第3話 真実とは

 その調査報告書は、前述のように、見つかった順番ではなく、実際の時系列通りに並べられていた。調査を行った探偵が、提出物だからと気を利かせて作成しなおしたのか、それとも彼自身の几帳面な性悪からだろうか。それとも、一度は発見した都度書いてきたものをそのまま提出したのを、依頼主側からのクレームで作り直したのか、そのどれかであろう。

 しかし、そのどれかによって、実はこの事件がどう動くかを暗示しているのは、後になって分かることだった。この事件の根幹となる部分といってもいい。解決へのきっかけと言ってもいいかも知れない。

 それはさておき、その報告書の最後に但し書きのようなことが書かれていた。あくまでも、

「ちなみに」

 という程度の但し書きで、事件に関係あるかどうか分からないものだった。

 だが、鎌倉にはそのことがやけに気になって、その部分を自分の方で捜査しなければならないと思った。なぜなら、この探偵は気になっているはずのこの事柄について調査を行ったのか行っていないのか、とにかく報告書には調査をしたということは一切書かれていなかったからだ。

 そこに書かれていたのは、

「ちなみに、中川綾音が失踪したとされる一年後、湖で水死体があがった。女性であることは間違いないようだが、身元はハッキリしなかった。肉体はほとんど腐乱しており、ほとんど骨だけになっていたからだ。警察で調べられたが、行方不明者で該当する人はおらず、ただ、中川綾音の失踪時期に死体の腐乱具合が似ているということで、警察はその線で洗ったようだが、生前の中川綾音の身体の特徴や、DNA鑑定しようにも、元々の中川綾音のDNAが入手できなかったようで、中川綾音ではないかと思われたが、決定的な証拠もないので、無縁仏として最後は荼毘に付されたということだった」

 という内容だった。

 限りなく黒に近いのだろうが、それだけでは断言できない。それが難しいところであった。

 ただ、綾音の消息もこのホテルから失踪してバッタリと途絶えてしまったままである。

 忠弘という男の正体もグレーであると書かれている。綾音もスナック勤めを始める前は何をしていたのかよく分かっていないようだ。それも探偵が捜査してようやく分かったのだろう。綾音が結婚していたということが事実だとすれば、実に大きな手掛かりである。水死体が上がった時、綾音のDNAが分からないということだったが、もっと前に探偵が調べていれば、結婚のことも分かったので、DNA照合もできたかも知れない。

 警察で調査しても分からなかったことが探偵に分かるというのは、国家権力よりも探偵の捜査能力の方が強いということだろうか。しかし警察というのも通り一遍の捜査しかしないもので、マニュアルに沿った捜査に基づくもの以外は、基本的にしないだろう。そう思えば、探偵の方が身軽に動けるのかも知れない。何しろ警察官といっても公務員である。権限もあれば、制限も厳しい。

「捜査能力にはおのずと限界というものがありますからな」

 という言葉をドラマかなにかで見た記憶があるが。その時のセリフが思い出されてきたのだ。

 ということは、警察は今のその水死体の身元を分かりかねていることだろう。探偵の方も、

「ちなみに」

 という言葉を使っているが、あくまでも事実関係だけが述べられているだけで、決してそれを綾音だとは言っていない。

――そういえば、その時に忠弘も水死体の検分に呼ばれたのではないだろうか――

 と思った。

 何しろ、失踪現場に居合わせ、一番親しいと思われた忠弘なので、失踪当時のことなど、さらに聞かれたであろう。スナックの人たちも同じような目に遭ったのではないかということも想像がつく。

 警察の捜査については何も書かれていないが、実際に警察の捜査を知る必要があったのか、それともハッキリとしないと警察が言っているものを、いくら調査依頼があったとしても、警察に探偵が乗り込んでいくというのも筋違いな気がしたのだろう。

 特に警察というところは身内でも、管轄などで敵対しているくらいなので、探偵と聞くだけで、怪訝な顔になるに違いない。

 実際にこの探偵も警察は嫌いなようで、捜査報告でも警察から仕入れたであろう情報は、ごく形式的に書かれているだけだった。彼にとっても警察は天敵だと思っていたのかも知れない。

 そのせいで、せっかくの最後の情報も曖昧なまま書かれているだけだった。

 鎌倉は、その探偵の調査報告書を見て、少し疑問に思った。それは、

「本当にこれは調査してきたことを、曲げることなく、事実が書かれているのだろうか?」

 という疑念だった。

 そもそも、時系列でキチンと整理されているところが気になるところである。

 捜査は小説家のネタ帳などと同じで、聞いてきたことを小さなポケットサイズの手帳か何かにメモっておいて、後で清書するものである。したがって、自分の書いたメモなので、自分だけが読めればいいという程度にしか書いていない。だから、後で読んだ時、自分でさえ、何と書いたのか分からないということも往々にしてあったりする。それを清書しながら、調査順に綺麗にまとめるのも一苦労である。

 それなのに、さらにそこから、実際に時系列に並び変えるのである。一度清書したものを再度清書するというのだから、当然抜けてくるところもあるかも知れない。

 しかも前述の三パターンの中の、最初は調査順で書いたものをクレームという指摘を受けて書き直したのであれば、この懸念は大きくなる。なぜならやり直しというのは、依頼を受けたものにとっての最大の屈辱に違いないからだ。

 自分のせっかくの苦心も認められていないようで、思わず腐ってしまう気持ちになるかも知れない。

 そんな状態なので、屈辱感の中で相手に言われるままやり直すというのは、きっと指先がワナワナと震え、唇もカサカサに乾き、目は血走った状態で書き直していただろう。

 しっかり考えることのできる頭で書き直さなければいけないのに、気持ちの中で屈辱感だけが残ってしまっては、もれなく書き切ることなどできるであろうか?

 鎌倉も小説家の端くれなので分かるつもりだ。

 執筆依頼を受けて作品が完成するまでには、幾度も編集担当者と打ち合わせを行う必要がある。

 構想を練るところから、プロットの作成。ここまでは編集担当と二人三脚のところもあるが、それが編集会議に掛けられ、何とかゴーサインが出たとしても、まずそのまま通過ということはありえない。編集長からのダメ出しが一つや二つあっても不思議のないことだった。

 その時点で屈辱を感じる。やり直しや改修というものがどれほどの屈辱感に値するか、作家であれば、たぶん誰にでも分かっていることだろう。

 プロットが認められても、作家は自由ではない。編集部の方から課題のようなものを与えられ、それに沿った作品を書くことになる。ここから先は担当の人との二人三脚というわけにはいかないが、その分決して自由になるわけではなく、しがらみの中で作品完成まで缶詰めにされてしまうわけだ。

 売れっ子作家でっても、いや売れっ子作家であるほど、この状態に極度のプレッシャーを感じる。そして感じる必要もない屈辱感が生まれ、自由にならない自分のその時の立場を責め続けるのではないだろうか。

 ボクシングの選手が、試合前になると、体重調整のために、減量に入る。その時、体重が増えすぎてしまった選手には地獄のような毎日であろう。食べ物もまともに食べることもできず、水分さえ調整しなければいけない。(ただ、今は脱水症状にならないように水分補給はスポーツ飲料などで賄っているかも知れないが)

 そんな状態でも練習をしなければいけない。まるで拷問のようなものだ。しっかりとカロリーを摂ることもできずに特訓に励む。それはまるで自分を追い込むことで、精神の弱い人は、その状態に屈辱感を抱くのではないだろうか。

