第2話 綾香との出会い

 その日も朝から出かけるつもりで前の日から用意をして、朝慌てることなく出かけられるようにしていた。あまり整理整頓が得意なわけでもなく、朝の慌ただしさが嫌いな矢吹には、これくらい用意周到な方がよかった。朝の喧騒とした雰囲気は、学生時代から嫌いだった。別に眠いからだというわけではない。まるで働きバチのように、朝から皆が黙々と同じような行動を取っているのを見るのが嫌で、しかも自分もその中の一人だと思うことが一番嫌な理由だった。

 朝、少し早めに出かけて、早めの電車に乗って出版社のある駅までいく。そしてその駅にあるカフェでモーニングを食べるのがいつもの行動だった。

「いや、待てよ」

 そういえば、先週の月曜日も同じように出版社に行ったのだが、その時電車を降りて駅前のカフェに寄ろうとした時、その店が改装工事のために閉まっていたのを思い出した。ガラス窓に貼り紙がしてあって、リニューアルオープンには一か月近く掛かるということだった。そのことを駅への道を歩きながら思い出した矢吹は、予定の変更を余儀なくされた。

「どうしようかな?」

 と思った時、自分がこれから乗る駅の近くに喫茶店があり、そこにもモーニングがあるのを思い出した。実は以前から気になっていた店であり、これを機会に行ってみるのもいいかも知れないと思ったのだ。

 元々、起きてすぐには食べられないことから家で食べずに表で食べることが多い矢吹は、そそくさと用意して家を出るまで起きてからそれほど時間を費やすことはない。だから家を出てから駅までの徒歩の間にちょうどいい塩梅で目が覚める。徒歩という適度な運動が、それまで受け付けなかった胃袋を活性化させ、空腹状態に持って行った。

 そういう意味で、朝の一番空腹な状態の時は、駅前に差し掛かったあたりであった。それから少し空腹を我慢しながら電車を待っていると、そのうちに慣れてきて、電車に乗る頃には空腹にも慣れてくるというものだ。その間が約十分、他の人との比較では分からないが、この時間が長いのか短いのか、矢吹には分からなかった。

 だから、その店のことが気になっていたのである。それでも先に電車に乗るのは、先に食事を済ませて電車に乗ると、時間的に朝のラッシュのピーク時間にちょうど当たってしまうからで、それを避けるという意味と、お腹が満たされた状態で、電車に揺られるというのが想像しているよりもきついことだと感じたからだ。しかもまず座ることのできないラッシュの時間、いろいろな異臭が漂っていないとも限らないので、気持ち悪くなる可能性が限りなく高いと感じた。

 矢吹はそういう意味で結構理論的にものを考える方だった。それはきっと教師をやっていた頃からの癖なのかも知れない。いや、癖だというのであれば、教師を目指すようになってからのことであろう。成長期に身に付いた癖は、そう簡単に抜けるものではないと思えた。

「それならもっと遅く家を出てくればよかった」

 別に朝の出勤時間にキッチリ合わせて出版社に行かなければいけないわけではない。ただ、フリーとして雇ってくれ、そして今でも契約を続けている出版社に対しての最低限の礼儀だと思っているからだ。それに朝早く行動して、早くフリーな時間を作り、その日を有意義に過ごそうという気持ちもあった。中途半端な時間に訪問しないのもそれが理由だった。

「皆が出払った後に行ってもね」

 という気持ちもあった。

 月曜日だから、社員の出社率は高いだろう。そしてその週の計画を会社に報告して出かけることになるだろうから、午後十時くらいまでは人がいるだろう。それまでに行けばいいのだが、それだと中途半端だと思うのは、

「喧騒とした雰囲気の中に途中から飛び込むこと」

 それを嫌ったからだった。

 その日は駅までの道中で、いつもと行動を変えなければいけないということに気付いたことで、それまでとは違った感情を抱くようになった。そのためか、いつもと同じ風景を見ているはずなのに、何かが違っているように見えたのは、矢吹の気のせいだったのだろうか。

 駅の手前に目指す喫茶店はあった。カフェだと思っていたが、チェーン店のカフェとは少し違い、店内はシックな感じだった。

 それは表から横目に見たのでは分からないもので、どうして今までそのことに気付かなかったのか、不思議で仕方がなかった。しいて言えば、気にはなっている店ではあったが、よほどのことがない限り立ち寄ることはないという先入観から、

――あまり興味の持てる店ではないんだ――

 という自己暗示を自分に掛けていたのかも知れない。

 その店は二階に上がっていく店で、アーケードの残る商店街の一番端に位置していた。狭い階段を上がると、そこには小さな自動ドアがあり、中に入ると、すぐに目についたのは、大きな植木鉢に植わった観葉植物だった。

 この瞬間から、古風な喫茶店の様相を呈していると確信した。観葉植物を横目に見ながら中に入ると、全体的に暗い照明の中で、まばらな客が思い思いの行動をしているのが見えた。

 奥の窓際の席に腰かけた矢吹だったが、最初から窓際しか見ていなかった。まわりの雰囲気を流し目で見るようにしてそそくさと奥のテーブル席に腰かけた矢吹は、そこから見下ろした光景に少し感心していた。

 アーケードの切れ目のようなところに人知れずという雰囲気で存在している喫茶店、どうしてここが喫茶店なのかということが分かったのかというと、商店街の通りを歩いていると、二階の少し大きめのガラス張りのスペースにテーブル席が見えたからだ。満席のことはほとんどなく、いつも二、三人だけが下を見下ろしているか、携帯をいじっているかなどの思い思いの行動をしている。そんな状態を見ていたので、カフェだと思っていたのかも知れない。

 下から見ている時は、まるで手が届くくらいに近く感じられたテーブル席だったのに、テーブル席から逆に下を見下ろすと、想像していたよりも通りが遠く感じられた。上を見上げるのと、上から見下ろすのでは、見下ろす方が遠くに感じられるという錯覚は想定内のことだった。しかし、想定を考慮に入れても、今見ている光景は矢吹にとって想定外のことだった。ここまででかなり自分の想定していたことと違ってきていることを思うと、その日は普段と違って特別なのかも知れないと感じた矢吹だった。

 普段立ち寄る、出棺者の最寄りの駅前にあるカフェとはまったく違っていた。カフェの方は全体的に店内は明るく、客もそれなりにいるのだが、画期という意味ではまったく感じられない。ザワザワとした喧騒にも似た雰囲気はあるが。それは自分の錯覚によるものではないかと思うほどで、朝の雰囲気がそんな気分にさせるのかも知れない。

 しかし、この喫茶店は少し趣が違っていた。

 最初から店内は薄暗く、騒々しさは皆無に思われた。木造の黒みがかった柱や壁が、音を吸収しているのかも知れない。

 しかも、漂ってくる香ばしいコーヒーの香りは、暖かさとともに湿気を運んでいるように思えた。

 その湿気が音を吸収し、しかも壁が反射を許さない。まるで音響効果の聞いた演奏室のような感じがするくらいだった。

 流れている音楽もクラシックだった。

 いつものカフェは軽音楽を流していて、重厚さという意味でもまったく違った雰囲気を醸し出しているのだ。

 テーブル席に座って表を眺めていると、

「いらっしゃいませ。何にいたしますか?」

 と、一人の女の子が注文を聞きにきてくれた。

 大学生くらいであろうか、アルバイトの雰囲気があり、後ろで結んだ髪が彼女のスリムな身体を演出しているようで、店に入って初めてほっこりした気分にさせられた。

 少し小柄な身体に真っ赤なエプロンが似合っていて、一見この店の雰囲気に似合いそうもない感じだったが、逆に彼女がいることが店の雰囲気を偏ったものにしない効果があるのだと思うと、それも正解なのかと思った。

 中には、この店の偏った雰囲気が好きな人もいるかも知れない。だが、そんな人にも彼女の笑顔は癒しとして受け取ることができれば、偏ったままの雰囲気を維持しつつ、彼女からの癒しを受けることができるのではないかと思うと、なぜか納得が行く矢吹だった。

「じゃあ、サンドイッチのモーニングを」

 と注文すると、

「かしこまりました」

 と言って、踵を返した。

 その時にこちらに向けた彼女の笑顔に、矢吹は初めて癒しを感じた。その癒しはここ数年。いやもっとかもしれないが、感じたことのなかったものだった。

 その思いを抱いたことそれだけで、その日一日が今までと違っているだろうと思うようになった。

 椅子に座っているのに、腰が勝手に浮いてくるような感覚だ。椅子に触れているお尻の部分がむず痒く感じる。その思いが心地よくて、それが癒しを形にしたものだという気持ちにさせるのだった。

 普段はトーストのモーニングが多い矢吹だったが、メニューを見た時最初に目に入ったのが、おいしそうなサンドイッチだった。

 これと言って何の変哲もないメニュー写真だったのだが、どうしてサンドイッチが最初に目に入ったのか、そしてサンドイッチから目が離せなか卯なっていたのか分からなかったが、

「今日の気分がサンドイッチ」

 と思ったのは間違いのないことだった。

「ひょっとすると、サンドイッチのそばに置かれていたサラダが気になったのかも知れない」

 普段は、あまり生野菜と摂る方ではない。出版社の近くの喫茶店でのトーストモーニングにも、ちょっとだけ生野菜のサラダがついているが、別においしいと思って食べているわけではない。

「これもお金のうちだから」

 という思いが強いだけだった。

 いわゆる惰性と言ってもいいレベルの感覚だったのだ。

 それなのに、この店で見たサラダは実においしそうに見えた。目の錯覚に違いないと思ったが、それならそれで食べてみる価値は十分にあると思った。あまり過度の期待をしてはいけないのだろうが、一旦感じてしまったことを、矛を収めるように元に戻すことなどできるはずもなく、衝動には衝動で感じるしかないと思ったのだ。

