放課後の百合の一幕
坂餅
放課後の教室にて
夕日が差し込む教室で、三年の
新学期が始まり、三年生は受験に向けての勉強か夏まで部活に打ち込むかの二つに
しかし今教科書とノートを机に広げている涼香は、受験のことなど考えていなかった。人を待っているついでに、「新学期だし、勉強でもしてみようかしら」という適当な理由。新しいノートの最初だけ綺麗に書く、アレの状態だった。
そんな理由で教科書と睨めっこを始める涼香、普段勉強の習慣がないのに、いきなり勉強できるはずもなく、さっそく行き詰まる。
長く伸びる黒髪を手櫛で梳きながら、スマホを開く。時刻は十六時を過ぎている、新学期はなにかと忙しいが、もうそろそろ来る頃だろうか。そんなことを考えていると、僅かに外から聞こえる部活動の音に混じって、廊下側からパタパタという音が聞こえてきた。音は段々と大きくなってやがて涼香のいる教室のドアに人影が現れると同時に消えた。
ドアが遠慮がちに開かれ、そこから顔を出したのは、茶色に染められた髪をおさげにしている可愛い女子生徒だった。
「お疲れ様、涼音」
涼香が声を掛けると
「遅くなってすみませ……ん……」
涼香の下に近寄るにつれて困惑の表情を浮かべる。
「先輩が勉強をしてる……⁉」
「新学期だし、新しいノートなのよ。勉強ぐらいするわよ」
「最初だけのやつじゃないですか」
割と失礼なことを言っているが、事実なので仕方がない。別に涼香も気を悪くした様子ではない、むしろ誇らしげな態度だった。
「最初が肝心なのよ」
「まあ、そうですね……じゃあ帰りましょうか」
適当に流した涼音。
今日は部活動紹介があって、二年生の涼音は体育館でその片づけをしていて遅くなったのだ。それを涼香に伝えると、終わるまで待っていてくれたのだった。
「まだ帰りたくないわ、私三年生なのよ」
「あー、思い出に浸りたいとかですか?」
「この教室に思い出なんてないわよ?」
まだ三年になったばっかりだし、という涼香。確かにそうなのだが、それならなぜ帰りたくないのだろうか?
「ねえ涼音、新しいクラスはどう?」
この問いは涼香の帰りたくないと関係があるのだろうかと、涼音は少し慎重に答える。
「どうって、別にどうもありませんけど」
「友達はできたの?」
なんで急に親みたいなことを聞いてくるんだろう? そう思った涼音はこれにも慎重に答える。
「できていないですよ。あたし基本的に先輩以外と関わらないので」
(まあ、先輩に近づきたい子たちは結構話しかけてくるけど)
「私三年生よ」
「知ってますけど。それって先輩が帰りたくない理由となにか関係あるんですか?」
「あると思うし、ないと思うわ!」
「えぇ……」
涼香はいったいなにを考えているのだろうか。対してなにも考えていないだろうし、自分のことを考えてくれているだろうなとは思っているけど。いまいち今日の涼香のことはよく分からない涼音だった。
「私が卒業すると涼音は一人になるのよ?」
「中学の時と対して変わらないじゃないですか」
今も中学の時も、別にいじめられているわけではないので大した問題ではないし、なにより。
「あんまり変わらないんですよね、学年違うんで」
学校で涼香に会うのは休み時間ぐらいだし、学校の外でも一人になるのは登校と下校の時だけ、家も近いし休日はそこまで変わらない。
「確かにそうね……」
涼香が目を見開く、伝わったようでなにより。
「それじゃあ帰ります?」
「待ちなさい、もう少しお話しましょう」
「えぇ……、帰りながらでもよくないですか?」
「私三年生よ? 学校で涼音との思い出を作ってもいいではないの」
学年が違うんだし、と続ける涼香。学年が違うため、学校での思い出は行事ごとぐらいでしか作る機会がない。
「別にいいですけど……。学校で作れる思い出ってなんですか?」
「写真を撮りましょう」
「帰りますね」
踵を返して教室から出ていこうとする涼音を慌てて引っ張る。
「お願い涼音! 去年は行事でも写真を撮らせてくれなかったではないの」
「だって写真嫌いですもん! 撮る意味ないですし」
「意味ならあるわ、可愛い涼音の写真が欲しいのよ!」
「だって他の人に見せるためでしょ!」
「涼音の可愛さを広めたいの! でも別の理由もあるのよ!」
「しーりーまーせーんー!」
そんな攻防の末、写真は誰にも見せないという条件と、別の理由がまともだろうという希望を持って渋々涼音が折れた。
「で? どんな写真を撮るんですか?」
口を尖らせた涼音が素っ気なく呟く。
涼香は少し悩んだ末、自分のスマホを教卓に置く。
「涼音、私の後ろに来て」
後ろに涼音を立たせて涼香は椅子に座ったまま腕を組む。
セルフタイマーを設定して写真を撮るとそれを確認する。
「……撮り直しましょう」
