龍が来る

 ヴィーは瓦礫の山のうえで足を組んで、ホウロウとポロの暴力のぶつかるのを泰然と見ていた。ふたりが腕を振り上げ足で地面を蹴るたびに粉塵が舞い、弾丸のように石塊が飛ぶ。巻き込まれたらと思うとヴィーは背筋に寒気をおぼえた。

 そういう戦いを延々続けて、なお、決着がつかない。――とはいえ。一瞬、ふたりの時間が常人にも捉えられるぐらいに鈍る瞬間がある。互いの疲労が不気味なかみ合いを見せて、一瞬、どちらも突っ立って息を整えている。

 (さすがにへばってきた)とヴィーは思った。

 しかし、一見しただけではホウロウとポロの疲労の色は拮抗しているように見える。ホウロウの右目は紫色にはれ上がって、ほとんど視界を塞いでいる。彼にも傷が目立つようになってきたし、わかりやすく肩で息をしている。一方でポロは顔を鎧のようなものに覆われているので、疲労の度合いが分かりにくい。が、ふいにホウロウの拳が空を切って、逆に肘がポロの顔にぶつかった。すると彼の顔を覆っている皮膜が剥がれて、顔の半分が露出した。好機とばかりにヴィーは目を凝らして、ふたりの顔つきを仔細に見比べた。

 ポロの口の端に血が溜まっていた。目はうつろで髪の毛には白いものが見える。肉体的にも精神的にも追い詰められているのは間違いない。

 (よしよし)とヴィーは希望を見出した。

  とはいえ、ポロの疲れは限界を超えて、麻痺しているらしい。その動きは鈍重になりかけても、裏をかくように加速したりする。それはまるで泥の中で大暴れする虎のようだった。気付けば、彼の顔の剥がれた皮膜は再び塞がって、額の汗すら拝めなくなった。


 ――嵐のような気と気の衝突が灰燼の大地を揺らしている。戦域は自由自在に広がって、宙と地面を行ったり来たりしている。

 ヴィーは目を見張った。どちらも疲弊しているはずだが、<変身>の力に慣れてきたのか、その動力を使うのが上手くなっている。いま、この瞬間もどんどん上達している。――これは才能だろうか。

 いまや、怪物どうしの大喧嘩の観客はヴィー、ただひとりだった。門を守っていた兵士は望楼から逃げ出しているし、凌辱をほしいままにしていたハーフの賊徒や吸血鬼の貧民は無残に焼き殺された。

 この破壊された貧しい街がすべて、ふたりのために用意された闘技場に思われた。彼らがどのような世界にいるのか、ヴィーは空想した。一歩、大地を踏みしめただけで宙を跳び、振るった拳骨は身震いするような風圧を残してすっ飛んでいく。そして、反対に自分がそのような力に殴られても意識は明朗という不気味さである。

 憂鬱そうに空想をするほど彼女はこの大げんかに対して何もできなかった。この空間すべてが浮世離れしている。

「なんなんだろ。これ」とヴィーは空を仰いだ。すると鬱屈した気分を撫でるように頭上から霏霏たる雪が降り始めた。昨日までは冷たい雨だったが、ついに雨粒が凍る季節に移ったらしい。

 溝渠に詰まった血肉は凍るのだろうか、と考えて嫌な気分になった。

(よけいなことは考えるのはやめよう)と彼女は立ちあがった。その瞳は動き回るホウロウの背を捉え続けている。

 (――はやく勝て)と何もできない分、よけいに焦りは募った。

 ――一方、そのホウロウは戦闘の最中に奇妙な感覚に包まれていた。傷を体の節々に負っているのは間違いないはずなのに痛みを感じない。筋と骨が軋んで動きが鈍いが疲れはない。――これは逆に恐ろしい。疲れを感じない分、気づいたら閾値を超えて死んでしまいそうな気がする。


 一瞬、向かいあったポロの死神のような鎧に熱く覆われた面を見て、彼も同じ世界にいるのかと思った。ふたりはしばらく沈黙のうちに目顔をもって会話した。背に積もる雪が血潮の熱に触れて溶けていく。一旦、停止して沈思し周りを見渡せば、この焦げ臭い死臭に包まれて、勝敗を争っていることの空虚に気づく。