 そう思うと、屈辱感というのは想像を絶するものがあるに違いない。鎌倉自身は売れない小説家なので、そこまでの屈辱感はないが、

――そんな屈辱感を味わらないといけないのであれば、小説家などやっていられるものか――

 と考えるかも知れない。

 探偵が調査した内容が時系列になっているので、読む人には分かりやすいかも知れないが、どこかに何か違和感を持つ人もいるのではないだろうか。もっとも、時系列で書かれていること自体が違和感であるということに気付かなければ、この疑念は湧いてこないかも知れない。

 鎌倉は自分でも小説を書くので、どこかに不思議な感覚があった。読んでいて、

「何が大切で何がそれほどでもないのか、状況に抑揚がないのだ」

 という思いがしてきた。

 そのためなのか、

「読んでいて、何か堂々巡りを繰り返している気がするのだが、気のせいだろうか」

 という感覚があった。

 堂々巡りを繰り返すと進んでいるのか戻っているのか分からなくなる。そういえば昔の演歌の歌詞に、

「三歩進んで二歩下がる」

 というのがあったではないか。

 また追う一つ感じた思いは、小学生の頃、体育の授業で水泳があったが、必死になって掌で水を漕いで平泳ぎをしようとするのだが、思ったよりも進んでいない。それを思い出していた。

 何とも訝しいではないか。

 水泳の平泳ぎで思い出したのだが、夢というのは潜在意識が見せるものだと言われているが、その証拠だと感じたのが、夢を見ているという意識の中で、

「夢だったら何だってできるはずなんだ。何といっても夢なんだから」

 というへんてこな理屈を思い浮かべて、空を飛んでみることにした。

 さすがに高いところから飛び降りるというのは、いくら夢だと思っていても恐ろしいので、鎌倉はその時、自分で宙に浮いてみようと思った。

 実際にやってみると、宙に浮くことはできるのだが、あくまでも人の腰の高さくらいのところにプカプカ浮いているだけだった。そして、勢いよく漕いでみるのだが、空気に激しい抵抗を感じて前には進む。しかし、その抵抗はまるで水中であるかのごとく感じると、まるで体育の授業での水泳の時のように、ほとんど前に進んでいない。

 いくら夢であっても、自分の意識が、

「人間は空は飛べない」

 という常識として認識している。

 そういう意味で夢というのもなんとも訝しく、もどかしいものではないか。

 そんなイメージをその調査報告書には感じた。

――本当にこの調査報告書には、何も形式的な調査報告以外は入っていないのだろうか――

 と、感じた。

 この訝しさともどかしさは、

――そうではないのではないか――

 と、鎌倉に教えているような気がするのだ。

 何かの忖度が働いているという意識が鎌倉の中にあり、それが誰の誰に対しての忖度なのかまでは分からない。そして誰というのが何かの組織なのかも知れないような気もしている。

 鎌倉はそんなことを感じ、実際に報告書の中での違和感がどこから来るのかを考えた。まず最初にやるべきことは、その報告書に書かれていることで、自分がよく理解できないところを吟味することだった。

 それにより一つの考えが浮かんだ。それは書かれている内容に矛盾があったり、足りない部分があるので、そこを埋めることだった。

 つまりジグソーパズルのピースが一枚、あるいは数枚足りないことでの矛盾を埋めるということである。

 やはりどうしても気になるのは、最後の、

「ちなみに」

 の部分である。

 本当に、ちなみにという程度でしか書いていないのであれば、別に報告書にして残す必要はない。自分で整理して時系列に並べたにしても、言われて並べ替えたにしても、必ず複数の清書が必要だったはず。だから本当は最初の順番で清書した資料にだけ残しておけばいいものを、なぜわざわざ中途半端な内容のまま、残してしまっているのかということである。

 こんなものが残っていると、読んだ人間が変に思うではないか。どこが変なのかと、今の鎌倉のように疑念を抱くのではないだろうか。

「まさか、その疑念を抱かせるのが目的だとでもいうのだろうか?」

 そんな風にも感じた。

 とにかく、この女性の失踪事件が起こった一年後に、身元不明の水死体が上がったということを再調査する必要があるだろう。

 綾音のことをあれだけ詳細に、警察でも難しかった彼女の過去の問題の捜査までできた彼が、このことについてあまり触れていないのは、警察が考えているのと同じように、この水死体は綾音とは関係ないと思っているからであろうか。前述のように、それであれば、書く残す必要はなかったはず。ここに鎌倉は、

「心理的な矛盾」

 を感じるのだった。

 まず最初に気になったのは、ボートだった。死体が発見されたのは、湖の奥の方での発見だったという。何かを使って湖の沖に漕ぎ出して、そこから身を投げたと考えるのが自然だった。つまりこれはいわゆる「自殺」ということになる。

 そのことについては、地元の新聞が記事は小さかったが、数行の中で、

「警察は、事故、事件、自殺とあらゆる面での操作を続けている」

 と最後に綴られていた。

 数行しかなかったのは、警察でも分かっていること、つまり、発表できることが少なかったので、形式的な記事しか書けない。これでは主観を入れることはできず、客観的にしかならないわけなので、形式的な記事になったのも仕方のないことだろう。

 それだけしか予備知識はなかったが、警察では結局自殺として片がついていた。

 しかし、これもおかしなことで、

「どうして、死んだ人の身元も分からないのに、自殺だなんて言えるんだろう?」

 という矛盾を感じた。

 自殺するには自殺するだけの理由が必要である。その理由を記した遺書でもあれば、考える間もなく、自殺であることは明白なのだが、肝心の遺書が見つからない。

 それとこれを自殺を考えるなら、もう一つ不思議に思うのは、

「なぜ、ここでの入水自殺だったのだろう?」

 という思いである。

 自殺というと、いろいろな方法があり、その場所も方法によって異なる。自殺を思い立った場合、まずは、

「どれが一番楽に死ねるだろうか?」

 と感じることだろう。

 たぶん、彼女は自殺を考えた時、いろいろなパターンを思い浮かべたはずである。しかも自殺を思い立てば、普通なら、

「すぐに死ななければいけない」

 と思うものではないかと、鎌倉は思った。

 なぜなら、時間が経つにつれて、死ぬ勇気の持続ができなくなるのではないかと感じたからだ。

「死ぬ勇気なんて、二度も持てるものではないよ」

 と、テレビドラマのセリフを思い出していた。

 自殺をしようとして未遂に終わった人が、病院で再度の自殺を図ったように見えた看護師が慌てて止めに入った時に(実は誤解だったのだが)、その人が言った言葉だった。

 俳優が上手だったのかも知れないが、その時の自殺志願者の表情があまりにも穏やかに見えたのが印象的だった。ショックだったと言ってもいいかも知れない。それだけ死を意識するということは、本人にとってかなりデリケートな心理状態なのだろう。

 死を意識したということは、生きているよりも死んだ方がマシだと思ったからに違いないが、その死を一発で決められず、中途半端に残ってしまった時の心境は、

「死の怖さ」

 を思い出すだけのことだったのだろう。

「死んだ気になれば、何だってできる」

 というベタなセリフをそれほど信じているわけではない鎌倉だったが、それでも、

「死ぬ勇気なんて、二度も持てるものではないよ」

 という言葉は、数倍信用できるだろう。

 死に方にしてもそうである。一見派手に見えて恐ろしい死に方であるが、一気に死ねるという意味では選択しやすいかも知れない。

 リストカットであったり、ガスや毒や睡眠薬などの薬物によるものは、地味ではあるが、その分、楽に死ねるのではないかと思うだろう。

 しかし、死にそこなってしまった時のことを考えると、その後遺症を引きづらなければいけない分、死を意識する前よりもリスクが大きくなる。

「死んだ方がマシだ」

 と思った世界に引き戻された上に、さらにリスクが大きくなるのだ。

 しかも、一度死を意識した人間は、まわりからも、

「また自殺されると困る」

 という困惑の目で見られる。

 この困惑の目は、偏見の目に似ているだろう。自殺の原因がもし人間関係にあった人には耐えがたいものではないだろうか。

 そう思うと、一気に、しかし確実に死ぬことのできる死に方を選ぶのではないだろうか。入水自殺というのが、確実に死ねる死に方だというのは微妙な感じで中途半端だが、どうしてこの方法を選んだのか、考えものである。