 料理が運ばれてくるまで下を通っている人を眺めていたが、思ったよりも人が多いことにビックリしていた。普通に歩いている分には、ここまで人の多さが分からない。きっと真上から全体を見るような構図とでは、明らかに見える感覚が違っているからに違いなかった。

 下ばかりを見ていたが、少しして今度は少し向こうを見てみようと思うと、ちょうどこの店がアーケードの切れ目に位置していることもあって、アーケードの切れ目から向こうの光景がハッキリと見えている。遠くの山まで続いている住宅街、その途中に点在しているマンションを見ていると、この街が中途半端な都会であるということにいまさらながらに気付かされた気がした。

「あれが駅かな?」

 歩いているとあっという間に感じる駅であったが、こうやって上から見ると、想像しているよりも遠くに感じられた。これも目の錯覚の一種なのだろうが、今日はこれからどれだけの目の錯覚に気付かされるかと思うと、ドキドキするやら、複雑な気持ちになってきた。

「お待たせしました」

 ちょうどいいタイミングに彼女が声を掛けてくれたように思えたのは、窓の外に自分の意識がすべて行ってしまったのではないかと感じたからだ。

 その時、それまで感じなかった窓ガラスに写る店内の光景に初めて気が付いた。そこに写っているのは、自分の姿と立っているウエイトレスの女の子だった。影のように顔が分からないのっぺらぼうになっているのは、店内の照明から逆光になっているからだというのは分かっていたが、あれだけ暗いと思っていた店内の逆光なのに、ここまで顔が影になっているなど、想像もしていなかった。

 彼女は思っていたよりも背が低く感じられる。下から見上げた時はもっと背が高かったように思えたのだが、ガラスに写っているその姿は想像よりも背が低い。

――待てよ――

 さっきの自分の理論では、見上げる方が近くに感じられるはずだというものだったはずなのに、あの時は背が高く感じたということは、遠くに見えていたということになるはずなのに、どうして窓ガラスに写っている姿を見て、さっきよりも背が低いと感じるのであろうか?

 それを思うと、自分の感性が少し狂っているのかも知れないと思った。それは、この場所が特殊だからだというよりも、どちらかというと、初めて入った店なので、しかも錯覚を覚えることが今日は多いと最初に感じたからなのかということではないかと思うようになっていた。

 表を見ながらまずコーヒーを口に含んだ。元々はブラック派であったが、その日はいつもよりも寒いのもあってか、甘さがほしくなり、砂糖をスプーン一杯だけ入れて飲んだ。

「なかなかおいしいな」

 スプーン一杯だけではあったが、いつものブラックに比べて、コクが感じられたのは気のせいであろうか。砂糖の甘みが口の中で広がって、まろやかさを味わえたのかも知れない。

 相変わらずアーケードを見下ろしていたが、一人の女の子はこちらを見ながら歩いてくるのが見えた。もちろん自分を見ていたわけではないのだろうが、目が合った気がした。思わず会釈した矢吹に対し、彼女もつられるように絵球を下げた。矢吹を意識したからであろうか。

 彼女はビックリするわけでもなく、すぐに正面を見て歩き始めた。そして、この店に入ってこようというのか、すぐ下から通路の影に消えた。まもなくして入り口の自動ドアが開いて、果たしてそこに姿を現したのは、今下にいた彼女だった。店内を見渡していたようだが、矢吹に気付いて近づいてきた。そして、矢吹の前に唐突に立った。

「こちら、よろしいですか?」

 と彼女は言った。

「いいですよ」

 と答えた矢吹は店内を再度見渡したが、他に空いている席は結構あった。

 にも関わらずわざわざ自分のところに来たというのは、何か理由があるのだろうか。矢吹は彼女の顔を見て自分の中の記憶を呼び起こそうとしたが無理だった。

 元々人の顔を覚えるのは苦手だったが、それでも思い出そうとしたのは、彼女の雰囲気に、

――どこかで会ったことがあったような気がする――

 という予感めいたものを感じたからだ。

 覚えられないという自覚があるので、確信というのはありえない。それなのに気になってしまうのは、本当にどこかで会ったのかも知れないという思いが強かったからなのかも知れない。

 矢吹は仕事上、若い人と話もするが、それはあくまでも仕事上のことで、仕事以外で若い人と話をするということは今では皆無に近かった。

 仕事においても、最近では同年代か、それ以上の相手の人が中心の取材が多いので、余計に若い人を前にすると、何を話していいのか分からない。仕事であれば、相手のことを事前に調べているので、どういう会話になるかなど、ある程度は予想できるというものだ。しかし、唐突に話しかけられたのであれば、シチュエーションなどまったく関係なく、戸惑うだけである。どうしていいのか分からなくなっていた。

 彼女は矢吹の前の席に腰かけた。それを見たウエイトレスの女性が水を持ってやってきて、注文を聞いた。

「じゃあ、同じものを」

 と彼女は、矢吹の顔を凝視しながら、そう言った。

 その顔には笑みすら浮かんでいて、矢吹は一瞬ゾッとしたのを覚えている。

――ヘビに睨まれたカエルって、こんな感じなのかな?

 と思うと、背筋に気持ちの悪い汗が滲んでいるのを感じた。

 今まで掛かったことがなかった金縛りに、今掛かっているという感覚である。彼女は目の前に置かれたコップの水を半分ほど飲み干すと、意を決したかのように話し始めた。

「私、坂田綾香って言います。よろしくね」

 と、相変わらずの目力で凝視してくる。

 彼女にある目力というのは、大きな目で見つめられて、吸い込まれるような雰囲気ではない。目は比較的細い感じで、吸い込まれるというよりも、見つめられるとその目から視線を逸らすことができないという気持ちだ。きっと、彼女に見つめられるとどこにいてもすぐに見つかってしまうような気がする。いわゆるロックオンされてしまったという感じだと言えばいいだろうか。

「僕は矢吹次郎と言いますが、どこかでお会いしたことありましたか?」

 というと、

「いいえ、初めてだと思います」

「こんな老けたおじさんに話しかけてくるんだから、知っている人なのかと思いましたよ」

 というと、

「私はおじさんが好きですからね」

 と言って不敵に笑った。

 その笑みは妖艶にも見えたが、別に誘っているようには思えなかった。それは彼女のまだあどけなさの残る顔には似合わないはずの妖艶さに、違和感がなかったからなのかも知れない。

 矢吹は苦笑いを浮かべたが、自分には苦笑いは似合わないことを自覚していたので、すぐに真顔に戻った。それを相手が気付いたのかどうか分からなかったが、綾香の視線は相変わらず矢吹を見つめている。

「さっき、私が商店街の通路を見ている時に目が合いましたよね?」

「ええ」

「あの時から私に興味を持ったんですか?」

「いいえ、実は私はあなたがどこの誰なのか知っているんですよ」

 その言葉は矢吹を驚かせたが、すぐに自分が綾香を初めて見たのではないような気がしたのを思い出し、それほどの驚きを示さなかった。

「落ち着いていらっしゃるんですね?」

 それが、あまり驚いていない矢吹に対して言った言葉なのか、それとも全体的な雰囲気から感じたことから出た言葉なのか、すぐには分からなかった矢吹だった。

「落ち着いているというのは、年齢的にそう見えるだけなのかも知れませんよ」

 と、矢吹はあくまでも相手との年齢的な違いを絶えず言葉に込めることで、相手にどういう意図があるのかを探っているつもりだった。

「だから、おじさんが好きなんです」

 年齢的な意識を過剰なまでに持っていたその時の矢吹を嘲笑うかのように綾香はそう答えた。

 それは偏ってしまいそうな話を偏らないように制御しているかのようで、矢吹は綾香が巧みに誘導しているようで、

――落ち着いているのは、あなたの方ですよ――

 と、心の中で呟いていた。

「おじさんが好きと言っても、すべてのおじさんが好きだというわけではないでしょう?」

 すべてのおじさんが好きだというよりも、どうせなら、

「あなたのようなおじさんが好き」

 と言われた方が嬉しいのは、矢吹だけではないだろう。

「もちろん、そうですよ。私が好きなおじさんのパターンは決まっていますからね。誰でもいいというわけではありません」

「じゃあ、同年代や、少し年上の男性はどうなんですか?」

 と聞くと、

「私は今、女子大の一年生なんですけど、まだ未成年なんです。もうすぐ大人の仲間入りだという意識が芽生えてから、おじさんへの意識が生まれてきました。それまでは自分よりも五つ以上年上の男性は、恋愛対象としてはまったく見ていなかったんです」

「それはそうでしょうね。おじさんが好きだという女性を私も何人か見てきましたけど、私が知っている人も皆、最初からおじさんが好きだったわけではなく、ある程度の年齢に達してからおじさんが好きになったということなんです。もちろん、きっかけは人それぞれなので、年齢的にも個人差はありますけどね」

 と矢吹は答えた。

「おじさんに対して、憧れのようなものを持っているんです。自分にない感覚や感性を持っているところにも感心しますし、憧れというよりも、尊敬と言った方がいいかも知れませんね」

 矢吹は自分が教師をしていた時のことを思い出した。学校で女生徒が自分を見る目に憧れを感じたことが何度かあったが、

「生徒とは恋愛できない」

 というジレンマに襲われなかったと言えばウソになる。

 むしろ、そのジレンマに襲われたことが、最初に教師というものに対して感じた理不尽さだったと言っても過言ではないだろう。

――いくら教師と生徒であっても、その前に男と女なのだから、一緒にいれば憧れから恋愛感情になったとしても、それは仕方がないんじゃないか?

