第3話 同窓会
その日は朝からどんよりと曇っていた。前の日までは日が差していたが、放射冷却の影響か、朝は布団から出たくないと思うほど寒い日が続いていた。久しぶりに布団から出るのを億劫に感じることもなく目が覚めたことは、よかったと思うべきことなのであろう。
「そういえば、最近、何かに感動したことなんかなかったな」
と矢吹は感じた。
人と話すこともめっきりと減ってしまい、仕事での会話と言っても必要なこと以外口にすることもなく、雑談などというのは本当に久しかったと思う。
もっとも他人との付き合いは、仕事上での付き合い以外にはないと割り切っているのは矢吹の方だったからだ。人に情報を提供するはずの仕事をしているはずなのに、勝手に自分で境界線を作ってしまうなど、ライターになった時には思ってもみなかったはずなのに、一体いつからこんな風になってしまったのか、自分でも分からなかった。
一度取材で、嫌なことがあった。いつも取材をする時は前もってお膳立てをした上で取材に及ぶのが最低限のルールであり、それを破ったことなど今までになかったことが矢吹のポリシーでもあった。
しかし、ライターになって七年目か八年目だったであろうか。自分でもやっと一人前になれた頃だと思っていた時のことだった。
矢吹はそれまで通りにきちんと筋を通して取材に及んでいたはずだったのに、取材許可を得ていたはずの相手から、急に怒りをぶちまけられたのだ。
「そんな話は聞いておらん」
そんな言い方だったと思う。
さすがに理不尽だと思い、今までにこんなことがなかったと思っている矢吹は頭の中がパニくってしまっていた。
「ちゃんとご連絡したではありませんか? いまさら聞いていないなどと言われても」
と口答えをしてしまっていた。
売り言葉に買い言葉だと相手は思ったのか、それともこちらが反発することを最初から予期し、事態を収束させるどころか拡大させることを考えていたことで、
「おいでなすった」
とでも思ったのかも知れない。
売り言葉に買い言葉であれば、完全に収集はつかなくなる、罵声の応酬に、どちらが最初に言い出したのか、さらには何が真実なのか、そして何が原因だったのかということすら意識の中から消えてしまう。あるのは、
「相手に負けないようにしなければいけない」
という対抗心と、
「正義は自分にある」
というこちらの正当性だけである。
そうなってしまうと、お互いに歩み寄るということはありえなくなってしまい、意地の張り合いで終始してしまうだろう。
確かに理不尽ではあったが、立場的にはこちらが弱いのは一目瞭然だった。我に返って考えると、謝らなければいけないのは矢吹の方だ。謝ってでも取材をしてもらわないと、記事に穴をあけてしまうことになる。それは避けなければいけないことだった。
我に返った矢吹は、相手に必死に謝ったがすでに後の祭りで、相手が歩み寄ってくれるはずもなかった。相手は職人という、自分に自信を持たなければやっていけない人種だということも、今までの取材経験で分かっていたはずなのに、切れてしまった自分に矢吹は猛省したが、その時は記事に穴が開いてしまい、初めて出版社との間に溝ができた。
さすがにこれまでの関係の深さと、他に記者がいなかったということもあって、切られることまでには至らなかったが、ライターとしての自分のプライドも自信もズタズタになってしまっていた。
そんな矢吹だったが、その頃からだったろうか、余計なことを話さなくなっていた。
別に取材で相手を怒らせてしまったことは、自分が何か余計な事を言ったわけではないと思っていたのだが、どうやら相手の方に何か事情があり、矢吹が余計な何かを口にして、
「藪をつついて、ヘビを出してしまった」
ということだったようだ。
相手は決して自分の非を認めようとはしないし、事情の詳しいことは闇の中ではあったが、あくまでもウワサとして聞いた部分では、
「矢吹さんは運が悪かった」
という話になっているようだった。
だが、その時に聞いた話の中で、
「あの人は、そんな理不尽な人ではないはずなんだけどね。急に怒り出すなんて初めてだわ。矢吹さんが何か癇に障ることを言ったのかも知れないわね」
という説が有力だった。
確かにそうかも知れない。理屈としては、そう考えるのが一番妥当だし、そういうことであれば、矢吹も納得がいく。
矢吹は取材の時、相手の緊張を和らげるために、いつもまず世間話のようなことから話を始める。この時自分がどんな話をしてしまったのか、その後に急に怒り出してしまったというショックから完全に忘れてしまっていたが、逆に言えば、簡単に忘れてしまうような気楽な気持ちで相手のことも考えずに話しかけたのかも知れない。うかつだったといえばそれまでなのだろうが、相手が何を考えているかなど、分かるはずもなく、無難な話から入ったつもりでも、相手の気分を害してしまえば、まったくの水の泡となってしまうのだ。
それなら、
「余計なことを何も言わないに越したことはない」
と考えたとしても、無理もないことであり、こんな経験をした矢吹からすれば、当然のことである。
それからの矢吹は出版社に行っても余計なことを話すこともなくなった。
余計なことを話さないということは、同時に気を遣うこともなくなったということでもあった。
それまでは出版社に顔を出すことがあった時には、必ず何か手土産を持って出かけていた。
「ありがとうございます、矢吹さん。いつもすみませんね」
と言って喜んでくれていたことを、
「いえいえ、いつもお世話になっていますから」
といって、喜んでもらえることに悦に入っていた。
しかし、手土産を持って行かなくなると喜んでもらえないが、嫌がられる様子もない。
――俺は今まで何をしていたんだ?
と感じた。
人に気を遣って何かを持ってきたとしても、それが何かのためになるわけでもなく、ただの自己満足にすぎないのだ。当然のことながら、今までの手土産があの時失った信用に影響を及ぼしたなどということがあるはずもない。まったく別のことであり、気遣いを無駄なことだったとは思いたくはなかったが、事実としてそうだったわけなので、自分で納得するしかないのだった。
人に気を遣わなくなり、余計なことを言わなくなってから感じたことは、
「早く一日が終わってほしい」
という思いだった。
平和に何事もなく終わることが何よりも一番であり、最初の頃は一日一日がなかなかすぎてくれないと思っていたのに、そのうちに、あっという間に過ぎるようになっていることに気が付いた。
それは無意識のうちであり、
「無意識だからこそ感じるようになった」
と思うようになっていた。
その頃までは、毎日がなかなか過ぎてくれないと思っていたのに、一週間はあっという間に過ぎたと思っていた。
しかし、一日があっという間に過ぎるようになってからというもの、
「一週間は結構長く感じられるんだろうな」
と思っていたにも関わらず、実際にはあっという間に過ぎてしまうように思えてしまったのだ。
一日一日に感じる時間の感覚と、一週間という単位で感じる時間の感覚は、それまでは正反対に思えていたのだ。しかし、その時から一緒になってしまい、一週間があっという間に過ぎるくらいなので、一か月も一年もあっという間に過ぎていた。
「三十歳を過ぎると時間が経つのが早くなり、四十代になると、もっとどんどん早くなってくる」
と若い頃に言われていたが、それを本当に実感することになるとは、思っていなかったわけではないが、感じたことにショックを覚えたというのが事実だった。
「それって、先が見えてくるからということなの?」
と聞くと、
「そんなことはないよ。自分ではまだまだ若いという気持ちでいるのは間違いない。でも何かが違うんだ。それが今まで知っている若さとは微妙に違う何かなのかも知れないと思うんだ」
と言われた。
その時の言葉を三十代になって思い出してみたが、ピンと来るものではなかった。
「じゃあ、どうあなたなら表現しますか?」
と聞かれたとすれば、頭の中で整理できるものではなかった。
きっとある時、急に頭の中に閃くものがあって、口に出してしまわないと気が済まない時が来るのだろうと思ったが、実際に自分にもそんな時が訪れた。
四十前くらいだっただろうか、相手はまだ二十歳代だった。それほど仲がいいというわけではなく、取材先に宿泊していた青年だった。
余計なことを口にしないと自分から誓っていた矢吹なので、自分から積極的に仲良くなったわけではない。彼は取材をしている矢吹に興味を持ち、夕食の際にいろいろ話しかけてきたのだった。
自分から何も言わないようにはしていた矢吹だったが、話しかけてくれる人を無碍にするようなことはしなかった。
「来るものは拒まず」
とでもいうのであろうか、矢吹は酒が入ったこともあって、久しぶりに饒舌だった。
彼は別に自分がライター志望というわけではなかった。ただの好奇心から矢吹に話しかけてきたのだ。矢吹としてはその方が気が楽だった。自分の言動が彼に直接的に何か影響を与えるわけではないと思ったからだ。年齢的なもので彼よりも人生を長く生きている先輩という意識があっただけで、その思いが饒舌にさせたのかも知れない。
もちろん、余計なことは言わないつもりで相手の話に合わせているだけだったが、矢吹の返答は彼の考えている返答に合致したようで、話が合っていたのだ。
「いや、いいお話が聞けて嬉しいです」
と彼は素直に喜んでくれた。
矢吹も久しぶりに喜んだが、酔いが冷めると、いつもの冷静な矢吹に戻っていた。
しかし、今回は饒舌だったことに後悔はなかった。
「これが俺の本当の姿なのかな?」
とも感じるようになり、それまでの極端な余計なことを言わないという考え方が、少しではあるが緩和されたようだった。
矢吹が同窓会に出てみようと思ったのは、何かの予兆を感じたような気がしただけだったが、それがこの間の綾香との出会いであったというのは、考えすぎではないかとも思ったが、予感めいたことを信じないわけではない矢吹は、
「今が予感を信じてもいい時期なのではないか」
と思うようになっていた。
矢吹はそれからしばらく人と話す機会も得たが、若い頃と違って人と話をしても印象に残らなくなっていた。
――忘れっぽくなったからなのかな?
