呪縛からの時効
森本 晃次
第1話 研究者
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
森のような緑はあるのだが、どこか無造作に建物に絡みついているのを感じる。建物が中途半端に古いことが、無造作に見える要因なのかも知れないが、そんなことを意識して歩いている人がどれほどいるというのか。ただ、今まで当たっていたと思っていた日差しが当たらなくなった時、急に吹いてくる風に肌寒さを感じる時期になってくると、どこか寂しさを感じないわけにはいかない。
建物に寄り掛かるような緑の蔦は、日が暮れると淀んだような緑色に見えて、あまり綺麗なものではないが、いつもその光景を気にしながら歩いている人もいた。
この場所は大学のキャンパスであり、中央部分に位置していることから、昔からある古い建物であるのは、仕方のないことではないだろうか。
数年後には主要な校舎も老朽化するということで立て直しが計画されているらしいことから、この光景を見れるのも今しかない。そういう意味では貴重な時期と言えるのではないだろうか。
木枯らしが気になり始めてはいるが、まだまだ暖かい時期があったりもする。
「三寒四温」
と呼ばれる時期なのだろうが、学校も大学祭が終わり、賑やかだった分いいから一変して、特に夕方は寂しさが忍び寄っていた。
大学祭の前は、模擬店の開催のため、学校のいたるところでトンテンカンカンと釘を打ち付けるような音が響いていて、いやが上にも賑やかさが滲み出ていた。雨も降らない乾燥した時期に入っていたので、その音は狭い建物の間で響いていた。大学祭に参加しない学生も、その音を気にすることもなく、普段通りに通り過ぎるだけだった。あまり音がしない、会話が響いているだけのキャンパスが普通だったのに、建築の音が鳴り響いている状態に違和感がないというのは、元々、こういう音に街中で慣れてしまっているのか、それとも人間が感じる許容範囲の音なのかも知れない。
学園祭の前に響いていた釘を打ち付けるような音が気にならないのは、学生よりも教授たち、大人の方ではないだろうか。
四十歳代や五十歳代の教授たちには、自分たちが子供の頃の高度成長時代が懐かしいのかも知れない。あの頃はどこを歩いていても工事の音が聞こえてくるのが当たり前で、マンションやビル建設が佳境だった時期でもある。
今、似たような光景として、街も一新しかかっているが、そもそもその頃に築かれた建築物が、今になって老朽化してきたことで、ほぼ同時期に一気に建て替えが必要になってくる。
「時代は巡る」
というのは、まさしくこのことなのかも知れない。
昔のことを思い出していた教授陣も多かったのだろうが、歴史学の教授である阿久津教授は特に昔のことを思い出していた。
阿久津教授は、都会の下町で生まれた。高度成長時代を迎えたのは小学生の頃だったのかハッキリとはしないが、少なくとも小学生の低学年の頃は、あちらこちらから工事現場の音が聞こえてきていて、公害などが社会問題となっていた時代だったのは、間違いないことである。
家から学校までは歩いて三十分以上かかったが、途中に川が流れていて、その河原の向こう側が工場になっていた。何の工場なのか覚えていないが、いくつかの似たような台形の建物の向こう側から、大きくはないが、煙突が生えていたのを覚えている。
煙突からの煙を見て、
「今日は風があるんだな」
と思っていたが、それも途中までで、いつの間にかそんなことも考えないようになり、靡いている煙を見ながら、ただボーっとしている時が多くなっていった。
考えてみれば、まったく靡いていない煙などあるわけもなく、微妙に左右に揺れがあるのが煙だった。
一度だけ、まったく靡くことのない煙を見たことがあったが、本当にまっすぐ上を向いた煙の線が、煙突の数だけ交わらない平行線を描いていて、芸術的に見えていたのを思い出した。
あの景色を忘れることはないだろう。立ち上った煙はある程度まで上がると、スーッと空に染まってしまうかのように消えてなくなった。それぞれの煙突の煙は図ったように同じ高さで消えていた。これも、考えてみれば不思議な光景であった。
その光景を思い出すには、まったくの妄想でしかなかった。何しろあの時のような工場が存在するわけではなく、工場が見える河原も今では駐車場やスポーツのできる施設になっていたりする。
大学のキャンパス、しかも夕方の薄暗くなりかかった寂しい光景とは、似ても似つかない雰囲気であるが、自分が子供の頃とさほど大学のキャンパスの中でも変わっていないと思われるこの場所が、阿久津教授には違和感がなくいられる場所でもあった。
阿久津教授は、この時間の大学キャンパスが好きだった。学生の姿もまばらで、毎日の終わりを感じさせるその場所は、何年も変わらずに同じ光景を写し出していたに違いない。
しかし、その間に学生は確実に入れ替わっている。そんな当たり前のことを違和感もなく意識もしていないというのは、やはり慣れでしかないのだろうか。今までに何度この光景を見てきたのか想像を絶するが、
「何度この光景を見たのだろう?」
と考えたことが果たしてどれほどだっただろう?
本人が考えているよりも、かなり少ないのではないかと思うが、その数を想像することはやはりできなかった。
建物の老朽化が気になり始めたのはいつ頃からだっただろう? ひょっとすると、教授になった頃だったかも知れない。それまでは建物になど興味を持つこともなかったのに、教授になったとたん、急にまわりが見えてきた気がした。
――気持ちに余裕が出てきたから?
と思ったが、実際にはそうではなかった、
教授になったからと言って別に気持ちに余裕が出る理由があるわけでもない。却って目に見えないプレッシャーが大きくなったというのに気付いたのは、少し後になってからだったが、今から思えば、教授になりたての頃から、覚悟のようなものはあったような気がしてならなかった。
老朽化が気になるようになってから、建物に絡まった蔦も一緒に気になるようになった。それまでも蔦があることは目に見えるのだから分かっていたことではあったが、目に見えているだけに、意識しなければ、そのままスルーしてしまうという意識からか、気になっているようで気にしていたとしても、それは無意識でしかなかったのではないかと思えたんもだった。
そんな阿久津教授は、大学内ではあまり目立つことのない人で、雰囲気的には、
「いかにも教授タイプ」
と言われるような雰囲気で、適度に白くなりかかった髪の毛も、黒縁の眼鏡も、昔から、
「この人は教授だ」
と言われてるであろういでたちをしていた。
それだけに大学内で目立つことはない。
広義の時間も出席を取るわけではないので、あんまり学生がいるわけでもない。取り立てて面白い話をするわけでもないので、講義室はいつも閑古鳥が鳴いていた。
ただゼミ学生は結構いて、教授としては学生から人気があるようで、なぜそんなに人気があるのか、ゼミ生の中でも不思議に思われていた。
「別に就職に有利だとかいうわけでもないのにね」
と言われていたが、その理由を何となくだが分かっている人は、
――そんな見方をしていれば、永遠に分からないさ――
と感じていた。
何となく分かっているその人も、
「何となくしか分からない」
ということに後ろめたさを感じていたが、結局は、
「そんな曖昧なところが教授の魅力なんじゃないかな?」
ということにしか結論を見いだせなかったが、結局はそこが本当の結論なのかも知れない。
教授の本当の年齢は五十歳を超えたくらいだった。学生たちから見れば、
「親よりの年上」
と言ったところであろうが、学生たちからは、
「年齢よりも若く見える」
と言われていた
それも男子学生からというよりも女子学生からの方が多く、思ったよりも教授のことを女子学生の王が注目して見ているようだった。
「阿久津教授って、ダンディなところがあるわ」
という女子学生もいれば、
「そうかしら?」
とわざとなのか、すかしたような言い方をする人もいた。
阿久津教授に関しては、いろいろなウワサがあった。いいウワサもあれば悪いウワサもあるのだが、大学というところも、他のところと同じように、悪い話の方が話が大きくなっている。
「背に尾ひれがついたような話」
