第2話 躁鬱

 それまでの阿久津は、同窓会の案内はおろか、本当に自分に関係のある封筒以外は開いてみようとすら思わなかった。ダイレクトメイルが鬱陶しいという気持ちが強くあったのも事実だが、それよりも封筒を開くことすら鬱陶しかった。仕事が終わって自分の部屋に帰ると、何もしたくない。食事を作ることも億劫で、シャワーを浴びることくらいが一番面倒なことだと思っていた。

 自炊などほとんどしたことはなく、一応キッチンでは自炊用品は揃っていたが、ほとんど使ったことはない。それでも最初は、

「朝飯くらいは自分で作ろう」

 などと思っていたが、いつの間にかそんな気分も失せていて、きっと早起きして何かを作るくらいなら、ギリギリまで寝ている方がいいという安直な気持ちを持ったからだろう。

 一度楽を覚えてしまうと、煩わしいことは何もしない。すべてを表で済ませて、部屋に帰れば横になってテレビを見るくらいしかしようとは思わない。それをズボラと言われればそれまでだが、居心地冴えよければそれでよかった。

 人嫌いな性格も一人でいる時のズボラに拍車をかけたのかも知れない。阿久津はそんな毎日を過ごすことに後ろめたさは一切なかった。

 だが、助手になった頃からは少し変わってきたような気がした。家で朝食くらいは作るようになったし、特にコーヒーを毎朝淹れるようになったことは大きな進歩であった。

 インスタントではなく、コーヒー専門店から豆を買ってきて、朝、自分で挽くのだ。

「香りというものが、今までと同じ空間だと思っていた世界を、こんなにも変えてくれるなんて……」

 と感じたのだ。

 それまで寒いだけだと思っていた朝のひと時が、コーヒーの香りによって暖かさに包まれ、今度は出かけるのが嫌になるくらいになっていた。

「きっと目覚めの悪さが悪影響を与えていたんだろうな」

 と感じた。

 朝の目覚めは、本当は悪いはずではなかった。人によっては、目覚ましをいくつもセットしても起きられないと真剣に悩んでいる人もいるというが、阿久津はそこまではなかった。目覚ましが鳴らなくても目を覚ますことは多かったし、数分もすれば、行動するには十分なくらいに目が覚めていた。

 しかし、一度でも目覚めに疑問を持つとダメだった。それがいつのことだったのか分からないが、それまで目覚めにまったくの疑問を感じたことのなかった阿久津だったのに、目覚めが少しでもうまくいかないと、少なくともその日の午前中はまったく生活がうまくいかないのが分かっていた。大学に行っても頭が回らなかったり、ちょっとした些細な不幸に見舞われたりと、本当に災難だと思うことが多かった。

 それが一杯のコーヒーで生活が一変するほどになるとは思っていなかった。布団から出るのが億劫だったのは、寒さからだと思っていたが、前の日から暖房をタイマーで入れておけばいいだけのことだということだったはずなのに、そんな単純なこともしていなかった。

 自分では気づいていないつもりでいたが、本当にそうだったのだろうか。確かに気が付いた時は、まるで目からウロコが落ちたような気になっていたが、本当は最初から分かっていたような気がする。気付かないふりをしていたということすら自覚がないほど、自分がまわりに対して無関心になっていたということに、あらためて驚かされた気がしたのだった。

 コーヒーの香りに、トーストの匂い。さらに最近ではベーコンエッグまで作るようになり、まさにホテルか喫茶店のモーニングを彷彿とさせられた。

 阿久津は、喫茶店でのモーニングが好きだった。特に大学の近くは喫茶店が連立していて、早朝からやっている喫茶店も多かった、大学院に入ってからはギリギリまで寝ていることが多くなっていたが、大学時代は少し早く来て、モーニングを食べるのが日課だった時期がある。

 歴史の雑誌を買ってきては、毎日のようにもーににぐを食べながら読んでいた。大学四年生になって、卒業も大学院進学も決まってからの毎日は、それまでの毎日とは少し違っていた。

 拍子抜けした毎日ではあったが、気持ちにゆとりを持つことができた。そんな時に喫茶店に寄ってモーニングを食べるという日課が、阿久津の拍子抜けを解消してくれた。

 もっとも、この時の拍子抜けが、その後の家での、

「やる気なさ」

 と引き出したのだとも感じていた。

 阿久津にとってはなくてはならない時期だったとは思うが、手放しに喜べない時期でもあった。

 そんな時期というのは、人生のうちにはえてして何度か訪れるものだと阿久津は感じていた。

「いいことの裏には、悪いことが潜んでいる可能性を秘めている」

 と今でも思っているが、その思いを抱かせたのはこの時だったのかも知れない。

 この時は、いいことだと思っていたその裏に、悪いことが秘められていたということであったが、逆も今までには存在したのではないかと思っている。悪いことが表に出ていると、なかなかその裏にいいことが潜んでいてもなかなか気付かないものである。それを見逃したのだとすれば、自分の人生の中で、

「もったいない時間だったのではないか」

 と感じられるようになった。

 コーヒーを淹れる時間がもったいないなど、こーひを毎朝淹れるようになってから感じることはなかった。ただそれは自分が一人暮らしをしている時期だけのことで、結婚してから結婚生活が続いている時期だけは、朝の食卓は奥さんに主導権を握られているので勝手なことはできなかった。

 だが、それが嫌だったわけではない。それ以上に楽しい時間を朝のひと時として与えられたと思ったからだ。

 それは先のことであって、助手になったばかりの阿久津は、朝の時間に変化を感じるようになってから、徐々に家での時間が変わってきた気がしていた。

 その日、ふと目にとめた封筒に高校の名前と、同窓生としての幹事の名前を発見した時、何か新鮮な気がした。

「同窓会か、一度くらいは行ってみてもいいかな?」

 と感じた。

 今まで一度も参加したことのない阿久津が参加して、他のメンバーはどう感じるだろう。

「いまさら何しに来たんだ」

 と思うだろうか?

 それとも、

「やあ、本当に久しぶり」

 と言って、普通に懐かしがってくれるだろうか?

 阿久津は、そのどちらであっても、別に構わないと思った。

「後者だったら、もう参加しなければいいんだ」

 と思ったからだ。

 要するに、参加してみなければ何も始まらないと考えたからであって、それが前向きであるということに気付いたからだった。

 それに、今は大学院を修了して、いよいよ大学に就職したわけだから、今までとは立場が違うと思ったからだ。高校時代の阿久津を知っている人であれば、まさか彼が大学院に進んで研究者の道を進んでいるなどと思っている人はいないだろう。それだけでも浸ることができるであろう優越感に思いを巡らせ、想像は果てることがなかったのだ。

 同窓会は想像していたよりも豪華なところで行われた。どこかのホテルでのパーティ会場での会食というまるで結婚式の披露宴のようではないか。

 それまでの阿久津はほとんどそんな会場に出席したことはなかった。社会人になっていれば、そんな機会もあったかも知れないが、そんなこともなく、まわりに結婚する人もほとんどいなかったので、披露宴に招かれることもなかった。

 テレビドラマなどで見ることはあっても、想像するだけだった。会場を開いて中に入った時、天井の高さと、白を基調にした壁なのに、想像以上に艶やかに見えた雰囲気に、高級感と重量感を感じた。

 圧倒されている阿久津に幹事の男性が寄ってきて、

「やっと来てくれたじゃないか。初参加、ありがとう」

 と言って、声を掛けてくれた。

 素直に嬉しくて、笑顔で挨拶したが、本当に久しぶりに素直になった気がした。幹事の顔を見てお、最初は高校時代の雰囲気も顔も思い出せなかったが、人がどんどん増えてくるうちに、

――本当にこの雰囲気、初めてなんだろうか?