 ただ、自殺だとハッキリ分かったわけではない。事故の可能性も一応疑ってみたが、どうやらそれは考えにくいようだ。

 彼女が発見されたのは、湖のかなり中心に近いところだという。考えてみれば、よく発見できたというのも不思議だったが、そこはこの事件とは関係のないことなのであまり気にしないようにしていた。もっともそのことは調査報告書にも書かれているわけではなかった。

 もし、彼女が事故であれ、事件(殺害された)であれ、自殺であれ、必ずボートを使うはずだという疑念は先ほど記したが、そのボートがどこからも見つからない。いや、この調査報告書には、ボートのことに一切触れていないのだ。

 ちょっと考えれば分かりそうなボートへの発想。もちろん警察でも問題になったはずだ。殺害されただととすれば、犯人がボートに乗ってやってきて、ここで死体を遺棄したということになるので、ボートは犯人が用意したということで理解できるのだが、少なくとも殺害現場は、湖の上ということは考えにくいだろう。

 もし、ここで殺害しようものなら、刺殺、毒殺、薬殺にしても、必ず相手は抵抗するはずである。そうなると不安定な水の上でのボートは、転覆しかねないということで殺害には向かないことは一目瞭然だ。

 となると、殺害現場は他にあるということになる。どこかで殺害しておいて、この場で死体を遺棄する。確かにこんなに広い湖の、しかも中央部分は発見される可能性も少ないかも知れない。重石をつけて、そのまま湖底に沈めればいいだけだからである。

 この哀れな水死体を綾音ということを第一候補として、さらにこれが殺害であるとして捜査もしてみたようだ。

 彼女の失踪迄の状況として勤めていたスナックが捜査の対象とされたのも無理もないことだった。

 だが、店の人の話では、

「あの娘を殺そうなんて思っている人はいないと思いますよ」

 ということだった。

 それよりも警察で気になったのは、彼女がスナックで雇われる前の経歴が不明だったということだ。

 そのことが警察の興味を大いにそそった。

 しかし、警察でも捜査したのだろうが、なぜかよく分からない。探偵が捜査すると、彼女にはかつて結婚経験があり、流産したことがあったのだということが分かったというが、やはり捜査に探偵と警察ではどちらが協力的だったかということである。

 探偵の方とすれば、証言してくれた人に金一封くらいは贈呈したのかも知れない。それくらいは探偵の経費で落ちるのではないか。依頼主が会社ということもあって、ありえないことではない。

 しかし、警察には「袖の下」を使うことはできない。なぜなら警察官はれっきとした国家公務員だからだ。権力を振り翳すことはできても、お金で釣ることはできない。買収に当たるのだ。

 そういう意味では探偵は身軽と言えるのではないだろうか。

 しかも、どうやらこの探偵、元々刑事だったという。どういう理由で探偵に鞍替えしたのか分からないが、警察の捜査に限界と憤りでもあったのか、それとも危険な立場に身を置きながら、報われることがないからだということなのか分からないが、どうやらこの探偵は、リアル主義者であったようだ。

 警察の通り一遍の捜査では、結局この事例は自殺として結論づけるしかなかった。

 自殺ということにしてしまえば、警察としてもメンツが保てるというのも正直なところかも知れない。とりあえず捜査はしたんだという、

「やってます感」

 が滲み出ているようだった。

 だが、探偵の方の捜査では、一番可能性があるのが、殺害されたということであった。

 彼女に恨みを持っている人は結構多かったようだ。スナックでも女性の間でお客を巡ってバチバチだったこともあるという。実際に綾音(源氏名:静香)は、結構惚れっぽい方で、それだけに気に入った相手にはあざといモーションを掛けていたという。

 そのあからさまなやり方に、一時期店はぎこちなかったようだ。女の子同士のバチバチはもちろんのこと、彼女に惚れられた男性も、困惑している人が多かった。元々女性にモテたくてスナック通いをしているのだろうが、相手からモーションを掛けられ、しかもその女の子が恋多き女だということであれば、ターゲットになった男性も他の男性や店の女の子の手前、どうしていいのか思慮に困ったことだろう。

 まさかそんなことで殺そうと、計画まで立てるというのもおかしいと思うが、お金がそこに絡んでくると、殺害の動機としては、俄然脚光を浴びることになるだろう。ただ、その事実を証明するのは難しかった。なぜなら、その当時と店の女の子も客層もすっかり変わってしまっていて、当時の関係者に当たることがなかなか難しいということだった。

 辞めていった女の子がまたどこかのスナックで働いているとなると話題にも入ってくるだろうが、そういうわけでもなく、客に関しては、それこそ店でだけの関係という人が多かったので、見つけるのは最初から困難だった。

 いろいろ考えてみると、調査報告における綾音という女の情報も、どこかに抜けがあるような気がして、気になるところでもあったのだ。

 ただ、ここまで考えてくると、

「本当に殺害されたのだろうか? 自殺という可能性も若干出てきたのではないだろうか?」

 とも考えられるようになってきた。

 結果的に警察の捜査と同じような意見に近づいたわけだが、それはプロセスにおいて違っている。警察も確かに殺害や事故も視野に入れて捜査しただろうが、捜査の基本方針としてはあくまでも自殺だったはずだ。だから殺害や事故については、本当の通り一遍の捜査だったのではないだろうか。警察という組織は基本方針が定まれば、それ以外の意見を持ったり、私情を挟んで勝手な捜査をすることは許されないはずだ。もしそんなことをしようものなら、その捜査員はきっと捜査から外されることになるのではないだろうか。警察というのは、そういうものだ。

 また鎌倉の中でこの事件が殺害されたわけではないかも知れないと感じたのは、やはりボートの話が出てこなかったからだ。

 そしてもう一つ気になったのは、

「いくら警察が通り一遍の捜査しかしないとはいえ、ボートがなかったことに関して何も疑問を感じないというのはおかしなことだ」

 というものであった。

 つまりボートに関しては、警察でも調べがついていたのではないか。警察の調書には残っているのだろうが、それを確かめる権限は鎌倉にはない。そうなると、もう一度その当時の関係者に訪ねてみるしかないのだが、それを探偵が不思議に思わなかったのもおかしなことだ。

 ひょっとすると、ボートのことも分かっていたが、わざと書いていないだけなのかも知れない。忘れただけなのか? それとも何か意味があるのか? 今の時点ではどちらとも言えなかった。

 もう一つ考えていたのは、自殺だとすれば、その動機である。殺害された場合もその動機が問題になるが、人が事故(自然死を含む)や病気、寿命以外で命を落とすとすれば、そこには必ず死ななければいけない理由が存在する。

