第3話 画家の先生との再会

 遠藤は最近では、馴染みの喫茶店で書くことが多くなった。一度新人賞を受賞してプロ作家になったと言われてはいるが、小説を書くということを楽しいと思ったことはない。逆にプロになったことでプレッシャーを抱くようになり、執筆活動が苦痛でしかなくなった。

 テレビドラマなどで、小説家の先生と呼ばれている人が、自宅やホテルで「缶詰め状態」になり、編集者監視の元、苦労しながら執筆に勤しんでいる姿を見ることがあった。

 自分が小説を書けるようになるまで、

「プロの先生なのに、どうしてあんなに苦労しているんだろう?」

 と思っていた。

 中学高校時代は自分も受験生だったのでプレッシャーというものを分かっていたはずなのに、それでもプロと呼ばれる先生が、自分と同じプレッシャーに陥るはずなどないと思っていた。同じプレッシャーでも種類が違うと思っていたのだ。

 確かに種類は違う。高みを目指す途中にいる人のプレッシャーは、自分たちとは根底から違っている。その違いを根底から見ていないのだから、分かるわけなどないだろう。

 一度高みを見ることができて、その途上にいる人は、下を見ても上を見てもキリがない。一度昇ってしまったのだから、下りることなどできない。そんなプレッシャーを感じるのだ。

 だが、新人賞を取ってからもう何年も経っている。この新人賞は年に一度だから、少なくとも自分の後に数人の作家が受賞し、デビューを果たしている。さらに年間開催される文学賞や新人賞と呼ばれるものは毎月のようにあり、年間十数人の作家がデビューしていると言ってもいいだろう。そんな状態なのでデビュー後もコンスタントに作品を合評し、作家として生き残っている人はほんの一握りであった。

 受賞後の二年くらいは、プレッシャーを感じながらも、受賞したという自信がまだ残っていたので、もがきながら苦しさを自信がフォローしてくれていた。その後の二、三年は、自信はどこにもなくなっていて、苦痛の身が残ったような感じだった。

「小説家なんかやめたい」

 と思ったとすればこの頃が一番強かったかも知れない。

 それから二、三年が経ったわけだが、もうここまでくれば惰性であった。執筆はとりあえず続けている。

――自分から執筆を取ると何も残らない――

 という思いと、毎日のようにやっていることを急にやめると、一気に人生に疲れてしまうという思いがあり、それが怖かったのだ。

 ただ、惰性になってしまうと、自分が新人賞を取ったことがあるということ自体、まるでウソだったのではないかと思うほどになり、今ではアルバイトが本業で、執筆活動はただの趣味と言えるくらいになっていた。

 逆にその方が気楽な気がしていたが、そのおかげで、まわりから友達は去っていった。

「お前、そんな毎日でどうするんだ?」

 と言われ続けるのに疲れた。

「もう、俺なんかどうでもいいんだ」

 本当は心肺してくれているということも分かっているし、自分でもなんとかしなければいけないという気持ちもある。

 しかし、言われれば言われるほど、返事に窮する自分が、一番苦しんでいることが分かっているだけに、何と返事をしていいのか分からず、捨て鉢な言い方になってしまう。

 捨て鉢な言い方をすれば、相手に嫌な思いをさせることは分かっている。しかし、何と思われようが、どうしようもないことをクドクド言われることほど苦痛はない。まるで新人賞を取ってから二年間ほどの執筆時のやるせなさに似ていた。

―ー二度とあんな思いをしたくはない――

 と思うと、

――どうして新人賞なんか受賞したんだ――

 と、自分の作品を選んでくれた審査員の先生たちを恨みたくなるくらいだった。

 元々新人賞というのは、

「まだ表に出ていない宝石の原石というべき小説家のタマゴの発掘を目指して発足されたもの」

 ということだったはず。

 作品の良し悪しだけではなく、その作家の潜在能力を客観的に判断して、作品に込められた将来性を見抜くことが大切だったはずだ。それなのに、受賞したはいいが、受賞作で実力を発揮しつくしたとは言わないが、逆に最初の作品が一番素晴らしい作品になってしまったという事実から、審査員の目は節穴だったと言える。

「どの口がいう」

 と言われるかも知れないが、演奏はそう思うと、忌々しい気持ちになってしまうのだった。

――僕の受賞を知っているかつての文芸サークルの連中は、僕が小説かとして頑張っていると思っているんだろうな」

 と思ったが、それも忌々しい気がした。

 同窓会の案内は時々来ていたが、最初こそ丁重にお断りしていたのだが、途中から断りの返事を出すのも億劫になり、返事すら出さなくなった。受賞経験のある作家としてはあるまじき行為であろう。

――今のこの僕の様子を、一番知られたくない人たち――

 それが、文芸サークルの仲間だった。

 今の沿道には、執筆というと趣味のような感覚である。

 趣味として小説を書いていたのは、大学時代のことだが、その頃の記憶はほとんどない。その頃のことで覚えているのは、

――プロになったらどんな気持ちで書くんだろうな?

