おめおとさま

千歳千歩

おめおとさま

 人間は最初、「御蚕様」を家畜扱いしたという。大昔はまだ「御蚕様」は他の虫と同じ姿だったからだろう。しかし、「御蚕様」は長きにわたり変化し続け、徐々に人間のような姿になっていった。身長は人間の少女程、御髪は艶やかな銀髪、全身が雪のように白く、腕や脚に生えている体毛はふうわりとしている。そして、黒光りした大きな目は、我々を見透かしているようだ。

 その姿を見て人間はやっと気づいたのだ。飼われているのは人間われわれであると。

 以降、人間は「御蚕様」を神と崇めた。その神の従僕として働く我ら養蚕農家は神職と同等とされている。そして、私は神職で言うところの宮司。老舗呉服店の注文を数多く受け持つ養蚕所を経営している。と言っても、一月前、亡き父から受け継いだばかりの未熟者だ。

 今、私は、家の離れにある座敷牢に向かっている。私は今から罪人に会いに行くのだ。罪人の名はスミ。私の祖父が経営していた時、まだ将軍が江戸城で踏ん反り返っていた時代から働いている雇人だ。

 「罪人」とは訊いているが、私は彼女の罪を知らない。父上も、スミと同じくらいの年を取った老女の雇人でさえも教えてはくれなかった。

 しかし、他の雇人とは明らかに扱いが違う。うちは住み込みの雇人が多くいるが、スミは寮ではなく、この家の離れにある座敷牢に住んでいる。この敷地内から出る事は許されていない。雇われた時からずっと、此処で暮らしているというのだ。

 少し話題を変えるが、うちの養蚕所には、他では決して見る事が出来ない「黒い御蚕様」がいる。「黒い御蚕様」が出される糸は黒漆のように美しい。お陰様でこの糸を使った着物は高値で売れ、予約も数年待ちと聞いている。うちの養蚕所の稼ぎ頭だ。

 そんな「黒い御蚕様」は重宝されている為、白い「御蚕様」とは別々に分けられ、養蚕場の場所は離されている。

 その「黒い御蚕様」の養蚕場への出入りをスミは固く禁じられている。何故なのかは分からない。私はあの老女と数えられる程度しか話した事が無いのだ。私はあの老女の事を何も知らない。いや、一つだけ分かるのは、父上が亡くなる直前に言ったあの言葉だけ。

「あの女が病気になるなり倒れるなりして、もう長くないと悟ったら、御蚕様と同じ死に方をさせなさい。」

 「御蚕様」と同じ死に方、つまりは餓死。成虫になられた「御蚕様」には口が無い為、子を産んだ後は餓死されるのだ。

 今日スミが仕事中に倒れ、座敷牢に運ばれた。私は父上が言うそれを実行させようとしているのだ。スミの最後の晩餐の桑の実を十個持って。

 そして今夜、私はスミに訊くのだ。彼女が何の罪を犯したのか。どうしてその罪を犯したのか。何故皆その罪を隠すのか。

 私は座敷牢へと続く砂利道を、蝋燭を灯しながら歩いていた。


 木の格子でできた一角が見えてきた。その格子の奥に、うっすらと人影が見える。スミだ。正座をしながら此方を見つめている。もう「スミ」の名に相応しく無い白髪が、暗闇の中でもよく目立つ。

「こんばんは。」

 スミは私に微笑み、会釈した。此処が暗い座敷牢だからか、その仕草が気味が悪いものに思えた。

「こんばんは。」

 私も挨拶を返した。左手に持った桑の実が入った巾着を砂利に置き、右手に持っていた蝋燭を砂利の上に乗せ、安定させた。

 スミがウフフと笑う。

「当主になったのでしょう。おめでとうございます。」

 またウフフと笑う。

「一月も前の話なのだが。」

「ウフフ、そうですね。御免なさい。」

 何が可笑しいのか、スミはウフフと笑い続ける。不気味な女だ。

 私は巾着をスミの目の前に置いた。

「あら、これは。」

「先代は、『スミが倒れたら桑の実を食わせた後、餓死させろ』と言った。」

「あら」

「今日がその日だ。巾着の中には桑の実がある。食べろ。」

「ウフフ、そういう事なら頂きましょう。」

 スミは格子の隙間から手を出し、巾着を暗闇の中に引き摺り込んだ。しゅるりと結び目を解く音がする。

「待て。」

 私の一声で、スミは巾着の中に入れた手を止めたのが見えた。

「お前がその桑の実を食べ終わるまでに、お前が何の罪を犯したのか、教えてはくれないか。」

「先代は何も教えなかったのですね。ウフフ、そうね。最後ですし、お話ししましょう。」

 スミは巾着から桑の実を一粒取り出し、口に含んだ。

 

