第一話 後

                               3   


「はい、これ」

    笑顔で渡された手紙と資料を見て少年、蓮は目を瞬かせた。ここは蓮が通う学校、そこの教室の一つで放課後は文芸部の活動場所として使われているところだった。

 「何ですか、これ」 

 感情を載せない冷めた声で蓮は聞く。そんなことは気にせずに目の前の少女、文芸部部長はニコニコと笑みを浮かべ続け、そしてその口が開く。それを声と同じような変わらぬ目で見ながら、蓮の手は傍に置かれていた机の上の物へと伸びる。

 「あのね、一年前知り合った葉水学園文芸部の友達から一週間交流会としてうちの部活の見学に来ないかって誘われたの。そのこと事態は随分前から話し合っていたことなんだけど、日にちがね。明日から一週間なんだけど、向こうから言われたのも二日前って急なら、私のほうも今日の朝急に予定が入って都合が合わなくなってね。向こうの方も先生とかと都合を合わせるのに戸惑って急なことになってすまないって謝ってくれているんだけど。まあ、でも、断るのも嫌だし、それにその子もう一つ部活してて主にそこの活動を見ることになるんだけど、そこが面白いところらしいから興味があるの。だから、私はいけないけど部員であるあなたに行って貰おうと思って」 

 一気にまくし立てた少女。蓮はそんな少女を半目で見ていた。その手には先ほど机の上から取ったペットボトルが握られている。 

「蓮君。水をくれないかな」

 「……」

  カラカラの声で少女が頼んでくる。差し出された手に無言でペットボトルを渡した。渡された少女はごくごくと半分ほど飲み込んだ。少女からおっさん臭い声が漏れる。

 「いつもありがとう。喋った後の水はおいしいよ。で、お願いね、蓮君」 

 キラキラと輝いた笑みで少女は最後の言葉を強調して言った。それに帰ってくるのは普段と全く変わらぬ冷たい声。

 「何で」 

 大部分が省略された言葉に気を悪くすることもなく少女の笑みは変わらない。相変わらずの満面の笑みのまま胸を張って言葉を返す。

 「君が我ら文芸部の数少ない部員だから」

 「嫌です」

  即答で返された冷たい声が二人だけの教室に空しく響き渡った。満面の笑みだった少女の顔がここでやっと困ったような顔に代わる。むーーとうなりながら蓮を見つめる。 

「そう言われても私にはどうしても外せない用事があってね」 

「俺にも用事があります」

 「嘘おっしゃい。この私にそんな嘘が通じると思うの。どうせ用事っていても何処かの公園で日が暮れるまで本を読むか、本屋で大量の本を買ったのちに何処かの公園で日が暮れるまで本を読むのどっちかでしょ。と言うか結局本を読むだけでしょ。この私を舐めちゃダメなんだからね。四ヶ月も一緒にいて蓮君の行動パターンなんてすべてお見通しになったわ。君は親しい人は誰一人としていないし、誰とも話さない、遊ばないで、年中無休の暇人でしょうが。あ、でも一週間に一度はどっかジム行っているからその日だけは暇人じゃなくなるのか。でも総合的に見ると蓮君は暇人だよね」 

 いつの間にか少女が浮かべていた困ったような顔は笑みにすり替わっていた。勝利を確信したような不敵な笑みに。用事があるで押し切ろうとしていた蓮は表情こそ変えずとも口を閉ざす。

 「……」 

「言い返す言葉は。……ところで、蓮君。水を……」

 「俺は嫌だから」 

 カラカラの声で催促してくる少女に水を渡しながら自分の意見を言う蓮。いつもの無表情ながらその声はいつもより固い。それを聞いても水を飲み終わった少女は笑う。 

「蓮君。知っている?」

  明るい声で少女が問いかけるのを蓮は見上げる。その口から出る声はいつもより数倍も冷たい。 

「何をですか」 

「部長の命令は絶対なんだよ」 

 だがすべてを気にしない少女は蓮に向けて親指を立てた。 

「と言うことで、蓮君よろしくね。くれぐれも向こうの人に粗相のないように」 

 蓮は口を開いてそれから何も言わずに閉じた。もはや何を言っても変わることがないと理解して。


                               4 


   学校終わり、蓮が訪れたのは何かの施設だった。それなりに大きな外見からは何の施設かは判断できない。そこに一人足を踏み入れる。受付をすることもなく慣れた姿でその廊下を歩き一つの部屋に入っていく。その部屋は事務室なのか奥に一つの作業用の机があり、手前に客を案内するようのソファとテーブルがあった。それしかなかった。殺風景な部屋。電気すらもついてない。 