 という思いを抱いていたということだけで、それ以外は、実際にどんな気持ちで書いていたのかなど覚えていなかった。

――新人賞を受賞した瞬間に忘れてしまったのか、それとも、プロ作家としてもてはやされていた時代、つまりはそれまでの生活とは一変してしまったことで忘れてしまったのかのどっちかではないか――

 と思っていた。

 惰性であっても、日課としてしなければいけないと思ったからなのか、小説を書くことへの抵抗がほとんどなくなっていることに気付かなかった。感覚がマヒしてしまっていたと言っても過言ではないだろう。

 それは、場所にもよるのかも知れない。

 それまでの遠藤は、ほとんど家で執筆をしていた。新人賞を取って二年目以降くらいは、依頼も激減したことで、編集者の目がなくなってきた。そのおかげで自由に表にも出ることができるようになり、いろいろ喫茶店の場所を変えながら書いていた。

 ただ、馴染みの喫茶店だけは使わなかった。その店では自分がかつて新人賞を受賞したということを言っていない。言いたいのはやまやまだったが、なえか言いそびれていた。

 今から思えば、

―ーよかったんだ――

 と感じるが、今の自分が新人賞を受賞したことのある作家などということを悟られたくないという思いがあるからだ。

 そういえば、新人賞を受賞してからは、まわりから、

「先生」

 と言われて、散々もてはやされたものだ。

 照れ臭さからなのか、言われることに変な抵抗があった。

「やめてくださいよ」

 と苦笑いをしていたが、まわりはただの照れ臭さだけだと思っていたことだろう。

 遠藤は、その時の心境を、

――照れ臭さよりも、もっと重要な気持ちがあったはずなのに、覚えている感覚としては照れ臭さしか思い出すことができない――

 と思っている。

「照れ臭さなどというのは、自分の本心を自分で覆い隠そうとするための自己暗示に近いものだ」

 と感じていた。

 その照れ臭さが消えて、今では触れられることがまるで傷口に塩を塗るかのようなまるで拷問を受けているように思える。だから、惰性となった自分の過去を、誰にも知られたくないという思いは、これからもずっと持ち続けるに違いない。

 そのため、今の自分が本職をアルバイトと思っているような、

――決して幸せと言える人生ではない――

 ということが分かっているのだが、どうすることもできない。

 自分では、人生の階段を踏み外したという感覚はない。むしろ、一度は、

「新人賞受賞」

 という脚光を浴びたことで、瞬間的には成功者として輝いた時期があったと思っている。

――一体何が成功者というのだ――

 遠藤はそう思った。

「お前はまだ、小説家でいたいのか?」

 と、もし誰かに聞かれれば、どう答えればいいのだろう?

「いや、趣味でやっているだけだから」

 と言えば、きっと相手は、

「だったらもっとしっかりして、定職に就くことを考えないと」

 というに違いない。

 百人が百人、そう答えるとは思えないので、本当はそれ以外の答えも聞いてみたいのだが、その人に出会うまで、ずっと同じ答えを聞かされなければならないのは苦痛でしかないだろう。

 そう思うと、誰に何も聞けなくなった。相談者がどこにもいない。そんな状況を今から数年くらい前には感じていた。

 その頃にはすでに遠藤に近づいてくる人はおろか、今までそばにいてくれたと思っている人は気が付けば誰もいなくなっていた。不安が自分に襲い掛かる。そして、

――どうしてこんな思いをしなければいけないんだ?

 と思う。

 仮にも新人賞を取った自分が、たった数年で、まわりに人がいなくなり不安で仕方のない状況に陥るなんて、新人賞を受賞した人の中でこんなどん底にいるのは、自分だけなんだと思うようになっていた。

 被害妄想もあったことだろう。人がそばにいないことが不安なくせに、人がそばを通るだけで、思わず避けてしまう。

――小学生の頃のようだ――

 苛めを受けていた時代、ずっと忘れていたその感覚を思い出した。

 しかも、まるで昨日のことのように感じられるのだった。時系列が頭の中で混乱していたからだろう。

 そんな小学生の頃を思い出したことで、あの時に何を考えていたのか思い出そうとしたのだが、思い出すことはできなかった。

――他の精神状態の時だったら、思い出したくないと思っても、思い出せるんだろうな――

 と感じたが。これも一種の被害妄想の類に違いない。

 だが、今あの頃のことを思い出すと、

――嫌なことばかりではなかったように思う――

と感じた。

 これは今までに感じたことのないもので、今までであれば、

――あの頃のことは思い出したくない僕にとっての黒歴史でしかない――

 と思っていた。

 それなのに、今では、

――他の人と関わることがなくて、苛めには逢っていたけど、気は楽だったような気がする――

 という思いがあった。

 そんな遠藤だったが、惰性で小説を書くようになると、執筆場所を馴染みの喫茶店に変えた。今まで敢えてしなかった場所を自分にとっての、

「安住の地」

 にしようと思ったのだ。

 お店は昭和のイメージの残る店で、前述のように、常連客でもっているようなお店だったが、そのほとんどは、隣接している商店街の店長さん連中が多かった。

 変わり種で、大学の教授という人もいたが、心理学の先生だという。

 店を切り盛りしているのは、奥さんで、年齢としては、還暦前後だという。旦那さんが定年退職後に喫茶店をするのが夢だったということで、その夢が叶った形である。

 アルバイトの女の子が二人ほど、曜日単位で入っているようで、一人は大学生、一人は主婦と、同じようなタイプでないことも、遠藤には新鮮に感じられた。

 アルバイトで定職がないということはママも知っていたので、時々、ランチタイムなどはおかずを一品追加してくれるなどの些細なサービスをしてくれたのだが、それが嬉しかった。

