第3話 おじさんの言葉

 その日、おじさんとは複雑な心境で別れた。食事を終えてからおじさんは自宅まで送ってくれたが、その間、ほとんど会話があったわけではない。考えてみれば、その日、おじさんと何か会話を交わしたという意識もなかった。他愛もない話くらいは軽くしたかも知れないが、おじさんとして、そして姪っ子としての会話に発展することはまったくなかった。

 それはおじさんがあすなの気持ちを考えてのことだったのかも知れない。

 あすなにとっては家族の話をされることを避けたかった。おじさんと一緒にいるのも、家族のことを忘れたいという意識があったからだ。だが、あすなの中で完全に家族のことを忘れることはできなかった。なぜならおじさんを見ていると、家族のことが自然と浮かんでくるからだ。

 今まであすながおじさんと接触した時というと、必ず家族がいた。まだ子供のあすななのでそれは当然のことだった。今回初めて親から依頼を受けるという形でおじさんがあすなと家族を含めずに会ってくれた。過去を思い起こすと、どうしても家族が後ろに控えている感覚になるのも仕方のないことだった。

 おじさんの顔をあすなは最初の待ち合わせの時に覚えていなかった。会った時も、

――こんな顔だったっけ?

 と感じたほどだったので、あすなはその時から、自分が人の顔を覚えることが苦手なのだということを本気で意識した。

 元々人の顔を覚えることが苦手だったというのは意識の中であった。待ち合わせをして、自分が会うはずの人だと思って話しかけて、

「違いますよ」

 と言われた時のことを考えると、自分から声を掛けることができないと思った。

 今までにそんな経験をしたことがなかったはずなのに、やけにリアルに感じるのだ。

 今回のおじさんとの待ち合わせのように、誰かをどこかで一人で待っているということなどなかった。必ず両親のどちらかがそばにいたはずだった。

 だが、母親もあすなと同じように、人の顔を覚えるのが苦手だった。待ち合わせをしてもいつも相手から声を掛けさせるようにしていた。あすなとしても、

「あの人に間違いない」

 と思ったとしても、母親は話しかけることをしなかった。

 もちろん、母親もその人だという意識は持っているのだろう。チラチラとその人の方ばかりを意識して見ているからだ。あすながその人を意識したのも、そんな花親の気配を感じるからで、それだけ母親がその人を意識している感情があすなにも伝わるくらいにビンビンと伝わってくるものがあったのだ。

 あすなは母親から伝わってくる緊張感が、昨日の自分にもあったような気がした。どこからか、普段は掻くことのない場所から汗が滲んできていたような気がしていた。少なくとも額や脇から汗が滲んでいるのは感じたが、もう一つ気になったのは、掌だった。

 掌に汗を掻くなんて今までにはなかったことだった。それがあすなに限ってのことなのか、他の人も同じなのか分からないが、ある日、母親と一緒にどこかに出かけた時、あすなは別に何ともなかったのに、握手した時、母親の掌がぐっしょり濡れていたことがあった。

 その時、別に汗を掻く必要など何もないシチュエーションだったはずなのに、どうして汗を掻いていたのか分からない。ひょっとすると、あすなと一緒にいること自体が緊張に結び付くのか、それとも表に出るだけで緊張に繋がっているのか分からなかった。少なくとも母親はあすなが思っているよりもかなり臆病なのではないかと、その時は感じたのだった。

 そんな母親と同じように、おじさんと一緒にいるだけで汗を掻いてしまった自分を思うと、やはり母親はあすなと一緒にいることで汗を掻いていたのかも知れないと思った。相手があすなだということが重要で、赤の他人などでは汗を掻くこともなかったに違いないからだ。

 あすなは汗を掻くことで発生した感情、つまりは緊張感が、そのまま人の顔を覚えられないという弊害を生むのではないかと考えていた。

 その日のあすなは、そのまま眠ってしまい、それからどれくらいの時間が経ったのか、気が付けば、部屋に差し込んでくる朝日を顔に浴びる形で目を覚ました。

「う~ん」

 身体を目いっぱいに伸ばしてみた。

 その日の目覚めはさほど悪いものではなかった。今までのように喉がカラカラに乾いてしまったかのような目覚めではなかったからだ。ベッドのそばにある目覚まし時計を確認すると、時間は午前十時を過ぎていた。

「あっ、学校」

 と思ったが、冷静に考えるとその日は日曜日で、学校は休みだった。

 もう少しで、

「どうして、起こしてくれなかったのよ」

 と母親に詰め寄るところだったことを思い、思わず苦笑してしまった。

――あれ?

 何か違和感があった。

「今日って、日曜日よね?」

 と声に出して確認してみたが、時計を見ると確かに日曜日だった。

 あすなの感覚としては、昨日おじさんと遊園地に行った曜日から、今日が日曜日であるはずはないと思ったからだ。

 だが、意識がハッキリしてくるにつれて、昨日おじさんと一緒にいたという記憶がはるか昔の記憶に思えてきた。これってどういうことなのだろう?

 意識が完全にしっかりしてくると、今の自分が高校二年生であることを思い出した。目が覚める過程において、あすなはまだ自分が小学校の低学年であるという意識のまま、目覚めを迎えたことになる。

 感じた違和感は時系列への矛盾だったのだ。ということは、

――目が覚めるまでに感じていたことは夢だったのかしら?

 ということだ。

 夢だということにしてしまうと、すべてにおいて辻褄が合ってくる。辻褄さえ合えば、それ以上余計なことを考える必要もない。

「不思議な夢を見た」

 というだけのこととして片づけることができるからだ。

 だが、あすなはそんなに簡単に割り切ることができなかった。その理由は、

「夢にしてはリアルだった」

 というもので、そのリアルさにも不可解な面があった。

 というのは、小学校の低学年にしては、考えていたことがまるで大人だったからだ。感じ方もそうだったし、冷静になって考えることができるのも、大人の証拠と言えるのではないだろうか。

 あすなは目が覚めて、意識がハッキリしてくるにしたがって、身体を動かすことができなくなっているという意識を感じていた。

――このまま金縛りに逢ってしまいそうだわ――

 という意識だった。

 それまであすなは金縛りに逢ったことが一度か二度はあった気がした。だが、その感覚がどんなものだったのか覚えていない。それは金縛りが解けた瞬間に、それまでの感覚が消えてしまったからだった。

 あすなの場合悪いことが起こった場合には、その悪夢をすぐに取り払うことができた。忘れてしまったといえばそれまでなのだが、本当に忘れてしまったのか、自分でも分かっていない。ただ、

「喉元過ぎれば熱さも忘れる」

 ということわざもあるが、本当に覚えていないというのが本音だった。

 都合がいいというべきなのか、本当は覚えていなければならない戒めなのかも知れないのに、それを簡単に忘れてしまうというのは、本当にいいことなのか、あすなは自問自答したこともあった。しかし、出るはずのない結論をいつまでも追いかけるなど愚の骨頂、「堂々巡りを繰り返すだけ」