 ホウロウは天を仰いだ。いつの間にか、白昼の蒼天も、その心情を代弁するような灰色の空しい色を呈していた。

 (もういい。やめだ、やめだ)とホウロウは思った。すべて投げ捨てて死にたかった。けれど、希死念慮を覆う彼の太古の力だった。あとどれぐらい続くのか。あと何度、血を分けた弟の横っ面を殴らねばならないのか。

 ホウロウは鬱々とポロの鎧の奥に光る眼差しを睨み返した。刹那に、霧が払われたみたいにポロの鎧は、その形を崩した。凶悪な防御を誇った黒い鎧は瓦解しながら流麗な黒い霧となって、憑き物が落ちたみたいに消えた。

 真っ青なポロの顔が見えた。唇の端から血が漏れ出て、目つきが幽霊のように不気味な青みを帯びている。

  ホウロウは思った以上に苦しそうなポロの顔つきにうろたえた。さんざん、互いのいのちを取り合っても、沸騰する血潮の奥には兄弟の情愛が消えることなく残っている。――兄弟であり、また第一の親友であった。

 その彼の半身とも言うべき弟は平常の姿に戻ると吐血した。喉が千切れそうな咳をして、ポロは力の無い目でホウロウを見た。すると、勝敗が決したと見て、遠くから静観していたヴィーは居てもたってもいられず、走ってきた。

 そして、彼女はホウロウのそばに来ると、その背を叩いて「もう終わった。戻っていいんだよ」といった。ホウロウは彼女の方を振り向いて、ぼう然とした。胸の奥の臓腑はまだ戦え、と言うようにどくんどくんと血流を忙しくしている。

 ヴィーはホウロウの困惑顔に二度、頷いた。その所作には焦りがあった。彼女はホウロウが<変身>したままで、無意味な心労を重ねるのを心配しているのだった。やっと、ホウロウはその意を汲んだが、心臓の高鳴りが収まらない。――このまま心臓が破裂するまで肺腑は踊り続けるかと思われた。

 するとヴィーはホウロウの背中をさすって「あんまり長く変身したもんだから昂ってるんだよ。焦っちゃだめ。ゆっくり深呼吸」といった。なにか慣れているらしい手つきだったので、いつの間にかホウロウの焦りは彼女の掌に握られたように背中をさすられた分、解消していった。

 気づけば、ホウロウの一本角が消えたのを皮切りに、彼の体は元に戻っていった。麻痺していたらしい痛覚が思い出されたように全身を駆け巡っていく。足首や手首、腿や膝といった身体の結合する部分がとくに痛い。

 ホウロウは崩れるように地面に腰を下ろすと、血の混じった咳をした。ヴィーはポロとホウロウの姿を見比べて、この闘いが紙一重だったことを悟った。ぽつぽつと風のない空を雪が真下に落ちてくる。死屍累々はまだ生前の余熱を残しているので、死肉に降り積もった雪は融けて血液に混じった。

 ――空前絶後の兄弟喧嘩はここに静かなる決着を見た。

 早くも、ヴィーは目を移して満身創痍で地面に座り込んでいるポロの始末をどうしようかと考えた。ホウロウと肉薄する才覚を、ここで殺すのは惜しい。そもそも彼のやったことにも情状酌量の余地はある。むしろ、この吸血鬼の復讐劇が完全に結実していたら、ポロは歴史上の大英雄と記憶されていたに違いない。

 人知を超えた大罪は、その時の見方次第でいくらでも善悪を歪曲できる。ヴィーは考える分だけ、ポロを生かす方へと意志が傾いていった。

(まあ、改心させりゃあいいんじゃないの。性根はわるくないし)。

 ヴィーは値踏みするように憔悴するポロを見下ろした。すでに助命の方へ腹を決めている彼女は、その疲れ果てた顔がいかにも慚愧の念に苛まれているようにしか見えなかった。

 けれど、ポロは彼女の想像とはまったく別の後悔をしていた。彼は、この期に及んで悪の道に進んだことを後悔するほど弱い人ではなかった。彼の後悔はひとえに兄のホウロウへの謝罪の念だった。

