第3話 辿り着いた先
香苗と阿久津の離婚が正式に決まったのは、離婚の話が出てから、半年後だった。諦めの悪い阿久津だったが、
「これ以上話し合ってもいい結果は出ないぞ。そろそろ今後のことを考えて生きることを考えてみてはどうだ?」
と研究所の同僚に言われたことだった。
言っていることは、それまでにも他の人から言われたことのある話だったし、何よりも阿久津自身で分かり切っていることであった。
それまでは、分かり切っていることだけに相談した相手から、もっと他の話を聞きたいと思っているところに、ありきたりな話を聞かされたことで、却って意固地になってしまい、話に対して反抗的な気持ちになったものだった。
だが、その時はなぜか気持ちがスーッと冷めてくるのを感じた。
しかも、その相手は今までの関係上でも、とても阿久津を納得させるだけの仲をずっと保ってきた相手というわけでもなかった。
「もうどうでもいいや」
という気持ちになったのだが、それは投げやりという感覚ではなかった。熱かったものがただ冷めてくるだけのことだった。余計な気持ちがその中には入っておらず、意固地になるという気持ちはなかったのだ。
開き直ったと言っておいいのだろうが、それよりも、まるで昔の敗軍の将が、敗走する中で、
「もはやこれまで」
と言って、自刀する気持ちに似ているような気がした。
阿久津は歴史学者である。研究する中で、自分が当時の人間に思いを馳せることも結構あった。
「相手の気持ちになって考えなければ、いくら歴史的な発見や今までの研究を勉強するだけでは、歴史を極めたことにはならない」
と思っていた。
特に戦国時代の武者や、戦争などで死んでいった人への気持ちを一言で言い表すには困難であり、思いを巡らせるというのも、傲慢な気持ちからなのではないかと考えたこともあった。
阿久津はよく夢を見ていた。
それは研究の夢がほとんどで、自分が研究している時代を見ていたのだ。
主人公は存在する。その人が主人公であるということは、
「気が付けばその人のことばかりを見ているからだ」
ということと、
「その人の考えていることが手に取るように分かる」
ということであった。
夢というのは、いつも漠然と見ていた。それは自分が夢の中に登場しないからだということであり、夢を見ているのは、まるでテレビドラマをモニター画面で見ているような感覚になっていたからだ。
阿久津は以前からテレビドラマが結構好きで、暇さえあればドラマを見ていた。何も考えずに見ていることも多く、漠然として見ているまま、内容も分からずに最後まで見ていたということも何度もあった。
ただの気分転換にしか過ぎないと思っていたテレビドラマだったが、阿久津はドラマを見ながら注目しているのは、意外と主人公ではないことが多かった。
天邪鬼なところがある阿久津は、ドラマを見始めた時から、あまり主人公には興味を持っていなかった。ミステリーものであれば、主人公の刑事や弁護士というよりも、犯人、あるいは、犯人として疑われた人に興味を持つことが多かった。それこそ、歴史の研究をしながら、昔の人に思いを馳せた時、思い浮かべるのが落ち武者であったり、敗軍の将であったりするのと同じである。
阿久津は人とは違った視点から物事を見る傾向にあった。阿久津の妻の香苗が最初に阿久津に興味を持ったのも、そんな意外性のある男性としての阿久津だったのだが、結局最後阿久津と別れるきっかけとなったのは、そんな阿久津の意外性に愛想を突かせたからではないかと、香苗は思っていた。
実は離婚を思い立った本当の原因を、香苗もハッキリと自覚することはできなかった。いろいろなパターンを考えて、総合的に見て、
「離婚するしかないんだ」
という結論に至ったのだが、その過程でさえ、香苗にはハッキリとした説明ができないでいた。
そういう意味では香苗の方としても、自分を納得させての離婚ではなかった。もし、阿久津がもっと誠意を見せる形で離婚を思いとどまるように説得すれば、ひょっとすると離婚という危機は逃れられたかも知れない。
しかし、ここで思いとどまったとしても、近い将来、また同じ発想が浮かんできて、同じことの繰り返しになるかも知れない。
離婚問題を何度も乗り越えられるほど、人間というのは強いものではない。
「あの時離婚しておかなかったのは、失敗だった」
という後悔が襲ってくるに違いないだろう。
阿久津は離婚したことを後悔はしていない。後悔しているとすれば、香苗の方ではないだろうか。
阿久津は離婚してから少しの間は放心状態になっていたが、一度吹っ切れてしまうと、離婚したという事実がまるで他人事のように思えるくらいになっていた。
「バツイチくらいなら、どこにでもいる」
という気持ちにもなれたし、まだまだ今後もいい人と出会えるような気がして仕方がなかったのだ。
男というものは、
「モテる時期なのかも知れない」
と感じる時が、人生のうちに何度かある。
女性がどうなのか、男性である阿久津には分からないが、少なくとも阿久津の場合は、自分がモテるような気がすると感じた時、実際にモテていたのだ。
モテると言っても、本当に恋愛に発展するほどのモテ方なのか分からない。ちやほやされる時期があるというだけで、自分の運命と思えるような女性が現れるという保証はどこにもなかった。
実際に阿久津がモテていると思った時期を自覚したことがあったが、それは香苗と交際中であり、香苗を交際しながら、他の女性とも付き合うなどというマネは阿久津にはできるはずもなかった。
阿久津は結構目移りが激しい方ではあったが、一人に決まってしまうと、他の女性を同時に好きになることができないタイプだった。
それは阿久津がそう自覚しているだけで、まわりも認めているというわけではなかった。まわりからは逆に、
「あいつは、気が多いから、浮気や不倫などを繰り返したりするんじゃないか?」
と言われていた。
阿久津は自分が、目移りの多いことは自覚していて、しかも一人に決まれば他は気にならないと思っていたこともあったが、それはあくまで自分の性格だと思っていた。
だから、お互いの気持ちという、まず最初に考えなければいけないことを考えていなかった。
自分が浮気をしないのは、自分の性格によるということだけで、倫理的なことや、善悪の判断から来ているものではなかった。
だから逆に言えば、その思いが変わってしまうと、浮気であっても不倫であっても平気でするということでもあった。
そのことを阿久津は自覚していなかった。
「俺はモラルや善悪の判断を無意識にでもできる人間なんだ」
と思っていたのだ。
そんな阿久津なので、香苗と離婚した時、罪悪感はなくなっていた。
香苗に離婚を言われた時、まず考えたのは、
「俺が悪いんだ」
といy思いだった。
それは、阿久津が離婚の原因に心当たりがあったわけではなく、いきなり相手にこちらが不利なことを言われた時、言い訳できるだけのハッキリとした理由がなければ、すべて自分が悪いと思うところがあったのだ。
阿久津は理屈っぽいところがあったが、実際に自分が当事者になって、問題に対峙した時、理屈よりも感情が先走ってしまうのだった。
先走った感情も、動揺を隠すことができず、どうしても不安が先に頭の中を擡げてしまう。そんな状態になっているから、判断もできず、自分で殻に閉じこもって、結局理屈で考えることができず、考えたとしても、それはあくまでも後手後手に回りかねない発想でしかなかったのだ。
理屈でしか考えることのできない人を、あまり好きになれない阿久津だったが、自分がまさか自分が嫌いな理屈でしか考えられない人よりも、それ以前に考えなければならない理屈すら考えることをしない人間だったということを分かっているはずもなかった。
阿久津は、考えられないのではなく、考えようとしないというところが、彼にとっての一番の欠点なのかも知れない。
離婚してからというもの、阿久津はしばらく女性に対して露骨な視線を向けないようにしていた。別に朴念仁を装っていたわけではないが、女性に興味を示さなかった。
女性というものを香苗にしか感じなかったわけではないのに、香苗がいなくなると、女性に対しての興味が失せてしまった。
――俺が女性に興味を持ったのは、香苗という存在があったからではないか?