 という懐かしい気分に包まれていく自分を感じた。

 やはり同窓会という場所では自分は浮いていた。声を掛けてくれる人はほとんどおらず、何しろ卒業してから十年以上も経っていて、卒業後会ったことがある人など、ほとんどいないのだからしょうがない。

 それでも、よく観察してみると、自分に声を掛けてみたいのだが、声を掛ける勇気が出ないという雰囲気の人もいて、

――皆同じなんだな――

 と、ある意味ホッとする気分にさせられた。

 そんな中、一人の女性が声を掛けてきた。

「あの」

 モジモジしているとはこういうことをいうのだろう。

 お見合いであれば、畳に「の」の字を書くというが、まさしくそんな雰囲気を醸し出していた。

「はい」

 阿久津も声を掛けられてまんざらでもなかった。しかも相手が女性で、こういうモジモジしたタイプが好きな阿久津には、痺れるような展開だった。

「私、実は今まで参加したことがなくて、今日初めて参加したんですが、話し相手がいなくて、よろしければ、お話しませんか?」

 モジモジはしているが、口調も話もしっかりとしている。思わず臆してしまいそうな阿久津だったが、ここは毅然とした態度を取らないといけないと思った。

「そうなんですね。実は僕もなんですよ。僕のこと、覚えていますか? 阿久津と言いますが」

 というと、相手は急に元気になって、

「阿久津君だったんですね。私、有田です。有田香苗です」

 と言った。

「ああ、有田さんだったんだね。すぐに気付かなかったよ。ごめんね」

 阿久津は、有田香苗のことは記憶にあった。彼女は覚えていないかも知れないが、一度学校からの帰りに急に雨が降ってきて、彼女が傘を持っていなかったこともあって、

「そこまで一緒に行きませんか?」

 と声を掛けたことがあった。

 それを聞いた香苗は、二つ返事で、

「ありがとう。助かるわ。そこまでいけばコンビニがあるから、よかったらそこまででいいんですけど」

 と言って、本当に助かったという顔をしていた。

「いえいえ、困った時はお互い様だよ」

 阿久津もまんざらでもないという気持ちになっていた。その頃は香苗を彼女の候補として見ていたわけではないので、緊張することもなく、お互いフレンドリーに会話ができた。阿久津がフレンドリーにしていることで彼女もフレンドリーになれるのだから、彼女の方も阿久津を彼氏候補として見ているわけではなかっただろう。その時は本当にいい関係で、その証拠に別の日になってから、お互いに声を掛けることもなかった。

 それから卒業までほとんど話をすることはなかった。元々雨の日の偶然も、卒業まで数か月と言ったところだったので、進展するには、二人には短すぎたのかも知れない。

 阿久津は高校時代にはさすがに彼女のことが少しは気になっていたが、卒業してしまうと、ほとんど忘れてしまった。日ごろ顔を合わせていた相手と、もう顔を合わすおとがなくなって、意識が遠のいてしまったのだから、高校時代に意識していたとしても、それは恋心とは少し違ったものだったのだと、阿久津は思っていた。

 高校を卒業し、大学に入ると、

「高校の頃のような暗い自分とはおさらばだ」

 と思っていた。

 実際に友達も増えたが、二年生になって自分というものを思い知らされたことで、阿久津は我に返ったのだが、だからと言って、元々あった性格が変わってしまったわけではない。

 むしろ、それまで隠れていた性格が顔を出したと言ってもいいだろう。

 阿久津と香苗の出会いは、運命だったと言ってもいいかも知れない。二人が初めて参加したのが同じ同窓会だったというのも偶然としてはできすぎていた。しかも、声を掛けてきたのが香苗の方だったのだ。香苗の方も、

「相手が阿久津君だと思ったから声を掛けたのよ」

 と、本当は最初から誰なのか分かっての確信犯だったようだ。

「俺も分かっていたさ」

 と阿久津も答えたが、本当は分かっていなかった。

 見栄を張ったのだが、その見栄を香苗の方が分かったのかどうか、今も阿久津には分かっていない。

 同窓会が終わってからのアプローチは、阿久津からのものが圧倒的だった。

 押しに弱いように見える香苗だったが、実際には少々誘いかけたくらいでは。なかなか靡かないはずなのに、阿久津からの誘いを断ったことはなかった。

 本当に用事のある時は断ったが、少々無理をして阿久津に会いにきたこともあったくらいだ。

 阿久津にとっては、さりげない誘いだったのだが、香苗にとっては阿久津よりも少し重たい気分だったようだ。男性と女性の違いにもよるのだろうが、香苗はそれだけ阿久津のことを真剣に考えていたようだ。

 香苗は三十歳を過ぎるまで、男性とお付き合いをしたことがないと言っていた。それは香苗が思っているお付き合いにレベルが達していなかっただけで、実際には相手にとっては彼女だと思っていたということなのかも知れない。香苗は阿久津との付き合いを真剣に考えていたことで、阿久津はその真剣さを次第に感じるようになってきたが、その時にはすでに阿久津も香苗を好きになっていたので、阿久津が香苗を重たく感じるということはなかった。

 そういう意味では二人の間での結婚までの障害は、何もなかったのだ。

 だが、二人が付き合った時期は結構長かった。同窓会で再会してから結婚するまでに、三年以上はかかっただろう。お互いに三十後半に差し掛かるので、先に意識し始めたのは香苗だった。

 さすがに、最初から真剣な気持ちでいた香苗には、三年という期間は長かったに違いない。

「ねえ、私たち、これからどうなるの?」

 これが香苗の言葉だった。

 阿久津は一瞬で我に返った。

「俺もいろいろ考えているよ」

 言い訳がましいが、阿久津にはそれ以上のことは言えなかった。

 それを聞いた香苗は少し寂しそうな表情になったが、それは、阿久津の気持ちを思い図った時、少し危険な香りを察したからなのかも知れない。

 しかし、それからの阿久津の行動は早かった。

 香苗の方の親への説得にはさほど苦労はなかったが、阿久津の方の親は少し抵抗があった。結婚が決まってしまうと、阿久津の親の方が積極的になったことを思うと、阿久津の親は香苗に対してというよりも、阿久津の覚悟のようなものを知りたかったのかも知れない。

「何しろ、男としての責任があるからな」

 と、結婚してから父親と結婚前の話をしたことがあったが、父親は、いまさらながらと言いながら、笑い話として話してくれた。

 結婚してから父親と、

「大人の会話」

 をしたような気がしたが、次第にそんな父親ともなかなか会う機会がなくなった。

 阿久津のことを、

「もう大丈夫だろう」

 と思ったかも知れないが、まさか結婚してから五年ほどで息子夫婦が破局を迎えるなど思ってもみなかった。

――二人の夫婦生活のピークって、いつだったんだろう?

 と阿久津は思った。

 結婚してすぐに話をした時、

「お互いにあまり干渉しないような自然な仲でいられればいいな」

 と阿久津がいうと、

「そうね。私もそれがいいと思うわ」

 と言い返してくれた。

 ただ、阿久津が一つ気になっていたのが、二人の間に子供がいないことだった。

 阿久津としては子供がどうしてもほしいというわけではなかったが、香苗のことを考えれば、彼女が欲しがっていると思っていた。だが、本人に確認してみると、

「私もこんな年になっちゃったから、私は無理にほしいとは思わないわ」

 と言っていた。

 どちらかというと、その話題に触れられたくないというイメージだったが、思ったよりも寂しそうな表情ではないことで、彼女も子供に関しては自分と同じような考えなのではないかと思うと、ホッとする気分になっていた、

 二人は結構仲睦まじい関係であった。見た目も、そして実際にも仲はよかった。お互いのことをあまり干渉しない関係が功を奏していると二人とも感じていたことが、仲の良さを演出しているのだろう。

 実際に香苗も阿久津も自分の世界を謳歌していた。香苗は趣味を持っていて、近所の奥さん連中と俳句の会に参加しているようだった。

 俳句というものは学生時代に一度興味を持ったことはあったが、クラスメイトに俳句などが好きだというと、きっとバカにされるだろうという思いから、俳句をする勇気がなかった。だが、新婚生活を迎えて一人で家にいるだけというのも、次第に退屈になってきた。

 さすがに最初の頃は掃除や食事の支度などの家事に追われて、それなりに充実していたのだが、それも慣れてくると、次第に退屈になってきた。いわゆる貧乏性というものなのかも知れない。

 貧乏性という性格は、阿久津にもあった。阿久津の方の貧乏性は分かりやすい方なのだろうが、

「好きな人には知られたくない」

 という思いから、香苗の前では出さないようにしていた。

 仕事場では結構表に出していたので、家で出さなくても平気だというのも、不幸中の幸いだったと言ってもいいだろう。

 阿久津にとって新婚家庭というものは、安らぎの場でもあったが、隠れ家としての場所ではなかった。逆に家でゆっくりできる反面、あまりリラックスしすぎて、自分の本性を表に出さないようにしなければいけないという緊張感を絶えず持っていないといけない場所でもあった。

 阿久津はそのことを分かっていたはずなのだろうが、意識していたわけではない。無意識の元に何かをいろいろ考えるというのは、阿久津の本能のようなものではないだろうか。ただ、

「いつも何かを考えている」

 という感覚は、普段からあるわけではなく、ある時突然に気付くものであった。

 その時がどういう時なのか、どういう法則があるのかなどということは分かってはいないが、何かの法則があることだけは理解しているつもりだった。

 香苗もそんな阿久津の性格はある程度分かっていた。

 分かっているからこそ、結婚しても彼の中にズケズケと入っていくような無粋なマネをすることはなかった。

 香苗が俳句をしていることは、阿久津も知っていた。香苗が近所の奥さん連中と仲良くしていることを嫌うこともなく、却って彼女がそれで充実した毎日を送れるのであれば、それでいいと思っているのだ。