「こんにちは」

 「あら、蓮いらっしゃい」

  平坦な声で声をかけた蓮に穏やかな顔をした女性が答えた。白衣を着たその女性は奥の机で何かの書類を見ていたようでかけていた眼鏡をそっと外す。誰に言われることもなく蓮は勝手にソファに座る。それを見てから女性は蓮に話しかけた。 

「吸血鬼に襲われたそうね」

  問いかける女性はおかしそうに笑みを浮かべているのに、問われた蓮は一瞬だけ眉を寄せた。真黒な目で女性を見つめながらその口は開かない。その代わりに蓮とは違う別の声が空気を震わせた。 

「僕が教えたんだ」

  暗い部屋の中、扉を開けることもなく蓮のすぐそばに男がいきなり現れる。首に腕を絡めてくる男に視線をやることもせず、蓮はただ何も感じさせない声をだすだけ。

 「そう」

 「怪我はなかったかしら」

 「少し血を吸われた程度。あるとしたら向こうの方」 

「あら。そう」

  心配するようなふりをして問いかけた女性に、蓮は声を変えないまま淡々と答える。それを予期していたのか女性もまた朗らかに笑うだけだった。いきなり現れた男も口元にゆがんだ笑みを浮かべ楽しそうにしている。そんな二人を変わらず冷めた目で蓮は見る。 

「俺はそれよりも別のことで報告しなくちゃいけないことがあるんだけど」 

 淡々と蓮が告げるのに女性と男、二人が動きを止めた。不思議そうな顔で蓮の姿を見つめる。

 「あら、蓮から報告があるなんて珍しいわね」

 「と言うか、初めてだよね」

 いつもにはないことに首を傾げ二人は蓮を見続ける。言葉にこそ出さないものの蓮が何を言うのかにかなりの興味を抱いているのがその目から読み取れた。何とは言われることはないが、それでももうこれは言っていいのだろうと判断して蓮は口を開く。ほんの一瞬言うべきか言わざるべきか悩んでしまいながらも、それでも音として鼓膜を震わせた。

 「……明日から一週間、部活の交流会で放課後別の高校に行くことになったから」

  二人の目が見開かれ、蓮を見つめる。だがそれは今までとは違い、蓮のほうを向いているだけで蓮を見てはいなかった。空気が止まり、瞬きすらも起きない。じっと二人はどこかを見つめ続ける 。

「え、部活?」 

 最初に動き出したのは女性のほうだった。戸惑うように声を出し、困惑したような目で今度はちゃんと蓮を見つめる。

 「蓮、部活していたの?」 

 信じられないというように問いかけてきた女性にああ、そこからかと蓮は思う。蓮が答えようとする前にはっとしたように男が我に返っていた。

 「あれ? 言ってなかった? 蓮はしているよ」 

 我に返って男は女にそう告げる。それに対して女性は不可思議なものを見るかのような目で男を見た。信じられないと言いたげに口元がひくひくと動いた。つばを飲み込む音がやけに大きく響く。

 「そうなの。良いの、あなたは」 

「高校が生徒に部活を入ることを強制しているからね。教師が蓮にその件で色々言うのも面倒だし、許してあげているの。入っているのは、部員が蓮以外に一名しかいない文芸部だしね」 