と感じた。
話はまた歴史の話になってしまうが、
「仮想敵国」
という言葉が頭に浮かんだ。
軍隊の士気や、国家の治安維持を考えた時、仮想敵国というものを持っていることで、都合のいいことは証明されている。何か対象になるものがなければ、覇気は生まれないし、統制も取れないという考えだ。
阿久津は香苗がそばにいてくれているという安心感があるから、他の女性を見ることができた。気持ちに余裕があったからだったが、今から思えば、
「逆も真なり」
だったのかも知れない。
つまりは今までの考えとして、
「香苗がいたから、まわりの女性がよく見えた」
と思っていたのだが、実際には、
「まわりの女性が綺麗に見えたことで、香苗を奥さんとして意識することができた」
と言えるのではないだろうか。
香苗を自分の中で引きたてるために必要だったもの。それは、仮想敵国と同じ発想ではないか。似たような言葉で、
「必要悪」
というものがあるが、これも阿久津には容認できるものだと思うのだった。
阿久津は香苗とは、離婚してからほとんど会ったことはなかった。離婚してからすでにそろそろ二十年近くになるのだが、最初の五年ほどはある程度結構時間が掛かったような気がしたが、それから今までは、結構あっという間だったような気がする。
「歳を取るにつれて、時間が経つのはあっという間ですよ」
と言われたことがあったが、若かりし頃には、
――本当にそうなのだろうか?
と思っていた。
だが、四十を過ぎると、その言葉が本当になってきた。
不惑と呼ばれる年齢になってきたが、惑うことがないなどというのは、妄想に過ぎないと思っていた。
ただ、その頃から時間が経つのは確かにあっという間だった。波乱も何もない毎日だったわけではない。今思い出しただけでも、結構いろいろなことがあった。そのほとんどは仕事関係のことで、微妙に内容は違ったが、仕事関係というだけで、
「またか」
と、次第にウンザリしてくるのを感じた。
あまり多いとマンネリ化するものなのかも知れないが、阿久津には他の人と同じような人生だとは思わなかった。
他の人がどんな人生を歩んでいるのか、そんな話をしたことがあったわけではなかったので、皆が何を考えているのか分からない。三十歳代まではまわりの人をあまり意識もしなかったにも関わらず、四十歳を超えると急にまわりが気になってきた。
それはまわりからの視線が気になるというよりも、あまりにもまわりから意識されないことに対しての意識であった。三十代までは意識されないことがいいことだと思っていたにも関わらず四十歳になって意識するようになったのは、それだけ自分が臆病になってきたのかも知れない。
このまわりを意識するようになった気持ちが、不惑とどのように結びついてくるのか分からないが、まわりを意識していると、それまで一人でモヤモヤしていたものが分かってきたのかも知れないと思うと、阿久津は四十歳からの人生を、
「第二の人生」
として、区別できるのではないかと思うようになった。
その頃になると研究も精神的に一段落がついて、三十代が終わるまでに、一つの大きな集大成のようなものが完成したような気がしていた。
目には見えていないが、そういう意識でいることが私生活でも四十歳という節目を感じさせる意識に繋がるのだと思うようになっていた。
妻と別れて十年が経過した頃、阿久津はそれまでの自分の人生を考えることが多くなってきた。そろそろ四十歳も後半になろうかとしている自分が、一度は上りかけたと思った人生の頂点から急に叩き落されたことを思い起こすと、三十代後半から今までというのがあっという間だったように思えてならなかった。
毎日を何もなく過ごしていた感覚は、仕事においては充実はしていても、何事もなく過ごせたことを幸運に思えばいいのか時々自問自答を繰り返したが、出るはずもない答えを求めているわけではなく、考えること自体が重要なのだと思うようになっていた。
阿久津の人生の中で今までで一番の頂点というと、やはり香苗との結婚生活であったろう。
「結婚がゴールではない」
ということは重々承知していたつもりだったのに、なぜこんなことになってしまったのか、後悔の念に押し潰されそうになった頃を思い出していた。
今となってみれば、懐かしい思い出であるが、その頃は本当に躁鬱症に悩まされ、毎日を流されるようにしか生きていなかった。それは今も続いている。どこにゴールを求めているのかなど考えることもなくなった。見えてこないゴールなど、目指すだけナンセンスだと思ったのだ。
「今日よりも明日。少しでもいい人生にしようなんて思わないのか?」
などと、ありきたりの話をするやつもいたが、そんな話は右から左だった。
当たり前のことを言っているようにしか聞こえない。自分が絶頂にいれば、その言葉の意味も理解しようと思うのだろうが、今の阿久津にはそんな話は、
「自己満足したいがために説教しているだけに過ぎない」
としか思えないのだった。
その説教というのも阿久津が聞いていないということを分かっているのか分かっていないのか、こちらが聞いていないのに、構わずに話をしている。だからこそ、相手のことを思って話をしているという自己満足に浸っているだけだとしか思えないのだ。
もっとも、こちらのことを思って話をしてくれているとすれば、阿久津の態度を見ると憤慨するに違いない。
「お前のためを思って話しているんだぞ」
と言われるだろう。
阿久津も分かってはいるが、売り言葉に買い言葉。
「そんなことは分かっているさ。余計なことを言わないでくれ」
と答えるだろう。
相手はさらに憤慨し、ここまでくるともう収拾はつかなくなる。阿久津は自分が相手の立場だったらどうなるかと冷静に考えることが、想像の仲であればできるからだ。
そうなってしまうと、ほぼ絶交という形になるに違いない。
「友達を失う時というのは、こういう時なんだろうな」
と思うと、一人友達をなくすと、連鎖的に自分のまわりから友達が去っていく姿が容易に想像できるのだった。
ただ阿久津は、この頃、今までに感じたことのないようなことを感じるようになっていた。今までであれば感じなかった小さなことを、感じるようになったというべきなのかも知れない。それは気持ちに余裕のある時でなければ感じることのできないと思い込んでいたもので、感じている自分を不思議に思っていたのだ。
自分が有頂天だった時期、香苗との新婚生活の頃を思い出していた。
自分の心には大いなる余裕があった。何でもできると思い込んでいた時期である。実際にいろいろなことに挑戦してみようという意思を持っていたのも事実である。研究以外の勉強をしてみたいと思ってもいたし、もっと通俗的な趣味のようなものを持ってみたいとも思った。
絵を描いてみたいと思ったことがあった。
それまでなら立ち寄ったこともない美術館にふらりと寄ってみたりもしたが、美術館の絵を見に行ったはずなのに、絵よりも美術館の雰囲気に溶け込んでいく自分を感じた。