 死にたいと思う。あるいは、殺したいと思うだけの動機というと、かなりのものではないだろうか。

「死んで花実が咲くものか」

 とよく言われるが、自殺にしても、殺害にしても、行動した人はその時点でおしまいだと言えるのではないだろうか。

 綾音が死ななければいけない理由、この調査報告を見る限りでは、彼女にはストーカーがいたということになっている。一番考えられるのは、自殺した場合には、ストーカー被害からの精神喪失により異常をきたして、自殺を考えたというもの。そして殺害であれば、そのストーカーが相手にしてくれない相手に逆恨みをして殺害したという考え。どちらもありえるようで、信憑性というと微妙なところであった。

 捜査報告によると、ストーカーを受けていたことに対しての実証は残っていないようだ。手紙やメールにしても、本人がすべて削除したのではないかと思われる。

 ただ、もし警察に届けたり、どこか例えば探偵に依頼するなどした場合、それらの実証は重要な証拠になるはずなので、簡単にメールの削除や、手紙の喪失などしないだろう。もっとも警察などというところは、ストーカー事件などは特にそうなのだが、何か被害が起こらないと動いてはくれない。届け出たとしても、結構長い時間帯要してくれる割には、形式的な調書を取るだけで、親身になって聞いてくれるわけでもないし、せめて、

「お宅のまわりの警備を強化するようにしましょうね」

 と言ってはくれるが、本当にどこまでしてくれるのか、この事情聴取だけを見ても、それほど信用できるものではないだろう。

 そんなことは鎌倉にも分かるくらいなので、探偵であれば、当然分かっているだろう。彼だって元警察官だというではないか。そんな警察に嫌気がさして、探偵になったのだとすれば、警察に対して少なからずのライバル視や、警察にできない捜査を率先して行うのではないかと思った。

 このストーカーについては、一応ここに来る前に少し彼女の勤めていたというスナックのママさんに聞いてみた。

「あまり詳しくは覚えていないんだけど」

 という前置きはあったが、

「あれは確か作家とかいう人だったと思うわ。本人はそう言っていた。そしてその人を桜井さんも知っていて、その作家さんは昭和の古きよき時代の恋愛小説を書いているって言っていたわ。そうそう、交通事故を見た時のトラウマで、残虐な描写ができない人だって言っていたわ。彼にそれを書けることができれば、きっともっと売れていたかも知れないともね」

 その話を聞いて、思い出す作家がいた。それが古舘晋作だった。

 古舘晋作とは直接の面識はない。どちらも売れない作家ではあったが、彼の方が自分よりは売れている作家だという意識を鎌倉は思っていた。だが、二人とも世間一般に見れば、どちらも売れていない作家には変わりなかっただろう。発行部数や売れ行きに関してはさほど変わりはないかも知れないが、名前に関しては彼の方が知られていた。なぜだかは分からないが、鎌倉の名前を知らないのに、古舘の名前を知っている人が多かったことでそう感じたのだ。

 だが、こうやって歩き回ってみると、スナックなどで自分のことを明かしているのであれば、確かに知名度はあるかも知れない。それは作品というものにではなく、その人本人という意味でである。鎌倉はそれほど世間に露出することはない。どこに行っても名前は話しても職業まで話すことはなかった。彼との違いがそれだけだとすれば、彼に対して劣等感など抱く必要などまったくなかった。

 だが、そんな古舘はどうしてストーカーのように言われるようになったのだろう? 確かに彼のことはよく知らないが、彼の恋愛小説を読んだことがあり、その内容は、まさかストーカーなどができるような人には思えない内容だった。

「小説というものは、作者の本質とまったく関係のないものとして見いだせるものなのだろうか?」

 自分が作家を志していた頃、鎌倉が考えていたことだった。

 実際には本質と違う作品は書けるものではないと思っている。それは小説が妄想や瞑想にやって書けるものであり、それは夢の世界に似ていると思ったからだ。

 夢というのは潜在意識が見せるというもの。それであれば、本質しか見ることができないと思うのは間違いであろうか。

 ただ、意識が脳の中にあるものだとすれば、超能力という考えも頭をもたげてくる。昔の学者が提唱した言葉に、

「人間は自分の中の一部しか使っていない」

 という説があるという。それを、

「脳の十パーセント神話」

 と呼ばれているらしい。

 この話は、一種の都市伝説として語り継がれているもので、信憑性の薄さ、つまり科学的に証明されていないからで、いくら異なる学者が提唱しようとも、都市伝説の息をでることはない、それゆえの、

「神話」

 と言われているのだろう。

 そうなると、想像や妄想というのは、どこまで行くか分からないということになり、十パーセント以上の意識を持てた小説が、

「売れる小説」

 ということになるのかも知れない。

 自分の中の隠れた妄想が他の人が感じることのないものだとは思えない。人によって感じ方も感じるものもそれぞれなのだ。皆が口を揃えて、

「思ってもいなかった発想だ」

 というのは、なかなかないことだろう。

 では、売れる作品が(脳の十パーセント以外の発想だとするならばという前提での話にはなるが)、どういうものかを考えると、

「きっと十パーセント以上の脳から出てきた妄想というのは、何かのプラスアルファの力を持っていて、そのことを無意識のうちに、『面白い』と感じさせるからではないだろうか」

 と言えるのではないだろうか。

 もっとも、この都市伝説は信憑性すら低いので、この発想はあまりにも飛躍しすぎていると言えるだろう。

 発想や妄想は、小説家にとってなくてはならないもので、一般的に他の人から見れば、あまりいいイメージのものではないはずだ。だから、昔から、

「小説家という低俗な職業」

 として低く見られていた時代があったのだろう。

 昔の人が、見んあ現実主義者で、娯楽に対して偏見を持っていたとは思えないが、帝国主義であったり、挙国一致の国家体制であった時、教育も社会情勢もそれ以外を認めないという状況だったのも、大きな原因だったと言えるだろう。

 鎌倉は古舘を意識している理由のもう一つは、彼の作風にあった。鎌倉は自分の作品が深層心理を抉るような話しか書けないことにコンプレックスを感じている。他の作家のようにミステリーであったり、SF、さらに恋愛小説のようなものを書いてみたいと思っていた。実際にそういう小説を書いてみようと学生の頃は考えていたし、実際にも書いてみたりしたが、思うようにいかない。自分で納得のいかないものを、こともあろうに他の人に見てもらったことがあったが、やはり酷評されてしまった。

 その時は、ほぼ酷評されることが分かっていたので、それほどのショックではなかったが、それでもトラウマが生まれたような気がした。

――俺の作品って、こんなものなのか――

 その時、一般的に売れる小説のジャンルは自分には書けないと思い、作家を志すのはやめようかとも考えた。

 しかし、

「小説って、基本的には自由で、思ったことを書けばいい」

 という言葉を元に、本当に思っていることを書くと、今のような作風になった。

 娯楽小説とは程遠い作品ではあったが、

「誰にもこんな小説、書けるはずない」

 という勝手な思い込みで、書いた小説が、ほとんどのところで問題にされなかったが、今回持ち込んだ出版社で読んでくれた。普通なら読んでくれるはずのないものを読んでくれるだけで奇跡なのに、それを出版してみようと言ってくれたのは、