 俳句に誘ってくれた奥さんは、近くの分譲住宅に住んでいる人で、俳句の会の人の半分以上は、分譲住宅からの人が多かった。仲良くなってみると、どうやら彼女たちの間には確執のようなものがあり、その確執は次第に香苗にも分かるようになってきた。

 数少ない賃貸マンションからの参加だった香苗は、同じ賃貸マンションからの参加の奥さんに慕われていた。その人は香苗に比べれば鈍感で、その確執をすぐには把握できないでいた。

 どこか天然なところもあり、その性格が香苗に安心感を与えてくれた。本人は自分が天然であったり、鈍感なところをそれほど意識しているわけではないところも、香苗には好感が持てた。

 香苗はそんな彼女を自分がフォローしなければならないという使命感のようなものを持っていた。先に自分の方が気付いてしまった他の奥さんの間の確執。そこには派閥のようなものが存在し、ひょっとすると、ここだけではないと思いながらも、あまり気持ちのいいものではないそんな関係を、気持ちの中で憂いていた。

 香苗はその奥さんを助けるつもりで、いつも一緒にいて、何かあれば、

「私が盾になってあげる」

 というくらいに思っていた。

 そんな思いをその奥さんはずっと知らずにいたようだが、それは奥さんが鈍感だっただけのことで、そんな奥さんでもさすがに、そのうちに、

「何かおかしい」

 と気付き始めたのだろう。

 何がおかしいのか、最初は分かっておらず、戸惑っているのが香苗にも分かった。

 その状況を香苗は、ほぼ正確に把握していたが、それが災いしたのかも知れない。

 香苗はその奥さんのことなら、何でも分かると思っていた。それは思い込みであり、思い上がりでもあった。

 その奥さんは、過去にも同じように人に助けられることがあって、結局はその人の気持ちを無視する形で、裏切ることになったようなのだが、香苗はそんなことを知る由もなかった。

 その奥さんは、本当に天然で、だからこそ、罪もないような表情で、容赦なくまわりを巻き込み、人を裏切る結果になってしまうのだろう

 香苗はその奥さんのことを助けてあげようという気持ちを表に出していた。それをその奥さんは本当に知らなかったのだろうか?

 もし知っているとすれば、それは確信犯だったということになる。もし確信犯だったとしても、その証拠はどこにもない。何しろ当の本人が、その意識を持っていないからだった。

 彼女のような女性をどう表現すればいいのだろう。香苗は後になって考えてみた。反省をすることはなかった。何しろ自分が悪いというわけではなかったからだ。

 彼女はさすがにまわりが自分たち賃貸マンションの住人に対して差別的な目を持っていることに気がついた。

 彼女は気が付いたのが遅かったからなのか、余計にそのことに過敏になった。その時彼女は、

「その状況を知らなかったのは、私だけだったんだ」

 ということを悟ったらしい。

 自分だけが取り残されたという意識が強く、その思いが焦りに繋がったのか、疑心暗鬼を強めた。

 この疑心暗鬼こそが、彼女の本性だった。

 疑心暗鬼になることで、まわりの人への過敏な反応が直接的に表に出ていって、その対象は、分譲住宅の奥さん連中だけではなく、今まで仲間だと思っていた賃貸マンションの奥さん連中にまで向けられた。彼女にとって、自分以外の人は皆敵に見えてしまうという負の連鎖が働いたのだ。

 そうなると、せっかく彼女を守ろうと心に決めていた香苗は、置き去りにされてしまったことになる。それどころか、彼女のために、まわりから沈黙の攻撃を受けることになり、まるで晒しもの状態にされてしまったのだ。

 まさか自分がこんな立場に陥るなど、想像もしていなかった香苗だった。

 いわゆる四面楚歌という状態になり、何をどうしていいのか、途方に暮れてしまった。誰かに助けを求めるようなことはしない。

 助けを求めた相手に裏切られたらという気持ちもあったからだ。

 まわりの誰も信用できない。疑心暗鬼になってしまったことで、自分すら信じられない。この思いが彼女を鬱状態へといざなってしまったのだ。

 鬱状態というのは、香苗は初めてではなかった。

 中学生の頃に一度味わったことがあった。あれは、苛めに遭っていた頃で、今でもその鬱状態を思い出すことはできた。しかし、その鬱状態からどのように復活できたのかということは覚えていない。

 中学時代というと香苗にとっては、

「子供だった頃」

 という意識しかない。

 鬱状態を抜けることができて、初めて大人への道が見えてきた気がしたというのが、香苗の思い出だったのだ。

 大人になったと感じてからの香苗は、それから毎日はあっという間に過ぎたような気がしていた。しかし、子供の頃のことを一足飛びに思い出そうとすると、かなり昔のように思えて仕方がない。

「まるでこれまでの人生を二回繰り返してきたのではないか」

 と思うほどの長さであった。

 阿久津とそのあたりは似ているのかも知れない。お互いにそんな思いをしたということを話したことなどあるはずもないが、阿久津の方としては、

「この思いは自分だけではない」

 という時間に対しての錯覚を感じていたが、香苗の方は、自分だけだと思っていたようで、このあたりでも感覚の違いはあったようだ。

 だからといって、それがすれ違いに結び付いたというわけではない。

 すれ違いというのは、どちらも感じるから、

「すれ違い」

 というのだと、阿久津はその時思っていた。

 しかし、どちらかしか感じないすれ違いがあることも、その後すぐに気付くことになるが、

「気付いてしまってからではすでに時遅く」

 ということになってしまうのだと分かるのは、阿久津にとって皮肉なことだったのだろうか。

 香苗が鬱状態になってから、阿久津は自分でもどう対応していいか分からなかった。自分の奥さんでありながら、どう対応していいのか分からないなど、自分でも情けないと思った。

 誰か、信頼できる人に相談できればいいのだろうが、そんな人はいない。だからと言って、一人で抱え込んで置けるほど、簡単な問題でもなかった。

 阿久津は、とりあえず様子を見ることにした。どうしていいのか分からない時は、

「まずは、自分ならどうされたいのか?」

 ということを考えた。

 思い浮かんできたことは、

「放っておいてほしい」

 という考えであった。

 今までに辛いことや苦しいことがあると、誰かに相談したいという思いはあるものの、自分から相談するのではなく、人から言われるということを嫌ったのは、

「相手から見下されているように見える」

 と思ったからだった。

 本当であれば、相談して相手に助言されることの方が、相手に見下されているように感じるはずである。自分の弱みを自分から露呈するのだから、相手につけこまれたとしても、それは無理もないことではないだろうか。

 それなのに阿久津は、自分から相談した場合は相手から見下されているようには思えなかった。それは最初に自分から行動を起こしているからだろう。自分から相談しているのでなければ、相手に攻め込まれているという考え方である。これは阿久津の中で、基準が自分にあるのではなく、一般論で考えているからであった。

 本当であれば、逆に思えるのだろうが、

「自分から相談しているのは、自分がこの状況を攻めているからだ」

 と思っているからだった。

 あくまでも自分の弱みを見せているわけではないという考えは、傲慢だとも言えるだろうが、傲慢という考えに逃げが入ってしまうと、まわりの人には感じることのできない矛盾を、当たり前のように感じてしまうのだろう。

 阿久津は、それでも鬱状態の香苗のことを誰かに相談するようなことはなかった。きっとまだどこかに楽天的な思いがあったからではないだろうか。

 阿久津は、いつもどこか楽天的である。しかし、一度悪い方に考えてしまうと、底なしの負のスパイラルに突入してしまう。まわりには分からないかも知れないが、それは阿久津にとっての「鬱状態」だったのだ。

 阿久津も香苗も両方とも鬱状態を持っている。ただ、その現れ方が違っているのだ。香苗が鬱状態に陥ったことで、阿久津も鬱状態に入ってしまった。しかし。その状態をまわりは鬱だとは思っていない。そうなると、

「阿久津が奥さんを放っておいてしまっているのではないか」

 としか、まわりには見えていないことになる。

 香苗や阿久津を知っている人には、香苗が同情的に見えてしまう。その分、阿久津は、

「薄情な人」

 というイメージを植え付けられ、本当はそうではないのにひどい見え方をされて、実に気の毒なことである。

 だが、二人のことをあまり知らない人には、ひょっとすると、阿久津の鬱が見えるのではないだろうか。阿久津が鬱状態だと思うと、その原因を作ったのが香苗だと知り、いくらまわりからは鬱状態に見えたとしても、阿久津のことを鬱だと思った人には、香苗が鬱状態には見えてこない。