とも思ったが、どうもそれだけではないようだ。
「歳を取れば、同じことを繰り返して話すようになるからな」
という話も思い出した。
しかし、歳を取ったと言っても、まだ五十代、今に時代ではまだまだ若いうちだともいわれるくらいの、いわゆる中途半端な年齢なのかも知れない。
ただ、サラリーマンであれば、定年という年齢も近づいてきて、いやが上にも年齢を意識するのかも知れない。しかも家庭を持っている人には、奥さんがいて子供もいて、子供が自立する年齢になり、孫でもできると、
「もはや自分たちの時代ではない」
と思うようになるかも知れない。
年齢を感じたからなのかどうかは分からないが、何にでも感動するということはなくなってきた。だから時間も短く感じられるのかも知れない。
矢吹が人と関わらなくなったのは、若い頃のような煩わしさとは少し違っている。言葉にすれば、
「煩わしさ」
という意味に集約されるのだろうが、意味としてはまったく違っているように思う。
矢吹は最近、自分が二十代だった頃、そして四十代の頃、そして今とをそれぞれ周期的に感じるようになった。それは過去の自分と比較している時もあるが、単独に感じる時もある。特に若い頃のことを思い出すと、自分がまだ果てしなく遠いと思っていた四十代や五十代の人をどのように見ていたのかが思い出されるのだった。
今から思えば二十代の頃は上ばかりを見ていたような気がしていたが、それは先の自分を見ていたわけではない。見えるわけもないし、見えたとしてもそれは幻影でしかない。そんなことは分かっているので、見ていたとすれば、反面教師としての年上の男性だったのかも知れない。
身近な対象としては、取材した相手ということもあるだろう。しかし、文芸部で取材の対象になる人というのは、社会的にも認められた知識人がほとんどで、インタビューにおいても、礼儀正しい返答に終始していて、決して負の部分を見せることはなかった。
しかし、そんな知識人の人たちであっても、スキャンダルを暴かれて、それまでの知識人としての仮面が一夜にして剥がされてしまうことも少なくない。そんな時は、
――俺はどうしてそのことを見抜けなかったんだろう?
と、若い頃は感じたものだった。
確かに見抜けなかったのは仕方のないことであり、自分たちは社会部でもなければ、芸能関係でもない。あくまでも知識人としての尊敬に値すると思われる人を取材しただけだった。
不倫などのスキャンダルで後になって騒がれたとしても、果たしてその人の人格であったり、その道での威厳が損なわれたと、一概に言えるものだろうか。矢吹はそう思うことで、自分の正当性を自らに主張し、矢吹にとっての目が確かだったことを自覚したいのであった。
まわりの世界は、矢吹がそんなことを考えているなど、分かっている人が果たしているのだろうか? 一緒にその時に取材した人であっても、
「あれ? この人、この間取材した人じゃないですか? こんなことをするような人には見えなかったけどな」
と、まるで他人事のように言っている。
確かに取材した時に、スキャンダルの種があったのかどうかは分からないが、
「悪いことをする人はしょせん、ずっとそういう人間なんだ」
という人もいるが、果たしてそうなのだろうか?
矢吹は、自分の人を見る目に対して疑念を抱いてしまった原因が、その人にあると思っていたが、自分の見る目に正当性を持とうと思うと、悪いのはスキャンダルを起こした人というよりも、それを暴いた記者の方にあるという八つ当たり的な考えを持った時もあった。
八つ当たりだということは分かっている。スキャンダルの内容が社会的倫理に違反していることも分かっている。そうでなければ、いくらゴシップ週刊誌と言えども、まったくのウソを書くわけではないので、そこは信用しなければいけないだろう。
だが、彼らも自分と同じ穴のむじなであり、生活をしなければいけないということでの職業だと思えば、彼らを責めるのも筋違いだ。
そう思うと、もっと多くな問題は、
「スキャンダル好きの世の中の人間ではないか」
と思うようになった。
そんなやつらがいるからゴシップ週刊誌が売れるのだし、商売としても成り立っている。そういう意味では「必要悪」なのではないかと言っておいいだろう。
もっともその記事が出たからと言って、少しでも世の中からスキャンダルがなくなるというわけでもない。何かの警鐘を与えるというわけでもないので、ジャーナリストとしての理念とは関係のないところで記事は出ていることになる。
だが、ゴシップを取材する連中も、
「仕事だから」
というだけでやっているわけではない。
彼らには彼らの中に持っている正義があるはずだ。それが本当にいいことなのか悪いことなのかは分からない。表に出ていることというと、
「スキャンダルをする人がいて、それを取材することで週刊誌が売れる。それを読む読者がたくさんいるからだ。だから、ジャーナリストはスキャンダルを追うのだ」
ということであろう。
よくテレビドラマになったりするのは、そんな記事を書かれた当事者の家族が、まわりからあることないこと、誹謗中傷を受けて、家庭崩壊に繋がるというのをよく見る。
視聴率もよかったりするので、見たような話はたくさん作られるだろう。
よくよく考えると矛盾している。
当事者の家族が誹謗中傷を受けるということが分かっていて、いや、その誹謗中傷を与えているのが自分たちになるかも知れないということを、誰が自覚していただろうか。ドラマを見て、
「かわいそう」
と感じた人が、スキャンダルが実際に起こると、自分たちが誹謗中傷をぶつける人間側になることだって大いにあることだ。
それはきっと、
「他人事だと思ってしまえば、何をやっても許される」
という思いが心のどこかにほんの少しであってもあるからなのかも知れない。
自覚していない人もいるだろう。いや、ほとんどが自覚していないに違いない。そうでなければ、ドラマを見て、
「かわいそう」
と思った人が、今度は誹謗中傷を浴びせる側に立つことにはならないだろう。
そう考えると、今度はもう少し立ち入った発想になってきた。
マスコミ批判になるだろうから、声に出しては言えないが、
「ドラマ自体に責任はないのか?」
ということである。
ドラマというのは、当然フィクションである。登場人物や事件などは架空の話として書かれているだろう。もちろん、題材になる何か特定の事件があってのことなのかも知れないが、ドキュメンタリーにしてしまうには、そのことが完全に表に出ていて、例えば誹謗中傷を受けた人が自殺などして、社会問題にでもならなければ、確固たる証拠もないのに、公共の電波に乗せることはできないはずだ。
それを思うと、最初からドラマはフィクションであり、見る人もそのつもりで見ているので、ドラマ自体が、
「他人事」
なのだ。
それなのに、
「かわいそうだ」
と思う。
それは日本人独特の判官びいきという、被害者や気の毒な人を美化する傾向に昔からあるからではないだろうか。
そう思うと、ドラマ自体が他人事になり、その時点で、他の似たような事例とはまったく関係のないものになってしまう。