という言葉をよく聞くがまさにその通り、あることないことウワサというおは、とかく厄介なものである。
阿久津教授の悪いウワサで一番酷いのは、
「女たらし」
というウワサであった。
大学教授というと女子大生とのウワサは絶えないものだが、阿久津教授の場合の何が厄介なのかというと、そのウワサノほとんどが、どこから出たものなのか、まったく分からず、いつの間にかそのウワサが消えていることだ。しかも、自然消滅などではなく、新しいウワサが後から出てくるものだから、前のウワサの信憑性などまったく関係なく、新しいウワサでそれまでのウワサが上書きされてしまう。
つまりは、ウワサがどんどん飛躍してしまい、教授に対して一度疑念を抱いてしまえば、その疑念を取り払うことなく、無限に広がっていくウワサに惑わされる結果になってしまうということだ。
阿久津教授は、そんなウワサが学内にあるのは十分に承知しているが、あまり気にしていないようだった。ウワサが立ち始めた最初の根源がいつからなのか分からないが、最初の頃はさすがに気になっていただろう。しかし、一度気にしなくなると気にならなくなるのか、人が気を遣うまでもなく、本人はあまり気にしていないようだった。
それでも、気を遣ってしまうのは、阿久津教授の性格からなのか、それが彼のいいところと結びついているのだとすれば、ウワサの信憑性はないと言ってもいいだろう。
もう一つ教授のウワサに信憑性がないというのは、これまでずっといろいろなウワサが流れていたにも関わらず、一度も問題になったことはない。だからこそ、教授の無実は確定的なのだろうが、ウワサが絶えないのは、誰かが故意にそんな根も葉もないウワサを流しているのかも知れない。
教授は、五十代になるまでに一度結婚経験があった。
教授になったのをきっかけに、当時付き合っていた女性と結婚したのだが、相手は学生だったわけでもない。高校時代のクラスメイトで、同窓会で偶然再会したことがきっかけで付き合い始め、数年の交際期間を経て結婚に至ったという、どこにでもある話であった。教授になるには年齢的にまだ若かったというのもあり、そんなに結婚が遅かったわけではなかった。
相手も同級生で、実はお互いに高校時代から惹かれあっていたということを、今になって明かすという純情物語だった。
最初にその話を始めたのは教授の方で、
「えっ、そうだったの?」
と声を荒げて驚いて見せたのが彼女の方だった。
相手は教授の気持ちをまったく知らなかったというが、教授にはそれは信じられなかった。教授も相手の気持ちをまったく分からずに告白できずに高校を卒業したが、彼女にも同じように、
「まったく分からなかった」
というと、相手はそれを聞いて大げさに驚いたのを見て、
――疑わしいな――
と教授は思った。
それだけに、相手の知らなかったという話に疑いを持った。
――自分が信じられないのだから、彼女も信じてくれないよな――
という思いが教授にはあった。
それだけ教授はウブだったと言えるのではないだろうか。
教授が女たらしだとウワサされるようになったのも、実はそんなウブなところが教授の普段からの内面を見せない性格とのギャップから、
「よく分からない人」
というレッテルを貼られることで、ウワサが根底に根付いてしまったのかも知れない。
しかし、教授になった頃はまだまだウブな面が表に出ていた。だから変なウワサは立っていなかった。
「教授昇進と結婚」
という人生の最高の節目を一気に手に入れたその時の阿久津教授は、人生の有頂天に立っていたと言っても過言ではないだろう。
だが、
「好事魔多し」
とはよく言ったもので、教授としての大学での地位は固まっていったのだが、プライベイトの面ではあまりよくなかった。
何が悪かったのか、教授は今でも悩むことがあったが、結婚してからわずか四年で、二人は破局を迎えた。
離婚は奥さんの方から一方的に言ってきたもので、
「私はもう限界」
という言葉が印象的だった。
何が限界だというのか、阿久津教授には見当もつかなかったが、最初は何が何か分からずに頭の中がパニックになっていた教授だったが、冷静になって考えると、さほど結婚生活に自分が未練を持っていないことに気が付いた。
教授は大学と家の往復ばかりで、ほとんど家にいることはなかった。
「家内が家を守ってくれている」
という、まるで半世紀以上も前の考え方を持っていた。
ただそれだけが離婚の理由だったわけではないだろうが、家庭を顧みらなかったのは事実だった。
奥さんも決して社交的な方ではなかった。どちらかというと目立たないタイプの女性で、それは高校時代から変わっていなかった。
そもそも、教授が彼女を好きになったのは、高校時代から控えめなところがあったことだった。同窓会で再会しても、それは変わっていなかった。
彼女の名前は香苗と言った。
香苗は同窓会で再会した時、それまで見せたことのないような笑顔で阿久津教授に話しかけてきたので、最初はビックリしたくらいだった、
「阿久津君、元気だった?」
阿久津はそう言われて、一瞬ビビッてしまった自分に気が付いた、
「あ、ああ。君か。香苗ちゃんも元気だった?」
「ええ、阿久津君は変わっていないわよね」
とそれまで自分に見せたことのないような大げさにも見えるリアクションに、阿久津は終始戸惑っていた。
確かに、
――俺は高校時代とそんなに変わっていないよな――
と思っていたので、変わっていないと言われて嬉しかった。
しかし、同窓会では、ほとんど会った人からは、
「阿久津、お前は変わったよな」
と言われていたので、余計に新鮮だった。
「いやいや、そんなことはない」
と言って頭を掻いて見せると、本人は、
――そんな言い方やめてほしい――
と思っていたにも関わらず、ほとんどの連中は、そんな阿久津を見て、照れ笑いをしているだけで、まんざらでもないと思っていたようだった。
阿久津も高校時代は目立つ方ではなかった。一応成績はよかったので、まわりからは、
「インテリ」
と思われていたようだ。
だが、それをまわりにひけらかすことはなかった阿久津だったので、苛めの対象になったりはしなかったが、それでも彼をやっかんでいた人もいたに違いない。
香苗はそんな阿久津を意識していた。だから、あまり自分から声を掛けることはしてはいけないと高校時代には思っていた。その思いは阿久津には通じなかったが、香苗が
――自分のことを意識しているのではないか――
と感じてはいた。
しかし、感じてはいたが、
――気のせいではないか――
という思いも強く、高校時代の阿久津は学問に関しては自分の考えたことに絶対的な自信を持っていたが、ことプライベートなこととなると、自分の考えを否定から入ってしまうくせがあったのだ。
そんな高校時代の思い出に、香苗の絵を描こうと思ったことがあった。
阿久津は絵を描くのが得意ではなかったので、誰にも言ってはいなかったが、それでも何とか完成させようと頑張ったが、結局は完成しなかった。
香苗の方も、偶然ではあるが、阿久津の絵を描こうと試みたことがあった。
香苗の方は絵心があり、何とか阿久津の絵を完成させ、本人に見せようか悩んだ時期があった。
しかし、結局は見せることもなく、自分の部屋に結婚しても置いていたのだが、こちらも阿久津には何も言っていない。いずれこのことを阿久津は知ることになるのだが、それも悲しい結末と言えるのだろうか。
香苗にとって阿久津教授は憧れだけだったのかも知れない。そのことを知っている人は誰もおらず、本人の香苗も分かっていなかったのだろう。
香苗と阿久津は離婚までにはそんなに時間は掛からなかった。阿久津が無理に引き留めたわけでもなかったし、香苗も無理な要求をしたわけでもない。
ただ、親戚縁者がややこしかったこともあって、離婚までには掛かった期間というよりも、精神的な苦痛の方がきつかった。
「離婚は結婚の何倍も労力を使う」
と言われるが、まさしくその通りだった。
それでも協議離婚が成立してから、二人は会うことはなかった。香苗はしばらくして田舎に帰ったという話を聞いたので、阿久津は、
――それならそれで安心だ――
と感じた。
また一人暮らしに戻ったわけだが、結婚前の一人暮らしと、離婚してからの一人暮らしとでは、同じ一人と言ってもまったく違った。どっちがいい悪いの問題ではないが、不思議と離婚して一人になったにも関わらず、それほど寂しいとは思えなかった。