 旦那さんも、時々カウンターに入り、コーヒーを淹れてくれるが、それがなかなか慣れた手つきで、話を聞くと、

「定年後に、こういう講習があって、受けたんだよ」

 と言っていたが、やはり夢だったというだけに、エプロン姿もなかなか似合っているように思えたのは、贔屓目からだったのだろうか。

「喫茶店というのも、やってみると結構楽しい」

 というのはマスターの言葉で、昼の時間帯のライチタイムでは、席はほぼ満席になり、盛況ぶりを伺わせた。

 しかし、それ以外の時間は、ほとんど客はおらず、時間があれば、この店で執筆に通うようになった遠藤は、ここでの時間が今までにはない至福の時間に感じられるようになった。

 常連さんとも結構仲良くなり、執筆の合間によく会話をするようになった。小説がただの趣味だと皆が思ってくれているので気は楽になり、執筆よりも、常連さんとの会話の方が楽しくなった。

 それでも毎日の日課は欠かすことはない。そのためには他の人との会話は執筆が終わってからにするようになり、まわりの人も皆そんな遠藤の行動パターンを分かってくれているからなのか、遠藤が気を遣うことはなくなっていた。

――ここは気を遣わなくていいからいいな――

 下手に気を遣うと、却ってぎこちない気がして、敢えて気を遣わないようにしている。

 一種の、

「甘え」

 と言えるのだろうが、アルバイトの主婦の人がそんな遠藤のことを気に入ったようで、

「おにいちゃん」

 という呼び方をしてくれるようになり、そのうちに皆も同じように呼んでくれるので、いつの間にか、

「おにいちゃん」

 という愛称が定着していた。

 いまさらではあるが、この店の常連さん、店のスタッフの誰も、遠藤が小説新人賞を取ったことがある作家だということを知る人はいない。もっとも作家と言っても、今は出版社から原稿依頼などまったくない、

「開店休業中」

 のアマチュアと言ってもいいくらいにまで落ちてしまったのだから、人に知られたくないというのも無理もないことだった。

 遠藤が小説を書いているのをずっと見ているスタッフは、

「なかなか高尚なご趣味をお持ちで」

 と言ってくれるが、今の遠藤は、

――この人たちであれば、照れ臭さだけがあるだけだ――

 と思うようになった。

 小説を書いていることで、他の人とどこかが違うと思ってくれているように思うと、今まで忘れていた何かの感覚が戻ってくる気がした。そのためには、自分が新人賞を取ったことがある作家だということを決して知られてはいけないと思うようになったのだ。

 この喫茶店に来るようになってから、約五年くらいになるだろうか。常連と呼ばれるようになるまでに数か月、実際にここで小説を書くようになったのは、この店に初めて来てから一年が経っていたかも知れない。

 ここで小説を書くようになってから、しばらくして惰性を感じるようになった。この惰性というのもここで書くようになったことで感じるようになったのだから、自分としては悪いことだとは思っていない。むしろ、自由に書けるだけ、それまでの不安がどこへやら、一気に気が楽になっていった。

 アルバイトの主婦の人が、遠藤の小説を読んで、

「何かすごい。結構エグいのを書いているのね」

 と言ってくれた。

 本人がどういうつもりで言ったのか分からないが、遠藤は嫌ではなかった。特に、

「エグい」

 と言われることに違和感はなく、却って他の作家にはない何かを見つけてくれたような気がして嬉しくなったくらいだった。

「エグい」

 という表現は、奇妙な話を書く人間には、褒め言葉のようにも聞こえた。

 彼女がそのつもりで言ってくれたのだと思うと、失った自信を取り戻すことよりも、素直に安心できることの方が今は嬉しいと思えたのだった。

 ある日、小説を書いていると、心理学の先生が話しかけてきた。

「亜紀ちゃんが言っていたけど、遠藤君は結構面白い小説を書くんだって?」

 亜紀ちゃんというのは、ここのアルバイトの主婦のことだった。

「面白いかどうかは、自信はないですが、そう言ってくださる人がいてくれて、嬉しいです」

 と遠藤は答えた。

「僕も結構ホラーとか読んだりするんだけど、どうしても心理学を専攻していると、人間の心理を抉るような作品に出会いたいと思うからなのか、心理学の観点から小説を読むようになるんだ。そういう意味では一番興味をそそられるのがホラーとなるわけなんだけど、僕も一読してみたいものですね」

 と言ってくれた。

「どうぞ、一度読んでみてください」

 と言うと、

「ホラーというのは、僕が思うに、心理学をテーマにしないとできないもののように思うんだよ。すべてがフィクションに思えるけど、どこか信じてしまうという心理が働いているようで、怖いと思うほどにこそ面白いと思ったり、興味をそそられたりするというのも真理であり、今まで誰もが一度は感じたことがあると思う霊感を表現したものではないかと思うんだ」

「人間誰もが一度は霊感を感じる時があると言われるんですか?」

「僕はそう思っているんだ。自分には霊感がないと思っている人は、きっとお化けや妖怪の存在を否定したいという思いからそういう感情に陥るんだろうけど、それだけではないような気がするんだ」