 それは、二人が平等に見えているからだろう。二人を両方知っている人は、見た目の目立つ鬱に陥っている香苗のことを気の毒に思い、どうしても阿久津が何も考えていないようにしか見えてこない。それが阿久津の不幸なところであり、気の毒なところでもあるのだろう。

 阿久津は、香苗が鬱状態の時、まわりの人に一切相談をしなかった。そのせいもあってか、まわりからは、薄情に見られていたことだろう。

 しかし、そのうちに香苗が阿久津に別れ話を持ちかけるようになってきた。その頃には香苗の精神状態に、変化が見られ始めた。まわりにはほとんど分からないようだったが、それは彼女なりの開き直りだった。

 開き直った結果、彼女の出した結論として、

「あなたとは、離婚したいと思っているの」

 という、阿久津に対しての離婚の相談だった。

 相談というだけに最初はそれほど固い決意には見られなかった。そのため、阿久津もそこまで深刻に考えておらず、むしろ開き直った香苗を見て、

「鬱のピークは越えたんだ」

 と思い、半分ホッとしていた。

 それが、阿久津には最後までネックになってしまったのだが、香苗の心境は最初から離婚以外にはなかったのだろうか。

 阿久津は香苗を見ていて、以前に自分も鬱状態に陥ったことを思い出していた。ただ自分の場合はそれが一時期慢性化してしまったが、いつの間にか治っていたことも不思議に感じていたことだった。

 あれは、高校時代だっただろうか。原因はハッキリと覚えていない。ただ、何をするのも億劫で、いわゆる「ものぐさ」になってしまったのだ。

 起きるのも億劫、シャワーを浴びるのも億劫、学校に行くのも億劫。食事すら億劫だった。

 しかし何よりも億劫だったのは、他人と話すことだった。

 元々人と話をするのが苦手だった阿久津だったので、まわりからは彼が鬱状態に陥っていることに気付かない人も多かっただろう。人から注目されることなどほとんどなく、いい意味でも悪い意味でも、彼は前に出ることはなかった。

 だからと言って、無難に生きていたわけではない。いつも何かを考えているような少年で、その少年が成長し、思春期を超えた頃に起こった鬱状態だった。

 だから鬱状態に陥った時に、何かハッキリとした原因があったわけではない。確かに自分の思い込みから付き合っていると思っていた女の子がそうではないと分かった時、ショックだったのは間違いないが、だからと言って鬱状態に陥ったわけではない。むしろその時は、

「穴が合ったら入りたい」

 という意識の方が強く、失恋などという次元ではなく、それ以前に自分がそんなことを考えたことに対して恥辱の思いが強かったのだ。

 つまりは、

「忘れてしまいたい」

 という感情に包まれて、鬱状態に陥っている場合ではなかったと言ってもいいだろう。

 阿久津はその時から、

「絶えず何かを考えている」

 と思うようになった。

 それ以前からも、いつも何かを考えていたのかも知れないが、自覚したのが恥辱のために、人を好きになった自分を忘れてしまいたいと思った時だったに違いない。

 目立ちたくないという意識が芽生えたのもその頃ではなかったか。元々目立たない性格だったので、それほど意識したところで何かが変わったわけではないと思っていたが、絶えず何かを考えるようになって、それまでの自分が、

「目立ちたがり屋な性格だったのではないか」

 と感じるようになった。

 目立ちたがり屋に対してあまりいいイメージを持っていなかったので、意識することを無理に抑えていたのだった。

 そんな阿久津が鬱状態に陥った時、実は、

「このまま鬱状態に入るんじゃないか」

 と事前に自覚していたのを覚えている。

 思春期の頃から、阿久津はよく足が攣ることが多くなった。

 眠っていて、急にやってくる痛みに、声を出すこともできずに一人で苦しんでいる。あの痛みはきっと味わったことのある人でなければ、想像だけでは感じることのできないものに違いない。

 実際に味わったことのある人がどれほどの多さなのか分からないが、誰もそのことに触れようとしない。

「きっとタブーなんだろうな」

 と阿久津は思っていた。

 足が攣るのは、本当は眠っている時に限ったことではない。実際に起きている時に足が攣ったこともあったが、足が攣る時のほとんどは、寝ている時だった。

 何かの法則性があるわけではない。確かに筋肉痛になっている時が多かったような気がするが、筋肉痛になった時だけが痛みが発症する時でもなかった。

 ただ一つ言えることは、

「足が攣る時というのが、その前兆が分かるものだ」

 ということであった。

 眠っていて、

「あっ、来る」

 と感じると、その時夢を見ていようが見ていまいが、一瞬にして目を覚ますことになる。

 眠っていて夢を見るという頻度がどれほどのものなのか想像もつかなかったが、

「たぶん、自分で思っているよりも、夢って見ていないんじゃないかな」

 と阿久津は思っていた。

 足が攣った時、一気に目を覚ましてしまうが、その時夢を見ていたのかいなかったのか、目が覚めてしまって思い出そうとすると、不思議とどちらだったのか、分かっていたりするものであった。

 足が攣る時というのは、その場所はほとんどの場合がふくらはぎだった。

「足が攣った時には、痛いのを我慢してでも、足首を回すようにすれば楽になるよ」

 と言っていた人がいたが、実際にはそんなことができるような余裕はない。

 身体を曲げて、足の指先に触れることすら苦労する。そんな状態なのに足首を回すなど、ハードルが高すぎるのである。

 痛みのある場所を触ってみると、想像以上に熱を持っていることを感じる。何しろ痛みのせいで足の感覚はマヒしているのだから、外部から触った感触が分かるはずはない。痛みはすべて体内から発散されるもので、こんなに熱くなっているなど、まったく分かっていなかった。

 さらに、カチンコチンに固まっていた。しかも、まるでヘビが獲物を丸呑みにしたかのように患部だけがプクッと膨れ上がっているのだ。

 そこで、

「おかしい」

 と感じた。

 何がおかしいのかというと、そんなに膨れ上がっているのであれば、足はプヨプヨに柔らかいという印象が強かった。

 硬直しているのであれば、もっと細くなっていて不思議はなく、逆に膨れ上がっているのであれば、プヨプヨしていて不思議がないという感覚である。

 もちろん思い込みには違いないのだが、その思い込みがどこから来るものなのか、痛みを感じている臨場感の中で感じるなどありえないと思った。

 そもそも痛みを感じている時に、何かを考えるというのはおかしな感覚だと思うのだが、冷静になって考えると、それもありではないかと思うのだった。

「痛みを伴っているのだから、それを何とか発散させようとすると、何かを考えるのも無理もないことではないか」

 と思った。

 だが、逆も考えられる。

「痛みに苦しんでいる時、何かを考えると、却って痛みが増してくるのではないか」

 という思いである。

 阿久津は後者の方が強く感じていた。それは、

「足が攣った時は、誰にも知られたくないし、気付かれて心配されたくない」

 と思うのだ。

 変に心配されると、痛みを逃がそうとしている自分に痛みを逃がさないように、まわりから口激されているように思うのだ。だから、痛みには一人で耐えることを覚えた。ひょっとすると、足が攣る時、寝ている時が多いのは、

「足が攣るのであれば、誰もいない自分だけの世界であってほしい」

 と感じているからではないかと思う。

 阿久津が、鬱状態に陥るようになったのが、この足が攣るという現象が起き始めた時であったというのは、ただの偶然であろうか。

 偶然であったとしても、阿久津の意識の中で、この二つがほぼ同時期から始まったという意識を忘れない限り、ただの偶然だという言葉で片づけられないものではないだろうか。

 阿久津は足が攣る時も、鬱状態に陥る時も、

「その両方で前兆のようなものを感じる」

 と思ったことが、偶然ではないという証明のように感じていた。

 阿久津には、そんな偶然とも思えるようなことが必然だと感じるような時が、そして、その証明となるかのようなエピソードも他にあるような気がしている。だが、それが表立って見えることはない。ふとしたことで気付くことはあるのだろうが、次の瞬間には忘れてしまっている。きっと、

「忘れるべくして忘れたことなのだろう」

 と思えるようなことではないかと思うのだが、足が攣るという状況と、鬱という状態の関連性ほど深いものではないと思えた。

 阿久津は自分の鬱状態がそれから定期的に起こってきたことと、鬱状態と鬱状態の間には、躁状態というものが存在していることを自覚していた。鬱状態と思い出すということは躁状態を思い出すことでもあり、それを躁鬱症というのではないかと思ったが、それが一般的にいわれる躁鬱症と同じものなのかどうか、ハッキリとは言えない気がした。