だから、
「かわいそう」
という言葉の乾ききらないうちに、何も確固とした事実があるわけでもないウワサに過ぎないスキャンダルに対して、簡単に誹謗中傷をぶつけることができるのだろう。
しかも、世の中には自分の中にストレスた不満を抱えて過ごしていない人などいないと言われるくらいだから、何かがあれば、
「俺の方がまだマシなんだよな」
と、自分と比較して、悲惨な人を見下すことで、自分の情けなさを見て見ぬふりをするという傾向にもある。
誹謗中傷というのは、自分のストレスの発散という、自己中心的な考えが根底にあるのではないだろうか。
それが今の世の中というものである。
ここで何を言おうが、一人の人間が何を言おうが解決できることでもないが、他人事と思っている以上は何も解決しないに違いない。
ただ、
「もし、それで世の中の歯車が回っているとすれば」
と考えれば、むやみにそれを壊すようなことをしてもいいものだろうかとも思う。
なぜあら何が正解なのかということは誰にも分からないからだ。
一人を助けることで、誰か他の人が不幸になることだってあるだろう。助けただけで不幸になった人のことをまったく知らないでいれば、それは
「正義感をひけらかして自己満足に浸っているだけ」
ということにならないだろうか。
これも、不幸にされてしまった人からすれば、
「いい迷惑」
である。
世の中にはいろいろな生命が生きるために避けて通ることのできない「循環」がある。その一角を崩せば、すべての歯車が狂ってしまうだろう。だから、世の中には、
「触れてはいけないアンタッチャブルな領域」
が存在すると言っても過言ではないだろう。
そんないろいろなことを考えながらの出勤は、今に始まったことではない。特に毎日同じ電車に乗って同じように出勤しているわけではなく、たまに乗るくらいなので、新鮮な気分になる代わりに、いろいろなことを考えてしまうのだろうと思っていた。
この日は、あまりいいことを想像していないようだった。考え事をしているという意識を持たないような時はたいていあまりよくない発想をしている時が多いのだが、その時のテーマはそれほど何かがあるというわけではないようだった。
しかし、この日は自分の中でハッキリしていた。
「悪循環」
これがこの日の想像のテーマのようだった。
悪い方に考えてしまうと、そこから逃れられなくなってしまうというのはよくあることだ。一種の呪縛とでもいえばいいのか、悪い方に考え始めればそちらにしか目を向けることができなくなってしまい、抜けられなくなってしまう。要するに視界が狭くなってしまうのだ。
それを、
「負のスパイラル」
という時もある。
特に悪い方に考え始めてそこから抜けられなくなるというのは、精神的な面では、鬱状態に陥る時だと言えるのではないだろうか。矢吹は今までに鬱状態に陥ったことが何度かあった。学生時代に何度かあり、
「このままずっと続いたらどうしよう」
と思ったこともあった。
卒業してからは忘れた頃に襲ってくるようになったが、久しぶりということもあって、忘れた頃に襲ってきた方がきつかったような気がする。
「慢性化してしまう方がいくらか楽ではないか」
と思ったこともあったが、それは妄想だったに違いない。
ただ、鬱状態に陥った時というのは、必ずと言っていいほど躁状態と背中合わせだったように思う。鬱状態が終わったから躁状態になるのか、躁状態に終わりがきたから、鬱状態に陥ってしまうのか分からないが、そのどちらへの移行の時も、いつも前兆を感じていた。
一番最初に躁鬱を意識したのは、中学の頃だっただろうか。あれはちょうど自分が成長期に入ったという意識が芽生えた頃であって、躁鬱という言葉は聞いたことがあったが、まさかそれが躁鬱だったなどということ、さらには自分が躁鬱状態に陥ることになるなど、想像もしていなかった。
最初にやってきたのは鬱状態だった。断っておくがあくまでもこれは矢吹自身が感じたことであって、同じように躁鬱を味わったことのある人がまったく同じだということはないだろう。少なくとも個人差があり、感覚も違っているに違いない。もっとも他の人に相談したこともなく、もし相談したとしてもその人には躁鬱状態を味わったことがあるとは限らない。
「だから誰にも相談しなかったんだ」
と矢吹は思っている。
もし、躁鬱状態にある人に相談したとしても、個人差があるだろうから、その人だけの意見が果たして自分に当てはまるかどうか分からない。だから相談しなかった。
他の悩みであればきっと打ち明けていたに違いない。特に恋愛感情に関しては友達にいろいろ相談していた。失恋した時にもよく相談したが、これは、
「誰かに聞いてもらいたい」
という思いからであり、一人になるのが怖かったという意識が強く働いていたのは間違いのないことだった。
最初に鬱状態に入った時は、さすがにそれが鬱状態だという意識はなかった。だがいつもと違う何かを感じたのは間違いない。そして、予感があった。
「何をどう感じようとしても、悪い方にしか考えることができなくなるんじゃないか」
という思いである。
実際にそうなった時、朝目覚めるのは嫌だった。目が覚めるにしたがって見えてくる世界が明らかにいつもと違う。通学の途中でも何かが違っているのを感じた。まず感じたのは信号機のシグナルだった。赤や青がやたらと気だるく感じられた。それは学校が終わって塾にいく途中で感じた時がピークだった。家を出るのがちょうど夕方という時間帯で、西日が今にもマンションの谷間に消えて行こうとする時間帯。冬であっても妙に湿気が感じられ、一番息苦しさが自分を襲う時間帯だった。後で聞けば夕凪という時間帯らしいが、この夕凪の時間を叙実に感じさせるのが鬱状態の時だと結構最初の頃から感じていたようい思う。
しかし今度は塾が終わって家への帰途についた時である。完全に売るのとばりは降りていて、来る時に感じた湿気は、夏であってもほとんど感じることはない。夕飯もまだの状態で一日の疲れが一気に襲ってきているのは分かっていたが、来る時に感じた信号機の気だるさを感じることはなく、くっきりと見えていた。夕方に感じる微妙な明るさの日の光がまったくないからだとして簡単に片づけるわけにはいかないと思った。
最初はその違いをよく分からなかったが、そのうちにその違いを感じるようになった。そこにはれっきとした違いがあり、分かってしまうと、
「なるほど」
と感じさせるものだった。
まだ日の光を感じる時間帯には、信号の赤い色は真っ赤ではない。青の方がれっきとして感じられるもので、日の光を残した時間帯であれば、青と呼ばれる信号機は、緑色なのである。
しかし、日の光の影響をまったく受けることのない夜という時間帯では、赤は真っ赤であり、青は真っ青なのだ。その違いは自分の体調に左右されることはなく、明らかによると昼の時間帯で、見えている色に違いがあるのだ。