「どういうことですか・」

「人間には、誰もが自己顕示欲というものがあり、しかも、人間という動物は他のどんな動物よりも高度なんだって思い込んでいるよね? 確かにそれは言えるかも知れないが、それは裏を返せば本能などの潜在している能力を発揮することができないので、知恵というものを使って、本能で感じることを補おうとする。それが高等動物なんだと言われればそれまでなのだが、生物は皆それぞれに役割を持っていて、生存環境の歯車の中にいるから生存できているんだという考えもあるんじゃないかな?」

「じゃあ、霊感というのは、誰もが普通に持っているものであり、潜在してはいるけど、発揮できないだけだっていうことなんですか? でも一生に一度は発揮できるところが必ずあるという考え方になるんでしょうね」

 と遠藤がいうと、

「その通りさ。僕もそのつもりで心理学を勉強しているし、さっきの話とは逆の発想で考えると、心理というものも、人間だけにあるものではなく、動物のほとんどが持っていると思うと、面白いんだ」

 と教授が答えた。

「じゃあ、それを人間が分かっていないだけだと?」

「分かっていないのかどうかは分からないよ。ひょっとすれば潜在的に分かっているけど、分からないようなメカニズムになっているのかも知れない」

「今の先生の話を聞いていると、『潜在的』という言葉を使えば、何でもありなようにも聞こえてきますね」

 と遠藤がいうと、教授は苦笑いをしながら、

「確かにその通りさ。僕も巧みに潜在的という言葉を使って話をミスリードしているかも知れないと自分では思っているけど、少し違う気がするんだ」

「というと?」

「ミスリードというのは、自分で理屈が分かっていて、敢えてその方向とは違う方に導くような誤解をさせることなんだけど、僕はそこまで分かっていない。だから潜在的という言葉を敢えて使うのは、僕としてもどう表現していいか分からないことからの苦肉の策のようなものだって思うんだ」

「ホラー小説には、そういう潜在的な感覚があるとおっしゃるんですか?」

「僕はあると思うね。ホラーの中にはアイテムとして鏡だったり夢だったりというものが結構出てくる。それは、今まで心理学でもいろいろ言われてきた発想と似ているものもある。例えば夢だったら、それこそ、『潜在意識のなせる業』と言われているだろう? また鏡においても、『左右では対称に見えているのに、上下で対称にならないか?』などというテーマもまだ解決されずに研究材料となっている。ホラー作家はそういう心理学を意識することなくホラーを描いているけど、心理学者とホラー作家との頭の構造がどうなっているか、実際に調べてみたいくらいだよね」

 と教授は答えた。

 この話を聞いて、遠藤も、

――なるほど――

 と思ったが、ホラー作家としての自分が、教授の言ったような発想を抱いていたのかと言われると、似たようなところを彷徨っていたような気はするが、あくまでもニアミスであって、平行線は交わることなどないと思っていた。

 小説を書いている自分が、今までよりも、さらに自分の時間をハッキリ使っているという意識にあることに気付いた。

――もう二時間も使っているのに、感覚的には二十分ほどしか経っていないような気がする――

 という感覚である。

 それだけ集中しているということなのだろうが、それが惰性によるものなのか、それとも、しがらみから自分を解き放った気楽さから来るものなのか、すぐには分からなかった。

 教授と初めて小説についていろいろと話をしたそのすぐ後くらいだっただろうか、教授は一人の男性を伴ってやってきた。

――何となく見覚えがあるような気がする――

 と思ったが、その男は最初はずっと下を向いていて、誰とも目を合わせようとはしなかった。

 季節は春から夏に向かおうとしているこの時期に、ジャンパーを羽織り、髪の毛はボサボサで、髭も蓄えている。しかもサングラスをしているといういかにも怪しげな雰囲気に、他の常連客も言葉を失っているかのようだった。

――教授がこんな男を連れてくるなんて――

 最初にどこかで見たことがあると一瞬感じた自分が恥ずかしくなった。それ以上に教授がなぜこの男をここに連れてきたのかが自分だけではなく、ほとんどその場にいた常連客はそう思ったことだろう。

 いかにも挙動不審なその男は教授と一緒にいなければ、警察に通報されていてもおかしくないレベルで、店が通報しなければ、誰かがしていたかも知れないと思うほどだった。

「ジャンパーくらい脱いだらどうなんだ」

 と教授はその男を促して、ジャンパーを脱がせた。

 何を考えているか分からない様子だったが、少なくとも教授の言うことに逆らうことはしないだろう。

――心理学の先生なだけに、何かの研究材料として彼をここに連れてきたのだろうか?

 教授が医者であれば、治療のための何かと思うのだろうが、そんなことはなかった。

 その男はサングラスをしたまま、まわりをキョロキョロ見渡し、肩を竦めている様子をみると、明らかに被害妄想的な雰囲気が感じられた。

「どうだい? 何か思い出すことはあるかね?」

 と教授は彼に言った。

――なるほど、彼は記憶を失っていて、記憶を取り戻すカギが、この店にあるということなのか――

 と、遠藤は思った。

 男は見渡してみたが、すぐに頭を下げ、軽く首を振り、頭を上げることはなくなってしまった。

 教授はそんな彼を椅子に座らせたまま、カウンターに集まっている常連のところにやってきた。

「皆さん、驚かせてすみません。実は彼は記憶喪失に掛かっているようで、そんな彼の所持品の中に、この店を表から描いた一枚の絵を持っていたですよ」

「まあ、このお店の?」

 と言ったのは、奥さんで、

「うちのお店が記憶を取り戻すきっかけになってくれれば嬉しいわ」

 と言ったが、それは常連も同じことを思っていることだろう。

 ただ、その中で教授だけが何やら難しい顔をしている。記憶喪失の彼にどのようにかかわりを持ったのか分からないが、関わってしまった手前、責任を感じているのかも知れない。