「神様っているんだ」

 などと本当にベタな考えが頭に浮かんだくらいだった。

 だが、売れる要素はなく、それ以降は鳴かず飛ばず。そしてこんな仕事まで引き受けるということになった次第だ。

 小説を出版できるようになってから、鎌倉は他の人の小説を読むことはしなかった。

「人の小節を読むと、自分の作品がブレる」

 という理由であり、他の作家も同じことを言っているのを聞いて、

――やはり同じことを考える人がいるんだ――

 と感心したほどだった。

 だが、最近は他の人の作品も読むようになった。

 それは今までの自分の考え方が偏見に基づいたものだったということ、そして、人の作品を読んで、自分の作品を買えりみることができるのではないかということだった。

 後者においては、実際にはそういうことはなかったが、執筆する上で、自分の作品がブレると思っていたのは勘違いだったということに気付いた。

 では、他の人が感じたということも勘違いだったとすれば、この説は信憑性が薄いということで、脳の十パーセント神話ではないが、

「一種の都市伝説のようなものだったのではないか」

 と言えるかも知れない。

 そういう意味で、もう一度古舘晋作の作品を読んでみると、以前に読んだ時のような感覚はなかった。もし、あの時に感じた、

――こんな作品が書けるなんて羨ましい――

 という思いがあったとすれば、

――自分には絶対に書けない――

 と思っていたほど、意識から遠い作品ではないような気がしてきた。

 だからと言って、彼と思考が近づいてきたという気はしない。逆にその距離の遠さを再認識したと言ってもいいだろう。最初に感じたのは漠然としたものだったのだが、二度目に感じた時は、かなり具体的な感覚だ。口では説明ができないが、やはり二度目に思うのは、最初よりも少しでも具体性がないと感じることのできないものであるのだろう。

 だが、今回の再捜査依頼で得た情報の中に、この古舘晋作の名前が出てきた。少なからずのショックを受けた中で、

――彼なら決してありえないことではない――

 と思った気持ちも正直なところだった。

 ここまでまったくの蚊帳の外だった古舘晋作がいきなりクローズアップされたわけだが、何かの虫の知らせがあったのかも知れないと思った。

 それは昨日このホテルに来る道すがら、温泉宿に向かうバスの中に彼の姿を見た気がしたからだ。実際にいたのだから見たとしてもまったく不思議ではないのだが、彼をバスの中で見たと感じた時、この話との関連をなぜ思い浮かべなかったのか、それが不思議に感じられるところだった。あまりにもピンポイントな偶然に、感覚がマヒしてしまっていたからだろうか。

――古舘晋作という男は、一体どういう男なのだろう?

 といまさらながらに感じさせられた。

 ここに来る前に、古舘についても少し調査してみた。彼について詳しく調べるうちに、次第に彼のことが分からなくなってきた。

 確かに彼は恋愛小説など、まっすぐで実直な内容の話を書くが、ストーカーであったりと正体がまったく掴めなかった。そのために、いろいろ調査をしてみる必要があると思ったのだ。

 彼がデビュー前に在学していた大学の知り合いというのに会ってみたが、

「あいつは本当に真面目なやつで、今どき珍しいと言われるくらい、恋愛にもまっすぐなやつでしたね」

 そこでストーカーの疑いがあったことを話すと、

「それは何かの間違いでしょう。あいつほど女性に気を遣う人はいませんからね。あいつの気の遣い方は、最近よく言われている忖度などという言葉ではないんですよ。いつも真正面から。これがやつのモットーであり、尊敬できるところだと今でも僕はそう思っていますね」

 と言っていた。

 だが、ママもスナックの人も、古舘がストーカーで、綾音が困っていたという話をしていた。これはどういうことなのだろう?

 さらに、今度は彼がよく出版している出版社にも出向いてみた。そこで編集長が話に応じてくれて、

「ええ、古舘さんはなかなかの人徳を持った人だって僕は思っています。ストーカーなんてとんでもない。本当に真面目なやつですからね。でもそれだけに彼には勧善懲悪のようなところがあり、悪に対しては露骨に戦いの姿勢を示すようなやつでしたね。そういう意味では怖いところがあったかも知れないですね」

 と話してくれた。

 他でも少し聞いてみると、確かに古舘の悪いウワサをする人は誰もいなかった。ということは、彼について悪いウワサを流しているのは、このスナックの人たちだけということになる。

 そこに何かの作為を感じたのは、無理のないことなのだろうか。この作為がどうやら古舘自身から感じられるのは、彼がジキルとハイド的な二重人格でもない限り、それ以外に考えられない気がしたからだ。

 だが、どうしてこのスナックでだけ、自分がストーカーのように振る舞わなければいけないというのだ? 綾音に対して異常な愛情を感じたことで理性が吹き飛んでしまったのだろうか? もしそうだとすれば、他の人にもその感覚が芽生えるというもので、聞いてまわった時、

「ある時期から、古舘さん、まるで人が変わってしまったようになった」

 という証言が一つくらい聞けてもいいはずだ。

 それなのに、誰もが口を揃えて、

「精錬実直な性格だ」

 というではないか。

 そう思うと、どうしても彼が作為的にスナックではストーカーを演じていたのではないかと思えてならないのだ。

 考えられるとすれば、このスナックでしか知らない相手に、自分を欺くことではなかっただろうか。この店で自分を欺いて、彼が得をするような人物。そんなものが存在するのだろうか。

「あのスナックには何かある」

 と思うのも無理のないことで、かといって、一介の小説家に探偵なみの捜査手段があるとは思えない。こうなったら、想像でいくしかない。

 まずおかしいのは、

「古舘のことをどうして、調査報告書に書かれていないのだろう?」

 という思いだった。

 考えてみれば、この調査報告書に違和感があり、違和感からいろいろ想像したり調査をしてみたが、なかなかしっくりとしてこない。そんな時、調査報告書に書かれていない古舘晋作という男が、実際に影で暗躍しているのではないかと思えた時、それまでの違和感の意味が分かったような気がした。

 確かに古舘晋作のことが書かれていないことは、この事件において、大きな落ち度ではないだろうか。スナックに行って、

「静香(綾音)にはストーカーがいる」

 という情報を聞き出しているのに、それが誰か聞かなかったのだろうか?

――まさか、この俺がストーカーを作家ということを聞いてすぐに古舘を名指ししたことで、話してくれたのではないか。ただ小説家というだけで誰かと分からなかった探偵には話すだけの信憑性や根拠がなかったのかも知れない――

 と思った。

 鎌倉は、今度は桜井忠弘に話を聞いてみたいと思った。彼が今回の綾音の失踪で表に現れた中で一番重要な人物だということは誰の目にも周知のことだった。

 だが、桜井忠弘という人物を捕まえることができなかった。彼女の失踪前後と彼女と知り合ってからのスナックでの彼の行動などは容易に把握することはできた。しかし、その後の彼の消息や、不思議なことに、彼の昔の素性などは皆目、見当のつくものではなかった。

 スナックで聞いてみても、よく分からないというし、警察でも彼女の失踪の際、彼を関係者として事情聴取はしていたので、彼の住まいや連絡先などは分かっているようだったが、綾音を自殺だという基本方針で調べていたので、関係者と言っても、その人たちの過去の素性までは細かく調べるようなことはしていない。ただでさえ、他に事件も起こっているというのに、自殺に基本が決まったものを、形式的以上の捜査などするはずもなかった。

 それを予見してのことなのか、忠弘の過去のことなどはほぼでたらめだった。住所は確かにその場所であったが、すでに引っ越しており、しかも引っ越したのは、事件があって一か月もしない間ということは、疑おうと思えばいくらでも疑うことができる。

 どこに引っ越したかも分からず、話を聞くどころではなかった。

 ただ、スナックでは桜井忠弘という男に対しての評価はまちまちだった。

「いつも静香ちゃんを助けていてね、あの作家先生のストーカーにも恐れることなく立ち向かってくれそうな勇敢なところがある人だったわ」

 という好意的な意見や、

「あの人はいつも何を考えているか分からないところが目立っていたわ。最初はそんな人には見えなかったのにね」

 という批判的な意見もあった。

 要するに二重人格なのだ。それもジキルとハイド的な二重人格者。人間としてどこまで信用していいものだか、分かったものではない。

 さらに彼の過去がまったく見えてこないというのも何か変な気がする。そういう意味では綾音も同じなのだが、だからこそ、二人は付き合うようになったという見方もできるでのではないか。