 と思った時から、すぐに追いかけるのをやめていた。

 あすながどうして目が覚めるまで感じたのが小学生の低学年のことだったのか、そしてそれがおじさんと出かけた時のことだったのか、考えてみたが、その結論も出てこなかった。

 ただ一つ気になっているのは、あの日眠ってしまう時、

「明日になって、おじさんの顔を覚えていないかも知れない。もし覚えていなかったら……」

 と考えたのを思い出した。

 覚えていなかったら、というその先がどう思っていたのか、あすなには分からない。

 覚えていないのか、それともそんなことを考えたわけではなかったのか、今となっては分からなかった。

「とにかく、おじさんの夢を見たというのは、何か意味があったのかも知れないわ」

 と感じた。

 実際のおじさんは、今はこの世の人ではない。

 今から二年前、つまりあすなが中学三年生のちょうど受験生だった頃、おじさんが事故で亡くなったという話を聞いた。

 受験生ということもあり、通夜や葬儀には参加しなかったが、あすなには、何か引っかかるところがあった。

 高校に入学してからおじさんの家に行って仏壇に手を合わせたり、墓参りをしたこともあったが、そのどちらにしても、おじさんのイメージは思い出すことができないでいた。

「あすなちゃんは、あまりうちの人と関わることがなかったからね」

 と、叔母さんはそう言っていた。

「そんなことはないですよ」

 という言葉が喉元まで出てきたが、声に出すことはなかった。

 いまさらそれを否定してどうなるものでもないし、叔母さんがそう思っているのであれば、それはそれが正解なのかも知れないと思ったからだ。そこには自分がおじさんの顔を思い出せないということが影響しているということを、あすなは意識していたのだ。

 あすなは仏壇を目の前にしながら、小学校の低学年の頃のことを思い出していた。

――あの遊園地に行った次の日、おじさんとは会えたのかしら?

 と思ったからだ。

 おじさんは、あの頃、まだ結婚していなかった。叔母さんと一緒になったのは、あすなと遊園地に遊びに行ってから二年後のことだった。

「おじさん、結婚するらしいわよ」

 と母親がいつにもなく興奮したようにあすなに言った。

「そう」

 と冷淡に答えたあすなだったが、おじさんが結婚するというのは、あすなにとっても意外な気がした。

「あの人も、そろそろ年貢の納め時って思ったのかも知れないわね」

 あすながそのセリフを聞いて、

――ということは、おじさんは結婚しようと思うと、いくらでも相手はいたということなのかしらね――

 と思った。

 これも小学生の考えることとしてはかなりませた考えだったが、あすなには、稀に大人顔負けの冷静な考えを持つことがあり、この頃にはそれをまわりの人も意識するようになっていたのだ。

 おじさんが結婚した相手は、本当に平凡な女性で、おじさんとは少し歳の差があるということだった。

 おじさんはすでに三十歳後半だったが、奥さんはまだ二十代半ばくらい、小学生のあすなが聞いても、

――結構な歳の差だわ――

 と感じるほどだった。

 そういう意味で、両親は心配していた。

「大丈夫なのかしらね?」

 と母親がいうと、

「そうだな、真面目なところがあるから、若い嫁さんについていけるかどうかが気になるところだ」

 と父親が言った。

――結婚って、男性が主導権を握るものなんじゃないの?

 と考えたあすなは、奥さんについていけるかどうかがおじさんに掛かっているなどという言い方は、まったくの逆ではないかと思った。

 だが、あすなは二年前におじさんに遊園地に連れて行ったもらったあの時のことを思い出して、

――おじさんなら、お母さんの言うことも分かる気がするわ――

 と感じた。

 その時、思い出した遊園地でのおじさんだったが、その顔を思い出すことはできなかった。明らかにのっぺらぼうのようなおじさんが意識の中にいたのだが、だからと言って怖いとか気持ち悪いとかいう発想はなかった。

 それでも今考えれば、お似合いの夫婦だったようで、おじさんはしっかりと奥さんをリードし、奥さんも自分から表に出ることのない内助の功をうまく発揮していたようだ。

 あすなが見てもそれは感じたし、誰に聞いてもあの二人はおしどり夫婦だという話だった。

 そんな奥さんを残して先に旅立ってしまったおじさんは、どんなに無念だっただろうかとあすなは感じていた。

 おじさんの奥さんが、その日訪ねてきた。おじさんと遊園地に行った時の夢を見たその日だったので、あすなは何か運命的なものを感じたが、その訪問は突然のものだったわけではなく、あすなにも事前に知らされていた。

 あすなは奥さんと会うのは何度目だったか、それほど面識がある方ではなかった。

 その日は学校だったので、授業中も奥さんが訪ねてくることが気になって、それほど勉強が身に入ったわけではない。だがそれは嫌だから気になったというわけではなく、久しぶりの我が家に対しての来訪に、ワクワクしていたというのが本音であろう。

 あすなは、授業が終わるとすぐに帰宅した。もちろん、来訪者を迎えるための心の準備を整えながらであったが、最近にしてはこれほど心が躍った日がないと言ってもいいほど、楽しみだった。

 家に帰ると、さっそく奥さんはやってきていた。年齢もまだ三十歳にはなっておらず、叔母さんというには若すぎる。自分の姉としては年齢が離れているのだろうが、それでもおばさんというよりも、お姉さんと言った方がいいので、あすなは敢えてお姉さんと呼ぶようにしていた。

「いらっしゃい、お姉さん。お久しぶりです」

 というと、座っていたお姉さんが立ち上がり、

「お邪魔しています。お久しぶりね」

 と言って笑顔を見せてくれた。

 あしなは緊張からか笑顔がこわばっていたのだが、さすが年上のお姉さん、その顔に緊張はなく、笑顔もぎこちなさはなかった。

 母親は、奥でお茶の用意をしていたようなので、ちょうど今来たばかりなのだろうということは察しがついた。

「お茶菓子いただいたのよ。あすなも一緒にいただきなさい」

 と母親はそう言って、あすなにも促した。

 おじさんと遊園地に行った頃に比べて、両親ともに、かなり丸くなったものだった。母親は家にいることが多くなり、ご近所の出事にも参加するようになった。いつからこんな風に変わったのか分からないが、きっと何かの歯車がピッタリ嵌ったのではないかと感じたあすなだった。

 小学生の低学年から、高校二年生までの約六年間ほど、あすなにとっては、結構いろいろなことがあったと自分では思っているが、それ以上にまわりでは起伏の激しい出来事が起こっていて、それが両親を丸くしたのだろうと思った。だが、あすなにはそれがどのような経緯でどのように嵌ったのか、想像もつかない。ただ、最悪だと思っていた家庭は、落ちるところまで落ちていたわけであって、後は上に向かうしかなかったとみることもできる。