 おもむろにポロはホウロウを見据えて「……あにじゃ。ドマのことはすまなかった。あいつの腹の中にいたのは……俺の子だ。おれの子なんだ」といった。

 しんしんと降り積もる雪、その寒さとは違う寒気をヴィーは感じた。静寂が予想外の告白で無限のように長く引き延ばされた。

(なんてこった)と彼女は思った。

 ――ヴィーはポロの憤怒の秘密を知った。たしかに彼の心根を鑑みれば、今回の凶行はいささか行き過ぎているという感があった。同族のための決起にしては、あまりに怒りに任せているし、作戦もことごとく性急すぎる。

 愛する者を奪われたことにたいする私憤と考えれば、ヴィーはいろいろと腑に落ちてくるものがあった。

 ――運命はいよいよ精妙な帰結をしようとしている。ふいにホウロウが虚ろな目をあげて、なにかを言おうとしたのが分かったので、ヴィーは後ずさるように引き下がった。

 もはや、他人が立ち入るべき領域ではない。気配を消して、ヴィーは様子をうかがえるギリギリまで二人から離れた。けれど、ホウロウは彼女のことを感知すらしていなかった。

 荒らしつくされた戦場の跡には、ホウロウとポロだけの世界があるようだった。

 勃然とホウロウは近くに落ちていた小石をポロに向かって投げた。それはポロのおでこに当たった。そこにできた傷から赤い線を描いて血が流れ、片目を覆った。

「このバカやろうが」と吐き捨てるようにホウロウは言った。

 さすがの彼も息も絶え絶えだった。怒鳴ろうとした言葉もかすれて、そのすぐあとに苦しそうに血の混じった咳を手のひらでかみ殺していた。

 ポロは石を投げられたにもかかわらず、額から流れて瞳にかかる血をぬぐって、「ほんとうは……死ぬ間際に言うのは……いやだったんだ。卑怯だけれど、わるかった。あにじゃ、いま、ここであんたに殺されても恨みはしない」といった。

 ポロは俯いてそういった。反省の弁は単純で明快だった。(さあ、地獄へ行こう)とポロは思っていた。ほかならぬ兄の手によって死ぬのならば、思い残すことはなかった。

 ――すると、鋭い語気をもってホウロウは「このバカが」とまた石を投げた。

 今度は当たらなかったが、続けて彼は言った。

「ドマとは出会ってから五年程度だった。だが、俺とお前は何年過ごしてきた? ガキの頃、おれはお前を背負って、山川を越えて、この国まで来た。まだ、ガキだったお前を喰わせるために薄汚い路地で泥棒までした。ポロ、俺はお前にすべてを捧げた。どうして、まだ、わからないんだ。俺はドマとお前が恋仲だったのはとっくの昔から知ってた。腹の子もお前の子で間違いない」

「知ってた? うそだろ」

 ポロは仰天した。目は驚きで物の怪みたいに見開かれて崩した姿勢は無意識で正されていた。ホウロウは当然、ポロとドマの不倫を知っていた。なぜなら、彼には人の心が<見える>からである。気付きたくなくても、目を覆いたくても、ありありと人の心は彼に秘密を語るのである。

「ポロ。俺はお前とドマのためなら死んでもいいと思ってた。俺が<変身>して死ねば、お前は気兼ねすることなく、ドマと一緒に暮らせるはずだ。そう思ってたんだよ……。――ああ、ほんとうにドマは残念だった。あんな風に人を殺す奴らは獣だ。お前の怒りは分かるよ。だが、周りを見て見ろ。この有り様は一体、なんだ。お前の手も俺の手も血塗れだ」

 ホウロウはそういって、またせき込んだ。ポロは茫然と立ち尽くして「うそだ。そんなばかな」とうそぶきながらうろうろと灰の上を歩いた。――兄は自分の秘事を知っていた。とすれば、その兄の行動の一つ一つには高徳が宿っているのに気づく。