一人が寂しいと思っていたのは、むしろ結婚前だった。ただ。結婚前までは、何事も前向きだったことは否めない。結婚までは自分が上昇機運にいつも乗っていて、下降気味になったとしても、本当に落ちることはないと思っていたので、逆に余計な不安があったのかも知れない。
しかし、離婚するとリアルに自分が下降していることが分かった。結婚の時点が有頂天だったということを、あの時いまさらながらに感じたのだった。
だが、リアルな下降は、余計な心配をすることはない。
落ちるところまで落ちたわけではないが、本人の意識としては、落ちるところまで落ちたような気がすることから、
――これ以上悪くなったらどうしよう――
という心配を必要以上にすることはない。
確かに、余計な心配は頭をよぎるのだが、本当に悪夢を味わっているという意識があると、必要以上な心配はしないものだ。
そのことを意識すると、離婚してからの阿久津は、いい意味で一皮むけたような気がした。
結婚するまでは、自分がまわりからどう思われているかが気になっていた。結婚してからは奥さんの視線を一番に感じ、まわりの視線はさほど気にならなくなったが、離婚してしまってからは、またまわりの視線が気になるようになるのではないかと思ったが、思った以上にさほどでもなかった。
阿久津教授は、奥さんの視線を気にしているようで、それほど気にしているわけではなかった。その頃からまわりの視線があまり気にならなくなったのかも知れない。
だからと言って奥さんの知らないところで何かをしようという意識はなく、
「妻に隠し事のないことが、俺のいいところなのかも知れないな」
とうそぶいていた。
だが、奥さんに隠し事がない代わりに、奥さんに気を遣うことはなかった。
「こんなことを言えば、奥さんは気を悪くするかも知れない」
ということを考えることはあまりなかった。
奥さんもそのことに触れることはなかったが、後から思えば、奥さんに甘えていただけではなかったのだろうか。
奥さんとの仲は、普通だったのだろうが、まわりから見れば「おしどり夫婦」だったに違いない。敢えてまわりに見せつけるようにしていたという気持ちは阿久津にはあったが、香苗の方はどうだったのだろう?
香苗は奥さんとしては、夫に尽くす方だった。それはまわりから見ても、阿久津が見ても同意見だったに違いない。阿久津は今まで知り合った女性の中で一番気を遣ってくれた相手が香苗だった。ただ、それは結婚してから自分の女性を見る目が変わったということに気付いていなかったからだ。
女性への見方が変わったことで、まわりへの見え方だけではなく、まわりから自分をどう見られているかが変わったということに気付いてはいなかった。何しろ、まわりに気を遣うことがなくなったことに影響しているのかも知れない。
阿久津教授は香苗と離婚してから女遊びをするようになった。一時期風俗通いもしたが、結局すぐに行くこともなくなった。本人としては経験程度のように思っているのかも知れないが、年齢を重ねれば重ねるほど、若い頃にはあった後ろめたさはなくなっていったのだ。
後ろめたさがなくなった割には、結構頭の中は冷めてきたような気がしていた。
「あまり人と関わりたくない」
という思いを抱くようになったのがこの頃からだったような気がする。
教授になってからしばらくは新婚生活を謳歌しながら毎日を楽しんでいたはずなのに、どこで狂ってしまったのか、阿久津は時々考えることもあった。
だが、考えたとしても答えが出るものではない。離婚前から人と関わりたくないという思いがあったのではないかと、最近になって考えるようになった。
香苗という女性の性格が分からなくなったというのが、自分の中での離婚の理由だったが、相手も似たようなことを言っていたっけ。
「あなたの考えていることが分からない」
最初に聞いた時、
「分からないとは何事だ」
と、怒っていた自分がいたが、その怒りがどこから出てきたのか、自分でも不思議だった。
ひょっとするとその時に、自分が香苗のことを分かっていないということに初めて気づいたのかも知れない。自分の中でドキッとしたのは間違いのないことで、その思いが初めて気づいたという証拠なのだということに、その時は気付いていなかった。
大学で教鞭をとるだけの頭を持っているくせに、とんと自分のこととなるとまったく分かっていない。本人は分かっているつもりだと思っていたはずなのに、分かっていないというのは、本当に世話が焼けるなどという言葉で片づけられるものではないだろう。
お互いに相手のことを分かっていなかったことに気付いた時、香苗は、
「もうこれで終わりだ」
と思ったのだろう。
しかし、阿久津の方では、
「気付いたのだから、改めればそれでいいだけのことだ」
と思っていた。
そもそも最初から考えが食い違っていたのである。
阿久津は今ではその理屈が分かっているような気がする。そして、それがすでにどうしようもなかったということも……。
阿久津は、心理学というものにはあまり造詣が深くない。大学教授というのは、大なり小なり、自分が一番偉い研究を進めていると思うものだ。思いたいと言っても過言ではないだろう。
人の研究など、眼中にはなく、下手をすると、どこか軽蔑するところもあるかも知れない。
エゴとエゴがぶつかった時、特にそんな感じになるだろう。お互いにエゴを持つことで自分を正当化しようと思っているのが大学教授、いや、大学教授に限ったことではなく、人間というものはえてしてそういうものなのかも知れない。
「エゴがあるからこそに人間だ」
という言葉を聞いたことがあった。
もちろん、自分の意見でもないので、半分は他人事のように聞いていた。自分の意見でなければ、経験しない限り、まず考えを自分に向けることはない。それもエゴの一つではないかと思っていた。
阿久津は心理学の教授とはあまり話をしない。相手もどうやら阿久津のことが好きではないようで、廊下ですれ違っても挨拶を交わすことすらない。
結構大学で、廊下ですれ違って挨拶をするような人もそれほどいるわけではない。モラルという意識に、一般常識を重ね合わせて考えることをあまりしないと言ってもいいのではないだろうか。
一般常識という言葉自体、あまり意識していない。それが大学教授という世界ではないかと阿久津は考えていた。
もちろん、阿久津の考えが大学教授の共通した考えだとは言えないだろう。だからこそ、大学教授同士、あまり仲がいいわけではない。一般の会社の同僚のような感覚とは、完全に一線を画しているものだと思っている。
阿久津が大学に残ったのは、歴史学に興味があったというよりも、自分が性格的に一般企業に就職するよりも、大学に残って研究するタイプに向いていると思ったからだ。
幸い、歴史学の教授からも、
「大学に残って、いろいろ手伝ってもらえると嬉しいんだがな」
と言われたのがきっかけだった。
後で知ったことだが、その教授は自分だけではなく数人に声を掛けていたらしく、結局その話に答えたのが自分だけだったらしかったが、それでもよかった。教授は暖かく迎えてくれたからだ。
一般企業に入社していればこんなことはなかっただろう。
最初から競争の中に身を置いて、自分を見失ってしまうに違いないと思えたからだ。
「阿久津君は、教授向きなのかも知れないな」
と教授に言われてその気にもなった。
どこが教授向きなのかよく分からなかったが、実際に教授になってみて、自分を顧みると、あの時教授の言っていたことが何となくだが分かってきたような気がした。
――今だったら、大学時代の自分に対して、大学に残ってほしいということを説得できるような気がする――
と感じた。
声を掛けるだけではなく、声を掛けたその時に、すでに説得できるのではないかと思ったのだ。
大学教授としては、曲がりなりにも成功していると思っていた阿久津だったが、プライベートではうまくいかない。
――きっと、心理学的なことに疎いせいなのかも知れない――
と感じた。
その時に思ったのが、大学に残ってから、ずっと心理学の教授や助教授クラスの人を毛嫌いしていたところがあったので、
「バチでも当たったのではないか」
と、まるで子供のような発想をしていた。
離婚が決まって一人きりになり、最初の頃はずっと考えていた。
――どうしてこんなことになったんだ?