 もちろん、かなりの楽天的な考えだが、そう考えることが一番しっくりといくのだ。

 あすなにも、子供の頃に比べれば変わったことが結構あった。その中で一番変わったのではないかと思えるのは、自分に自信を持てるようになったということであろうか。

 あれは中学三年生の頃だった。どちらかというと思春期を迎えるのに晩生だったあすなだったので、異性への意識が生まれてきたのも少し遅かった。

 まわりの女の子は小学生の頃から初潮を迎えていて、身体にもれっきとした変化が訪れていた。

 しかし、あすなには小学生を卒業しても初潮はなく、母親も心配するほどだったが、中学に入学してすぐに初潮を迎えると、それに平行するかのように、身体の発育も一気に進んでいた。

 男子に比べれば、女子の方が成長は早いという。ませた女の子もまわりには結構いたので、あすなには自分が置いて行かれているという意識から、焦りのようなものがあったが、余計な意識をなるべく持たないようにしようとしていた。

 男子の中にもまだ体が成長していなくても、異性への興味を持っている人もいたようで、あすなにはその気持ちがよく分からなかった。

 あすなは、自分が大人に近づいたという明らかな体の変調がなければ、異性への意識はないと思っていた。実際にそうだったので、その意識は実証されたと思っていた。

 だが、あすなのことを見る目に、男子のいやらしさを感じるようになったのは、まだ自分が大人になったという感覚に入る前のことだった。

――異性を意識しているからなのかしら?

 と思ったが、単純に気持ち悪いものを気持ち悪いと思うという、反射的な感情であると思うと、自分の考えにそぐわない男子がいても不思議ではないと言えるのではないかと思うようになっていた。

 あすなが初潮を迎えた時、すぐにお母さんに報告した。

「それはよかったわね。今夜はお赤飯にしましょう」

 と言って喜んでいた。

 あすなもそれを聞いて嬉しく思ったのだが、それは自分が初潮を迎え、大人になりかかっているということよりも、それまで見たことのないようなあすなのために喜んでくれている母親の姿を見て、素直に感動したからだった。

「ありがとう、お母さん」

 あすなも随分と素直になったものだ。

 あすなは、初潮を迎えて少し下頃から、異性への視線が少しずつ変わってきたのを感じた。

 確かに気持ち悪い視線には変わりないが、それまでは何がどのように気持ち悪いのかその正体が分からなかった。しかし、自分が初潮を迎え、大人になりかかっていることを自覚していると、汗臭い匂いや、その顔に刻まれたかのような汚らしいニキビを見て、彼らが何を求めているのかが分かってくるようになった。

「学校で同じ教室の中で、閉め切った環境の中で、同じ空気を吸っている」

 そんな環境を本当に気持ち悪いと思ったのだ。

 この気持ちは自分だけではない。他の女の子も同じように感じているようだった。しかし、

「男の子はそんなことは感じていないわよ。逆に女子と一緒の空間にいられることを興奮しているんだから、本当に気持ち悪い」

 と結構早い段階から発育していた女の子が教えてくれた。

 あすながこれからという時には、もうその子は、すでにその時の成長はピークに達していた。

――これって私の何年後の姿なんだろう?

 と思わずにはいれれないほど、彼女は成長を果たしていたのが分かったのだ。

 あすなが、中学二年生になった頃、一人の男子の存在が気になるようになった。

 中学生というと、小学生の頃からそうだったように、男女でいくつかの団体が形成されていた。

 小学生の頃と違って、明らかにその輪の中心がしっかりしている。それは大人に近づいたことで、大人のオーラを発散できる人が出てきたということなのか、それともまだ小学生の頃は分からなかったが、実際にはその頃にも中心人物になるだけのオーラを発信できる人間がいたということなのかあすなには分からない。だが、やはり成長期に達したあすなは、それまでと違って、明らかにオーラというものの存在を意識することができるようになっていたのだ。

 あすなをじっと見ている男の子は、クラスの中でも目立つことのない男の子だった。

 だからと言って、苛めの対象になっているわけでもなく、本当に目立たない存在だった。

「石ころのような男の子だよね」

 とクラスの女子はウワサしていたが、あすなもその意見には賛成だった。

 道端にあっても誰にも気にされることのない石ころ。子供の頃は何とも思わなかったが、今では少しだけ、かわいそうだと思うようになっていた。

 この感情は完全に同情であって、深入りしてはいけない感情に思えた。だが、それも彼があすなに話しかけてくるまでのことで、いきなり話しかけられた時のあすなは、完全に逃げ腰だったにも関わらず、どこにも引くことのできない自分に戸惑っていた。

 あれは、告白だったと言えるのだろうか。

 彼はあすなを待ち伏せていたわけでもなければ、最初から告白しようという覚悟があったとも思えない。

 誰もいないところでの出会いがしら。あすなも驚いたが、彼はもっと驚いた。明らかに腰を抜かしていたようだったが、腰を抜かす暇もないほどに、彼は自分の中でパニックになったのかも知れない。

 彼の名前は、新藤琢磨。

「どうしたの。新藤君」

 最初はあすなの方から声を掛けた。

 あすなはあくまでも反射的に声を掛けただけで、いつもなら先に声を掛けることなどなかっただろう。ひょっとするとそれが彼に勇気を与えたのかも知れない。

「安藤さん。僕……」

 と言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 表情を見る限り、目は充血しているようで、明らかに焦りから逃げ腰になっているかのように見えた。

 だが、彼は土俵に足を掛けながら、決して土俵を割ろうとはしなかった。彼の腰が強いからだというわけでもなく、彼の覚悟がそうさせているというわけでもない。どちらかといえば、反射的な行動が彼をとどまらせているかのように見えた。

「俺は大丈夫なんだ」

 と自分に言い聞かせているのは感じた。

 彼は今までその言い聞かせてきた言葉にことごとく期待にそぐわぬ行動をしてきたに違いない。つまりは逃げてきたということだ。

 それなのに、その日は思いとどまっている。あすなはそれを見ると、彼が自分のことを素直に好きなのだということを感じたのだ。

――本当に好きな相手を目の前にしたら、彼のような行動を取るのかも知れない――

 とあすなは感じた。

 これまで好きだと思った人を目の前にすれば、普通だったら緊張で何も言えなくなるものだと思っていた。それが青春であり、初恋だと思っていたのだ。

 そして初恋は神聖なものであり、そう簡単に成就するものではないという話も信憑性のあるものだと思っていた。

 あすなも異性を意識するようになって、自分がどんな男の子が好きなのか、考えてみたこともあった。だが、いつも曖昧な感覚しかなく、特にクラスメイトを見ている限り、

――あんな連中の中に、好きな人ができるはずなんかない――

 と思うようになっていた。

 何と言っても、汚らしいというイメージが頭の中にこびりついているので、本当に同じ空気を吸うこと自体に嫌悪感を抱くくらいなので、自分がいつになったら本当に男性を好きになれるのかということを感じられるのかと思うようになっていた。

