壊れた世界と臆病な僕

U0

第1話

 子供の頃にテレビで見た一つの映像が未だに脳にこびりついている。


 たぶん、ドラマか映画のワンシーンだったと思うけれど、人々はパニックになっていて、断末魔の悲鳴とともに生々しく殺されていく映像が流れていた。


 当時まだ子供だった僕は、それに恐怖を感じて目を覆った。ああいう残虐なものは苦手だった。


 今だって、血を見るのは苦手だし、ホラーとかそういうのも嫌いだ。


 だから、極力そういうのは避けてきたけれど、普通に生きていれば嫌でも目に入ることはある。

 そういう時は、何度も自分に言い聞かせる。


(大丈夫、ここは現実。非科学的な現象は起きない)


 そうすれば、少しは安心できた。


 それに、ここは日本だ。普通に真っ当に生きていれば、危ない事に遭遇する確率だって低いはずだ。


 だが、そんな僕の平穏を乱す存在がいた。友人の洞谷ほらたに恭夜きょうやだ。


「なぁ、ゲント、この映画見に行こうぜ? めっちゃ面白いらしいからさ」


「絶対イヤだ!」


 恭夜が誘ってくるその映画には、血みどろのシーンが出てくると僕は知っている。わざわざ怖い映画を観に行く人は、いったいどんなつもりなんだろう。自分から恐怖に飛び込むなんて、僕には正気だとは思えなかった。


「相変わらずゲントは怖がりだなぁ。ちょっとは耐性つけて男らしくならないと、女の子からモテないぞ」


 いろんな手を駆使して、僕を恐怖に招こうとする恭夜に対して、僕は断固としてなびかなかった。


「ゲントって、一度決めたら曲げないからな」


 恭夜はため息をついて、つまらなそうにした。


「まぁいいや。最初からあんま当てにしてなかったし」

「だったら、最初から誘うなよ」

「いやな、ゲントも少しは現実を見た方がいいんじゃないかって思っただけだ」

「どういう事?」


 何か含みのあるような言い方が気になったが、結局それ以上恭夜が映画に誘って来ることは無かった。


「じゃあな、また明日!」


 そう言って恭夜はいつもと同じ所で僕と別れた。


 だが、恭夜が僕から10メートルくらい離れたところで、急に世界が揺れるような違和感がした。


(地震?)


 それからもう一度恭夜を見た僕は、目を疑った。


 友人の姿が歪んでいたのだ。それは非現実なまでに歪んでいた。ぐにゃぐにゃと、まるでコーヒーにミルクを入れた直後のように。


(幻覚? 疲れているのかな)


 僕は眩暈がして、その場に座り込んだ。


 しかし、世界の歪みが止まる気配は無く、遂には歪んでいた恭夜の姿が消えた。それはコーヒーとミルクが完全に混ざりきってしまったようで、物の輪郭は溶けて消えてしまっていた。


 その直後、恭夜がいた場所に突然人が現れ、同時に世界の歪みがおさまった。その登場の仕方は、まるで亜空間から見えない壁を乗り越えてきたかのようだった。


「よいしょっと」 


 それは僕と同い年くらいの少女で、端正な顔立ちをしていたが、頬についた大きな傷跡からは勇ましい印象を受けた。


「君が倉木くらき源人げんと君だね?」


「そうだけど、君は?」


 突然非現実的な方法で現れた少女に、僕は理解が追いつかなかった。


「未来人? 宇宙人? それとも異世界人とか? あっ、何かのマジック的なドッキリか! びっくりした……」


 少女は僕の様子につまらなそうに唇を尖らせた。


「何言ってんの? 私は向田むこうだ日菜ひな、キャンセラー、つまり『無効化』の異能を持つ能力者だよ」


「何言ってんの?」


 少女の言っている事が何一つ理解出来なかった。


 僕は首を傾げ、一つの結論に辿り着く。


「ああ、そういう設定なのか! あっ、ひょっとして設定とか言ったらまずかった? それに付き合った方がいい感じ?」


 日菜と名乗った少女は、大きなため息をついて落胆した様子を見せた。


「はぁー、最強の『構築』の異能を持つ人がいるって聞いたから来てみたけど、なんか想像してたのと違う……」


 それから日菜は周囲の住宅街を見渡して、少し悲しそうな顔をした。


「懐かしい風景、でもこんな所に引きこもって、あなたはそれでいいの?」


「何を、言ってるの?」


 僕の顔は引きっていた。少女の言っている事が理解できない。僕には分からない。


 すると、日菜は指を鳴らした。次の瞬間、景色が切り替わった。


 そこは、暗く荒廃した世界だった。


 晴れていたはずの空は赤黒い雲に覆われていて、住宅だったはずの場所には廃墟が並んでいる。道路のコンクリートは割れて、隙間から草木が生え出していた。


「どこ? ここ」


 僕は周囲の光景に恐怖した。そして、崩れかけた塀についている黒いシミを見て、口を覆った。


 時折、遠くから爆発音のような音や、何かが崩れる音も聞こえてきて、全身の震えが止まらなかった。


 そんな僕に日菜は言う。


源人げんと君、あなたの力を貸して欲しいの。半径10メートル以内の世界を自由に構築できるなんて、あなたの異能は最強クラスよ。こんな所で、引きこもってるなんてもったいない」


「知らない! 僕はこんな世界知らない!!」


 僕は目を閉じ、耳を塞いだ。だが、僕の脳裏には子供の時に見たテレビの映像が蘇っていた。


 あれは映画でもドラマでも無い、人類が異能に目覚めたばかりの頃、世界の様子を映したニュースだったのだ。


源人げんと君! お願い!」


「どっか行って!!」


 僕はしつこい日菜に対して、周囲の地面を盛り上がらせ、生み出した暴風と砂塵で領域外へと吹き飛ばそうとした。


 しかし、日菜が指を鳴らすと、僕の異能は無効化され、日菜は傷一つ負わなかった。


 うずくまっている僕に近づくと、日菜は少し怒ったように言った。


「そんなに嫌なら、もういいよ。一生そこで引きこもってなさい」


 そうして、日菜は僕から10メートル以上離れて、そのまま去っていった。


 日菜が去った後、僕は世界を元の平和な日常世界に戻した。半径10メートルより先には、リアルと見紛う程の精細な映像が映してある。


 でも、本当の世界を知ってしまったという事実は変わらない。


(大丈夫、ここは現実。非科学的な現象は起きない)


 そう思おうとしても、知ってしまった以上、不安と恐怖は無くならない。


「そうだ、彼女は半径10メートル以内なら、世界を自由に構築できるって言ってたな」


 僕は自分をいじって、今起こった事に関する記憶を全て消去する事にした。



 ◇◇◇



 気がつくと、僕はいつもと同じ道を歩いていた。


(あれ? 今一瞬だけ気を失ってた?)


 目の前を見ると、遠くに恭夜の後ろ姿が見えた。


(大丈夫、ここは現実。非科学的な現象は起きない)


 僕は自分にそう言い聞かせてから、安心して自宅への道を歩いた。


(今日も世界は平和だ)


 青空とそよ風の気持ちいい、いつもの日常がそこにはあった。

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