 それは、一般的な躁鬱症というものを知らないからであり、

「知らないものを相手に比較するというのは愚の骨頂だ」

 と感じたからだった。

「躁状態では、普段なら面白くもないことなのに、笑いが止まらなくなったり、鬱状態になると、何をやっても面白くない」

 などという話をよく聞くが、まさにその通りだった。

 それなのに、すぐにこの状態を躁鬱症だということを感じなかったのは、自分の中で躁鬱症という病いを認めたくなかったからに違いない。

 そういう病気があることは当然知っているが、それが自分の身に降りかかってくるなどということを認めたくない。そんな思いが阿久津の中にはあったのだ。

 躁状態と鬱状態とでは明らかに違っているのは、まわりの見え方の違いではないだろうか。躁状態の時は別に気にならないが、鬱状態の時には明らかに普段とは違う見え方をしてしまう。

 例えば、同じ光景を見ているのに、鬱状態の時には、黄色掛かって見えたりしているのだ。

 さらに時間帯によっても気分が違っている。

 昼間はさほど普段と違わないが、夕方になると、黄色掛かって見える光景がさらに顕著になり、夕日を通して、埃が光っているように見える。まさしくスターダストと言っていいだろう。

 当然綺麗なものではない。目の前に浮かび上がる埃を見て感じることは、まず身体のだるさだった。

 思ったよりも力が入らず、自分では動いているつもりなのに思った以上に進んでいない状況は。まるで空気という水の中を抵抗を受けながら進んでいるような気がしてくるのだった。

 汗が噴き出すように身体にまとわりついてくる。そんな状態で入らない力を必死に引き出そうとすると、さらに身体が重たくなる。そんな悪循環を繰り返していると、目の前が次第に、眩しくなってくる。

 その眩しさを感じると、それまでにまとわりついた汗で身体が本当に動かなくなる。

「夕凪の時間」

 というのを聞いたことがあったが、

「夕方のある一定の時間、風の吹かない時間帯がある」

 というものであった。

 それがどれほどの時間なのか分からない。その時々によってまちまちだったような気がするが、夕凪の中にいる時は、一定の時間だと思っていた。なぜなら、夕凪から抜ける時間が分かるからだった。

 これは、鬱状態に入る時に前兆を感じるというのと似ているような気がした。しかし、夕凪の時間が終わる時には、その前兆を感じるわけではない。感覚的に夕凪の時間が終わるということを感じるだけのことだった。そこには何ら根拠があるわけではないので、阿久津はその思いを夕凪が訪れた時間にしか感じることができないでいた。

 だが、もう一パターン感じることができる時があった。

 それは自分が鬱状態に入る時であった。

 鬱状態に入るという意識があるわけではないのに、実際に前兆を経て、鬱に入る瞬間が分かるのだ。それが、

「夕凪の終わる瞬間」

 を思い出すことができるからであった。

 その瞬間を思い出すことで、自分が鬱状態に入り込む。しかし、夕凪の終わりを忘れない日があっても、そこから鬱に入り込むということはない。むしろ、鬱に入り込まない時の前兆であって、ホッとする瞬間でもあった。

 阿久津は夕凪の時間に終わりを告げると、今度は夜のとばりが下りて、一気に夜がやってくる。

 真っ暗な闇夜というわけにはいかない。最近でこそ、昔のようなケバケバしいネオンサインはなくなってしまったが、相変わらず都会は、

「眠らない街」

 の様相を呈している。

 阿久津は夜が来ると安心する。だが、ホッとするわけではなく、それまでの憂鬱な気分が晴れてくるのを感じた。別に鬱状態から抜けたわけではない。しかし、一日の中で唯一夜への入り口だけが、鬱状態の中で普段の生活に一番近づける時間であった。

 それまで掻いていた汗もいつの間にか引いてしまっていて、さっきまでの気だるさはどこへやら、いくらでも身体が自分の言うとおりに動いてくれそうな気がするのだ。

 夜というのがこんなにもサッパリとしたものだということに初めて気づいた気がした。それを気付かせてくれたのが、その時の鬱状態だというのは皮肉なことだったが、理由がないわけではない。

 鬱状態によって一緒に気付かされた夕方から夕凪にかけての時間があれほど鬱陶しいものであり、身体に纏わりつく気持ち悪さが、身体の気だるさをともなって、まるで発熱時のような意識を曖昧にさせることで、余計にとばりの下りた夜が、サッパリと感じさせっるものとなったのだ。

 昼と夜の大きな違いは、昼間にはぼやけてしか見えなかったものが、夜になると、くっきりと見えるような気がするということだった。理屈を考えると昼間の方がハッキリと見えて当たり前なのだが、常識では図ることのできない時間が鬱状態なのだとすると、十分にありえることだった。

 それを顕著に感じるのは信号機だった。

 信号機の三色の色を見ていると、黄色は別に変わりはないが、赤と青は昼間とはまったく違っている。

 昼間の青は緑に見えて、赤は少しピンク掛かって見えるような気がする。あくまでも個人的な見解と言われればそれまでなのだが、普段の阿久津であれば、そこまで顕著に感じることはなかったであろう。

 しかし鬱状態になってからの阿久津は、夜の青は真っ青に見えて、赤は真っ赤に見える。それはまわりに比較する色がないということも、まわりが真っ暗だという理由で納得できるものなのだが、納得できる以上のものを感じていた。

 それとも、阿久津は自分が納得できると自覚できたものに対しては、納得以上にハッキリとした感覚を感じることができるのかも知れない。

 阿久津にとって鬱状態は悪いことばかりではなかったのかも知れない。もちろん、精神的には最悪で、ロクなこともなかったが、終わってしまってから後で思い出してみると、それほど実質的な悪いことは起こらなかったような気がする。

 それは鬱状態というものを自覚することで、十分な備えを自分の中で持つことができたからではないかと思うが、それだけではないのかも知れない。実際に鬱状態の時、

「最悪だ」

 という意識がある中で、意外とポジティブに考えていた時もあったような気がする。

 その理由としては、

「鬱状態を抜ける時が分かる気がする」

 という思いがあったからだ。

 永遠に鬱が続くなどということは毛頭思っているわけではないが、一旦ネガティブになってしまうと、そこから抜け出すにはかなりの時間と労力を費やすと思い、それなりの覚悟が必要なはずである。

 阿久津にその覚悟があったのかどうか、本人には自覚はないが、実際にはあったのだろう。それもきっと阿久津の中で、

「抜ける瞬間が分かる」

 という思いがあるからで、それが自信に繋がって、ポジティブな考えを持つことができるのかも知れない。

 人はポジティブにものを考えることができている時でも、ネガティブに考えてしまうものだ。だが、逆にネガティブに考えている時は、あくまでもネガティブにしか考えられない。ネガティブを基盤にポジティブにはなれないものだと阿久津は思っていた。

 しかし、鬱状態の時だけは違っていた。ひょっとすると、

「これ以上、落ちることはない」

 と、最底辺にいるという自覚を持っているのかも知れない。

 だからこそ、ポジティブにも考えることができるというものだし、鬱状態から抜ける瞬間が分かると思っているのだろう。

 阿久津は自分が車を運転したことはない。まだ免許を持つことができない年齢なので当たり前のことであるが、人の運転する車の助手席にはよく乗ったものだ。

 阿久津が鬱状態から抜ける時の感覚として頭の中に描く光景があった。それが、車で走っている時に突入したトンネルを抜ける時だったのだ。

 長いトンネルでは、ハロゲンランプの黄色いネオンで照らされていて、表とはまったく違った雰囲気を醸し出している。阿久津には黄色いネオンが、まるで鬱状態に陥った時の夕方から夕凪にかけての時間を彷彿させるものであった。

 トンネルの中で、黄色いネオンを走り抜けている間、時々息苦しさを感じることがあった。いつもいつもというわけではないが、トンネルが長ければ長いほど、呼吸困難に陥っているようだ。

 まわりからは阿久津がそんな状況に陥っているということを知る由もないのだろう。誰も、

「大丈夫か?」

 と声を掛ける人はいない。

 足が攣った時のように、人に声を掛けられるのは嫌だと思っている阿久津にとってはありがたいことだったが、誰も気づいてくれないというのも寂しい気がして、複雑な思いに見舞われていた。

 しかし、阿久津の中で気持ち悪いのは拭い去ることはできず、感じていることとしては、

「絶対に抜けるんだ」

 という思いがあるだけだった。

 抜けることは鬱状態を抜けるということよりも確実なはずなのに、鬱状態を抜けるという感覚よりも、信じられない気分であった。

 トンネルの中で気持ち悪く感じるのは、トンネルの中を最初から鬱状態と同じだと感じていたからなのかも知れない。トンネルの中で呼吸困難になるのは、比較的幼児の頃からだったような気がする。そんな小さかった頃から鬱状態を引きづっていたなどありえないと思っているので、何か釈然としない気持ちになっていた。