 あれは私が、この養蚕所に勤めはじめた十七の頃でした。子を成す為に残された「御蚕様」方が次々に蛹から顔を出した日があったのです。その時は、雇人が総出でその「御蚕様」方のお世話をしていました。未熟者でありました私は、「御蚕様」に触れる事は許されず、只々雑用をこなしているばかりでした。

 そんな中、雄の「御蚕様」を雌の「御蚕様」に会わせるべく、荷車に乗せていた時でした。(雄と雌は蛹から取り出した後、別々に管理される)

 一匹の雄の「御蚕様」が、私の目にとまりました。銀色の真っ直ぐで長い御髪、艶やかな体に、ふうわりとした体毛。そして、どこまでも黒い大きな瞳。他の「御蚕様」と同じである筈なのに、何故か、私は彼に惹かれました。

 彼は他の雇人の胸の中に抱かれ、荷車へと移されました。そしてその荷車は、彼と何匹かの「御蚕様」を乗せて、雌の方々がいらっしゃる「産卵舎」に向かいました。私はそれまでずうっと、彼を見ていました。私はずうっと、どうやって彼を連れてこの養蚕所の外に出るか考えていました。連れるなら今日がいい。早くしないと彼は他の方々と関係を持つ。彼のあの瞳を、私だけが見ていたい。触れたい。そう思いました。

 その夜、私は寮をこっそりと抜け出し、月明かりだけを頼りに「産卵舎」へと向かいました。「産卵舎」は大きな蔵で、鍵もかけておらず、重い扉だけを頼りにしていたようでした。私はなるべく音を立てないように観音開きの扉の片方を開けました。

 蔵の中は窓と開いた扉から差す光だけが頼りで、あまりはっきりとは見えませんでした。しかし、目線を下にやると、「御蚕様」方が抱き合っていました。

 私はまだ乙女でしたので、それはそれは恥ずかしく思いました。しかし、彼を見つけなければという想いが強かったので、私は「御蚕様」方の交りは気にせず、彼を探す事に専念しました。

 すると、窓から差す光の下に、雌との交尾を終え、月明かりを眺めている「御蚕様」が一匹いらっしゃいました。その方を見た刹那、私の胸から熱いものが込み上げてきました。日中見た彼に間違いない。そう思いました。

 私は繋がった「御蚕様」方をかき分けながら彼へと近づき、彼を抱き抱え、すぐさま蔵を出ました。その後は、裏門の脇戸から外に出て、真っ白な彼の手を引いて、なるべくこの屋敷から離れようと、只々走り続けました。

 もう屋敷から大分離れた頃でしょうか。徐々に御天道様が顔を出し、景色が見えやすくなった頃、私は古びた小屋を見つけました。此処に隠れようと思い、彼と共に小屋の中に入りました。狭い小屋でしたが、彼を近くでずうっと見ていられると考えたら、この上なく素晴らしい場所に思えました。

念のために、台所から5人分程の食糧と、給桑舎から桑の葉を持ってきましたが、彼には御口が無い為、御食べになりませんでした。

 小屋にいる間、彼はずうっと、私を見つめていました。彼を見つめていたいと思ったのは本当の事ですが、私が見つめられるのはまた違うものです。私はなんだか恥ずかしくなってしまいました。私の頬や耳が火照っているとすぐに分かりました。

 私は恥ずかしく思いながらも、彼の腕に生えたふうわりとした体毛を優しく愛撫したり、お互いに見つめ合ったりしました。

 何故彼はなんの抵抗もせず、私に大人しく連れられたのか。そう思いませんか。ウフフ、もうすぐ分かります。

 3日が過ぎた頃の事、私が少ない食糧をちまちまと、まるで米を啄む雀の様に食べている時でした。

 私の事を見つめるばかりだった彼が、私の肩に手を当てて来ました。彼から私に触れるなんて今まで無かった事です。私は困惑して、頭の中が真っ白になってしまいました。そして彼は、私を押し倒したのです。私の腕と脚は彼の上下の両腕に押さえられ、私は動く事が出来なくなってしまいました。彼の真ん中の両腕は、私の着物の衿下を捲って、私の着物をなんとか脱がそうとしているのです。

 彼は私と交わろうとしていると、瞬時に思いました。しかし、これは私を愛しているからではないということも、すぐに分かりました。彼は子を残したいだけ。私はその為に必要な、丁度いい雌。彼にとって私はきっとそれだけの女なのでしょう。女であれば誰でもいいのだから、私について来た。そういう事でしょう。しかし、私はそれでもいいのです。彼が私を求めてくれている。それだけで充分でした。