「その絵がこれなんですけどね」

 と言って、教授は絵が描かれたキャンバスをキャンバスを入れる袋から取り出した。

 似たような袋は見たことがあった。大学時代の絵を描いていた友達がいつも持っていたものだったからだ。

 そう思い、もう一度そのキャンバス入れを見ると、遠藤は驚愕した。思わず、

「あっ」

 という言葉を発したかと思うと、挙動不審のまま顔を下げたままのその男のそばに近寄って、サングラスを外した。

「緒方じゃないか? 緒方勝だよね?」

 この男の持っていたキャンバスを入れていたバックの端に、走り書きで誰にも読めないようなサインがしてあった。

 そのサインに見覚えがあったのだ。

 彼とは大学時代に一緒に夢の話やドッペルゲンガーの話をしたあの友達であった。彼とは大学卒業とともに縁もキレた。実際には遠藤が新人賞を取ってから、次第に縁遠くなってしまったというのが実情だった。新人賞を取ってしまったばっかりに、忙しくなってしまった遠藤は、自分のスケジュールを自分でコントロールすることもできなくなってしまった。目の前にいるのは変わり果ててしまったかつての親友だったが、そうであればさっき一瞬でも感じたあの思いは本当のことだったのだと証明されたのだ。

「ひょっとして遠藤君?」

 と緒方はやっと遠藤に気付いたようだ。

「ああ、そうだよ。僕は昔と全然変わっていないのに、すぐに気付いてくれると思ったんだけどな」

 というと、

「気付かなかったのには二つ理由があるような気がするな。一つは、まさか僕の知り合いがこんなところにいるわけはないという一種の思い込みだね。そしてもう一つは、自分が変わってしまったので、却って全然変わっていない人が逆に変わってしまったように感じるという心理的な錯覚なんじゃないかって思うんだ」

 と相変わらず彼の論理は理路整然としているように思えた。

 大学時代であれば、真剣に聞いた話なのかも知れないが、今聞くと、どこかわざとらしさも感じられ、鼻につく気もした。

 しかし、懐かしい人に出会ったという喜びは新鮮な気もしてきて、しかも、新たに知り合った教授と彼がどういう関係なのか、興味もあったのだ。

「君は、教授と懇意なのかい?」

 と聞くと、

「ああ、教授とは釣り仲間として知り合ったんだよ。僕は大学を卒業して趣味の絵を描きながらできる他の趣味を模索していた時、よく海の絵を描いていることで、釣りに興味を持ったんだ。ある日、岩場が微妙なモニュメントを描いている場所があると聞いて赴いたのだが、その近くに穴場と言える釣りのスポットがあって、ちょうど来ていたのが教授だったんだよ」

 と話すと横から教授が話に付け加えた。

「緒方君は、自分の趣味に対して結構貪欲な人でね、一つのことに興味を示して没頭していると、普通なら他の趣味にはあまり目を向けないものんだけど、趣味の範囲を広げようとする。広げた趣味に対しても真摯に向き合っているところが私には興味があってね。普通セカンドの趣味というと、それほど探求心などなく、楽しむためだけにするんだけど、彼の場合は少しでも深めようとするんだよ。それを見ていると、僕も緒方君という人間に興味を持ってね。親交も深まったというわけなんだ」

 というと、教授は運ばれてきたお冷に口をつけた。

「そういうことなんだ。教授と話をしていると、結構話が合うじゃないか。聞いてみると心理学の先生だという。そりゃあ、僕とすれば願ってもない知り合いができたって気持ちだったね。その日僕は別の宿を予約していたんだけど、さっそく教授の泊まっている宿に鞍替えさ、二、三日は滞在するつもりだったので、結構親交を深めることができたんだ。結構先生の話は面白くてね」

 と言って笑ったが、そんな緒方を見ながら大学時代に話したいろいろな話を思い出していた。

「僕も心理学には興味があってね。最近は教授と懇意にさせてもらっているんだ」

 と遠藤は言った。

「そうなんだね。僕はこのお店に初めて連れてきてもらったんだけど、教授がこの店に僕を連れてきたいと思った理由の一つには。遠藤君と会わせたいという思いがあったのかも知れないね」

 と緒方は言ったが、その言葉を聞いて教授の方を振り返ったが、教授は遠藤の方も緒方の方も見ていない。

 緒方の言っていることが本当なのかどうなのか、この場の雰囲気だけでしか判断することができず、何とも言えない気持ちになっていた。しかし、結果的に彼の言うとおりになったのだから、それが真実なのだろう。そう思うと遠藤は、教授から見ても、自分と緒方の話は合うと思ったのではないだろうか。

「教授、遠藤君とは大学の頃の知り合いなんですよ。彼が小説を書いていて、僕が絵を描いている。そんな芸術的なものに造詣が深いもの同士、いろいろな話をしましたが、僕の性格からなんでしょうかね、深層心理のような話だったり、超常現象の話だったりをよくしていたような気がします」