天井の高さ、窓の大きさ、そして展示物のわりには無駄にだだっ広いとしか思えない空間に身を任さてみると、それまでは漠然としてしか聞いてこなかった物音が耳に残るほどの音で聞こえてくるのを感じた。
「これ以上大きな音だったら、却って印象に残らないかも知れない」
と感じるほどに、タイムリーな大きさだったのかも知れない。
空気が通り抜けているわけではない大きな空間なのに、真空を感じさせる佇まいに、五感が研ぎ澄まされるような気がしてくるのだった。
阿久津は絵を描きたいと思ったのは、そんな美術館の空間を好きになったからだ。
「自分の描いた絵が、こんな空間の中にあったら素敵なことだろうな」
と感じたのだ。
阿久津は、ここで感じた、
「素敵なこと」
という言葉を反芻してみた。
今まで素敵などという言葉を頭の中とはいえ、口にすることはおろか、思い浮かべることもなかった。
「素敵などという言葉は、男が軽々しく口にするものではない」
という根拠のない凝り固まりがあったのだろう。
美しいものを見て、美しいと言えないという感覚は、まわりの人が自分へのアドバイスのつもりで話してくれることを、
「ありきたりな常識的な話」
として片づけていたからである。
アドバイスを忠告としてしか受け取れなかったことが、そう思わせたのかも知れない。
しかし、阿久津はまわりの忠告を今でもあまり受け入れることはない。特にまわりから、
「常識」
などという言葉を言われるのが一番嫌いであった。
その次に嫌いな言葉としては、
「社会人として」
という言葉であった。
社会人というのは、一体どういうことなのだ?
一般的な人のことを言っているという意味なのかも知れないが、一般的というのもこれほど曖昧な言葉もない。つまり、
「都合のいい言葉」
でしかないのだ。
普通に仕事をして、ある程度の年齢になれば結婚して家庭を築き、子供ができれば、さらに家庭のために頑張って働く。
阿久津は、実際にそういうことを夢見て、子供の頃から大人になってきた。特に大学に入ってからはその思いに凝り固まっていたと言ってもいい。だから大学を卒業する前には、一抹の不安を抱いていた。
実際に二年生の時に、まわりと同じような行動をしていて、気が付けば自分だけが置いて行かれていたという思いは、今でもトラウマとして残っている。夢にだって何度見たことであろうか。
夢というのは何度も同じ夢を見ていると、
「これも夢なんじゃないか?」
と思うものだ。
実際にそう感じると、夢であることに疑いを抱くことはなく、そこから一気に目が覚めてくるのを感じる。つまりは、疑いを持った時点から、すでに夢から覚めていたと言っても過言ではないだろう。
夢を見ている時、
「これって夢だよな」
と思うことは今までに何度もあった。
そんな時は間違いなく夢であり、目が覚めた瞬間だと思うようになったが、どうして夢だと思うのかということに関して、言及することはなかった。一歩踏み込んでそこまで考えてみると、それなりに何かの結論に至ったのかも知れないが、敢えてそれをしないのは、答えを求めるのが怖いという思いがあったからなのではないだろうか。
夢を見るということは、自分の感情を夢で形にすることだと言ってしまうと、それが一番簡潔な答えなのかも知れない。
そこまでは阿久津だけではなく、他の人も認識していることだと思っていた。
つまりは、
「夢というのは、感情の形」
として把握されていると考えると、夢の中で感情を映像として見ているのだと気付くと、もう夢の世界にはいられなくなるということなのかも知れない。
それが夢を見ているということを正当化するための無意識の行動であり、夢の世界から現実世界に引き戻されるターニングポイントの一つなのではないだろうか。
夢というのは、
「どんなに長い夢であったとしても、目が覚める前の数秒で見るものである」
という話を聞いたことがあったが、まさしくその通りではないだろうか。
阿久津が見る夢で、実際に夢を見ていると感じる時というのは、圧倒的な大学時代の夢が多い。それ以外に感じる夢もあるのだろうが、印象深く残っているのは、大学時代のことばかりであった。夢の中に香苗が出てくることはない。彼女はすでに過去の人だと思うのだろう。だから、阿久津にとっての直近の過去が大学時代なのだというのは性急すぎる結論であろうが、その頃の思いが今の阿久津を形成しているのかも知れない。
大学院に進み、助手から助教授、そして教授へと順風満帆と言ってもいいくらいの仕事での成果も、私生活の荒れ具合とを比較すると、全体的に見て、中和されるとちょうどいい塩梅なのかも知れない。そう思うと、阿久津は、
――俺の人生なんて、皮肉なことばかりなんだ――
と感じないわけにはいかなかった。
そんな阿久津に、
「第二の人生」
が訪れたのは、四十歳代の後半になってからだった。
きっかけは、後輩の助手に連れて行ってもらったスナックだった。それまでにもスナックにはたまに通っていたが、あまり酒の飲めない阿久津は、一人で出かけて、マイペースで飲むだけだった。常連と言えるくらいではあったが、他の常連客と話をすることもなく、ただその場所にいるだけという程度で、まわりからもあまり意識されていなかった。
離婚してからの阿久津は、気配を消すことができるようになった。
いや、できるようになったわけではなく、最初からできていたものが鮮明になっただけのことだった。それまでは研究室で研究員としての確固たる立場があったので、あまり人と話をしなくても存在感は十分にあった。助教授から教授に上り詰めても、彼自身というよりも名声や立場が彼を形作ってくれていたので、自分から目立つ必要はない。その方がまわりからの心象もよかった。
「阿久津先生って実に謙虚でいらっしゃる」
と言われていた。
ここで性格が意固地であれば、
「堅物」
というイメージが植え付けられるのだが、そういう角があるわけではないので、教授としての好印象を持たれていたのは幸いだったのだろう。
飲みに行ってもまわりに溶け込むことはなかったが、それが却って一線を画したことで、威厳を持ったように迎えられるのだ。これを幸いと言わずに何というだろう。
彼の助手は阿久津の若い頃に比べて、かなり遊んでいるようだった。
大学生活を満喫して、そのまま大学院で助手という形で残り、研究も怠ることはないので何ら文句もない。自分の若い頃を思い出し、少し羨ましく感じられる阿久津だった。
だからと言って、自分の若い頃を後悔しているわけではない。あの頃に自分の将来をそれほど想像することもなかった。毎日の研究に一生懸命で、
「毎日を一生懸命に生きていれば、きっと将来、後悔することのない人生を歩めるに違いない」
と思っていた。
実際に順風満帆とまではいかないまでも、自分がゆっくりではあるが、上昇気流に乗っているという自覚はあった。まさか下方修正させられる時期がやってくるなど、想像もしていなかった。
だが、想像していなかったというのは言い過ぎかも知れない。自覚していないだけで、嫌な予感というのは頭の隅に絶えずあった。
「好事魔多し」