 そして衿下をようやく捲り終えた彼は、私を抱いてくれました。

 私達は、それから3日間程、交じり続けました。


「これが先代が私を罪人と言う所以。まあ、確かに他人から見たらこれは罪なのでしょう。」

 スミはウフフ、フフ、ウフフフフと笑い続ける。笑い声が止まると、七つ目の桑の実を口に含ませた。吐き気がした。

 なんておぞましい。神と交わるなど、誰が許すというのか。この女は狂っている。

「屋敷から出て7日程経った後、彼は亡くなってしまいました。「御蚕様」の寿命は7日程ですものね。私は彼を背負って屋敷に戻りました。」

「よくもまあ堂々とそんな事を言えるものだ。」

 私がそう言うと、スミはウフフと笑った。

「屋敷に戻ると、天狗の様に顔を真っ赤にした先先代と先代、他の雇人がいました。先先代が私に殴り掛かろうとした時でした。「『御蚕様』と交わった」。私がそう言いますと、皆さん顔を真っ青にしてしまいました。先先代も顔が赤から青に変わり、ばたりと倒れてしまいました。元々ふくよかな方で、体にガタがきたのでしょう。」

 なるほど、祖父が亡くなったのは、間接的だがこいつの所為か。

「程なくして、私は産卵いたしました。屋敷から帰ってきてすぐの事でした。私は3日間、卵を約100個程産み続けました。」

 鳥肌が立った。人間が産卵するなんて。しかもこんなに早い産卵はまるで雌の御蚕様のよう。

「当主さん、私、こんな白髪でも、昔は黒漆のように真っ黒な髪でしたのよ。だからスミと名付けられたのです。」

 まさか。

 いくら腕をさすっても私の鳥肌が収まる事はない。皮膚が私の意思を聞かずに、「もっと立てもっと立て」と言っているようだ。

「私が産んだ幼虫の「御蚕様」は全て真っ黒な「御蚕様」でした。しかも全員、彼に似ていて、私はその100匹の我が子達がとても愛おしく思いました。まあ、先代は私の子を見た途端、私をこの座敷牢へと閉じ込めましたが。皆さん、私が今度は子供に手を出すと耳打ちしあっていましたのよ。」

 まさか、あの「黒い御蚕様」が、元を辿ればこの女の血を引いていただなんて。なんて恐ろしい。しかし、子供に手を出すなんて事、気が狂っていても、流石にそこまでするものか。私がそう思っていた矢先、スミがまた恐ろしいことを口に出した。私はこの女を嘗めていた。

「勘がよろしい方々だこと。」

 スミはまた、ウフフ、フフフと笑い出す。私はもう恐ろしくて叫んでしまった。

「父上め。なんでこの女を憲兵に、いや、町奉公に捉えさせない。こんな大罪人には、座敷牢で生き殺すよりもっと重い罰が必要だ。」

「ウフフ、当主さん、それは貴方の御父上がとても強欲だからですよ。」

「なんだと」

 スミは八つ目の桑の実を口に運ぶ。

「『御蚕様と子を成した女がいる』。そんな事を公にしたら、この家はどうなります。そんな失態を犯した養蚕所、気味が悪くて誰も糸を買わないでしょう。なので先代は、この事を他言無用にして私を隠したのです。勿論両親にも勘当されました。そして、黒漆の糸を新たな商品としたのです。きっと貴方も、あの子達の糸を商品として売り続けるでしょう。」

「父上が強欲だと。この様な事態に追い込んだお前が言うか。元凶であるお前が。」

 私は格子を掴み、スミを睨みつけた。スミはニヤニヤと笑いながら、九つ目の桑の実を口に運ぶ。しばらく沈黙が続き、スミが桑の実を飲み込むと、やっとその不気味な口を開いた。

「確かにこの家をおかしくしたのは私です。しかし、私は私がした事を罪と思ってはいませんし、反省などしてはいません。むしろ、私はとてもとても幸せなのです。」

 何を言っているんだこの女は。

「好きなヒトと交わり、沢山子を産みました。今も私の子孫は繁栄している。会えなくとも子の近くにいられる。そして髪も好きなヒトと同じ色になり、好きなヒト、そして、私の子供達と同じ死に方が出来る。私は幸せ者です。あのヒトを愛した事を、私は罪とは思いません。」

 私は、この言葉を聞いた後、すぐさま蝋燭を持って砂利道を走って行った。もう無理だと思ったのだ。この女を裁くことも、何もかも。

「きっと貴方も、あの子達の糸を商品として売り続けるでしょう。」

 あゝ、そうだとも。きっと私も手放せない。けど、それによって私も、罪を犯してしまう。あの女の完全犯罪を、成功させてしまう。私の所為で。しかし、あれでは、昔あったと言う陰間に魅せられ、色恋に狂った女と同じではないか。あゝ、私とした事が、「御蚕様」を陰間と同一視するなど。

 私は何度も何度も砂利道で足を挫けながら、屋敷の中へと走って行った。その日は眠れず、ただ過去と未来に恐怖していた。

 その7日後、スミは座敷牢で孤独に死んだ。巾着の中を見ると、桑の実は一つも入っていなかった。

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