 という思いだった。

 矢吹は教員時代、好きになった女の子がいた。彼女も矢吹を意識していた。それは視線でよく分かったのだ。

――ひょっとすると、相手の視線に気づいたから、俺も相手を好きになったのかも知れない――

 という思いに駆られたが、それもウソではないだろう。

「好きになられたから好きになる」

 という考えも、恋愛では普通にあること、それをいい悪いという尺度で図ることはできないと思っていた。

 お互いに思いを告白する前に彼女は卒業し、それ以降、矢吹の前に現れることはなかったので、すぐに彼女を忘れることができたが、今から思えば、彼女の在学中は、彼女の呪縛に掛かっていたかのような錯覚を覚えた。

 ただ、矢吹の中で女生徒との間には、れっきとした結界が存在することを知った気がした。その結界は見えないが絶対に存在している。超えることのできない結界ではあるが、何かのきっかけで敗れることがある。微妙なタイミングによるものなのだろうが、結界が破けたことはその人にとっていいことではなく、災いしかもたらさない。だからこそ、

「破ってはいけない結界」

 と言えるのではないだろうか。

 ただ、その結界を破って悲惨な末路を迎えた人の話はたくさん聞く。そんな人たちの存在がたくさんあればあるほど、影に隠れた、つまりは結界を破ることのできなかった未遂と言える恋愛劇は、その何倍にも及んでいることを示しているのだろう。

 そう思うと、ゾッとするものを感じた。

 別件で教職を追われたが、一歩間違っていると、それよりも前に生徒との関係というご法度にて、教職から追われていたかも知れない。どちらがよかったのかなど今となってはすべてが結果論であるが、矢吹には分からなかった。

 だが一つ言えることは、

「これでよかった」

 と思うことだ。

 もし、女生徒との関係で教職を追われていれば、今のようなフリーライターをやっていたかどうかも分からない。

「フリーライターがベストの人生だ」

 というつもりはないが、少なくとも後悔したことはなかった。

 むしろ天職とでもいえるのではないかと思うほどで、南郷との出会いも実にいいタイミングでの出会いだったと思っている。

 ふと、南郷の顔を思い出していた。

 仕事中、彼がどんな顔をしているのかあまり分からない。なぜなら彼は仕事中は、いつもファインダー越しにこちらを見ているのであって、決して表情を確認することはできなかった。

 ただ彼の撮った写真を見れば、その時の彼の心情は分かる気がする。

――いつも優しそうな写真だな――

 と感じたからだ。

 その写真には包容力のようなものが感じられ、言葉だけの味気なさに、彼の撮った写真が息吹を与えてくれているように思えたからだ。

「やっぱり、写真の効果ってすごいよな」

 というと、照れながら、

「そうだろう。そうだろう」

 と嬉しそうな表情になる南郷を思い出していた。

「君は僕をおじさんとして気になったから、声を掛けたんじゃないということだね?」

「ええ、おじさんがフリーライターだということも知っていますよ。だから興味を持ったと言ってもいいかも知れませんね」

「君はフリーライターに興味があるのかい?」

「私は、元々アイドルを目指していたんです。だけど、途中で週刊誌やワイドショーを見ていて、アイドルに幻滅したというか、自分にはできないことだと思うようになったんです」

「なるほど、確かに週刊誌の記事やワイドショーなどではアイドルに何かあれば、皆で寄ってたかって叩くというのを目の当たりにすると、嫌気がさすのも分かる気がするよ」

「ええ、そうなんです。私には耐えられないと思いました。でも、アイドルが嫌だというわけではないんです。一部のマスコミの過熱が悪いんであって……。しかもそれはマスコミが悪いというより、よくよく考えてみると、それを見たがる世間があるから、商売になっているんですよね。そういう風潮が嫌だと言えばいいんでしょうか」

 綾香の話を聞いていれば、結構深くまで考えていて、

「大人の発想、大人の判断」

 を感じさせた。

 だから余計に可愛げのなさも見ることができ、

――彼女の中にどこか冷めた部分が見え隠れしているように見える――

 と感じさせたのだ。

 最初から矢吹は綾香を一方向から見ていないということを、自覚していたのかも知れない。

「週刊誌やそれを書いている記者に興味を持ったのかい?」

「ええ、元々文章を書くのも好きだったんです。小学校の頃は作文では結構いい点数を貰っていたこともあり、中学になると、国語の先生から、

「お前は文章を書く仕事に就くのもいいかも知れないなと言われたこともありました。でも当時の私は、艶やかな世界に憧れていたんですね。友達と一緒になってアイドルばかりを見てきたので、アイドルを目指したいという気持ちの他には、あまり考えることはなかったんです」

 そう言ってガラス窓から下を眺めていたが、その時には決して矢吹を見ようとしなかった綾香だった。

「そうなんだね。でも、大人になるにつれて、現実というものが見えるようになって、理不尽さや不自由さが何か自分の中で疑問にでも感じるようになったということかな?」

「ええ、その通りなんです。アイドルには結構なタブーがあるようで、特に今では常識になっている恋愛禁止なんていうタブーは、どうしてなのかって疑問に思います」

「綾香ちゃんは、恋愛をしたかったのか?」

「そういうわけではないんですが、最初から拘束されてしまうと、身動きがとれくなりそうで、せっかく自分の可能性をこれから試そうと思っているのに、最初からいろいろな戒めがあったりするのはどうかって思うんですよ」

「なるほど、それは確かにそうかも知れないね」

「ええ、でも、それだけではなくて、アイドルって負ループになっていて、グループ内での争いというのがあるでしょう? あれも私にはどうにも疑問なんですよ」

「なかなか難しいよね」

「今のアイドルの考え方でいいと思うところもあるんですよ。例えば、アイドルグループに所属しながら、将来のために資格を取ったり、いろいろな勉強をしたりってあるでしょう? あの考えには私も賛成なんです」

「確かにそれはあるでしょうね。昔のアイドルは引退してからどうするかということまで事務所が考えてくれないというのもあったかも知れないしね。もちろん、事務所にもよるんだろうけどね」

「ええ、使い捨てで終わりたくないというのは誰もが思うことでしょうからね」

「そういう意味でいえば、グループ内の競争も、悪いことではないと思うけど?」

「ええ、私も全面的に反対しているわけではないんですよ。ただ、私にはつぃていけない発想なのかって思うんです。だから、そういうところを全体的に考えると、私はいいところしか見ていなかったんじゃないかって思って、アイドルを諦めたというわけですね」

 綾香は、この言葉を口にする時、やっと矢吹を直視した。

 あの目力の強さで見つめられたが、やはり目の細さが影響してか、圧倒されるという雰囲気ではない。それよりも綾香の可愛らしさが前面に押し出された気がして、やはり彼女は綺麗系というよりも可愛い系と言っていいのではないだろうか。

 そう思って綾香を見ていると、やはり、

――初めて会ったような気がしないんだよな――

 と感じた。

 そう思うと同時に、綾香にもう一つ感じたことがあった。

――彼女は、正直者なんだろうな――

 という思いであった。

 彼女が本当に自分の思いを伝えたい、あるいは分かってほしいと思った時は、必ず相手の目を見て話しをする。それ以外はなるべく相手の顔を見ないようにしている。それが無意識なのか意識的にしていることなのか判断がつかないところであるが、それは生れついてのものというよりも、今までの経験からのものではないかと思ったのは、彼女の持っている目力が、今まで知っている目力の強い女性とは異なるものだったと感じたからであった。

 綾香と一応のアイドルについての話をその後も少ししていたが、疲れたのか、お互いに少し口数が減ってしまった。綾香の方とすれば、思っていたことを全部口にしたから黙り込んだというよりも、自分の言った言葉にいまいち感心できないという思いから口をつぐんだように思えた。

 矢吹とすれば、あくまでも会話の手動は綾香であり、綾香が口を閉ざしたのであれば、また口を開くのを待つばかりであった。

 普段の矢吹であれば、相手が無口になれば自分から話題を探して会話を切ることはなるべくしないように心がけていたが、この日は会話の手動を綾香にあるという思いが強いのだろう。会話を成立させることは二の次に思えていた。

 アイドルなんて今まではまったく別の世界だと思っていた矢吹だったので、綾香がアイドルの話をしているのを聞いてもピンとこなかった。だが、形式的にではあるが、アイドルというものを理解はしているつもりである矢吹には、綾香の話を無視するまではいかなかった。

 しかし、それよりもライターに興味があるという話の方が興味をそそる。そのための前座としてアイドルの話であるとすれば、それはそれで悪くはないことだと思うのだった。

「アイドルを目指そうとしていたのは間違いないの?」

 と矢吹は聞いたが、

「いいえ、そこまでは考えてはいませんでした。いろいろ見ていくうちに最初から自分とは済む世界が違うって思ったんでしょうね。友達はオーディションに応募したりしていたみたいなんですが、私は早い段階から断念しました」

 とアッサリと言った。

「じゃあ、アイドルを目指していたとは言えないんじゃないの?」

「そうかも知れないですね。私も目指していたというのは言い過ぎだと思ったんですよ。しかも、目指していたという言葉を口にしてから急にそれを口にした自分が恥ずかしく感じられたんです」

 という綾香に対し、

「今までにアイドルを目指していたということを口にしたことはなかったんじゃない?」

 と聞くと、

「家われてみればそうなんですよ。今から思うと自分の中で口にすることは恥ずかしいという思いがあって、話題にしなかったのかも知れないですね。実際にはもっと強くアイドルに憧れていた友達がいたので、その友達と比較されるのが嫌だったというのが一番強かったのかも知れないです」