 ポロは遠くのブレージアー城を見ていた。朦朧とする頭脳に熱い血が脈打った。気付けば、遠くを望む視界は曇っていた。滂沱として涙がとまらなかった。

(あにじゃは……あんたはどうして、そう優しい人なんだ。おれは、そんなことも知らずに死ぬところだった。あにじゃは、恨み言すら言わなかった……)。流れる涙はポロを覆っている外道の漆喰を引きはがしていった。泣けば泣くほど、本来の善性がよみがえってきて、後悔に胸が焼かれる思いだった。

「あにじゃ。ほんとうにわるかった。おれは……ドマのことが好きだった。どうして、あんな変な女を好きになっちまったのか。ぜんぜん、わからないんだ。けれど……」

「わかってる。お前は、うしろめたさに耐えきれず、この国を出ようとしてたな? ああ、そうだ。ポロ、それが本来のお前だった。だからこそ、無念だぜ。こうなったことはよ」

 ホウロウは地面に足を投げ出すように座って灰色の空を仰いだ。気付けば、降っている雪の一粒一粒が大きくなっていた。その雪の粒は大きい分、宙を緩慢に落ちてくる。疲労困憊の身に雪の冷たさが染みた。

「俺たちの力には何か意味があったはずだ。おれは……くやしい。くやしいんだ」

 ホウロウは真実、ポロを責める気にはなれなかった。ただただ、運命の皮肉を恨んだ。かれの頬にも熱いものが流れた。ふたりには同じ温度の血が流れている。互いの涙にむせぶ声は血潮を震わせて互いの涙を呼んだ。

 ポロの心を覆い隠していた魔王の仮面が剥がれていくのがホウロウには分かった。ポロにしてみれば、魔王のまま死ぬほうがはるかに楽だっただろう。いまや、麻痺した情を思い出して自分のおこなった悪逆非道を常人の良識で後悔している。

 いまになって、ポロは(なんてことをしてしまったんだろう)と思った。そして、いまさら反省することの卑怯を悟った。とはいえ、悟っても慚愧の念が消えるわけではない。生きながらにして、地獄の炎に焼かれているようだった。けれど、かれは決して、ここで人生を延長して恥辱を雪ぐことを考えなかった。死んで詫びようとも思わない。ただ、死のうと思った。

「あにじゃ。おれはもう消える。罪を償うには殺した人々が多すぎる。だが、あにじゃは生きるべきだ」

「いいや。もういい。ここまできたら一心同体だ。俺もここで死ぬ」

「……あにじゃ。あんたが何をしたんだ。たのむよ。わかってくれ。――たぶん、この世には俺以上の悪が潜んでいる。うすうす、俺もわかってた。ほんとうの悪魔は、この国にはいない。ハーフを虐殺する方へと仕向けた悪党は、まだのうのうと息をしている。そいつらの息がある限り、おそらく、また、同じようなことがほかの国で起こるだろう。ヒューマン族だって攻めてくるかもしれない。あんたを除いて、だれが人々を守れる。……あにじゃこそが本物の英雄だろう。俺はここで死んでもあんたは生きるべきだ」

 ポロはそういった。すでに、その面は死の扉をひらいていた。おでこの血管が黒くなって戦化粧のようになっている。立ちながらにして死んでいるような顔いろだった。

ホウロウは顔を伏せ、涙を隠すように「お前のいない世界に何の意味があるんだ」といった。涙は隠しても声は震えている。

「あにじゃ、わるかったな。俺の勝手を許してほしい。……生まれ変わっても俺はあんたの弟として生まれるよ」

 ポロは再び、<変身>した。それは死の宣告だった。体中、棒切れみたいに感覚がなかった。真っ黒い鎧に包まれて、ポロは踵をかえして、茶色門の楼台まで一息で上がった。

 かれは楼台のうえの大砲を破壊しはじめた。死の準備をするように、黙々と大砲を楼台から投げ捨て蹴り壊していった。時おり、胸を苦しそうに抑えている。すべての大砲を破壊しつくすと、ポロは楼台のうえに立って、彼方の稜線の先を見ていた。