 想像していた通りの女性の様子に男はうれしげに笑う。女もその説明に納得して深くうなづいた。

 「ああ。成る程ね。でも文芸部……。活動してないでしょう。蓮」 

「そりゃあね」

  女性と男、二人が部室の中で何もしない蓮の姿を浮かんで笑う。そのそばで蓮は本を取り出してページを開こうとしていた。黒い目が女を一度だけ見る。 

「報告、一応したからね」 

 告げればもはやそれで終わりと蓮の目は本の中に飲み込まれていく。女性はそんな連の姿を見てうなづきながら声をかける。それに返ってくるのは単語のみの答え。

 「ええ。分かったわ。ただ一つ聞いておきたいのだけど、それはどこの高校なの」 

「葉水学園」 

 それだけの言葉。それだけの言葉でありながら二人の動きは固まった。二対の目が驚きで見開かれ強張った顔で蓮を見つめる。 

「え?」

  二人のどちらからか、もしかしたら両方からそんな声が漏れ出る。その声に蓮は顔を上げて二人を見た。寄せられる眉。訝しげに見つめる蓮に二人はのろのろと動き出す。

「そ、うなの」 

「おもしろく、ないね」

  女性はまだ驚いた様子から立ち直れないように呟き、男はまるで苦虫を噛み潰したかのように顔をゆがめて呟いた。

 「どうしたの」

 「……なにもないわ。気にしないで頂戴」

  蓮が問いかけるのに男は何も答えなかった。連から逃げるように顔を背けて唇をかみしめる。女性はあいまいな笑みを浮かべてごまかすように答えた。


                 



5  


  私立葉水学園。都心から少し離れた場所に立つその学園は幼稚園から大学までのエスカレーター式になっており、個性豊かな生徒が通うことで有名だった。その図書室で、放課後六人が顔をつきあわせていた。 

「さて、君たち、今日から他校との交流会という事で人が来る」

  少しぽっちゃりとした体型の六人の中では唯一の男である少年が最初の言葉を発した。周りの五人を真剣な顔で見つめている。彼らはこの図書室を部室とする図書部の部員達だった。殆どの学校は図書室の貸し出しや掃除などの手伝いを委員会などでやらせているが、この学校では部活として活動させていた。そして最初に話した少年がこの部の部長である。 

「常先輩の友達の代理なんですね」

 「そや、しーちゃん曰く優しい子だから大丈夫やと言いよった」 

「まあ、優しい子かどうかは良いんだよ。ただね、よくないことが一つあって」

  二人の少女が楽しそうに話すのに少年は深いため息をつきながら五人を見渡す。それに五人とも不思議そうな顔をして彼を見た。 

「なんですか、先輩」

  問いかけた後輩に一拍彼は間を置いた。そして手を強く握りしめ話し出す。 

「君たち、他校から人が来るんだから行動にはくれぐれも気を付けてね。 

 倉田ちゃん、本読むのに夢中になりすぎないように。 

 江渕ちゃん、周りを苛めるのは少し控えめにね。 

 中平ちゃん、くれぐれも喧嘩だけは仕掛けないように。ちなみに喧嘩相手が襲ってくることもないように。

  常、ツッコミはほどほどにね。

  で、それで最後に山岡ちゃん、お願いだから変な行動+惚けないでね」 

 一人一人視線を合わせながら告げる彼は真剣だ。それに少女たちはあくまで真剣な目をして頷いた。

 「善処するき」

 「頑張ります」 

「うーーん。取り敢えずは分かったって言っとくさ」 

「了解」 

 あくまでも真剣なのは目だけだった。茶髪でボアカットの眠そうな顔をした少女、倉田亜梨吹は本を片手に頷いて。その手は今にも本の表紙をめくりそうだ。茶色交じりの黒髪ツインテールの少女、江渕鈴果は髪を弄りながら頷く。頷きながらも髪を弄ってない別の手は隣の少女、亜梨吹の腹をつついていた。黒髪パーマのポニーテールの少女、中平千はガッツポーズをしながら答えた。一人だけ目をキラキラに輝かせている。黒髪を後ろで一つに結んだだけの少女、副部長の常はまじめに頷いた。 

 そして最後の一人、ぼさぼさの髪をした少女、山岡沙魔敷猫は何か言いたげな目をしてじっと少年を見ていた。口をとがらせて少年に向かい抗議を漏らす。 

「……なんか私だけみんなとちがくないですか。なんか私だけみんなよりも強く言われてないですか!」 

 最後にはぶっすりと頬を膨らませた少女に少年は生易しい目を向ける。ポンと少年の手が少女、沙魔敷猫の肩に置かれる。 

「僕は他もそうだけど、特に君は心配なんだよ。お願いだから机の角で足を打たないでね。周りを見ないで本棚にぶつかったりしないでね。椅子に足を絡ませて転けたりしないでね。先生と先輩を言い間違えないでね。言い間違えても一回で訂正してね。先輩と先生何を言ってるのか分からないようにならないでね。分かった」