これは鬱状態特有の現象であった。確かに平常時であっても躁状態の時であっても、その兆候はある。だが、改めてそのことを感じることはなかった。信号機を見て、シグナルの色を意識するのは決まって鬱状態の時であり、そしてその時に、
「他の時と違って」
と感じることで、余計に鬱状態での色の見え方が他の時との違いを感じさせる。
一種の「差別化」と言えるものであって、この差別化が自分の中での躁鬱状態のれっきとした違いとして意識させるものとなっていった。
さらに鬱状態から躁状態、躁状態から鬱状態への移行の際には、正常時は存在しない。いきなり躁状態から鬱状態へ、そして鬱状態から躁状態になるのだ。つまり正常時への移行は、躁鬱状態からの脱却であり、脱却する時にも、その予感めいたものは存在するのだった。
躁状態から鬱状態へ移行する時は、意識としては漠然としていて、それを口で説明しろと言われても難しかった。しかし逆に鬱状態から躁状態への入り口は言葉で説明しろと言われるとできるような気がした。そのキーワードは「トンネル」であった。
矢吹は中学時代にはバス通学をしていた。その途中にトンネルというには短いが、高架というには長いような中途半端な長さのトンネルが存在した。遂道というのが一番不和しいのだろう。実際にトンネルの端には、
「〇〇遂道」
というのが、彫りこんであった。
そこは途中に黄色に光る蛍光灯が存在していて、トンネルとしては短いので入ってすぐに黄色を感じはするが、すぐに日の光が差し込んできて黄色を意識することができるのは一瞬だけだった。
実際に鬱状態に入り込むまではトンネルに黄色い蛍光灯があることすら意識することはなかった。だが、鬱状態として意識してしまったことで、トンネルに入ってから出るまでがそれまでの数倍の時間に感じられるようになった。
普通であれば考えられないような感覚だが、それを鬱状態というのだと思えば、理屈で説明のできないことも、自分で納得できるような気になるから不思議だった。
「鬱状態というのは、そんな時期なのかも知れない」
とも感じたが、その思いは歳を取った今でも変わっていない。
黄色く感じる時間が次第に長くなっていく。それにつれて、
「鬱状態から抜けることはなかなかできないんだ」
と矢吹は感じたが、その感覚にいつも間違いはなかった。
だが、次第にトンネルの黄色い時間が短く感じられるようになった。最初の頃は、
「マンネリ化してきたからなのかも知れない」
と思ったが、どうも違う。
黄色く感じる時間よりも、黄色く感じた部分に次第に外の明かりが差し込んできて、大手に出るまでの時間が、黄色く感じされる部分が短くなるのに反比例して長く感じられるようになると、その時、
「やっと鬱状態から逃れられる」
と思うのだ。
だからと言って、嬉しいという感覚はない。これから襲ってくる躁状態というのは、考えることすべてがいい方にしか考えられないというそんな時間である。
「躁状態が来たって、次にはまた鬱がやってくるんだ」
という思いがあるからで、正常時に戻らない限り、この悪循環から逃れることはできないのだ。
「要するに、極端な感情は、ロクなことを考えさせない」
ということであり、
「負のスパイラル」
を継続させるだけでしかなかった。
矢吹がいつも何かを考えているようになったのは、この躁鬱状態が始まってからだ。小学生の頃にもいつも何かを考えていたように思えたが、それは躁鬱状態に入った時に思い出すことで、そんな感覚になるからだ。正常時に小学生の頃のことを思い出すこともあるが、その時の思い出というのは他愛もないことしかなく、まるで、
「作られた過去の意識」
を彷彿させるものとなっていたのだった。
矢吹はその日、
「久しぶりに自分が鬱状態に陥っているのではないか」
と感じた。
ただ、その予兆があったとすれば、先日の綾香との出会いに起因しているのではないかと思っている。
あの日は別に何かの予兆を感じさせるものもなく、彼女と別れてからも、別に何かの違和感に捉われたわけでもない。それなのに、そんな予感があったというのは、後になってから感じる思いであり、そう感じるということが、そもそも鬱状態の入り口を予感させるものに他ならなかった。
四十歳から急に毎日時間が経つのがやたらと早くなった。
「年を取ると一日一日が早くなる」
というのは分かっていたことだし、嫌というほどまわりからも聞かされた。
それがどういう意味なのか分かっていなかったが、漠然と、
「年を取ると一日一日が早くなる」
と思うようになった。
しかし、その感覚は少し違っている。
明らかに四十歳までとは何かが違っている。四十歳までは一日一日を意識しなくても、後から思い出せばそれがいつだったのかすぐに分かるからだった。四十歳を過ぎてある頃から、
「あれっていつのことだったっけ?」
と、昨日のことであっても分からなくなってきた。
一日一日の区切りが分からなくなってきたのだ。
このことを他の人に相談したことはなかった。相談して自分だけが違うということを宣告されたくなかったからだ。
この歳になってこの手の申告の一つ一つが、精神的な痛みを伴うものであり、本当は知らなければいけないものなのかも知れないが、知ることがもっとも怖いことでもあるのだろう。
四十代までは、
「まだまだだ」
と思っていた年齢への意識が、四十歳を超えた時点で、切実な問題になってくるということなのだろう。
他人事になることが気が楽になる一番だと思ったのもこの頃であり、まわりの人を見てその人が他人事のように見えてきたということを意識できるようになったのも。この頃だった。
矢吹はそんな意識を感じながらその日は通勤していた。普段からいつも何かを考えるようになったという意識を持って毎日を過ごしているこの頃の矢吹だったが、いつもその感覚は次の日になったら、いや、すぐにでも忘れてしまっていたかも知れない。しかし、この日の感覚は数日間は覚えていた。それは少なく十同窓会の日までは間違いなく自分の中にあった。これが年齢的なものによるのかどうか、矢吹にも分からなかった。
だが、確かに毎日毎日に変化というものが乏しく感じられるようになった。
「乏しい」
と言っているのに、感じられるようになったという表現はどこかおかしいような気がしているのだが、毎日見えているものに変わりがないはずなのに、感じ方が違ってきていることで乏しいと感じるのであれば、それも致し方のないことであろう。
きっと、その乏しさが、一日一日を変化のないものに変えてしまい、変化を感じていた時に比べ、毎日をあっという間にしているのかも知れない。それは感じているはずのその時でも同じことで、後から思い返してもその思いは変わることはない。要するに感じることへの変化が、年齢にともなって現れてきたのであろう。
こうやって綴ってみると、当たり前のように感じるが、自分に言い聞かせてやっと納得できるものである。特に年齢が絡んでくると、自分の中で認めたくないという思いが強くなり、考えが希薄になっていくのであろう。
同窓会の日が近づいてくると、まるで学生の頃に戻ったかのような新鮮な気分になっていた。
――こんな気分になったのはいつ以来だっただろう?