 そういえば、まわりの女の子にも、いかにも男性を意識していると思える人がいるのに、一向に男性に気を引こうという意識を持っていない女の子もいた。彼女はボーイッシュなイメージで、性格も男性っぽいところがある。最初は、

「男性っぽいところがあるから、男性を意識はするが、好きになるような相手が現れないのではないか」

 と思っていたが、最近になって、

「逆なのではないか? 好きになるような相手が現れないから、自分が男性っぽくするように敢えてしているのではないか」

 と感じるようになった。

 男性っぽいのは、男性を寄せ付けないようにするためではなく、自分が男性を必要としない人間であるということを自分で納得したいからではないか。だが、男性の中にはそんな女子が気になるやつもいて、意外とそんなボーイッシュな女性の方が人気が出たりすることがあるのだが、それはそんなに珍しいことではないようだった。

 あそなが自分に自信を持ったのは、彼が自分に告白してくれたからだった。突発的なことで覚悟もなかったのかも知れないが、彼がいきなりではあったが告白してくれたことで、あすなは彼の性格を変えられるかも知れないという、彼の言葉とは違った意味での考えを持つようになった。

 あすなは別に琢磨のことが好きだったわけではない。ただ、今まで男女問わず誰かに好意を持たれたという自覚がないため、有頂天になってしまったのも仕方のなかったことだろう。

「いいわよ。お付き合いしましょう」

 という感じの返事だったような気がする。

 あすなとしては、適当な返事のつもりだったが、相手は自分の告白を全面的に受け入れてくれたと思ったはずだ。それほど琢磨は真剣に告白したつもりだった。

 あすなの気持ちは曖昧だったが、琢磨の気持ちは真剣そのもの。お互いの気持ちのすれ違いは、どんなに好きあっていたとしても、若干はあるはずなので、最初からすれ違った交際だったこともあって、一貫して気持ちはすれ違っていた。

 だが、面白いことに、あすなは付き合っていくうちに、琢磨のことが分かってくるにつれ、

「もっといろいろ知りたい」

 と思うようになっていった。

 逆に琢磨の方とすれば、最初がピークだっただけに付き合っていくうちに、

「あすなさんて、こんな人だったんだ」

 というガッカリした気持ちが芽生えてきても無理もないことだった。

 要するに、あすなの方は加算法の考え方で、琢磨は減点法の考え方だった。それぞれちょうどいいところで折り合えばいいのだが、気が付けば立場は逆転しているようだった。

 気が付くのがどちらが先だったのかハッキリとしないが、お互いにぎこちなさを許容範囲として付き合っていたが、それを許容できなくなった時点で、それぞれに付き合いは成立しなくなる。

 別れは突然だった。

「せっかく付き合ってくれる気持ちになってくれたのに、僕の方が耐えられなくなっちゃって、ごめん」

 と言って、琢磨はあすなから去ろうとしていた。

 あすなも彼が別れを考えていること。そして自分もぎこしhなさに耐えられなくなってきていることは分かっていた。自分から言い出すことは避けたいあすなだったので、彼の口から言ってくれて、あすなは助かったと思っていることだろう。

「初恋は、淡く切ないもので、成就することはない」

 と言われているが、あすなは本当にそうだと思った。

 淡く切ないかどうか分からないが、成就しないということがこういうことなのかと感じた。

 だが、あすなの中ではこの初恋は決して自分に対してマイナスではないと思っている。少なくとも相手が告白してくれたということは、自分の中に魅力があったということを示しているのだから、後は本当に好きになった相手とちゃんと向き合えるかというだけのことである。本当はそれが難しいことなのだが、その時のあすなにはそこまでは分からなかった。

 あすなは、奥さんが訪ねてきたその日、初恋の頃のことを思い出していた。

――あの頃から、私は自分に自信を持つことができるようになったんだわ――

 ということを思い出していたのだ。

 おじさんは、あすなと遊園地に出かけてから、あすなと会うことはほとんどなかった。

 家に遊びに来ることはたまに会ったようなのだが、そんな時に限ってあすなは塾だったり、友達の家に行っていたりして留守だったようだ。

 その時おじさんがホッとした気分になっていたということをあすなは知らない。

「今日、あすなちゃんは?」

 とおじさんが家に来てから最初にいつも聞いていたというが、

「今日はいないのよ」

 と言われ、ホッとしている様子だったのを、両親は不思議に思いながら感じていたという。

 結局、おじさんが亡くなるまで、あすなはおじさんにまともに会っていない。会えなかったというよりも、避けていたと言った方がいいような気がして、おじさんにとって、なぜそんな気持ちになっていたのか、あすなには分からなかった。

 あすなは、おじさんと会うのには抵抗があった。なぜ抵抗を感じるのか分からなかったが、おじさんが来た時に自分がいなかったことで、親には残念がって見せたが、本当は安心している自分を見せたくなかったからだということを、誰にも知られたくなかった。

 おじさんは、自分があすなと会わなかったことで安心したことを、誰かに話していたのだろうか。あすな自身、そのことを知らなかったので、そう感じるまでにはもう少し後のことであったが、知ってしまうことが本当にその人にとっていいことなのかどうなのか、考えさせられることになるとは、その時には思いもしなかった。

 あすなが奥さんのことを、

「お姉さん」

 と呼ぶことに、両親は反対をしなかった。

 むしろ、親しみを込めているように聞こえるので、どこか微笑ましさが感じられ、しかも、今までのあすなからは考えられないような表現なので、却って嬉しく思うくらいだった。

 両親にとってあすなは、実に分かりにくい娘だった。

「一体何を考えているんだ」

 と思われていた。

 しかも両親ともに、同じように思っていたのだから、面白いものだ。

 だが、あすなは両親に対して、分け隔てなく接してきたつもりだ。それはいい意味なんかではなく、悪い意味でのことで、普段から自分と接しようとはしない両親に、自分の方から絶縁状のようなものを突き付けている感覚だったに違いない。

 親子の確執とは、このようにして生まれるのかも知れない。

 両親はそう感じていたが、あすなは確執を悪いことのように思っていなかったので、必要以上にお互いを避けていることについて余計なことを考えようとは思わなかった。

 しかも、あすなは成長期のいわゆる、

「反抗期」

 と呼ばれる時期を過ごしてもいた。

「これが反抗期というものなのかしらね」

 と思うと、避けては通ることのできない道という意識からか、あまり深く自分のことを見つめないようにしようと感じた。

 放っておいても、きっと自分を見つめようとしているはずだと思っていた。無意識の行動や考えは、

「気が付けば」

 と思うことで感じることだった。

 お姉さんは、両親に対して、時々相談があったようだ。

「人生の先輩」

 としての意見は、素直にお姉さんの心をほぐすにはちょうどよかったようで、あすなには分からない、

「大人の会話:

 が繰り広げられていたようだ。

 そういう意味でも、あすなが家にいないことはお姉さんをホッとさせる要因であったともいえるだろう。

 その頃には両親もすっかり落ち着いていて、それまでお互いに忙しかった仕事も、それぞれに一段落したことで、また新婚当時のような新鮮さが戻ってきたようだった。

 見た目には分からなかったが、あすなには、二人がまた仲睦まじくなっていることは分かっていた。だが、その理由が分からなかったので、手放しに喜ぶこともできず、心のどこかで疑いを持っていたに違いない。それが自分の思春期という複雑な精神状態の時期とも重なったことで、余計に信用できなかったに違いない。

 あすなが信じられないのは両親だけではない。他の大人、学校の先生であったり、近所の奥さん連中であったり、あすなに気軽に挨拶してくれる人のほとんどを、心のどこかで信用できないでいた。

 もちろん、全面的に信用できないわけではない。信用できる部分は大部分であって、ごく狭い範囲で信用できない部分が顔を出しているという感じだ。

 それだけに、顔を出している部分は目立つのだ。

 目立つ感覚をあすなはどう感じているのだろう。本当に信じられない部分が大部分を占めていると感じているのだろうか。

 これは後から考えて分かったことであるが。やはり見えている部分よりも自分で感じている部分を素直に信じていたようだ。つまりは心の中での結論は、正解を示していたということである。

 それなのに、どこか心配であった。

 思春期の精神状態は、結構単純なのだとあすなは思う。

「オールオアナッシング」

 という言葉があるが、それには二種類が存在する。

「百でなければ、ゼロと同じという考え方と、ゼロでなければ、百と同じという考え方である」

 と思っている。

 普通であれば、百でなければゼロと同じという考えを正とするものだと思うのだが、あすなはゼロでなければ、百と同じという考えもありだと思っている。

 考えられることが二つあるのであれば、どうして一つに限定しなければいけないのかと考えるからで、あすなは後者もありだと思っていた。

 社会科の授業で習った、法律の授業で、

「疑わしきは罰せずというのが日本の法律なんだけど、国によっては、疑わしきを罰するというところもあるんだろうね」

 と先生が言っていた言葉を思い出した。

 先生がどういうつもりでこの言葉を口にしたのか分からないが、あすなはその言葉を聞いた時、減点法なのか、加算法なのかという自分の中の考えと結びつけて考えてみた。

 厳密にいえば、そのどちらとも違うのだろうが、

「オールオアナッシング」

 という考え方から見れば、減点法や加算法の考え方と併合して考えてもいいように思えたのだ。

 お姉さんはおじさんと結婚してから、一緒にいたのは二年ほどだったはずだ。それなのに、おじさんのことを健気に愛していて、他の結婚話をすべて断っているという話を両親がしていたのが、聞こえてきたことがあった。

 あすなは、

――それって当たり前のことじゃない――

 と思ったが、両親がお姉さんに対して何を考えていたのか、あすなには分からなかった。

 何が当たり前のことなのか、そのことが分からなかったのだ。自分で当たり前だと言いながら、考えがまとまらないのをいいことに、当たり前という曖昧な言葉で自分をごまかしているようにあすなは感じた。

 あすなが人のことを考えていて、自分の考えをそんな風に否定的に感じた最初だったかも知れない。

 あまり人のことを言える立場ではないと思っているあすなは、人のウワサを聞いても自分から意見を持たないようにしていた。それは、余計な考えを生むことで、もし考えと事実が違った時に戸惑う自分を見たくないという思いからであった。

 最近丸くなった両親を一番変化があったと思っているのはあすなだけのようだった。まわりの人誰の話にも両親を悪くいう人はおらず、逆に、

「よく相談に乗ってもらっていた」

 というほどの関係だったようだ。

 表にはいい顔をして、内輪では厳しい人だったのかも知れない。もっと言えば、肉親だからこそ厳しくしたと言えなくもないが、あすなにはどうしもそうは思えなかった。

 子供の頃の思い出というと、ロクな思い出はない。おじさんと遊園地に行った時の思い出も、今では色褪せてしまっていて、おじさんの顔もハッキリと覚えていないほどだった。

 遊園地に行った時は、あすな自身では楽しんでいたつもりだったが、翌日になって思い出すと、印象に残っているのは、人がほとんどいなく、寂しかったというイメージだけだった。

 おじさんは優しかったが、どこかぎこちなかったように思う。それだけ寂しかったのだし、その分、おじさんに気を遣わせてしまったということも分かっている。だが、あすなは確かにあの日、いろいろなことを考えていた。普段であれば思いつかないような発想も思い浮かんできたり、特に人の気持ちが手に取るように分かったあの日は、あすなにとって特別な日であったに違いない。

 だが、翌日になると、何をどのように考えていたのか、ほとんど思い出せない。あの日はちょっと何かに気付いたり感じたりしたことが、どんどん発想として結び付いてきて、そのために、人の気持ちが手に取るように分かったような気がしたのだ。

 翌日には、まったく覚えていないというわけではないが、思い出したことから、まったくと言っていいほど、何かの発想が浮かんでくるということはなかった。

――あの日は何だったのかしら?

 とあすなは感じたが、まるで大人を垣間見た日だったというのは、大げさな表現であろうか。

 おじさんという大人の男性を、大人として意識していたはずなのに、目上の人という意識よりも、おじさんの考えていることや、自分に気を遣ってくれていることが分かったことで、

――おじさんは、私の視線に、何か違和感を感じていたのではないだろうか?

 と感じた。

 違和感を感じていたとしても、あすなはそれはそれでもいいと思っているが、自分が今感じているように、大人の感覚になって見ていたということだけは知られてほしくないことだと思った。

 その日のおじさんは、あくまでも小学生の低学年の女の子としてのあすなを相手にしてくれていたと思っているからである。少しの違和感はしょうがないと思うが、その違和感が、

「少女の中に、大人の女性を見た」

 と感じたとすれば、その日のおじさんは、自分を子供としてではなく、大人の女性として見ていたことになる。

 それはあすなにとってあってはならないことのように思えていた。

 あすなは、自分がおじさんのことを好きだったのではないかと、しばらくの間考えていたことがあった。

 それは、中学生の思春期になってからのことで、実は小学生の頃に、何かしっくりこないことが自分の中にあり、

「思春期になれば、何らかの答えが得られるような気がする」

 と思っていた。

 だから、思春期に早く入ってほしいという気持ちが強く、その反動からか、思春期を迎えるのが怖いと思う自分もいたのだ。

 実際に思春期を迎えてみると、確かにそれまで感じていた違和感が、次第に溶解してくるのを感じた。

 答えが見つかるという感覚ではなく、しっくり来ていなかったこと、つまりは繋がっていなかった歯車が、うまく繋がるようになってきたという感覚を、溶解という言葉で表したのだ。

――大人になるって、こういうことなのかしら?