涼音の表情が死んでいた。
「ねえ涼音、笑ってちょうだい」
「先輩も袖が汚れていますよ」
「嘘⁉」
「ほら」
写真をよく見ると、涼香の右腕のブレザーの袖が白く汚れていた。すぐさま袖を確認すると確かに汚れていた。
「黒板を消したときに付いたのかしら?」
軽く払うがなかなか取れない、別に手を隠して撮れば問題ないか。
「もう一枚撮りましょう」
「……他の人来ないですか?」
再び準備をする涼香と、周りを気にする涼音。
「大丈夫だと思うわよ。帰宅部は帰っているし、部活ある子は一年生の勧誘でそれどころではないわ」
「それならいいんですけど」
そうこうしているうちに準備ができた、再び同じ体勢で写真を撮る。
「なんか……昔の家族写真みたいですね」
「笑顔が硬いわね」
ぎこちない笑顔の涼音が、座る涼香の後ろに立っている写真。
その後も何度か撮りなおすが、スマホが倒れたり、やっぱり涼音の笑顔がぎこちなかったりでなかなかうまく撮れなかった。
「難しいわね」
「この構図止めません? 自撮りにするとかどうですか?」
「それだと教室があまり入らないでしょう? 私は
今度は教卓に横向きでスマホを置いて筆箱や教科書で角度を調整して倒れないようにしている。そしてそのフレームの範囲を見て眉根を寄せる。今まで通り涼音が立ったままだと入らないのだ。
「ねえ涼音、ちょっと」
涼香は涼音を呼ぶ。後ろに立った涼音の腕を引っ張り、自分にしな垂れかからせる、この体勢なら問題なく入る。
「ちょっと先輩⁉」
驚いた涼音が身体を離そうとするが、涼香がガッチリとつかんで離さない。そして容赦なくシャッターが切られる。
「なにを驚いているのよ、いつもしているじゃない」
「いやだって、ここ学校ですよ⁉ あとポジション逆ですし!」
頬を染めながら周囲を見回す涼音。もし誰かに見られたら恥ずかしさでどうにかなりそうだった。
「もう少し離れたほうがいいかしら……」
「まだやるんですか?」
「それなら笑ってちょうだいよ」
「……確かに」
涼音は頬を揉んで笑顔の練習をする。他の人に見られたくないのならさっさと撮るのが一番だ。
涼音は覚悟を決めて再び涼香にしな垂れかかる。
「大丈夫よ、涼音は可愛いわ」
涼香がリラックスさせようとしてくれているのだろう。涼音にはそれが少し照れくさくて、誤魔化すように、しかし本心で返す。
「先輩も、凄く綺麗ですよ」
涼香は凄く美人だ、街を歩けば誰もが振り返る程の綺麗な人。本人はそんなことどうでもいいといった人だから、涼音は常々そう思っていてもあまりこういうことは言わないのだ。だから口に出すとやっぱり恥ずかしかった。
シャッターが切れた後、涼香が確認する。
「あら、いいではないの」
涼香が涼音に撮った写真を見せるが。
「撮ったんで帰りましょうよ」
涼音はそっぽを向いて帰りたがる。
「まだお話していないわ」
後ろの席に座って、と涼音に頼む。
「えぇ……」
渋々席に着いた涼音は、せっかくなので聞いてみる。話をしないと帰れなそうだし。
「なんで学校にこだわるんですか?」
さっきから涼香は
「だって、卒業すれば
「当然じゃないですか?」
いまいち涼香の言っていることがピンと来ない。卒業すれば高校生じゃなくなる、当然のことだ。
「私はね、これからもずっと涼音と一緒にいたいと思っているわ」
「え……あたし……も……」
不意打ちながらもなんとか言葉を絞り出した涼音だったが、涼香にそれは聞こえていなかったのか、「私が勝手に思っているだけだけど」と付け足す。
「これからも一緒にいる。だからといって、この高校生という青春ど真ん中の一ページを切り取らなくていいという選択肢はないのよ!」
こぶしを握り締めて力説する涼香に複雑な表情を向ける涼音。
「……つまり?」
「大人になった後この写真を見返して、あの頃はよかったわね、と言いたいのよ!」
「あー、なるほど。それが別の理由と学校にこだわる理由ですか……」
涼香は高校生である今この瞬間を思い出として残しておきたいのだ。
涼香といられるならそれでいい、としか考えていない涼音には、そういった考えが存在していなかった。
「私のわがままだけど、付き合ってくれてありがとう」
そう言って涼香は愛おしそうに写真を見る。
自分の考えが変わらなくても、涼香の考えを否定する気はない。
「別に、わがままを言ってくれていいですよ、時と場所をわきまえてくれるのなら」
大人になった時、涼香と一緒に見るのも悪くない。写真を見て懐かしめるかはわからないけど、一緒に見ている時間は楽しいだろうから。
放課後の百合の一幕 坂餅 @sayosvk
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