これを後悔と言わずに何というかということなのだろうが、阿久津には自分が後悔しているようには思えなかった。
「考えていないように思えて、実際には考えていた」
というのが、その頃の阿久津だった。
しかし、そのうちに正反対になっていた。
「考えているつもりなのに、実際には何も考えていない」
という時期に入ってきた。
それは、無意識の感覚であり、いつからこんな風に変わってしまったのか、自分でもよく分かっていない。
その頃になると、それまであれだけずっと考えていたのに分からなかったことが、実は分かっていたように感じられた。
ふと思い出したように考えると、答えが出ていたからである。
阿久津はその答えが分かった時、目からうろこが落ちたようにホッとした気分になった。すでに時遅く、どうすることもできないところまで来ているにも関わらず、どうしてホッとした気分になったのか、本当に不思議である。
それが、
「男と女の性」
とでもいえばいいのか、
「分かってしまってよかった」
と感じればいいのか、
「どうして今までこんな簡単なことに気付かかなかったんだ」
と感じればいいのか、考えた。
当然前者の方がいいに決まっているのに、そう感じることができないのは、どこか心理学の先生との確執を自分の中で感じているからではないだろうか。
心理学の先生は、難しい言葉を並べるだけで、学生時代には、
「どうして、もっと簡単に誰でも分かる言い方ができないんだろう?」
と思ったものだ。
それは歴史学を目指した自分にも言えることで、自分が敢えて難しい言葉を発することを棚に上げて、心理学の先生だけを目の敵のようにするのは、どういう了見なのかと感じたものだった。
歴史学も心理学も、学問という大きな括りでは同じはずなのに不思議な感覚だった。
だが、一般の会社に勤めたことのない阿久津は、同じ会社でも部署によっていがみ合っていることが多いというのを、事実として知らない。もし知っていたとしても、その理屈がどこから来るのか分かるはずもないだろう。
元々民間の企業にも勤めていた経験のある香苗には、その理屈が分かっていた。
阿久津は、
「妻の考えていることは私にだって分かるはず」
といういわゆる、教授風を吹かせるような考えだったので、最初から理解しようとは覆っていなかったのかも知れない。
そんな思いは相手にも伝わるもので、すれ違いの一つに、この感覚もあったのかも知れない。
男と女の違いは、離婚してからやっと分かった気がした。それでも分かっただけまだマシで、きっと何か分かるきっかけのようなものがあったのだろう。
妻とはすれ違いが多かった。それを理解したもは離婚してからで、結婚している時には自分たちがすれ違っているなどいうことを考えたこともなかった。すれ違いというのは、「相手のことを分かっているつもりで実は分かっていない」
そんなことなのかも知れない。
普段から香苗のことを、
「うちの奥さんは、何も言わなくても分かってくれる」
と、まわりには語っていた。
きっと皆のろけに聞こえたに違いない。自分が聞き手だったら、のろけにしか聞こえないし、聞くに堪えないと思ったことだろう。
しかし、言う方は意外と相手が引いてしまっていることに気付かないものだ。自分がその立場にいればということを意識さえしていれば、こんなのろけなどしなかっただろう。だが、有頂天にいる人間には、そのことが分からない。もろけないと気が済まなくなってしまっていて、そんな時は、
「何をしても許される」
という気持ちにすらなってしまう。
阿久津教授もその一人で、結婚が人生の頂点だと思っていたが、これまでずっと成長してきたと思っているので、まだまだ伸びしろはあるものだと思っていた。だが実際にはここがピークであることに気付くわけもなく、ちょっとしたはずみで、足を踏み外すこともあるだろう。
香苗とは、本当に会話はなくなっていた。結婚した頃はどうだっただろう? 思い返してみると、もう少し会話があったような気がする。ただ、会話があったとしても、それは「結婚ごっこ」
のようなもので、付き合っている男女の他愛もない会話でしかなかった。
お互いに、
「結婚しても、お互いに好きなことをすればいい。あまり干渉しない関係でいられれば、それが一番だよね」
と阿久津がいうと、
「ええ、そうね。そんな関係を築けたらいいわね」
と言ってくれた。
ひょっとすうと、歪はその時から生まれていたのかも知れない。この会話を阿久津は真剣に考えていたが、香苗はどこまで本気だったのか……。
あくまでも理想論としては、新婚での目標としてはいいのかも知れないが、お互いに協力が必要だったことを、阿久津は分かっていなかった。
阿久津は、そのことに関して話題に出したことはなかった。敢えて出さなかったと言ってもいいかも知れないが、それも無意識の中のことで、わざと出さなかったというわけでもない。
香苗が結婚生活の中で何を考え、その考えがどのように変貌していったのか、まさか新婚当初から、違和感を覚えていたというのだろうか。ただ、新婚の時期にいきなり違和感を覚えたとすれば、その違和感は消えることはないだろう。少なくとも離婚問題は発生するだろうが、そこで持ちこたえて離婚しなかったとすれば、
「雨降って地固まる」
ということわざのように、うまく歯車を?合わせることができるというのか、香苗の気持ちを察することはできない。
ただ一つ言えることは、
「香苗の視線が鋭くなった」
ということを意識はしていた。
それでも、新婚ではなくなってからのことなので、倦怠期に陥ったとしても、それは仕方のないことだと思った。倦怠期に陥ったとしても、阿久津はショックに感じることはなかった。むしろ、仕方のないことと思うと、サラッとする―できるような気がしたのだ。
スルーすることが本当にいいのかどうか分からなかったが、無駄に言い争いを招くようなことをするよりも平和が一番だと思っていた。それが相手との距離を遠ざけることになるなど、考えてもみなかった。
しかも、
「黙っていても、相手は分かってくれる」
と思っているのだから、始末が悪いと言ってもいいだろう。
香苗のことを阿久津は、
「誤解していた」
と思ってはいなかったが、本当に誤解していたのかどうか、定かではない。
阿久津は誤解するほど、相手のことを思っていたわけではなく、どちらかといえば、昔気質の性格だったと言えるのではないだろうか。
「黙っていても分かってくれる」
という考えは、亭主関白というとりも、
「表で活動するためには、家庭を妻が守るのは当たり前」
という考えから来ているのかも知れない。
阿久津は浮気をする気はなかったが、表の人間と関わることができるのは妻のおかげだと思っていながら、そんな妻に対して、
「やって当たり前」
という考えしか持っていなかった。
つまりは、相手が奥さんだからと言って、気を遣わないというのは相手に対して非礼であるということである。
ひょっとすると、奥さんだからこその気の遣い方があるはずで、
「気を遣う」
という言葉にどこか違和感を覚えている阿久津には分からないことだった、。
「ちゃんと、人には気を遣いなさいよ」
と、よくまわりの大人から言われていた。
――気を遣うって何なんだろう?