 ただ、そんな中で一つ気になる情報があった。

「私は桜井さんをあまり好きじゃないと思っていたのね。何か暗いところがあるし、何か隠しているように見えたからね。だから、こういうお店には不釣り合いなんじゃないかって思っていたの。でもお客さんでしょう? ちゃんとお相手はしないといけない。でもなかなか会話にならなくてね。結構苦痛だったわ。でもね、ある日、あの人が変な話をするんです。自分はフリーのルポライターで、本当の特ダネ記者なので、その正体も極秘なんだけどね」

 と言って、苦笑いをしていたという。

 あの彼がそんな笑い話をするなんて思わなかったので、覚えていたらしいが、どうにも笑えない気がして、しかも、最後の彼の苦笑いが実に気持ち悪かったと言っていた。

 そういうことなのだろうか? ただ、彼女が最後に、

「でも、気持ち悪いとは思ったんだけど、あのお話、本当のことだったような気がして仕方がないの。ウソだという確証がまったくないのよ」

 と言っていたのが妙に気になった。

 鎌倉は、その忠弘という男性に遭ったことはない。だからなんとも言えないのだが、今の時代にそんな影で暗躍するルポライターなどが存在するのか、それも疑問だった。

 さぞやお金になるのだろう。そうでおなければ、結構危険な仕事なのだ。割に合わないと言えるのではないか。

 もっとも、、そんな記事を書いて一件いくらで売れるというのだろう。そんなに出す出版社がなければ、ルポライターとしても、一種のスパイ行為に近いものなので、身元がバレると、誰も助けてくれる人などいないのではないだろうか。それを思うと恐ろしい。よほどバックに大物が控えているか、よほどの正義感でなければ務まらない。ひょっとすると、桜井忠弘という男の出生に何か秘密があるのかも知れない。

 正義感というと、この話の中でもう一人、正義感に溢れている人物がいたではないか。それは作家の、

「古舘晋作」

 その人ではないか。

 彼と桜井忠弘に何か関係があるとすれば、この話は俄然面白くなってくる。果たして真相はどうなのだろうか?

 それにしても、綾音が本当は自殺なのか、何者かの手によって殺害されたものなのか、そのことが一番の問題だった。鎌倉に依頼した捜査というのは、それを中心に探ってほしいということではなかっただろうか。

 そういえば、この捜査というのは、相手から見ても頼まれた鎌倉側から見ても、かなり曖昧なものだった。

「君は探偵や警察のように生業としているプロではないので、多くを期待するわけではない。何といっても、君には捜査の権限も、相手から何かを聞き出すにしても、力がないのはわかっている。今の時代は個人のプライバシーには厳しい時代だから、この調査資料を元に、分かる範囲で探ればいいんだ」

 というくらいの漠然としたものだ。

 調査依頼というのが、こんなに抽象的なことでいいのだろうか?

 謝礼にしてもハッキリいくらと示されたわけでもない。今後の私の小説をこの手柄を元にある程度認めてくれるようなことを言っていたが、それとこれとは次元が違う話のように思える。

 だが、背に腹は代えられなかった。今何かをしなければ、このまま鳴かず飛ばずのまま何を変えることはできない。これからの自分の内外で何かを変えない限り、このまま小説家などと名乗っていて、先があるわけではなかった。

 昔の小説家という人は、仕事がない時、何か工夫をして生計を立てていたものだ。例えば戦前、戦時中などの数年間は、軍の力が強く、出版物などには、必ず検閲が掛かり、情勢に沿わない書物は書き換えを要求されたり、発禁になったりされるという憂き目を受けてきた。

 戦時中になれば、ジャンルいよっては、発行すら禁じられるものもあったようで、そんな時、やむなく別のジャンルで書いたりしていた。探偵小説家がほのぼの家庭ものを書き、その中に戦時色を散りばめることを余儀なくされたり、時代小説を書く羽目になってしまったりと、散々だったようだ。

 それでも何とか生き残った小説家が、戦後売れてきていることは、歴史が証明しているではないか。

 鎌倉も、今の自分の立場を決していいとは思っていない。確かに自分では納得のいく作品を書いているつもりでも、それは「売れる小説」というわけではない。もし自分が読者だったら、その本を買うかと聞かれると、きっと頭をかしげてしまうだろう。

 そんな時に目の前に現れた、いわゆる、

「馬の前にぶら下げられた人参」

 に飛びつくかどうか、これからの自分の人生の選択だった。

――こういうのを、「考える」というのだろうか?

 言うとおりにして、どこまでできるか分からないが、少なくとも現状を打破しようとした自分に自信を取り戻すという選択。

 無難に、このまま何もせず、今まで通り、自分のやり方が一番いいという自信に基づいた生方ではないという思いを抱いたままの中途半端な自分。

 どう考えても前者なのだが、鎌倉は最後まで迷っていた。

――俺は利用されているだけなんjないかな?

 という思いが消えなかったからだ。

 こんなに中途半端で曖昧で抽象的な依頼があっていいものだろうか。元々は探偵に依頼し、探偵が調べてきたはずである。もちろん自分なんかにもらえる探偵料に比べれば、当然高いお金がかかっているはずである。

 その中には探偵の経費も含まれている。情報を引き出すための「袖の下」も若干は入っているに違いない。

 もちろん、鎌倉だって同じことをしないと得られない情報なら、経費として申請するつもりだ。当然そのことは了承してもらっているが、それでも探偵料に比べれば微々たるものだろう。

――できる範囲でいいと言われているじゃないか――

 と思っていたが、どうして不安を感じるのか分からなかった。

 それを蚊が得ていて、一つだけ頭にあるのは、

「この社長は、探偵が調べ上げてきたこの資料に疑問を感じているのではないか」

 ということであった。

 そうでもなければ、人に再調査を依頼したりはしないだろう。要するにこの調査報告は疑問であり、彼にとっては大いに不満に感じられることだったのだ。

 鎌倉がどうしてこの調査報告を最初から疑って考えたのかというと、心のどこかで、

「依頼人がこの調査報告に不満を持っているからではないか」

 と感じていたからではないだろうか。

 そう思うと、最初からそっちの目で見てしまっていた自分が本当に真実に辿り着けるかどうか、逆に不安にもなってきたのだ。

 では、どうしてこの調査報告書では不満なのだろう?

 いや、そもそもどうして出版社の社長がこんな調査を依頼しなければいけないのだろう。思うに彼女はこの社長の愛人で、そのために、死んだ彼女のことが気になって、それで親切心からこのようなことをしていると思うのは、あまりにも都合のいいことであろう。

 あの社長であれば、愛人くらいいても不思議はない。そもそも愛人をそこまで大切にするであろうかというのも考えものである。

――ひょっとして、その裏に何か大きな力が働いているのかな?