フリーライターになった時、それまでになかった自分の人生を妄想し、新鮮な気分になったのが最後だったような気がする。
その時の気分をいつまで持続できたのかは覚えていないが、思っていたよりも長かったような気がする。何かを自分で作るという喜びが好きだったということを改めて思い出させてくれたというのが一番の理由だろう。
何かについて改めて思い知らされることが、新鮮さを継続させることであるとその時初めて感じた。そういえば自分がフリーライターになった時の面接で、
「何かを新鮮に感じるというのは、それまで自分の中にあったものを改めて感じるということなのではないかと思います」
と言ったのを思い出した。
あの時、面接してくれた編集部長がその話を聞いて、驚いたような表情をしたかと思うと、すぐに、
「うんうん」
と頷いてくれたのが印象的だった。
――あれが契約してくれる決め手になったのか・
と思っているが、ほぼ間違いがないように思えた。
その時に感じた思いを、今度の同窓会でできるのではないかと感じたことが、今まで忘れていた新鮮な感動を思い出させてくれていると思っている。
教師になった時にも新しいことを追求できることを切望していたはずだった。しかし実際になってみると、自分の思い描いていた世界とはまったく違い、教育委員会の定めた教育方針に従うことが優秀な教師としてのレッテルだったのだ。何かを改革しようなどという考えは、
「出る杭は打たれる」
の発想から、必ず打ち消された。
「お願いだから、俺たちを巻き込まないでくれ」
と、先輩や同僚に言われたものだ。
その言葉を聞いて、矢吹は教師というものに疑問を持つようになり、事件をきっかけに退職に追い込まれ、
「やっぱり俺には合っていなかったんだ」
と教師に対して幻滅だけを残して辞める羽目になったのだ。
フリーライターになってからも、教師に対して偏見を持っていた。内部を知っている人間にしか分からないわだかまりや、生徒との距離、上下関係、さらには教育委員会への気遣いなど、聞いただけでもへどが出る言葉しか出てこない。
社会派の記者であれば、教職に対してのゴシップを書くこともできたかも知れない。しかし今から思えばただの私恨でしかないその時の自分が、冷静に批判記事が書けるのかと言われると、実際には自信がなかった。書いたとしても、その記事に自信が持てることはなかっただろう。下手をすると、書くまでは自分の理論や不満を全面にぶちまけていたにも関わらず、書いてしまってそれを発売されてから読者の目で冷静に見ると、他人事のようにしか思えないかも知れないと思うと、ゾッとするのだった。
しかし、書いたことには変わりない。その責任を書いている間に感じることなどないはずで、
「糾弾することこそが正義」
として、平等ではない目で一方的な理論から振りかざした正義に、本当の正当性があるのかと言われると、自信がない。
正当性などという公共の感情ではなく、自分の中でさえ理解させることができるのかと思うと、きっと冷静になって思うと、他人事にしか思えないに違いないとしか思えないだろう。
同窓会の面々にはまだ自分が教師をしていると思っている人もいるだろう。何しろ同窓会などほとんど出席したことがなかったからで、いつの頃からか、案内が来ても返事すら出さなくなっていた。そのうちに案内状も来なくなっていたが、忘れた頃にやってきた「お誘い」に新鮮さを感じたとしても、
――それだけ自分が寂しさを裏で隠し持っているからではないか――
と感じさせ、それが同窓会への出席を前向きに考えた理由の一つであった。
果たして同窓会の日がやってきたが、本当に何年かぶりにスーツに袖を通して、ネクタイを締めた。新鮮な気分というよりも、首が締まるような感覚に苦しさすらあったが、年齢的に太ったのだろうと感じさせた。
会場は気軽な居酒屋だった。ほぼ初めてと言っていいくらいの参加なので、居酒屋というのは気が楽だった。
結構早めに会場に入ったが、集まってくる最初の数人は誰もお互いに話をすることもなく、異様な雰囲気に包まれていた。
――来るんじゃなかったかな?
と思わせるほどで、皆席をいくつか空けて座っているので、会話が成立するはずもなかった。
そのうちに見覚えのあるやつが入ってきた。
――あれは星野じゃないかな?
高校時代からほとんど変わっていないような気がした。
星野という男は人に気を遣うのがうまいという印象があった。いつも自分は誰かを立てる役で、決して自分が目立とうとしなかった。そのため、
――一体、何を楽しみに生きているんだ?
と思うこともしばしばだったが、確か大学に進んでから、地元大手の会社に入社した仲間うちでは出世頭という話をしていたような気がする。
彼とは矢吹が教師をしていた三年目くらいまで連絡を取り合っていたが、それ以降は連絡を取り合っていない。お互いにそれどころではなくなっていたからだ。
星野が入ってくると、それまでバラバラだったメンバーが少しずつ狭まっていき、誰も会話をしようとしなかったのに、星野に対して話しかけるようになった。
――そういえば、あいつのまわりにはいつも誰かがいたような気がするな――
彼が気を遣う性格だということもあるが、星野が一人でいるところを想像することができないというほど、彼のまわりに人が集まるのはお約束のようなものだった。
星野は相変わらず饒舌で、数人しかまだいないにも関わらず、笑い声が響き始めた。矢吹はそんな輪を遠めに見ながら、ひとり佇んでいたが、そのうちに次第に人が集まり始めて、時計を見ると、もう集合時間になっていた。
幹事が、
「今日はお忙しい中お集りいただきありがとうございます。まだ来られていない方もおられますが、時間になりましたので、そろそろ始めたいと思います。皆さん、目の前にあるグラスにビールを注いでください」
と言って、皆の用意ができるのを待った。
「それでは始めたいと思います。今年も皆さん元気に集まることができて感謝です。では乾杯」
という合図とともに、
「乾杯」
という言葉が響いて、同窓会がスタートした。
始まると同時に、蚊帳の外だったはずの矢吹のもとに、さっきまで輪の中心にいた星野がビール片手にやってきた。
「久しぶりじゃないか、矢吹。ずっと見かけなかったので心配していたんだぞ」
と言われた。
「あ、ああ。なかなか敷居が高くてな」
というと、
「そんなことはないさ。お前が勝手に高くしていただけだろう?」
「もっともです」
と言って会釈すると、そこで二人は笑顔になった。
星野との再会の挨拶はそれで十分だった。星野は本当に学生時代からまったく変わっていない。老いてしまったのは仕方がないが、少年がそのまま老人になったという感覚だった。そういう意味では違和感があった。女性からよくモテるという印象があった彼は、まるで太陽のような存在だったからだ。
そのことを言うと、
「何言ってるんだ。お前だって結構モテてたじゃないか。知らないのか?」
「えっ、この俺が?」
「ああ、そうだよ。お前を好きな女子は結構いたと思うぞ。ただそんな女子に共通しているのは内気で晩生な人が多かった。だから告白はしてこなかったんだろうがな」
「そうなんだ」
矢吹は学生時代の自分が嫌いだった。今よりも痩せていて、本当に自分は男なのかと思うほどひ弱で、実際にもオンナなのではないかと思うほどだった。そんな自分を矢吹は大嫌いだった。自分が女なら、決してこんな男には惚れることはないと自信を持って言えるほどだったからだ。
今となってはもったいないことをした。普段だったら、そんなことを言われても過去のことであり、いまさらどうにもならないことは分かっているので、もったいないとか後悔をすることはなかっただろう。しかし、同窓会というほぼ初めてのシチュエーションで、しかも相手が歳を取ったとはいえ星野から言われたということで、後悔し始めている自分を感じた。
その感覚はまるで高校生に戻ったかのような気分で、どうしてそんな気分になったのかまわりの雰囲気もあるだろうが、一番の原因は高校時代とまったく変わっていない星野に言われたからではないかと思えた。
――ひょっとして俺が妬まれていたりしなかっただろうか――
と思うと、話をしていてくすぐったい気分にもさせられた。
「おい、矢吹」
星野との会話に没頭していた矢吹に、ふいに声を掛ける人がいて、ビックリして振り向くと、そこには年相応のおじさんが立っていた。
面影はある気がしたが、誰なのか思い出すことができずにボンヤリしていると、
「忘れちまったのか? 俺だよ俺」
その馴れ馴れしさには覚えがあり、
「坂田なのか?」
「ああ、そうだ。坂田正彦だ」
と言って、何の根拠もないのに胸を張って見せた。
「おお、坂田。久しぶりだな」
と星野が言った。
「そうだな、おの三人で一緒にいることが多くって、よく先生からも、何とか三人衆と言われていたじゃないか」
矢吹はそれを聞いて、何三人衆と呼ばれているのかを思い出したことで、この二人と結構一緒にいたのを思い出した。坂田が三人衆の言葉を濁したのは、いまさら恥ずかしい言葉であるということで、高校時代なら許されたんだろうと感じた。
矢吹は二人を見て、星野は昔とまったく変わらずに大人になった感じであり、坂田は昔と雰囲気は変わらないが完全におじさんになっていた。それはやつが今の自分をいつも最大に表に対して表現していたからだと、今の彼を見て思う。本当は学生時代以来なのに、どうしてそこまで感じるのかというと、それが同窓会のマジックなのではないかと思うからだった。
――どうして今まで参加しなかったんだろう?