と思っていたが、まわりの大人を見る限り、あまりいいイメージはなかった。
子供の頃に思っていた気を遣うという思いは、昼下がりの喫茶店などで、会計をする時の会話などで、
「奥さん、今日は私が払います」
「いえいえ、私が」
と言ったような、どうでもいいと思えるようなことを平気で大声を発しながら、言い争っているように見える風雑な光景を、誰が好き好んで見るというのだろう。
人に気を遣っていると言いながら、結局は自分がまわりにどれだけ気を遣っているかということを見せて、相手に自分の優位性を示したいだけではないだろうか。相手もそれを分かっているので、強硬に相手に負けまいとする態度を示す、
しかも、両方とも決して負けていない。負けまいとする態度、それこそが人に気を遣っているということだと勘違いしているのではないかと、子供心に阿久津は感じていた。
阿久津の母親も似たようなところがあった。完全に背伸びしているということが分かっているので、見ていて感じるのは、
――確信犯だ――
という思いであった。
そう、人に気を遣うというのは、確信犯なのだ。だから決して負けることはない。負けまいとする思いが募り、いつ果てるとも知れない無限のループに突入するはずなのに、いつの間にか、解決している。
どちらが折れたのかということも、解決してみると、そんなに大きな問題ではない。ひょっとすると、
「負けまいとする思いが感覚をマヒさせたのかも知れない」
と感じた。
感覚が一度マヒしてしまうと、相手に対してどうでもいいように思うものなのだろうか。阿久津にはそのことがよく分からなかった。
マヒした感覚のおかげで、肩の荷が下りるのだろうか。
阿久津はそんな思いを抱いたまま大人になった。
だが、そんなことを感じたなどと、大人になって忘れてしまっていた。思い出すことがなかったわけではないが、思い出して考えてはみるが、すぐにまた忘れてしまうのだった。
阿久津が人に気を遣うということに対して、
――そんなにw類ことではないのではないか?
と感じたのが、妻と離婚してからだというのは、実に皮肉なことなのだろう。
感覚がマヒするという感覚が、離婚した時に妻に対して感じた、
「夫婦間だからこそ、もっと話をしなければいけなかったんだ」
という思いが、変な気を遣ってしまったからだと思うと、自分が夫という立場に甘えて逃げていたのではないかと思うようになっていた。
阿久津は人に気を遣うということに関しては、まだまだ疑問があったが、その言葉を額面通りに受け取ってしまうことの軽薄さが、ひょっとすると離婚という結果を招いたのではないかとさえ思うようになっていた。
「離婚は結婚する時に比べて、何倍も体力を使う」
というが、まさしくその通りなのかも知れない。
やはり離婚の最大の原因は、すれ違いなのかも知れない。それ違いというと、会話によるすれ違いもあれば、自分たちのように会話がないことでのすれ違いもある。だが、やはり離婚になるほどのすれ違いというと、会話がないすれ違いであろう。
そのことに気付いた時にはすでに遅かったのだが、どうしてすれ違ったのかということに気付くまでには、そこからさほど時間が掛からなかった。離婚してからいろいろな人と話をする機会が増え、自分の気持ちをぶつけてみたが、どうしてそれを結婚している時に自分の妻にできなかったのかを後悔した。
そんな話をしていると、やはり離婚経験のある人から、目からうろこが落ちるような話をしてもらったことがあった。
「女ってのは、我慢する時には徹底的に我慢するんだけど、我慢できなくなったら、何を言ってもダメだからな」
と言われた。
何となく分かったような気がしたが、自分の中で曖昧な気がしたので、詳しく聞いてみようと、
「どういうことですか?」
と訊ねたが、
「そんなことは自分で分かるはずだよ。俺がここで言ったとしても、何の役にも立ちはしないさ」
と言われた。
なるほど、彼の言うことも一理ある。しかし、何とまく分かっているが、それを認めるということがどこか恐ろしい気がしたのだ。
――俺は臆病だからな――
と思わず、心の中でため息をついた。
認めたくないことが臆病だということではないのだろうが、
「女というものを分かっていないのは自分だけではないだろう。その証拠に離婚する人がどれだけいるというのか」
と自分に言い聞かせたが、これを口にするわけにはいかない。完全に逃げているわけだからである。
阿久津は、結婚するまでにあまり女性と付き合ったという記憶っはない。相手が付き合っていたと思っているかも知れないことも、阿久津には、
「ただの友達」
という程度にしか思っていなかったのではないかと感じたが、別に彼女がほしくないなどと考えていたわけではない。
むしろ、彼女はほしいという思いが強い方だった。
自分でも女心が分かっていないつもりでいた。高校時代、分かったつもりになって、当時まだ付き合ってもいない女の子を自分では付き合っていると思い込んでいたことで、阿久津本人ではそんなにひどいことを言ったつもりはなかったのに、
「どうしてそんなことをいうの? あなたってひどい人」
と言われて、こっぴどくフラれる結果になってしまったことがあった。
完全に青天の霹靂だっただけに、阿久津も自分の何という言葉に彼女が反応したのかも分からない。その時の会話がどういうものだったのかということさえ、すぐに記憶から飛んでしまったのだ。
――確かに女性を傷つけるような言葉だったということなのだろう?
そんな曖昧なことしか思いつかない自分に嫌気がさした。
そんな思いから、高校時代には彼女が欲しいという感情は失せていた。それがなくなったのは、大学に入ってからだった。
それまでの暗い人生を一変させるだけの華やかさが大学のキャンパスにはあった。
「今まで見たこともないような世界」
こんなにもオープンで、少々のことであっても、許されるような世の中に、阿久津は有頂天になっていた。自分が切り開いた世界でもないのに有頂天になってしまうのは、本来の阿久津からすれば、由々しきことなのだが、その思いは実際の世界とはかけ離れていた。
結構な人数と友達になった。皆華やかな雰囲気で、それまでの阿久津の知らない世界を彷彿させた。まるで過去から知っていたかのように思えた世界である。
だが、大学生になってからずっと有頂天だった阿久津が、大学二年生の時に失恋を初めて経験し、かなり落ち込むことになった。まだ付き合ってもいない相手にフラれるという現象にプライドは引き裂かれたのだが、逆にここまでこっぴどかったら、阿久津も割り切ることができたのだろう。
「しょうがないか」
この一言で、阿久津は開き直ったのだ。
高校時代には、あまりにも自分に自信がなかった。それがゆえに、猜疑心が強すぎたのかも知れない。そのせいで、余計な心配ばかりして、気が付けばいつもイライラしていた。自分の気持ちに余裕がなかったと言っていいだろう。
気持ちに余裕がないと、人の言葉が信用できなくなる。それが猜疑心の強さと相まって、自分を抑えることができなくなる。
自分を抑えることができないというのは、高校時代に始まったことではないが、猜疑心を自覚したのは、その時が最初だった。
自分が抑えられなくなると、ストーカー行為に走り始めた。彼女のことが気になってしまうと、後をつけたり、行動を監視したい気持ちにさせられた。
ただ、それはすぐにやめてしまった。ストーカーまがいの行為になりかかった時、警官から職務質問を受けた。
阿久津も高校の制服を着ていたので、警官の方も形式的な質問だけで、怒られたり、ストーカーまがいの行為をあからさまに批判されたりはなかったが、警官に呼び止められたというだけで、小心者の阿久津はビビッてしまったのだ。
後から考えれば、あれは彼女の計算だったのかも知れない。警官にそれとなく阿久津を気にしてもらうようにしたのだと思うと、もう阿久津の中では冷めてしまった。
少しでも相手に抵抗される態度を示されると、阿久津はアッサリと身を引いてしまう。それがただ気が弱い小心者だというだけで片づけてしまってもいいものなのか分からないが、阿久津は自分が小心者であることを本当に自覚したのは、その時だったのではないだろうか。
自信のなさは大学に入って解消されたわけではなかった。ただ友達がたくさんできたことで、少しは解消された気分になっていたが、もう一つの悪しき性格に気付くことになったのだが、それは、
「調子に乗りやすい」
ということであった。
友達がたくさんできたことで、
「自分がまわりから必要とされている」
などと、大それた考えを持ったりもした。
一足飛びにそんな考えに至ったわけではないのだろうが、気が付けば、そんな気分になっていた。ネガティブな性格だったはずなのに、いつも間にかポジティブになったのは、まわりの環境に流されやすい性格だったということなのだろう。
高校時代までは、絶えず何かを考えていたような気がするのだが、その時々で何を考えていたのかなど、我に返った瞬間に忘れてしまっていることが往々にしてあった。大学に入っても、絶えず何かを考えていたが、我に返っても、その時に何を考えていたのか、そんなに簡単に忘れているわけではなかった。
――これも成長したからなのかな?