 これを聞いた教授は、

「遠藤さんが小説を書いているのは聞いたことがあったけど、心理学に興味を持っているというのは僕にも興味深いことだね。僕は小説を書いている人に知り合いはいなかったんだが、芸術に造詣が深い人と知り合いたいと常々思っていたんだ。そして最近、緒方君と知り合った。それまでなかなか芸術に関わっている人と知り合うことができなかっただけに、緒方君と知り合ったことで、これから他の芸術に関わっている人とも知り合えるような気がしていたんです。いや、他の芸術だけではなく、緒方君を通して、絵にかかわりのある人と知り合えるかも知れないとも思っていました」

 と教授がいうと、

「いえいえ、僕には絵画に関わっている人と知り合いなんかいないんですよ。一匹オオカミと言えば聞こえはいいですが、あまり同じ趣味の人と一緒にいても、何かを得られるような気がしなかったからですね」

 と緒方はいう。

 その気持ちは遠藤にもよく分かった。

「僕もそうなんだよ。小説を書いていて、他に小説を書いている知り合いがいるかっておいいうとそんなことはない。知り合った人のほとんどは、『小説を書いている人なんて、今まで知り合ったことがなかった』という人がほとんどなんですが、中には『小説を書いている人って意外と多いカモ知れないですよ。私の知り合いにもいますからね』という人もいて、そのうちに知り合うことができるかも知れないと思いながら、結局誰とも知り合うことなくここまで来たというわけです」

 という遠藤に対して、

「俺も同じことが言えるんだ。口では『他の絵を描いている人と知り合ってみないな』なんて言っているけど、実際には他の絵描きと知り合いたくないという気持ちも中にはあって、もし知り合ったとしても、きっと何をどう話していいのか分からず、ずっと会話のないままその場が終わってしまうような気がしています」

 と緒方は言った。

 それを聞いていた教授が、

「学者というのは、そういうわけにも行かず、人と会わないというわけには行かない。同じ学者しかり、マスコミの人しかりでね。学会というものもあって、そこに参加するのは、大学教授として研究を続けるための、一種の免罪符のようなものかな?」

 と苦笑いをしていた。

 教授の言葉が全面的に信用できるものだとは思わなかった。ひょっとすると、二人に分かりやすいように言葉を選んでくれたのではないかとも思えたからだ。

「でも、僕は自分の考え方を口にすることで、それが教授の研究に役立ってくれればそれで嬉しいんです。いや、もっと本音をいうと、聞いてくれるだけで嬉しいんです。僕が考えているようなカルトな話というのは、なかなか普通の人の会話には受け入れられるものではないですからね。そういう意味では教授と知り合ったというのも、運命だったと言えるかも知れないですね」

 と緒方は言った。

 その言葉を聞きながら、遠藤もうんうんと頷いたが、最近、惰性の生活にずっと慣れ切っていたので、人と会話するのがこんなにも楽しいことだったのかということを、思い知らされた気がした。

 教授と知り合って少しずつ自分の気持ちが氷解しているのを感じてはいたが。それが今まで感じたことのない、

「気持ちいい」

 という感覚だということも分かってきた。

 遠藤はこれまで彼女いない歴が年齢と同じだった。だが、彼は童貞ではない。ただの素人童貞だった。

 アルバイトで生計を立てているので、頻繁に通うこともできないが、お気に入りの女の子がいるのも事実だった。彼女の前では結構本音が言えるのだが、どうして本音が言えるのかというと、

「遠藤さんと話していると、私、ついつい饒舌になるのよ。何でも話せちゃうって感じかしら」

 と言ってくれたのが、身体を血液が逆流するほど嬉しく、これこそ新鮮な気持ちになれた。

 もちろん、営業トークなのかも知れないと思ったが、自分が一番欲しかった言葉を言ってくれたのだ。自分でも気づいていない、

「一番言ってほしい」

 と思っていたはずの言葉、それを普通に言ってくれたことが嬉しかった。

「君が気付かせてくれたんだね?」

 と小さな来rで呟くと、

「えっ」

 と彼女は分かっていない様子だったが。そのシチュエーションがまた嬉しくて、ウソかも知れないが、自分は相手に知らず知らず気持ちの奥を話させるそんな性格の持ち主ではないかと思ったのだ。

 そして、彼女のその時の、

「何でも話せる気がする」

 と言ってくれたセリフがどこか懐かしく、今まで感じたことがなかったはずなのに、デジャブを感じてしまったことに気付いたのだった。

 実は、遠藤は今までに何度かデジャブを感じている。

 それは大学を卒業してからがほとんどで、大学時代に新人賞を受賞した時よりも、大学を卒業した時の方が、自分としては人生の転換点としては大きかったような気がした。

――こんな気持ちになるから、新人賞を取った後、鳴かず飛ばずの作家人生を歩んできたのかも知れない――

 と感じた。

 自分が新人賞を断った作家だということは、緒方しか知らないことだろう。大学を卒業してからは、恥ずかしくて誰にも言えなかった。

「新人賞まで獲得したのに、今は何やってうるんだ」

 と思われるのが怖かったのだ。

 馴染みの喫茶店の常連さんも、店の人も、アルバイト先の人たちはもちろん、誰も知らないことだった。そういう意味で、ここで自分の過去を知っている緒方が現れたということは、これまでせっかく惰性とは言いながら、精神的に平和な人生を送ることができると思っている矢先のことなので、何としてもまわりに知られたくはないことだった。何とか時間を作って彼と二人きりになり、新人賞の話に緘口令を敷かなければならない。そう思った遠藤だった。

 だが、そんな不安は必要ないようだった。

 緒方は二人きりになることもなく、教授がトイレに席を立った隙を見て、しかもまわりに聞かれないように、耳打ちするように、

「新人賞の話はしないので、安心してればいいよ」

 と言ってくれた。

「案ずるよりも生むがやすし」

 分かってくれているようだった。

 しかし、逆に、

――どうして分かったんだろう?