という後悔もないわけではなかった。
しかし、数十年ぶりに出会うからこそ感じることもあると思うと、やはり新鮮さという意味で、この時を味わうことができることに感謝すべきなのだろうと感じていた。
同窓会の案内が来て、同窓会に出席するまでにいろいろなことが頭を巡った気がした。難しい話もさることながら、普段から考えてはいたが結論なんて出るはずもないと思っていたことを立て続けに考えた。その中で出たわけではない結論ではあるが、その思いがどこかで繋がっているという感覚に襲われた。そのキーを握っているとすれば、
「綾香との出会いではないか」
と思っている。
綾香とは連絡先を聞いたわけではないので、もう一度出会えるという保証はない。喫茶店に行けば出会えるのだろうが、まるでストーカを思わせ、戸惑っている。ただ、それも自分が高校時代に戻ったかのような錯覚を覚えているからで、別に客としていく分には何ら問題はないだろう。矢吹の印象でも、
――彼女は、また俺に会いたいと思ってくれているように思えたんだよな――
と感じていたからだった。
もちろん、根拠があったわけではないが、話が途中で終わったような気がしていたからだ。
――いや、途中で終わったわけではなく、次回を想像させる会話だったというだけのこと――
と思っている。
――この同窓会も、明日になれば、ただの一日だったという感覚になってしまうのだろうか?
と矢吹は感じ、せっかく新鮮で懐かしい気持ちが萎えてくるのを感じると、自分が何事にもマイナス思考で、あるにも関わらず、まったくナーバスな気分になっていないことから、
――俺は本当に歳を取ってしまったんだな――
と感じた。
学生時代からまったく変わっていないようい見える星野と、それなりに変化を感じながら、面影を残したまま、年相応に変わってしまった坂田。自分がこの二人から今、どのように思えれているのかを考えると、二人の視線が少し怖い気がして、ゾッとした気分になっていた。
矢吹は先日出会った綾香のことを思い出していた。彼女は矢吹にとって子供と言ってもいいくらいに若い。それまで自分を年相応であり、年齢を意識しないことが今の自分の立ち位置のように思っていた。
だが、こうやって同窓会に出席してみると、子供の頃のまま大人になって、年相応に見える人もいれば、まったく変わっていないにも関わらず、同級生として違和感のない人もいる。
――俺はどうなんだろう?
学生時代は自分のことが嫌いだった。
ひ弱で、まるで女のような軟弱さを感じていたことで、自分がそれなりに女の子からモテていたにも関わらず、それを許せない自分がいた。そんな自分が変わったのは、教師を辞めてからだったように思う。教師になった頃はそれなりの自信とやる気で、将来がバラ色にしか見えなかった。
「将来がバラ色に見えれば、それに越したことはないさ」
と先輩は言っていたが、まさしくその通りだと思っていた。
バラ色に見えるなら、確かにそれ以上のことはない。妄想の世界であっても、考えていれば、少しでも近づくことができるからだ。特にネガティブに考えれば考えるほど泥沼に嵌ってしまう矢吹にはちょうどいいのだろう。
躁鬱症の影響は精神的なもので受け継がれている。学生時代ほど躁鬱状態になることはなかった。トンネルを意識することもなくなっていて、トンネルに入った時のイメージは夢の中でしかない。
夢の中で躁鬱症になっている意識はあった。しかし、
――しょせんは夢の中なんだ――
という思いがあるから、別に悪いことではないと思う。
むしろ、夢の中で完結してくれているのであれば、それはそえでありがたいと思っている。
「夢の中というのは、本人の意識ではどうすることもできないものだ」
と言っていた人がいたが、矢吹も最近まではそう思っていた。
「夢とは潜在意識が見せるものであって、潜在意識は実際の意識が表に出ている時は裏に隠れているものだから、自分ではどうすることもできないんだ」
というものである。
確かに夢を見て起きた時、覚えている夢はほとんどない。しかも覚えている夢というのは、そのほとんどが怖い夢であって、楽しい夢というのは夢から覚めるにしたがって忘れてしまっているようだ。
「本当は、楽しい夢というのを見ることなどできないのではないか?」
と思ったこともあった。
だが、夢が途切れてから完全に目が覚めるまでには、少しの間隙がある。その間が何を意味するのか、矢吹は考えたことがあったが、
「現実世界に戻るためのプロセスだ」
という言葉だけでは言い表せないような気がして仕方がなかった。
夢から完全に覚めるまでにかかる時間というのは、どれくらいのものなのか、考えてみた。いつも同じ時間なのか、それとも夢の内容によって、時間に差があるのだろうかということである。夢の内容によって時間に差があると考える方がり理屈としては納得がいくが、いつも同じ時間だとすれば、目が覚めるまでの間の時間に密度の濃さが違うということである。
実際の夢というのも、人から聞いた話であるが、
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、目が覚める寸前に数秒だけ見るものらしいんだよ」
と言われた時は、最初信じられなかったが、目が覚める時の間隙を考えると、その話もまんざらでもないように思えた。
「数秒というのは、どんな夢を見ていようが、ずっと同じ時間なんだろうか?」
とその時、聞き返した。
するとその話をしてくれた人は一瞬ビックリしたようだったが、
「同じなんじゃないかな? そこまでは俺も聞いたわけではないのでよく分からないんだが、俺は話を聞いた時にそう思って疑わなかったような気がする。もっとも今言われたからあらためて感じたというのが本音なんだけどな」
と言われた。
「俺も今ふっとそう感じたんだよ。このことだけは確認しておかなければいけないという思いに至ってね」
時間というのは、基本的に自分の意識に関係なく、誰にでも平等に時を刻んでいるものだと思っていたが、果たしてそうなんだろうか?
時間の中には、その人が意識したことで左右される時間があってもいいのではないか。そう思うと、夢の入り口と出口はその可能性の高さからありえるのではないかと思うようになっていた。
人の意識が左右する時間があるとすれば、夢だけに限るのだろうか?