と思ったが、本当にそうなのだろうか?
調子に乗りやすい性格である阿久津は、少なくとも大学二年生の頃までは、毎日が有頂天だった。それまでの孤独な暗い高校生活とは明らかに違っているからだ。
ただ、三年生になってから、完全に我に返ってしまった。二年生終了時点で取得しておくべき単位数を満たしていなかったからだ。
――なんで皆と同じように遊んでいたのに、自分だけ成績が悪かったんだ?
と悩んだりした。
よくよく考えてみると、いわゆる、
「容量が悪かった」
というだけであった。
調子に乗ってしまったことで、まわりの行動をそのまま信じてしまって、要領よく立ち回っている連中の行動を見誤っていたのだ。
元々、要領のいい行動を自分には取ることができないということを分かっていたはずだった。
「要領が悪い」
という表現には、嫌悪感があった。
あれは所学生の頃だっただろうか、
「要領が悪い」
と言って、よく苛められていた。
意味も分からずに苛められていたのだが、そもそも容量が悪いなどという言葉があまりにも曖昧にしか聞こえてこない。もっとピンポイントに言われれば納得できたかも知れないのに、
「要領が悪いって何なんだ」
としか思えなかった。
もっとも、納得のいく苛めの原因などあるものなのか分からないが、苛め自体が理不尽なのだから、逆にハッキリとした理由がなければ、苛められている側も納得がいかないのだ。
要領が悪いという言葉は高校時代くらいまでは忘れていた。まわりから言われなくなったのもその理由の一つだが、言われていたのは、小学生の頃の一時期だけだったのが、中学生の頃まで尾を引いたのだが、いつの間にか忘れていた。
これは、阿久津にはよくあることだった。
子供の頃からよく口内炎ができていたのだが、一度できてしまうと、一週間くらい痛かったりする。その一週間の間で本当に痛い時には、なかなか眠れなかったり、眠っていても、口の中が渇いてしまって、痛みで目を覚ましてしまうくらいの苦痛を味わっていた。
「早く治らないかな」
と苦痛を感じている時はなかなか痛みが解消されないが、いつの間にか、気が付けば痛みが引いていたりする。
「痛みに慣れたからなんだろうか?」
と、思うことで、いつの間にかという発想に納得がいく。
阿久津はそおうちに痛みに関して、自分が慣れてきているような気がした。それは治ってから、痛かった時のことが思い出せないようになったからだ。
「気が付けば、痛みが消えていた」
と思った瞬間、痛かった時のその痛みの感覚を思い出せないからだ。
我に返った時、それまで考えていたことを忘れてしまうことがあったので、
――気が付けばという感覚は、我に返っているからなのかも知れない――
と思うようになった。
そんな自分を、
――何かを悟った気分になっているのかな?
と感じたこともあったが、それはポジティブすぎる考えだと思い、すぐに否定した自分がいた。
阿久津は、
「俺は時々、ポジティブに考えることがある」
と思うことがあった。
自分に自信がないと思っている阿久津は、そんな自分が許せなかった。
「ポジティブに考えられる人間は、少なくとも自分に自信を持っていなければいけない」
というような他の人には理解不能と思えるような発想を持っていた。
阿久津は、大学の三年生になって、焦り始めた。まわりの外観に騙されて、自分だけ取り残されているように感じたからだ。三年生になって一生懸命に勉強し、それがうまく嵌ってしまったのか、元々興味深かった歴史学に目覚めたのだ。
ゼミで研究心に火が付いた。
「阿久津君の熱心さには私もビックリだよ」
とゼミの先生が驚くほど勉強した。
「阿久津君のいいところは、他の人の目線とは違っているところだね」
と教授から言われて、またしても調子に乗ってしまった。
だが、この時の調子に乗った阿久津は、それまでにはなかった才能に目覚めたようだ。教授から絶大な信頼を得て、教授から進められて、歴史学の教授を目指すようになったのだが、それまでパッとしなかった人生が開花した気がした。
そこから調子に乗ったことで、弊害がなかったわけではないが、少々の弊害は、歴史学を目指すうえでそれほどの弊害ではなかった。
大学二年生までと三年生からとではまるで別人になってしまった阿久津だったが、そのせいもあってか、三年生になってからは、友達は極端に減ってしまった。
友達は減ったが、残った友達は、本当の親友というべき人たちで、
「大人の関係」
と言っていいほどになっていた。
集団でたむろするような関係ではなく、お互いに必要な時に相手を求める。それを以前であれば、
「寂しい関係」
と思っていたが、大人の関係だと思うことで、関係性に紳士的な感情が浮かんできて、そうなると、それまでモテたことがほとんどなかった阿久津のまわりに、女性が寄ってくるようになった。
阿久津はいい関係を築きたいと思っていたので、彼女にしようと思う人はなかなか出てこなかった。クールというわけではなかったが、せっかく紳士的になった自分に納得していたので、このイメージを崩したくないという思いと、彼女がほしいという思いとの葛藤の中で、紳士的な自分を選んだ。
理由は、
「自分を演出できるから」
というのが一番であり、そこには気持ちの余裕があることを納得できるからだった。
要領が悪いということは、要するにその時の状況を把握することができないということであり、まわりが見えていないということの証明でもあった。それは自分一人の考えだけに凝り固まっているということにもなるだろう。
阿久津はそのことに気付くと、自分がまるでまわりから置いて行かれているように感じた。
しかし、後悔というものはなかった。一抹の寂しさを感じなかったと言えばウソになるが、後悔する前に開き直ったというべきなのか、阿久津はまわりと自分の間に距離があっても別にいいと思うようになっていた。
それは、
「自分には個性があり、まわりに合わせる必要なんか、サラサラないんだ」
という思いだった。
大学生になってまで人に合わせることができなくて、合わせることに少しでも疑問を抱いているのであれば、無理をして合わせることもない。合わせなくとも自分の個性を伸ばせばいいと思うようになっていた。
それでも時々人に合わせられない自分に疑問を感じることもあったが、だからと言ってそのことに悩むことはなかった。
――どうして、疑問なんか感じたんだろう?