 トンネルの中というのは、ずっと黄色い色が同じような明るさというわけではない。蛍光灯のような明かりが、一定の距離に設置されているのだから、明るい場所と暗い場所が同居している。つまり明るいエリアを抜けると暗いエリアに入り込み、またすぐに明るいエリアに抜けるという次第であった。

 そんな循環が、阿久津を鬱状態を思わせるのだとすると、鬱状態に入っている中でも明と暗が同居しているのかも知れない。、

 鬱状態というと、一定した、ある意味安定した精神上矢井田と思っていた。底辺で蠢いている状態ではあるが、そこに浮き沈みは存在しないと思っていたのだが、浮き沈みを意識したことで、その感覚が、

「鬱状態を抜ける瞬間を分からせてくれるターニングポイントなのかも知れない」

 と感じた。

 阿久津はトンネルから抜けるところも、何となく分かっていた。明と暗を感じさせるトンネルの中で、それまでの一定していた明と暗の感覚が次第に早くなってくるのだ。それはまるで胸の高鳴りが早くなってくるようなドキドキ感を思わせる。

「いよいよ出口だ」

 と思うと、黄色掛かっていた暗の部分が次第にさらなる暗さを思わせる。

 それが、鬱状態に感じた夜の安心感に繋がる気がした。

 つまり鬱状態の出口へのキーポイントは、

「鬱状態の時に感じる夜の安心感」

 ではないだろうか。

 トンネルの出口を感じた時、それまでの息苦しさが解消される。

 汗を掻きそうになっていたが描くことのできなかった自分の葉だから、急に汗が滲み出し、額から流れ落ちる汗に心地よさを感じると、どこからか風が靡いてくるのが感じられた。

 密閉された車の中で、風が吹いてくるなどありえないことなのに、間違いなく風を感じた。今まで感じることのなかった感覚が、一気に戻ってきたような思いで、五感ですべてを感じているのではないかと思えるほどだった。

 阿久津は駆け抜けるトンネルの出口が広がってくるのが見えた。容赦なく入り込んでくる明かりは、眩しさを伴っているはずなのに、暗さも一緒に感じているような気がした。出口は見えているのだが、まだトンネルを抜けていないわけだから、まだそこは鬱状態の中にいるのだ。

 だから、出口に見えている眩しいはずの明かりも、明と暗に別れていても当たり前のことだ。むしろ分かれていなければいけないと思えてくる。

 トンネルの出口を見ていると、そこから目が離せなくなっているのに気付いた。しかし、それでいて、横の蛍光灯の明かりを意識しているのも事実だ。

 つまりは視界がその時だけ人間の限界を超えていて、百八十度展開されているように思えた。

――そんなことはありえない――

 という思いがあったような気がしたが、何がありえないことなのかということはすぐに忘れてしまうようだった。

 それだけ人間の限界を超えた視界の広さを保てる時間はあっという間のことで、記憶できる範囲まで満たっていないのだろう。

 阿久津はそんなトンネルの中の状況を自分の精神状態に結びつけ、鬱の出口を見ているということに気付くと、目からウロコが落ちたような気がした。

 目の前に飛び込んできた鬱の出口、ドキドキしているのはなぜなのだろう。ホッとする気分が一番なのだが、それに次いだ気持ちがドキドキした感覚なのだ。なんとも不思議な感覚であった。

 鬱の出口を抜けると、普通の明るさが戻ってきたと思ったが、一瞬、暗さを感じる。その暗さに不安を覚えながらも、その次に襲ってきた眩しさに、それまでの鬱状態を忘れることになる。

 つまり、

「不安というのは、次にやってくる忘却を演出するために、必要不可欠な要因である」

 と言えるのかも知れない。

 ただ阿久津の場合の忘却は、鬱状態を抜ける時に限ったわけではない。意外と節目節目の大切なことを忘れてしまっていることも多く、覚えていないのを何度悔やんだことか、阿久津は自分を呪ったりもした。

 肝心なことを覚えていないということを、人にはなかなか話せないものだ。特に目上の人、親であったり、学校の先生であったりには、決して話してはいけないことだと思っていた。

 親は分かっていないようだったが、さすがに学校の先生には分かったようだ。中学時代の担任の先生は阿久津に対して、

「お前、すぐに忘れてしまう癖があるだろう?」

 と言われた。

「忘れるっていうのは、癖なんですか?」

 不思議に感じた阿久津は間髪入れずに聞き返した。

「ああ、少なくとも俺はそう思っている」

 と、先生独断の意見のようだ。

 その根拠を聞いてみたいとも思ったが、下手な言い訳をされても、聞き苦しいだけなので、阿久津は敢えてその理由を違う形で聞いてみた。

「でも、それって、それこそ人それぞれなんじゃないんですか?」

「ああ、そうだよ。人それぞれさ。それに俺が癖だって言っているけど、考え方も人それぞれ。同じようなことを頭に思い浮かべていても、言葉の使い方によって、まったく違った意味になったりもするよな。癖という言葉だって、俺は広義の意味で使っているんだが、普通に考えると、まったく違った発想になってしまうはずなんだ」

 と先生は言った。

「人それぞれって言葉、都合いいですよね」

 と阿久津は悪ぶって、皮肉を言ってみた。

 これくらいの皮肉は先生になら、平気だと判断したのだ。

「確かにそうだよな。でも、都合のいい言い方があってもいいじゃないか。すべてを悪い方に考えてしまう時だってあるんだから」

 と、先生はまるで阿久津の心の奥を見透かしているような言い方をした。

 阿久津は、一瞬たじろいだが、その反動で姿勢を戻した時、何か開き直れるような気がした。

「そうですね。ネガティブになっていくと、悪い方にしか思考が回転しなくなりますからね。そうなると早く逃れたいという思い一色になってしまいます」

「そうだろう。だから鬱状態になった時というのは、そこを抜けると躁状態が待っているのさ。つまり、信号の赤から黄色を経由せずに、いきなり青になるのさ」

「そういえば、信号って、青から赤になる時は黄色信号を経由するのに、逆は黄色信号を経由しないんですね」

「それは、止まる前に止まる準備をさせるためなんじゃないか? 発進する前にはそれが必要ないからさ」

「でも、鬱状態と躁状態を繰り返しているのであれば、躁状態から鬱状態に入る時には黄色信号のような一拍何かニュートラルのようなものが存在しているということなんでしょうか?」

「俺はそう思うな。俺の場合だけかも知れないんだけど、鬱状態から躁状態に移行する時は結構分かるんだけど、躁状態から鬱に入る時って、意外と分からないものなんだ。君は違うかい?」

「僕は、躁状態から鬱に入る時も予感めいたものはあると思うんですよ」

 というと、

「でも、いつ入るかって予想はつくかい? あくまでも入るという予兆はあっても、いつ頃に入り込むかって目に見えて分かるわけではないだろう?」

 確かに先生に言われる通り、鬱状態から躁状態への移行は、トンネルをイメージすることでその時期を知ることができる。しかし、躁状態から鬱への移行は、予感があるだけで、具体的に何か比喩できるものがあるわけではないので、時期の話をされると分からないとしか答えようがない。それを思うと、先生の話のたとえとして出された信号機の話は、具体例としては、実に的確なものだと言えるのではないだろうか。

 先生の話は興味をそそられて、少しの間頭の中にあったが、

「喉元過ぎれば熱さも忘れる」

 という言葉があるように、いつの間にか忘れてしまっていた。

 喉元をいつ通ったのかすら分からないくらいなので、阿久津がものをなかなか覚えられない理由の一旦はそのあたりにあるのかも知れない。

 阿久津は妻が人に裏切られた心境を理解しようと思ったが、人のことがそんなに簡単に分かるはずもない。

「こういう時は時間を置くしかない。放っておくのがいいんだ」

 と思いようになっていた。

 それはまるで腫れ物にでも触るような態度だったに違いない。阿久津は香苗に気を遣っているつもりだったが、元々人に気を遣うなどという器用なことのできる人間ではない阿久津は、その態度に白々しささえ写っていた。

 香苗がどう感じていたのかにもよるだろうが、香苗は人に気を遣われると身構えてしまう方だった。

 そんな相手に中途半端な気の遣い方しかできないのだから、当然お互いがすれ違ってしまうのも当たり前だ。香苗が阿久津に対して、

「助けてほしい」

 と本当に思っていたかどうか分からないが、無言で何かを訴えていたことだけは確かだった。

 それが何なのか確かめようにも、阿久津には香苗が何を考えているのか分からない。何を考えているのか分からない相手に、何をどうしていいのか分かるわけもなく、そうなると、本当に放っておくしかなくなってしまう。

 変な気を遣いながら放っておかれるのだから、香苗の中の苛立ちは次第に相手への不信感に変わってしまう。香苗自身も、

「どうせなら、放っておいてほしい」

 と思っているくせに、放っておかれることに憤りを感じるという矛盾に、自分自身に苛立っていた。

 そんな香苗の気持ちを知ってか知らずか、しばらくの間、躁鬱の間を繰り返していた時期がいつまで続くのか、自分の中で堂々巡りを繰り返していた。

 阿久津が香苗の本当の気持ちを知ったのは、離婚してからであった。

――いや、本当の気持ちだと思っていたが、それが本当の気持ちだと誰が言えるのだろう?