 「……善処します」

  力強く語られたのに沙魔敷猫は目をそむけながら今度こそ頷いた。それに隣の少女、千が少年が手を置いてない方の肩を叩いて励ます。少年はひとまず納得したように頷いてにこりと笑った。 

「宜しく頼むよ。ぁ、それから風邪引かないようにね。他校の人に移したら駄目だから」 

「分かってます」 

「そう。ならもう少しで下井ちゃんが連れてくるはずだから君たち、少し待ってなさい」

 「はーーい」 

 よい子のお返事をした五人に満足げに少年、小柴悠太は頷いた。六人が顔をつきあわせたまま図書室には沈黙が流れる。数人の体が緊張しているのかそわそわと揺れた。もう数人は興味がないのか当たりをぼんやりと眺める。そんな態度に残りの数人はため息をつく。 いつまで続くのだろうと思われた時間は急に開いた扉の音で終わりを告げる。 

「失礼します。連れてきました先輩」 

 そこにいたのはまじめな顔をした眼鏡をかけた少女、下井真理亜と少年蓮の二人だった。

 「ぁ、ご苦労様。下井ちゃん。で、こんにちは」

  にっこりと挨拶した少年、小柴に返ってきたのは無反応だった。視線だけは合わされたがそれもすぐに逸らされる。何処を見るでもなく下を向いた目には恥ずかしさとかそう言うのは一切なかった。ただ単純にめんどくさいという思いだけが少年達にはくみ取れた。 

「えっと、取り敢えず、自己紹介しようか。僕は小柴裕太。二年生でここの部長だよ。はい、常」 

 困惑しながらもそこは先輩であり部長、小柴は自己紹介へとつなげた。 

「ほい。わたしゃあ、2年の常原楓や。文芸部との掛け持ちでやりゆう。しーちゃんとは去年であってその関係で交流会やらせてもらうことになったんや。はい、一年生」

 「1年生の下井真里阿。部活はこれの他に水泳部、同好会はぬうん部、走研部、それから生徒委員会書記をやっている」

 「一年生の山岡沙魔敷猫。みんなはさーって呼ぶから、呼んで良いよ。普通に呼ぶと長いし」 

「一年生の中平千。性別、男に生まれたかった女」

 「いらないよ、その一文」

 「あたしは一年生の江渕鈴果」 

「一年生の倉田亜梨吹です」 

 自己紹介は所々おかしなところがありながらも順調に進んだ。ただそれをされている人、蓮は顔を上げて相手を見ることをしなかった。ただ入ってきてから全く変わらぬ姿勢で立ち続けているだけ。聞いているのかすらも怪しい様子だった。一番最後の人を覗いて。 

 一番最後の少女の名を聞いて、蓮の目は見開かれる。

「ありす……」 

 本当に小さな声でその名は呼ばれた。その名の主と蓮の眼が会い、その名の主は顔を驚きで染めた。 

「倉田ちゃん、どうした?」

 「え、あ、何でもないです」

  早口でまくし立てられるそれを蓮が見ていた。 

「君の名前は?」 

 蓮に聞いてくるのを下を向いて答える。 

「尾神」 

 その続きは暫く待っても訪れなかった。困ったように小柴と名乗った少年が笑い、周りはみんな引きつった笑顔を浮かべた。   


              6  


  不意に昨日の記憶を思い出した。   

 忘れようとしても忘れられない嫌な記憶。 

 その一番最初にいたある人を見て、心臓が鷲掴みされた感覚がした。恐怖で身体が震えてくる。一瞬だけあった気がした目が刃のように感じられた。 それでも匂いが漂ってくる。甘い匂い。おいしそうな甘ったるい匂い。

  駄目だと思っているのにぐるぐるぐるとお腹の音が鳴る。誰も聞いてもいないのに誤魔化すように笑う。無意識のうちにした舌なめずりを気付かれないウチに止めた。 

 そして気付かれないように言葉を漏らす 

「甘い。良い匂い」 

 かぐわしい匂いが鼻腔を満たす。 

 人工的な匂いではない優しい自然の匂い。

  心からあふれ出しているようなそんな匂い。 

 「甘い」  

甘い。とにかく甘い。鼻腔いっぱいに広がる甘い匂い。甘すぎるほど甘い匂い。 

 「お腹空いた」  

 口に出した言葉はだしてはいけない言葉。   


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