という言葉も意識していないわけではなかった。
いいことがあれば、心のどこかで、不安が燻っていたのも事実だった。
有頂天の時期には、心の葛藤もあった。
「夢なら覚めないでほしい」
という思いと、
「こんなに幸せでいいのか?」
という思いが交差し、どちらも有頂天ならではの心境なのだが、プラスをプラスで上書きした時、一抹の不安が訪れるなど、その時に初めて知った。
ただの不安なだけで、根拠も何もないはずなのに、一度気になってしまうと気にしないわけにはいかず、次第に不安が大きくなってくる。
離婚という形で、天国から地獄に叩き落された阿久津は、底辺で喘ぐ自分の姿を想像した。おぼろげながらに創造したその姿は、きっとまわりから見るみすぼらしさとは違った感覚だったに違いない。
まわりの考えていることがまったく分からない。誰もが楽しそうに見えているが、その目が自分を見る時は、みすぼらしいものを見ている感覚に襲われる。だが、そのうちにその人の目に映る自分を感じるようになった。その姿は上下逆さまに映っていたのだ。
阿久津はそれを見た時、ふいに鏡を思い出して、鏡の不思議さに気が付いた。
阿久津はほとんど鏡を見たことがない。だから、自分の顔がどんな顔をしているのか、意識したことはなかった。
表情を想像することはあっても、それはあくまでも鏡のないところで勝手に想像するだけで、自分の顔やリアルな表情を感じることはなかった。
その理由の一つに、
「鏡は左右が逆に映る」
という思いがあったからだ。
実際の姿を写し出しているのは間違いないが、左右が逆になっていれば、正確に写し出しているものを、本人が錯覚してしまうという意識があったからだ。
子供の頃から鏡を見ることはあまりなかった。子供の頃に見なかったのは、自分の顔が単純に嫌いだったからだ。
一番嫌いだった表情は無表情の時、自分の顔が歪んでいるように見えたからだ。
阿久津は顔というのは、左右対称なのだと思っていた。自分の顔を正面から鏡に写して見た時、その思いは打ち砕かれた。特に口元は真一文字に結んでいるつもりだったのに、傾いていた。
ただそのことに気付くまでには少し時間が掛かった。無表情な顔が嫌いだとは思ったが、どこが嫌いなのかすぐには分からなかったので、分かるまで嫌だと思いながらも、よく鏡を見たものだった。時々というくらいの間隔だったのに、本人としては頻繁だったと思うのは、それだけ自分の表情が印象的だったからに違いない。
自分に睨まれているような気がした。これほど気持ち悪いものはない。相手の目を見つめると相手も見つめ返す。当たり前のことなのだが、それが気持ち悪かった。
左右対称だと思っていた顔が歪んで見えると思った時点で、すでに鏡の中の自分に負けていたのだ。
阿久津は鏡を見ながら、ふと不思議なことに気が付いた。
「鏡って、左右は逆に見えるのに、どうして上下が逆さまに見えないんだ?」
という思いだった。
それに気づいたのは、まだ子供の頃で、小学生の頃だったように思う。
クラスメイトも鏡の話題に触れることはない。まわりでそんな話をする人も見かけない。誰も不思議に思っていないことが不思議だった。
しかし阿久津は、
「本当は誰もが不思議に思っているけど、話題にすることがタブーだということを知っているんじゃないだろうか?」
と感じた。
タブーというのはそれを口にすることで自分に災いが降りかかることだと阿久津は思っていたので、決して自分も人に言ってはいけないことだと思った。自分の顔が歪んで見えるのも、誰にも知られたくないことであった。タブーと平行して考えると、そのどちらも口にすることは許されない。
しかし、自分の顔が歪んで見えることは別にして、上下が逆さまでないことを誰にも聞けないというのは苦痛だった。阿久津は最初鏡を見るのを、
「自分の顔が歪んで見えることを人に知られたくないからだ」
と思い、嫌いになったと思っていたが、実際にはそうではない。
「タブーを口にできないことの方が、よほど辛い」
と思ったことで、鏡を見ることを恐怖に感じるようになったのだ。
そのことを阿久津は子供の頃から自分の心の奥にじっと蓄えていた。あまり封印しすぎたことで、
「なぜ鏡を見るのが嫌だと思ったのか?」
ということの原点が分からなくなってしまっていた。
実際に自分の顔を鏡で見たのはいつが最後だったのだろうか。思い出そうとするが思い出せない。
「ひょっとすると、無意識に見ていて、それを見ていないと後から記憶を捻じ曲げているのではないだろうか」
と考えるようにもなった。
自分の意識の中で鏡を見るということがどれほど苦痛なのかを分かっているから、見ることに苦痛のないようにどうすればいいかということを、これまで生きてきて、ノウハウとして身につけたものだったのかも知れない。
そう思うと阿久津は自分のこれまで歩んできた人生の半分は、
「無意識でいたように感じるが、その中で納得できなかったことを納得させられたり、納得できないことでも、納得したかのようになれたのではないか。その思いが無意識に生きるという状況を作り出したのかも知れない」
と、感じるようになった。
そんな毎日だから、
「あっという間に過ぎてしまった」
と感じるようになったのだろう。
鏡に対しての不思議な感覚は、その意識を鏡に集中させているだけで、他にもあったかも知れない。いつか何かのきっかけでそれを知ることになるかも知れないが、その時は鏡に対しての不思議な感覚を思い出したことで、自分にとっての何かを発見したような気がして、怖さを伴うことで、複雑な心境になっていた。
後輩に連れていってもらったスナックで一人の女性と知り合った。彼女は見た目は化粧も濃いので、今までの阿久津であれば敬遠したくなるようなタイプだったが、どこかなれなれしい態度に、不思議と嫌な気がしなかった。
ケバケバしく見えていた化粧も、贔屓目に見れば幼さを隠そうとしている雰囲気が感じられた。
そもそも今まで女の子を贔屓目に見たりすることなどなかった阿久津だった。相手に過度の期待をしてしまうとどういうことになるのかは、元妻の香苗で身に染みて分かっていたはずだ。
香苗に対して、
「何でも俺のことは分かってくれているんだ」
という思いが慢心になってしまったことで、それが彼女に対して、最初はお互いの信頼関係だと思っていたのに、本当は自分の慢心であり、自己満足に過ぎなかったことが分かると、女性に対しての過度の期待が自分を苦しめることになるというのを自覚しているつもりでいた。
そんな感情からか、それまで香苗という女性が一番自分のkとを分かってくれていて、世界の全員が自分の敵になっても、彼女がいてくれると思うだけで、自分は何とかなると思っていたほどだったのが、いつの間にか、
「近くて遠いという関係を一番身に染みて感じさせる相手」
としての存在になってしまったことが、今の阿久津にとって、トラウマとなって残ってしまったのだ。
そんなトラウマが十年以上も自分の中で培われてきたら、それを取り除いてくれるような女性は二度と現れないだろうと思った。もしいたとしても、気付くはずはないと思ったのは、心の奥で、
