第22話 『2』

 それから一週間後、フランソル国の捜索隊は帰国の途に着くことになった。


 人質立て籠り事件が解明され、別件での指名手配犯を本国へ移送するためだった。


 そのため、本来の目的である亡命貴族と持ち出された文化財の捜索は打ち切りになった。


 捜索隊の見送りをして、元総督府の青服部屋に戻ってきたガルシアとアミルは、青服の部下が淹れてくれたコーヒーを飲み一息ついた。


「お疲れ様です」

 ひょこっと顔を出したのはセシリアだった。


 三角巾は取れて徐々にリハビリをしており、今週から学術調査の仕事には復帰していた。


 フランソル国の捜索隊の見送りも一応ガルシアがお声掛けいただいたが辞退していたのだ。


「お疲れ様です、ゴジャックさん。皆さんは無事に出立しましたよ」


 ガルシアが中へ入るように促すと、申し訳なさそうに眉を下げて椅子に座った。


「すみません、本当なら私も出るべきだっんでしょうけど」


 青服の部下はすかさずセシリアのコーヒーも淹れて持ってきてくれたので言葉は途切れた。


「ビアンカさんが駄目だって言うので……」


 事の次第を全て知ったセシリアの主人であるビアンカは、彼女と捜索隊の接触を一切禁じた。


 セシリアは今奉公している身分であり、年季が明けるまでは手放すつもりはないと捜索隊の隊長に怒鳴り込んで宣言しており、勝手に連れ去られるのを恐れて接触禁止にしたのだ。


「あなたのことを慮ってのことでしょう。私も見送る必要はないと思います」

 ガルシアはコーヒーを啜ってそれにと言い加える。


「捜索隊の方々もあなたに構う余裕はなかったでしょうけど」


 昨夜、捜索隊の慰労会と称して『ラ・ヒメナ』で盛大なもてなしがされた。


 案内役としてガルシアとアミルも付き添ったようだが、二人はキリのいいところで退館したのでそれ以降の委細は不明だが、今朝は一様に顔色が優れない様子だった。


 さんざん楽しんで、そのツケをきっちり払わされたのだろうと、セシリアでも推察できる。


 旦那さんは義理も人情もある人だが、それ以上にシビアな決断のできる経営者だ。


 帰国するに足る分は残して、有金を巻き上げたのだろう。


「彼らもいい勉強になったのではないですか。真面目に働いていれば、少なくともこうはなりませんでしたから」

 穏やかそうなアミルからも毒の混じる意見が出る。


 羽目を外すのは致し方ないとこもある。


 だが本分である仕事をきちんとこなしていれば、ガルシアやアミル、またはセシリアが中に入って救済を申し出る余地はあったかもしれないのだ。


 そうさせるに足る誠実さが、彼らにはなかった。


 何も知らない人が見たら気の毒に思うかもしれないが、楽しんだ分プラス社会勉強で、相応の対価だったのではないだろうか。


「まあ、これを教訓に襟を正してくれたら、彼らの今後もいいように変わっていくでしょう」

 それにはセシリアも大いに頷いた。


「私も週末には都に戻ります」


 ガルシア達青服は定例監査のために来ていたので、本来ならもうとっくに帰っていたはずなのだが一連の騒動で機を逸してしまっていたのだ。


「ガルシアさんには本当にお世話になりました」

 セシリアとアミルは揃ってお辞儀をした。


 彼がいなかったら、事はもっと停滞していただろう。


 中央の役人が職権を発動して話を関係各所に届け、事後処理や書類手続きまで差配して、混沌とした事態に道筋をつけてくれたのだ。


 やはり都の官吏は伊達ではないと、その有能さを知ることができた。


「とんでもない、こちらこそ。お二人のお陰で解決も早まりましたから」


 これからもここの調査をよろしくお願いしますと、ガルシアも頭を下げた。



 セシリアは執務室に戻り、出窓にある鉢植えに水やりをした。


 目を閉じて、集中してから目を開ける。


 『2』という数字が浮かび上がった。


 療養中も屋敷に持ち帰り世話をしていたので、順調に生育しているようだった。


 鷲甕の間のあの木は、朝来た時に見たら花がだいぶ散り落ちていた。


 だが、また季節が巡れば花は咲く。

 あと数年は。


 落ちていた花を拾い集めて机の上に置いているが、爽やかで馥郁たる香りが漂っている。


「ちょっといいですか、セシリア」

 ドアがないので壁を叩いてノック代わりにして、アミルが顔を出した。


 端正なその顔は、充満しているロスメリッサの香りを吸い込んでうっとりと目を閉じる。


「ああ、いい香りですね」


「落ちているのを拾ってきたんです。香りが減ることもなければ、劣化することもあまりないようですね」


 アミルは花弁の先が茶色く変色している一つを摘んで鼻に近づけ、セシリアの意見に納得したのか頷いた。


「せっかくだから、何とか精油にできないかなって思うんですが……」


 冷浸法(アンフルラージュ)は手間と時間がかかるし、水蒸気蒸留法で作るにしても原料がこれだけで抽出できるかどうか。


 花だけではなく葉も拾ってはみたが、どうなるかはわからない。


「祖母の持っていた精油はおそらく冷浸法のものです。隣国に旅行した時に見つけて買ったと言っていましたが、かの国では昔ながらの抽出方法しかないはずですので」


 冷浸法とは、ラードなどに花の芳香成分を吸着させてアルコールと混ぜてから最後にアルコールを取り除いて精製する方法だ。


 だが、吸着させるために常に新しい花と入れ替える作業を三週間から一ヶ月の間しなくてはならない。


 あと一ヶ月間、あの木に花が咲き続けるなら可能だがセシリアが能力を使って見なくても、花をつけているのは長くて一週間くらいだとわかるので難しそうだ。


「水蒸気蒸留法ならやかんとか身近にあるものでできると本で読んだことがあります。原料がこれだけなのでどこまでできるかわかりませんが、今度試してみます」


 元総督府は火気厳禁なので、屋敷でやるしかない。

 そう言うと、アミルは参加してもいいかと尋ねてきた。


 否はない。

 ある訳ない。


「必要なものがあったら言ってください。僕もできる限り用意します」


 精油精製に関する本も読んでみると、アミルもどこか楽しそうにしているのが嬉しかった。


 週末が待ち遠しい。

 顔を見合わせてお互いの中に同じ思いが浮かんでいるのを見てとれた。



 二人の恋もまだ『2』なのだろう。


              第一章 END.

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古蹟香木巡話 中火紺路 @moccakrapfen

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