 と漠然と感じたが、どうにも曖昧な気がして、これは思春期の中の特徴の一つなのではないかと思うようになった。

 思春期にはいろいろなことがあり、子供が大人になる過程なのだから、肉体的な面、精神的な面、それらをコンビネーションで結び付けているもの。それぞれに子供が大人になるための試練のようなものがあり、しかもタイミングが問題になるものも多々あるのではないかと、思春期を超えたあすなは感じていた。

 お姉さんが両親に相談していたことは、本当に大人の世界のことで、精神論だけではどうにもならないことがあったようだ。

 だが、話をしているうちにある程度の解決は見たようで、お姉さんの表情も、来た時に比べれば格段に良くなっているのを感じていた。

 その日、お姉さんは泊まっていくことになった。両親との話も長引いて、そのせいで時間も遅くなり、このまま女性一人を帰すことに両親も気が引けたのだろう。

「私、明日有給休暇を取っているので」

 とお姉さんは言ったが、それは話が長引いてしまうことも想定した部分だったからではないだろうか。

 それだけ話が深刻だったと言えなくもないが、それだけではなかったのかも知れない。そのことをあすなが感じたのは、あすなが寝ようとしていた、日付も変わろうとする時間のことだった。

 誰かが部屋の前の通路を歩いているのは分かったが、最初は両親のうちのどちらかだと思った。

 しかし、その音はかなり静かで、抜き足差し足であった、両親ともに、こんなに遠慮して歩くわけではないので、すぐにお姉さんであることに気が付いた。

――どうしたのかしら?

 きっと両親のところに出向いて行ったものだと思っていたあすなは、足音を感じながら、自分には関係のないことだと思っていた。

 あすなはすでに期末試験も終わって休みに入っていたので、寝ようと思ってはいたが、ベッドにもぐりこむだけで、眠ってしまおうとは思っていなかった。本を読んだり音楽を聴いたり、ベッドの中でできることも結構あるからだ。

「コンコン」

 扉を叩く音がした。

――お姉さんだ――

 あすなは直感し、

「はい」

 と答えた。

 すると、表から、

「あすなちゃん」

 という自分を呼ぶ声を聞いたあすなは、

「はい」

 と言って、扉を開けた。

 そこにはパジャマ姿のお姉さんが立っていたが、そのパジャマには見覚えがあった。

――お母さんのだ――

 と思うと同時に、それがよく似合うということは、お姉さんは母親とサイズが同じであるということだった。

 だが、母親とお姉さんと見比べて母親の方が一回りくらい小さく感じていたのを思い出し、それが違和感となっていた。

 だが、

――いつもお父さんと一緒にいるところばかりを見ているから、お母さんは小さく見えていたんだわ――

 と思うと、一応の納得があった。

 しかし、これはもう一つの疑問を思い起こさせた。あすなは、今まで両親はいつも単独行動をしているものだという認識でいたからで、両親が揃っているところの方が印象としては薄かったはずなのに、どうして思い返してみると、いつも二人だったという意識しか残っていないのかということである。

 お母さんとお姉sなは体系的には確かに似ている。

「お姉さんの縮小版が母親だ」

 などと言ってもいいくらいだとあすなは認識していた。

「あすなちゃんは、まだ起きてる?」

 お姉さんは、両手にコーヒーカップを二つ抱えるようにして持ってきた。

 どうやら、あすなの部屋で二人きりで話をしたいという様子だったが、その表情はスッキリとしているのが分かり、少し安心させられたこともあって、あすなもぜひお姉さんと話をしたいと思った。

「ええ、せっかくなので、どうぞ」

 と言って迎え入れた。

「ありがとう」

 と言って部屋の中に入ってきたお姉さんは、コーヒーカップを部屋の中央にある小さなテーブルの上に置いた。

 そして、腰を下ろして、部屋を見まわしていたが、

「なかなかかわいいお部屋ね。私の高校の頃よりも片付いている気がする」

 と言って、感心していた。

 確かにあすなは普段から小綺麗にはしている。特にあまりものを置くのは好きではなく、特に物を捨てるということにはお構いなしだと思っているので、余計なものが残ったりはしない。

 それは小学生の頃からの癖のようなものだった。

 最初は、なかなか捨てられずに、いらないものが残ってしまって、どうしようもなくなり、

「あんた、たまに掃除くらいしなさい」

 と言われていたものだったが、捨てることを怖がっていたあすなは、半分聞いて、半分は聞き流していた。

――どうせ、言われたってできるわけではないんだから――

 という思いがあったからだ。

 どうしてできなかったのかというと、あすなという人間が根本的に怖がりであり、性格的にも整理整頓ができないと思ったからである。

 もし、無意識に捨ててしまって、それが本当に必要なものであったり、必要なものではなくても、後になってずっと後悔しなければいけないことだったりすれば、あすなに後悔が残ってしまうのは必至だったからである。

 それがいつから物を捨てられるようになったのか、最初は分からなかった。

 しかし、今ではそれがいつからだったのか分かるようになった。そのきっかけを与えてくれたのが、

「おじさんの死」

 だったのだ。

――おじさんは、もういないんだ。会いたいと思っても会うことができないんだ――

 と思うと、自然と悲しくなってきた。

 だが、悲しくはなるが、涙が出てくることはなかった。悲しいはずなのに涙が出てこない。そんな不思議な感覚に陥ったのは初めてだった。

 あすなは、基本的に他人のことをあまり気にしない方だった。それは肉親であっても同じことで、この際の他人という言葉の中には、肉親、つまり両親やお姉さん、さらにはおじさんも含まれている。

 あすなにとっておじさんのことは、基本的に他人だった。両親ですら他人なのだから当たり前のことで、逆にいうと、

「両親を他人だと思うためには、たとえおじさんであっても他人として認識していなければいけない」

 つまりは自分以外は皆他人という認識なのだ。

 この思いは子供の頃の方が強かった。思春期の頃くらいになると、両親を他人と呼ぶことを恥だと思っている自分がいた。両親はあすなが自分たちのことを他人だと認識していたことを知っていたような気がする。だから、娘に対しての態度の中に、

「どうせ娘もそう思っているのだから」

 と感じさせるものがあった。

 それは態度で認識したというよりも、両親の自分に対するテンションで感じたと言ってもいい。

 こちらからアクションしても、相手からこちらが想定している反応が返ってくるわけではない。何らかのアクションを感じるのだが、その正体を見極めることができないのは、きっとテンションの違いが影響していると、あすなは思っていた。

 モノを捨てられない性格は、怖さと整理整頓ができないことだと感じていたが、モノをどんどん捨てるようになってから、怖さや整理整頓のできないことが解消されたという意識はない。

 むしろ、その二つは自分の中で固定してしまったという意識である。

 感覚がマヒしてきたとでもいうべきであろうか、悪い意味で慢性化してしまっているのだ。

 あすながモノを簡単に捨てるようになったのは、結構早い時期からだった。だが、明らかに自分で意識するようになったのは中学に入ってからのことで、ただ、

――捨てることができるのではないか――

 と感じたのは、もっと前のことで、そこに寂しさが影響していたように思えた。

 モノを捨てる時にいつも思い出している光景があった。

 それはおじさんと一緒に行った遊園地での、あの無駄に広い場所だった。客よりもスタッフの方が多いそんな状況で、あすなは広さを無駄だとは思ったが、無駄だと思った瞬間に感じたことは、

――思ったよりも狭かったんじゃないか?

 という思いだった。

 この広さで、休日のあのごった返した状況だと、人がひしめいているようで、どこにも逃げられないというまるで朝の通勤ラッシュを思わせると思えたからだ。

 もっと広いと思っていた遊園地の中の広場を狭いと感じた時、それまで無駄に広いと思っていた場所が閑散としているわけではなく、どこか喧騒とした雰囲気に感じられた。

――気のせいかしら?

 とあすなは感じたが、決して気のせいではなかった。

 喧騒とした雰囲気というよりも、何かの煩わしさがあすなを襲った。そう思って広場を見ると、さっきまではなかったはずのゴミが散見されるようになっていたのだ。

――なんて汚い場所なのかしら?

 と感じたが、風もないのに、紙が宙に舞っている。中には作家が気に入らない作品を手でグシャグシャにして、部屋の中に散乱させているかのようなゴミもあった。

 ゴミのほとんどは紙ゴミで、それ以外はあまりなかったように思う。薄暗い広場に白い紙が散見されることで、余計に喧騒とした雰囲気を感じさせたのだろう。

「これは片づけなければ」

 と自分の部屋であればあまり考えることのないことだったが、あすなは意識の中で、一人ゴミを拾い歩いていた。

 どうして自分の部屋だと躊躇ってしまう掃除を、この場所では簡単にできてしまうのか、ちょっと考えれば分かることだったが、その時はなぜか分からなかった。きっと夢を見ているという意識があったからだろうが、どうしてここだと簡単に掃除ができるのか、分かってしまうと、目が覚める気がしたのだ。

 目を覚ましたくないというよりも、少なくともゴミをすべて拾った後を見てみたいという意識があったからだ。あすなは膝まづいてゴミを拾い歩く。夢の中だからだろうが、ゴミ袋はちゃんと用意されている。

 拾ったゴミをゴミ袋の中にどんどん入れていく。自分の思っているようにゴミは次第に片づけられていき、掃除をすることが結構楽しいということに気付かされた。

 あすなは、自分の想定していた時間内にゴミを拾うことができ、広場はゴミ一つ残っていない綺麗な広場になっていることだろう。立ち上がって敢えて広場を見ないように少し離れた場所に前だけを見て歩いていった。

「このあたりでいいかしら」

 と思い、後ろを振り返って、広場を見た。

 あすなが振り返った場所は、ちょうど広場全体を見渡すにはちょうどいい場所であり、全体を見渡せる場所としては一番近いところに位置していたのである。

 あすなは振り返って愕然とする自分を感じた。思わず、

「なっ」

 と口走った。

 言葉にはなっていないのは、絶句していたからである。何か言うつもりだった言葉を飲み込んでしまったため、絶句の中から絞り出したような声しか発することができなかったのだ。

 あすなが見た光景は、今まで確かに拾ったはずのゴミが、ほとんど手つかずで残っていた。

「どうして?」

 と思ったが、まず考えたのは、最初に見た光景と同じ状態だったのかということであった。

 しかし、最初に見た光景は衝撃ではあったが、すぐに忘れてしまった。残像が残っていたはずなのだが、その残像は上書きされてしまい、消えてしまっていた。上書きとはもちろん、ゴミをすべて拾った後の整然とした光景を思い浮かべてしまったことによるものである。

 だが、ゴミはほとんど減っていないことは分かった。あれだけ拾ったはずだったのにと思うと、

「そうだ、ゴミ袋の中は?」

 と思って、ゴミ袋を確認したが、確かに拾ったゴミは入っている。

 つまりゴミ拾いという行為は間違いなく行われたのだ。

 では、一体目の前にあるこのゴミは一体なんだというのだろう?

 夢を見たという意識はあるので、不可思議な出来事も、

「夢なんだ」

 と思うことで忘れてしまうこともできるはずなのだが、あすなはそれでは納得できない自分がいることに気が付いた。

 もし夢だというのであれば、この夢が自分に何を教えようというのだろう?

「夢というのは、潜在意識が見せるもの」

 という話を聞いたことがあった。

 夢を見るということは、潜在意識、つまりは自分の中にあるものを表現しているということで、逆にいえば、自分が意識していないことを夢に見ることができないということを意味している。

 しかも、夢は自分が不可能だと思っていることを見せることはない。夢を万能のものだと思っているとすれば、それは大きな間違いだとあすなは常々感じていた。

「夢だから、空だって飛べるはず」

 と思ったことがあった。

 子供の頃には潜在意識などというものを知らなかったので、

「夢の中では何でもできる」

 と思っていた。

 寝る前に、

――夢を見たら、空を飛んでみよう――

 と思って、実際にその日に夢を見た。

 その日の夢は、空を飛ぶという意識を感じさせるに十分な夢だった。好都合だったと言ってもいい。夢が潜在意識が見せるという意味では、自分に都合よく見せるというのも頷けるものなのだが、そう好都合な夢を見ることはできなかった。肝心な夢の中で、完全に自分の思惑は忘れてしまっていたのだ。

 夢が終わり、目が覚めている途中で、

――しまった――

 と感じた。

 やはり、夢の世界と現実世界の間には隔絶たる結界が存在しているのでhないかとあすなは思っていた。

 その頃は夢と潜在意識の関係など知る由もなかったが、潜在意識を意識するようになってから、見た夢の中で、今度は空を飛ぶシチュエーションがあった。

 その時夢の中で、

――これは夢なんだから、空を飛べるはず――

 と思って、空を飛ぶシチュエーションにアタックした。

 ただ、このアタックは必然の行動であり、実際に空を飛ぼうとした。だが、空を飛ぶという行為に及んだその時、

「夢って潜在意識のなせる業なのよね」

 と自分に言い聞かせているもう一人の自分の存在に気付き、ハッとしてしまった。

――そうだわ。夢の中なんだわ――

 と思うと、飛ぼうと思った空を飛ぶことはできなかった。

 だが、宙に浮くことだけはできた。それで十分だった。空を飛ぼうと高層ビルから飛び降りた瞬間だったので、宙に浮くことができれば、無事に地上に降り立つことはできる。自由に空を飛べなくても、自分を助けることはできたのだ。

 そして次に感じた思いは、激しい後悔だった。

 もしこれが夢でなかったらと思うと、恐ろしさから後悔の念が襲ってくる。またこんな行動をした自分の気持ちを誰にも悟られたくないという恥辱の思いが頭をもたげていたのだ。

 あすなは夢に対して自分が何を感じているかということを、その時の夢を通して看破した気がした。だからと言って、夢のすべてを分かったわけではない。

「百里の道は九十九里をもって半ばとす」

 という言葉があるように、分かったつもりでいると、実際にはまだまだ先は長いということになるだろう。

 そう思うと、あすなはまたハッとした気分になった。

 遊園地の広場でゴミを拾ったはずなのに、目の前に残っているゴミを見た時と同じシチュエーションのようなものではないかと思うのだ。

「何かが堂々巡りを繰り返しているようだ」

 と感じた。

 それが負のスパイラルというものなのかと考えたが、どうも負ではないような気がした。前に進んでいるわけでもない。同じところをグルグル繰り返しているだけで、いいことなのか悪いことなのか分からない。

 前に進めないのは悪いことなのだろうが、悪い方にいくこともない。成長を考えると悪いことに思えるが、成長期がピークを迎え、人生も下り坂に向かうようになると、この心境は変わってくるのではないだろうか。

 あすなは、夢というものが潜在意識という掌の上で踊らされている自分を想像する材料のように思えた。

――dそう、夢って何かの材料なんだ――

 と感じた。

 夢は単独で存在するわけではなく、何かの材料として存在している。だから、現実世界とは隔絶された結界が存在しているのではないかと思うのだ。

 あすなは、自分が人の顔を思い出せないことに対して、

「夢の中で見た人の残像が隔絶した結界として存在しているため、覚えようとすればするほど、覚えることができないのだ」

 と感じるようになっていた。

 そして、そのキーになるポイントは、残像であった。自分の頭の中に残っている残像が少しでもブレてしまうと、記憶は人の顔を拒否してしまう。そして、残像が曖昧なことで、その人だと思っても、どうしても自信を持つことができない。

 夢が都合のいいものであるならば、記憶にも同じことが言えるのではないだろうか。覚えていたい記憶が、必ずしも覚えられる記憶とは限らない。記憶力とは人それぞれで個人差があるのだろうが、人の顔を覚えるという行為に関しては、さほどの違いはないと思える。

 なぜなら、被写体があって、それを覚えるというごく単純な構造になっているからである。

 お姉さんはあすなの部屋に入って、あすなの部屋が綺麗なことに何か違和感を感じていることに気付いていなかった。

「綺麗なお部屋」

 と言われたことを、単純に嬉しく思い、

――これを言われたいがために、掃除をするようになったんだわ――

 と感じた。

 今まであすなは人を自分の部屋に入れたことはなかった。部屋にはカギはついているので、親でも中に入ることはできない。あすなが自分から招き入れることもなかったし、親も入ってこようとはしなかった。それはあすなが自分の部屋を綺麗にするようになったからで、母親はそれを素直に喜んだ。

「女性として、当たり前のこと」

 として、母親は思っていたが、あすなの感覚は少し違った。

「部屋を綺麗にできる人って、そんなにたくさんはいないんだ」

 という感覚である。

 人から言われて仕方なく掃除する人は、

「部屋を綺麗にしている」

 とは言えないのだと思ったからである。

「あすなちゃんのお部屋を見ていると、あの人を思い出すわ」

 あの人というのは、当然おじさんのことである。

「どうして?」

 とあすなが聞くと、

「あの人は掃除が大嫌いだったの。でも私と結婚してからは、気が付けば掃除をするようになったわ。何も言わなくてもするようにね。だからあの人の本質は、掃除好きだったのではないかって思うのよ」

 と、お姉さんは言った。

 あすなは、自分が掃除好きだなどと今まで思ったことはなかった。今回掃除をするようになったのも、掃除が好きだからではなく、遊園地の広場を夢に見たからだった。何かの大きなインパクトがなければ掃除をするようになることはなかったわけだから、好きだったということは絶対にないと思っている。

 しかも、掃除をしなかったのは、

「モノを捨ててしまうことが怖かったからだ」

 ということである。

 怖いというのは、本当に必要なものを捨ててしまうことであり、つまりは、製紙整頓ができないということを裏付けている。何が必要で何が必要でないかということをすぐに理解できないという思いと、それをどれほど繰り返さなければいけないのかという面倒を考えると、掃除をすることのメリットが浮かんでこないからだった。

「後で後悔するよりも、汚いくらいの方がよほどいい」

 と思った。

 整理できないからと言って、困ることはないと思っていたが、果たしてそうだろうか。実際に必要な時に、すぐに見つけることのできない環境があるのは、本当にいいことなのだろうか。

 何かのきっかけを欲していたのかも知れない。そういう意味であの時に見た夢はタイムリーで、都合がいい夢だったに違いない。

――夢って、案外自分の都合に合わせて見ることができるものなのかも知れないわ――

 と感じるようになっていた。

「あの人が言っていたのよ」

 とお姉さんが呟いた。

「何て?」

「あすなちゃんは、ご両親の確執から離れて、モノを捨てられるようになるってね。それは自分に似たところがあるからだっていうのよ。そしてね、あの人はそのことを一緒に行った遊園地で感じたというの。あすなちゃんがご両親の確執から離れたのって、もっとかなり後のことよね?」

「ええ、遊園地に行ったのは、小学校の低学年のことだったし、私が両親を憎まなくなったのは、中学に入ってからだと思うので、その間に何年もあったわ。それなのに、あの日一日一緒にいただけでそんなことまで分かってしまうなんて、おじさんってすごい人だったんだ」

 とあすなは、素直に感心した。

 おじさんのその言葉は今まであすなが自分の中で抱えていたモヤモヤを解消してくれるものであったことに違いはないが、すべてのモヤモヤが解消されたわけではない。あすなが感じていることで一番の疑問は解消されていない。これを解消してくれる人はきっと現れないだろう。それは自分以外にはいないとあすなは思っているからだった。

――ゴミをすべて拾って捨てたはずなのに、またゴミが残っているという、堂々巡りだ……

 あすなはそう思いながら、目の前にいるお姉さんを見つめた。

 その表情は怖いくらいの目力だったに違いないが、お姉さん

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