 ――故郷と同胞を想った。

 すでにポロの肉体は夢現の力を受け入れる器ではなかった。行き場を失った力が筋膜を内側から破った。と胸に大穴が開いて、血と肉の混ざった真っ赤なものがそこからあふれていた。痛々しいことこの上なかったが、彼はその無窮の痛みにも、微動だにしなかった。霊験を感じさせる無音のなかでかれは逝った。ぶつりと人形の糸が切れたように仁王立ちしていた体はふらふらと頭を揺らして、倒れた。そして、楼台の上から落下してどさりと積雪に引き込まれた。

 ホウロウは顔を上げられなかった。死んだ弟の姿を視界に映すことができず、顔を手で覆って、落涙していた。

 どんなに死体の山を閲したとしても、血を分けた弟の死体を直視することはできなかった。

すると、ここまで様子を窺っていたヴィーは遠くから変が起きたのを見て、ホウロウのそばまで走ってきた。そして、雪に顔をつけたポロの死体を見て言葉を失った。――<変身>して自死するとは、おそるべき胆力だと彼女は舌を巻いた。――みごとな死にざまである。だからこそ(もったいない)とも思う。けれど、予想はできたことだった。

 (ちッ、死んだか。まあ、しょうがないね)と彼女は思った。横目に無言のまま動かないホウロウの背中を見た。

 悲しみに暮れた人にどう話しかけたものか、むずかしい。さすがに彼女も空気を読んで黙ったまま雪を背にして待ち続けた。

 じつは、ホウロウは気を失っていた。

 ヴィーはそのことに気づかない。すると、ホウロウは座ったまま、真後ろに倒れた。

「あっ」

 彼女は声を上げた。ホウロウの青白い顔は眼を閉じたまま、灰色の空を向いていた。

(二人死ぬのはまずい)とヴィーは青ざめて、ホウロウの脈をしらべた。――血は、たしかに脈打っていた。ヴィーは空を仰いで「焦ったァ……」と白い息を吐いた。息が白むほど寒くなっていた。乾いた冬の香りがブレージアー城の後方の険阻な岩肌から風に運ばれてくる。流血は凍り、死屍累々は積雪に隠されていった。暴力と暴力がぶつかり合って生まれた摩擦熱のようなものが自然のことわりに奪われていくようであった。死んだものと生き残ったものとの差は、いまになっては宿命的なものがあったとは思われない。ただの偶然の差に過ぎなかった。

 ふいにヴィーあたりを見まわして、途方に暮れた。ホウロウの巨躯をどう背負って運んだものかと考えていた。彼女は物語の帰結をあまり深くは考えていないらしかった。もっと大きな運命の輪に巻き込まれていることを知っていた。

 俯瞰的な視点で見れば、このブレージアーにおけるハーフの乱は田舎の一時的な擾乱にすぎない。じじつ、この田舎の鳴動を要害の彼方の帝国首都の人民はいまだ知らなかった。むろん、あと少しすれば、この流血も万民の知るところになるだろうが、帝国の人々はそれほど重く受け止めないだろう。対岸の火事程度の認識でしかない。他方、山脈を隔てているヒューマン族なる者たちは、ブレージアーという国があることすら知らない。

 つまり、この一連の壊乱は全世界的なものでは、当然ない。歴史上、往々にしてある衛星国家の変質変容の一場面であるといえる。

 そして、いま、ヴィーの視点がまさにそれだった。

「さあ、どうやって運んだもんかなあ……」と積雪に沈んでいくホウロウの体を見て彼女は嘯いた。

 その時、彼女はなぜか不吉なものを感じた。時おり、吹き付ける寒風になにか怨念めいたものが混じっているような気がした。ふいに風上の方を見ると、彼方に青紫色の光の束が見えた。彼女はぎょっとした。

 それは龍が来たことを知らせる凶兆に相違なかった。

 




 

 

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龍が来る @nihirumu

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