「人と比較されることを気にしているということは、自分がどういう人間かということを確立していないということになりますね。でも、それはまだまだ伸びしろがあるということで悪いことではないですよね。僕は今の年齢であれば、そういう試行錯誤を繰り返すのもいいことだと思うし、いわゆる悩みの一つだと思えばいいんじゃないかって思うんですよ」

 矢吹は話しながら、自分が曖昧なことばかりを言っていることを自覚していた。しかし、年齢という絶対に埋めることのできない差を補うには、そういった曖昧な言葉も話術として必要なのではないかと思った。

 特にいくらでも発想を巡らすことのできる相手に、確定的な話をしても、それは「大人げない」という気分になるのではないかと矢吹は感じた。

「今は僕のようなライターを目指しているのかい?」

 と、矢吹は少し話を変えた。

「ええ、ライターというか、週刊誌などの記事には興味あります。でも、社会派の記事というよりも文化系の記事に興味がありますね、旅行記だったり、食レポだったりなど、まったりとした感じに興味があります」

 矢吹も、元々教師だったこともあり、出版社に出入りするようになった時も、最初から社会部には興味があったわけではない。ただでさえザワザワした雰囲気は、教師を辞めるきっかけになった時を思い出すことから、嫌だった。

 テレビドラマなどで見る社会部の喧騒とした雰囲気、さらに人道的に、

「どうなのか?」

 と思わせる理不尽な会話などを見ていると、それだけで社会部への勤務には気持ちが萎えてしまうのだった。

 フリーであってもライターになれたのは運がよかったと矢吹は思った。

 知り合いに出版社関係の人がいたのも運がよかったというべきだろう。そういう意味では人脈も大切だということを教えられた。

 綾香はその人脈の大切さを知っているから自分を訪ねてきたのかよく分かってはいなかった。だが、どちらにしても自分を訪ねてきてくれたことは嬉しかったし、大人としての対応ができることが新鮮な気がしたのだ。

 取材などで訪れたところでは、自分が下手に出なければいけない立場だったので、アドバイスできる立場にいることにある意味恍惚の気分にさせてくれる。しかも相手が若い女の子という、今までにあまり話をしたことのない人が、相手の方から話しかけてくれるという思ってもいなかったシチュエーションに感動を覚えたのも無理のないことであろう。

「僕も実際に取材ができるようになったのは、入ってすぐではなかったからね。少しの間はアシスタントのようなことをしてから、やっとフリートはいえ、今のお仕事をさせてもらえるようになったんですよ」

「そうだったんですね。でもそれは必要なことだと思います。いつでも勉強だと思えばい

いわけですからね」

 と、綾香は言った。

「綾香ちゃんは、どんなライターになりたいと思っているの?」

「私は最初、文章が書ければどんな仕事でもいいと思っていたんです。でも、それだとせっかく就職するのに、動機が薄いような気がしたんですよ」

「そうですよね。一生の仕事だからですね」

 綾香のセリフに頷きはしなかったが、矢吹は付け足すように話した、

「ええ、一生の仕事を決めるのに、動機というのも大切な気がしたんですよ。最初の心構えを間違えると、思っていたのとは違うことに気付いた時にはもう手遅れになってしまったと感じてしまうと、そこから先はマイナス思考しかできなくなって、元に戻れなくなってしまうんじゃないかって思ったんです」

「なかなか就職活動をしながらそこまで考える人は少ないかも知れないですね。だって、就職することだけでも難しい世の中ですからね」

「そうなんですよ。会社によっては、どんなに学生から人気があって花形である会社だって、就職してから半年の間に八割近くの人が辞めてしまうなんて会社も少なくはないですからね。そう思うと、野党会社の方も、新入社員は辞めていくものだという観念に基づいて、採用枠を最初から多めに見積もっているわけですからね。そう思うと、簡単に割り切れないものを感じます」

「そういう話はよく聞きますよね。それは一会社という場合もあるし、あるいは、その業界すべてに言えることなのかも知れないですしね」

「はい、やはり就職するというのは、それだけ難しいという意味なんでしょうが、大人の世界の表と裏を分かっていないと、後悔することになると思うんですよ。安定した会社がいいのか、あるいはやりがいのある仕事がいいのか、そう思いながら自分に合った無理のない仕事をとも考えるんです。さっきも言ったように、一生の仕事ですからね」

「その通りです。綾香ちゃんはなかなかよく変わっているような気がするよ。就職するにはそれなりの覚悟もいりますからね。それまでの何でも許されると一般的に言われている学生時代から、急に厳しい社会人になるんだから、仕事をするというだけでも精神的にきついところに持ってきて、人間関係であったり、まわりの忖度であったりと、いろいろ出てくるからですね。そういう意味では就職活動というのも運だったりもします。いろいろ考えて前に進むのは大切なことだとは思いますが、考えすぎて堂々巡りを繰り返すようにならないことを、私は祈りますね」

 と矢吹は答えた。

「ええ、その通りだと思います。そういう意味で、まずは就職の足掛かりとして、自分のやりたいことを目指すには、いろいろな情報を得るところから始めるべきだと思ったんです。それで矢吹先生にいろいろお聞きしたいと思いまして」

 という綾香に、

「先生なんておこがましいな」

 と矢吹は笑いながらテレていた。

 その姿を見ながら綾香は、

「そんなことはないですよ。矢吹さんは元々教師だったんでしょう?」

 という綾香を見て、今テレ笑いをした矢吹は急に真顔になった。

――知っていたんだ。どこにも僕の情報は載せていなかったはずなのに――

 と、感じた。

 その理由はその後すぐに綾香から聞かされたが、その時はそのことに言及するつもりはなく、すぐに笑顔に戻った矢吹だった。

 矢吹の方はどうして知られていたのかは疑問であったが、そのことを理由に話をはぐらかそうとまでは思わなかった。むしろ教師というワードが出てきたのだから、教師という目線から話をしてもいいと思った。過去に因縁があった職業ではあるが、それは何十年も前のこと、わだかまりが残っているわけでもないし、教師をしていたことを、いまさら後悔もしていないからだ。

「教師という職業なんだけど、僕は嫌いではなかったんだ」

 というと、

「でも、今の仕事の方がいいと思っていらっしゃる?」

「ええ、その通りです。僕はきっと人にいろいろ教えるというよりも、自分が何かを作って、それを人に知らせるという方が向いているのではないかと思うんです。言葉に発することも大切なのかも知れないけど、文章で伝えるということに嵌ってしまうと、まるで天職のように思えてくるから不思議ですね」

「矢吹さんは、本当のクリエーターなのかも知れませんね」

「そうかも知れないです。会話で相手を納得させることも、もちろん大切なことだと思いますが、文章にすることで、抑揚がない分、何が大切なことなのかを相手に感じさせなければいけない。それがライターの難しさであり、醍醐味でもあると思っているんですよ」

「確かにそうかも知れませんね」

「教師という職業は、生徒に勉強を教えるのももちろんなんですが、本当は生き方などというものを教えるのも必要なんじゃないかって思っていたんですよ。でも、教師と言ってもしょせん、まだ生き方の途中じゃないですか。極論を言えば、生き方に悟りのようなものを開いた人でなければ教師なんて務まらないと思ったこともあったけど、でもそれは教師が『教える』ということを根拠に思っているからそうなんでしょうね。もし『人生の先輩』というくらいに思っていたら、少しは違うのかも知れませんね」

「つまり生き方を教えるのに、悟りを開く必要もなければ、人生の先輩でもいいと?」

「ええ、もちろん、そうではないという考えもあります。でも押し付けになってしまうと、必ず反発もあるということですね」

「その通りかも知れません。でもそこがまた難しいところで、自分を人生の先輩と置いてしまうと、相手と同等の立場だと思い込んでしまって、本当に相手のためにならなければいけない立場にいる時に、言い方は悪いですが、逃げの体勢に陥ってしまうこともあるような気がするんです。そうなると難しいところも出てきますよね」

「そうかもですね。だから、そういう意味でも教師は自分の立場や相手とどう向き合うかというのが大切なんですよ。そこに情もあれば、忖度もあるかも知れない。いろいろな立場上の考えが交錯して、いかに前を向くかで、教育というものが形になるんじゃないでしょうか?」

 矢吹はそう言いながら、自分が悦に入っているのを感じた。

 そんなつもりで話をしているわけではないと思っていたのに、自分が本当に何を言っているのか、次第に分からなくなっていた。

「ところで、綾香ちゃんは、どんなライターになりたいって思っているんだい?」

 矢吹は敢えて漠然とした質問をして、話を逸らそうと思った。

 普段であれば、いきなりこんな漠然とした、しかも話の根本をいきなりつくような言い方はしないのだが、やはり教師という話題から逸らしたいという意図が矢吹の中にあったからであろうか。

「私は、さっきも言ったように、最初は文章が書ければどんな職業でもいいって言ったでしょう?」

「ええ」

「結局最後はそこに戻ってきたんですよ」

 と、綾香は平然とした顔でそう言った。

「というと?」

 矢吹にはその気持ちは分かった気がしたが、それでも彼女の口から聞いてみたい気がした。

 もし自分の考えと違っているかも知れないが、話を聞いているうちに、最後には自分と同じ考えに行き着くのではないかと考えたからだ。

「私は最初に何でもいいと思った時、不謹慎だって思ったんですよね。だって一生の仕事にしようと思っていることを何でもいいなんて思うんですからね。それは、まわりを見て皆が一生懸命に職を探しているのを見ると、もし自分がやりたいと思っている仕事以外についた時、どう考えるかと思うと、考えが及ばなかったんです。きっと妥協して仕事をすることになるんだろうなってくらいにしか思えなかったんです。そう思うと、何でもいいと思った時の自分と、その時の自分が果たして同じなのかと思うと、まったく違う人間に感じられたんです。それで妥協で仕方がないと思う自分を情けないと思えば思うほど、それなら何でもいいと感じた自分の方がよほどいいと思うと、その時に感じた思いは、失敗をしないことを優先する考えなんじゃないかって感じました。それが私の最終的な考えで、最後には、文章を書けるのであれば、何でもいいという考えに至ったんです」