 と、自問自答を繰り返したが、自答している間に次の新たな考えが生まれてきて、着地点を見失ってしまった。これが、阿久津を躁鬱状態に陥れる原因の一つではないかと思うようになっていた。

 阿久津と香苗の距離は思ったよりも広がっていた。阿久津も香苗もお互いに気を遣っているのか、何も言わない。二人は相手が何も言ってくれないことに不満を感じながら、自分からは何かを言おうとは思っていない。

「あくまでも相手が何かを言い出さなければ、この話は先が続かない」

 と、お互いにそう思っていたのだ。

 同じことを思っていながら、接点がない。それこそ、

「交わることのない平行線」

 と言えるのではないだろうか。

 同じ方向を見ているのだから、一緒にいなければ、永遠に二人の接点などありえない。そのことに二人は気付いていない。

 ひょっとすると、相手も自分と同じ方向を向いているということは分かっているのかも知れない。しかし、それが交わることがないという意識に結び付くことはなかった。それだけお互いに都合のいい方にしか考えていないという証拠である。

 そうなってくると、二人はお互いのこと以外でも、自分がこれまで信じていたことが本当に正しいのかという疑心暗鬼に陥ってしまう。ただ、それだけではなく、今までなら疑問を持っていたであろうことを、何ら疑うことなくスルーしてしまうこともあった。完全に自分のリズムを崩しているのである。

 二人が同時に同じようにリズムを崩しているのだから、余計に歩み寄れるはずもない。歩み寄っていると思っていることが実はまったく歩み寄っていなかったり、歩み寄れないと思っていることが、行動を起こしさえすれば、簡単に接することのできるはずのことにすら気付こうとしないのだ。

 気持ちの上では、

「相手と分かりあっているはずだ」

 と思っているが、そのことに何ら根拠のないことに気付かされる。

 根拠がなければ、まったく相手を信用できなくなるのは、女性側であった。

 もちろん、女性の皆が皆そうだとは言わないが、少なくともあとになって考えた阿久津はそうだと思っている。

 離婚するまでのカウントダウンが始まってしまったことに気付いた時には、時すでに遅かったのだ。

 カウントダウンを数えているのは香苗の方だった。阿久津はそれをただ聞いているだけで、この期に及んでも阿久津は他人事だった。

――彼女だって、お互いに好きあっていた時期を覚えているはずなので、説得すれば何とかなる――

 などとあくまでも甘えた気持ちで最後までいた。

 離婚の際にあきらめが悪かったのは、阿久津の方だった。

 別居して実家に帰ってしまった香苗に会いに行ったことがあったが、説得している言葉を言いながら、

――何て情けないんだろう――

 と自虐していた。

 情けなさに涙の一つも出てくる気分だった。

――ここで涙を流せば、香苗だってオニじゃないんだ。少しは哀れみを持ってくれるだろう――

 と、自分がどんなに情けなく写っていようが、彼女が帰ってきてくれるという目的さえ果たせればそれでいいと思っていた。

 だが、そんな阿久津の心境を香苗は見透かしているのか、汚いものでも見るような目で、明らかに蔑んでいる目をしていた。

 そんな光景を相手の親はどんな目で見ていたのだろう。

「あんな情けない旦那とは、すぐに別れた方がいい」

 とでも言われていたのか、相手の親が二人の間に入って何かを話すということはまったくなかった。

 ただ二人ともいい大人である。いくら、

「結婚は二人だけの問題ではない」

 とは言っても、口出しできる範囲は決まっている。

 それを心得ているのか、相手の親は何も言わない。阿久津はそれが却って不気味だった。何度か説得に通ったが、次第に足は遠のいていた。その理由の一つに相手の親の反応というのもあったことだろう。

 阿久津は、香苗の家に行って香苗を説得する時、付き合っていた頃や新婚当時の楽しかった頃の話ばかりをしていた。

「香苗だって、あの頃のことを覚えているだろう。その時の気持ちを思い出しさえすれば、離婚なんてことを考えたりはしないだろう」

 という思いからだった。

 しかし、それは香苗に対して失礼なことでもあった。

 考えてみれば、自分が離婚の危機に陥った時、最初に考えたのは、二人で一緒にいて楽しかった時のことばかりだった。阿久津は、その思い出を香苗が忘れてしまったから離婚を考えていると思うようになった。

 しかし、それは違う。香苗が何かの理由で離婚を考えたのであれば、やはり香苗だって二人で楽しかった時のことを最初に思い出そうとしたはずである。

 もし、その時のことが思い出せないのであれば、もうその時点で二人の間に修復は不可能だという結論が出てもおかしくはない。

 ただその場合、香苗は阿久津が近寄ってきただけでも嫌悪感をあらわにし、もっと顔が喧騒に満ちていてもおかしくはないだろう。

 何を言っても彼女は無表情。それは意を決していると言ってもいいのかも知れない。

 香苗が昔のことを思い出したとしても、それでも離婚を思いとどまることができないのであれば、阿久津が考えている中に、その理由はないのだろう。

 そうなると、何を言っても無駄であり、平行線が交わることは決してない。時間だけが無駄に過ぎていき、それをどう感じるか、二人の間でも温度差が激しかったに違いない。

「もう、お互いを修復することはできない」

 阿久津がそう思った時、初めて香苗の気持ちに触れることができたのであろう。

 何とも皮肉なことであるが、離婚というのはそういうものなのかも知れない。

「離婚は結婚の何倍も労力を要する」

 と言われるが、まさしくその通り、

 いつの間にか同じ空間にいても、進む時間のスピードが違っていた。すれ違いはそのあたりから来ているのかも知れない。

 妻の香苗が離婚を言い出してから、阿久津は香苗とほとんど話をしていない。

「私、あなたと離婚したいの」

 香苗の言葉は刺々しかった。

 こんな刺々しい香苗の声を聞くことになるなど、阿久津は思ってもいなかった。香苗が阿久津と同じように躁鬱の気があることは分かっていたが、そんな時は、香苗の方から何も言わない時がほとんどだった。

 ただ、阿久津と香苗は日ごろからほとんど話をすることはなかった。それは結婚生活の基本として、

「お互いのプライバシーは守る」

 ということが暗黙の了解であったからだ。

 お互いのプライバシーを守りたいという話を最初にしたのは阿久津の方で、香苗も黙って頷いた。それがいつの間にか暗黙の了解となったわけだが、その気持ちは二人で共有しているつもりだった。

 阿久津は香苗にほとんど意見を求めることはなかった。それは相手の気持ちを尊重しているという思いと、

「何か問題があれば、彼女の方から話してくれる」

 という思いが強かったというのが阿久津の考えだった。

 しかし、本当は逃げていたのかも知れない。

 下手に藪をつつくような真似をしたくないという思いが強く、気持ちの中では、

「何も言わないでくれ」

 と思っていたのだ。

 香苗の方がどう感じていたのか阿久津には分からなかったが、香苗も同じようなことを考えていたのだとすれば、永遠に交わることはない。二人で一緒に同じ方向を向いていたとしても、たまには顔を見合わせなければ、相手がそばにいるという意識すらなくなってしまうのではないだろうか。

「女って、何か重大なことを言い始めた時って、その時にはすでに気持ちは決まっているものなんだぞ」

 という話を一度聞いたことがあったような気がしたが、それを聞いた時は、結婚する前の婚約機関くらいだったような気がする。

 本人とすれば、一番有頂天になっていた時期にそんな話を聞いても、ピンとくるはずもないというものだ。

 だが、そのことを思い知らされる得がやってくるなど、阿久津は思ってもみなかった。婚約期間中にそんな話を聞いたというのを思い出したのは、すでに離婚が決まってからのことだった。後の祭りとはこのことである。

 実に皮肉なことだ。アドバイスが後の祭りになるということは往々にしてあることなのだろうが、身に染みてみると、これほど運命を呪いたくなるものだということに初めて気づかされる。しかし、すべては自分が蒔いた種だということを離婚してから感じた時に思い出したことであった。つまりは、後の祭りというのは偶然ではなく、必然に訪れたことなのだ。

 阿久津にとって妻の香苗との結婚生活は何だったのだろう?