例えば、
「ふとしたことで年齢を感じることがあった時、急に我に返ったような気がするのだが、そんな時が意識が時間を左右するのではないだろうか?」
今まで同窓会に出ることもなく、いつも会う人は出版社の人ばかり、毎日ではないがほとんど定期的に会う人ばかりで、自分と同じように相手も年を重ねていくのだから、年齢について意識することはない。それが本当に久しぶりに出会った連中を見て、それぞれに年齢を重ねている。同じ時間を使っているのに、立場や仕事で老け方が違う。それこそ時間の遣い方が違うというべきであろうか。
中には意識して時間を過ごしている人もいるかも知れない。あまり意識しすぎると老け方も早いような気がする。そういう意味では少なくともこの同窓会のメンツにそんな人はいなかった。
すると、奥の方で一人孤独に酒を飲んでいる人がいた。どう見ても同級生には見えない。あの老け方は尋常ではない。背中は曲がってしまって、どう見ても、我々よりも十歳以上上にしか見えない。
しかも、その表情は目の前の一点を見つめていて、その男もまわりをまったく意識していないし、まわりも彼を意識することはなかった。矢吹はそれを他の人に話そうかと思ったが、場が壊れてしまいそうな気がして口にすることはなかった。それがこの場ではいいことに思えたからだが、果たしてそうだったのだろうか? 矢吹は何かの警鐘を感じながら、なるべく意識しないようにしようと思うのだった。
せっかくの同窓会であったが、矢吹は自分から話しかける勇気はなかった。時々話しかけてくれる人もいたが、何を話していいのか分からず、話に合わせているだけの時間が少々続いたかと思うと、相手の方が気まずくなったのか、すぐに、
「じゃあ」
と言って、離れて行く。
――これも、皆同じ時間配分のような気がする――
と、矢吹は話しかけられたことよりも、相手が自分の関心の中にいる間の時間の方が気になっていた。
最初に坂田や星野が話しかけてくれたのが、かなり前だったような気がする。そう思うと、
――同窓会も、すぐに終わってしまうな――
と感じた。
時計を見ると、開催時間の三分の二を過ぎていた。ほとんどの人は会話に集中しているせいか、誰もそのことを言及しない。
「時間なんか気にしていたら、楽しめるものも楽しめないさ」
と言わんばかりである。
矢吹は、卒業してから、皆も自分と同じ時間を過ごしてきたのか疑問だった。自分とだけではない。皆それぞれの時間を持っていて。その時間の中で過ごしてきた。人と関わっている時間だけは時間を共有していて、一緒にいる時間の長かった人は、同じように年齢を重ねているだけのことなのかも知れないと思った。
時間の違いは次元の違いであり、一般的に言われている三次元の世界に時間を加えると四次元の世界というものになるのだろうが、矢吹は四次元の世界というのは、人によって違うものではないかとも思うようになった。
それを人に話すと、
「そうじゃないさ。今こうやっている次の瞬間にgは無限の可能性が秘めている。それをどう進むかが違っているだけで、それをパラレルワールドというのではないかな・ つまりは今こうやって話をしていても、次の瞬間には、今まで違う次元にいた相手と話をしているということになる」
「そんなことってありなのかな?」
「ありなんじゃないか? 次元が違っても同じ人間なんだ。同じ人間は一つの並列した時間では多次元で存在することができないと考えると、十分に理屈としては成立するのではないか?」
と言われた。
「そんなに都合のいいものなのかな?」
「世の中には理屈で片のつかないことは多いだろう? それは限界のある考えをしているからさ。つまりは人間には限界があるということを誰もが暗黙の了解で理解しているからではないか」
と言っていた。
これはかなり昔に聞いたことだったが、改めて思い出すと、その発想はありえないことではない。むしろ今考えている発想の根源は、あの時のこの話にあったのだと思うと、何となく理解できる気がした。
矢吹はフリーライターになって野性的になった。それまでの自分が閉鎖的な考え方を持っていたことを自覚するようになったのだが、だからと言って、それからの自分が開放的になったというわけではない。むしろ、自分の殻に閉じこもったと言ってもいいくらいになっていた。
それまでと違って行動パターンも変わっていた。それまではあまり行ったことがなかったスナックにも顔を出すようになり、馴染みの店のママさんとは昵懇の中になった。今思い出す昔に聞いた話のほとんどは、その時スナックで聞いた話がほとんどだったような気がする。
そういえば、そのスナックの中で、一人の老人がふらっとやってきたことがあった。その老人はその時だけにしか会ったことはなかったが、ママに聞くと、
「時々来ているわよ。でもなぜか矢吹さんとは会うことがないの。まるでどちらかが避けているかのような感じだわ」
それを聞いた時、
「まるで磁石の同極が反発しあうような感じだな」
というと、
「まさにその通りよ」
と言われた。
その老人の話で気になったのは、
「この店では、時間の流れが他とは違っているんだよ」
「どういうことです?」
「ここでは時間の流れが表に比べれば早いのさ。だから、ここでは私はみすぼらしい老人になっているけど、表に出るときっと君には私を見つけることはできないんじゃないかな?」
と言って笑っていた。
「じゃあ、俺もあなたには分からないんでしょうね?」
と聞くと、
「そうかも知れないが、どうでもないかも知れない」
と、曖昧な答えになった。
矢吹はそれに対してそれ以上触れることはなかった。どこかバカバカしいと思いながらも、この妙な話をいずれ思い出すことがあるような気がしたからだ。
――この話は、明日になったら忘れている――
まだそんなに物忘れの激しくなかった頃なので、翌日に忘れるということはあまり考えられなかったが、その時には確かにそう感じ、実際に翌日には忘れてしまっていたことを思い出した今、感じたのだ、
この同窓会の中にも、同じような思いをした人がいるような気がしたが、あるとすれば星野ではないかと思った。星野には、どこか他の人と違っているような気がした。最初に話しかけてくれたからそう思うのかも知れないが、それだけではないようだ。
彼は地元大手の営業部長にまでなった男なので、人に気を遣うことには長けている。しかし、彼が矢吹に対しての態度には気遣いというよりも、矢吹の本性を垣間見ようという貪欲さが感じられた。貪欲と言ってもそれほどドロドロしたものではなく、
「分かりたい」
という気持ちが前面に出ていることが一番だった。
坂田は喫茶店を開いていると言っていたが、それは親の残してくれた店を継いだということだった。星野はその店の常連らしいが、一度二人で坂田の店に行ってみようということになった。坂田は数年前に奥さんとは離婚していて、子供もいない。一人で孤独だったということを星野から聞いたが、境遇の違いから、矢吹にはその気持ちを分かりかねていた。
矢吹は最近感じたことを星野に話した。ロボット工学のことやパラレルワールドなどの話をすると、星野は結構乗ってくれた。坂田も隣で話を聞いていたが、次第についてこれなくなってしまったのか、露骨に挙動が不審になってきた。同じことを繰り返してみたり、矢吹にとっては、逆にその行動は自分が観察するには、いい材料のように思えたくらいだった。
星野は話を聞いて、
「それはもっともだ」
と感心してくれた。
どうやら、彼も同じようなことを考えることが多かったようで、それだけでも今日矢吹を会えたことを喜んでいるようだった。
――一人でも喜んでくれてよかった。来た甲斐があったというものだな――
と感じた。
「少し待ってくれないか?」
と言って、星野は少し中座した・
矢吹と坂田はたいして気にすることもなく会話を楽しんでいたが、ほどなく星野が帰ってきて、
「娘と電話していたんだ」
と星野は嬉しそうに言った。
矢吹は反射的に坂田の顔を見た。坂田は離婚経験があり、子供がいなかった。もし子供がいたら、露骨に嫌な顔をするのではないかと思ったが、子供がいないだけにその心境は微妙で、どのようなリアクションをするのかは心配だというよりも、興味があったという方が強いだろう。
矢吹の興味に対してさほどの反応を示さなかったことで、ホッとした矢吹だったが、反応を示さないということは無表情だったということであり、坂田の本心がどこにあるのか分からないだけに、不安にも感じていた。
「お嬢さんは何て?」
少ししてから声を掛けたのは坂田だった。
時間が経ってしまうと少し精神的に落ち着いたのか、様子を聞いてみた。星野の様子からは、嬉しそうな表情は電話をしにいく最初だけで、後はなるべく気持ちを顔に出さないようにしているのか、少し難しい表情になっていた。
「ああ、もう少ししたらここに来るっていうんだ」
「それは一緒に帰ろうということなのかな?」
と矢吹がいうと、
「そうなのかも知れないな」
と星野が答える。
星野の様子が少し変わってしまったことを不思議に感じた矢吹は、この話題をここで終わらせてしまってもいいのかと思った。
「今まで娘は俺に対してほとんど関心がなかったんだ。今日電話をしたのは、娘から会の終わり頃に電話がほしいと言われたからであって、最初は何か怖い気がしたが、それ以上に娘の言葉が嬉しくて、手放しとはいかないが、まずは素直に喜びたいと思ったのが、さっきの俺の顔だったんだ」
「でも、今は少し複雑な表情になっていないかい?」
と坂田がいうと、
「ああ、そうなんだ。まさか娘がここに来るなんて言うとは思っていなかったので、少し戸惑っている」
「それは、お嬢さんを皆に知られたくないからなのかい? それとも、皆をお嬢さんに見せたくない?」
と今度は矢吹が聞いた。
「そのどちらでもあると思うんだ。俺に対してずっと無関心で来た娘がどんな心境の変化なのか分からないが、同窓会という俺ですら久しぶりの連中に会う場所に赴くというのは、娘がどんな思いになるのか疑問だろう?」
「確かにそうだよな。でも、娘を皆に知られたくないという思いは、お嬢さんに何か問題でもあるのかい?」
坂田はやはりそちらの方が気になるようだ。
「そういうわけではないんだが、皆が娘をどんな目で見るかが怖い気もするんだ。皆は俺の学生時代しか知らないだろう? だから余計に好奇の目で見ると思うんだ。娘のようにまだ若い女の子にまったく知らない人のそんな視線を浴びると思うと、少し怖いんだよな」
「それは、親バカじゃないのかい?」
「そうかも知れないが、何か不安なんだ」
「だけど、それは娘さんが感じる思いというよりも、星野自身の中で、娘さんがどんな顔になるかを想像できないことが怖いんじゃないかい?」
「うん、それが親バカと言われるゆえんなんだろうな」
と星野はそう言って、少しうな垂れた。
「大丈夫だ。心配することはない」
そう言って、坂田は楽天的にそう答えた。
そのうち、少ししてから一人の女の子が、彼氏と思しき男性を連れて現れた。その男性は彼女よりもかなり年齢が上に見えた。年齢的には四十代くらいであろうか?