と感じてしまったことに後悔はあったが、合わせられないことに対しての後悔ではなかった。
阿久津は大学を卒業する頃には歴史学をかなり専門的に勉強するようになっていた。教授からも、
「まさか君がここまで歴史学に精通してくれるとは、正直思っていなかったよ」
と、言われた。
きっと、舌を巻くほどの変貌だったのだろう。
大学二年生の終わりには、いわゆる劣等生で、このまま中退しても仕方のないほどのっ成績だった阿久津が、まさか大学に残るように打診されるなど、思ってもみなかった。もちろん最初は大学院に残ることだったが、そこからさらに勉強を重ね、歴史学にのめりこんでいく。そんな毎日を一種の有頂天だとは言えないだろうか。
元々歴史には造詣が深かった。小学生の頃に最初に歴史に接してから、嫌いになることなど一度もなく、やればやるほど面白くなることというのは、学問に限らず、歴史学だけだった。
他に興味がなかったわけではなかった。ただ、それは歴史学に興味を持つようになればなるほど、
――他にも何か趣味を持ってみたい――
という思いがあったからだ。
それは、歴史学だけに没頭している自分を心の中で尊敬していながらも、どこかに一抹の不安を感じていたからだ。ひょっとすると、
「何らかの理由で歴史学を断念せざるおえなくなると、自分がどうなってしまうか分からない」
という思いがあったからなのかも知れない。
歴史学以外の勉強にはまったく興味を示さず、成績にもその気持ちが正直に表れていた。大学に入学できたことですら、
「まるで奇跡だ」
と思っていたくらいだったので、そんな風にも思うのだろう。
そんな自分が、まわりを見ていて。まわりと同じようにやっていると思い込んでしまったことで、二年生の終わりに現実に引き戻されることになる。
――やっぱり、俺って人とは違うんだ――
と思い知らされた。
これは後悔とはまた違っていた。
後悔があったとすれば、人と同じようにしてしまったということではなく、何も考えていなかった自分に対しての後悔だった。有頂天に甘えが生じ、意識していなかったとはいえ、
「人と同じことをしていればいいんだ」
という結果的な行動に至ってしまった自分に腹が立った。
後悔というのとは少し違っていたのかも知れない。阿久津のそれからは余計に人と同じでは嫌だという考えにいまさらながら至ったのであった。
阿久津は大学院に進んで、まわりが自分のレベルよりも高いことを痛感することになった。何しろ、
「選ばれた集団」
と言ってもいいような連中の中にいるのだから、それも当たり前のことだ。
まわりを見ると、
――どいつもこいつも無口で、何を考えているのか分からない――
という風に見えたが、自分もまわりから同じように思われているに違いないと思うと、逆にそう思われていることを納得できる気がした。
「人と同じでは嫌だ」
と思うようになったのは、大学二年生の頃に、
「まわりから置いていかれた」
と思った時であった。
確かに人と同じでは嫌だと思ったのは置いて行かれたという意識があったからであるが、それだけではないと、絶えず思っていた。そう思っていると、人と同じでは嫌だという思いが、本当に大学二年生のあの時に初めて感じたものだということに疑問を呈するようになった。
――もっと前からだったような気がするな――
それがいつのことだったのか思い出せないが、ひょっとすると、歴史が好きになった小学生の頃からだったような気もする。
中学に入ると思春期を迎えた。阿久津は自分が思春期の時期に意識として思春期にいたという感覚はその時はなかったが、いつの間にか大学生になっていた自分をふと感じた時、思春期の存在が確かにあったということを無意識に証明しているように思えてならなかった。
大学院に進んで、まわりが似たような連中ばかりに見えた時、
――こんなに息苦しいとは思ってもいなかった――
と感じるほど、空気の重たさや、まるで水の中にいるような身動きの取れない感覚に陥った。
だが阿久津にとって大学院は、
「自分の目指す頂」
のように思えていた。
そんな頂を見ているはずなのに、そこにいる人たちはどうしてこんなにも自分に不快感を与えるのかと思うと、理不尽さも感じた。
だが、すべてのことに満足して有頂天になってしまうと、結果的に自分を見失ってしまうということを大学二年生の時に感じたことで、この状態もそれほど悪いことのようには思えなかった。
大学院での研究は毎日があっという間に過ぎていく気がした。
だが、不思議なことに一か月という単位で考えてみると、かなりの時間が経っているような気がするのだ。
――こんな感覚以前にも味わったことがあったな――
と阿久津は感じた。
それがいつだったのかハッキリとは覚えていないが、時間の感覚が、同じ時期であっても、周期によってまったく違って感じられるというのは、初めてではなかったということである。
ただ、以前に感じた時はその感覚は逆だった。
あの時は、
「一日は結構長く感じられて。なかなか時間が進んでくれないと思っていたのに、一か月を思うと、あっという間だったような気がしたような気がする」
と感じていた。
きっと、あの時と自分が感じている感覚が正反対だったのだろう。大学院で充実した毎日を過ごしている時に感じたのと正反対だったということは、
――毎日を何も考えずに過ごしていたということなのではないか?
と感じたが、実際には前の方が、
「気が付けばいつも何かを考えていた」
と思っていた頃である。
今の方が、考えることは決まっていて、歴史学に集中していればいいのだが、あの時は漠然と何かを考えていただけで、ある意味では気持ちにのびしろがあったと言えるのかも知れない。
そんな前の自分を大学院に入るまでは嫌いだったが、大学院で勉強をしている時には、
「まんざらでもないのかな?」
と思うようになっていた。
過去の自分を顧みることは前にもあったが、それはその時現在の自分を昔と比較して、
「それほど悪いものではない」
と、納得させたいがための、一種の抵抗のようなものだったのかも知れない。
だが、大学院に入ってから過去を顧みるのは、それだけではないような気がする。確かに過去を振り返ることで、
――前の自分に比べて、本当に充実している――
と再認識したいという気持ちがあるのも事実だろう。
しかし、それだけではない何かがあったのも事実で、少なくとも前を向いている自分を意識することができたのは、悪いことではないと思えた。
阿久津がそもそも歴史学を好きになったのは、
「歴史というものが、途切れもなく続いているものだ」
ということが分かったからである。
時間が規則的に過去から未来に向かって続いているのだから当たり前のことで、時間の感覚という考えを見れば、歴史学というのは、物理学にも精通することであり、また歴史の事実としての事件や事実は、すべて一人一人の人間の思惑が、時代を動かすことで成り立っているという考えを思えば、歴史というのが心理学や文化人類学にも精通していると思えてきた。
そう考えると、
「歴史学というのは、すべての学問に繋がっていると言えなくもない」
と思えてきたとしても不思議ではない。
実際にすべての学問に通じるかどうかは、まだまだ勉強不足であるが、歴史学を勉強する意義の一つとして、そのことを証明するということに繋がると思うようになっていた。
阿久津は大学院での勉強を、表に出てからすることはなかった。考古学などと違って、発掘を行ったりすることもなく、身体を使わずに頭だけを使っての研究に、満足していたのかは分からないが、一定の理解をしているつもりだった。
歴史の勉強をしていると、自分が考えていた歴史というおのとは少し違っているような気がした。歴史には時代時代があって、その時々で政権があったり、その政権も体制が違ったりと、点で捉えることを最初は考えていた。
もちろん、何千年という時間が経過している中での出来ことなので、それぞれの時代や政治体制に対して、
「専門分野」
として研究家が違ってきても仕方のないことだ。
しかも、政治体制の違いと同じで、研究対象が違うからと言って、政治体制同様にいがみ合っているのも見ることがある。
――何を情けないことをしているんだろう?
と思うが、そんないがみ合いを見ていると、学者というのが、子供のように思えてくるのだった。
確かに子供のような探求心がなければ歴史の勉強などできるものではないと思える。実際に歴史学を目指している人以外で、大人になって歴史を好きになるという人も多く、
「学校で教えてくれない歴史」
というような著書も出ているように、改まって勉強するものではないのかも知れない。
それだけに、
「子供の頃の気持ちを忘れないことが、歴史に向き合う姿勢なのではないか」
とも感じるようになってきた。
歴史の勉強はそれだけではなく、
「時間と人の繋がり、融合」
という考えを持つようにもなった。
いくら時代が違っていたとしても、ことわざの
「火のないところに煙は立たない」
にもあるように、
「原因があって結果がある。結果だけではなく、原因だけでもなく、どちらもひっくるめて歴史をいうのではないか」
と思うようになると、どうして自分が歴史に興味を持ったのかということが分かってきた気がした。
そして歴史に興味を持ち始めた時の自分に、納得できるのである。
そんな阿久津が大学院を出ると、今度は学校に残って、助教授になった。
教授の方も、
「君が望むなら、私は歓迎するよ」
と言ってくれた。
大学院に残る時よりも教授は熱心ではなかったが、今度残ることに執着したのは阿久津の方だった。目標を教授昇進には置いていたが、この頃はそこまでの執着はなかったのである。
大学院を卒業し、正式に職員として雇われてから、少し自分の中で変化が見られるのを感じていた。今までは同じ内容の研究をするのでも、アシスタントというイメージが強かった。
実際に職員になってからは、就職したわけだから、
「お金を貰って仕事をする」
という意味で、それまでとは違って当たり前だ、
しかし、やっていることは前と変わらない。実際には一番の下っ端なのだから、下手をすればアシスタントよりも下に見られても仕方がないだろう。阿久津にはその意識があった。
本当に一番下に見られていたのかどうか分からないが、自分では一番下だという意識を持っていたので、大学院生を見る目も、今までとは違っていた。
自分がどんな目で見られていたのかということも気になったが。それ以上に、自分が大学院生の頃、職員と呼ばれるアシスタントの人をどのように見ていたのかということの方が重要だった。
アシスタントの人たちからが、下手に出られることが多かった。自分たち大学院生の方が下のはずなのに、どうしてあんなに下手に出ているのか分からなかった。大学院生としての甘えが、それ以上何も考えさせなかったので、阿久津は彼らに余計な意識を持たず、必要以上に見ないようにしていた。
やはり大学院の時代から、立場の微妙な位置に違和感があったのだろう。煩わしいことは考えないようにしようと思うようになったのも、その頃からだったような気がする。
阿久津は大学院生徒の関係に少し疑問を感じるようになっていた。この関係は自分が大学生から大学院生になった時にも似たような気持ちになったような気がしていたが、その時の心境を思い出すことはできない。
今の心境とその時の心境が違っているのか、それとも、今と昔で、相手に対しての感情が変わったのか、そのどちらともなのか、さらにはどちらでもないのか、考えたが分からなかった。人との関係についてここまで考えたことは、職員になったその時までに考えたこともなかった。
そうは思ったが、本当にそうだったのだろうか?
