分に代わって弥生に妻として私につかえて欲しい…とね。そんな話があって間もなく、弥生は家を出たんだ。弥生が二十歳のときだ。妻が、どういうつもりでそんなことを言い出したのか、私にはわからないが…。いや…私がもっと…」

 何かを言いかけて、伯父様はそれきり黙ってしまわれた。

 

 伯父様の眼は、遠い昔を見つめているようだった…。


 伯父様の心を過去に引き戻す何かが…あったのだろうか。



(伯父様は…お母さんのことをどう思っていたんだろう…)




 ぼんやりと、そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか奥村組に着いていた。

 ここには、りよがいる。衰弱すいじゃくした状態で船から助けられて、りよは奥村組で療養していた。羽衣楼はすでに閉鎖され、藤尾が起こしたおぞましい事件に関わったとして楼主は警察の取り調べを受けていた。



「みさ緒様、いらっしゃい。具合はどうです?」

 親分の勝五郎が声をかける。


「あ、親分、こんにちは。もうすっかり元気です。ありがとうございます。今日はりよさんに会いに…」


 そう告げると、勝五郎は奥の方を見て

「あぁ、そうですか。りよなら奥にいますよ。どうぞ、上がってください」


 りよは、もうすっかり奥村組の人たちになじんでいるようだ。


 奥では、すっかり元気を取り戻したりよが、かいがいしく座敷の掃除をしていた。

 入ってきたみさ緒に気付くと、すぐに明るく声をかけてきた。

「みさ緒! しばらくぶり!」


 この界隈で一番の売れっ子芸者さんだったという親分のおかみさんも挨拶してくれた。いきでとてもきれいな人だ。


「おや、みさ緒お嬢さん、いらっしゃい。りよちゃん、ここはいいから、みさ緒お嬢さんと話をしてきなさいな」




「病院で会って以来ですけど、りよさんは、すっかり元気になったみたいで安心しました」

 みさ緒の言葉に、くすりと笑ってりよが言った。

「いやだ、みさ緒。それは私が言うことだわ。みさ緒が元気そうでよかった」


「皆さんのおかげで何とか…ありがたいことです」


 みさ緒の言葉に、りよもふぅっと息を吐くと言った。

「ほんとにね…私もそう…。私は、もう…帰る場所がないから…こうやって奥村組にお世話になることができて、勝五郎親分とおかみさんには本当に感謝しているの…」


 りよの実家は一家離散のような形になってしまった。元はと言えば、りよの父親の裏の稼業が招いたことではあるが、運命に翻弄ほんろうされて人生が激変した、という点では、みさ緒も共感するところがあった。それに何より、りよは育った村では大変な名家のお嬢様だったわけで、今のこの境遇きょうぐうは決して居心地のいいものではないだろう。なのに、感謝していると言って微笑むりよの姿に、みさ緒は胸が痛んだ。


 しんみりした顔になってしまったみさ緒に、りよは明るくこう付け加えた。

「でもね、いつまでもこうやっているわけにもいかないから、働き口を探して仕事に出ようと思っているの。ふふ…がんばらないとね」




 帰って行くみさ緒の後姿を見つめながら、勝五郎が辰治に聞いた。


「どうだ…久しぶりにみさ緒様を見て…。まだ心が揺らぐかい?」

 勝五郎の言葉に、しばらく黙っていた辰治が、苦笑いしながら答えた。

「いや…親分。この間の一件でね、目が覚めました。俺はとんだ勘違い野郎でしたよ」

「勘違い?」

「・・若旦那の身代わりになれるんじゃないかなんて、とんだ思い上がりでしたよ。あのお二人の間には、誰も入ることはできねぇや」


「・・そうかい」

 ま、つれぇだろうが、そんなもんだ…お前のようないい男にゃ、きっと今に可愛い娘が現れるよ…そう胸の内でつぶやくと

「さ、仕事だ。ぼやぼやしてんじゃねぇぞ」

 そう言って勝五郎は辰治の背中をばんっと叩いた。





 屋敷に帰ると、みさ緒は琢磨の部屋を訪れていた。みさ緒の頭にある考えが浮かんでいた。


「どうした?みさ緒…そんなに慌てて」


「・・あの…伯父様…これ…」

「ん? これはみさ緒の通帳じゃないか…」


 みさ緒が差し出したのは、かつてフミが「みさ緒のために…」と貯めていたお金の通帳だった。


「この金は、みさ緒が自分のために、みさ緒が絶体絶命のときに自分自身のために使うものだ。 みさ緒は冴島家の人間だから、みさ緒に必要な金はすべて冴島家が出す。当たり前のことだ。前にもそう言ったと思うが…」


「はい。そう言っていただきました。 それで、あの…使いたいんです、私。今がその時だと思って…」


「おや、そうか…。何に? いや、自由に使っていいんだよ。ただ参考に、ね。聞かせて欲しい」

「あの…伯父様。このお金でりよさんのお力になりたいんです。それで…あの、ご相談に乗っていただけたら…と」

「何か考えがあるの?」


 そこでみさ緒はりよから聞いた話と自分の考えをつっかえつっかえ説明した。


 りよは仕事に出るつもりでいる。ただ、りよの話では、自分が羽衣楼で娼妓をしていたこと、またすでに実家は離散状態で身許の保証がないことを考えると、どこかの下働きになるだろうと覚悟しているらしい。

 でも、みさ緒は違う考えだった。りよに下働きはもったいないと思う。何か別の形で世の中に役立つことができるのに、と考えていた。

 りよは、お嬢様として育てられ相応の礼儀作法は身に着けているし、通っていた女学校では英語も習得していたということだ。りよが、とても賢い人だったのは、村で一緒に学校に通っていたみさ緒がよく知っている。


「それで…あの…りよさんがエドワード先生の助手のような形でお仕事できないか…と思って…。それで、きっと勉強や支度がいると思うので、このお金を役立てもらえないかと…。私が差し出せば、りよさんは遠慮して受け取らないと思いますし、それに…」

「ありがたいと思いながらも、自尊心を傷つけるかもしれない…ということかな」

「あ・・・・はい」

「みさ緒の考えはわかった。いい考えだと思うよ。エドワードさんに聞いてみよう。この通帳はせっかくのみさ緒の申し出だから、一応預かっておくことにする」


 みさ緒の顔が、ぱぁっと明るくなった。

(よかった…。もしうまくいったら、これで一つ恩返しができる…)


 後悔しないように、よく考えないと…。時間はあまりないのだから…。

 みさ緒は一生懸命考えていた。

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ふたりの愛の物語 香杜 洲 @rururu_run

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