「なるほど、そういうことなんですね」

「ええ、でも就職してからいろいろ紆余曲折することもあると思うんですよ。それは誰にでもあることであり、少なくとも自分のやりたいと思ったことを職業にできただけでもいいのかも知れないとも感じました。いくら望んでもかなわないことって世の中にはいくらでもある。それだったら、最初から無理をしないで余裕を持って考えられることを優先することで、結果がいい方に向くかも知れないですからね」

 綾香の話を聞いてみると、矢吹は自分の中の何かウロコが落ちたような気がしていた。

 矢吹も確かに今の職を天職にできたのは、

「運がよかったからだ」

 と思っていたが、それ以外にも気持ちの中での変化がこの運に匹敵するくらいの影響を与えたのではないかと思うと気持ちが楽になった気がした。

 それが気持ちの中の余裕であり、余裕があるから、いろいろな考えが浮かんでくるのであって、浮かんできた考えは、表に放出する力を有しているのではないかと思えたのであった。

「やっぱり、僕は運がよかったのかな?」

 と軽く矢吹が呟くと、

「運も実力のうちですからね」

 と綾香は軽くフォローしてくれているような口調で語った。

 フォローはしているが、別に賛同しているわけでもない。かといって、運がよかったということを実力とは別のものだという否定があるわけでもない。そんな気持ちが軽い言葉になって現れたのはないかと、言った本人である綾香も、それを聞いていた矢吹も同じように考えていたが、相手もまさか同じようなことを考えているなど、お互いにその時は知る由もなかった。

「でもね。最初に考えたことにまた戻ってくるという考えも、僕はありではないかと思うんだよ」

 と、矢吹は言った。

 最初の考えがいいのか悪いのか分からないまま、紆余曲折を介して元に戻ってくれば、もはやその考えは悪いことには繋がらないだろう。いいことなのかどうかは別にして、その時の最善に行き当たったに違いないと思うからだった。

「これ以上は、もう考える必要はないんだって私はその時に思ったんです。考えに考えて行き着くというのは、普通であれば分からないものですよね。考えれば考えるほど、もっと他にいいことがあるんじゃないかって思うのは当たり前で、考えることに果てなんてないんだって思いますよ。でも、もし果てがあるのだとすれば、それは最初に考えていたところに戻ってきたという確固たる事実があれば、それはもはや果てに当たるのではないかって思うんです」

 と綾香がいうと、

「そうだね。ところで綾香ちゃんは、将棋で一番隙のない陣形というのは、どういう状態なのかって考えたことはあったかい?」

 矢吹は唐突にそう聞いた。

「いいえ、考えたことはなかったですね」

 と綾香がいうと、矢吹はニコニコしながら、

「それはね。最初に並べた布陣なんだよ。つまりは一手差すごとにそこから隙が生まれる。そんな話を聞いたことがあったんだ」

「なるほど」

 矢吹の言いたいことは、やはり最初に考えたことに繋がっていた。

 間髪入れずに綾香は言葉を続けた。

「今初めて聞いた話だったんですが、前にも聞いたことがあるような気がするのは気のせいなのかしら?」

 と綾香は言った。

「前にも聞いたことがあると感じたのは。それだけ自分の中で答えを導くことはできなかったけど、途中までは考えていたということなのかも知れないね。えてして人間にはそういう感覚って結構あるようで、かくいう僕も同じような思いをしたことが過去にもあったのを思い出していたよ」

 矢吹のこの言葉は半分ウソが混じっていた。同じような思いを感じたことはあったが、本当に結構あるものなのかに関しては、正直分からなかった。

 いわゆる、

「言葉のアヤ」

 なのだろうが、無意識のうちに使う言葉の中で、相手になるほどと感じさせる言葉が結構あるように思ったことが、この時の、

「結構あるようで」

 という言葉に結び付いたような気がしていた。

 綾香がどのようなライターを目指しているのかということは、この際矢吹にとっては、それほど大きな問題ではないと思っていた。それよりもライターになりたいと言った言葉がどこから来ているのかという方に興味があった。自分のように教師という仕事から挫折して、その後に、

「文章を書くのが好きだったから」

 という理由だけでライターを目指した。

 これが動機としては薄いということは分かっていた。だからフリーライターでもいいと思ったのだ。

「とりあえず書く仕事に就きたい」

 この思いが自分の中で本物なのかどうか、そっちの方が分からない。

 不安があるとすれば、根本の気持ちの方だった。覚悟などという言葉はまったく関与しない問題だった。

――覚悟なんて一生のうちに、そう何度もできるものではない――

 というのが持論なので、最初の就職でその思いはもうしないと思っていた。

 矢吹が結婚を考えなかったのは、覚悟をすることができなかったからだ。いや正確に言えば、

「覚悟をすることができなかったわけではなく、覚悟をしなければいけないということを忘れていたのだ」

 ということだった。

 人生に節目があることは分かっている。結婚や就職もその一つであるということは、無意識にでも分かっていることだった。そして人生の節目に覚悟がいるということも感覚的には分かっていたつもりでいる。しかし実際には、その節目に覚悟をしなければいけないということを、「その時」が来ているにも関わらず、意識することができないでいた。

 節目が訪れた時の覚悟は、

「無意識のうちに」

 という感覚では済まない。

 あくまでも覚悟というものを意識することで自分を奮い立たせるアイテムにしないといけないからだ。それを怠ると臆病風に吹かれてしまい、ついつい楽な方へと自分を導いてしまう。結婚を考えなかったというのも、結婚というものに対して、途中から冷めてしまったことが要因だと思っている。冷めるということは人生のターニングポイントだという意識がないのだ。一度結婚を考えた時、その時に強引にでも自分の意志を貫くことができなければ、それ以降結婚というものを考えた時、また逃げに走ってしまう。一度逃げてしまうと逃げ癖がついてしまい、しかも年齢的にどんどん適齢期を過ぎてしまうのだから、

「結婚できないのも当然だ」

 と諦めを言い訳と混同してしまい、それが自分を慰める理由として確立されてしまうと、

「一度持てなかった覚悟は二度と持つことができない」

 と思うようになるのだった。

 一度持てなかった覚悟は、後になればなるほど後悔が強くなり、それを何とか言い訳にするために、余計に覚悟というものを考えるようになる。

「あの時持てなかった覚悟」

 それは、トラウマとなって自分の中に残ってしまうに違いない。

 教職を追われた時もそうだった。

「二度と教師はできない」

 と思い、その時教師というものを顧みることができた。

 職に就いていると、なかなか自分を顧みることなどできない。顧みるということはある程度客観的な目を持たないと、できることではないからだ。

 何が一番悪かったのかというと、たぶん、

「自分と生徒たちを平等に見ることができなかったことだ」

 と思うようになった。

 確かに教育者と生徒では、ある程度、お互いに尊厳は必要だ。教えるもの、教えられるものという垣根がなければ、成立しない人間関係が先生と生徒の関係だからだ。

 しかし、先生と言っても聖人君子ではない。肉も食べれば女も抱く、当たり前のことである。

 つまりは、自分が教師という特別な人間ではないということだ。自分を特別な人間だと思うことで、相手との関係を初めて考えることができる。自分というものを顧みずに相手との関係だけを探っていれば、それは当然平等で見ることができないのも当たり前のことである。

 教師というのは、生徒ありきで教師だと思っていた。確かに他の商売だって、

「客があっての販売員」

 という関係にあるだろう。

 相手に責任があるという考えも基本的に同じだが、その責任の範疇が違っている。買ったものを消費するまでが販売員や開発者、製作者の責任なら、教師というのは、どこまでが責任なのだろう。

 学校を卒業させるまでが責任というのだろうか?

 卒業した生徒が何か問題を起こした時、

「卒業したんだから」

 ということで責任逃れができるのかどうか、疑問である。

 在学中から問題が継続しているのであれば、問題が起こった際に問題を調査する人たちはきっと過去に遡って在学中に辿り着くかも知れない。その時、当事者として教育に携わった者に対し、質疑応答が行われたり、当時の資料を調べられたりするだろう。

 教師としては理不尽な気持ちになるだろう。

――もう卒業したのに――

 そう思って当然だ。

「卒業させれば、責任はその後に引き継がれるはずなのに、なぜゆえ、いまさら過去に遡る必要があるのか」

 そう言いたいのをグッと堪えなければならない。

 これも教師の責任の範疇だとすれば、教師は何を根拠にして教育をしなければいけないのか。教育のためのマニュアルや今まで培ってきた経験からの教育を否定されてしまうと、教師もトラウマに陥っても無理のないことである。

 しかし擁護されるのは生徒の方ばかり、もちろん問題を起こしたのだから、生徒も罰せられるのだろうが、そのとばっちりがこちらに向いてくるというのはたまったものではない。

――こんな理不尽あっていいのか?