「気付いたつもりになった相手は、きっと自分を欺くに違いない」
と思わせたのは、今でも香苗を好きだという矛盾した考えが自分の中にあったからだ。
つまりはトラウマを取り除いてくれる相手ではなく、自分の中の矛盾を解消してくれる相手でなければ、きっと好きになっても、今までと同じことだと阿久津は考えるようになっていた。
だが、スナックの女の子には、そんな理屈は関係なかった。何も考えずに阿久津にくっついてくる感覚は、理屈など関係なかった。
「好きになるかも知れない」
という感情を抱いた時、彼女と一緒にいる自分を想像することができたのだ。
「それだけで十分なんじゃないか?」
それまでトラウマに苛まれて、香苗以外の女性を好きになることなどないという結論に達していた自分がウソのようだ。それまで自分を相手にしてくれる女性が現れなかっただけで、現れないことをトラウマに苛まれていることの言い訳にして、前を向こうとはしなかったのだ。
香苗にとって阿久津がどんな存在だったのか、阿久津は別れた後でも、いや、別れてしまったからこそ余計に思うようになっていた。
しかし、その答えが出ることはなかった。一歩進んでは二歩下がる。まるでどこかで聞いた歌の歌詞のようだが、一進一退よりもさらに後ろ向きなのだ。
最初は後ろ向きだということに気付かずに、堂々巡りを繰り返していると思っていた。堂々巡りなら、抜けることはできないが、後ろに進んでいるのであれば、抜け道も見つかるかも知れない。
そんな思いをポジティブとは呼べないのかも知れないが、一縷の望みとして阿久津の中で納得できる思いに近づいていたのだった。
「この歳になって、若い女に溺れるなんて」
三十歳代には、思ってもいないことだった。
若い女性を見れば見るほど自分との違いを思い知らされ、住む世界の違いを思い知らされていた。研究所でも二十歳代というと、男でも女でも、まるで別世界の人間のように思えてならなかった。相手もこんなおじさんをまともには見てくれないと思っていたからで、自分が二十歳代に三十代、四十代をどのように見ていたのかを思い出せば、おのずとその気持ちに納得できる。
「今はすでに四十歳をとっくに過ぎているではないか」
という思いは、彼女を見ているうちに次第に大きくなってくるのだった。
阿久津はそれまで感じたことのない隠微な感情に包まれていた。離婚してから、いや、離婚前から自分の妻に対して、性欲が湧いてこないことに気がついてはいたが、なるべく意識しないようにしていた。
意識すれば、せっかく結婚した相手に対して後ろ向きの考えになるからで、妻に対して申し訳ないという思いと、性欲の湧かない自分が情けなく感じるからだった。
いや、妻に対して申し訳ないという思いは本当の気持ちではない。結婚してから付き合っていた時のような性欲が失せてしまうことは、他の人の話を聞いて分かっていたことだ。どちらかというと、認めたくない思い。それを感じてしまったことに対して、自分が許せない気分になってしまったのだろう。
冷めてしまった相手を抱く機会は次第に少なくなってきた。欲が義務感に変わってしまうと、営みはまるで目標のない仕事のようで、これほど味気ないものはない。
「だったら、子供を作れば」
と言われるかも知れないが、それこそ愚の骨頂でしかないように思えた。
ただでさえ、
「子供ができれば、奥さんは女ではなくなる」
と言われている。
実際にすでに女としての意識は失せかけているのだから、同じことだと思われるかも知れないが、すでに意識しているだけに、自らで地獄に赴くような態度を取ることは自殺行為のようで、そこに何ら意志が働いておらず、勇気を持つことができない。
もし、子供ができて、夫婦間が少しでもいい方に向かったとしても、子供をダシに使ってしまったことを後悔するに違いないと思うと、迎えることができた幸福も、儚いものに思えてしまうだろう。
阿久津は妻との離婚の原因について、ハッキリとは分からないと思っていた。
だが、心当たりはありすぎるくらいあった。どれが直接的な考えなのか精査することができず、混乱するだけだった。だから、
「原因はよく分からない」
というのが本音となるのだ。
ただ、妻に対して悪いという思いはそれほどあるわけではない。離婚するには、お互いにそれなりの理由があるからだ。ただ、さっさと自分だけで悩んで、相手に告げた時には、すでに結論は出てしまっていて、後戻りできないところまで来ているというのは、夫からすれば、卑怯ではないかとしか思えないのだ。
だが、夫の方としても、それなりに予感があったにも関わらず、ぎこちなくなってしまったお互いの仲を切り開こうとしなかったことに罪がないとは言えないだろう。やはりお互いにそれぞれ悪いところがあっての離婚。阿久津には理屈ではないと思えた。
離婚が成立してから、思ったよりもアッサリはした。後悔の念に苛まれて、引きこもってしまうのではないかと思ったが、離婚してしまい一人になったことで、せいせいした気分にもなれた。
寂しさがないと言えばウソになる。この頃から、人と関わることが煩わしいという思いを抱くようになっていた。それでも、女性と話をするのはまんざらでもなかった。大学で学生が授業の話のような当たり障りのない話をされるのも、くすぐったい気がするのだが、嫌ではなかった。
このくすぐったさには、懐かしさがあった。
いつの頃の懐かしさなのか思い出すことはできなかったが、さほど昔ではないと感覚が言ってはいたが、思い起こしてみると、近い過去にそんな思いを抱いたという意識はまったくなかった。
あったとすれば、小学生か中学時代のまだ女性に対して異性を感じていなかった時代ではないかと思う。女性を感じていないから、感情よりも感覚が優先し、くすぐったい感覚に陥ったのだろう。
妻と離婚してからしばらくの間、過去のことを思い出すことが多かった。考えることといえば、未来のことを考えるだけの精神状態ではなく、思い出に浸ることしかできない毎日だった。いい思い出も悪い思い出も関係ない。いい思い出だけを思い出そうとしても、悪い思い出も一緒についてくる。振り払おうとしてもできるわけではないので、
「思い出って、繋がっているものなのかも知れないな」
と思うようになっていた。
阿久津はこの時期、考えれば考えるほど、矛盾を感じることが多かった。それは思い出に対しても同じことであり、矛盾でありながら、受け入れられるのは、
「思い出というのは、すでに起こってしまったことだから、変えることはできない」
という思いがあるからだ。
いつの頃の思い出を一番よく思い出すのかと言われると、正直分からない。
小学生の頃のことをよく思い出すように感じるのは、中学生から高校生にかけてが、あっという間に過ぎ去ってしまったように思うからだ。
それは、自分の中で思い出として思い出すことがまったくなく、ただ通り過ぎて行ったという意識しかないからだ。