 という危惧も残った。

 どこか自分の素振りから分かったのだろうが、自分がそんな簡単に相手に気持ちを看破されてしまうような分かりやすい人間だということなのだろうか。遠藤はそれを思うと不気味な気もしたが、とりあえず、彼の言葉を鵜呑みにすることで、その場をやり過ごせることはできるようだった。

 遠藤は今までどちらかというと、

「あいつは何を考えているのか分からない」

 と言われてきた方だった。

 最初はそれを自分の短所だとして、嫌な性格だと思っていた。

 しかし、何を考えているのか分からないということは、それだけ人から余計な詮索を受けることはないということである。それは自分にとってありがたいと思ったのは、自分が小学生の頃、いじめられっ子だったからだ。

 いじめられっ子というのは、なるべく相手を怒らせないようにしようと考えるものだ。こちらが変に抵抗して相手の意地悪感情を逆なでしてしまうことが分かっているからなのだが、やられている最中に抵抗しないなどということは自分の中ではありえなかった。どうしても、抵抗してしまうのは条件反射のようなもので、避けられないことだと思うと、抵抗しても、それ以上苛められないようにしなければいけないと本能が訴えていた。

 そんな時、相手に自分の気持ちを訴えるような態度は却って逆効果だった。相手に自分が苛められたくないという思いを抱かせると、却って苛めたくなったりするだろうし、逆にこちらが抵抗の意志を示せば、相手もその抵抗に対して自分が攻撃しているという相手が苛めに対して正当性を感じる隙を与えてしまうことになり、これも逆効果であった。

 そうなれば、こちらが何も考えていないというような発想を抱けば、相手はこちらに対してまるで、

「暖簾に腕押し」

 のように、まったく無抵抗の者を苛めているという罪悪感にも苛まれ、ある程度満足してしまうと、自分がやるせない気分になってしまうことが嫌で、

「苛めはするが、満足感に近づく前にやめてくれるであろう」

 という考えに至るのだった。

 苛められながらでも、いじめられっ子はそれくらいのことを頭に描いて、必死にその状況を逃れたいと思っていた。

 いじめられっ子が抵抗しないのはそういう意識があるからで、その意識を表面から見ていると、実にじれったく見えることだろう。

 いじめられっ子が苛めっ子以外からも正当化されず、苛めに遭っていても誰も助けようとしない理由として、

「今度は自分が苛められる」

 というのとは別に、いじめられっ子に対してのじれったさが感じられるからではないかと思うのだった。

 こんな思いはいじめられっ子だった人間だけにしか分からないことだろう。苛めっ子にもそれを見ているだけのその他大勢も分かってはいない。だが、

「苛めを見て見ぬふりをしている人も同罪だ」

 とよく言われるが、こういう発想から言えば、まさにその通りである。

 ただ、苛めの問題は難しく、苛めっ子が完全な悪だという考え方で本当にいいのか、いじめられっ子だった自分には、そのことを考える資格はあるのではないかと遠藤は思っていた。

 だが、このことを小説のネタにしようとは思わない。社会問題をテーマにするのは一番苦手だったからだ。しかも経験から書いてしまうと、どうしても偏見が先に立ってしまう。公平さという意味では損なわれるだろうか、考えることはいいとしても、文章として起こし、それを公開することはできないと思っていた。

 遠藤は小学生の頃に日記を書いていたが、今はどこに行ってしまったか分からないその日記、どんなことを書いていたのか、まったく見当もつかないが、それも時間の流れが素直だったからだと言えるのだろうか。

 時系列という意味で、心理学の先生とはよく話をしたことがあったが、今回緒方もいるので、時間の問題について話をしたいと思っていると、まるで察したかのように、緒方が時間の話を始めた。

――これは、前に自分が先生に時間の話をふった時に最初に聞いた言葉ではなかったか――

 まるでその時の話を聞いていたのかと思うほど適格な質問に、遠藤はビックリしていた。それこそ、

――デジャブではないか――

 と感じるほどで、それがついこの間のことであるにも関わらず、かなり昔のことだったように感じるのは不思議だった。

 しかし、

――時系列の感覚が狂っているからこそ、その時の話がハッキリと思い出せるのかも知れない――

 と思った。

 話を聞いたのはかなり昔のことのように思えるが、セリフだけがまるで昨日聞いたように感じられた。時系列にも段階的な錯覚があるようだった。

 その日は教授が時間について面白い話を始めた。

「僕はね。お店によっては、時間の流れが他の場所とは違っているような気がしているんだよ」

 といきなり言い始めたので、遠藤と緒方が顔を見合わせて、

――どういうことのなのだろう?