 と思っても無理はない。

 それだけ教師というのは難しい商売である。特に今では先生が生徒を教育と称して、少しでも手を挙げれば府警や教育委員会が黙ってはいない。

 もちろん体罰というのはあってはならないことだが、それは一部の教師と言えない連中の行うことで、いわゆる、

「愛のムチ」

 を体罰と一緒にされてしまっては、教師はどうすればいいというのだ。

 苛めの問題にしてもそうだ。表に出ていることだけが問題になるが、影でどれだけのことが行われているか、全体を見ることができなければ、どんなに問題にしたとしても、根本的な解決にはならない。

――どうしてそんなことが分からないんだ――

 と、上層部を恨んで見たこともあった。

「要するに、この世は理不尽なことばかりなんだ」

 という結論に至るしかないではないか。

 矢吹は、教職を追われる形で転職した。しかし、今となって思えば、いいタイミングだったのではないかと思う。もし、あのまま教師を続けていても、いずれは辞めなければいけない事情にぶち当たっていたと思うし、もし辞めなければいけないだけの事態が起こらなくても、自分の中で徐々にストレスが溜まっていき、そのうちに確固たる理由もないトラウマが形成されていたかも知れない。

 こっちの方がよほど恐ろしい気がする。

「理由が分からないトラウマ」

 これほど恐ろしいことはない。

 対応のしようがないからだ。何をどうしていいのか分からないことほど恐ろしいことはない。それを思うと矢吹は教師を辞めなければいけなかったことをポジティブに考えられるようになった。

 もちろん、今では教師に戻りたいなどという思いはまったくない。辞めた瞬間からずっとその思いに変わりはなかった。それを、

「後悔はしていない」

 という言葉で片づけられるとは思っていない。

 ポジティブに考えられるようになったことと、後悔をしていないということとは微妙に意味が違っているように思ったからだ。

 ただ、

「あの時に、こうしていればよかった」

 という考えではない。

「こうしていれば」

 という具体的なアイデアが自分の中にないからだ。

 それは当たり前のことのように思う。その答えを見つけることはできないと思っているからだ。後になって分かることであれば、あの時に分からなかったのだとすれば、それは自分が未熟だったということを証明しているように思うからだ。

 確かにあの時自分は未熟だったと思うが、あの時に考えられることは十分に考えたつもりでいる。ただ一つ気がかりな部分もある。

「あの時の思いは、堂々巡りを繰り返していた」

 ということであった。

 もうすぐ結論めいたところに行き着くかも知れないと思った時、考えが一周してしまい、最初に考えていたところに戻ってきたことだ。その時は、

「考えが一周した」

 という思いはない。

 せっかく辿り着けそうな道をほとんど来ていたのに、またしてもスタートラインに戻ったという考えであった。

 一周したということが後になって冷静になり考えた時、分かった気がしたが、目の前に漠然と見えていたゴールが、実は最初のスタートラインだったというオチを、考えれば考えるほど認めざる負えなくなっていた。

 だが、もう一つの考えが頭を巡った。それは目の前に見えているスタートラインが、本当にこの事案のスタートラインなのかということである。

 実はこの事案にはいくつかの段階があり、その都度別のスタートラインが存在しているという考え方だ。

 つまりは目の前に見えているのは、最初のスタートラインではなく、新たなスタートラインだという考えだ。元に戻ったわけではないと思うと脱力感が消えて。また前進できるのではないかと思えたが、実際にはどうであろう? せっかくゴールだと思っていた先にスタートラインが見えるという事実は隠しようのない事実である。逆に言えば、

「スタートラインが一つではないということは、次のスタートラインの先にもゴールではなく、新たなスタートラインが存在するのではないか?」

 という思いである。

 ただ、目の前のスタートラインが最初のスタートラインで一周して戻ってきたという考えに立ったとすれば、

「このループが永遠に続けばどうしよう」

 という考えに至ってしまうだろう。

 どちらにしても、見えてはいけないスタートラインなのだ。最初のスタートラインを意識してしまえば、その後はゴールを切るまで、スタートラインを意識してはいけないということになる。

 今まではスタートラインの先にはゴールしかなかったので、事なきを得てきたというだけのことなのかも知れない。

 だが、本当にそうなのだろうか。

 この瞬間の次の瞬間には無限の可能性が秘めている。いわゆる

「パラレルワールド」

 という考え方だ。

 無限の可能性は、さらに次の瞬間にも無限の可能性を秘めている。無限の無限というおかしな考えも生まれてくることだろう。

 矢吹は教師を辞めた時、そこまで考えていたわけではないと思っていた。しかし、今思い返せば、確かにそんなことを考えていたという思いがある。

――では一体、どこでそんな感覚を覚えたんだろう?

 矢吹はそのことの方が気になってしまった。

 目の前にいる綾香のことを放っておいて必死に考えているが、綾香から何ら言葉はない。綾香も自分なりに考えているのか、それとも、こんなにいろいろ考えているのだから時間はかなり経っているかのように思っているが、実際にはあっという間の出来事なのではないだろうかと思えた。

――待てよ。この時間の感覚というのは、夢を見ている感覚と同じではないか?

 と感じた。

 夢を見ている感覚、つまりは覚えていないが、ある時ふいに思い出すことができるいわゆる「デジャブ」のような現象は、夢の中の創造物なのではないかという、少し飛躍した思いに至るのだった。

 デジャブという現象に関してはいろいろ研究されているようだが、まだハッキリとした研究結果は出ていない。

 矢吹は個人的な考えではあるが、自分なりに考えていることがあった。

「デジャブとは、自分の中の記憶と意識の辻褄を合わせることだ」

 という思いであった。

 矢吹は大学時代に教師を目指した専攻した科目とは別に、工学にも興味があった。特にロボット工学と言われるものに興味を持って、一時期いろいろな本を読んだりしたものだった。

 そもそもロボット工学に興味を持ったのは、数十年くらい前に流行ったロボットアニメが原因である。

 あれはコンビニに寄った時のことだった。元々そのアニメには少し興味はあったが、他のアニメと別に遜色をつける気はなく、対等の目で見ていたのだが、そのアニメの現ザク本が、コンビニ限定として売られていたのを見たのだ。

「ほう、懐かしいな」

 と思って手に取って中を開いてみた。

 ちょうど目次の次のページに、登場人物のあらましが書いてあったのだが、その前に見慣れないものが目に写った。そこには、

「ロボット工学三原則」

 という言葉が書かれていて、三条からなる規則が書かれていたのだ。

 いつもなら気にも留めないのだが、その日はつい気になって、その本を買って帰った。家で開いて見てみたが、アニメ化した内容とは若干の違いがあって、原作のよさを改めて知ったような気がして、一気にその日のうちに読んでしまった。

 ロボット工学三原則というのは、ロボットが開発された時、ロボットが守らなければいけない三つの原則のことである。これは学術的に研究されて提唱されたものではなく、あるSF作家によって、小説のプロットとして書かれたものだった。それが今ではロボット開発のバイブルのようになり、その後発表された小説や漫画、映画やアニメと言った映像作品に大きな影響を与えたのだ。

 そもそもこの三原則というのは、ロボットのためのものではない。あくまでも、

「ロボットを取り扱う人間」

 のためのものである。

 人間よりも優秀で強力なロボットなのだから、取り扱いを間違えると大変なことになる。昔から言われている、

「フランケンシュタイン症候群」

 と言われるものだ。

 ロボットが暴走して人間を襲ったり、破壊したりしては、人間の役に立つために作られたロボットなので、本末転倒というわけだ。そのために人間を守るための三原則をロボットに覚えさせることが必須となるのだ。

 まずは、人間に危害を加えない。そして人間の命令には服従する。そして自分の身は自分で守らなければならないという三原則だ。そしてこの三原則には厳密な優先順位がもお受けられていて、先ほどの順番は優先度が高い順に並んでいるというわけだ。つまりはいくら人間の命令に服従しなければいけないと言っても、それが人間に危害を加える命令であれば、聞く必要はない。聞いてはいけないのだ。そして第三条の自分の身は自分で間おらなければいけないという条文であるが、これも人間のエゴから生まれたもので、ロボットを開発するにもお金がかかる。いくら人間の命令だからとはいえ、理不尽に自分を壊すような命令を聞く必要はないという理論になる。

「ロボットのことを思って」

 という考えではなく、あくまでも主権は人間にあるのだ。

 買ってきたマンガはまさしくロボットを取り扱ったマンガで、人間に危害を加えようとする悪の結社から科学者を救うのだが、救った科学者の中に、自分のことだけしか考えずに開発を行っている人がいた。その男はロボットとは関係のないところで、人間を大量殺戮を企む研究をしていた。

 そのことは誰も知らなかったのだが、その秘密を隠しておくために、自分たちを救ってくれた主人公であるロボットの体内に殺戮兵器の設計図を埋め込んだ。

 主人公のロボットは、まさか自分の中にそんなものが隠されているなど知る由もなかった。あくまでもその科学者を、

「善意の科学者」

 として尊敬もしているし、自分が彼を守らなければいけないという使命感にも満ちていた。

 ある日から、その科学者が正体不明の敵から狙われるようになる。それを必死で主人公のロボットは守るのだが、実はそれは自作自演で、秘密結社は自分を殺すつもりなどなく、主人公のロボットが本当にいざという時に守ってくれるかどうかを試していたのだ。

 それは、科学者の中で、

「自分が狙われている」

 という思いが強く、本当に守ってくれるのかどうか、試してみる必要があったからだ。

 大量殺戮兵器はまもなく完成する予定だった。売却の先も決まっていた。国家ぐるみで世界征服を目論見ているところに協力しようというのだ。

 彼が大量殺戮兵器を作ったのは、お金のためでも名声のためでもない。もちろん多額の報酬は受けとるだろうが、金に目がくらんだわけではない。名声に関しても、決してこの開発が表に出てはいけないということなので、名声を得ることに繋がるはずもない。

 果たして大量殺戮兵器は完成した。彼はそれを納品したのだが、そうなってしまうと、彼はもう国家にとっては、

「用済み」

 なのだ。

 実は、彼もそれを分かっていた。分かっていたので、実際に納品した兵器は受注を受けたものとは比べ物にならないほど脆弱なもので、大量殺戮という言葉には程遠いものだった。

 お互いに、

「キツネとタヌキの化かしあい」

 と言わんばかりのもので、科学者とすれば、本当は保険のつもりでわざと完成させなかったのだが、それが遠回しに大量殺戮を防止することにもなった。

 その兵器を使ったら最後、殺傷能力は最低ではあるが、国際法規での禁止された兵器であることは歴然であった。そのため、全世界から避難を受け、国家としての名声は地に落ち、その後の国家運営に致命的な打撃を与えることになるだろう。彼はそこまで計算していたのだ。

 ただ、社会情勢から見ても、その兵器を使うのはあくまでも最後である、

「これは最終兵器」

 として、くれぐれも取り扱いには注意するようにと促していた。

 だから、自分は安全だと思っていたのだ。

 保険まで掛けたはずなのに、納品してからすぐにこちらが襲われることになるとは、思っていなかった。いろいろと気を遣って事前の策を巡らせていたにも関わらず、納品してからすぐに自分が襲われるという事態に関しては、なぜか想像していなかった。

――なんでこんな簡単に分かるようなことを、思いつきもしなかったんだろう?

 彼ほど頭がよく、事前にいろいろと工作できたはずの彼なのに、肝心なところが抜けていた。

 本人は分からなかったが、それは完成品と偽って、保険のつもりで未完成品を収めることにしたという、

「巡らせすぎるくらいの策を弄した」

 ということの反動だったようだ。

 まさに灯台下暗しと言えばいいのか、目の前のことに気付かなかったという典型的な例であろう。

 悪の結社が刺客を送り込んでくる。それを自分を守ってくれる主人公のロボットが撃退、あるいは破壊してくれ、自分は難を逃れることができる。

 しかし、次第にその果てしなさと、執拗な攻撃に、以前までとの違いを感じた主人公のロボットは、以前の攻撃が決して科学者を傷つけないように作為的に行われていたことに気が付いた。

 主人公のロボットは、科学者が企んだことすべてに気付いたわけではない。あくまでも科学者を信じていたし、その思いが少しでもある以上、彼には科学者を本当の意味で疑うことはできない。つまり彼の本当の意志をはかり知ることはできないと悟っていたのだ。

 この思いがロボットの中で大きなトラウマとして残ってしまった。

――俺はどうすればいいんだ?

 主人と言ってもいい相手を信じているがゆえに、本心を知ることができないというジレンマは自分がロボットであるがゆえに、人間の命令に服従しなければいけないという思いに忠実になれないことで、自分を未完成だと思い込んでしまう。

 ロボットがジレンマに陥ると、人間と違って動けなくなってしまう。思考回路の停止は、行動能力の停止も一緒に招くことになる。

 悪の結社の攻撃は激しくなる。彼らも必死である。科学者が生きていれば、国家全体の破滅に繋がるからだ。

「邪魔者はすべて消す」

 というのが彼らの理念である。

 悪というのはどこまで行っても悪であり、悪を守るためには必死になる。それは彼らが世間に受け入れられるはずのない団体であるということを一番よく分かっているからだ。

 それでも彼らには他の人間との違いを感じている。それは、

「俺たちは、考えていることが間違っているのか正しいのかということが大切なのではない。自分たちの中で理論的に正しいと思うことが大切で、我々の考えているテーマをまったく考えようとせず、これから起こるであろう現実から目を背けている連中が自分たちよりも正しいという考えは間違っている」

 という理論によるものだった。

 確かに彼らには彼らの理論があり、理路整然とした考えであろう。主人公のロボットにもここまで説明されると理解できることなのかも知れない。

 しかし、ロボットには三原則があり、それに沿うと秘密結社のやっていることを容認はできない。

 しかも、そんな彼らを「利用」しようとしている自分の主と言ってもいい科学者に対しては、

「この人は何を考えているのか分からない」

 としか思えなかった。

 一度は別の悪の結社から救ってあげたのに、自分の行為を裏切るようなことをした科学者ではあるが、逆らうことはできなかった。彼が設計図を体内に埋め込んだ時、ロボットの中に、自分を主人として命令に服従するような回路を一緒に入れていたのだ。

 だからこそ、彼はジレンマに陥ったのであるし、ジレンマが彼を苦しめることになり、彼の苦しみとは別のところで、

「化かしあい」

 が行われていたのだ。

 ロボットは悪の結社から主を守ろうとしていた。実際に何かを考える暇がないほどの攻撃を、相手から受けていたからである。

 だが、ロボットはそのうちにいろいろ考えるようになった。

「自分に関係のないところでの人間同士の醜い争いに、どうして自分がまきこまれなければいけないのか?」

 という理不尽さである。

 普通ならこんな思いをロボットがすることはない。なぜならロボットは人間が危害を加えられるのを見て見ぬふりをしてはいけないということを最優先の第一条で定められているからである。

 しかも、第二条での絶対服従の命令を下すのは、主であるこの科学者である。これに逆らうこともできない。

 だからと言って、悪の結社の理論もロボットの感覚としては無視することもできなかった。

――俺はどうすればいいんだ?

 またしても、ロボットはそこに行き着いた。

 同じ考えにまたしても戻ってきたのだ。

 究極の考えといえばそれまでなのだが、堂々巡りを繰り返していることに気付いたロボットは、その時にハッキリと自分の限界を感じた。そして自分がロボットでいる理由がないと思うようになり、

「人間になることもできない。ロボットでいることもできない中途半端な存在になってしまったんだ」

 と思った。

 しかしそれは後からなったわけではなく、最初からそういう存在だったのだと思うと、ロボットなる存在を作った人間が憎らしく感じられるようになった。

 身体の中に内蔵された回路の、

「ロボット工学三原則」

 それが人間のエゴであることに初めて気づいた。

 今までのロボットが誰も気づかなかった考えてみれば当たり前の理論に気付いた時、

「俺が間おらなければいけないものは何なんだ?」

 と自問自答を繰り返したが、

「そもそも誰かを守らなければならないというのはどういうことなんだ?」

 と感じた。

 つまりは誰かを守るということがロボットの存在意義であり、その誰かというのは人間に他ならない。

 そう思うと、自分たちに関係のないところで争っていて、その手助けをするためにロボットが開発されたのだとすれば、それはただ巻き込まれただけだということになり、人間よりも耐久性や判断能力に優れているにも関わらず人間に服従しなければいけないというのは、本当に人間のエゴから自分たちが生まれたということの証明のように思えた。

 それに間違いはないだろう。そしてこのことをウスウスではあるが気付いているロボットも少なくないに違いない。

 そう思ったロボットは人間に危害を加えるのではなく、ロボット全体がこの世からなくなってしまうことを選択した。その間にロボットを守ろうとする秘密結社や主である科学者は邪魔だった。

 つまりは、人間の命令に服従しなければならないということは、我に返った時点でロボットは破ったことになる。そして、邪魔になった人間を葬ることで、一番優先順位の高い第一条を犯すことになる。そして最後は自分たちを自分たちの手で破壊するのだから、第三条も結局は守られない。ここに、

「ロボット工学三原則」

 という理念は完全に崩壊したのだ。

 これがマンガの中での大きなあらすじであった。

 その中でロボット同士が戦うという子供向けの内容も盛り込まれていたが、内容は完全に。

「大人向けのマンガ」

 だった。

 しかも、ストーリーは三原則に照らして解説されるかのように描かれていたことで、三原則がこの漫画のテーマであることは確実だった。人間のエゴから生まれたロボットが、最後は自らの手で自滅する。これは神様によって作られた人間の、

「自らを滅ぼすのは自分たちだ」

 ということへの警鐘なのかも知れない。

 矢吹は過去に読んだマンガを、人と話をしている間に思い出すなど今までにはなかったことだ。しかも、ここまで深く感じるなど、ここまで深く掘り下げるにはかなりの時間が掛かるはずだと思うのに、実際にはそれほどの時間が経っているような気はしない。実際に目の前にいる綾香が長考に入っているはずの矢吹を見て、別に焦れているような気がしないからだった。

 だが、時間的には自分が感じているよりも経過しているようだった。長考の時間がどれほどの長さだったのかを考えなければ、自分の中で時間を整理できていないと思えてならない。

「結構な時間になってきたね」

 と矢吹がいうと、

「今度、またお話聞いていただけますか?」

 と言われ、

「もちろん。あなたさえよければ」

「よかった」

 ということで、連絡先を交換してその日は別れた。

――今日のは何だったんだろう?

 と思わないわけではなかったが、綾香と別れて時間が経過するにつれ、次第に綾香との時間が薄っぺらいものに感じられてきた。

――マンガのストーリーに思いを馳せるのに時間を掛けてしまったからかな?

 と思ったが、どうもそうでもないようだ。

 夢のような時間だと感じたことが、時間が経つにつれ、実感として湧いてくるのを感じたのだ。

 夢というのは、目が覚めるにしたがって、その意識が薄れていくものである。さらに、どんなに長い夢を見ていたとしても、目が覚めるにしたがって感じる実際の時間に比べればどれほど短いものなのか、感じないわけにはいかない。

 実際に目が覚めてしまうと、夢を見ていたということすら本当のことだったのかと疑ってみたくなるくらい、漠然としたものに変わっていることがある。たった今覚めた睡眠の中での出来事のはずなのに、それが昨日の睡眠だったのか、おとといの睡眠によるものなのかすら分からないくらいになっている。

 要するに時系列において、感覚がマヒしているということなのだ。

 それをどう説明すればいいのかと考えると、やはり現実の世界と夢の世界とでは、次元が違っていると思うのが一番しっくりくるのではないだろうか。

 四次元の世界を創造した場合、テレビなどでは、

「目には見えないけど、声が聞こえる」

 という不思議な空間が出来上がっている。

 同じ空間にいるから声が聞こえるのか、それとも空間が違っているから姿が見えないのか、一つのオブジェクトだけに注目してしまうと、きっと説明はつかないのだろう。

 どちらかを説明しようとすると、どちらかの説明がつかなくなるという感覚が、「次元の違い」という解釈で説明できるのだとすれば、「次元の違い」という概念は、まだ説明がつくだけの確証を得られていないということになる。考え方はずっと昔から提唱されてきたが、実際に証明することは難しい。そうなってくると、提唱自体の信憑性が疑わしくなってくる。

 夢の世界の話もそうである。実際に覚えている夢と忘れてしまった夢のそれぞれが存在しているのだが、覚えている夢というのは、全体のごく一部にすぎないと思っている。

 しかし、ここでまた一つ疑問に思えてくる。

「どうして、ごく一部だと言えるのか?」

 ということである。

 なぜなら、覚えている夢と覚えていない夢の二つが存在しているとして、覚えている夢はいいだろうが、覚えていない夢が存在しているのを理解しているということは、

「夢を見た」

 という感覚は自分の中にあるということである。

 しかし、夢を実際に見ているのに、それすら意識をしていないという夢の存在をどう考えるかということなのだが、もしそんなパターンがあるとすれば、まったく自分の感知しているものではないだけに、どれだけの数があるのか、まったく分かるはずのない世界である。

 それも含めるとすると、ごく一部がさらに極々一部ということになるのだろうが、それをへ理屈として考えることができるであろうか?

 矢吹はそこまで考えると、目に見えないものの存在をすべて否定できない自分をかじることができる。却って目に見えない存在が重要なのではないかという考えに至ることもあるくらいで、これを考え始めると堂々巡りに入り込んでしまう。

――まるでロボット工学における「フレーム問題」のようだな――

 と考えてしまう。

 ロボット工学におけるフレーム問題とは、ロボットに搭載されている人工知能のように有限の状態の状況を計算によって理解し、行動することができるものに対して、実際には無限の可能性が次の瞬間には発生する。それをロボットが解釈できないという考えである。

 しかし、一つの現象に対しては考えられる発想は有限であるはずだ。人間であればそれは理解しているのだが、ロボットには理解できない。例えば、

「目の前の扉を開けて、部屋の中に入れ」

 という命令をした場合、普通であれば、扉を開ければどうなるかということだけを判断すればいい。

 しかし、可能性ということで、まったく扉を開けることと違う発想をしてしまうということである。関係のないことを、関係がないという判断をするためには、考えられることを一つの枠に当て嵌めて、その数だけロボットにプログラミングしておけばいいという考えが出てくる。これが「フレーム」、つまり枠という考え方だが、そもそもその「フレーム」こそ、無限の可能性を持っているというもので、それをプログラミングするというのは実に不可能なことだ。それをロボット工学における「フレーム問題」というのだ。

 考え方が堂々巡りを繰り返す。これは夢を見たことへの可能性と類似したものではないだろうか。

 ロボットというものに対しての考えは百年以上も前から考えられている理論であり、話題になっている「ロボとt工学三原則」にしても、初めて提唱されてから五十年以上も経っているのだ。

 それからの科学の発展の目覚ましさに比べて、ロボット開発に関しては進んでいないと言ってもいい。そこにはこの「フレーム問題」という壁が、まるで結界のごとく大きくy立ちはだかっているに違いない。

 矢吹にとってロボットへの考え方は今に始まったことではなく、教師をしている頃から大いに興味を持っていた。もう三十年近く前のことであるが、その頃に初めて「ロボット工学三原則」という発想に出会って、その時にも大いに感動したものだった。

 教師を辞めなければいけなくなり、それどころではなくなったこともあって、あまり理工学に関して考えないようになった。

 実際にフリーライターになってからは、文芸であったり、歴史であったりと、もう少し抒情的なものに引かれていき、本を読むのが好きになったのも、その頃からだった。

 読んでいて難しくないことが一番ありがたかった。難しくもないのに、気が付けば嵌ってしまって、夜を徹して一気に読んでしまうことも珍しくなかった。それを思うと元々本を読むことへの抵抗はなかったということであろうが、中学高校時代はまったく本を読むことはなかった。

 本を読むようになったのは大学に入ってからで、その頃までは文章を読むとしても、セリフだけを端折ってしまい、文章に関してはほとんど無視していた。

「ついつい先を読んでしあうのは気が短いからなのか、それとも結論を早く知りたいからなのかのどちらかだろう?」

 と思っていたが、そのどちらも突き詰めれば同じところに着地する気がした。

 国語の点数が悪かったのもそのせいではなかったかと今では思っている。

 大学に入ってからは、いろいろなジャンルの本を読み漁った。最初はミステリーから入ったのだが、ミステリーを見ていると、

「結局はいくつかのパターンのバリエーションにしか過ぎない」

 という結論に至った。

 しかし、この結論が却ってミステリーを読むことに自分を没頭させたのだから面白いものである。自分でもいろいろなバリエーションを組み立ててみようと考えるようになった。

 さすがに自分でミステリーを書いてみようとまでは思ってはいなかったが、いろいろなトリックやシチュエーション、そこに結び付いてくる伏線、そしてラストの意外性などを加味して考えてみると、結構面白いストーリーが生まれたりしたものだ。

 それを矢吹は文章に起こすことはせず、箇条書きにして自分の中で整理して、友達に話すことで、満足していたのだ。

 一種の自己満足でしかないのだが、

「文章に起こすことだって、結局は自己満足にすぎない」

 と思っていたこともあって、それでよかったのである。

 教師になり、その経験を生かすことができたと思っていたが、教師を辞めるに至って、今度は文筆業に従事するようになると、大学時代の発想は頭の中で封印して、それよりも文章を書くことで褒められた中学時代を思い出すようになった。

 あの頃は本を読んでいたわけでもないのに、文章が勝手に生まれてきて、それを褒めてもらえた。

「もし、あの頃に文章を読むのが好きだったら、もっと文章が上達しただろうか?」

 と思ったが、

「そんなことはないような気がするな」

 と漠然とだが感じた。

 結局は努力しようが、努力せずとも行き着くところとの差は、さほどないような気がしていた。こういうと、

「実も蓋もない」

 と言われるのであろうが、いろいろ何かを考えるにあたって、必ずどこかに限界というものがあり、そこにぶち当たってしまうと、結局は堂々巡りを繰り返すことになるのだということを、どこかの時期で矢吹は悟っていたに違いない。

 それは年齢からくるものなのかどうかは分からない。しかし、自分の中で吸収できるものを吸収すればするほど、飽和状態になるのは避けられず、飽和状態になると、そこから先は放出するか、消化させるかのどちらかをしなければ、自分がパンクするだけだ。

 堂々巡りに陥っているという自覚がなければ、きっと消化することはできないのではないかと思う。消化できずにいると、放出するしかなくなってしまい、放出してしまうと、今度はまったくなかったことになってしまうということを、矢吹は最近気付くようになった。

 そこまで考えると、夢の中で見たものを覚えていないというのは、消化できずに目が覚めている間に放出してしまい、放出が終わると覚えていないということになる。目を覚ますという状況は、飽和状態になったものを消化するか放出するかを選択し、そのどちらかを持って目を覚ます。覚えている夢は消化できたのであろうが、いかんせん、覚えていることというのは、消化した残りということになる。

「夢を見た中で覚えている夢って、怖い夢ばっかりなんだ。どうしてなんだろうな?」

 という友達の話を思い出した。

 その時矢吹も、

「まったくだ」

 と答えたが、この言葉に自分の気持ちの全部が入っているように思えてくるから不思議だった。

 夢というのを絶えず考えているような気がしたのは、フリーライターになってからだ。

 それまではいつも前ばかりを見て過ごしていた。前というよりも上と言った方がいいかも知れない。

 教師という仕事を辞めなければいけなくなったことで、それまで感じたことのない本当の意味での挫折を味わったと思った。

「挫折というのは、自分の中で後ろ向きの発想という思いを抱いた時にしか感じることができないものだ」

 と思うようにもなった。

 初めて感じた後ろ向きへの考え方、今まで上ばかりを見てきたことを痛感した矢吹が感じたもう一つの思いは、

「気持ちに余裕なんかあるわけもないよな」

 というものだった。

 上を見ていると、下が見えない。下手をすると下に何もないことに気付いてしまうかも知れない。上ばかりを見ていると、下に何もなくとも立っていられるような気がしていた。何もないということを感じながら意識しないということは難しいことだ。ちょっとでも下を見ると本当にそこに何もないことを自覚してしまう。上ばかりを見ている時は下に何もなくとも何とかなるもので、いわゆる、

「決して見てはいけない」

 というタブーなのではないだろうか。

 そこまで感じてくると、

「開けてはいけない」

 と言われるおとぎ話や神話の話、

「パンドラの箱や玉手箱」

 という発想も分かってくるような気がした。

 余裕のない人間が、見てはいけないものを見てしまうと、悪いことしか起こらないという教訓なのかも知れない。(ただ、玉手箱の話は諸説あるため、この場合に当てはまるかどうか、作者にも疑問ではある)

 逆に、

「余裕のない状態だからこそ、見たくなってしまうというのが人間の性と言えるのではないか?」

 という思いである。

 それを見越して相手も、

「見てはいけない」

 と言っているのであれば、作為が感じられたとしても無理のないことであろう。

 綾香との出会いに運命のようなものを感じながら、矢吹は同窓会の日を迎えることになった。

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