思春期という微妙な心境の時代であり、成長期として大切な時期だっただけに、あまり余計なことや冒険をしようと思わなかったからなのかも知れない。まわりの同級生を見ると、結構冒険をしたり、波乱万丈という生活を送っていたのを見ると、
「あんなこと、俺にはできない」
としか思えなかった。
だが、願望としてはあった。願望があったことで、
「願望は我慢するためにあるんだ」
というほど、欲望や願望は自分にとって、よくないことだという意識が強く、本当はまわりに迷惑をかけるという言い訳のもと、我慢するという感情を正当化しようと思ったに違いない。
――今だったら、よく分かるんだよな――
思春期の頃を思い出すと、自分が我慢ばかりしていて、そのために、自分の感情を正当化させようとすることに躍起になっていたように思える。
だからこそ、あっという間に過ぎたという意識しかなく、思い出もさほど残っていないのだ。
思い出はないが、その時の心境を今なら手に取るように感じることができる。自分を正当化させようとした心境は、思春期であれば仕方のないことであり、もし、もう一度あの頃に戻ったとしても、同じことをしていたに違いないと思うだろう。
阿久津は大学に入って、人と関わることの楽しさを感じた数少ない時期であったが、すぐに置き去りにされた感覚を抱いたことで、後悔させられた。それまでにも後悔したことはあったはずなのだが、本当に後悔したという感覚に陥ったのは、その時が生まれて初めてだったような気がする。
我に返って勉強を始めたことで、大学院から助教授、そして教授への道を歩めたことは、自分の人生の中で奇跡のような出来ごとだったように思う。
本当はこれ以上の幸運を求めてはいけないことではないかとも感じたが、有頂天になってしまうと、さらなる幸運を求めてしまうのも、人の常ではないかと思えた。
実際に、香苗と出会ってからの阿久津は、公私ともに幸せの絶頂だった。だから、何に気を付けなければいけないのかということに気付かなかった。
気付かなかったわけではなく、有頂天になってしまうと、悪いことを考えないようにしようとする意志が働くのかも知れない。
その思いとは裏腹に、
「好事魔多し」
などという言葉が頭に浮かんできて、どう自分を正当化させればいいのかということを考えたとしても、有頂天である以上、正当化させるだけの知恵が浮かんでこない。
考えれば考えるほど、ロクなことはなく、
――何も考えないことが自分への正当化なのだ――
と思うようになった。
そうすると、とんとん拍子に事は進んでいく。その節目節目で何かがあっても、何も考えないことで解決できていた。
確かに何かを考えてはいたが、自分を正当化させようという意識が裏で絶えず働いていたという思いを、後になれば感じることができた。絶えず自分の正当化について考えていたというのは、むしろ自分が有頂天にいる時に感じたのであり、躁鬱状態の時には自分を正当化させようなどという意識はなかった。それどことではなかったというべきなのだろう。
阿久津は結婚してから離婚するまでは、有頂天の時期もあったが、波乱万丈でもあった。だが、その二つが同居した時期はなかったと思っていたが、ある時期を境に、同居した時期が存在したと思うようになった。
それが躁鬱状態の時であり、むしろ、躁と鬱がまったく切り離された時期だったというのは実に皮肉なことだったように思う。
離婚してからの十数年間というのは、長かったようで、あっという間だった。あまり人に関わらなかったので、波乱万丈ではなかったが、精神的には今までの中で一番波乱があったような気もする。離婚した時よりも波乱万丈であったなどとすぐには信じられなかったが、やはり直近の記憶がそう感じさせるのだろう。
阿久津はスナックで一人の女性と知り合うまで、過去のことばかりを思い出す毎日だった。
人と関わりたくないという大前提のもと、過去のことばかり思い出しているのだから、前に進むはずもない。時計はどこかの時点で止まってしまって、進もうとはしない。それがいつだったのか、阿久津にも分からなかった。
阿久津は離婚してから過去を思い出すことばかりだと言ったが、そこには二つの考え方が存在する。
一つは、思い出すという行為だ。そしてもう一つは思い出に浸るという行為である。
どちらも思い出すということに違いはないのだが、思い出に浸るという方が、より一層過去に執着しているようで、問題としては大きいだろう。
阿久津は過去を思い出す時、時系列を無視しているように思えた。近くの思い出を昔のように思い、かなり昔のことがごく最近の出来事のように感じられるのだ。それは過去のできごとを点として捉えているからだというわけではない。繋がっていないということになるのだ。
思い出に浸っている時、決して点で捉えようという気持ちはない。ある一点を起点にして、そこからどんどん思い出の中に自分の身を置くかのように想像を作り上げていく。
思い出というのは、自分の記憶の中にあるものを忠実に表現しているだけではない。それはまるで画家が目の前にあるものを忠実に表現しているのかどうかという意識にも繋がっているように思えた。
阿久津は大学の友人で、絵画に造詣の深い人がいた。その人は学校の中にいる美術研究家に傾倒していて、その人の話をよく聞いているという。
「画家というのはね。目の前にあるものを忠実に描くだけではないんだよ。想像して描くこともあれば、被写体に対して、大胆な省略を施すことだってあるんだ。それが感性であり、創造するということになるんだ。絵画というものは、創造物なんだよ」
と言われたと言っていた。
阿久津はその話を聞いて、すぐにはピンとこなかったが、何か自分の中での疑問や矛盾にぶつかった時、この話を思い出すことがあった。
「画家ではないが、俺は研究者として、目の前に見えていることを、すべて真実だと感じることが果たしてできているんだろうか?」
と感じた。
研究者としてだけではない。人間としてと言い換えた方が、余計にリアルであるが、そこまで考えるだけの勇気を持つことができない。
実際に妻との離婚にしても、まったく後悔がなかったのかと言われると疑問に感じられる。どこかに気持ちの矛盾が存在し、その矛盾を解決できるだけの自分を納得させられる理屈を自分で解き明かすことすらできない。
――意外と、人間臭さや通俗性というものが一番難しく、答えを求めること自体、方向性が間違っているのかも知れない――
などと考えたりしたが、それも離婚したことに対して、いまだに引きづっている自分を感じるからであった。
阿久津は、スナックで一人の女性と知り合った。
彼女は店に入ってからまだ間がない頃で、まだまだ初々しさが残っていた。
「私、今日が初めての出勤なんです」
と言われて、柄にもなく喜んでしまった自分を素直に、
――いじらしい――
と感じたが、これは自分の中でも納得できる感情だった。
そんな彼女も離婚経験があり、
「似た者同士ですね」
と言って微笑んだ顔が忘れられない。
初めて打ち解けた顔をしてくれた気がしたからだ。
――こんな感情、初めてだ――
素直に彼女のことを好きだと感じた。
そんな彼女には、すべてを話そうと思い、阿久津は途中を端折ってはいたが、言わなければいけないところはキチンと捉えて話したつもりだった。
そんな中で、思い出と思い出すことについて話になった。彼女の方からこの話題に触れてきたのだが、阿久津がさっきまで考えていたことをいきなり見抜かれたような気がして自分でもビックリだった。
「思い出と記憶って、やっぱり違っているのよね」
と彼女が言った。
「どういうことなんです?」
阿久津は何となく分かっていたが、念のために聞いてみた。
「思い出は時系列で繋がっているけど、記憶って繋がっていないのよね」
と言われた。
「逆じゃないのかい?」
と阿久津がいうと、彼女は、
「これでいいの」
と言った。
彼女と阿久津が見ているところは同じなのだが、表現が正反対だった。そんな状況を阿久津は、
――まるで鏡を見ているようだ――
と感じたが、それを声に出していうことはなかった。
阿久津は、スナックに足しげく通うようになった。目的はスナックの女の子に気に入られたいという下心があったからだ。阿久津は自分のそんな気持ちを隠そうとは思っていない。どちらかというと今までの自分が堅物を装っていたことで窮屈な思いをしていたと思い、それを解放させる気持ちになっていたのだ。
だが、実際にはそんな窮屈な思いはしていなかった。堅物だと思わせるような故意は自分の中にあったと認めるが、それもさりげない態度であったことで、苦痛に感じたこともなかったのを、
「窮屈な思いから解放する」
などとどうして感じたのか自分でも分からなかった。
元々、相手の女の子の方が阿久津に興味を示していたようだ。
大学教授という肩書に興味を持っていただけなのかも知れないが、阿久津はそれでもよかった。利用されているという認識はまったくなく、むしろ、自分が努力して掴んだ地位があるから、それまで得られなかった感情を得ることができたということで、一種の役得感を味わったのだった。
役得感は悪いものではなかった。
「教授になったのだから、こういうご褒美があってもいいじゃないか」
という思いだった。
収賄のようなれっきとした刑事事件であれば、罪悪感もあるが、曖昧なことは大丈夫だという感覚である。
「誰もがしていることではないか」
という感情が頭の中にあり、それが本当は一番危険なことであるということを分かっていなかったのだろう。
それで阿久津はいいと思った。いまさら聖人君子のような顔をするつもりもないし、むしろ人間臭さがあってこそのまわりとの関わりだと思えば、何でもないことだった。
阿久津が店の女の子と身体の関係になるまでに、それほど時間は掛からなかった。やはり積極的だったのは彼女の方で、ことあるごとに阿久津に誘いをかけていた。
最初の頃は、相手にしていなかった阿久津だが、一度ならずも二度三度と積極的になられては、その気にならない方がおかしい。
一度ダメで諦めるのであれば、
「それだけのことだったんだ」
と思って、どこにでもあることの一つとして片づけていたに違いない。
しかし、それが何度も繰り返されると、さすがに相手の気持ちが、自分が見ているような軽い相手ではないという思いに駆り立てられる。男としても、まんざらでもなく、しかも年齢が離れていることから、
「本当にその気がなければ、ここまで積極的にはならないだろう」
と思った。
阿久津は彼女の誘惑に負けた形で、一緒にホテルへと足を踏み入れたが、阿久津は相手に誘惑されたという思いを拭い去ることはできなかった。
だが、それでもいいと思っている。一緒にいると、どこか懐かしさを感じる。それは自分が若かりし頃に戻ったという感覚があるからで、ホテルに入るのなど、何十年もなかったことなのに、まるで昨日のことのように思い出された。
以前に一緒に入った相手は。まだ阿久津が学生の頃で、性に関してはまだまだ子供だと思っていた頃だった。
そんな自分が初老になって、まさか二十歳以上も若い女性とホテルにしけこむなど想像もしていなかったことに、新鮮さを覚えたのだ。
ホテルに入るまではあれだけ積極的だった彼女は、ホテルに入って二人きりという状況に陥ると、急に殊勝な態度を取るようになった。
――これを恥じらいというのか?
阿久津は今までに感じたことのない思いだったはずなのに、どこか懐かしさを感じていた。
阿久津は今までにベッドを共にした相手は、妻の香苗だけではなかった。結婚前に数人の女性とホテルに入ったりしたことはあったが、恋愛関係に結び付いたことはなかった。阿久津はそのつもりだったが、相手が阿久津を相手にしなかった。中にはホテルに入るまでは恋愛感情を持っていた相手が、ホテルで一夜を過ごしたことで、急に恋愛感情が冷めてしまった人もいるかも知れない。
そんな数人の中に今回のスナックで知り合った彼女との逢瀬にどこか結び付くようなものがあったのだった。
恥じらいを感じた彼女は、とたんに無口になった。相手が無口になると自分が饒舌になる癖を持っていた阿久津は、彼女になるべく話しかけようになった。さらに恥じらう彼女だったが、阿久津に話しかけられることに対しては、嫌な思いを抱いているということはなかった。
「電気を消して」
と言って恥じらう彼女の言うことを最初は聞いていたが、そのうちに阿久津は大胆になった。
彼女の恥じらいを、まるでわざとであるかのような解釈を勝手にして、敢えて攻撃的になった。そう、Sに変身したのだ。
そんな阿久津に彼女は怯えたような態度を示していたが、次第にお互いの興奮は最高潮に達し、
「こんなの初めて」
とまで彼女に言わせるだけになっていた。
阿久津と彼女との関係が決定した瞬間だった。
彼女はMの性格を持っていて、隠れたSであった阿久津の本性を最初から見抜いていたようだ。
しかも、彼女の中にはファザコンという性質まであったようで、だからこそ、阿久津の中にS性を見抜くことができたのだろう。
そう思うと、いろいろ納得できていた。
「男女の関係って、深くなればなるほど、単純に考えればいいものなのかも知れないな」
と阿久津は思った。
関係が深まれば深まるほど、複雑になってきていると思うことの方が、余計に頭の中を複雑なものにしている思ったのだ。
阿久津は彼女と深い関係になり、それまで隠れていた本性が顔を出した気がした。
――この歳になって――
とは思ったが、本当にこの歳になって、まわりの女性が自分に興味を持ってくれている人が多いことに気が付いた。
離婚してからの阿久津は、目線がどうしても内に籠りがちになっていた。実際にほとんど表を見ていない。表を見ていたとしても、それは表面上だけのことで、その根底にあるものを見ようとはしなかったのだ。
だが、こうやって女性と再度仲良くなってみると、それまでの空白の期間がぐっと縮まって、すべてがまるで昨日のことのように思い出される。女性の身体にしても、
――初めての相手のはずなのに、隅々まで知っているかのような錯覚に陥ってしまうのはなぜなんだろう?
と思うほどになっていた。
阿久津は、スナックで知り合った女性だけではなく、大学内の女の子、つまりは生徒に対しても嫌らしい目で見るようになっていた。
その視線に気づく女生徒もいて、ほとんどは、
「教授の目、気色悪いわ」
と思われていただろうが、中には阿久津の視線に、興味を示す女性もいた、
阿久津としては、
「数百人に色目を使って、一人でもそれに応えてくれる人がいるのであれば、惜しみなく視線を送る」
と思っていた。
功を奏したという言い方が適切なのかどうなのか分からないが、阿久津が気になったのはその中の一人、吉岡恵という生徒だった。
彼女は、普段からいつも一人でいる女の子だった。正直まわりからは一線を画していて、目立つということとはまったく無縁な存在だった。そんな彼女のことを気にする男子などいるはずはないと阿久津は思っていたが、実際にそうだったのだ。
阿久津が彼女を意識したのは、彼女の視線を感じたからだ。
最初は阿久津もまわりの男性と同じように、恵の存在をほとんど意識していなかった。彼女には気配を消すという癖のようなものがあったようで、気が付けばそこにいたという程度の存在感しか与えられなかった。
それなのに、彼女の目力は視線の先を知るまでは、まったく感じなかったはずの彼女の視線を感じるようになったのは、どうしてなのだろう?
その視線がスナックで知り合った彼女とは違った意味で阿久津に衝撃を与え、阿久津は彼女をものにしないといけないというような使命感に襲われたのだ。
彼女の名前は吉岡恵という。自分のゼミの生徒だったが、今までは意識したこともなかった。
「眼中になかった」
と言ってもいいだろう。
今までは他の女性であっても、生徒であれば、ほとんど意識したことはない。相手が性とだからという理由ではなく、生徒であろうが他の女性であろうが、女性というものをいつの間にか意識しないようになっていたのだ。
そのことを阿久津は自覚していなかった。自分はまだまだ女性に対して意識が強いと思っていたのだ。だから、生徒に対して意識して視線を逸らしていたこともあったが、女生徒からすれば、その方が気持ち悪く見えていたようだ。しかし、阿久津がスナックで女性と知り合い、そのまま自分の本能のままに赴く行動をとることができたことで、今まで自覚してきた自分に近づくことができたのだ。
それまで、自覚と本当の自分への意識が違っていたことでまわりからの意識と自分の間隔のずれを知ることがなく、生徒からどう思われているのか分からず、教授という立場だけを頼りにここまでやってきていたことにやっと気づいた。
離婚してからこれまで、ここまで自分を見失っていたなど、想像もしていなかった。だが、やっと目覚めることができた。五十歳近くになって目覚めた自分を、阿久津は遅いとは思わなかった。
「まだまだこれからだ」
人は五十歳という年齢をどう思うだろう。
十年前くらいであれば、まだまだ遠い年齢だと思っていたが、考えてみればあっという間だった。それは何も意識の中になかったからで、これまで知らなかったことを知るにはまだ何十年も残されているという思いがあったからだ。
阿久津は、五十歳になっても、まだ自分はに十歳代前半くらいの意識でいる。それは肉体年齢ではなく、精神年齢だということだ。まだまだ子供だと言える年齢なのかも知れないが、やり直すには十分に思えた。
恵がそんな阿久津に興味を抱いたのも無理はないことだった。阿久津に興味を抱いた女性は恵だけではなく、他にもいたようだった。
阿久津は、最近眼鏡をするようになった。以前はコンタクトレンズをしていたのだが、最近は目が痛くなってしまい、仕方なく眼鏡をするようになったのだが、そのとたん、まわりの女性が阿久津に興味を持つようになった。
阿久津もまわりの女性への目線が変わったような気がしていた。それまで意識してはいけないというタガが外れたような気がして、いつの間にか熱い視線を送っていたのだ。
普通なら、
「気持ち悪い」
と思われるのだろうが、阿久津に限ってはそんなことはなかった。
阿久津は女性を抱く時決して眼鏡を外さない。
「恥ずかしい」
と相手に言わせるのが好きなのだ。
しかし、ある時、恵を抱いた時、ふいに眼鏡を外した。すると、
「今日の先生、いつもと違ったわ」
と言って、彼女は急に冷めてしまったようで、それから阿久津に対しての態度がまったく変わってしまった。
彼女は阿久津にその日、暴言を吐いていた。どうやら、阿久津が他のオンナと親しげに話しているのを見たという。
阿久津には身に覚えのないことだった。
「何をいうんだ、俺はそんなところにそんな時間行っていないよ」
というと、
「教授が若い女の子が好きなんだってことは知っていたけど、まるで夫婦のようにふるまっていたは、今までの先生からも、最近の先生からも想像できない姿。それを見ると、私は何か裏切られた気がしたの。どうしてなのかしらね」
と言って、黙ってしまった。
阿久津は、それ以上、恵を責める気にはなれず。
「じゃあ、今日はこのまま帰ります」
という彼女の手を離してしまった。
阿久津は恵が言った場所まで行ってみた。すると、そこは墓地になっていた。
「おかしいな。恵はこんな場所で俺と別の女性を見たというのか?」
と思い、海が見える墓地を歩いてみた。
そこに一つ気になる墓が見えたのだが、その墓石に書かれている名前を見て、阿久津は愕然とした。
「阿久津香苗」
その名前は香苗の名前である。
しかも旧姓ではなく、阿久津の名字のままだ。
そして、その横には死亡年月日が書かれていたが、その日付は今からちょうど十五年前の今日になっていた。そして阿久津はその時、形になって表に出すことのできない「時効」のようなものを感じた。
「曖昧な人生は、曖昧でしかない」
それは、今までの自分の人生が、虚空にまみれた人生であり、迎えた時効が、法律でも撤廃されたすでに過去のものであったかのように感じたのだった……。
( 完 )
呪縛からの時効 森本 晃次 @kakku
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