 とも感じた。

 社長はその人のいうことなら何でも聞かないといけないような弱みを握られているというのは考えすぎであろうか。いろいろと想像していると、発想はとどまるところを知らなかった。

 だが、やはり気になったのは桜井忠弘という男が、影でルポライターのような仕事をしていたということだ。彼がどのような事件を追いかけていたのかはまったく分からない。彼の行方も分からなくはなっていて、失踪届も出ているが、だからと言って、家宅捜索をするほどではない。さすがにそこまではプライバシーの侵害に当たるだろう。確かに彼は先に失踪した綾音と恋人関係にあったようだが、それだけのことで彼の家を家探しすることもできない。

 もっとも、彼が影で何かの仕事をしていたのだとすると、果たして失踪者に対しての家宅捜索程度で見つかるところに保管しているとも思えない。そう思うと彼の失踪は綾音の失踪とは関係なく、もっと切実な、例えば仕事の方で何かまずいことが起こって失踪したのかも知れない。

 それを思うと、どうしても桜井忠弘を、嫌疑の外に置くことはできないのではないだろうか。

――だけど、探偵であれば、何か分かるのかも?

 桜井忠弘のことがほとんど調査報告書に書かれていないのも気になった。形式的な調査として、彼女の交友関係のその他大勢の一人として書かれているだけだった。報告書をパッと見ただけでは、彼が何か関わっていると考えることなどできないほどだ。

 そしてもう一つ、ストーカーについても、誰のことかまでは書かれていなかった。もし、綾音と依頼者が愛人関係にあるとすれば、ストーカーの存在も、そんお正体も分かっていて当然と思えるが、敢えてその怪しい人物についても書かれていないのだ。

「どうしてこんな肝心な、しかもすぐに分かりそうなことを書いていないのだろう?」

 と思う。

 確かに彼らの存在を除けば、綾音が自殺をしたという理屈は成り立つ。いわゆる依頼人にとって、

「都合のいい報告書」

 ということになるだろう。

 しかし、それで騙せる相手だとは思えない。何か曰くがあって作られたのだとすれば、それは何だろう?

「ひょっとすると、この報告書だけでは満足できずに、再調査を他の人に依頼するのではないかと考えたのではないか」

 これは結果論からの推測だが、この場合、結果論もまんざらでもないような気がする。あまりにも分かり切ったことが書かれていないのだ。これでは読んだ人間は自分に忖度し、そのために都合のいい報告書を作って、調査料をちゃっかりいただこうという魂胆に見えて仕方がない。

 物事が表に出た時、必ずそれには裏があるということを認識しておかなければ、物事は解決しない。目の前に見えていることがすべてではないし、見えているものですら、信じられないものもあるだろう。見えているのに、見えていないという錯覚を起こすこともあるし、人間というのは、実に厄介な動物なのだろう。

 ではなぜ再捜査の白羽の矢が、鎌倉に当たったのかというのも疑問である。彼は別に探偵でもなければ、調査の権限もない。ただ一介の小説家というだけで、その作風も別にミステリー作家でも探偵称津を得意としているわけでもない。そのあたりの勉強はしたことがあったが、

「俺にはこんな緻密で計算された作品は書けないよな」

 と早々に断念したくらいであった。

 しいて言えば、深層心理を抉るような、不思議な世界を織り交ぜた(決してファンタジーというだけの意味ではない)小説を書いていた。人が想像もしないような世界、常識では考えられないようなそんな世界を描ければと思っていた。

 そもそも人の脳というのは、何を考えるか分からないところがある。天国も地獄も昔の人の創造だとすれば、この世の理屈も昔の神話であったり、日本書紀のようなものがそれを証明していだろう。

 もう一つ気になることがあった。実は、この話の主役である鎌倉には一時期の記憶がない。小説家を目指して書いていた記憶と、なぜ自分が小説家になったのか、ハッキリと意識できていないのだ。自分が小説家としてデビューした記憶、それもほとんど人から聞いたものであり、自分の記憶ではない。だから鎌倉は、記憶が欠落しているのであり、記憶喪失ではないのだ。

 どれくらいの記憶がないのかというと、約三年くらいではないだろうか。それなのに、この出版社は鎌倉を拾ってくれて、小説を発表させてくれている。本当はありがたいと思うべきなのだが、今回のような不思議な依頼も今回だけではなかった。

 これまでの依頼はさほど困難もないし、あっという間に済むことだったので、意識としては何もなかったが、今回の依頼は探偵業務であり、なぜそれを自分に依頼してくるのかよく分からなかった。

「俺が疑念を抱くことを分からなかったのかな?」

 とも感じた。

 今まではこの出版社に対して恩義ばかりしか感じていなかったので、何でもできる気がしていたが、今回は調査していて、自分がこの出版社との間に利害関係はまったくない人間に思えてきた。

「ただ、依頼を受けて調査する探偵」

 それが、鎌倉光明という男なのだと思うようになった。

 ここの社長が鎌倉に何かを頼む時、低姿勢で今回のように、

「できる範囲でいいんだよ」

 という言葉を額面通りに受け取ってはいけない。

 それも分かって依頼してきているのだろうが、その時の社長の顔を思い出しただけでも吐き気を催しそうで思わず歯ぎしりをしてしまいそうになる。

 鎌倉は、この調査報告書に書かれている内容を見ると、忖度を感じないわけにはいかない。ただ、この内容、どうにも他人事とは思えない。ひょっとすると、これは自分が作ったものではないかとまでの飛躍した発想に、思わず閉口してしまった。失笑が隠せないくらいである。

 この調査をした探偵の名前は記されていない。そこも怪しいところである。普通、報告書にはその会社と報告者の名前があるはずだが、わざとその部分を省いているようだ。

 ある程度の妄想は出来上がった。後はこれを社長にぶつけるだけだった。

 それから三日後社長とコンタクトが取れて社長室で面会した。

「どうだべ? 何か分かったかね?」

「ええ、何となくの想像ですが、それでよければ」

「よろしい、意見を聞かせてもらおうかな?」

 そう言って社長はソファーに腰かけ、タバコに火をつけた。

 鎌倉も対面で腰を掛けると、おもむろに話し始めた。

「まず、中川綾音さんは、自殺です」

「ほう、その根拠は?」

「彼女は彼氏に失望し、自分が利用されていたことを知って、命を断った。そう考えるのが自然と思います」

「では、犯人はいないということだね?」

「いいえ、そうではありません。彼女を死に追いやった人は存在するのです」

「それは誰だというのかね?」

「直接的な相手というのは、桜井忠弘という男性です。彼は中川綾音の彼氏でした。そして彼は裏で暗躍しているルポライターでもあったのです」

「じゃあ、彼女は彼に裏切られたと?」

「そうです。彼は綾音さんのことを愛していたわけではありませんでした。ある情報を得るために彼女に近づいただけです。その情報をもう一人探っている人がいました。その人物も私と同じ作家なのですが、彼は綾音さんにストーカーをしていました。その人の名前は古舘晋作と言います」

「ほう、作家がストーカーなどを」

「はい、でも、これも彼の表に見えているだけの性格であって、彼は決してストーカーなどができる男ではなかった。恋愛小説などを書いている人で、その内容にはとてもストーカーなどができる人には思えないんです」

「しかし、小説家なんぞというのは、妄想で作品を作るんだよね。だったら、そういう二重人格なところがあるんじゃないか?」

「いえ、彼にはそれはないようでした。スナックでは警察からの事情聴取にも皆彼がストーカーのように言っていましたが、そこに何かの力が加わっているような気がしたんです。そして彼はストーカーという隠れ蓑を使って、彼女から何かの情報を手に入れようとしていたところ、桜井忠弘と知り合った。古舘は良心から、そして桜井忠弘は自分の欲望から、同じ人間をターゲットにしていたんです」