 妻から離婚を言い渡されるまで、会話が少なくなっていたことに何ら不安も感じていなかった。阿久津にしてみれば、

「青天の霹靂」

 だったのだ。

 しかし、その時にはすでに香苗はずっと悩んでいたのだろう。阿久津はそんなことも知らずに、

「妻が家庭を守ってくれている」

 などと甘い期待を抱いていたのだと思うと、自虐的な思いに駆られてしまう。

 妻の実家で説得した時、

「お前だって、仲良かった頃の思い出があるだろう?」

 と言って説得したのだが、それをどんな気持ちで香苗が聞いていたのかと思うと、その状況を客観に見ると、阿久津という男がどれほど情けない男なのかと思わないわけにはいかないだろう。

 それだけに自虐的にもなろうというものだ。

――こんなにも恥ずかしいことを口にしていたんだ――

 と思うと、顔が真っ赤になってしまって、自分だけが取り残されたということを痛感させられる。

――何をいまさら言っているのよ――

 と妻は感じたことだろう。

――そんなことは、とっくの昔に私は考えていたわよ。それを今頃になって言い出すんだから、どうしようもない夫よね――

 と思っていたに違いない。

 妻を説得に行った阿久津は、妻ならきっと説得に応じてくれるという自信が最初はあった。

 しかし、二度目、三度目になるにつれて、その思いが次第に薄れていく。

「それなのに、どうして何度も説得にいくのか?」

 と聞かれたとすれば、

「回数を重ねることで、情に訴えることができる」

 という答えしかできないだろうと思った。

 もちろん、さすがにそれを口にすることなどできるはずもないが、次第に自分が打てる手が少なくなっていることに気付いていた。説得に応じる気配はないと思った瞬間から、考えは後ろ向きになってしまう。

「このまま離婚になってしまったら、どうすればいいんだ?」

 今度は離婚前提に考えなければいけないところまできていた。

 子供がいないことも自分には不利に感じられた。子供がいれば、

「子供のために」

 という一縷の望みもあったであろうに。

 ただ、子供の問題は最後の手段だった。いわゆる「特攻」のようなものである。

「夫婦の問題に子供の話を持ち出すことはタブーなんだ」

 と阿久津は思ったが、それは子供の問題がリーサルウエポンだと思ったからだ。

「何よ。今度は子供を持ち出す気?」

 と言われてしまえば、何も言い返せなくなると思っていたからだ。

 それを口にするということは一か八かであり、失敗すれば、もう後がないということなのである。

 だが、阿久津が香苗から、

「離婚したい」

 と言われた瞬間から、すでに終わっていたということに気付いていなかった。

 香苗は離婚を口にするまでに、相当悩んでいたということを他の人から聞いたことがあった。

 阿久津は知らなかったが、彼女は彼女なりに、まわりの人には相談していたようだ。それも離婚という言葉を阿久津に告げる半年以上も前からのことであるという。

 ということは、香苗としても最初からまわりの人に相談したわけではないだろう。ある程度自分の中で結論めいたことを持ったうえで、相談していたはずだからである。

 そうでなければ、相談した相手が自分の意見と反対の意見を口にすれば、また迷ってしまうに違いないからだ。

 相手が一人であればまだしも、複数の相手であれば、離婚という現実に対しては二者択一であるとしても、考え方は人それぞれ、相談した相手の数だけ考え方があるというものだ。

 誰かに相談するとするのであれば、一人だけというと考えが偏ってしまうということもあるので、複数の人の意見を参考にするのがいいのかも知れない。しかし、複数の人の意見を参考にしてしまうと、それを精査するのも難しくなってしまう。それだけに、人に相談するのであれば、自分の意見をしっかりと持っていないと、ロクなことにはならないであろう。

 自分の意見を持たずに他人に相談してしまうと、一人だけの意見を聞いて、少しでも自分と意見が違うと、自分と同じ意見の人を探したくなってくる。

 また自分の意見と同じような意見であれば、今度はさらにその意見を盤石にしたいという欲に駆られてしまうだろう。

 どちらにしても、また他の人に相談してしまうということは紛れもない事実になってしまう。そうなると、どんどん相談する相手が膨れ上がってしまって、誰の意見を聞いていいのか分からず、さらにまた他の人に聞いてしまうという悪循環を繰り返してしまうのではないだろうか。

 しかも、そんな話を他人にするうちに、

――同情してほしい――

 という思いが宿るのも無理もないことではないだろうか。

 人に相談しなければ自分で解決できないほどの問題が持ち上がっていると思っているのだから、相談はどんどんとエスカレートしてしまうのだ。

 香苗はそんなにたくさんの人に相談をしているわけではないようだった。気心の知れた数人には話したようだったが、それも自分の気持ちがしっかりと決まった後で相談しているようなので、香苗には考えがブレるということはなかった。

 ただ、早苗が相談した相手で、二人の共通の知り合いもいた。香苗が親しい人に相談しているということは分かっていたが、まさか共通の知り合いに話をしているとは思ってもいなかった。

 相談した共通の知り合いを阿久津は、

「俺の方が仲がいい」

 と自負していた相手で、まさか彼に相談しているなど思ってもみなかった。

 だが、実際には香苗の方との仲が親密だったようで、彼は二人が付き合い始めてから二人一緒に知り合った仲だったので、元々どちらかの知り合いだったというわけではなかった。

 だからお互いに、

「自分の方が仲がいい」

 と思っていたに違いない。

 香苗も彼への相談には躊躇したようだ。こちらの話が阿久津に漏れるのを香苗は警戒していた。自分の気持ちが固まるまで、離婚の話は阿久津には知られたくないという思いがあった。

 それは香苗にとっての都合であり、阿久津としては実に不公平なことであったが、彼が阿久津に対して何も言わなかったのは、香苗の気持ちが分かったからだろう。

 彼も男なので、気持ちとしては阿久津よりだとは言えないだろうか。香苗の気持ちが固まるまで阿久津には内緒にしているというのは、男としては、

「フェアーではない」

 と思うはずである。

 それでも阿久津に何も言わなかったのは、香苗の気持ちが話を聞いていて分かったということなのだろうか。それとも冷静に見て、二人の関係は別れた方がいいと考えたからであろうか。どちらにしても、香苗が彼に相談したというのは、賭けのようなものだったのではないだろうか。

 阿久津は離婚してから、彼に香苗から相談があったことを阿久津に伝えた。

「どうだったんだね。人には相談していたんだろうとは思っていたけど、君にまでしているとは思わなかったよ。何しろ君は僕とも知り合いだからね」

 と言いながら、阿久津は違うことを考えていた。

 阿久津が考えていたのは、

「離婚するまでに彼に相談しなくてよかった。もし、相談していれば、俺は赤っ恥を掻くことになっただろうし、彼は彼で、どう返答していいのか、困惑したに違いない」

 と感じた。

 もちろん、このことを彼にいうつもりはなく、阿久津は自分から質問するというよりも、彼がいうことだけを黙って聞いていればいいんだと感じた。

「香苗さんもかなり悩んでいたようですよ。僕は彼女の言いたいことを聞いていただけで、何かアドバイスをすることができなかったんだ」

 そう言って、神妙な表情になった。

「でも、話を聞いてあげただけでもよかったと思うよ。僕も香苗を説得しているつもりで、どんどん情けなくなっていくのを感じたんだ。でも、何とか説得しないと気が済まない。気持ちの中での矛盾にどうすることもできなかったんだよ」

「君のように当事者になってしまうと、本当に大変なんだろうね。僕は冷静に見れる立場にいたにもかかわらず、結構緊張してしまったからね」

 と言っていた。

 香苗がどんな相談をしたのか阿久津は細かく聞かなかったが、

「でも、どうして僕には何も言ってくれなかったんだろう?」

 と、ボソッと呟いた。

 阿久津の本心はそこにあった。

 彼にどんなことを相談したのかということは、この際どうでもいいことだった。香苗が離婚を決意するまで自分に何も言ってくれなかったことが阿久津は一番悔しいことであるし、一番理由を知りたいと思うことだった。

「阿久津君は、当事者だから、どうしても自分の立場からしか考えられないんだろうね。少しは落ち着いたと言っても、まだ心の奥にくすぶっているものがあるだろうから、そのくすぶったものが消えないと、その答えは出ないと思うよ」

 と言っていた。

 確かにその通りだろう。実際に精神的に落ち着くまでにはかなりの時間が掛かったが、その瞬間は自分でもわかるものだった。

 その時、

「女というものが、何かを言い出した時、すでに心が決まっている時だ」

 という言葉を理解したような気がした。

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