「こんにちは」
その男は少しハスキーな声で答えたが、男性が聞いてもドキッとするほどの美声だった。よく見ると野性的に見えるその顔の奥には、配列の整った顔の部位から、
「若い頃は美少年と言われていたのではないか?」
という様相だった。
「この方は?」
星野の声は震えていた。
「彼氏」
そう答える娘の顔を覗き込んだ矢吹は驚愕した。
そこにいるのは、この間知り合った綾香ではないか。数日前に喫茶店で話をしただけだったが、あの時には彼氏がいるような素振りは感じさせなかった。今日はあの人は少し違い、化粧も施していて、いかにもデート中というイメージを漂わせていて、相手の男性はそんな彼女の横にいるだけで、余計なことを話す雰囲気はなかった。
「星野。この方がお前のお嬢さんなのかい?」
と坂田が聞いて、
「ああ、そうだ。娘の綾香だ」
――やはり、あの時の綾香ちゃんだ――
と矢吹は間違いないと思った。
「お前はこの人と付き合っているのか?」
「ええ、この間知り合ったんだけど、この人といると、私が成長できる気がするのよ」
「まさか結婚なんか考えているわけではないよな?」
いきなり結婚というワードが星野の口から出てきてビックリしたが、親とすればそれも仕方のないことなのかも知れない。
「そこまではまだ考えていないわ。私は今、この人の過去に興味があって、遡っていく過去に興味があるの」
「どういうことだい?」
「この人自身は、自分のことでは時間に逆らうことはできないでしょう? でも、私は逆に時間を遡ることしかできないの。そこでお互いに歩み寄ることができて、接点を見つけることができれば素晴らしいことだと思うの。そんなことを彼は私に教えてくれたのよ」
と綾香は言った。
矢吹は、この間綾香と話をした時、彼女が似たような感覚になっているのを分かっていたような気がした。
「この人はまだこれからの人だと思うの。ひょっとするとこの時代で輝くには私の存在が必要なんじゃないかってね。そして彼が輝くと、私も同じように輝くの。彼の光を浴びて輝くことができれば、それはそれで素晴らしいと思うの」
「どうしてそんな風に思うんだい?」
「私は文章を書くことが好きなの。自分で描いたイメージが文章になる。最低限の法則やマナーさえ守れば、自分の世界をいくらでも形成することができる。それを実現するには、私が他の人を輝かせる素材である必要があると思うのね。だから私はこの人とお付き合いをして、自分というものを見つけたいのよ」
それを聞いて星野は黙り込んだ。
「でも、どうしてこの場所でわざわざそれを言う必要があるんだい? お父さんと二人きりの時か、彼を交えた三人だけでもいいんじゃないのかな? それとも俺たちに証人になってほしいという思いがあったのかな?」
「そういうわけでもないんだけど」
と言って綾香は矢吹を見た。
「お父さんが今日、同窓会に出席をすることは知っていたの。そして矢吹さんが今日、ここに来るということも、この間のお話で分かっていたのよ」
あの時、綾香と同窓会の話まで調子に乗ってしたのかも知れないが、今となっては、矢吹も覚えていなかった。
「矢吹は娘を知っているのかい?」
「ああ、この間、偶然入った喫茶店で話をしたんだ。ライターになりたいということで、フリーライターの俺と話が合ってね」
「あの時の矢吹さんのお考えを聞かせていただいて、私は感心しました」
あの時どんな話をしたのか覚えていないが、自分の中で想像しただけだと思っていたことも口にしていたのかも知れないと思った。
「彼ね。矢吹さんに似たところがあるの。話をしていると、矢吹さんとお話をしているような錯覚を覚えるくらいにね」
そういう話を聞くと矢吹は思わず彼の顔を見た。
――そういえば、俺の四十代前半って、こんな感じだったような気もするな――
と思った。
「そうか、綾香は彼に十年くらい前の矢吹を見たんだな?」
と星野は言った。
星野は何かを悟ったような気がしていたが、矢吹には半分分かった気がしたが、半分はどこか煮え切らない気分がした。
その時、
「矢吹さん、お久しぶり」
と言って、一人の女性が声を掛けてきた。
彼女は同窓会にはふさわしくない若い年齢だったが、
「私を覚えていないの?」
「えっ?」
その人の年齢はそろそろ三十歳くらいと言ってもいいだろうか?
少しあどけなさの残る笑顔にえくぼが浮かんでいる。それは懐かしさで胸がキュンとなるくらいだった。
「確か、もう十年ぶりくらいになるのかな?」
まわりのメンバーはキョトンとしているが、星野だけは何か信じられないという表情だった。
「綾香……」
星野はボソッと呟いた。
「えっ?」
それを聞いた矢吹は一瞬目に閃光が走ったかと思うと目を閉じた。目を開けた瞬間、自分が若返っているのを感じ、目の前の女性が誰だったのか思い出した。
――あれも確か喫茶店で一人窓の外を眺めていた時、俺の視線に気付いて入ってきてくれて、話をしたことがあったあの時の女性――
十年という時がまるで昨日のことのように思い出された。次の瞬間には無限の可能性を秘めているこの世界で、十年という気が遠くなるような時間を巡らせることで舞い戻ってきた可能性の合致、矢吹はそう感じた。
目の前の彼女はもちろん、綾香ではない。そして、綾香と一緒にいる男性は十年前の自分でもない。時間の歪みがもたらした偶然による偶然。
「人の意識が時間を左右するという瞬間が存在するのだ」
それが偶然という言葉の定義なのだと思うと、この現象は決して不思議なことではないと矢吹は思った。
矢吹は同窓会の会場を一瞥した。
その中で一人遠くの方で一人の老人がこちらを見ている。その老人は一人で佇んでいるが、決してみすぼらしいわけでも哀愁が漂っているわけでもない。どのように表現していいのか分からないが、
――その老人は将来の自分なのではないか?
と感じた。
そしてその老人は矢吹にしか見ることができない。なぜならそれが自分の将来だからである。
この世の中で見ることができるものは、現在か過去しかない。もし未来が見えたのだとしても、それは自分にしか見ることのできないもので、決して他の人の視線ではありえない。
矢吹はそんなことを考えながら目の前に女性を見つめた。ニッコリと笑ってくれた彼女の姿が、果たしてまわりの人、星野や綾香、そして坂田に見えたのであろうか?
それは謎であり、敢えて矢吹はその謎を追求しようとは思わなかったのだ……。
( 完 )
意識が時間を左右する 森本 晃次 @kakku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます