意識が時間を左右する

森本 晃次

第1話 ある朝の風景

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。


 今まで見たこともなかった鏡が気になるようになったのは、自分を意識するようになったのか、それともまわりの視線が気になるようになったからなのか、ハッキリとは分からない。一人で鏡を見るという行為が恐怖を煽るという意識は子供の頃からあったので、それがいつの間にか癖になってしまったようで、無意識の意識と言えるのではないだろうか。

 大人になってから気が付けば癖になっていたということも珍しくなく、特に鏡のようなアイテムが気になるようになったのは、大人になってからではないように思える。

 大人になると、余計なことを考えないようにしていた。怖いという感覚はリアルな思いでたくさんだと思っていた。

「恐怖は人とのかかわりの中にこそ存在する」

 と言われたことがあったが、まさにその通りだった。

「お前は本当に子供の頃と比べて変わったよな」

 と、腐れ縁の友達からよく言われる。

 今年で五十二歳になる矢吹次郎は、学生時代の自分が嫌いだった。女の子にはよくモテたのだが、そんな自分が嫌だったのだ。

 男性からはあまり好かれることはなかった。友達というと社会人になってからの人はいない。学生時代の友達数人と時々一緒に食事をするくらいで、それもお互いに仕事が忙しかったりして、結局は会うのも億劫になり、会うこと自体に気を遣うということを感じると、連絡をすることもなくなってきた。

 そんなある日、高校の同窓会の案内が届いた。今までは同窓会に顔を出すこともなく、学生時代の記憶も色褪せてきた。そんな時に届いた案内状だったが、そのまま封を開けることもなく、同窓会があったということすら忘れてしまう運命になったことであろう。

――そういえば、去年も来たっけ?

 と、たまに届く案内状が最後はいつだったのかを思い出そうとしても思い出せるものではなかった。

 案内状が届いた次の日だったか。学生時代の腐れ縁であるが最近は縁遠くなりかかっていた友人から連絡を貰った。昔の名残で家には固定電話を置いていたが、固定電話が鳴るなど本当に久しぶりだったので、ビックリした。

 ファックスと一緒にしている固定電話だが、仕事の関係もあって、ファックスでのやり取りもあるので、固定電話は取り外そうとはしなかった。だから最初呼び出し音がなった時も、

「ファックスだろうな」

 と思ったくらいだった。

 だが、三回コールした時点で電話だと分かると、反射的に受話器を取った矢吹だった。

「もしもし」

 電話になると少し声のトーンが下がる矢吹は、よほどの用事がないと、掛けたくないらしい。矢吹はそのことを自分でも分かっていて、会社を離れて掛かってきた電話には、どうしても緊張してしまうのだった。

 そんな矢吹の声に相手は委縮したのか、すぐには返事をしなかった。ただ息遣いだけは聞こえてくるので、矢吹は相手の反応を待っているだけしかできなかった。

「もしもし」

 意を決したのか、相手もやっと声を発した。

「どちら様でしょうか?」

 と聞くと、今度は間髪入れずに、

「星野です」

 という言葉が返ってきた。

「星野義男君かい?」

 聞き覚えのある声にやっと懐かしさがこみあげてきて、

「ああ、久しぶりだね」

 と言われ、

――確か一年ぶりくらいかな?

 数人いる腐れ縁の仲間の中で、一番最近まで話をしていたのが、今電話を掛けてくれた星野だった。

 一年ぶりということであれば、それほどの久しぶりというわけではないのだろうが、ほとんど友達付き合いもなくなってきた矢吹には、久しぶりという星野の言葉が新鮮に感じられた。

 星野は確か地元大手企業で営業部長をしているはずだった。数人の友達の中でずっとサラリーマンを続けている唯一の男で、営業部長という地位が出世頭なのかどうか分からないが、地元で大手の企業での部長というポストが決して低い位置であるとは思えない。

 三十歳の途中くらいまでは定期的に会っていた友達の一人だったが、その頃はバリバリの営業マンで、出世というイメージよりも、やり手のイメージの方が強かったので、部長さんと言われてもピンとこなかった。

「今年の同窓会なんだけど、お前は来れるかな?」

 星野はそう言って、すぐに本題に入った。

 懐かしさに浸る暇もなく、彼はそう言ったが、これも星野という男の性格でもあった。すぐに本題に入るのは星野の短所ではあったが、長所でもあるような気がする。星野は学生時代からよく話をしたうちの一人だが、一番理屈っぽかったような気がする。

 大学では文芸に興味があり、今フリーライターをしている矢吹と一番話が合っていた。

 大学時代には文芸サークルに所属していて、同人誌の発行にも二人が中心になってやっていたので、星野が部長で、矢吹が副部長の時代もあったくらいだった。

 学生時代は星野の方が目立っていた。星野はいつも前に出ていて、作品にもその傾向が序実に現れていることもあって、いつも巻頭を飾るのは星野の作品だった。

 矢吹はどちらかというと裏方に徹しているところもあり、編集の仕事や構成の仕事などに長けていた。矢吹は大学を卒業すると、すぐに地元の出版社に就職したが、出版社のやり方と合わなかったこともあって、三十歳を過ぎて会社を辞め、フリーライターを続けるようになった。

 生活は決して楽ではなかったが、信念を貫いているという気持ちもあって、出版社で働いているよりもよほどやりがいがあった。それでも生活のために仕方なく、理不尽と思えるような記事を書いて生計を立てている時期もあった。

 だが、そんな苦悩を後に引かないのは矢吹のいいところと言っていいのか、すぐに新たなネタを探しに出かけると、すぐに前の理不尽さを忘れ去ることができたのだ。

 友達連中と連絡を取っていたのは、フリーになってからもしばらく続いていた。大体決まった四人の中でのことだったが、皆が一堂に会するのは一年に一度くらいだろうか。別に同窓会に参加するというわけではなく、それぞれに予定を調整し、定例会の気分で集まるのだった。

 誰かが幹事になるというわけではなく、調整するのはいつも星野だった。大学時代にはいつも前面にいて目立つ存在だった彼が、卒業後は裏方ともいえる幹事のような役を担うようになったのは、彼だけがサラリーマンという社会人としての団体生活に従事するようになったからであろう。

 集まったからと言って、別に議題があるわけではない。一番の集まる理由というと、顔見せという要素が多分にあり、一年に一度くらいの割合で会うことで、生存確認をしていると言っても過言ではない。

 二十代くらいは、一年一年が結構長かったからか、

「久しぶり」

 という言葉が様になっていたが、三十代になると、それまでとは明らかに一年が経つのが早かった。

 あっという間に一年が過ぎ去り、

「久しぶり」

 という言葉に違和感を感じるようになっていたが、別の意味でその言葉がしっくり来ていることを不思議に思いながらも、その言葉が対面の挨拶として定着していたこともあって、言葉を発することに対しての違和感はなかった。

 三十代になると、久しぶりという言葉は普段でも口癖のようになっていた。毎日を充実している人も、時間に追われる人も、時が過ぎるのをあっという間に感じているからに違いない。

「一日一日は長いんだけど、一週間になると、あっという間なんだよな」

 という人もいれば、

「一日一日はあっという間なんだけど、一週間は結構長く感じる」

 という人もいる。

 それは会うたびに同じ感覚になっているわけではなく、次に会う時にはまったく正反対の感覚を口にする人がほとんどのような気がする。かくいう矢吹も同じように思っていて、どんな時にその感覚が違ってくるのか、よく分からなかった。

 忙しさや充実感だけでは言い表せないものがあるような気がする。形式的な感覚だけではなく、内面的な感覚からも溢れ出るものがあるのではないかと思うのだ。

 三十代の半ばで、連絡を頻繁に取っていたにも関わらず、途中から急に連絡が疎かになり、集まることもほとんどなくなっていた。その理由はハッキリとしていて、中心にいた星野の行動がそれほど活発ではなくなってしまったことが原因だった。

 星野の行動が鈍ってくるのと平行し、後のメンバーも次第に消極的になってきた。

「ちょうどよかったかも知れないな」

 と他の人も思っているかも知れない。

 矢吹もそこまで露骨ではなかったが、一人がトーンダウンしてくると、自分もどこか冷めた気分になってきて、

「ぎこちなくなるよりも」

 という気持ちも強く、人と関わることが極端に減ってきた。

 それでも、仕事での取材は別で、取材の場合は仕事と割り切るというよりも、聞きだすことがメインなので、毎回違った人に出会うという新鮮な気持ちが優先し、それなりに楽しんでいたような気がする。

 矢吹は学生時代から一人でいる時間と人といる時間を明確に分けていた。それができることが自分の長所だと思っていたが、それは自分だけの特徴だと思っていたこともあり、独自の考え方が形成される要因になっていた。

 それを個性と言えば個性なのだが、同じ性格でも人それぞれだという当たり前のことなのに、それを自分の個性だと考えられることこそ、矢吹の長所なのかも知れない。

 さらに矢吹は自分の考え方や性格を人に押し付けることはしない。それを罪悪だと思う傾向にあり、そうなったのは、中学時代の友達に、自分の性格を相手に押し付けるようなやつがいたからだ。

 アニメなどを見ていると、ひとりくらいいるキャラクターであった。昔で言えば、

「ガキ大将」

 と言えるような人で、一口に言えば、

「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの」

 というのを信念にしているようなやつである。

 本人には悪気はなのだろう。それだけにこれ以上の迷惑はない。なまじ意識があれば、説得もできるのだろうが、本人に意識がない分、意識させる必要がある。しかし。それを意識させることがどれほど難しいか、矢吹は分かっているつもりだった。

いわゆる、

「反面教師」

 というのだろうか、そんなやつを見ていると、決して自分はそんな風にはならないという意識をしっかり持つようになった。

 矢吹は中学時代まで、本当に目立たない少年だった。高校時代も同じだったのだが、中学時代までと違って、皆が目立たないことを信条にしていたので、クラス全体が暗い雰囲気で三年間を過ごした気がした。

 高校時代は、人間関係以前に、皆がぎくしゃくしていた。要するにまわりは皆ライバルであり、ハッキリ言って敵なのだ。

 敵でないとしても、人のことには関心しないという気持ちが基本であり、誰もが他人事のように思っていたのだ。

 だから、高校時代は一日一日はなかなかすぎてくれなかったはずなのに、三年間はあっという間だった。その理由は、その三年間のうちに何ら印象に残ることが一つもなかったということだった。

 大学に入るとその反動か、友達をなるべくたくさん作ろうと思った。とにかく友達と言えるような人をたくさん作ること。それが先決であった。そこから本当の友達になれそうな人を選別するのは、ゆっくりでもいいと思っていたのだ。

 大学に入ると、挨拶だけをする人が結構いた。それを友達と言えるかどうか疑問だったが、そういう意味で挨拶だけはしっかりするようになったのは、いい傾向だったに違いない。

「あいつの挨拶は実に気持ちがいい」

 という理由から友達になってくれた人もいるくらいで、友達になる理由は数多いに違いないが、きっかけはある程度決まっているのかも知れない。

 同窓会もその間に何度かあった。

 中学、高校の同窓会も誘いのはがきは来ていたが、どちらも行く気がしなかった。そもそも、誰がいたのかすら印象にはなく、特に高校時代のクラスメイトとはもし会話になったとしても、何を話していいのか分かったものではない。

 それは自分が感じているだけではなく、相手も同じことを思っているだろうから、それを思うと、同窓会など最初からいかない方がいいに決まっていると思うのだった。

 そんな矢吹に対して、大学時代の友達で、三十代くらいまで定期的に会っていた仲間の一人である星野から連絡があったというのは、正直意表を突かれたようでビックリしていた。

――なぜ今頃?

 と感じ、誘いを掛けてきたことに何かの意図が感じられたが、無碍に断ることもできず、とりあえず話を聞くのも悪くないと思った。

 矢吹は自分の高校時代を思い出していた。決して楽しい時期ではなかったからなのか、同級生の名前を聞いてもピンとくる顔が思い浮かんでくるわけではなかった。

――皆の顔がまるでのっぺらぼうのようだ――

 と、思い浮かべたとしても、顔は逆光になっていて、確認することができなかった。

 ただ先生だけは思い出すことができる。別に教育熱心だったわけでも、生徒思いの先生だったわけでもないが、同級生を見ているよりもマシだった。

 同年代ではないという思いが大きかったからなのかも知れない。先生の授業は内容のわりには結構面白かった。もちろん先生全員が面白かったわけではなく、つまらない先生が大半だった中で、気になる先生が二人か三人ほどいたという程度である。

 それまで将来のことを考えたことのなかった矢吹が、初めてやってみたいと思った職業が学校の先生だった。それまでは漠然とも将来について考えたこともなかったのに、教師というものに興味を抱くと、その思いはどんどん大きくなっていくのを感じた。

 大学への進路は教職の取れる各部を目指した。進路指導の先生とも話をしながら、無理のない受験計画を立て、それに沿った勉強ができたため、無事に現役で大学にも合格することができた。

 大学に入ってからは、友人をたくさん作るという目標と、先生になるという目標を並立させて、恰好のいい表現、いわゆるベタに言えば、

「青春を謳歌できた」

 と言えるのではないだろうか。

 とは言っても、大学での成績はパッとするものではなく、すべてにおいて平均的で、可もなく不可もなく、いわゆる平凡なものだった。教員免許も無難に取得することができて、赴任フル学校も簡単に決まり、順風満帆に進んでいるように見えた。

 某高校に赴任した矢吹は、生徒からそれなりに人気はあるが、別に慕われていたというほどの先生でもなかった。もっとも今教師が慕われるような時代なのかどうか疑問ではあるが、矢吹はこれまでの自分の人生に満足していた。

「平凡な生活を続けることが難しい」

 という思いを持っていたからで、余計なことをせずに長いものに巻かれるのも仕方のないことだと思っていた。

 矢引が教員になって五年目くらいだっただろうか。担任のクラスも任されるようになった矢吹だったが、不幸は突然に襲ってくるものだということを、この時に嫌というほど思い知らされたことだろう。

 あれは夏休みのことだった。自分の生徒数名で海水浴に出かけた時のことである。海水浴場の中で泳いでいる分にはよかったのだが、彼らは少し冒険心が旺盛で、泳いではいけない区域で泳いでいたという。そのグループは男子だけの四人グループで、いつも学校ではつるんでいるのが一目瞭然な四人組だった。べtr巣に不良というわけではないが、優等生でもない。こういう生徒がある意味、一番危ないのかも知れない。

 何もなければ事なきを得るのだろうが、そんな時に限って事故というのは起きるもので、一人が行方不明になってしまった。別に波が荒かったりしたわけではないので、

「どこか向こうの方で休憩でもしているんじゃないか?」

 という彼の指さした先には、砂浜が途切れたところに岩場があり、その向こうは死角になっていた。

 だが、一時間近く経っても、いなくなった一人が戻ってくることはなかった。そのうちに一人が、

「これってヤバくないか?」

 と言い出した。

「そうだな。そろそろ警察に届けた方がいいんじゃないか?」

 と急に皆、ビクビクし始めた。

 きっと皆心の中では危ないのではないかと思っていたのかも知れない。だが最初に言い出すのが怖くて、誰かに言ってもらいたかったのではないだろうか。

 ほどなくして一人が警官を連れてきた。警官は状況を見るとすぐに無線でどこかに連絡している、きっと本部への連絡と、手配のお願いだったのだろう。電話が終わると、

「手配はしたから」

 と言って、彼らにその時の状況を聞いた。

 泳いではいけないところであることは理解したうえで、こんなに天気のいい状況で、人がいなくなるなど想像もしていなかったという。海水浴場は常に監視されている。海の事故を防ぐのも当たり前のことだが、人が集まれば犯罪も起こりかねないということでの監視でもあった。監視するにも人の目が主なのでその範囲はおのずと知れている。だから監視できないところは基本、泳いではいけない禁泳区になっているのだ。

 高校生にもなるとそれくらいのことは分かっているだろう。それでも泳いでみたかったのは、旺盛な好奇心と、誰にも監視されたくないという自由な気持ちの表れからの、大人に対しての抗議のような気持ちだったのかも知れない。いわゆる

「大人に対しての自分だちの存在をアピール」

 をしたかったのかも知れない。

 行方不明になった生徒はその後、溺れているのを救助されたということだったが、生徒たちは問題となり、停学処分を課せられた。皆、甘んじてその処分を受け入れたが、矢吹はその処分を重すぎるとして学校側に抗議した。

「矢吹先生、これはルール違反を犯して、まわりの大人に迷惑をかけたということで、重大な責任が彼らにはあるということですよ」

 と校長から言われた。

「それはそうかも知れませんが、少し処分が重すぎると思います。彼らはクラスでも普段は大人しく、問題を起こすような生徒ではないんですよ」

 というと、

「そういう生徒だから怖いんです。夏休みという解放された時間で、軽い気持ちで羽目を外したつもりなんでしょうが、それが大きな問題を引き起こした。つまりは状況判断が甘ければどういうことになるか、思い知らせてやることも教育者の務めだとは思わないんですか?」

 矢吹は、

――もっともなこと――

 とは思ったが、気持ちとしては釈然としない。

「これじゃあ、まるで見せしめのようなものじゃないですか」

 というと、

「ええ、そうです。一種の見せしめです。これは時として必要なものだとは思いませんか? 彼らは未成年で高校生ではありますが、大人と同じように危険を犯すことはできるんです」

 この話も矢吹には理解できた。

 理解はできたが、反論しないわけにはいかない。だが、理論が分かるだけに反論するにも自分の意志をぶつけることには自分の中で矛盾ができてしまう気がした。

――このままでいけば平行線を描いてしまう――

 と感じ、それ以上の反論はできず、引き下がるしかなかった。

 これは矢吹にとって屈辱的なことだった。

 先生になって、いや先生を志してから今まで、まったく波風が立つことのないほどの順風満帆だったのが、急に大きな壁にぶつかってしまった。今までが順風満帆だっただけに、こんな時にどうしていいのかというノウハウを、彼はまったく持っていなかったのだ。

 起こってしまったことはどうしようもなく、彼らが停学処分を受けることもしょうがないことだとは頭の中で思っている。しかし、どこかに一抹の不安があり、その不安は不幸にも的中することになった。

 停学になった生徒四人は、学校に出てきても、誰とも会話をすることもなく、完全に孤立してしまった。四人のグループが孤立したわけではなく、四人の中でもそれぞれにぎこちなくなってしまって、一人一人が完全に孤立してしまった。

 事故が起こったということに関しては時間が経てば誰もが忘れてしまっているようだった。言葉にするのがタブーとなったこともあってか、事故が起こってからしばらくは誰も事故のことを口にすることはなく、そのせいでクラスの雰囲気は凍り付いてしまったかのような最悪の雰囲気を醸し出すようになっていた。誰も余計なことを口にすることもなく、休み時間など他愛もない話をしている連中は相変わらずに見えたが、明らかに雰囲気は違っていた。

 それでも時間が経てば皆忘れてしまったかのように、いつの間にか雰囲気は前のように自然感じに戻っていた。自分が当事者ではなく、教壇の上から他人事のように見たので、その状況がよく分かったのだろう。

――他人事――

 そう、この思いが矢吹にジレンマを与えた。

 あれだけ校長に意見を言った自分が、いつの間にか他人事として教壇の上から全体を見渡すようになっていたのだ。屈辱を感じたあの時からそんなに時間も経っていないのにである。

――きっと屈辱を感じたあの時から、自分の中で何かが弾けたのかも知れないな――

 と感じた。

 ジレンマは次第に八つ当たりに変わっていった。

――あの連中が余計な事件を起こさなければ、俺はこんな気持ちになることなんかなかったんだ――

 そんな連中を庇うかのように、校長に意見した自分が今では忌々しく思えてきた。

――あの時の俺は本当に俺だったんだろうか?

 と思ったからだ。

 そう思うと、今度は、

――あの時の俺と今の俺とでは、どっちが本当の俺なんだ?

 と考えるようになった。

 また、今の自分もあの時の自分も本当の自分ではなく、本当の自分は他にいるのではないかと思うようにもなっていた。

――こんな風に自分について悩むなんて、今までにあったことだろうか?

 なかったことはないと思っているが、あったとしても、それは思い出せないほどの遠い過去であることはハッキリしている。

 過去を思い出すということも、今までにはあまりなかった。かと言って将来に思いを馳せるようなこともなかったはずなので、見ていたのは絶えず現状だけだということになるだろう。

――過去を振り返ることが多いことと、現状のみしか見ていない自分とでは、どっちがいいことなんだろう?

 と考えた。

 答えは出るはずなどないと思いながら、考えることをまんざら悪いことではないと思い始めていた矢吹は、この考えの延長線上に、自分が教師であることの意義という発想が生まれてくることなど、その時には思ってもみなかった。

 自分が教師であることの意義を考えるようになると、教師であることへの執着が急に薄れていくことを感じた。

――冷めてきた――

 と言ってもいいだろう。

 あれだけ教職に就くということを目指すようになって、その目標に向かって一心不乱であったことで、余計なことを考えず、余計な力を入れないことが順風満帆だった秘訣だということに、この時初めて気づいたような気がした。

 順風満帆というのは、まわりを見て見ぬふりをすることでもあり、まわりの影響を受けないように、自らがまわりを遮断する対応を取っているということである。順風満帆という言葉を手放しにいいことだと思っていた自分が、本当に自分なのかと疑問に感じてしまうほどで、教職に対してすら、疑問を抱くようになった。

――あれだけ何年もの間、疑問に思うこともなくやってきたのに――

 と感じた。

 そういえば、一体どうして教員になろうと思ったのかということすら、過去の記憶として封印してしまったような気がしていた。それは忘却の彼方に追いやってもいいと思うくらいの記憶に残らないものだったと言えると思ったからだ。

 もちろん、きっかけはあった。だが今から思えば、教師になろうという意識を持つまで、何に対しても興味を持つことのなかった自分がいたということを認識している。今でも何かに興味を持つということに関してはあまりないのが自分の性格だと思うようになっていた。

 教師になろうと思うようになって、

――俺は変わったんだ――

 と感じた。

 その思いは結構強かったように思う。それまでの自分を閉鎖的で暗い人間だと思うことができるようになったくらいだからだ。

「人というのは、よほど自分が変わらなければ、それまでの自分がどんな人間だったのかということを理解することはできない」

 と、高校の先生に言われたことがあったが、まさにその通りだと思った。

 自分が教師を目指すようになったことで、過去の自分を顧みることができ、過去の自分をまるで反面教師として見ることができると思うようになった。

 矢吹は自分が教師であることの意味を、最初から考えていなかったのかも知れない。

「教師になりたい」

 という目標はあったとしても、

「どんな教師になりたい」

 というビジョンがハッキリしていなかったことは後になって分かったことだ。

 そうなってしまうと遅いというのが本当のところであろう。教師になりたいということだけを考えていると、

「教師になることがゴール」

 と思ってしまう。

 教師になってしまうと、満足してしまって、そこから先の目標をなかなか立てることができず、気持ちが中途半端になるだろう。いや、中途半端だったからこそ、教師になることをゴールとしてしまい、なってしまってからが暗中模索になってしまうのだった。

 自分の教育方針と、実際の教育現場ではまったく違っていた。

「理想と現実」

 その違いの大きさに矢吹は閉口してしまった。

――俺が教師なんかやっていていいのか?

 そのうちに自問自答を繰り返すようになり、自分が何をやっているのか分からなくなった。

 不登校に引きこもり、苛めに授業のボイコットなど、日常茶飯事。表に出ていることを解決するだけでも大変なのに、表に出てこないことの方が深刻だというのも、世の常というもおのだ。

 細かい事件が絶え間なく襲ってくる間に、重大な事件が発生した。それまでは事件と言っても万引きだったり喧嘩だったりと、警察沙汰を大事件だと思っていたのだが、それどころではなかった。

 矢吹のクラスの女子が自殺をしたのだ。

 その遺書には、矢吹のことを好きになり、矢吹と付き合ったが、最近は冷たくなったという内容の遺書だった。まったく身に覚えのないこと。言い訳をしたが、誰も信じてくれない。PTAは逆上し、同僚の先生も言葉では信じているとは言っているが、その視線は完全に推定有罪の目で見ていた。言い訳をすればするほど立場は悪くなり、完全に四面楚歌に置かれた。

 生徒たちの目は教師を見る目ではない。もっとも、それまでも自分を教師という目で見られていたという意識はなかったので、それはどうでもいいのだが、それまでどうでもいいと思っていた視線を怖いと感じるようになると、被害妄想に苛まれる毎日を過ごすのは、苦痛以外の何物でもなくなった。

――俺はどうしたらいいんだ?

 あれだけ目指していた教師だったのに、いつの間にか理想と現実の壁を感じるようになったかと思うと、追い打ちを掛けるような自殺事件。

 いや、追い打ちではなく、とどめを刺されたと言った方がいいだろう。もう、自分の居場所は学校にはない。教育の場にはいてはいけないと思った。

 矢吹は辞表を書き、教師を辞めた。二度と教師はやりたくないという思いを辞表に込めて、最後になる学校の校門を抜けた。

――俺は生まれ変わったんだ――

 何に生まれ変わったのか分からないが、そう思わないと自分が浮かばれないと思った。

 自殺をした女子生徒がどういう気持ちで自殺をしたのか分からないが、完全に自分は巻き込まれた気分だ。本当に自分のことを好きだったのかも知れないが、そんな素振りを感じなかった。ひそかに思い続けた最後に自分をまき沿いにして自殺をするなど言語道断でしかない。

 矢吹は彼女をかわいそうだなどとは思わない。どんな理由があったにせよ、何も関係のない人を巻き込むのはあってはならないことだと思った。

 今まで生きてきて、これ以上ないという理不尽さを思い知らされ、目標を失った矢吹は、そう簡単に立ち直れるわけはないという思いを持ったまま、それでもこれからどうすればいいのかを考えなければいけなかった。

 しばらくの間は何も考えられなかった。無理もないことだ。まわりから受けた無言の攻撃、叱責する視線、自分を全否定された気分だった。

 だが、そんな気持ちも時間が解決してくれる。その思いだけを持って、何も考えられない時期を矢吹は過ごした。

――しょせん、教師など俺には似合わない――

 と思うようになった。

 考えてみれば、自殺事件がなくても、矢吹は教師という職業に限界を感じていた。あの時は壁にぶつかったという程度にしか思っていなかったが、実際には限界という壁だったように思えてならない。

 数か月ほど仕事をする気にはならなかったが、さすがに季節が変わると気分も変わってきて、

「そろそろ職を探さないと」

 と思うようになった。

 ハローワークに通ったりいろいろしたが、すぐに見つかるものでもなく、またしても現実の厳しさを感じ始めていた時だったが、そんな時、天の助けか、大学時代の友人に出会った。

 彼は出版社に就職し、今は社会部の記者としてバリバリに働いているという。

 彼の誘いで呑みに行って話をしたが、

「社会部ともなると、結構大変でな。なかなか自分の時間を取ることもできないくらいなんだ」

「そうなんだ」

「ところでお前は教師を目指していたんだよな? 教師になれたのか?」

 と言われて、どう答えていいのか分からず、返答に困っていると、

「そうか、いろいろあるんだな」

 と言われて、

「あ、いや。俺は教師にはなったけど、辞めたんだ」

 と言って、これまでの経緯を話した。

「なるほどな、世間的にはよくあることだと思うが、実際に自分がその立場になれば、いたたまれない思いなんだろうな。大変だったな」

 と言われ、思わず眼がしらが熱くなるのを覚えた矢吹だったが、それを久しぶりに呑んだ酒のせいにして、何とかごまかすことができた。

「大変だったな」

 という言葉がなければ、ここまで目頭が熱くなることはなかっただろう。

 その時矢吹は、たった一言で救われた気持ちになれることを知った。

――言葉ってすごいな――

 と思った。

 そして言葉には魔力があり、魔力は人を助けることができると感じた。逆に凶器にもなるということが分からなかったわけではないが、その時の心境は、

「藁をも掴む」

 という思いだったこともあって、完全に救われる気持ちが優先していた。

 彼とはそれからも何度か呑みに行く機会があった。なかなか就職活動もままならない時期だったので、彼との会話は癒しには十分だった。

 そんなある日、彼から一つの提案があった。

「お前、フリーライターにならないか?」

 と言われた。

「フリーライター?」

「ああ、うちの文芸の方で、フリーライターを募集しているんだ。社会部のように毎日が戦争状態と違って、一応の締め切りはあるが、さほど厳しくはないので、まだ就職が気合っていないならフリーでもいいんじゃないか?」

 と言われた。

「フリーか」

「矢吹は学生時代から文章を書くのが好きだったじゃないか。特に風景や情景を文章にするとうまいと俺は思っていたんだぞ。これはいい機会だって思わないか?」

 確かに矢吹は自分が書く風景や情景を描いた文章を我ながらいい文章だと思っていた。ゼミの先生からも褒められたことがあった。

「君の文章には引き込まれるものがある。楽しいものをウキウキした気分にさせることのできる才能というのかな? 目でしか感じることのできないものを、胸でも感じることができるようにさせる力がある」

 最高の誉め言葉だった。

 もし、教師になりたいという意思がなければ、文筆家を目指したかも知れないと思うほどだ。

「少し考えてみようかな?」

 と友達に言ってその日は別れたが、すでにその時には大いに興味をそそられて、断る理由が見つからないほど積極的に考えていた。

 すぐに返事をするのはなぜか気が引けたので、一週間ほど経ってから彼に、

「面白いと思うので、せっかくだから、話だけ聞きに行きたいんだけど」

 というと、彼も矢吹が乗り気なのを喜んで、

「そうか、それはよかった。じゃあ、文芸部の編集長には俺の方から話しておく。大丈夫だ、紹介者が内部の人間ということであれば、結構大きなコネになるからな」

 と言ってまるで子供のような喜びようだった。

 さっそく数日後に矢吹は出版社を訪れた。

「矢吹さんは、カメラワークはどうですか?」

 と言われた。

 それまでは文章に関しての話であったが、友人が最初に話をしてくれていたのだろう。さほど聞かれることもなかったが、カメラワークの話になると、さすがに一瞬引いてしまった自分がいた。

「カメラに関しては、まったくの素人です」

 と正直に答えたが、

「大丈夫ですよ。うちにはカメラ専属の人もいますから、その方とペアを組んでいただきます。カメラだけはプロ級でも文才に関しては素人の人ですから、フリーのライターさんと組んでくれることは私たちにとっても彼を生かすことができるのでありがたいことだと思っています」

 といい、一人のカメラマンを紹介された。

 彼は矢吹よりも年齢的には少し上ではないだろうか。矢吹はその時二十代後半、そのカメラマンは三十代前半というところであろうか。

「よろしくお願いいたします」

 ということで、矢吹の採用は決まり、パートナーとなるカメラマンも一緒に決まることになった。

 彼の名前は南郷譲二と言った。最初に見た通り、彼は矢吹よりも五歳ほど年上の出会った当時は三十四歳だった。彼の経歴は聞いてみると興味が湧くものであり、彼に対しても興味が湧いていた理由が分かった気がした。

「私は元々画家を目指していたんですよ」

 というのだ。

「画家ですか。それが今はカメラマンなんですね?」

「ええ、画家になりたいと思ったのは中学時代。それも急にピンときたというのか。画家になりたいと思うとそれ以外のことは頭に入らなくなったんです。そしてそれから画家になるための勉強をしました。大学も芸術大学に進学し、美術絵画の道に進んだんです」

「それで?」

「大学二年生の時にパリに留学したんですが、それから私はパリでの生活が気に入ってしまい、帰国時期になっても帰国せずにパリで過ごすことを選択しました。大学も中退して、パリでの生活を本格化させました」

「じゃあ、パリでプロとしてデビューされたんですか?」

「そんなにすごいことではないんですよ。ただ感じたのは、パリでの中途半端な実力のまま日本に帰っても、中途半端なままで終わるって思ったんです。だから、日本で中途半端に終わるくらいなら、パリで今の生活を貫徹させようと思うようになったんですね」

「それで大学も辞めて? 後悔はなかったんですか?」

「後悔がなかったといえばウソになるかも知れませんが、少なくともその時は後悔はしないと思っていたんですよ。それで十分だと思ったし、だから、後になって後悔はしたかも知れないけど、あの時に後悔することはないという思いがあったからこそ、この程度の小さな後悔で済んだのだという気持ちになりました」

「ポジティブなんですね」

「いや、これはポジティブだとは思いません。もしポジティブだと思ってしまうと、考え方がすべてに優先しているように感じるでしょう? でも私が感じたのは考え方がすべてに優先しているわけではなく、感情が優先しているということだったんですよ」

 と南郷は語った。

 彼の熱く語る言葉には重みが感じられた。画家になろうとしてパリに渡り、そこで初志貫徹を目指した。そこからなぜカメラマンになったのかその先の話があるのだろうが、ここまでの話は矢吹を感動させるに十分なものだった。

――やっぱり、この人の話は面白い――

 と矢吹は感じた。

 南郷の話はもちろんそれで終わるわけもなく、話には続きがあるのだが、その日はそこまででお開きになった。南郷が敢えて話を遮ったのであって、そこに彼がどのような演出を試みようとしたのか矢吹には分からなかったが、

――彼なら何か考えがあってのことだ――

 と思わせるだけの根拠は十分にあったのだ。

 南郷と初めて組んだ企画は、

「秋の温泉湯けむりツアー」

 だった。

 まるで二時間サスペンスのような名前のツアーだが、主婦層が多いことからこいいうネーミングになったという。専業主婦がいかにも好きそうな名前であった。

 編集長の意向としては、

「初めての取材なので、すべてが自由というよりも、決まった企画の中での取材の方が気楽にできるだろう」

 というものだった。

 最初は少し物足りない気がしたが、編集長のいうことももっともなので、ここは謙虚な気持ちになって取材を敢行することにした。

 さすがに想像していたが、ほとんどと言っていいほど主婦の集まりだった。中には旦那さんも一緒にいる人もいたが、旦那さんはあまり乗り気ではないようだ。あくまでも奥さんの体裁のために呼び出されたという感が強く、旦那さんからすれば有難迷惑だったに違いない。

 温泉というと、昔家族で行った経験があった。まだ小さい頃だったので、少々のことでは疲れを感じることはなかった。それよりも好奇心が旺盛で、まわりの大人が疲れているのを見て、

――どうしてあんなにぐったりしているのかしら?

 と思っていた。

 旅館に到着すると嬉しくて、管内散策をしたいという思いから、部屋に入ってすぐに荷物を置くやいなや、部屋の外に出かけたものだ。

 ぐったりしている親は、そんな子供がどこに行ったのかなどすぐに気付くこともなかった。

「ねえ、次郎はどこに行ったの?

 と、少ししてからやっと母親が気付いて、

「さあ、知らないよ。旅館の中を探検でもしてるんじゃないか?」

 と気のない返事をしたことだろう。

「何言ってるのよ。あなたがしっかりしないから、あの子がフラフラしてるんじゃない。しっかりしなさいよ」

 と言ったことだろう。

 普段はあまり会話のない夫婦だったが、子供のことでよくケンカになっていたのは分かっていた。分かったと言ってももっと大人になってからのことなので、今の会話も大人になって想像しているだけであるが、そう大差のないものだったと矢吹は思っている。

 父親は、

「しょうがないな」

 と言いながらも、別に動くわけでもなく、横になったままの体勢で、母親に背を向けていた。

 そんな会話が行われているなどまったく知らない矢吹少年は、しばらくすると帰ってきて部屋に入ると、何となく嫌な雰囲気になっていることに気付いた。親二人はまったく会話をしておらず、完全に別々のことをしている。父親は縁側の安楽椅子に腰かけて表を見ていて、母親はテレビの前に座って、テレビ画面をじっと見ていた。

 似たような光景を家でも見たことがあった。こんな時は険悪なムードになっていることは分かっていて、その理由はその時々で違っていたが、この日ばかりはなぜか理由が自分にあるということを予感することができた。

 矢吹は声を掛けることもできず、かといって戻ってきた状態で、そのまままた表に出ることもできなかった。半分足が竦んでいたと言ってもいいかも知れない。

「次郎。温泉にでも入ってくるか」

 と言って、父親が誘った。

 母親はその様子をまったく知らんぷりしたままテレビ画面から顔を逸らすことはまったくなく、二人が部屋から出ていくまで微動だにしなかった。

 温泉に入っても父親はまったく声を掛けてくることもなく、何かを考えている様子だったが、結局まったく会話のないまま部屋に戻った。

 部屋に戻ると今度は母親が、

「じゃあ、今度は私」

 と言って、やっと重い腰を上げ、露天風呂に向かった。

 自分たちが風呂に行っている時間よりも数倍母親が帰ってくるまでに時間が掛かったような気がする。確かに女性の風呂は長いと言われるが、こんなに時間が違うとは思ってもみなかった。実際に時計を見たわけではないので、本当の時間は想像でしかないが。実際の時間よりも想像の時間の方がかなり長かったような気がして仕方がない。

 その間、やはり父親とは会話がなかった。

――こんなに息苦しいなんて――

 と思い、その時の温泉旅行は最悪だった。

 両親の怒りが何だったのか、どうしてそれに気付いたのか、今となっては思い出すことはできないが、大人になると、子供の頃のことを忘れるのか、それとも自分のことだけで精一杯になるのか、子供には理不尽以外の何物でもなかった。

 そもそも温泉旅行を計画したのは両親のはずなのに、子供としては親に連れてこられたというだけだった。親とすれば、

「子供のため。家族のため」

 という意識があったのかも知れないが、それぞれに自己満足したかっただけで、押し付けだったのかも知れない。

 それから矢吹は、

「親の押し付け」

 という意識が強く、親からどこかに行こうと誘われても断るようになった。

 親も誘うことはなくなり、夫婦でどこかに行くということもなくなった。

 両親は矢吹が高校の時に正式に離婚したが、アルバイトをしたりして、大学生活まで無事に終了することができた。

 教師を目指したのは、両親の離婚も一つのトリガーだったのかも知れない。自分の中では、

――そんなことはない――

 という思いもあったが、まったくなかったとは言えない自分もいた。

 カメラマンになって温泉に来ると子供の頃のことを思い出してしまう。苦い思い出なのだが、本当に苦いというよりも、ほろ苦いと言った方がいいかも知れない。何しろ小さな頃のことではあるし、あれから何年経ったというのだろう。トラウマとしては残っているが、立場がまったく違うので、逆にあの時の両親に近いくらいの年齢になっていたことも影響しているのかも知れない。

 だが、両親の気持ちは分からない。自分も大人になったのだから、少しは分かるのではないかと思ったが、分かる気がしないのだ。分かりたいと思っていないからなのかも知れないし、まだ独身だから分からないのかも知れない。

 ほろ苦いというのは、きっとあの頃の両親の気持ちも分からず、あの頃の自分の気持ちの記憶も遠ざかってしまっているからではないだろうか。もっとも子供の頃の記憶はここにきてやっと思い出したようなものなので、自分の記憶の中に封印していたのかも知れないと思った。

 温泉取材をそつなくこなした矢吹は、その出版社から結構仕事を貰うようになった。フリーと言っても、他からの仕事はあまりなく、その出版社の専属のようになっていた。社員に比べれば安定していないが、仕事の量もまあまああったので、給料面ではそれほど不満はなかった。

 そんな状態でフリーライターをずっと続けてきた。その間に二、三人の女性と付き合う機会があり、結婚を考えたこともあったが、結局五十代になるまで独身を貫いてきた。

「いまさら結婚というのもな」

 と思い、このまま独身でもいいと思っていた。

 フリーライターになってからというのは、大学を卒業してから教師をしていた時期に比べて時間の進み方はまったく違った。

 確かに年齢を重ねれば重ねるほど、時間が経つのはあっという間だという話を聞いたことはあった。しかし、ここまであっという間だというのは想像もしていなかった。教師をしている時に比べてフリーライターになってからの方が自由ではあるが、いつ仕事がなくなるか分からないという不安が絶えず頭の中にあることで、自由を凌駕する不安を絶えず抱えていることになる。

 それでも、フリーライターの仕事は自分に合っていると思った。幸いにも仕事がないという時期はほとんどなかったので、それなりに食いつないできた。母親もフリーライターになってすぐくらいに病気で亡くなったこともあって、本当に一人になったという自覚の元、気が付けばこんな年齢になっていたのだ。

 その間、南郷さんとのコンビは結構長く続いた。ずっと一緒に取材していたのは、二十年くらいになるだろうか。それでも数年前から南郷さんの方からコンビを解消したいと言い出した。理由を聞いてみたが、

「これと言った理由があるわけではないが、俺もそろそろ潮時かと思ってな」

 というだけだった。

 実は南郷は、体調を崩すことが時々あり、

「自分が思い描いている写真が撮れなくなってきたんだ」

 とよく呑みに行った時、こぼしていた。

 南郷の気持ちはハッキリいうとよく分からなかった。フリーライターという職業は、文章を書いてなんぼである。芸術という域に達していなくてもできる仕事だと思っていた。

 しかし、カメラは違うようだ。

 カメラマンとして仕事をしていくには、自分が納得できる写真を撮れる間はプロ意識を持った状態でテンションを保ったままいられるのだろうが、一度納得が行かなくなると、負のオーラに包まれるようで、下手をすると鬱状態に入り込んでしまい、仕事どころではなくなってしまうようだ。

 今までも何度かそういう状態もあったようなのだが、南郷の奥さんができた人で、そんな状態の時、いつも陰で支え、南郷を復活させていたのだ。矢吹はそれを分かっていたので、

――今回も奥さんが何とかしてくれる――

 という程度に思っていた。

 しかし、ある日その奥さんから話があると言われて会ってみると、

「実は主人なんだけど、今回だけはかなり重い状態のようなの、私が何を言っても半分聞いていないし、完全に自分で自信を失っているのが分かるの。本当に彼の思いとは程遠い写真しか撮れないのかも知れないわ。だから、今回のことであの人がどんな結論を出しても私は受け入れる覚悟をしたの。だからあなたにもそのつもりでいてほしいと思ってお話をさせてもらっているのよ」

 と言った。

「そうなんですね。南郷さんには本当に今までお世話になってきたので、急に目の前からいなくなるというのは想像もつかないんですよ。まるで夢のような気もするし、ただ、南郷さんがそういう状態にあるのであれば、本当に彼のしたいようにするのが一番なんじゃないかって思いますね」

 と、矢吹は自分がその覚悟をしなければいけない時期に来ているのだということを感じた。

 そういう会話があり、二人が別れて一人になってみると、矢吹は自分もそれなりに歳を取ってきたことを痛感していた。

 気持ち的にはいつも若いつもりでいた。

 三十歳を過ぎてから、あまりにも時間が経つのが早いせいか、二十代から歳を取っていないような錯覚に陥ることがあった。

 それは肉体的にというよりも精神的にというべきで、むしろ肉体的な面でいえば、年相応の気がして仕方がなかった。

 南郷ではないが、自分も五十歳を過ぎて、身体のあちこちにガタが来ているというのは分かっていた。

 腰が痛いことも多く、視力も落ちてきた。胃が痛いと思うことも増えてきて、どれも大事に至ることはないのであまり深くは考えていないが、それもすべてを年齢のせいだと思うことで自分を納得させているからだった。

 精神年齢と肉体年齢の差を、自分の中でギャップに感じていることで、自分の中が中途半端になっていることに気付いた。

 一日一日の長さに比べて、一週間、一か月、一年と長さが大きくなるにつれて、どんどん実際の時間よりも短く感じられ、本当にあっという間だったという感覚に陥っていた。

 それだけに、過去のことを振り返ってみると、そこにあるはずの時系列が曖昧になっている。

――あれ? どっちがどっちだったかな?

 という感覚である。

 それを年齢からくるものだとは思いたくない。しかし、そう思わないと、まるで自分が痴呆症にでもかかってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。それだけは認めたくなかった。

 アルツハイマーなのかも知れないとも思うが、これも認めたくない。まだ五十代という年齢で、いつも一人でいる自分は中途半端な存在だと思うことで、自分を負の要素で包むことは怖いと思うのだった。

 中途半端な年齢を感じていたそんな時、同窓会の話が舞い込んできた。

――そういえば、高校時代、女の子にモテたという気がするが、両親の離婚というのもあって、恋愛ということに関して相当冷めていたんだな――

 と思った。

 モテるくせに冷めた状態だった矢吹なので、男性から嫌われるのも無理もないことだと今なら思う。

――何様だって思われていたんだろうな――

 と感じたが、まさしくその通りであった。

 同窓会に参加する気になったのは星野からの電話が最大の理由だが、三十代まで連絡を取り合っていた仲間に会ってみたいという衝動に駆られたのも事実だった。

「仲間に会うというよりも、あの頃の自分に会ってみたいという感覚のような気がしている」

 と思った。

 仲間内での話をする場合は楽しかったのだろうが、三十代までに同窓会に出席していればどうだっただろう?

 皆は、昔のことを忘れてくれているだろうか?

 確かに自分もあの頃に比べて人間が丸くなった気がする。だが、人によっては環境でいくらでも変わる世の中なので、逆に意固地になっている人もいるかも知れない。下手に話をして、「地雷」でも踏んでしまうと、取り返しのつかないことになりそうで、それも怖かった。

 ただ、同窓会などたまにしかないものだ。その時に恥をかいたとしても、それがその後の生活に何か影響があるかといえば、ほとんどないだろう。そう思うと別に余計な意識をする必要などない。気軽に参加すればいいだけのことではないだろうか。

 同窓会の日取りは金曜日の夜と決まった。場所は以前に行ったことがある店だったので迷うこともない。時間は午後七時からと、自分にはそれほど難しい時間ではなかった。

 そもそもフリーなので会社の勤務樹幹に縛られることはない。それよりも取材で地元にいない場合の方が問題であったが、ちょうどその時は今の仕事が一段落している頃だったのも幸いだった。

 三十代の頃まで交流のあった連中と再会できるのも楽しみだった。皆それなりにおじさんになっていることだろう。どれだけ変わっているかというよりも、変わっていないでほしいという思いの方が強かった。なぜなら自分が学生時代から比べて一番変わってしまったと思っているからで、それならせめて知り合いくらいは変わっていないでほしいと思うのも無理もないことだった。

 同窓会が待ち遠しいと思いながら、今週も始まった。取材で出張していない限り、週に一回は出版社に顔を出すようになっているので、何もなければ月曜日にしていた。週の始まりということもあり月曜日に決めていた。

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