 とアイコンタクトを取っているのが分かったのか、

「信じられないという顔をしているね?」

「ええ、それは……」

 と緒方が言った。

「だけどね、考えてみれば不思議な話でも何でもないんだよ。僕は慣性の法則というのを思えば、これくらいのことは別に不思議でも何でもないと思うんだ」

「どういうことですか?」

 今度は遠藤が訊ねた。

「慣性の法則というと、例えばだるま落としのように、途中をハンマーで叩いても、上はそのまま下に落ちるので、叩いた部分に引っ張られることはないだろう? そして次に、走行中の電車の中で飛び上がれば、電車の中で飛び上がったその部分に戻ってくるだろう? 決して、後ろに落ちることはない。それを慣性の法則というんだけどね」

「それは分かっています」

 と緒方が少しムキになって逆らうように言うと、遠藤は逆に冷静に考えていて、少ししてから、

「なるほど」

 と呟いた。

 緒方にも分かっているのかも知れないが、彼は先生に逆らいたいという気持ちがあるのか、それとも先生に逆らうことで先生が話しやすくなるという忖度を使ったのか、一見気が短いように見えるが、どちらにしても、これが緒方の性格のようである。

「この慣性の法則とはいくつもの法則が一緒になっている総称のようなものなんだけど、説明としては、『物体に外部から力が働いていない時、または働いていてもその合力がゼロである時、静止している物体は静止し続け、運動している物体はそのまま等速度運動を続ける』という理屈なんですね」

 と教授は解説してくれた。

「じゃあ、教授は店によって外部から力が働いているとおっしゃるんですか?」

「僕はそう思っているんだ。力というのは目に見えないものだけど、その力が人の潜在意識であったり、まだ使われていない潜在能力、いわゆる超能力であるかも知れないと思っているんだよ。だって同じ場所でも同じ人間が、時と場合によって、時間の感覚がまったく違っている時ってあるだろう? 例えば人を待っている時とかは全然時間が過ぎてくれないし、逆に好きな人と一緒の時間はずっと続いてほしいと思っている時に限って、あっという間に過ぎてしまうだろう? それと同じなんじゃないかって思うんだ」

 と教授は言った。

「それは僕も今までに何度か感じたことではありますが……」

 と緒方がいうと、教授は、

「感じたことがある……、そこで終わっているんだろう? 結局、結論は出そうになければ、最初からそんなことを考えなければよかったという言い訳を自分でして、最初から考えたことをなかったことにしようとするのも、ある意味では時間と感情の操作ということになるんじゃないのかな?」

 と教授に言われ、二人は黙ってしまった。

 まさに教授のいう通りである。教授の言っていることには一理どころか、肝心な部分を突いているように思えてならない。

 教授は続ける。

「皆も、結構いろいろな発想をすることがあると思うんだけど、その発想を自分の中で解明しようとすると、なかなか難しい。専門的な知識も必要だし、何よりも自分を納得させるだけの理論を持つことが大前提だ。しかし、結論どころか大前提にも行きつかない。結論は出ているのに、そこに進む過程で行き詰まるんだ。そうなると精神的に、それ以上を考えることは無理であると勝手に思い込む。そのため、考えてしまったことがすべての無駄であると考えると、感じたことを打ち消そうとする。それが時々いわれる『知識が邪魔をする』という言葉なんじゃないかって思うんだ」

「先生は、店ごとに時間が違うということを証明できるものをお持ちなんですか?」

 と緒方が聞いた。

「いいや。持ってはいない。でも、探してはいるんだ。忘れてしまいたくはないからね。だけど、せっかく慣性の法則というヒントがあるんだから、ひょっとすると自分の発想をちょっと変えただけで見つかる答えがあるんじゃないかとも思うんだ。見えない薄い壁があって、その向こうに答えが隠れているかも知れないという思いがね」

「でも見つからないんですよね」

「僕はその薄い壁というのが、実は鏡じゃないかって思うことがあるんだ。そこに鏡があれば、写し出されているのは自分だろう? それを見た時、鏡がそこにあるのは不自然なくせに、鏡の存在は暗黙に認めてしまっているんだ。そして鏡に写っている自分を見てしまう。そこで鏡に写る自分につぃて、あれこれ考えてしまうんだけど、これはきっと鏡だと自分に思わせるために何かの力が働いていると思うと、さっきの慣性の法則ではないけど、辻褄を合わせようとするために、鏡に見せているのではないかとまで考えるようになったんだ」

 と教授がいうと、

「僕も何かの発想をする時、よく鏡の不思議な感覚を思い浮かべることがあるんだけど、それじゃあれは、薄い壁だということを悟らせないように潜在意識によって作られた感覚ということになるんでしょうか?」

 と遠藤がいうと、

「少しニュアンスが違っているような気がするが、理解する意味ではおおむねそんな感じでいいんじゃないかって思うよ」

 と教授が答えた。

 結局、その時は、店によって時間の流れが違うということの本質に入ることはなかったが、そのうちにまたこの話題で盛り上がるような気がした。それも近い将来で、きっとその時になると、

――まるで昨日のことのように思い出される――

 と感じるかも知れない。

 ただ、最近の感覚からいうと、そう感じる時というのは、実際にはかなり時間が経っている場合に多いので、もしまた話をすることがあるとすれば、かなり先の未来のように思えてならなかった。

「深層心理を抉るような話であったり、潜在意識は潜在能力を引き出すような話であったり、僕は結構こういう話をするのが好きなので、これからも時間があれば、ご一緒したいと思うよ」

 と教授は言った。

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