今思い返してみるからそう感じるのであって、実際には考えたこともあったのだが、同じ心境に陥らなければ思い出せないものなのかも知れない。
もし、同じ心境になって思い出したとすれば、その感情は潜在意識が引き出した
「デジャブ」
のようなものではないかと思うかも知れない。
だが、そんな奇妙な心境の時期が数か月くらい続いただろうか。そんな感情の時期を超えると、もう自分がベテランにでもなったかのような気がしてきた。
研究熱心なのは生まれつきだったのかも知れない。飽きることもなく果てしないというのは阿久津の心情だったが、確かに同じような研究をしていても、飽きることはなかった。
元々飽きっぽい方ではなかった。
どちらかというとしつこいことでも嫌いになることもなく、大学時代を通じて、学食で同じメニューを食べても飽きることがなかったくらいだ。
だが、大学院に入ると、今度は急に同じメニューを見るのも嫌な時期がやってきた。
「反動なんじゃないか?」
と同僚からは言われて笑われたが、実際にそうなのだと阿久津は思った。
「飽きるまで続ける」
あまり意識したことはなかったが、さすがに同じ学食を四年間も続ければ、誰が見てもおかしいと思うに違いない。そして次に感じることとして、
「飽きるまで食べれば、次は見るのも嫌になるさ」
ということだったのだろう。
冷静になって考えてみれば、確かにその通りだった。飽きるまで続ければ、飽きてしまうとその後に待っているのは、見るのも嫌な心境であることくらい誰が考えても分かりそうなものだった。
そんな毎日を過ごしていた阿久津も、就職すれば少しは違うだろうと思った。
しかし、実際には就職と言っても、同じ場所でやることもさほど変わっているわけではない。メンバーもそんなに変わるわけではなく、卒業したメンバーもすべてが他に就職するわけでもない。
阿久津は中学高校と、いわゆる「中高一貫教育」を受けていた。つまりは中学を卒業しても、同じ敷地内にある高校に進学するだけだった。進学というよりも進級という言葉がふさわしい。
だから、高校入試もなくて、留年しない限り、そのままストレートだった。
中には他の高校を受験する人もいたが、一握りで、まず皆そのまま進学する。高校受験の経験がなかったのがよかったのかどうなのか判断はつかないが、大学受験の時には、
「高校受験を経験していないことがネックだ」
と思っていた。
阿久津はまわりの人と自分を比較してしまうからだ。
「高校入試という修羅場を潜り抜けてきた連中に、高校入試の経験のない自分が適うわけがない」
というものだ。
これがそのまま自己暗示にかかってしまうと言ってもいいだろう。先にこの思いが先行してしまって、どんなに勉強してもそれが自信として結び付いてこないのだ。これほど辛いものはないと感じたほどだった。
それでも何とか大学に入学できた時は、
「呪縛に打ち勝った」
という思いが強く、他の人よりも喜びがひとしおだった。
考えてみるとそれだけ大学入学までの間、ほとんど喜怒哀楽を見せることもなく歩んできた人生に、新たな一歩が刻まれたような気がしたのだ。
だから有頂天にもなった。必要以上な有頂天が原因で、二年生の終わりに架けてもらった梯子を取っ払われて、置き去りにされた気がするようなことに陥った。本当は自分が悪いにも関わらず、その責任をまわりに押し付けて、自分は精神的に逃げ出したのだった。
それでも立ち直れたのは歴史学を専攻したことがよかったのだろう。他の学問だったら、この先の人生は、敷かれたレールにも乗ることができずに、いつも立ち往生しているのを思い浮かべなければいけない人生だったに違いない。
しかもその状況をまわりは分からずに、いつも立ち往生しているようにしか見えない阿久津の相手をする人など、一人もいなかったに違いない。
阿久津は大学院に入ってから、それまでの自分の人生とは少し違った道を歩もうと考えた。それがいいことなのか悪いことなのか自分では分かりかねていたが、結局は孤立する道を選んでしまっていたのは間違いないようだった。
孤立はしているが、自分の道をまっすぐに歩いているという意識は強く、
「孤立しているのは、自分が自信を取り戻したからだ」
と却って感じるようになった。
自己愛の強さが阿久津を孤立にしたと言ってもいいが、本当に孤立が悪いものなのかどうか、誰が判断するというのだろう。
「あの人はいつも一人でいて孤独だ」
という話を誰かがしているとすれば、ウワサされた人のことを、
「孤独でかわいそうだ」
と感じるか、あるいは、
「孤立するだけの何か理由があるんだ」
と感じ、自分ならそんな人と関わりになりたくないと思うに違いない。
だが、孤立しているとまわりが感じているということを知りながら、阿久津自身は自分では、
「そんなに悪いことではない」
と思っていた。
まわりが何を気の毒に感じているのか、そっちの方が不思議だった。
自分のような人に関わりたくないと思っている人は、きっとその人のような相手に関わりたくないと思っているのではなく、
「関わるとすれば、自分と気が合う人以外では嫌だ」
と思っていると言っていいだろう。
ということは、その他大勢の中から選ぶというよりも、新しい人を自分で探してくるかのような感覚が宿っているのではないだろうか。
阿久津が自分を正当化するようになったのはその頃からだったような気がする。学生時代には言い訳をすることはあっても、自分を正当化しているとは思っていなかった。そこには何かの後ろめたさがあったからだが。それが学生という甘えから来ているものだったような気がする。
職員として数年働きながら研究を続け、いよいよ助教授への進級がやってきた。論文を書くことには抵抗はなく、それまで自分に文才があるなどと感じたことのなかった阿久津だったが、研究心や探求心と一緒になることで、才能が開花したのかも知れない。助手として採用されたのも、そんな彼の努力のたまものだったのだろうが、本人はいたって冷静である。
「なるべくしてなったんだ」
という程度にしか思っていない。
いわゆる他人事だったと言っても過言ではないくらいだ。
助手として大学に残るようになって、阿久津は三十歳を過ぎているおとに気が付いた。別に研究ばかりに熱中していたというわけではないが、気が付けば今までに大きな恋愛をしていなかった自分をふと感じ、思わず笑ってしまったが、本当は笑い事ではないと思うようになっていた。
確かに他人が好きではなかった阿久津だったが、女が嫌いだったのかと聞かれると、まんざらでもなかった。モテている連中を見て羨ましく思うのはそれだけ嫉妬心が強いからだということであり、自分が一番人間臭いのではないかと思う瞬間であり、そう感じる自分を否定したくなるという矛盾を感じることが多かった。
助手になってから少ししてから届いた高校時代の同窓会に反応したのも、それが原因だった。
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