「それで?」

「そのことを中川綾音がどうして知ったのか詳しいことは分かりませんでしたが、中川綾音はある人の情婦だったんです。その相手は公開されては困る秘密を持っていた。だから二人は近づいた。古舘という作家にとっては、ある意味何かの復讐だったのかも知れない。この作家について、この報告書にはありませんでした。きっとこの報告書を書いた人は、きっとそのことを憂慮していたんでしょうね。この探偵さんはある程度まで完成された報告をしています。しかも、ご丁寧に二度清書をしています。一度はメモしたものを、調査順に清書したもの、そしてさらにそれを時系列でさらにまとめています。本来なら箇条書きのような形であれば、そして、関係した人間ごとにまとめればよかったんですが、きっと人間ごとにまとめることができなかったので、時系列で纏めたんでしょうね」

「どういうことだ?」

「この報告書には、ところどころ肝心なことが抜けている気がします。つまり、分かっていることを敢えて書いていないということではないかと思ったんです。どうしてそんなことをしなければいけないのかを私は考えてみました。それは、きっとあなたに忖度したのではないかということでした。確かにこの報告書を読むと、あなたに都合よく書かれています。しかし、都合がよすぎるんです。それが私には引っかかりました」

「なるほど」

「この事件の詳細をもし今知っている人がいるとすれば、綾音さんが勤めていたスナックのママではないかと思っています。作家の古舘という人も知っているのかも知れませんが、きっと彼はすべてを知らないと思います。ただ、彼は綾音さんが自殺だったということは分かっていると思います。もし、そうでなければ、きっと彼は復讐を考えているからです」

「じゃあ、その男には復讐の意志はないと?」

「ええ、だから、もしこの事件の黒幕の人が復讐を恐れているのだとすれば、その心配はないということです」

「では、桜井忠弘の方はどうなんだね?」

「彼は確かにお金の亡者のような人で、知り得た情報で、本当は相手を脅迫するつもりだったんでしょうね。社会正義など関係ないと思っていた人ですから、今は行方不明ですが、今もって彼が脅迫しにこないということは考えられることは二つしかないです。一つはもうこの世にいない。つまり口封じされたか、もう一つは口封じが怖くて逃げているという考えです。どちらにしても彼は脅迫できるだけの決定的な証拠は持っていません。それを得る前に綾音さんが気付いたんでしょうね。彼の正体に。だから、綾音さんが自殺をした本当の理由はそこにあります。信じていた相手に裏切られたということですね。ただ、彼女が自殺をしたというのは、この事件の黒幕からすればありがたかったんじゃないかと思います。自殺をしなければ、彼女はそのうちに消される運命だったはずですからね」

「ところで、その黒幕というのは?」

 と社長は切りこんできた。

 鎌倉は少し考えてから、

「それはあなたなんじゃないですか?」

 と静かに答えた。

「ほう、私がこの事件の犯人だと?」

「事件の元を作ったという意味ではそうかも知れませんが、でも実際には自殺なので、事件ではありません。それをあなたは以前探偵に調査させた。この探偵の名前は署名されていませんが、これをあなたも信用できなかったんじゃないですか? この探偵を今度はあなたが密偵した。ひょっとすると殺害も考えたかも知れない。しかし、密偵が彼に見つかってしまった。そして、お互いに傷ついた。しかも恐ろしい偶然で、二人とも記憶を半分失ってしまった。いわゆる、『記憶の欠落』というやつですね。そしてあなたが密偵を命じた人は、金でしか動かない人間。つまり桜井忠弘だったんではないですか? 彼が今も行方不明なのは、記憶が欠落したことで今は別の人になって生きている。これもあなたにとって都合のいいことでしたね」

 というと、社長は平静を装っていたが、タバコの火はすでに半分以上を燃やしていて、肺が零れそうになっていた。

 声を出すこともできないように見える社長を横目に、鎌倉は再度話し始めた。

「そしてですね。もう一人、この探偵ですが、これって実はこの私だったんじゃないですか?」

「どうしてそう思うんだね?」

「まず、ここに署名がないのが不思議だったのと、すぐにこの書類に不自然さがあることに気付いたこともその一つでした。ちょっと考えれば分かるのでしょうが、私の場合、考える必要もなかったんです」

「なるほど。では、私は一度調査をした君にもう一度調査依頼をしたということかね? 下手をすれば君が記憶と取り戻すかも知れないのに?」

「ええ、それでもいいと思われたんじゃありませんか? 戻れば戻ったで、ここに記されていない内容を知るのに、私をどうにでもできると思ったんでしょう。記憶が戻らなければ、どうせ誰かにまた再調査させるつもりだったけど、もう一度させれば、そこから何かが分かるのではないかと思ったのかも知れない」

「それを私が分かってどうするんだね?」

「あなたは、彼女をストーカーしていた人物を知りたかった。スナックではすでに緘口令が敷かれているし、桜井忠弘も行方不明、さらに愛人がこの世を去っている。自殺だということはあなたには分かっていたでしょう? 自分が手を下さなければ彼女を葬る人なんかいませんからね」

 というと、社長は少し怪訝な表情になり、

「そうじゃないんだ。彼女は殺されたのかも知れないと思っていたのも事実なんだ」

「ほう、それは誰にですか?」

「ストーカーの男にだよ。ストーカーというのは何をするか分からないからね」

「そうなんです、この事件の特徴の一つがそこにあった。ストーカーに見られていた古舘は一見何をするか分からないようだったが、本当は心優しい彼女を守れる性格だった。逆に彼女の彼氏を演じていた桜井忠弘は、金に対しての執着はあっても、女性に対しての愛情も、情という情のまったくない人間だったんです。だから、少しややこしい関係に見えたけど、この報告書がそれを解決してくれました。ところどころ抜けているというところがそれを暗示しているんです。しかも、内容をそのまま信じれるように前後の内容を貼り合わせてですね。でも、これに信憑性を感じるのは、あなたのように自分に都合よくしか理解できない人だけではないかと思うんです。僕のように最初から疑ってかかると違ってきますよ。疑ってかかるというのは、まずこの内容を自分で辻褄に合わせてしっかり解読できなければ、疑うこともできません。あなたにはそれができなかった。都合よくしか解釈できなかったことがあなたの疑心暗鬼を生んだのではないでしょうか?」

 彼はうな垂れたままだった。

「これで私の調査報告は終わります」

 と言って、鎌倉は社長室を後にした。

 それから数日ほどして、出版社に警察の公安から捜査が入った。詐欺容疑だというが、それも実に都合のいい詐欺を働いたことで、逆にそこから足が付いたということであった。

 鎌倉はこの公安の立ち入り捜査が近いことを知っていた。そして、そのおかげで自分が安全であることも分かっていた。

 ただ、鎌倉は調査しただけで、これをどこにも公表していない。これも探偵をしていた頃の感覚であろうか、いわゆる守秘義務というものである。

 鎌倉は結局、唯一の小説家として生き残る場所を失った。しかし、その分ある程度まで記憶がよみがえったことで、再度探偵をする気になった。記憶は欠落したままだが、それを分かっていると、戻ってくる記憶もあるようだ。それこそ、

「都合のいい記憶」

 なのかも知れない。

 鎌倉の再度立ち上げた探偵事務所には助手もいた。それはやはり欠落した記憶を持つ桜井忠弘だった。

 彼は余計な記憶、つまり金の亡者だったという意識を失っていた。元々彼も真からの悪人ではなかったということだ。

 彼は中川綾音への贖罪として、探偵の助手を買って出てきた。それを鎌倉は快く受け入れたのだ。

 これからの鎌倉探偵がどんな事件に遭遇し、どのような活躍をするのかまだ検討もつかないが、その報告を読者諸君にできる日が近いことを思い、このお話をおしまいということにいたします。


                   (  完  )

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都合のいい記憶 森本 晃次 @kakku

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